「母親を忘れな」
とある森に住む魔女は言いました。
彼女は魔法薬を作って過ごす不老不死の魔女です。
ある日彼女は、森を散歩中に人間の子供と、その母親の死体を見つけます。
少年にはもう帰る場所はありません。親も死んでしまいました。
そんな少年に、魔女は母を忘れる代わりに養うと言ったのです。
条件を飲んだ少年は──
*なろうにも投稿してます。
「餓鬼。母親は死んだんだよ。もう忘れっちまいな」
「お母ざぁぁん! 独りにじないでぇぇ……!」
庭先の森で散歩していると、泣きわめく餓鬼と女の死体を見かけた。
どうやら、獣にでも襲われたらしい。女の死体は母親か?
上手く獣は追い払ったようだが、傷が深く力尽きた……といった所だろうか。
放置しても良かったが、家に近い所で死体が二つも転がっているのは迷惑だ。
だから、餓鬼だけでもどこかへ行くように声を掛けた。あわよくば、女の死体も運んで行かないか期待しながら。
「うるさい餓鬼だねぇ。魔法薬の材料にしちまうよ」
私は魔法薬の作成が専門の魔女だ。
この森には魔力を多く含んだ材料があるから、近くに小屋を建てて住んでいる。
人間はほとんど近寄らないような場所だが、まれに迷い込む時がある。今回のように。
人間は森を荒らすから嫌いだ。根こそぎ恵みを持ち去るから、見かけたら大抵殺して材料にしている。
しかし、どうにも今日はやる気が出ない。殺して後処理するのが面倒くさい。
親は死んでるし、餓鬼程度なら勝手に獣に殺されるだろうと思い、見逃すことにした。
「ひぐっ!? もしかして……ま、まじょ!?」
「そうさ。分かったらどっか行きな」
あごで森の出口を示す。
しかし、餓鬼は動かない。
「聞こえなかったのかクソ餓鬼」
「……ない……」
「あん?」
「帰る場所……ない……。お母さん……死んじゃったし……」
「はぁ、面倒くさ──」
問答するのも面倒くさかったので、いっそ殺してしまおうかと考えた。
が、そういえば丁度、雑用させる奴隷が欲しかったと思い出す。
奴隷を買う金が浮くと考えると、拾ってしまうのも悪くないと考えを改めた。
「あー、だったらウチに来な。雑用として使う代わりに住まわせてやる」
「……薬の材料にしない……?」
「言うこと聞けばな」
「……ねえ」
「あ?」
「お母さん、生き返らせ──」
「無理だね。する気もない。分かったらどうするか決めな」
「……住まわせて、ください」
「良いだろう。ついて来な」
やれやれ、面倒くさい餓鬼だ。使い物にならなかったら本当に薬の材料にしてやろう。
「それと、母親のことは忘れな。それも条件だ。会いたいなんてグズったら殺すよ」
「そんなっ」
「はぁ」
「っ!? 忘れ、ますっ」
「次はないよ。いいね」
「はい……」
さてと、まずは風呂に入れるか。汚いまま家に入られたらかなわないからね。
薪を拾わせて、火を起こさせて、湯浴みさせる。
それから、部屋の片付けをさせた。
料理も覚えさせたかったので、簡単な物を作らせてみた。
それがまた、どんくさいこと。
野菜を切らせたら、間違って自分の指を切っちまった。
お陰で余分に傷薬を使う羽目になった。
全く、こりゃ手の掛かる餓鬼を拾っちまったね。
さて、次は何をさせるかねえ。
洗濯を覚えさせて。使える薬草の見分け方を教えて。
それから──
それから、二十年ほどが過ぎた。
泣き虫の鬱陶しい餓鬼も、すっかり大きくなっちまった。
なよなよした態度も、今やみる影もなく堂々としている。私に意見を言うようになったほどだ。
それに、何でも器用にこなすようになった。
色々なことをさせた結果だ。
特に料理は念入りに仕込んだから、もはや私がやるよりも上手に作れる。
お陰で毎日旨い飯が食えるから、覚えさせて良かった。
「おーい、母さん。飯出来たぞ」
「はいよ。今行くから待ちな」
それと、今は私が母さんって呼ばれてる。
母親を忘れろと言われた結果、私を母に置き換えることで忘れることにしたのだろう。
何とも、面倒くさい餓鬼なことだ。というか、母親呼ばわりはむず痒い。
子供なんて持ったことないし、奴隷として住まわせたのだから、今さらどう接して良いのかよく分からん。
だが──まあ、その。なんだ。
母さんって言われるのも、まんざらでもない……な。
いつの間にか、いないと困る存在になっちまってた。
奴隷としてじゃない。もっと、違う感覚。
もしコイツが死んだらと考えると、胸が裂けるように痛む。
いないと不便になることが悲しいんじゃない。いないこと、存在が消えることに、悲しさを覚える。
この感覚は、そう──きっと。
「いつもありがとうよ──バカ息子」
「!」
きっと、そういうことなんだろう。
驚いた顔が滑稽で面白い。
バカ息子は見開いた目をへにゃりと緩めると、笑顔で言った。
「バカは余計だ。早くしないと冷めるぞ」
「親に口答えするんじゃないよ。今日も旨そうだね」
最初は、面倒だと思った。薬の材料程度にしか思ってなかった。
養ってきた今まで、何度も拾ったことを後悔した。
だけど、今思い返せば、悪くはなかった……かね。
良い思い出と言える程度には、今、目の前のバカ息子を大切に思ってるよ。
恥ずかしいから、面と向かっては言わないがね。
「いただきます」
まあ──今じゃ、拾って良かったと思うよ。
さらに時が過ぎた。
私は魔女だから、老いはしない。
だが、バカ息子は人間だ。時が経てば、歳を重ねてゆく。
息子は年老いた。
そして──私を忘れてしまった。
忘却症、という人間特有の病気らしい。
徐々に記憶力を失い、重度になると、起こした行動そのものや、近しい者すらも忘れてしまうのだとか。
息子は、少しづつ、少しづつ思い出を忘れていった。
一月前に竜を見に行ったのも、一週間前に人間の街に買い出しに行ったのも。
もう、忘れてしまった。行ったことそのものを、忘却してしまうのだ。
最近は、特に症状が悪化している。
もう齢九十になるというのに、餓鬼の頃に心が戻っているのだ。
料理も出来なくなったし、掃除もこなせない。
今やボーッと日中を過ごすのが日課だ。夜中に大声で叫ぶこともある。
そして、なにより。
私が、誰か分からなくなってしまったのだ。
それでも私は、声を掛け続けている。
どんな姿になろうとも、誰ですかと言われようとも。
私の愛する息子だからだ。
「良い天気さね。調子はどうだい?」
「ええ、ええ、こんにちは。初めまして。良いですよ」
もうこのやり取りも慣れた。
それでも、やはり寂しくはあるが。
「貴女は」
「あん?」
「貴女は、魔女さん……ですか?」
「そうさ。よく分かったね」
「……忘れないといけないことがあったような」
「っ!」
それは、きっと私が最初に約束したことだ。
魔女というキーワードが刺激になって思い出したのだろう。
“母親を忘れろ”
「……今さら、その約束を守らなくたって良いだろう……バカ息子」
「え?」
「いーや、何でもない。それより、あんた母親はどうしたんだい?」
「お母さんですか? うーん……一緒に薬草を取りに森に入って……その後、どうしたっけなあ」
この言っている母親は、人間の母親のことだろう。
本当に、私は忘れっちまったんだね。
「はぐれたのかい?」
「うん……心配だなあ」
「そうかい。それは寂しいね」
「うん。でも、大丈夫」
「? 何がだい?」
息子は、そう言いながら、手の指をさすった。
そのさすった指には、初めて料理させた時に出来た傷痕があった。
「もう一人、お母さんがいるんだ」
「!」
「厳しいけど、美人で、本当は優しい。そんな大好きなお母さんなんです」
「お前──」
思わず、抱きついてしまった。
だけど、離れない。
今離れたら、きっと情けない顔を見せることになってしまうから。
息子には、情けない所は見られたくない。
──ふわりと、背中に手を回された。そして優しく、抱き締められる感覚。
「え?」
「ちょっと、恥ずかしいよ──母さん」
どういう、ことだ。
驚きのあまり、顔を上げると……そこには、困ったような表情を浮かべて頬を染める、“息子”がいた。
「お前……お前っ!」
「ごめんね、母さん。迷惑かけて」
「~~~~っ!! 寂しかったんだぞ……! 忘れられて、悲しかったんだぞ、このバカ息子ぉ!!」
「ごめんね、ごめん」
「うわぁぁぁぁん!!」
恥も外聞も、母親の威厳も全てかなぐり捨てて、胸に泣きつく。
ただただ、涙が溢れ続ける。
抱き締められて、髪を撫でられながら、みっともなく声を上げ続ける。
「このまま、忘れられたらっ! どうじようがど~~~~っ!」
「ごめんってば。あいたた、腰が痛いよ母さん」
「ううぅ……ごめん~っ、もうお爺ちゃんだったねえ~っ!」
「そうだよ。そうですよ。だから少し加減して」
「うう~~~~っ!」
「もう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだよ。ハンカチどこ置いたっけな?」
きっとこの時間はほとんど奇跡みたいなものなのだろう。
神様が与えてくれた、特別な時間なのかも知れない。
だから、たくさん思い出を語った。
もう忘れないように。刻み付けるように。
何よりも大切な息子との、この時間。
絶対に忘れることの出来ない、かけがえのない記憶として、私の心に刻み付けよう。
特別な時間は、やがて終わりを迎えた。
やはりあれは奇跡だったようで、息子はまた私を忘れた。
そして、最期の力を振り絞ったのか──息子は、次の日の朝に冷たくなっていた。
寂しくないと言えば、嘘になる。
悲しいかと聞かれれば、大声で泣きたいと言う。
でも、これは初めから決まっていたこと。
私が不老不死の魔女であるが故に、息子に先立たれるのは、最初から決められていた結末なのだ。
薬で寿命を伸ばすことも出来たが、他ならぬ息子の願いで、何もしなかった。
人間として、魔女である私を愛したかったらしい。
本音を言えば、もう少し息子と一緒にいたかった。
だが、「独りにしないで」と言うのは、きっと私のわがままなのだろう。
だから、私は決して後悔しない。
息子を拾って、本当に良かったと思っている。
何故なら、彼は何にも変えられない思い出を私にくれたから。
いつでも思い出して、心を温められる。
この先、終わりのない時を、温かな記憶で乗り越えてゆける。
私は魔女。不老不死の魔女。
息子の記憶と共に、永遠に生き続ける。