真・恋姫†無双 -糜芳伝-   作:蛍石

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幕間を投稿。
視点は空となります。

作中に出てくる単語をちょっと補足します。

():二つから四つ程度の村でまとめられる集落の単位
里正(りせい):里の長

(きょう):里が複数集まった集落の単位
有秩(ゆうちつ):郷の長


幕間一 Dear Friends -空の色海の色-

窓から差し込む朝日の眩しさに、私は目を覚ます。

私は朝に弱く、すっきりと目覚める事ができない。特に、昨日はなかなか寝付く事ができなかったため、今日はすごく辛い。

 

(これも全部麟君のせい!)

 

寝ぼけた頭でも理不尽と分かるような八つ当たりを自分の想い人へ向けながら、私は寝台から身を起こした。

今日はお休みをもらっているため、登城する必要が無い。それでもいつもどおり目を覚ましたのは、昨日賊討伐から帰ってきた麟君に早く会いたいからだ。自分でも呆れるくらいに恋する乙女をしている。

寝惚けた頭でそんな事を考えながら、私は普段着へ着替えるために立ち上がり、帯をほどき寝巻きを脱ぎ捨てて下着姿になる。

身に着けている、私の真名と同じような薄い青に染められたお気に入りの上下の下着を見て、思わず眉をひそめる。我ながら似合っていると自画自賛するが、昨日の自分の滑稽さも思い出して少し腹が立つ。

 

昨夜は麟君と一緒に寝ようと思って、この下着を着けて寝巻き姿で麟君の部屋を訪ねたのだ。久しぶりに麟君とゆっくりと時間を過ごせて、さらにそのまま一緒に眠れると思い、私の胸は高鳴っていた。抜け駆けとも言える私の行動を頭の中で海に詫びながら、早鐘を打ち始めた鼓動に自分でも持て余しつつ、麟君の部屋の戸を叩いた。しかし、いつもならすぐに麟君から誰何の声がかかるはずなのに、扉を何度叩いても麟君から声が聞こえてこなかった。

もう寝ているなら寝台に潜り込んでしまおうと、扉を静かに開けて部屋に入って寝台を確認しても、麟君はいなかった。寝台に手を当てても冷たく、少し起き出してどこかに行っているわけではなく、そもそも寝台がまだ使われていないようだった。

そのまま寝台に潜り込んで麟君が戻ってくるのを待っても良かったのだが、そのまま眠りこけてしまったら麟君は私に寝台を譲って床で眠ろうとするだろう。それでは麟君が風邪をひいてしまうかもしれないし、夜営続きだったのだから、帰ってきたら寝台で眠りたいだろう。そう考え、麟君の寝床に横になる誘惑を振り払い寝台から離れた。

 

どこに居るのだろうと麟君の部屋から出て、屋敷の中を歩き始めると、居間から明かりが漏れておりお父様と麟君の話し声が聞こえてきた。二人とも疲れているだろうに、まだ何かしているのか。

そう心配半分苛立ち半分の感情を得て、早く寝るように(麟君には一緒に寝ようと)声をかけようとしたのだが、聞こえてくる二人の声からはまるで出兵前の時と同じくらいに鋭さを含んでいるのを感じて、思わず言葉を飲み込んでしまった。

おそらく今回の出征で何か問題が生じて、その対策を立てていたのだろう。それも大至急対応しなくてはならないような火急の物が。そうでなくては二人が疲れきっている身体に鞭を打って、すぐに話し合う必要は無い。

そこまで考えて、感情のままに取っている自分の行動が急に恥ずかしくなった。『二人は州のために身を粉にして朝も夜も関係無く働いているのにそれに比べて自分は。』と、急に私の取った行動が不純な物のように思えてしまったのだ。

その時感じた羞恥心と自責の念を抱えたまま逃げるように自室に戻り、寝台に横になって布団を頭から被った。そのまま眠ってしまおうと目も瞑ってしまう。しかし、麟君の部屋へ行った時に高鳴っていた鼓動と、居間の二人の声を聞いた時の後ろめたさのせいで頭が妙に冴えてしまい、結局寝付く事ができたのは夜が大分更けてしまってからだった。おかげで寝不足となって、今に至る。

 

しかしそのおかげなのか、昨夜は随分と懐かしい夢を見た。

まだ麟君と出会う前、海と出会った時の夢だ。

 

ふと気を抜けば訪れる睡魔に抗うために、昨夜見た夢を思いだそうとする。しかし、眠らないように必死に思考を続けていた間も体は勝手に動いていたようで、普段着へ着替え終えていた。一旦夢の反芻を中断し、部屋を出て顔を洗うために水場へ向かう。途中すれ違うこの屋敷の使用人さん達へ挨拶をしながら廊下を歩いていく。

 

(やっぱりお金持ちなんだよね)

 

この屋敷はかなり大きい。それこそ、この家の中でかくれんぼをする事ができてしまうくらい。

さらに大勢の使用人達も雇っているため、なおの事その財力を肌に感じる。

海や麟君と一緒にいる時は気になる事は無いが、こうやって一人でこのお屋敷を歩いているとそんな考えが沸き上がってくる。自分がここにいる事が場違いなような、そんな居たたまれない気持ちと共に。

私も北海に居た時には、お父さんが里正をしていたので、お嬢様としてちやほやされている時はあった。その人達は私を通してお父さんを見られているようで、どうにも馴染む事ができなかったが。

しかし、現在の糜家の規模と私の家を比べると雲泥の差がある。糜家とて先代様までは有秩だったのだが、今の家長である子伯様に代替わりしてからさらに栄えるようになったらしい。

そして私は寝惚けた頭のまま、もう一度昨夜見た夢を思い返す。

家柄の差、身分の差により酷い目に遭った時の事を。また、大事な親友となる女の子との間に縁ができた時の事を。

 

 

 

私があの村に住んでいたのは、家族や同じ町の住人達と一緒に青州北海からこの村へ移住して来たからだ。北海から移住する事になったのは、当時の北海太守のかける重税が原因だ。食べていく事ができないくらいの重税をかけられ、食べていけない人達が賊となり村や町を襲い始め、安全に暮らしていく事が難しくなったらしい。

私達は北海から南下して徐州へと入ったが、移住してきた人達全員が食べる事ができるような仕事はそうやすやすとは見つからない。このまま死ぬか、いっそ自分達も賊として生きていくか、そんな相談をしている時その話が届いたのだ。

 

『東海で新しく村を作る事になったので、開拓民を募集する』

 

困窮していた私達にとって、その話は天からの恵みに思えた。正確にはその土地は与えられるのではなく十年間の貸与であり、借り賃も支払わなくてはならなかった。しかし、少なくともすぐに死ぬ事は無くなる。私達は一二もなく飛び付いた。

そうしてやってきた私達により作られたのがこの村だ。とはいっても、私達が着いた時には住む家は建てられており、既に村の形には整っていたのだから、苦労して一から作り上げたわけではない。

お父さんは里正をやっていた経験から、みんなに推されてこの村の長をする事になった。

そして今回の移民受け入れの責任者というお役人様が、この辺り一帯の地主の糜家当主、子伯様だった。

後年知った事なのだが、子伯様は開拓の進んでいなかったこの辺りの土地の地主で、移民を受け入れて耕作させる事を州牧様へ進言し、その監督を任されたらしい。

余談だが、麟君がこの子伯様の進言の内容を知ると、驚くと共にすごく評価していた。ミントンって言ってたかな。制度を整備して積極的に推進すれば、税収は莫大な額に上がるって興奮した様子で口にしていた。

まあ、それは置いておくとしよう。

 

私が海と出会ったのは、村に着いて数日後。子伯様がこの村に最初に来た時だ。子伯様は部下を数人引き連れていた。そして、私達へこの土地を耕作するように伝え、戸籍の作成を行った。それから初年度は税の免除や道具の貸し出し、作物の種の譲渡、当面食べていくための食料の配布等をしたらしい。

らしいというのは、それが伝えられた場に私は居らず、一人で村の土弄りをしていたからだ。他の村人達は子供達も含めて子伯様の話を聞きに言っていた。

私はというと、子供心にみんなの役に立とうと、先に畑に入って農作業の邪魔になる小石を拾っていた。もっとも、役に立ちたいというのだけが理由ではなく、どうしても馴染む事のできない村の子供達と顔を合わせたくなかったというのも有る。当時の私は、村の子供達の間では少し浮いており、子供心にそれが辛かったのだ。今でも村の同い年くらいの子達と話していると浮いてしまう事が有ったのだが、あまり気にしなくなったのは少しは大人になれたからなのだろうか?

 

話を戻そう。そうやって出来た、折角の一人きりの時間を遊び呆けるのではなく、農作業に使ったのは両親に失望されるのが怖かっただろう。自分でも驚くほど当時の自分は家族に失望される事を恐れていた。だから空いた時間であっても、両親に失望されないようにお手伝いばかりしていたような気がする。丁度この時に一人作業をしていたように。

その日は前日が雨だったために地面がぬかるんでいて、少し深く埋まっている石も簡単に地面を掘って取り出す事ができた。着ている服も農作業に合わせて、汚しても構わないような着古した物だ。何も気にせずにぬかるんだ地面を歩き、次々に石を取っていった。そうしているとミミズが時々顔を出すが、できるだけ見ないようにしていたと思う。今も昔も私は虫が苦手だ。それでも我慢しなくては農作業などできない。本当は悲鳴上げて逃げ出したいくらいなんだけど……。

そうやって作業をどれくらいしていたのだろうか。流石に疲れたので一休みしようと立ち上がった時、畑に入る前の畦道から、髪の長い綺麗な格好をした顔を知らない女の子がこちらをじっと見つめているのに気づいた。

それが海の姿を初めて見た時だった。綺麗な子だなとか、おそらく同い年くらいだろう、とかそんな事をぼんやりと考えていたのを覚えている。

村で見た事が無いという事は、今日来たお役人様達の関係者なのだろう。町から来たと考えれば、この子の格好の事も説明がつく。そういえば、この時の海はよそ行きの格好だったため、珍しく裾の長い服を着て、髪の毛も括っていなかった事を思い出す。現在の海ではする事の無い格好だろう。

そんな事を続けて考えながら、互いの事を数秒見つめ合い、我に返り私は自分の格好の事を思いだした。泥に汚れても良いように、着古した服の裾と袖を捲り上げている。目の前にいる女の子の身綺麗な格好とのあまりの落差に恥ずかしくなった。

 

「何か用ですか?」

 

私は、恥ずかしさのせいで固くなった口調で、目の前にいる女の子に話しかけた。

 

「あ、ううん。用ではないの。ただ、何をしているんだろうって」

「土を耕す時に邪魔にならないように石を拾っているんです。 ほら、こういうのを」

 

拾った石を入れたザルを持ち上げ、海の方へ近づいて中を見せる。

それを見て彼女は感心したように頷き、こう言った。

 

「いっぱい拾ったんだねー。 ねえ、私もお手伝いしていい?」

 

その言葉にギョッとして、私はおもわず目の前の顔を凝視してしまったのを覚えている。

海はニコニコと私の方へ邪気の無い笑顔を浮かべていた。

私をからかうつもりなどなく、本気で手伝おうとしてくれている事がその表情から窺えた。

 

「え、と。 無理だと思いますよ」

「なんで!?」

 

思わず否定的な言葉を返した私へ、少し泣きそうな顔をしながら声を返してきた。

 

「土弄りするならその格好のままじゃ……。 服を汚してしまうと怒られませんか?」

 

そう私が言うと、彼女は私の格好と自分の格好を見比べて、不満を表すように唇を少し尖らせた。

 

「じゃ、じゃあ服を脱げば……」

「駄目だと思います」

 

即座に否定の言葉を返した。仮に服を脱いだとしても、地面が湿っているので置く場所がなかった。さらに良家の娘であろうこの子に、裸で作業をしてもらうのが何かしらまずい結果を生む事は想像に難くない。

 

「じゃあ、どうしろって言うの!?」

「無理にお手伝いをして頂かなくても……」

 

そう口にした私に、彼女が頬を膨らませた。

確かに手伝ってくれるならありがたいが、それは他の人に迷惑をかけない範囲でだ。

私の都合でこの娘が叱られるのは良くない、そんな風に考えていたと思う。

 

「私があなたと服を交換すれば……」

「それだと私が働けなく……」

 

彼女の再三の提案に、また否定の言葉を返そうとしたのだが、ここでふと思い付いた。確かに服を交換するだけでは働ける人数が増えるわけではないからあまり手伝ってもらう意味がない。

なら二人で働く事ができるようにするにはどうすれば良いのだろうか。

問題になっているのは彼女の格好だ。なら、家にある私の別の服に着替えてもらえば二人で働く事ができる!

そう考えた私は、彼女に私の服に着替えてもらって作業を手伝って欲しいとお願いした。

彼女はそれを聞くとすぐに嬉しそうに破顔した。

 

当時の私はこの考えを名案だと思っていた。しかし、彼女が服を汚す事が叱られる原因になる事は想像できたのだが、自分の家族よりも目上に当たる人物の家族を働かせる事が問題となるとは思っていなかった。このすぐ後、私はそれを思い知る事となった。

 

彼女を連れだって家に戻る途中、彼女は自分の名前を名乗った。私も彼女に自己紹介をして、お互いを字で呼ぶようになった。

家に着き、私が簡単に井戸水で自分の体の泥を落とした後、海に私の着ているのとは別のぼろの服に着替えてもらった。

それから彼女に椅子に座ってもらい、私は後ろに回って髪の毛を紐で一つにくくる。髪をくくった自分の姿を見たいと言うので、鏡を見せてあげるとすごく喜んでくれた。天真爛漫な海は、髪の毛をくくった方が動きやすくなって良いだろうと思ってそうしたのだが、予想以上に本人が喜んでくれたので私も嬉しくなった。まさか、現在に続くまでずっと同じ髪型にし続ける事になるとは予想もしていなかったが。

そのまま来た道を戻り、畑に再び入って石拾いを再開した。先ほどとは異なり、二人でお喋りをしながらだから石を拾う速度は遅くなってしまったが、凄く楽しかったのを覚えている。

いつの間にかすっかりと打ち解けて、敬語を使わずに話しかけるようになると、彼女はすごく嬉しそうな表情をしてくれた。私が彼女を喜ばせる事ができたのだと思うと、私も嬉しくなった。

 

しかしそれからすぐ、突然後ろから押されて私は前のめりに地面に倒れた。目を白黒させながらも起き上がろうとすると、目の前には怖い顔をしたお父さんの姿があった。そしてそのまま胸ぐらを掴まれ無理矢理立たされて、何回も頬を張られた。

その後海の方を向かされ、上から押さえつけられて土下座の姿勢を強要される。下を向かされる前に見えたのだが、いつの間にか海の隣にはお父さんと同じ年頃の男性が立っており、こちらを見下ろしていた。海はその男性にすがり付き、何かを大声で言っているようだった。直感的にこの男性が海の家族なのか、と思ったのを覚えている。

 

不思議とその時はお父さんにされた事の痛みは感じなかったが、私が何か大変な事をしでかしてしまったのは理解できた。自然と瞳が潤んできて、視界がぼやけた。

そのままお父さんと子伯様が何かを話していたが、よく覚えていない。

気がついたら私は立ち上がっていて、海が子伯様に手を引かれて離れていこうとしているのを見送っていた。それでもこちらを振り返り、私を気遣うように必死に見つめてくる海を安心させたくて、大丈夫だよ、という意味を込めて大きく一つ頷いた。それでも海が心配そうな表情を変える事は無かったのだが。

 

家に帰った後、お父さんに物凄く叱られた。万が一子伯様の不興を買ってしまった場合、この村への移住の話自体が無くなりかねなかったので当然と言えば当然だろう。

そして、翌日糜家まで一人で謝りに行くように命じられた。

また、海が着替えに家に寄る事なくそのまま帰ってしまったために、置かれたままだった服も一緒に持っていく事になった。

自分のせいでみんながまた路頭に迷う事になってしまったらと怯えて、その日の夜はなかなか眠る事ができなかった事を覚えている。

 

翌朝、足取り重く糜家に赴いた。睡眠不足の上、不安から朝食も喉を通らなかったため、顔色はこれ以上無いくらい悪かっただろう。さらには昨日張られた頬は腫れており、何があったか知らない村人達にじろじろと見られる事になった。

『永遠に糜家につかなければ良いのに。』

そんな戯言を本気で願ってしまうくらい、あの時の私は追い詰められていた。

どれだけゆっくりと歩いたとしても、広くない村の中だ。そんなに時間もかからずに糜家に辿りつく。

謝ったと嘘を吐いて逃げ出してしまおうかと迷う事五分。根本的な解決にならない事は分かっていたので、ようやく勇気を振り絞って扉を叩く事ができた。

その時私は、おそらく使用人か部下の方が扉を開けると予想しており、海と子伯様に謝罪をしに来た旨を伝えて家の中に入れてもらおうと、告げる言葉を頭の中で反芻していた。しかし、その予想は見事に裏切られる事になる。

予想に反して、扉を開けたのは海だった。その顔を見た瞬間、頭からすべて吹き飛んでしまい、何を口にするべきなのか、咄嗟に判断する事ができなかった。

海も扉の先に私が居る事が予想外だったのか、私の顔を見たまま固まっていた。

ようやく自失状態から立ち直り、そのまま礼儀に則り膝を地面についてから謝罪を口にしようと体を動かそうとした時、私よりも数瞬早く立ち直った海が私に飛びついてきた。膝をついた姿勢を取ろうとしていた事から、完全に予想外だった海の行動を私は避ける事ができずにそのまま尻餅をついてしまった。海はそんな私に構う事無く、首筋に抱きついて謝罪の言葉を繰り返していた。

私が謝りに来たのに、糜家のお嬢様に謝らせたとあってはまたお父さんに怒られると思い、慌てて海を押し留めて彼女の字を呼んだ。

 

子仲様(……)。 どうかお離れください」

 

その私の言葉を聞き、彼女は傷ついた表情を浮かべた。

 

「な、何でそんな他人行儀な話し方なの!?」

「昨日は貴女のご身分を知らなかったとはいえ、大変ご無礼を致しました。平に-」

「だから! そんな距離を感じる喋り方しないで! 昨日みたいに普通に話してよ!」

 

お詫び申し上げます。そう続けようとした私の言葉を遮り、彼女は目尻に涙を溜めながら私にそう言ってきた。

困った。このままじゃ逆に失礼に当たりそうな気がする。

どうすれば良いのか分からずにそのまま固まっていると、家の奥から私達へ声がかかった。

 

「海。 とりあえず家に入ってもらえ。 長くなるようならそのまま玄関口で問答を繰り返すのは良くない」

 

その声が聞こえてきた方、家の奥へ視線を向けると、昨日海の隣に立っていた男性、子伯様が苦笑いをしながら私達を見ていた。

まだ私に抱きついたままだった海を促し、糜家にお邪魔する。

そして、手に持ったままだった海の服を頭を下げながら子伯様へお渡しして、謝罪を口にする。

 

「昨日はご息女へ大変な無礼を-」

「ああ。 謝罪は要らない。昨日の事は娘から聞いたが、君は海に服を貸してくれただけだろう? ならば、叱る道理は無いな」

「……え、でも」

 

私の言葉を遮り子伯様がそう伝えてくる。

困惑する私をよそに、子伯様は言葉を続けれれた。

 

「そもそも、発端は娘の我侭なのだろう? 君は自分のできる範囲でそれを叶えようとしてくれた。 その上、娘が後で叱られないよう着ている服にまで思考を巡らせてくれている。 そこまで娘に尽くしてくれた者を叱るわけには行くまい?」

 

娘がよそ行きの服を泥だらけにして帰ってきたら、流石に叱りつけないわけには行かなかっただろうな、と海の方を半目で睨みながら子伯様はそう口にした。

その視線から逃れるように海は私の後ろに隠れる。あまり意味がある行動には思えないんだけど。

 

「まあそういうわけだから、君を叱りつけるつもりも、罰を与えるつもりも私には無い」

 

そう子伯様に言って頂いて、私は膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。詰めていた息を大きく吐き出し、安堵から瞳が潤む。

目上の方の前でするには無礼な態度ではあるが、体に力が入らないので許して欲しい。後ろに隠れていた海は慌てたようにしゃがみ込み、私の首に後ろから抱き着いてきた。

 

「というより、他人から子供のした事にいちいち怒り出すような人物と思われている事に腹が立つのだが。君はどう思う?」

 

しゃがみこんだ私に対しても特に叱責をせず、言葉を続けられた子伯様に私は曖昧な笑顔を返す事しかできなかった。

 

「まあ、それは良いだろう。 ところで、君を見込んでお願いがあるのだが」

 

許す代わりに何か無理難題を言い渡すのか。

そう考えて身を硬くした私へ、子伯様は言葉を続けられた。

 

「今後、娘には農業がどういう物かを理解してもらうために、この村で生活をしてもらう予定なのだが、どうにも我侭な気質でな」

 

我侭、というよりは何が何でも自分の意見を通そうとする……あ、それが我侭か。

すごく納得して、思わず子伯様に大きく頷きを返してしまう。

海から「酷いー!」とか抗議の声が聞こえて来るけど無視。耳元で叫ばないで欲しい。

 

「それを叱り、正す事ができる人物を娘の側に置きたくてな」

「それを私に、ですか?」

「ああ。 というのも建前ではあるのだがな」

「?」

 

建前?それじゃあ本当の目的は何なんだろう?

そして、からかうような口調で子伯様はこう続けられた。

 

「まあ、ぶっちゃけて言うと、娘が君と友達になりたくてなりたくてしょうがないようでな」

「は?」

 

予想外の言葉に面食らう。後ろから何やら慌てて今の子伯様の言葉を否定している声が聞こえてきているけど、今は無視して子伯様の言葉に集中するべきだろう。

 

「なので、君に海の側にいられるような立場を与えたという建前にすれば、身分の上下に関係無く一緒にいさせてあげる事ができるのではないかと考えてな」

 

海は恥ずかしそうに私の肩に額を当てて「お父様の馬鹿」と呟いている。子伯様の耳に入ったら怒られるだろうから、止めたほうが良いんだろうか?

それは置いておくが、おそらく子伯様には別の意図もあるのだろう。私が『お嬢様』と言われていた時と同じように、海に近づこうとする人間が居ないとも限らない。そういう人間が近づいて来る前に仲の良い友達を作らせて、近づけさせないという意図なのだろう。

 

「と、いうわけなのでこの子の友達として側に居てあげてはくれないか?」

 

そう笑顔で言ってきた子伯様に、私は間髪居れずに言葉を返した。

 

「お断りいたします」

 

言った瞬間、場の空気が凍りついた。

子伯様は、まさか私が断るとは思っていなかったのだろう。笑顔のまま固まっている。

後ろの海も首に抱きついたまま言葉を発していない。

 

「ふむ。 それは海の側にいるのが嫌だ、そういう事か?」

 

自分の娘を蔑ろにするような発言をしたからだろう。子伯様の言葉に先ほどまでの穏やかさは無く、酷く平坦な調子でそう言った。

後ろの海がビクッと震える。その言葉に同意すれば、私が友達になりたくないとそう意思を表明する事になるからだろう。

 

「そうではございません」

 

そんな海を安心させてあげたくて、その言葉も即座に否定する。

 

「……すまん。 どういう事か説明してくれるか?」

「側にいるよう命じられたから友達になるっていうのは、何か違うと思います」

 

この時、私は直感的にこの申し出を受けては駄目だと感じていたに過ぎなかった。論理も何も無く、ただこの言葉に頷いてしまったら海と仲良くする事ができない、そう感じたのだ。

おそらく子伯様は、海の側に私を置ければそれで良いと思っていたのだろう。しかし、それでは駄目だ。

この言葉に頷いてしまったら、海との間に明確な上下関係が作られるという事だ。対等な友誼など築きようが無くなる。

しかし海が私に求めていたのは、正にその対等な関係だったのだろう。私自身『お嬢様』として一歩引いた態度で接される事が嫌だったので、海も同じだろうと考えたのだ。先ほど字を様付けで呼んだ時に傷ついた表情を作り、敬語を使わずに話すと凄く喜んでくれた事からもそれが伺える。

 

そのまま私の言葉を思案し始めた子伯様から視線を外し、後ろから私の首に回されている腕に視線を落とし、離す様に軽く手で叩いて合図する。

意図を察してくれたようで手が離れた。そして私は座ったまま体を後ろへと向き直り、姿勢を正して座り直した。

これからする事に非常に緊張して、彼女の顔を見る事ができずに少し俯いていた。しかし、動きだけは止めずに彼女の右手を取り、私の額へ押し戴いて言葉を作った。

 

「身分の違いがある事は理解しております。 しかし、それでも私は貴女と友達となりたいのです。どうか私と友達になっては頂けないでしょうか」

 

そこまで言って私は目を閉じて、目の前の女の子が何か言うのを待つ。

そして、すぐに左手を私の背中に回して抱きついてきた。

 

「私も……あなたと友達になりたい」

 

そう耳元で囁かれた。

 

 

 

昨日見た夢はそこまで見た時に目を覚ました。

今もまだ海と対等な友達を続けている事を考えると、あの時子伯様の申し出を断るのは正解だったのだろう。もっとも、仮に海よりも下の立場に置かれたとしても、海が勝手に自分の隣まで手を引いて持ち上げていただろうから、関係自体はあまり今と変わりが無かったのかもしれない。

 

井戸の設置してある中庭へと続く扉を開くと、そこには自分の髪の毛をまとめるのに四苦八苦している海が居た。

海におはようと声をかけて朝の挨拶を交し合い、後ろを向いてもらい髪の毛をまとめてあげながら、二人で他愛の無いお喋りをし始める。

お喋りの最中、海がふと言葉を止めたので、どうかしたの、と声をかけた。

 

「ううん。 幸せだなって。 空と友達になれて良かったなって。 そう思っていたんだよ」

 

思わず赤面してしまいそうになるくらい真っ直ぐな親愛の言葉だった。だから、つい照れ隠しとしてこんな憎まれ口のような言葉を紡いでしまったのだろう。

 

「うん。 私も海と仲良くなれて幸せだよー。 だけど、だからといって麟君の事を譲るつもりも無いけどねー」

 

そう言った瞬間、即座に海は私を振り返って抗議の言葉を口にし始めた。その言葉を適当に聞き流しながら、井戸から組んだ水で顔を洗い始める。

 

折角これまで仲良く同じ時間を過ごしてきたのだ。十年後、二十年後も一緒に居られれば良い。

眩しさに目を細めながら太陽に目を向けて、今日一日の平穏と共にそんな事も一緒に祈るのだった。




最後までお読み頂き、ありがとうございます。
当初はさくっと麟と空の話を書こうと思っていたのですが、
思いついてしまったために、海と空の出会いの話を書く事になりました。
麟と空の話は次回ですね。

ご意見・ご感想等ございましたら、記載をお願いいたします。

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