無理に長く書くのではなく、これくらいの分量で書いた方がサイクルは早くなりますね。
まあ、内容が思い付いていれば、なのですが。
前回の話から一、二ヶ月後となります。
天明に自身の出生について伝えたのは、数年前。西涼の乱が終わり、私が県長に就任した直後くらいだったと記憶している。話しておかないでいる事もできたのだが、今のうちに話しておいた方が受け入れやすかろうという判断をしたからだ。
何故なら思春期が訪れた後だと、思春期特有の潔癖さでその辺りの事情に拒否反応や嫌悪感を抱く可能性が考えられた。ならその前に話してしまおうと、今は離れて暮らしている義父さんと姉さんに相談しないで私の独断で話した。後で義父さんと姉さんに大層叱られたが、良い方向に転がったので結果オーライだろう。
それを伝えたとき、本人は驚いていたようだが、それと同時に自分の飾り布に刺繍された文字の意味について納得もしていたようだった。
そしてこう口にした。
『お義父さんにしろ、お姉ちゃんにしろ、これだけ良くしてもらっているんだから本当の家族だったと知って、喜びこそすれ、怒るつもりも嫌いになる事も無いよ』
しかし目を伏せて、少し間を空けてから言葉を続けた。
『ただ、お父さんもこの飾りの文字を目にしていたんだろうし、多分その事を知っていたんだろうね……。 私、お父さんにどう思われてたんだろう……?』
それには答えずに、泣き笑いの様な表情を浮かべた天明を私は膝の上に抱き上げて、飾り布で止めているサイドポニーを弄りながら口を開いた。
『天明のお父さんは、天明やお母さんの事を嫌っているように見えた?』
その私の問いに、天明は首を横に振った。まあ、そうだろうな。幼い時の虐待は、少なからず心に傷を残す。ここまで真っ直ぐに育っている以上、それは無いだろうと考えていた。
『だったら大丈夫。 きちんと愛されていたよ。 この飾り布を天明が着け始めた後も態度は変わらなかったし、捨てたり、破いたりしなかったわけだろ?』
そこからも、父親が天明へ抱いていた感情を十分に推測する事はできる。複雑な感情は抱いていたかもしれないが、きちんと消化した上で母子に接する事ができていたのだろうと思う。
『第一、本当に嫌っていたんだったら、鬱憤を晴らすために殴るなり、居ない者として扱って徹底的に無視するくらいの事はするだろ。 私の実父なんて、散々私を殴って、金に困ったら売り飛ばした屑だぞ? それと比べる事が失礼になるくらい良い父親じゃないか。 疑う方が失礼だよ』
久しぶりにあれの事を思い出すと、少しムカムカしてきたが今は押し殺す。
私の言葉に納得したのか、大人しく私に体重を預けてきた天明を撫でて、微妙にささくれ立った感情を宥める。
しばらくそうしていると、突然わたわたと天明が慌て始めた。そして、私の方を振り向き、こう口にした。
『私! お兄ちゃんの事も大好きだからね!』
『……ああ』
しばらく考えて、天明が何で突然こんな事を言い出したのか思い至る。さっきの言葉に義父さんと姉さんの事は入っていたが、私の事には触れていなかったからか。別段気にしていなかったし、今さら天明に嫌われていると疑う気は欠片も無い。家族の中では王虎の次くらいに好かれている自信はある。
……猫枠は別なので、悔しくなんか……ないっ。
『ええと、ありがとう?』
『……何か気の無い返事』
私の微妙なニュアンスを感じ取ったのか、少し不服そうにそう言ってむくれてしまった天明を宥めるのに費やした言葉は割愛させて頂く。
時間軸を現在に戻そう。今私は天明と向かい合って囲碁を打ちながら、雑談に興じている。
この時代の囲碁は盤の目が少ない上に、ルールも二十一世紀で行われている物と少し異なるため、割と私にとっては難しい。前世では某漫画の影響で少し打ってた事があるのだが、それで覚えた定石がついつい出そうになるのだが、このルールだと適さない物も多々あるので、打つ直前に慌てて手を止める事が多い。
その辺りで打ち間違いが多くなってしまうので、私の囲碁の戦績はよろしくない。今も天明を相手に劣勢となっている。
雑談に興じているのは、天明へのトラッシュトークの意味合いもあるのだが、まったく気にした様子もなく打ち続けている。……この二重の敗北感はどうしてくれよう?
「天明。 明日の準備は大丈夫?」
「うん、兵達も含めて終わってる。 ……気が重いけどね」
天明が心底憂鬱そうに口にする。おっとりした部分があるこの子にしては珍しく、少し眉間に皺を寄せ、口を尖らせて不満を表情に出している。
私はその様子を見て苦笑いを浮かべるしかなかった。
「子義の評価だと、孔国相様は少し尊大なところはあるけど、孔子の子孫だけあって人格は優れているって言っていたじゃない」
「如何に人格に優れていようと、血縁という理由だけで推挙するよう工作をする人物をどう評すれば良いのかな?」
そうフォローを入れた私に不満をぶつけ、その直後に自分の口から出てきたとげのある言葉に驚いた表情を浮かべる天明の頭を、机越しにぽんぽんと軽く叩く。
まあ、どういう事か説明すると、天明と子義に出征してもらう事になったのだ。遠征先は青州北海国。ちょっと青州の治安状態が不安定となっているので、徐州から援軍を出してくれと依頼が来たのだ。
それを天明と子義が兵を率いて対応する事となったのだ。子義は今日は兵卒と一緒に休むとの事だ。前回うちに泊まったのは、姉さんの護衛の意味合いも有ったのだろう。
「だからといって、敢えて私を指名する事はないと思う」
「まあ、そうなんだけどさ。 身内なんだし、会ってみたいんじゃない?」
「そういう私事をこういう事に絡めるのは……」
天明が手厳しい……。まあ、ぐうの音が出ないほどの正論なわけだし、反論のしようもないのだが。
不満そうにしている天明の頭を落ち着くまで撫で続ける。ようやく表情が柔らかくなった頃に私は手を下ろした。
その後囲碁を再開したが、劣勢を覆せずに私の敗北となった。参りましたと頭を下げて、天明が石と碁盤を片付けている間に白湯を入れてくる。せめて前世ではまったくルールを知らなかった六博だったらもう少し粘れるんだが、と湯飲みの準備をしながら自分の事を慰める。
そして天明が待つ机に戻り、そのまま本格的に雑談に興じ始める。
やはり話題は、明日から出発する青州についてだ。
「けど、青州の流民って、今積極的に受け入れてるよね? そんなに大規模な集団にはならない気がするんだけど?」
「んー。 まあ、順番に話していこうか」
そう言って一旦言葉を止めて立ち上がり、地図を机の上に広げてから話を再開した。
「じゃあ、天明。 そもそも、青州から流民が流れてくる状況って何が起こってると思う?」
「十数年前、空さん達が移住してきた時は重税が原因だったんだよね? 今は変わってるの?」
「うん、今はその状況から脱しているよ。 少なくとも北海は。 数年前に孔国相様が躍起になって、軒並み私腹を肥やしていた賊吏を処分したって話題になったから」
この辺りの事情は、私も空さんと子義に聞いて初めて知った。空さんは北海出身だけあって、今でもあの辺りに住む人々と繋がりを持ち続けているし、子義も孔国相と仲が良いため北海の状況に詳しいのだ。おそらく、定期的にどういう状況にあるのか確認しているのだろう。北海の名を挙げたのは、彼女達の情報から青州の中で最も詳しく知っているという事もあるが、これから出征する天明達の最初の目的地である事と、琅邪国と接する領地だからだ。
「つまり、現状重税に苦しんで琅邪国に駆け込んでくる事は無いはずなんだよ。 徐州に来る前にほぼ確実に北海を通ってくるんだから」
北海国は青州でも人口がかなり多い。というより、琅邪国よりも人口が多い。それだけ豊かな土地なのだから、流民を収容しきるのも難しくないはずなのだ。
ただし、それは平時であればこそだ。
「じゃあ何で出来ていないのかと言うと、答えは黄巾党。 冀州から雪崩れ込んで来たらしいんだよね」
史実においても、冀州は黄巾勢力の強い地域だった。盧植や皇甫嵩の活躍によってようやく治まったと言っても良い。
この世界でも同様なようで、冀州黄巾賊は非常に大きい集団となっている。むしろ、日に日にその勢力を増していると言っても良いかもしれない。……まあ冷静に考えれば、史実で冀州は張角達三兄弟が直接荒らし回っていた場所なのだから、この世界でも本人達が布教活動をしているのかもしれない。だったら、続々と賊が増え続けているのも納得できなくはない。
そんなわけで、冀州で増え続ける黄巾賊は飽和状態にまで膨れ上がり、食べる物を求めて周辺の州に移動を始めた。それはさながら蝗害の如し。町や村を次々に襲って回り、被害を拡大させ続けているのだ。
冀州と接している青州でもそれは同様で、平原、済南、楽安、斉と西から順番に次々被害に合っている。そして北海にも遂に魔の手が伸び、流民の受け入れをしている場合ではなくなってしまっているらしい。
そして、代わりにその流民を次々に受け入れているのが徐州になる。青州としても、そのまま流民を放っておくと賊に合流して荒らし回り始める可能性があるので、どうにかしなくてはならなかった。そこで、救いの手を伸ばすという形で州牧同士のトップ会談が開かれ、徐州で青州からの流民受け入れをしても良い事になったのだ。そうでなければ、人口流出により生産力ががた落ちする事を勝手にやっている事になり、後々大問題となる。
「黄巾党……。 今回の遠征では、その入り込んだ黄巾賊を討伐する事を目的にするんじゃないよね? 流石に率いる数が少ないし」
「うん、入り込んだ黄巾全部は流石に無理。 天明達にに求められているのは、青州東部の治安維持活動と物資を送る際の護衛になるね」
「……世直しをお題目に掲げているのに、迷惑な人達だよね」
「まあ、色々な考えの人がいるからね。 上の方は本気で世直ししたいと考えてるかもしれないけど、末端まで伝わりきっていない可能性もあるし」
やっぱりまだ少し不機嫌そうな天明の言葉に肯定を返す。黄巾を追い出すのはあくまでも青州の兵力。徐州勢は補助を行うに過ぎない。
この黄巾乱入について、青州の州府でも流石にまずいと判断したようで、ようやく本腰を入れて黄巾を追い出しにかかる事になった。その際に北海と東莱からも兵を出すから、一時的に兵力ががら空きになって治安が下がる事が予想される。その対策として天明達が青州に向かう事になった。それが今回の事情となる。
……まあ、天明にとってはそれだけではないのだが。
基本的に良い子である天明が非常に珍しく機嫌が悪かったのは、孔国相に対して複雑な感情を抱いているからだろう。何故なら、孔国相は天明にとって親族になるのだ。
史実において、羊祜は孔融の血族に当たる。直接の血縁ではないのだが、羊祜の異母兄が孔融の娘から生まれているのだ。羊祜の母とどちらが正室かまでは私も知らないが。
この世界でもそういう縁戚関係はあったようで、孔融の妹が泰山羊家に嫁ぎ、天明の母親を産んだ。その子供である天明にとって、孔融は大伯父に当たる事になる。
……孔融って史実だと曹操より年上と言えど、ほぼ同年代だよな?何でそんなに早く生まれてるんだ?そんな疑問が膨れ上がるが押し殺す。
さてそういう天明の事情から、少し問題が発生したのが子義が仕官してきてすぐ。
『失礼ですが、貴女は泰山羊家の縁者でしょうか?』
天明と初対面の時に子義が上の問いを発した。
先ほども少し触れたが、孔国相に母の面倒を見てもらっている事もあり、子義は孔国相と仲が良い。孔国相から、泰山に有った天明の実家が賊に襲撃されたという話を聞いていたらしい。その時に彼が嘆いているのを目にしていたため、もし血縁と会うようだったら孔国相に知らせてあげたいという風に考えていたらしい。
そして、天明は正直にその問いに頷いた。天明としても、血の繋がる親族が増える事は喜ばしかったのだろう。現在、義父さんと異母姉である姉さん、従兄に当たる私しかいないわけだし。
そして、子義が孔融にその旨を文で伝えたわけだ。
その結果、孔国相がはっちゃけた。それはもう見事にはっちゃけた。いや、むしろやらかしたと言っても良いかも分からんね。
まずは、天明を自分の養女にしようと行動を開始。それは、気付いた時点で私がシャットアウト。本人、家族にも知らせないで工作を始めるなんて論外です。
次に、青州内の豪族で有望な若手と天明の縁談をまとめようとしたが、それも話が伝わってきた時点でお断りの連絡をした。だから、本人、家族に(ry
そして最後にやったのが、天明を茂才として推挙するための工作。流石に北海で茂才に引っ掛けるのは無理があると自覚していたのか、瑯邪国の趙国相へ茂才として推挙するよう書簡を出し続けたのだ。
趙国相様としても天明を推挙すれば、糜家、孔家どちらにも恩を売る事ができる上、天明が英邁であるという噂を耳にした事が有ったので、気にする事無く推挙したらしい。
これには義父さんと私が、天明に受けさせるか否かを慎重に協議を重ねた。いかに天明が優秀と言えど、官吏としての経歴が無いのにいきなり中央官吏からスタートさせるのは無謀だ。他人からの嫉妬も受ける上、経験が絶望的に足りていない。
しかし、家族以外(天明の出自は一般的に知られていないので、世間では孔国相は他人)から推挙される運びとなれば、地元以外でも噂されるほどの人物であると証明されるので、他の官吏からも一目置かれる事となる。
どちらにしても一長一短あるので、結論を出すのは容易ではなかった。
そして結局、天明は推挙される運びとなった。しかし、何とか趙国相様を説得して、莒の県尉として推挙する事に同意頂いた。しばらくは私の下で経験を積んでもらう事にする。
天明に推挙される運びを伝える事になったのは、全部調整が終わった後。完全に事後承諾となる。
天明にとっても寝耳に水ではあったが、ここで仕官を断ってしまうと国相様の顔を潰す事になるので、私と姉さんが動きづらくなってしまう。それならそれでやむを得ないから、断っても良いと伝えておいたのだが、悩んだ末に出仕する事となったのだ。
孔国相本人にとっては孫に喜ぶ物を買い与える祖父の気分なのだろうが、本人がそれを欲しがっていないというのが何とも……。
そして今回、趙国相様に天明を青州に派遣して欲しいと要望を出したようで、出征するのが天明と決まったのだ。
こういった事情もあり、天明としては非常に複雑な気分で不機嫌となっていたという訳だ。親族に会えるのは嬉しいが、あまりこういう干渉をされても困る、と言ったところだろうか。
しかし私個人としては、ここで孔国相と何かしらの縁を持っておくのは非常に大きな意味を持つ。史実では黄巾の乱の後、青州は一時的に空白地帯となっている。そして、公孫賛と袁紹による陣取り合戦の舞台となるのだ。その際に徐州が巻き込まれないように立ち回るには、青州の官吏や豪族の協力が不可欠となるので、現在北海国の相をやっている孔融とは可能な限り友好的な関係を結んでおきたいと考えている。
……まあ、可愛い妹の将来に干渉しすぎるようなら、こちらにも考えがあるが……。
そんな物騒な考えが顔に出ていたのだろう。我に返ると、天明が少し引いていた。咳払いをして場を改める。
「ま、まあ、何にせよ気をつけて行って来るようにね。 輸送だけとはいえ戦場に足を踏み入れる事もあるんだから」
「もう、分かってるよ。 偵騎はちゃんと出して、数に勝る賊徒とは遭遇しないようにするから大丈夫」
私の心配に口では不満そうに返しながらも、少し嬉しそうに口元をほころばせる天明。
まあ基本は子義と一緒に行動する事になるから大丈夫だろう。三国志屈指の知と武の名将が共演するのだから、よほどの事が無い限りは大丈夫だろう。
そうやって妹が初めてのお使いへ出かける前夜は穏やかに過ぎて行った。
最後までお読み頂きありがとうございます。
何度か感想で頂いておりましたが、羊祜と孔融の話となります。
お恥ずかしながら、拙作の感想欄で聞くまでは羊祜と孔融の縁戚関係は知りませんでした。血縁ではなく、縁戚なのですが。
気になる事があるのですが、曹操は孔融を処刑した際に子供も殺しているのですが、羊祜の父も妻を離縁したのでしょうか?
後年羊祜が長じた後、夏侯家の娘を妻に娶るのですが、夏侯覇が蜀へ亡命した後も変わらぬ愛情を注いでいたそうです。これは、父が離縁しなかった事を見習ったのか、離縁した事を反面教師にしたのか、どちらにも取れそうです。
なかなかに妄想が捗りそうな史実ですね。
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