ちょっとした情緒みたいなのは出せたんじゃないかな、と。
感想などお待ちしております。
どちらも煙草を吸います。苦手な方はご注意ください。
pixivにも同じものを上げています。
吐き出した紫煙が緩くとぐろを巻き、ふわふわと天井に向けて立ち上ってゆく。一人分の唇から吹き出された筈の煙は、幾筋にも分かれながら小屋全体に拡散し、換気扇に吸い込まれていった。ぼろっちい電灯が紫煙の茫洋とした印象を強める。窓の外では雪が降り積もり、窓ガラスはカタカタと情けなく震えている。
普段は海防艦や軽巡洋艦などで構成される小規模な艦隊しか碇泊しない為、最低限の設備投資しかなされていない
「珍しいね、司令官が来るなんて。紙巻きは吸わないんじゃなかったのかい?それとも何か用?今日の予定はもうなかったと思うけど」
紫煙を吹きながら備え付けの灰皿に灰を落とし、私——駆逐艦娘・Верныйは自分の司令官に視線をやった。
「特に理由はない。気まぐれだよ」
右隣に座る彼は、無表情で窓の外を向いたままだ。白い吐息が揺らめく紫煙を攪拌し、同時に混ざり合う。寒冷地仕様の外套に付いた雪は、僅かに溶け切っていない。
「へぇ。乾坤一擲の大作戦の前だから、吸い納めでもしに来たのかと思ったよ」
「まさか」
私の言葉を否定すると、彼はまた前を向いたまま黙り込んでしまった。
私も今更彼に話しかけるような用事もないので、黙ってフィルターの端を咥える。唇に意識を向けながら丁寧に吸い込む、とボリューム感のある紫煙が味覚を伝って肺に流れ込んでゆくのがよく分かる。目を閉じて、口と鼻からゆっくり紫煙を吐き出す。濃厚な味わいと共に、ねっとりとしていながら賑やかな、強いて言えば蜂蜜のような甘さが鼻腔を抜け、スパイシーな後味が味覚に残る。私は煙草を吸うとき、目を閉じる癖がある。煙草を吸い始めたとき、余計な視覚を閉じて味わえば、よりハッキリと煙草の味を感じる事が出来る気がしたのが発端だ。
紫煙を吐き終わって目を開けてみれば、まだ彼は私の隣に座っている。私は再び唇に煙草を持っていき、紫煙を吸い込む。副流煙と湯気の先に見える雪は、軍港どころか港全体を純白に染めようとしている。夜の帳が落ちつつある幌筵の外を用もなく出歩く者はいない。港内は静まり返っており、来るべき日米合同
灰皿に灰を落とし、フィルターのギリギリまで吸い切った煙草を押しつけてから次を取り出す。新しい一本を唇で咥え、新品のジッポーで火をつけようとした所で、こちらに視線を向けた彼が不意に口を開いた。
「変えたのな、ライター」
「え?……ああ、そうだよ。前のが壊れちゃってね。仲良くなった証に、って貰ったんだ」
咥えていた煙草を左手でつまみ、右手でジッポーを見せる。そこには『BB-61』という番号と、錨を掴んだ白頭鷲が刻まれていた。
「へぇ、アイオワにか。くれたってことは大分気に入られたんだろ。どんな奴だった」
「別に。典型的なアメリカンガールって感じだったよ。本当のところはどうか分からないけど」
「仮にも連絡将校として寄越されたわけだから、馬鹿では無いだろうがな。本当は冷徹無比な奴で、スパイも兼ねてたりして」
「本人は
彼の軽口を適当にあしらい、新しい一本を咥えて火をつける。以前のボロライターと違って一発で火が付くのは思ったよりも快適だ。新しい紫煙を吸い込む。今回は辛めに感じる。
目を閉じて、口腔を広げる。豊かな味わいと独特の甘味が肺から鼻へ抜け、紫煙となって吐き出される。そんな事を何度か繰り返していると、時間の感覚が間延びして来る。喫煙所での体に悪い瞑想は、暇つぶしには持って来いだ。
「そういやお前さんさ」
注意深く、しかし急いで紫煙を吐き出す。急ぎすぎてむせてはカッコ悪いどころではない。
「今度はどうしたんだい?」
目を開くと、彼は窓の外でなく私に顔を向けていた。外套に付いていた雪はすっかり溶けて肩の生地を濡らしていたが、寒がりな彼は外套を脱がない。
「趣味ってないの」
余りにも唐突な質問に、私は一瞬困惑した。シュミ?それは一体……ああ、趣味の事か。
「……そう言えば、特にはないかな」
言葉にしてみれば寂しい事だが、事実だ。私の記憶の中で、夢中になって打ち込んだ何かは特にない。
「あんまり何かに入れ込んだりって無いよな、お前さん」
「大抵の事はそこそこ好きだよ。でも趣味みたいなのは無いかな。暇な時は姉妹で一緒にいたり、艤装の調整位しかする事がない。あ、でも読書はたまにするね」
少し体積を増やした灰を落とし、ゆっくりと紫煙を吸い込む。やはり前の一本より辛めだ。所謂『ハズレ』だが、吸い方次第でどうにでもなる。
「で、それでも暇だとこうやって煙を味わってる訳か」
紫煙を吐き出しながら小さく頷く。濃い目の味。賑やかな甘さ。もう慣れ親しんだ味だ。偶には他の銘柄も吸ってみてもいいかもしれないな、と思わなくもない。
「まあ、そうなるね」
「いつから吸ってんのお前。とても買えるとは思えないけど」
余計なお世話だ。確かに成人済みには見えない体躯だけど、少なくとも今は買える。
「いつだっけかな。少なくとも私が『響』だった頃だよ。それも司令官と出会う前ね……艦娘になったばかりの頃だったか」
「そりゃあ分かってるさ」
司令官として着任したばかりの頃の彼と出会ったとき、私は既に愛煙家だった。初対面彼は水煙草しか吸わないと言っていたのは記憶に新しい。最近は忙しくてそれも吸えていないみたいだけど。
「遠征中に寄った泊地だったと思う……天気が荒れて波が高くなりすぎたんだよね。泊地とも呼べるか分からない位の小さな漁村だったけど、とにかく私達四姉妹はそこに一時投錨したのさ」
吸っても吸わなくても、煙草は燃えて短くなってゆく。吸わずに燃えていった灰を落とすのは、勿体ないと思う。我ながらひどい貧乏性だ。
「へえ」
「で、欲しい物は無いかって聞かれたんだ。お国の為に深海棲艦に立ち向かう艦娘さんの為だってね、みんな私達に良くしてくれた」
司令官に思い出話をするのは初めてかもしれない。戦歴や前科を除いて彼は所属する艦娘の過去になんて興味ないし、安易にほじくり返すとひどい目に遭う場合が多い事位は分かっているからだ。
「で、煙草が欲しいって言った訳か」
「皆持ってるから入手に苦労しないだろうと思ってね。立ち寄っただけなのにそこまで要求しちゃ悪いし。電や雷はそれを聞いてちょっと悲しそうな顔をしてたかな。暁は『私もお菓子じゃなくてタバコにすれば良かったわ!』って言ってたけど」
「はは、ありそうだな。その時の三人の顔が想像できる」
ふと外を見る。とっくのとうに日没時間を過ぎていたようで、極北の夜を灯台のサーチライトと港の街灯が切り裂くのが見えた。ぼろっちい電灯は茫洋とした光を室内に投げかけるが、あまり清潔な感じはしない。なお降り積もる雪は街灯と喫煙所からの光に照らされて銀白に輝いている。
「まあ、体に悪いのは事実だしね。それでも止めなかったのは二人の優しさなのかな。戦時の事だしね。違法かどうかは些細なことだった。だから私は貰えたってだけの話だよ」
「で、それから吸い続けてるのか」
「……惰性、なのかな」
「そうか」
フィルターを唇に持っていき、少し注意深く紫煙を吸い込む。辛いやつでも気を付けて吸えばちゃんと本来の味わいも出せるし、蜂蜜のような甘味も出る。思えばこの味わいを堪能するのが趣味なのかもしれない。
「うお、煙っ」
「あ、ごめん」
煙が彼にかかってしまったらしい。勢いよく吐きすぎてしまったようだ。
「気を付けろよな」
「実は嫌だったりした?もしそうなら司令官の前では極力吸わないようにするけど」
だったらそもそも喫煙所来るなって話だけどね、という言葉は飲み込んでおいた。
「そんな事はないさ。でも、執務室に入る前には吸わないで欲しい」
「了解した……で、本当は何をしに来たの?」
まさかこんな話をしに来ただけじゃないと思うんだけど。
私がそう言うと、彼はいつもと変わらない表情で、私を見つめた。視線を感じながら、私は再び唇にフィルターを当てて、紫煙を吸い込む。異質な苦味と辛味を感じて煙草に視線を向けると、もう火種はフィルターを焦がし始めていた。不味い紫煙が喉から鼻に抜けていくのを感じながら、吸殻を灰皿に押し付ける。外が暗くなったからか、室内の影が濃さを増した気がする。夜の帳が下りてから、一層寒さが増したように感じられた。
「別に。本当にお前と話をしに来ただけさ。長い付き合いになるが、こういうことはなかったと思って、な」
食事の時間も近いだろうし、あんまり吸いすぎても良くない。そう思いながらポケットから箱を出して次の一本を出す。我ながらひどい矛盾なのは分かっているとも。
「それは所謂『死亡フラグ』って奴じゃないかな、司令官。秘書艦娘が沈むと困るんじゃないかい?」
「信頼できる不死鳥なんだろ?迷信なんて恐れるに足らんさ」
「そういう態度が死を呼ぶんだよ、司令官。不死鳥の諫言は聞いておくべきだ」
火をつけて、ゆっくりと吸い込む。癖になる味わいを口腔全体で味わい、鼻と口で後味を楽しむ。寒いな、と呟いて司令官がストーブに薪を放り込むと、炎は一瞬面食らった様に勢いを弱めてから貪欲に薪に紅い舌を伸ばし始めた。
「なあ、Верный」
「何、司令官?」
司令官はストーブの炎から私に視線を移した。思わず私も彼と視線を合わせる。彼に当たる光と私にも流れてくる熱気で、ストーブの炎が勢いを増したのが分かった。光源の一つが活性化したことで、部屋の風景の濃淡が濃くなった気がした。
「……いや、何でもない。出撃前に言うべき事ではないな」
「ふうん、そう」
私達はほぼ同時に顔を背けた。彼の言葉に対して、もう少し気の利いた返しがあったのかもしれない。が、彼の胸中でどの様な葛藤があったのか私には知りえないし、それは私が知っていい事でもないと思う。
腕時計で時刻を確認すると、彼が立ち上がる。つられて私も腕時計を見る。ベージュの文字盤に錨の紋章と時刻の線が刻まれた簡素な腕時計は、1800時を指そうとしていた。いつもなら最後の演習が始まる頃だ。
「ああ、そうだ。それ、一本くれよ」
「吸わないんじゃなかったのかい?」
ポケットに手を伸ばす。ストーブで手を暖めていたから、ジッポーの冷たさが身にしみる。煙草の箱のカサカサした触感すらも冷たく感じる位だ。
箱とジッポーを重ねて手渡すと、彼は一瞬驚いた後、興味深そうに音波と工場の絵が書かれた箱を見つめる。そしてやけにいやらしい笑みを浮かべながら一本引き抜いた。
「へえ、『響』とはな。お前さんも意外と感傷家なんだねえ」
「何とでも言えばいいさ」
唇に咥えると、少しぎこちない手付きで火をつける。彼はかなり雑に吸い込むタイプのようだ。慣れないのにそんなに吸うと……ああ、言わんこっちゃない。
「うへぇ、これ不味いぞ。こんなの吸ってんのか?」
「司令官の吸い方が雑なだけだよ。そんなに言うなら返してくれてもいいんだよ?」
ゲホゲホと咳き込む彼の目の前で、なるたけ丁寧に吸って、如何にも旨そうに紫煙を吐いてみせる。彼の恨めしそうな視線が気持ちよくてたまらない。
「まあいい。これは有難く頂くとするさ。作戦内容は覚えているな?」
防寒帽を被りながら司令官が振り返る。その声色は普段の出撃の時と何ら変わらず、その顔に浮かぶ精悍さを感じさせる笑みは、『お前を信じている』と言わんばかりだった。
「勿論。『忠誠』の名を証明してみせるよ」
こんな顔をされては無愛想な私も応えないわけにはいかない。煙草を挟んだ右手を上げて、できるだけ不敵に笑ってみる。
「頼もしい限りだ。じゃあな、お前もそろそろ帰った方がいいぞ」
「分かっているさ。お疲れ様、司令官」
しっかりとした足取りで去ってゆく司令官を見送ると、私も灰皿にまだ葉が残っている煙草を押しつけた。ストーブの空気調節レバーを『閉』に合わせ、電気を消して外に出る。
極北の星々は満天に耀き、昏い空から降り続く雪を街灯が照らし、煌めきを反射させる。無礼講が行われているであろう艦娘寮は雪に隠されて見えず、白銀一色に染まる幌筵泊地は静まり返って動きを見せない。
「一人でも大丈夫だなんて、今更言わないさ」
白に覆われる全ての中で、長く黒々と伸びた私の影だけが搖動する。雪と同じく白い湯気と共に唇からこぼれ出た呟きは、誰にも聞かれることなく幌筵の虚空へ消えていった。
・設定補足
<日米合同布哇攻略作戦>
要するに日米合同での真珠湾攻撃。
日本艦隊(連絡将校Iowaを含む)は幌筵を出て、アラスカからアリューシャン列島伝いに進んできた米艦隊と合流、ハワイに存在する敵拠点を叩く、的な。
で、深海棲艦の戦力を引き付ける為にその前段作戦として南方海域全域で攻勢をかけている、的な。ぶっちゃけ重要な設定ではないのであんまり考えていませんね。
<幌筵泊地>
これも大して重要な設定ではない。ってか史実の真珠湾攻撃では機動部隊が集結したの単冠湾だし。まあ一通りの施設があるって事ですよ。
<煙草『響』>
これはちゃんと実在した煙草。昭和初期にあったんですと。でも別に作中時間がその間って訳じゃないよ。CIAあるし。
いかがでしたでしょうか。短い話で連続する場面もないですが、楽しんでいただけたら幸いです。
『戦場のメリークリスマス』でも流して冬らしい情緒を感じていただけたらと。