「す、好きな人!? 好きな人って、……あうぅ……」

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黒魔女ばれんたいん

 

 冬もようやく終わりを迎え、冷たい朝日が山の向こうから差している。白い丸テーブルと椅子が置かれたテラスに、ミーシャは一人で座っていた。卓の上には銀のティーセットが置かれており、それに時折視線を向けながら、ミーシャはそわそわとその時を待っていた。

 そろそろ太陽も顔を出しきり、時刻も十と二に達する頃である。テラスから覗く部屋の時計をなんども見ながら、ミーシャは手の内にある舗装された小さな箱をやさしく握りしめた。

 

「べ、別にそういうんじゃないし……意味わかんない……」

 

 朱に染まった頰をぷくー、と膨らませながら、ミーシャが不機嫌そうに口を尖らせる。そんな姿が銀の器に写っていたのか、ミーシャはぶんぶんと首を振りながら、違う違う、と心の中で何度も唱えた。けれど、どうしてか胸の動悸は収まらない。

 手の内の小さな箱をテーブルの上に置いて、ミーシャがふぅ、とため息をひとつ。

 

「なんでこんなことに……」

 

 ばたり、とテーブルの上に伏せ、ミーシャが呻いた。呪詛のように垂れるその言葉には、黒い靄のようなオーラがかかっているようだった。そして彼女は頰を真っ赤に染めながら、少しでも気がまぎれるだろうか、と記憶を巡らせる。少なくとも、彼女自身が原因ではないのは明白だった。

 

 事の発端は、先日買ったカレンダーであった。

 働きもしないミーシャにとって正直日程というのはどうでもいいものであったが、無いなら無いで働かない感覚が強くなり、ミーシャの自尊心をひどく傷つけた。なので渋々ミーシャは街へとほうきを飛ばし、色々と吟味した結果、紙をめくる感覚が楽しいので日めくりカレンダーを買うことにした。

 最初のうちはカレンダーをめくることすら面倒臭がっていたが、人間とは変わるもので、日を重ねていくうちにミーシャはカレンダーの効能を実感するようになっていた。具体的には一週間が長くなった。効果は絶大だった。

 

 そして、ある日。

 

『明日は……ばれん……たいん? なにそれ』

 

 赤文字でてかてかと輝くその文字に、ミーシャはただただ首を傾げていた。

 なんでも世間で言うところのバレンタインは、チョコに関連する際展らしい。それだけ聞いても元来チョコよりクッキー派ミーシャはほへー、と鼻クソほじりながらベッドの上でゴロゴロしそうなものだが、親しい人間への感謝、という事柄が絡んでくると訳が違った。

 

 脳裏に、あの白魔女の笑顔がちらつく。

 

『ど、どどどどどどうしよう! バレンタイン何も用意してないよ!?? ええ、ええととりあえず! みんな出てきて!』

 

 そんな感じで雑に召喚された眷属たちに、ミーシャが懇願する。詳しく言うと、土下座をして、世界を滅ぼすほどの力を持つ怪物や、終焉を告げる竜をパシったりしてチョコ作りの手伝いをさせた。仕方のないことだった。

 

『……そもそも、チョコレートというのは何か?』

『わふん?』

『我は知らぬ……ただ、何かしらの食料ならば生み出せるが……』

『肉とか魚だったらどうするの? 僕も他の人に頼んでみるけど』

『しかし、今の時間で獲物を探すのも遅いだろう。私の翼でも時間がかかる』

 

『ちょっとデカブツ供は黙って辞書で引いてくるですよ!』

『普通に前日だったらチョコ溶かして型にはめるくらいでいいよね? 凝ると余計に時間かかっちゃうし』

『ええ。あ、でも生クリームとか、ハチミツとかあるといいかもしれませんね』

『うん、もうそれしかない! 頑張って作るよ!』

 

 などと言う会話を繰り広げたのが、昨日の昼過ぎ。

 思ったほどの問題もなくチョコ作りは進み、外装もあるものをなんとか使って、ようやくチョコレートは完成した。何やら色々眷属の魔力やらが混じっているらしかったが、そんなことはあまり関係はなかった。実際ミーシャが試作品を食べたが、少なくともお腹は痛くなっていない。最悪吐いても何とでもなるだろう。こっちはゲロ処理の専門家なのだ。

 

 何はともあれ、あとはこれを渡すだけである。そう、渡さなければ、あの眷属の努力も水泡に帰してしまう。それでは、せかく手伝ってくれた眷属たちに合わせる顔がない。

 だから、ミーシャは何とかしてあの白魔女へコレを渡さなければいけないのだが。

 

「エリ姉、なんてこと言うんだろう……」

 

 チョコレートの包装も終わり、アイリスも明日来てくれる、という確認も取った。さてこれで準備は万端と意気込んだ頃、エリクシアはふとミーシャへと問いかけた。

 

『そういえばミーシャさんは誰に渡すんですか?』

『え? 一応、アイリスにあげるつもりだけど……』

『……ミーシャさんと、アイリスさんはそういった関係なんですか?』

『そういった? そういったってなーに?』

 

 ミーシャがわからずに首をかしげると、エリクシアが少しだけ恥ずかしそうに口を開く。

 

『その……一般的にバレンタインのチョコというのは、好きな人に送るもの、と聞きましたが……』

 

 

「はあああああー…………」

 

 エリクシアの言葉を何回も頭の中で繰り返し、ミーシャが再び重たく息を吐いた。別にそんなつもりで作ったわけではないし、そもそもその事実すらミーシャは初耳だったのだ。けれど否定できるか、というとそういうわけでもなく、ミーシャは頭が痛くなった。

 しかし今になって何ができるというわけでもなく、机の上でぐしぐしと頭を掻いていると、ふと遠くでちりんちりん、と鐘の鳴る音がする。

 

「うげ、来ちゃった……」 

「あらひどい。来ちゃいけなかったかしら?」

「うううおあああああっ!?」

 

 突如として聞こえて来たその声に、ミーシャが思わず椅子から転げ落ちる。そんなミーシャにくすくすと笑みを浮かべながら、アイリスは彼女へと手を差し出した。

 

「あ、あんたいつの間にこっち来たのよ!?」

「なんでこんなことにー、って話してるところからね」

「そういう時はちゃんと言いなさいよ! こっちにも準備ってものがあるの!」

 

 普段は見せないようなアイリスの茶目っ気に頰を膨らませながら、彼女の手を握る。そうして銀色のティーカップへひょい、と魔法をかけると、ポットたちがひとりでに動き出し、白いカップへと茶色の液体を注ぎ始めた。

 椅子の上に腰を下ろしながら、にっこりと笑みを作ったままのアイリスがミーシャへと口を開く。

 

「ねえミーシャちゃん、さっきから一人で何してたの?」

「なんでもいいでしょ! うるさいわね……」

 

 むす、と口を尖らせて、ミーシャがこっそりと机の上へと手を伸ばす。万が一このチョコで全てを悟られてしまったら、ミーシャは悶絶死することになるだろう。最悪の事態だけは避けなくてはならない。ミーシャはかしこい黒魔女だった。

 

「そういえばミーシャちゃん、バレンタインって知ってる?」

「の”っ」

 

 先制攻撃である。ミーシャはこのターン、スタン状態が付与された。

 

「世間では好きな人にチョコをあげるのが流行っているらしいけど」

「そ、そうみたいね。でも、私たち魔女はそんな俗世間に浸ってる余裕なんかないでしょ? 関係ないわ」

「あらそう。じゃあ、その手に持ってるチョコは?」

「…………た、食べようと思ってたのよ。いっとくけど、あんたの分はないわよ」

「あら、一人で食べるのにそんなに綺麗に包んであるのね?」

 

 心なしかアイリスの視線が冷たい。どことなく怒っているというか、すごく拗ねているというか、影が感じられるような口調だった。

 そんな彼女にこれと返す言葉も見つからず、ミーシャはむっと口を塞いで黙秘を決め込むことにした。このまま渡すのは癪である。なんとかして打開策を見つけなければ。

 

「ねね、ミーシャちゃん」

「……あに」

「ミーシャちゃん、好きな人できたの?」

「なばッ」

 

 もう隠すつもりがないほどド直球に聞いて来たアイリスに、ミーシャが思わず咳き込んだ。

 

「な、ばか、何バカな事言ってるのよアイリス! そんな人いるわけ――」

「ねえミーシャちゃん、真面目な話なの」

 

 ぴしゃり、と遮るように言い放つアイリスに、ミーシャが思わず口をつぐむ。

 

「もう遠回しに聞いたりしないわ。それは、本当にあなたが好きな人に渡すものなのよね?」

「…………そ、う、だけど」

「その人はミーシャちゃんのことをちゃんと考えてくれる人? 魔女だからって、何か変なことをいう人じゃない?」

「そ、それは……絶対ない、よ……」

「じゃあミーシャちゃんは、その人に全てを捧げられる? 後悔も何もしない? 誰かを信じて、裏切られない?」

「そんな、こと……」

 

 当然に決まっている。けれど、その言葉がうまく口には出なかった。

 全てを捧げ、後悔も何もせず、ただその人を信じること。ミーシャにとっては、それがとても難しいことのように思えた。けれど、目の前の彼女なら。ミーシャの友であり、そしてーー想いを寄せる、アイリスという人ならば、それは簡単なことだった。

 

「私は信じてるもん。絶対に裏切らないし、私のぜんぶをあげてもいい。そう思える人がいるから、作ったのよ」

 

 瞳に映るのは、強い意志。そう言い切った彼女に、アイリスは静かに、少しだけ悲しそうにして目を伏せた。

 

「そう……これが、あなたの望んだことなのね」

「うん。だから、はい」

「…………………………………………へっ?」

 

 ぽん、と手に持ったチョコレートをアイリスへ。

 素っ頓狂な声を上げて固まる彼女に、ミーシャは堂々と告げた。

 

「あなたにあげるわ。まあ、その……信じてるし。こんな私でも、友達って言ってくれたでしょ」

「…………っ……ぁ」

「何よ、いらなかったら別に……ってアイリス!? なんで泣いてるの!? そんなに嫌だった!?」

 

 ぽろぽろと大粒の涙を流し始めたアイリスに、ミーシャが思わず立ち上がる。けれどアイリスは目に涙を浮かべながらも微笑みを絶やさずに、震えた声でミーシャへと話した。

 

「ごめんなさいね、私、ミーシャちゃんがどっかに行っちゃうかと、思って……とても寂しくて……」

「なんでそんな大ごとになるのよ! まったく、心配症なんだから」

 

 腕を組みながら口を尖らせるミーシャに、アイリスが涙ながらに笑う。そしてミーシャから受け取ったチョコをテーブルの上に置くと、彼女は自らの三角帽子へと手を伸ばす。

 

「それじゃあミーシャちゃん、これどうぞ」

「え?」

 

 差し出された包装済みのそれに、ミーシャがアイリスと同じ様な反応を示す。恐る恐るそれを受け取ると、アイリスは恥ずかしそうに言った。

 

「本当は真っ先に渡そうと思ったのだけど。お返しみたいになっちゃってごめんね?」

「こ、これって……」

「ええ。ミーシャちゃんだったらそっちの方が喜ぶと思って」

 

 リボンを解いたと同時に微かに漂ってくる、香ばしい匂い。丁寧に作られたクッキーにミーシャは目を輝かせながら、アイリスへと眩い程の笑みを浮かべた。

 

「アイリス、ありがとう!」

「ええ、どういたしまして」

「じゃあ早速食べましょう! アイリスも食べていいから!」

「ふふっ。そうね、私も頂こうかしら」

 

 待ちきれない様子でミーシャがクッキーを一つ摘まんで、口の中へと放り込む。しっとりとした生地が口の中でほろほろと溶けて、ほのかな甘さを感じさせた。

 そんな幸せそうに笑うミーシャに、アイリスが問いかける。

 

「ねえミーシャちゃん」

「どうしたの、アイリス

 

 いつものようにお茶を淹れて、他愛ない会話に華を咲かせながら。

 

「これからもずっと、一緒にいてくれる?」

「うん! いつまでも、アイリスと一緒よ!」

 

 願わくば、この甘い時間がずっと続くように。

 黒と白の魔女は、心のどこかでそう思った。

 

 

 

 




バレンタインSSと本編を一日に同時投稿するやつがおるらしいな?

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