盛者必衰とはよくいったものです。
今は絶滅してしまった最後の日本狼のお話。

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宵盛の暁衰

身を切る豪風はいよいよ強まってくる。

 

寒空が吹き荒れ、真冬の夜山を唸らせる。

 

薄く積もった無垢な雪を蹴り飛ばしながら。

 

ハクは駆け進む。

 

逃げ惑う野うさぎを追い越し

 

眠る熊のあなぐらを飛び越え

 

芽吹きを待つ小枝をすり抜ける。

 

凍てつく外気とは対照的に

 

ハクの心象は昂っていた。

 

ようやく長く待ち望んだ願いが叶うのだ。

 

更に速度があがってゆく。

 

満天の夜空は澄みきっている。

 

満ちる月明かりが木漏れ日のように点々と先を照らす。

 

四点の足跡が刻まれる度に雪が鳴く。

 

ハクは駆ける。

 

この時期の雪山は老いた体に堪える。

 

吹き上がる地吹雪は鼻先を凍らせ

 

勾配に息を奪われ

 

進むごとに気温は下がる。

 

それでも若い頃はなんとかなったのだ。

 

細くひしゃげた足も昔はしなやかでどんな酷所でも飛び越えてゆけた。

 

すっかり濁った目も昔は一里程度はゆうに獲物を識別できた。

 

しわがれた喉も昔は山を三つ越えて届く遠吠えだった。

 

息が上がる。

 

心臓が連太鼓のように打ち付ける。

 

黒血を吐こうが爪が剥がれようが

 

決してその脚を停めようとはしないのだ。

 

山頂にのみかかる霧を目指して。

 

ハクは朦朧とする意識のなか思い出す。

 

日本狼の子として産まれ落ちたのは数十年前である。

 

野山を駆け回り、すくすくと成長した。

 

母以外の同族を見かけたことは一度もない。

 

母は常々縄張りの範囲の話を伝え聞かせた。

 

一族が代々受け継いできた決まりを。

 

犯した者は誰もいないという。

 

ハクはそれを守り続けた。

 

確かに興味はあったが禁止を破る程のものではなかった。

 

それに決まりは自分を保護するためのものだということを知っていた。

 

ハクは見てしまったのだ。

 

普段は訪れる意味もない縄張りの外れの山頂。

 

そこからはるか遠くではあるが明らかに異質なナニかを。

 

そのナニかは野山を焼き払い先住の命を追い出す。

 

山肌を切り崩し、灰色の細い道を作り出す。

 

完全に平坦となった場所になにやら豪勢な住み家らしきものを建造する。

 

それらを繰り返しながらこの縄張りにゆっくりと近づいてくるのだ。

 

遠目でも判るその狂気に関わる事の危うさを悟った。

 

嫌なことも多いがすばらしいこともあった。

 

次第に重くなる雪をかき分けながら

 

ハクはこれまでの出来事をかえりみる。

 

薄紅色の花弁が舞う小川のせせらぎの心地よさを。

 

蒸し返す灼熱に浴びる小滝を。

 

山吹色に染まる山々の荘厳な佇まいを。

 

降り積もる白雪に映える星月夜の美しさを。

 

ハクはこれまでの自分の歴史を反芻する。

 

 

僅かに緩んだその一瞬のうちに

 

雪中の木の根に脚をとられ大きく転倒してしまった。

 

のった速度のまま大きく前方に転がってゆく。

 

止まると仰向けとなって倒れていた。

 

幸い雪がクッションとなり怪我はない。

 

しかしとうに限界を迎えていた体。

 

起き上がることを頑なに拒絶する。

 

ふと気がつくと星空が溢れた。

 

真上には大きな月。

 

筆舌に尽くしがたい雄大な自然の美しさ。

 

微睡む眼に不思議と暖かく心地よい全身。

 

耳元で聴こえる優しい声色。

 

休めと繰り返すその声に体を預けて

 

眠ってしまえば楽になるだろう。

 

酷い眠気が全身を支配する。

 

そのまま数瞬の時が流れた。

 

 

 

 

閉じかかる瞼を痛みで見開かせる。

 

舌を半分ほど噛みちぎりながら

 

ハクは再び走り始めた。

 

夜はすっかりとふけていた。

 

 

ハクはようやく山頂の霧の中へとたどり着いた。

 

視界が悪い。

 

唯一見えるのはとても大きな木の幹。

 

体が動かなくなる。

 

震える体を幹へもたれかける。

 

よく頑張ったよな

 

その時。

 

霧が大樹の周りのみ円柱状に晴れた。

 

抜ける意識を強烈に繋ぎ止めたのは。

 

数十年以来の母の姿であった。

 

積もる話を語る喉はとうに潰れていたものの

 

優しい眼差しに最早言葉は必要なく

 

冷えた体に寄り添い暖めてくれた。

 

その後ろから続く姿がある。

 

ハクの警戒は瞬く間に解かれる。

 

自分とよく似た顔、体格、眼をした雄の狼。

 

初めて見る父の顔は尊厳と慈愛に満ちており、母と同じように寄り添う。

 

続々と続く白狼の群れ。

 

たちまち木の回りは日本狼達の大きな円が出来上がる。

 

ハクは初めて悟る。

 

一族総出で自分を迎えにきてくれたことを。

 

初めて感じる大勢の同族の暖かさ。

 

感情が極まり雪の上に小さな穴を幾つも作る。

 

しかしハクには負い目があった。

 

自分の代で家族の系譜を途絶えさせてしまったこと。

 

両親に声を振り絞り謝罪をする。

 

すると両親は呆れたあとに微笑む。

 

ハクは全てを理解した。

 

確かに一匹だけでどうやって子を成せるものか。

 

祖先達との幾度の会話を続けるうちに東の空が白み始める。

 

最も大きな狼が立ち上がり、一度吠えると空へ駆け上がる。

 

それに続くように順に霧の螺旋階段を昇る狼達。

 

最後に親子三匹の番になった。

 

父母に支えられながら一歩毎に上がる。

 

大樹の最上部を過ぎた辺りで階段を残し視界がひらけた。

 

日の出は山際を照らし出し、すぐそこまで来ている。

 

地面で見上げる夜空はとても美しい。

 

しかし空から眺める暁の空も最も美しいものの一つである。

 

 

独哮も いつに増しゆき 重ね唄

共に駆けぬく 月雲の道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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