※設定は拙作「艦これ~桜吹雪の大和撫子~」に準拠しています。
鎮守府をあてどもなくふらついているうちに、バレンタインは夕方を迎えていました。
今日、二月十四日は、女性が男性にチョコレートを贈る日だそうです。日頃の感謝を伝えるのだとか。
艦娘になれるのは女性だけですが、その活動を支える鎮守府職員には男性もいます。艦娘たちにも親しくしていたリ、お世話になっている男性はいますし、そうした方達に送るチョコを用意していた艦娘も、少なからずいました。
そういうわけで。今日一日、鎮守府内は、誰にチョコをあげたかという乙女たちの黄色い会話で溢れていました。
無事に渡せた子。上手く言葉に出せなかった子。想いが実を結んだ子。そんな会話が、時間が過ぎていくうちに増えていきます。
ですが。わたし、吹雪は、そんな時間の流れに取り残されている次第でして。
休日のうちに作って、引かれない程度に包装もした、手作りのチョコ。それを持ったわたしは、角から廊下の先を窺います。そこには、木製のドアが一つ。立て札には「執務室」と書かれています。
艦娘たちを指揮する、司令官が仕事をするための部屋です。
・・・は、はい。わたしがチョコを渡したい相手というのは、司令官なんです。
いやっ、そのっ!勘違いしないでほしいのですが、別に告白とかそういう大層なものではなくてですねっ!も、もちろん司令官のことは好・・・えっと、あの、恋愛的な意味はなくてですねっ!これはなんというか、えっと!
ああもうっ、自分で墓穴を掘っている気がします、穴があったら入りたい・・・。
こほん。
と、とにかく。わたしは司令官にチョコを渡すべく、今こうして執務室の様子を窺っているのです。
本当は、もう少し早く、渡したかったんですけど。午前中は演習が入っていましたし、できればその前にと思いまして。でも、いざ渡そうとすると、なぜだか足がすくんでしまいました。心臓が高鳴り、頬が熱を帯びる。結局目的を果たせぬまま、わたしは演習へと向かいました。
さて、午後に入って第二ラウンド。でも午後は、司令官が作戦会議等で忙しくしていて、渡すタイミングを掴めませんでした。
というわけで最終手段です。いつも通りなら、そろそろ執務が終わる頃ですから。司令官が、執務室を出て、自室へと戻る間に、渡そうと思います。わたしからすると、司令官の自室に突撃する方が、ずっとハードルが高いので・・・。
しばらくそうして待っていると、執務室のドアが開く気配がしました。
夕陽が柔く差し込む廊下に、スラリと背丈のある男性が姿を見せます。几帳面に着こなされた第一種軍装、大佐の徽章で、彼が誰であるかがわかります。
・・・いえ、多分。統合海軍の制服を着ていなくても、私には司令官が一目でわかります。それくらいには、付き合いが長いですから。
わたしはキョロキョロと辺りを窺います。十一駆の皆に見つかったら、からかわれるにきまってますから。幸い、人影はないようです。
勇気を出して、わたし!
朝と同じように、バクバクと音を鳴らす心臓。熱病に侵されたかのように熱い頬。甘く切ない香りが、心の中に広がります。
手にしたチョコ。これは、司令官のもの。司令官に食べてもらいたくて、作ったものです。
「あ、あのっ・・・司令官っ!」
角から飛び出したわたしは、執務室のすぐ隣にある自室へと向かいだした司令官を呼び止めました。自室のドアノブに手をかけていた彼が振り返ります。一瞬、驚いたような表情を浮かべ、それからすぐに、いつものような柔らかい微笑みを浮かべます。
「どうした、吹雪?」
駆けより、息を整えたわたし。そこではたと気づきます。
どうしよう・・・何をしゃべればいいんでしょうか。何て言って、このチョコを渡せばいいんでしょうか。
他の艦娘はどうしてたのかな。思い出そうとしても、正直それどころではなかったこともあって、よく思い出せません。
ううっ、わたしは相変わらず、詰めが甘いです・・・。
ええい、ままよっ、です!
「あの、これ!チョコです!」
恥ずかしさで目を合わせられず、半ばお辞儀をするようにして、チョコの入った袋を差し出します。
「これ・・・吹雪が?僕に?」
飛び出した「僕」という一人称は、随分と久しぶりに聞くものでした。普段の司令官は、「俺」という一人称を使いますから。こっちの「僕」が素であることは、鎮守府でもわたしくらいしか知りません。
「はい。あの・・・手作り、ですけど」
さすがにハートの形にする勇気はなく。無難な星型に固めたチョコ。それが二個入った袋を、司令官は壊れ物でも扱うように、とても丁寧に受け取ってくれました。
「ありがとう。とっても嬉しいよ。大切に、頂くね」
司令官が微笑む気配。ちゃんと顔を見ていないのに、はっきりとその表情がわかります。
それがなんだか、むず痒くて。
「吹雪」
「はい?」
名前を呼ばれて、わたしは反射的に顔を上げました。艦娘としての生活が長いせいで、身についた癖ですね。
そんなわたしの顔を覗き込むようにして、司令官が微笑んでいました。
「やっと、こっち向いてくれた」
たった、それだけの言葉に、顔の温度が急上昇しました。
司令官の手が、わたしの頭に乗ります。そっと触れるだけの手触り。労わるように撫でる仕種。ゆっくりとした動き。ああ、もう。何も言わなくたって、わたしのことを大切にしてくれてるんだって、わかっちゃいます。
「え、えっと・・・それじゃあ、失礼しますっ」
真っ赤になった頬を自覚して、わたしは踵を返し、寮へと戻ろうとしました。
そこで、大和さんと目が合いました。
小脇に書類を抱えている大和さんは、見たところ執務室から出てきたばかり。どうやら今日の秘書艦だった模様です。
そしておそらく、今のわたしと司令官のやり取りを、ばっちり見ていました。
大和さんがいつものように、桜のような笑みを浮かべます。
「よかったですね、吹雪ちゃん」
もはや声を発することもできず、わたしは主機を一杯にして走り出しました。嬉しさと恥ずかしさのない交ぜになった心地でしたが、それでもやはり、嬉しさの勝るバレンタインでした。
吹雪ちゃんのチョコは今年も溶けてしまいましたが・・・こうして、ちゃんと渡せた世界線もあるから!