僕は、いつから人でなくなったのだろう。
 初めて戦場に来たときか。それとも初めて人を殺したときか。はたまた彼女を死なせてしまったときか。あるいはきっと───
 これは、幸せな世界を夢見た、ひたすらに愚かな子供の物語である。

 こちら小説家になろう様でも投稿させていただいております。

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 僕は、いつから人でなくなったのだろう。
 初めて戦場に来たときか。それとも初めて人を殺したときか。はたまた彼女を死なせてしまったときか。あるいはきっと───
 これは、幸せな世界を夢見た、ひたすらに愚かな子供の物語である。


死なずのSuicide

 大学生の時分であった。

 このときの僕は、いわゆる陰キャラというやつで、他の学生たちとあまり馴染めずにいた。

 その手の学生は似たような性質───つまりは根暗ということだが───の人たちとつるむのが一般的だったが、僕はそれをしなかった。当時の僕には、仲間たちと飲み屋で集まって騒ぐ、なんてことが非常に低俗で下劣な遊び方に見えていたからだ。

 そんな僕にも、趣味のひとつくらいはあった。ヒーロー番組である。彼らは自分の理想を貫き、悩み苦しみながらも困難に打ち勝つ。酒が飲める歳になっても、その在り方は僕の目には尊く映った。

 だから、憧れていた。「ヒーロー」という人間を超越した人間に。

 そして夢見ていた。決して人が人を傷つけることのない世界を。

 

 けれど僕は、そんなことを実現できる人間(ヒーロー)ではなかった。

 もちろん、誰かを傷つけることは許せなかったし、誰かが傷つくことは受け入れられなかった。

 でも、僕にはそれに説得力を持たせるだけの勇気も力もなかった。すぐにビビるし、腕っ節も弱い。

 結局、そのときの僕はどこまでいっても人間(にんげん)だったのだ。

 

 二十一歳の冬、僕は何年かぶりの病院にかかることにした。

 風邪を引いても一晩寝れば治るという僕の便利な身体は、なかなかどうして長い期間の体調不良に慣れていない。眩暈や頭痛、関節痛や不定期的な発熱など、様々な症状に一ヶ月ほど苦しんでいた。どうしてそんなに放置していたかというと、単に病院が嫌だっただけである。嫌いというわけではなかったが、どうにもあの場所の雰囲気は陰鬱にすぎる。

 閑話休題。

 特にこれといった異常も見つからずに首を傾げ、その後一人カラオケに行ったりと街で遊び、家路に向かっていると、ふとある路地裏が目に入った。しばしば不良高校生たちの親父狩りの会場になる場所だ。しかし、例えそれが行われていたとしても、僕は恐れをなして逃げ出してしまっていた。高校生を怖がって逃げる大学生とは、情けないことこの上ないのだが。

 その場所に、偶然見知った顔を見かけた。同じ講義でよく一緒になる女性だ。余り人の顔を憶えるのが得意ではない僕だが、何故か彼女のことは覚えていた。決して醜女というわけでもないのに、僕のようにいつも一人でいたからだろう。もっとも、彼女を僕と同じにするのはおこがましいにも程があるが。臭いものに蓋なのか、そうでなければ僕の記憶から消え去ってしまったのか、もうその女性の顔も名前も思い出せないが、ここでは仮にAさんと呼ぶことにしよう。

 そのAさんが、カラーギャングらしい五人ほどの男たちに拘束され、ビルの壁に押し付けられていた。タオルらしき布で猿轡を掛けられており、今にも服を破こうとするところだった。

 心臓が爆発するかと思った。僕は皆が幸せになる世界なんて作れないけど、せめて自分が知っている人くらいはそうであって欲しい。そんな想いが、僕の胸に火を点けた。

 生まれたての小鹿のように震える足で、男たちに駆け寄る。Aさんの正面を陣取る男の左後ろに立ち、彼の腕を力いっぱい引っ張った。

 するとどうしたことか。その男は勢い余って僕の背後にある壁に叩きつけられ、のびて蛙の死骸のようになっているではないか。これにはその場にいた全員が声も上げられなくなってしまった。

 思わず彼を投げ飛ばした右手を見つめる。しかしその右手は、既に僕の知っている僕の右手ではなかった。

 腕全体が腐ったような緑に変色し、異形のものと言うべき姿と化していた。であれば、人間のそれに見えるはずもなく───

「化け物だ」

───なんて言葉が男たちの口から漏れるのも必然だった。

 そんな化け物に対して凶器を持ち出して立ち向かおうとする男たちは、今にして思えばとんでもない勇者だったんだろう。けれどそのようなことを考える余裕は僕にはなかった。

 一人目の男が突き立てたバタフライナイフを避ける。

───見える。

 そいつを左足で蹴り飛ばす。さっき投げたあいつと同じように、壁で潰れている。

 二人目の男が飛ばした拳鍔付きの拳を避ける。

───見える。

 そいつを左腕で殴り付ける。偶然にも顎にすぱんと中り、意識を失う。

 三人目の男が振るった警棒を避ける。

───見える。

 そいつを右足で転ばせる。僕の出した足が速すぎたせいか、二百拍のメトロノームのように倒れる。

 四人目の男が丸腰で殴りかかってくる。

───見える。

 そいつに頭突きを仕掛ける。脳震盪を起こしたらしく、ふらりと眠りに就く。

 ひ弱な自分には到底信じられない身体能力で五人の男を撃退した僕は、目を丸くするAさんに歩み寄り、彼女の拘束を解いて、少し離れたところに無造作に置かれていた彼女のものと思しきバッグをそっと渡した。

「もしかして───気付いて、ない?」

 Aさんは狼狽の色を隠せない様子で、折りたたみの手鏡をバッグから取り出し僕に向けてくる。

 そこに映った姿は、腕と同様に、まさに人外というべきものだった。

 緑色の肌。頭には黒く輝く二本の角。眉が抜けていつもの何倍も鋭い目つき。血のような深い紅の瞳。尖った耳。これが本当に僕なのか───?

 僕の記憶は、ここで一旦途絶えている。

 

 割れるような激しい頭痛と共に目が覚めると、視界には知らない天井があった。

「あ、起きたんだ。もう十一時だよ」

 起き抜けにAさんがいるという状況に頬が火照る。

 ここはどこだろう。僕の家ではない。ということは必然的にAさんの家ということになる。なんで僕みたいなのがAさんの家に───

 そこまで考えて、ようやく思い出した。熱を持っていた顔が急激に冷えていく。全く憶えていない部分があるのだが、彼女曰く「鏡を見た途端に倒れて普段の身体に戻った」らしい。このときのAさんの言葉が真実かどうかはわからない。今となっては確かめようのないことなのだから。

「なんで、僕を泊めたの」

 純粋な疑問だった。いくら助けたとは言え、あんな姿になっていたんだ。それに、僕だって男だ。彼女に余計なことをしてしまうかも知れなかったのに。

「ただ助けられただけなら警察に預けて終わりだよ。

 でも、君にはなんの混じり気もなかったから」

 Aさんの言う「混じり気」という言葉がそのときの僕にはよくわからなかった。けれど、Aさんに好印象を持たれたということだけは確信して、心の中で密かに喜んでいた。

「ね、これからどうするの? あの姿もそうだけど、あれ、相当な身体能力あるよね。

 大いなる力にはなんとかって言うし、使い道とか考えないと」

 使い道は考えるまでもなくすぐに頭に浮かんだ。それを伝えれば、Aさんは身を乗り出して興味津々にこちらの話を聞こうとしてくる。

「世界平和だよ」

 僕が言うと、彼女はまるで西から太陽が昇ったのを見たような顔をした。僕はそれが不満で、なにか言ってやらなきゃという気持ちにさせられた。

「こんなこと言うのもなんだけど、僕は昔からヒーローに憧れてたんだよ。

 僕はね、人が人を傷つけない世界が欲しいんだ」

 僕が早口でまくし立てると、やはりAさんは驚いていた。そして少し考え込んだ後、くすくすと小さく笑う。

「ああ、うん。やっぱり君は───」

 その声は彼女自身に言い聞かせているようで、聞いてはいけない言葉な気がした。

 

 そうして僕は「正義の味方」を始めた。

 Aさんがこれに協力、応援すると言ってくれたことは、僕にとって大きな励みになった。

 異形の怪物は、彼女が僕に告げた通りとんでもない強さを持っていた。銃弾程度なら皮膚で受け止め、一対一ならこの地球のどの生物にも負けないほどだった。

 その力で最初は銀行強盗やひったくりを現行犯で捕まえたり、他人に迷惑をかける若者を注意したりといった程度だったが、僕の欲望がその程度では許してくれなかった。

 汚職議員の粛清、暴力団関連施設への襲撃、そしてそれらを処理できない警察への脅迫。

「次のニュースです。政治とカネ問題で野党の批判を受けている○○党の××議員が───」

 TVでこんなことが報道される度、僕は思わず口角が吊り上ってしまっていた。また正義執行の相手が増えたと喜んでいたのだ。

 更に変身の後遺症が僕の身体を蝕んだ。最初にAさんの家のベッドで感じたような頭痛だけなら良い方だった。体中の臓腑が痛む。関節が痛む。骨が痛む。とても立っていられないほどの眩暈。四十度以上の高熱。それらは身体のみならず精神をも蝕み、手伝ってくれていたAさんにも酷く当たるようになってしまっていた。

 それでも、彼女は僕の傍に居続けた。こんな最低な男の傍に。赦される筈もない男の傍に。

 

 また一年ほど経ったある日、Aさんが攫われた。

 犯人は僕と敵対していた暴力団のメンバーだった。どうやら組の戦力だけでは敵わないと知り、僕の身辺を調査したらしい。

 僕は彼女を助けに向かった。彼女は猿轡こそされていないものの、またいつかのように拘束されていた。

「この女を生きて帰したければお前はここで腹を割け」

 男は言う。

 僕はこの一瞬でどうしたらいいかわからなくなった。誰も傷つかない世界を作ろうとしていた筈なのに、一番近くに居てくれた人を傷つけてしまった。最初は手の届く範囲だけでもって、決めていた筈なのに。

 Aさんは強く確固たる決意を抱えた目でこちらを見ている。でも、ボロボロに憔悴しきっていた僕にとっては何を伝えようとしていたかなんてわかるはずもなかった。

 そして数十秒経った後。

「君と私が初めて話した場所」

 そう言って、彼女は舌を噛み切って自殺した。

 

 追いかける暴力団員たちを振り切って、Aさんの部屋にやってきた。

 僕と彼女が最初に会話をしたのは、彼女の部屋のベッドだ。そこに何があるのかはわからない。けれど、その何かを探さなければ、僕は本当に駄目になってしまうような、そんな気がした。

 

 彼女のベッドと壁の隙間に、それは挟まっていた。手紙で、遺書であった。

「───くん

 最初に君を講義室で見たときは、ただの冴えないオタクだと思ってました。

 なんだかずっと一人で居るし、何考えてるかわからないから少し怖いなって。

 でも、あの路地裏で助けてくれて、君のことがひとつだけわかりました。

 君は、なんの邪心もなく他人を助けられる人なんだなって。

 実は私、人間嫌いなんです。だって、何考えてるかわかんないでしょ?

 だけど君は違う。なんの混じり気もなく、ただただ純粋なんです。

 君の願いを聞いたとき、私、笑っちゃいました。だって、世界平和ですよ?

 私は、君のそういうところが好きなんだなって、胸張って言えます。

 今はなかなか夢が叶わなくて辛い時期だと思います。

 けれど、必ず報われる時が来る筈です。それまで、頑張ってください。

 草葉の影から見守っています。」

 僕は発狂した。

 

───僕のせいで、彼女は死んだ。

 渋谷のスクランブル交差点に来た。

───彼女は、死ぬことを覚悟して僕に協力していた。

 異形へと姿を変える。

───彼女は、僕の夢を真摯に応援していた。

 人々の中に降り立つ。

───欲望に呑まれた僕なんかよりも。

 彼らの心臓をひとつひとつくりぬいていく。

───彼女の方がよっぽど純粋だった。

 沢山の戦車たちに囲まれた。

───だから彼女のためにも、消さなくちゃ。

 砲塔が一斉に火を噴く。

───人間を傷つけるニンゲンたちを、僕は絶対許さない。

 

 こんなにも早く国が動くとは、やはり国家権力にも目をつけられていたんだろう。

 自衛隊との半日に渡る攻防の末、僕の身柄は拘束された。いつの間に研究が進んでいたのか、どんな攻撃も通らなかった僕の肉体には沢山の針が刺さっている。僕の力を弱める薬を絶えず注入しているようだ。

 いかにも重罪人といった様子で、四肢を縛られ二年以上を監獄で過ごした。食事は最低限のものしか与えられなかったかが、それすらも喉を通らなかった。

 

 あるとき、僕の身は我が国の最大の同盟国に引き取られることになった。外交の交渉材料として使われたそうだ。そして、軍は僕を兵器として利用したいらしい。

 そんなことは断固拒否するつもりだった。無辜の人々を手に掛けておいて何を今更と言うしれない。けれど、これ以上僕の力で誰かが涙を流すことが許せなかった。

 しかし、彼らはその気持ちすら僕から奪ってしまった。

 その国に到着してすぐに収容された施設で、僕は日本で投与されていたものとは違う薬を打たれた。意識を朦朧とさせ、思考能力を減退させる薬だ。これは後から知ったことなのだが、この類の薬品を与えることは人道上の問題があるので日本ではしなかったという。なんという素晴らしい国だろうか。

 そして僕へのマインドコントロールが始まった。我らが国は正義だと。ある国は核戦力で世界を脅かし、またある国は宗教を盾に誰かを傷つけようとしていると。僕は、その言葉を飲み込んでしまった。

 

 それから、僕は西アジアへと送られた。

 宗教戦争だそうで、その地域では聖戦だと謳われていた。

 そんな五年以上の泥沼の戦争を、ほとんど自分の意思のない状態で戦い続けた。

 沢山の兵士を殺した。沢山の民間人を殺した。沢山の女を殺した。沢山の子供を殺した。

 戦後に小耳に挟んだ話によれば、僕が殺した人間の数は三千人以上にのぼるという。

 それでも僕は罪に問われることはない。なぜなら我らが国は正義で、彼らは誰かを傷つけようとする悪なのだから。

 

 僕が挙げた戦果はどうやら軍の上層の人間たちを満足させたらしい。

 ふたつ目の戦場が決まった。今回は東南アジアの内戦への介入。

 また殺した。殺して殺して殺し尽くした。

 幸か不幸か、この戦争の終わる頃には自我を完全に取り戻していた。

 

 この十年間、僕はどれだけの人たちを傷つけてきたのだろう。

 誰も傷つかない世界なんて実現しようもない理想を掲げて、結局一番誰かを傷つけたのは僕なんだ。

 Aさんを殺したのも僕だ。彼女は僕とさえ出会わなければ幸せに暮らすことができたはずなのに。

 あの時捕まえた銀行強盗、懲らしめたと思っていた若者、粛清した汚職議員、襲った施設にいた暴力団員。みんなみんな僕のせいで不幸になった。

 僕ができる唯一の償い、そして受けられる救いは「死」。ただそれだけだ。

 かつてAさんがしたように、舌を噛み切って死のうとした。でも、駄目だった。

 腹を割いた。首を掻き切った。首を吊った。高所から飛び降りた。全て、徒労に終わった。

 僕は強くなりすぎてしまった。自分の命すらも自由にできないほどに。

 それでも、この世から消なければならない。僕の罪は、僕がこの世に存在していることそのものだ。

 もう次の派兵先は決まっている。ならば、そこに向かう輸送艦が来るときまでに、終わらせなければ。

 最後に残った自殺の手段。それは、海に身を投げること。

 これだってきっと成功しないだろう。死ぬことができずに永遠を海底で過ごすことになるだろう。

 だけど、僕が地上に出ないだけで皆が幸せになれるなら。それがきっと、最善の選択なんだろう。

 

 後悔に塗れた人生だった。

 けれど、未練なんてものは、もうどこにもない。僕が現世で何かをなすことは、ひとつも許されていなから。

 例えこの遺書が読まれることがなかったとしても、それで構わない。

 だから、最後にひとつだけ、僕がいなくなったいつかの未来に願いをかけさせて欲しい。

 

───人が人を傷つけない世界になりますように。

 

 


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