東方銀呼録-白亜の幻想譚   作:星巫女

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去年にも増して運動不足の巫女です。
先日投稿した第八話が予想以上に閲覧数が多くて吃驚しました。

では第九話どうぞ



第九話 「愛は哀より千鈞」

結晶が砕け散った音は視界から存在が消えても尚しばらくの間耳の中を彷徨い続ける。

破片は宙に向かって弾け飛んだ後、雨が降り注ぐ様に煌めきながら落下した。

 

一滴の欠片が地に落ち、音を響かせた瞬間に空間の時間が再び動き出した。

眠っていた幼子が揺り起こされるように徐々に部屋の中に音が戻ってくる。

 

だが戻ってきたのは―何かを必死に押し殺すかのような息遣いのみ。

それは靴を履こうと一人で試行錯誤を続ける幼子の布の擦れる音が如く。

 

「………………………っ……」

 

彼女の周りの全てが変わってしまった。

考えも、家も、自身の身も。

 

たった一夜。普段であれば枕に頬を預け目を閉じるだけのような時間であらゆるものが彼女の前から失せた。

 

自らを見て見ぬふりをする悪魔たちも

細々と微笑みを伝え合いながら窓を拭いていたメイドたちも

 

そして

 

愛してくれていると思っていた実の父親も。

 

 

悪魔からしてみても、人間からしてみても短いそれだけの時間でレミリアにとっての「日常」は崩れ去った。

 

 

でも涙は見せない。

この姿をあの子以外に見られてはいけない。

 

『王とは…己が利と自らを慕う者達の安寧、そのどちらも欠かず手中に収めている者の事を言うのです

 しかしそれは誰しもができる事ではありません。

 慕われる才に、危機を予測する眼、撤退か残留かを判断する智…

 それらを併せ持って初めて王たる資格を得るのです』

 

『だからこそ…全てを心の内に呑み落としながら王というのは進み続けなければいけないのです』

『貪欲に、ただただ貪欲に、目の前の障害を喰らいつくしていかねばならないのですよ』

 

 

はるか昔、爺から聞かされてきたものだった。

普段であれば気にも留めない老人の世話焼きと流していただろうが―この時ばかりはいい薬となる。

 

 

『そしてその骨の塔の上に自らの覇を見出すまで生き続ける。それが使命であり―踏み越えていった者たちへの

 何よりの弔いとなります』

『まぁ…簡単に言ってしまえば諦めたら全てはそこで終わりという事ですよ、お嬢様』

 

だから、私は絶対に立ち止まったりしない。

後ろによろけたりだなんてしない。

 

それが…死んでいった館の者たちが納得すると自分勝手に決めたから。

故に父親でさえも踏み越える。あの一度は怖れ見た悪魔を私は踏み越えていく。

 

 

そう心に刻み込んで、私は顔を上げた。

 

 

目の前には私が世界の底にいるのかと錯覚してしまうかのような存在感と魔力を滾らせた

銀髪の少年がいた。

色は戻ったが色素の薄い、しかし意志が宿った眼でこちらを見つめ返している。

 

「…………先の自分は見えたか?」

 

「…えぇ」

 

見えた。

能力を介して見えたのか、それとも本能的なものを夢見たのかは分からないがそれでもはっきりと捉えた。

 

 

口に微笑を浮かべて優雅に羽を広げ

血の滴っている原型の分からない肉塊の頂点に、傘を差しながらひっそりと佇む紅い悪魔を

 

 

「決して気分が優れるものではなかったけど…はっきりとまだ見たことがない光景が広がってた」

 

「ならそれがお前の歩みゆく運命の一端だろうさ」

 

目線を合わせたりはせず上から降ってきた声だがそれでもその声はどこか温かかった。

もしかしたら―彼には私よりも先が見えていたりするのだろうか。

 

「でも…その夢想の世界の中に貴方はいなかった」

 

「……………………………」

 

「本当に写真を切り抜いたように見えただけだったけど…それでもはっきりと言える。

 間違いなくあの世界に生きる私の近くには存在しなかった」

 

自らの近くに感じ取れなかったからと言ってガゼルが死ぬという考えは浮かばなかった。

彼が死ぬ場面等想像がつかない。

 

あの世界の中での私の眼は一つの感情に彩られていた。

怒りでも、憎悪でもない、ただ一つの感情。

 

愛だった。狂ったように毒々しい歪んだ愛ではない、澄み切った純愛。

自分ではない誰かに向けられた感情だった。

 

血の上に立っていてもそれを退けて尚存在を示すには十分な強さの愛が見えていた。

 

「………つまり俺はお前から離れていたという訳か」

 

「…恐らく。死んだなんて考えられないしね」

 

「この程度の世界で野垂れ死ぬつもりなんざさらさらないがな」

 

口角を若干上げながら彼は余裕そうに言ってのけた。

この程度…か。

 

そこまでを考えたところでガゼルは一回瞬きをした後何かに気付いたように言った。

 

「そうだ。爺さんから遺言預かってるんだった」

 

「遺言…?」

 

そう、と続けた後

 

「まぁ遺言っていっても具体的な言伝を頼まれた訳じゃないけどな。

 ただ爺さんに対して俺が言われた事を伝えるだけだ」

 

――何故かは分からなかったが内容が分かった気がした

 

 

「もし目的を達成した後にレミリアに会う機会があったならしばらくの間離れていてくれないかって話だった」

 

…あぁ。

やはりあなたならそう伝えていると思った。

 

「分かってるとは思うけど嫌いだからだなんて単純な話じゃない。

 敢えて言わないが爺さんなりのちゃんとした考えの上での話だ」

 

―全てを一人でこなそうとする事等愚王のする事

 自身の周りの人物を調和した働きの下動かすのが真の王

 

―しかし強すぎる力を無理やりに近くに置いていても

 その力はどこかの歯車を狂わせます。表面からは見えなくともどこかに傷をつけていることがあります

 

―例えば己の精神などです

 

結局自分自身がどれだけ強かろうと「周囲」が存在しなければ個は生き続ける事はできない。

周囲という自身とは違うものが見えて初めて個は特異性を見出すのだから。

 

「…何となく分かってたわ。あの爺だものガゼルを見て私を見守り続けて欲しいといった趣旨の言葉は伝えないだろうし」

 

 

――爺は強かった。

かつて館の主を務め賢王程までにはいかずとも大陸に名を知らしめるほどの力は持っていた。

それ故に彼は気づいていた。

 

自身には皆を安寧へと導く者となる才はないことを。

 

彼は秀才ではあっても天才ではなかった。

長ではあっても王ではなかった。

 

それ故に彼は自身の意志を継いでくれる者が現れるのを館の従業員として働きながら何百年…いや何千年と待ち続けた。

ヘイグのように何人の子供を産んでは殺すような真似はせず、ただただ自然に待った。

気が遠くなるような月日を過ごしながら。

 

 

そしていつものように過ごしていた最中遂に現れたのだ。

 

レミリア・スカーレットが。

 

彼には一目見て分かった。

 

『この子こそが私が待ち続けてきた子なのだ』と。

 

 

だがそれと同時に恐ろしい事実にも気づいていた。

ヘイグが過去の忌まわしい、爺自身が葬ったはずの闇の実験を行うに最適な材料として目を付けた事も。

 

「(…だからこそ爺は幼少期から私に学問を教え―そしてわざと私を外へ出しガゼルと引き合わせた)」

 

運命を見れる今ならあの出会いを爺が望んだのだと理解できる。

それでも不都合はないから特に問題はないが。

 

悪魔は悪意に敏感だ。

それが野性の残る子供なら猶更。

 

だからこそそれを感じなかったガゼルと私を会わせた。

彼が私の事を傷つける事はないであろうと確信しながら。

 

「なら…しばらくの間お別れだな」

 

告げられて今更極端な反応はしない。

なんとなくこうなる事が心のどこかで分かっていたのかもしれない。

 

「フランも…起こさなくていいの?」

 

「今のフランは溶けかけた精神を修復中だからな…下手に起こすと記憶の一部分が欠落したりするから起こさない方がいい」

 

あとで怒るだろうな、フラン。

 

「それじゃあな。次会った時に暇だったらまた実力視てやるよ」

 

そう言ってガゼルは今はもう霜の張り付いていないコートを揺らしながら立ち上がった。

 

言い終わるやすぐに出ていくつもりらしい。

 

「次会った時には…必ず成長しているって約束するわ」

 

「…今のレミィ、いい顔してるよ」

 

「そう?」

 

「あぁ、暗雲が立ち込めたって吹き飛ばしそうな清々しい顔だ」

 

「...それ褒めてるの?」

 

「少なくとも貶したつもりはないぞ」

 

そして彼は背を向けた。

 

「…それじゃあな。またどこか星が巡り合う時に」

 

「えぇ」

 

 

 

 

――――――現在時間軸、フランの部屋――――――――――

 

 

消し飛んだ。

彼の体が一抹の塵残さずに消え失せた。

声が耳に残ることもなく。

 

彼女の能力はそこらの破壊能力とは規模がまるで違う。

なにせ現世に存在する肉体だけでなく既に死んでいる魂すら欠片も残さず壊すことができる。

 

使用者本人の技量によっては神すら恐れる神話級の異能の一種。

知る限りこの異能の破壊対象に例外はない。

かつて館に落ちてきた流星一つをそのまま消し炭に変えたのだ。

 

故に今目の前に出来上がった隕石が衝突したかのようなクレーターを前にしてフランはガゼルの消滅を疑わなかった。

それが彼女の能力だから。

 

血肉が外に向かって爆ぜるよりも早く能力の檻はそれを喰らう。

その為周りに撒き散らすことはない。

 

魔力の反応もない。

完全に消失した。

 

―今まで明確にこの能力で人を殺めた事はなかった

そうする必要がないくらい長い時間この部屋にいるから。

 

自分から行動しなくても―全部お姉様がやってくれた。

最初は手伝おうとしてた。少しでも助けになればと思った。

 

でもそう心に構え続けて一体どれだけ経ってからだろうか。

私では力になんかなれないという事実に気付き始めてしまったのは。

…あの一夜の惨状が終わってからも尚私の能力は発現しなかった。

 

―最初はただ遅いだけなんだと思ってた。

いつかはきっと芽が出てくると私もお姉様も考えていた。

 

それから数十年経った時に館に十字架や聖水を手に館を取り囲もうと人間たちが訪ねてきた。

一般的な服を着た者たちと小指に指輪をはめた者たち。

もちろん彼らの瞳の中に浮かんでいたのは行き場所のない怨嗟の炎だったが。

 

その時はまだ地下室に閉じこもることもなく館で過ごしていたから私も彼らの姿をよく覚えていた。

銀に塗られただけの武器を掴まされていた連中とそこらの腐った木を削って作った魔力の籠っていないお手製の十字架を掲げてきた指輪の聖職者の集団は随分と滑稽だった。

よくよく見てみると彼らの中の数人の小指には金属の輝きはなかった。

 

私たち自身は特に町などに出かける事はなく偶に館の近くを彷徨っていた旅人を眠らせて命に支障が出ない範囲で血を飲んでいただけだったのだが

誰かに吹き込まれたのか完全に私達も凶悪な加害者の立場へと仕立て上げられていた。

 

一人や二人であったのなら無視しただろうがさすがにこれほどの規模となると難しい。

周囲の同じ人ならざる者達との親和性を考えると殺さずに追い返せるのが最善であっただろう。

 

お姉様はここでの生活もここまでかとため息をつきながら階段を下りて行った。

客人たちを出迎える為だった。

 

お姉様が下に降りた後直ぐに―館の窓へと何かが投げ込まれた。

火焔瓶でもなく、馬糞でもなかった。

 

ただ瓶の中に銀色の粉が詰まっていただけの単純な代物だった。

夜の支配者である彼女達には取るに足らない物-と。

彼女は特に反応することもなく傍観していた。

 

そして瓶が床に当たって中のものがばら撒かれた瞬間―――

 

 

目の前が真っ白になった。

それからすぐに全身を突き刺すような激痛が体中を襲った。

 

なにがなんだかわからなくなった。

まるで太陽の光をそのまま受けたような痛み。

 

それでもフランは叫ぶことはなかったがしばらく両手で顔面を覆って動けなくなった。

 

 

油断していた―まさか自分たちの骨と銀の粉末を投擲してくるなんて。

恐らく同じ目的の人間たちが自分達のを削って銀と混ぜたのだろう。

何度も何度も魔物に対する呪詛を口の中で転がしながら。

精神の顕在体である私達には呪いは通ってしまう。

 

…小指がなくなっていた連中はそういう事だったのか。

 

ワタシ―ハ―アレ?-ココハ――――

 

そこまでを考えた所でフランの視界は白から黒に変わり始めた。

既に意識が限界を迎えつつあった。

 

「お…ねえ…さま…………」

 

ソウカ―――コレガ――――――――

 

―下から聞いたことないぐらいに動揺した姉の声が聞こえてきたが既に言葉を聞き分ける力は残っていなかった。

 

 

 

――――――――それから数時間後

 

 

 

いつの間にか私は自分が横たわっている物に取り付けられている天蓋を眺めていた。

視界は見えるようになっていた。

どうやら銀によって傷ついていたのは一時的だったようだ。

ほっと一息を着いた後に感じたのは安心感ではなく違和感だった。

 

………………?

 

 

別に腕が動きづらいとかではない。

声もでるし目の前もはっきり見えている。

体がだるい訳でもない。

傷跡もどこにも見当たらな―

 

―――……やぁ、もう一人のワタシ

 

「ッッ!?」

 

……今どこから声が聞こえた?

すぐ近くだなんてレベルじゃない。これはまるで自分の―

 

――そう。ワタシがいるのはあなたの頭の中

 

…どういう意味なのかさっぱり分からない

 

―ワタシはあなたと同じだけど同じじゃない、全く違うけど違わない合わせ鏡の存在

 

どうしてそんな…昨日まではなんともなかったのに

 

―どうして?理由を問われたってあなた自身がワタシを生み出したんじゃないの。

銀色に対する絶望…憤怒…そして自分たちに危害を加えようとするもの達への憎悪。

館の地下で起こった悲劇の記憶。

その他の負の感情が複雑に積み重なったミルフィーユがワタシってワケ。

 

…あなたは何を望んでいるの

 

―別に何も欲しくないよ。ただあなたの体をほんの少し分けてほしいだけ

それの見返りに…あなたが望んでいたモノをプレゼントしてあげる

 

私は何も望んでいないよ?

 

―なら目の前のクマのぬいぐるみに向かって左手をかざして握りこんでみなさい?

 

言われた通りに試した。

特に魔力を込める事もなく。

 

その結果は――気を失う前の光景を彷彿とさせるような白色の綿が突然弾けた。

一つの形あるものが個性を失った瞬間だった。

 

「…………!?」

 

なに、これ

 

――それがワタシの力。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』…とでも名付けましょうか

 自分が嫌いだと思ったものを全て思い通りに破壊できるわ

 

「いっ…いらない!私はこんな力なんか微塵も望んでなんか…!」

 

―その力が。

 

「え」

 

―その力がもし数時間前のあなたにあったのならお姉様は

 

「…やめて」

 

―人を殺めて苦しむことも心が傷つく事もなく

 

「ねぇ」

 

―疲れ切って部屋で横たわってのびていることもなく

 

「やめてよ」

 

―殺すことに対する罪悪感を分け合って支えになる事ができたかもしれないのに

 

「やめてよっっ!!」

 

叫んだ拍子に部屋の花瓶が床に落ちて盛大に音を立てた。

でも、そんな事はどうでもよくて。

 

頭の奥が熱くて何かが引っかかったみたいに擦れた音を響かせ続けて

涙が止まらなくなって何も考えたくなくて

 

――――――そんなに辛いならその体、私がもらっちゃおうかなーなんて

 

恐怖に目が思い切り見開いた。

凍えるように体が震えた。

舌が貼り付いたみたいにぴりぴりして動かなくなった。

 

―なぁんてね、冗談冗談!でもワタシはいつでもあなたの中にいるからさ、何時でも呼んでよ

 

そう言うともう一人のワタシはまるで最初からいなかったように頭の中から消えてしまった。

意識の中に楽しそうな笑い声を残しながら。

 

 

「……ン!フラン!大丈夫!?」

 

笑い声が遠ざかっていくのと同時に先程の花瓶が割れる音を聞きつけて来たのだろう姉の声が近づいてきた。

 

「(…こんなときにも、わたしは、おねえさまにたよりっぱなし)」

 

 

 

――――――――それから私は地下室に閉じこもった。

誰かに強制された訳でもなく自分から。

 

あれから私はお姉様のそばにいるのが怖くなってしまった。

いつもう一人のワタシが気まぐれにお姉様を手に掛けるか分からなかったから。

それならいっそ、こんな役に立たない妹なんか地上から隠れてしまえばいい。

 

最初の数日は退屈だと思った。

早く時間が過ぎないかと思えた。

 

壁の模様を幾日も数え続けるだけの日々。

時々姉の友人だという紫の魔女は本を転送したりしてきたがそれもすぐに飽きてしまった。

 

そんな日々に…精神が肉体に作用しやすい魔の者が耐えられるはずがなかった。

いつしか壁を見続ける事もやめてベッドに横になって目を閉じ、

意識の暗闇の中を自分が住む世界としていた。

 

その中でそれまでに読んだ本の内容を反芻し思考する。

いつしかそれが当たり前となっていた。

部屋が広かった為に体を動かすこともあった。

かつて意識が朦朧としている中見た赤と白の光の記憶

 

白い方が一方的に赤い光を蹂躙してるだけの凄惨極まりない記憶。

私はそのどちらの動きも思い出しながら魔力を練って戦闘の訓練をしていた。

 

この動きに対してならどの手が取れるのか。

またその次にどのように行動を制限できるのか。

その時に動く筋肉はどこなのか。

 

特にどういった体の構造や物理原理等の本を熟読したことはなかったけれど

大昔から肉体を抉り、裂き、皮膚の薄い部位を目掛けて牙を突き立ててきた本能が構造を教えてくれた。

目の前に顔の見えない翼を持った者を描き動きを磨いた。

 

でもそんな事をし続けていても当然の事ながら心にぽっかりと空いた穴は塞がらない。

いつしかわずかに残っていた精神も摩耗してきていた。

既に―元の私に外の世界を見る生命力は残っていなかった。

 

 

――――ねぇ、そのままだと死んじゃうよ

 

…もうなんか、考えがぐちゃぐちゃになってきて生きる気力が失せてきちゃった

 

―――やめてよ、あなたが死んだら私まで死ぬじゃない

 

この部屋に来て過ごしながら考えているうちになんか…全部どうでもよくなってきたの

 

――死ぬことに対しての恐怖がないってこと?

 

死ぬのは怖いんだろうけどそれに抗おうっていう気力が起きないの

 

―そんなの悪魔にとって死んだのと同じじゃない

 

…もういや、話しかけないでよ

 

 

それを見て私の中の何かに火が付いたのかもしれない。

なんで。

私はお前の絶望から現わされて生きようとしているのに。

見た事がない「光」を見ようとしていうるのに。

なんで既にみた事があるあなたが諦めているの。

 

絶望と後悔という負の感情から生まれた私に向かって生きる気力が起きないだと?

ふざけるな。

それだけ恵まれていながら何故下を見る。

 

 

お前にはお前を思ってくれる人がいるというのに―――――――!

 

 

………なら分からせてやるしかない。

もう一人の私の気持ちも分からない訳じゃない。

信頼する人間の隣にいて足手まといになるなど全くもって御免だ。

もう片方の私を動かすにはお姉様では駄目だ。

信頼度でいえば申し分ないが―姉という立場故に妹である私に対しては本気を向けれないだろう。

 

となれば生き延びるためにはフランに痛みを与えなければいけない。

痛みとは生存から遠のく可能性がある事例に対して体が出すいわば停止令。

あの子は痛みを受け入れようとして、そして、壊れた。

 

ならもう一度痛みを味合わせて「生きている」という事を再認識させねばいけないと考えた。

 

手は何でも尽くした。

心苦しかったけどお姉様に対して暴言を吐いたりした。

ひどい言葉を言ったりした。

殺してほしいと言ってみたりもした。

けどそう言ったら姉は立ち去りそのまま図書館へ直行し親友に抱き着いて泣き崩れてしまった。

私を――狂った私という存在しない妹を助けるために。

 

もう一人の私は…馬鹿じゃないけれど大馬鹿者だ。

 

なんで素直に助けを求めなかった。

なんで教えを請わなかった。

分からないことが分からないと言って怒る家族がどこにいるんだ。

 

私は決して利口なんかじゃない。

下手をしたら昔の歴史なんてものは一つも分からないし

読み取ることのできない相手の感情を読もうだなんて分かるわけもない。

 

でも来ちゃいけないんだ。

もう一人の私に――この世界は寒すぎる。

彼女には月明かりの下で生きる権利が立派にある。

何も後ろめたいことなんかない。

月の陰を啜り生きるのは私だけでいい。

陽があればまた陰も必ず生まれるから。

 

後から生まれた私に――あなたをどかす資格なんてない…!

 

だからこそ私はあの子の体を乗っ取った。

空が太陽から月に替わっている間。

 

痛みを伴わないはずの魂の入れ替えでほんの少し能力を使ってあの子の体を痛めつけて。

まだ力が足りないから完全に乗っ取ることはできないと嘘をついて。

毎日毎日、聞きたくもない叫び声と流してほしくない涙をその身に感じながら。

 

それからのワタシは変わった。

死のうとしていたあの頃から考えられないくらい生について考え始めるようになった。

私に恐怖するようになった。

 

世界を憎むな。

月や、お前を思ってくれている人を憎むな。

この暗闇を許すな。

 

恨むなら―このワタシを恨め。

 

そうだそれでいい。

黒く、粘つく底なし沼がワタシの住むべき世界だ。

 

そんな生活を続けていると彼が来た。

 

………………あぁ、お兄様。

見えなくても分かる。

あの身から放たれる魔力を糧にして生まれた私にはすぐに分かった。

だから日が昇っているうちからあの子の体に入り込んだ。

 

この日の為に覚えておいた台詞をもう一度私の中でだけ繰り返しながら。

 

―――ほら、お兄様が来たよ。あなたの大好きだったお兄様が。

 

…そんなわけがない。だってお兄様は私達を見捨てていったんだから。

 

――そんなわけないはこっちが言いたいよ。そうじゃなかったらなんで父親を殺したりするのさ

 

あの戦いでお兄様は私たちに失望して出て行ったんでしょ

 

―…そこまで言うんだったら直接確かめてみなさいよ

 

…お兄様を?

 

―本当に私たちに失望して見捨てていったのかどうかを。

 

 

そして彼が来た。

背格好は特に変わっていなかった。

魔力を持っている者特有の老化遅延だ。

こちらを最大級に警戒しながら歩いてきた。

 

その時に私は思いっきりもう一人のワタシの心を絞めた。

千切れて断末魔が迸るんじゃないかと思うんじゃないかってぐらいに。

 

でも彼女は泣き叫ばなかった。

声帯を震わせるようなことをしなかった。

その代わりに周囲に危険であることを知らせるように赤い血の涙を流した。

 

「……ッ…ァ……ウェ……ェ………」

 

 

 

 

た す け て

 

 

 

 

支配権は殆ど私の方が持っていたから口は笑っていただろう。

血の涙を流しながら口では笑みを形作る。

その顔は死に狂いの亡者の顔そのもの。

それから―わたしはあの子が作れるようになっていた炎の剣を手にお兄様と―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ころしあった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い夢だった。

 

これで…ようやくあの子も気付いただろう。

私が彼を能力を使って殺すと呟いた時のあの動揺ぶりは見ていて面白かったな。

実際に発動したときの叫びは聞こえている訳じゃないのに耳が痛くなった。

斬り合っている時も…あの子は無意識にお兄様の無事を祈っていた。

私の炎が彼を捉えんとするたびに緊張が伝わってきた。

そうだ。それが他人があなたに向けている感情だ。

だから気に病む必要なんて最初からなかったんだ。

ちょっと素直になって周りを見回せば見つけられたものだった。

 

そして――――――感じ取れてしまった。

 

 

 

 

「………………………やっぱり私の能力程度じゃ死なないか」

 

 

 

 

気付いていた。

ずっと。

ずっと私の後ろに気配を殺して立っていた事なんて。

いや意識して気配を消してはいない。

恐らく放出される魔力が濃密すぎて世界と遜色ない存在感を放っていたから気付けなかったのだろう。

 

ずらさず殺す気で能力を使ったのは本当だ。

間違いなく私はお兄様の核…「目」を手の中に移して握りつぶした。

 

その瞬間にお兄様は砕け散った。

能力の通り完全に消滅したはずだった。

 

「…いや冷や汗かいた。本気で殺されるかと思った」

 

‘殺されるか‘と思った。

それはつまり能力を使う以前までの、剣戟の時点では痛みを感じたのは本当だろうが生命の危機を感じたのは能力が初めてだったという事を意味する。

 

 

――あの程度じゃ追い詰められないか。

 

 

だが現に彼はさっき程と服装は変わらず穿たれた大穴を見て若干顔を引き攣らせていた。

「肉体を吹き飛ばすだけの爆発系異能じゃなくてこの見た目で魂の存在を残す殻まで吹き飛ばす消滅系異能とは…

どうりで時間がかかるわけだ」

「その能力もあの日が原因…という訳か」

 

死ぬとは思っていなかった。

それでも…知っておきたいのは生き物の性だ。

 

「………どうやって生き残ったの?」

 

「最初は致死点ずらして回避しようとしてたけど途中で魂そのものに照準合わせられてるって気づいて咄嗟に能力使って防いだ」

それでも発動ぎりぎりだったぞと毒づきながら彼はこちらに向かって歩いてきた。

 

彼はそのまま無造作に限界近くまで接近した後フランの眼を見つめたまま考え始めた。

既に私からは感じ取れるほどの魔力は残っておらず腕も最大出力の反動かだらりと下がっていた。

もはや互いの戦意は霧散していた。

 

「…お兄様はこれから偽物である私をどうするの?」

 

あぁやっと。

やっとこの時が来た。

 

これで私はフランの中に巣くった「フランを狂化させた原因」として葬ってもらえる。

あの暗闇の中から私本人は解放され、彼女は再び月の下で生を実感できる。

完璧な筋書きじゃないか。

 

だから早く答えを聞かs「なーんにも。ただ元々のフランと仲直りするかどうかは見届けさせてもらうけどね」

 

 

……………あれ?

なんか…記憶にある彼からの予測から行動が外れたぞ?

 

「な…なんで?原因になった私を…殺したりしないの?」

 

本心からの質問だった。

あり得なかった。

私が生まれた元の絶望の中の彼は冷酷そのもの――

 

「どこの世界に好んでこんな可愛い妹を殺そうとするサイコパスがいるんだよ。俺そんなに短気じゃないぞ」

 

…今お兄様は…なんて言った?

私を……ただ演じてきただけの私を妹だと?

ただただ…破壊能力を持っただけの吸血鬼の形をしたモノを?

 

「…?何か可笑しいか?お前が絶望から生まれてきてようが能力そのものだろうが結局フランと変わらないんだから妹にも変わりはないだろ?」

 

「それにもしお前が本当に俺に殺意だけを見せ続けてきたんだったら『お兄様』だなんて呼び方せずにガゼルって呼び捨てで呼ぶと思うんだけど」

 

 

 

気付いていなかった。

確かに…私は彼の事をお兄様と呼ぶのに何の抵抗もなかった。

特に不快感を感じた事もなかった。

 

完全に無意識の内から兄と呼んでいた。

 

 

「妹が兄と呼んでくれるんだったら…それをこっちが無視する道理はない。俺にとっちゃ二人ともが俺の事を兄と呼んでくれる可愛らしい妹だ」

 

……分かって言ってるのかなこの人。

いやただただ単純に思いを連ねてるだけだなこれは。

 

「…フラン、お前…顔…」

 

…顔がどうかしたのだろうか?

そう思って頬に手を当てて水滴を感じた。

それは後から後から溢れてきていて私の太腿を濡らしていっていた。

 

「……え?えっあれ…なんで…私が…………………泣い、て」

 

気付いたら喉の奥から嗚咽が止まらなくなってきていた。

 

「わたしは、ないちゃ、だめ、なのになみだ、とまらない…」

 

気付いた時にはもう目の前が潤んで見えなくなってきていた。

目の前が模様のように歪んでいて視認できない。

 

 

「…泣いちゃいけない人なんてこの世にいない。お前は…破壊の権化でも、絶望の体現者でもない。

 …泣き虫だけど優しいフラン、妹だよ」

 

その言葉を聞いて、生まれてきて初めて心が緩んだ。

初めて私を認めてくれる言葉を受けた。

 

思考が動いたのはそこまでで、後はもう、全て感情に流されてしまった。

 

「えぐっ………ひっ……おにいざまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

先程までとは一層比べ物にならない強さで涙を流しながらフランはガゼルの胸に身を預けた。

さっきまでの自分ならば感じたであろう羞恥心の壁は既に取っ払われていた。

それ故に彼女の感情の奔流をせき止めるのは何もなかった。

 

「わだじはっ…いていいんだよね…このぜかいにっ………」

「いもうどだって…むねをはっていいんだよね……!」

 

「あぁ………何も、問題なんかないよ」

 

その一言と同時に彼は片方の手でフランの背中を、もう片方の手で頭をそれぞれさすり撫で始めた。

その手は決して大きいとは言えない大きさだったが―大きくないからこそ感じ取れる熱はさらにフランの感情を素直にした。

ぎこちない、初めてするような触り方だったがそれでも彼女には十分に優しさが…温もりが伝わっていた。

零下の中舞い続けていた互いを温めるようにフランは抱き着き続けていた。

彼の顔には微笑が浮かんでおり、その目はいつまでも妹を見つめていた。

 

 

 

 

「おにいざまっ……ぐずっ…ぅぁぁぁあああああああああああああああん」

 

 

 

 

何時までも部屋の中に響き続ける幼女の嗚咽は

一人の……誰にも知られてはいけなかった月陰の少女の仮面が外れた音であった。

 

 

そして…水晶玉を通して事を眺め続けていた姉の方もまた、涙を流し、友人の魔女に背中をさすられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




ガゼルお兄様は断じてシスコンではない(戒め
というわけでこれでほんとのほんとに姉妹絡みでの騒動は終了です。
あと2、3話書いたら二章に移るとしましょう

今回文字量多くなってしまった……



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