交通事故で無残な姿で浮遊霊となった、怜子は自分をそのような目に遭わした慶介を1年かけて呪おうとする。
だが、微かに霊感のあるオジサンに書かせた真実の話とは?
この題名を見ただけで嫌悪を感じ、更に氷のような冷たい虫唾が全身に走り、鳥肌が全身にできてしまう人は、ここで読むのを止めて欲しいの。
だって、あたしにもプライドも選ぶ権利もあるもの。
読んだ後で、
「ナーンダこの話は……」
なんて思われたくないからよ。
あたしは、綾小路あやのこうじ 文子ふみこという由緒ある名前で、宇多源氏の流れを汲み、綾小路信有(正二位・権中納言)の子孫で、雅楽の師範家として朝廷に仕え、江戸時代の家禄は二百石で明治時代以降は子爵だったの。スゴイ家柄でしょう!
冬でも扇子をバタバタ扇ぎ、かつらをかむって変なメガネをかけ、おばさん達の中年アイドルとして、一世を風靡している漫談家のAさんとは、何の関係もないわ。だって、彼の苗字は假屋かりやさんだもの。あたしとは何の縁もないし、もしあれば、死んだほうがまだましだわ。
もう既にあたしは死んでいるけどね。
地獄の苦しみから救いだして頂き、人間界に守護霊として居場所を与えてくださった美の調和の神様より、あたしに課せられた実話を目ではなく、心で聞いてほしいのよ。それが、二人の弔いにもなると思うの。難しいのは承知しているけど、お話の行間を読んでね。
どのようにして、このお話を書けるのかって? うーん、どうも、あなたは霊に関する知識を全然身につけていないようね。あたしは高慢ちきで、その上、勝気だから、誰彼の区別なく上から目線で話すのを、止めようと何度も神様に誓っているのに、この先、どうもその思いは果たせないような気がするわ。
アメリカ合衆国アリゾナ州北部にある峡谷で、二十億年から二十五億年前にできた地層を、今なお噛み砕いているコロラド川のように、手当たり次第、誰にでも噛みつかなければおれない、自分でもイヤーナ性質なの。
あなたは、こんなわがままな女守護霊の戯言につきあえるかしら? この世で、十年一日のごとく、毎日、毎日、ノホー、ホーンと生きてぼんやり暮らしているあなたには、理解できないわよ。あたしのことなぞ、チットモ。
今からでも遅くないから、読まなくても、あなたのこれから先の運命には、なんら影響はないわ、多分ね? でも、本当は、最後まで読んで、あたしに正直な感想を聞かせて欲しい。
女心が、矛盾と自惚れとに満ち溢れているのは、天あまの岩戸いわとを開けてしまった神代の時代からなのよ。
アマテラスが、機屋はたやで神に奉げる衣を織っていた時、スサノオは機屋の屋根に穴を開けて、そこから、皮を剥いだ馬を落とし入れた。一人の天の服織女が、驚いて、陰部を刺して死んでしまった。アマテラスはスサノオの行動に怒り、天岩戸に引き篭ってしまい、この世は闇となり、様々な禍まがが、発生したの。
そこで、八百万の神達が、どうすればいいか相談をした結果、アメノタヂカラオが、岩戸の脇に隠れて立ち、アメノウズメが岩戸の前で、桶を伏せて踏み鳴らし豊満な胸をさらけだし、紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴りとどろくように、八百万やおよろずの神様達が一斉に笑った。
この声を聴いたアマテラスは、
「何事が起ったのだろう?」
と天岩戸の扉を少し開け、
「自分が、岩戸にこもって闇になっているというのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神々は笑っているの?」
と問うた。アメノウズメが、
「貴女様より貴くて美しい神様が現れたので、我々は、それを喜んでいるのです」
と言うと、アマテラスの前に鏡を差しだした。鏡に写る自分の姿が、その貴い神様だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよく見ようとして岩戸を更に開けた時、隠れていたアメノタヂカラオが、その手を取って岩戸の外へ引きずりだした。
すぐに、フトダマが
「もうこれより、中に入らないで下さい」
と懇願した。こうしてアマテラスが、岩戸の外にでてくると、高天原も葦原中国も明るくなった。
古事記にそう記しているわ。チヨー博学でしょう。でも、諸説が沢山あるらしいけれど、あたしが知っているお話は、残念ながら、これだけなの。
あたしみたいな守護霊は、この世の人間一人につき必ず一人いて、この世での計画が上手く進むように、背後にいて細かく面倒をみる霊で、人間が生まれてから死ぬまで絶対に交代することはないの。何故なら、守護霊は、人間のカルマ(業ともいい、善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って代々伝えられる)のパターンを受け継いだ、霊的な意味での“親”に当たる存在だから。
最低でも数百年以上前の霊的存在が、守護霊になれるの。でもわたしは、不思議なことにまだピチピチとして若いのよ。自分で言うのもはばかれるけれど、あなただって、もしも、あたしを見ることができれば,羨むほどにスッピンでもチョーイケテル美形よ。
亡くなってから一度もメークらしき女の嗜みをしていないのは、神様からキツーク禁じられているご法度だからなの。でも、死んでまだそれほども年月が経過していない、守護霊としては、例外中の例外的な存在よ。
「羨ましいでしょう?」
あー、ごめん、あなたはまだこの世に生きているのだから、羨ましくも何とも思いようがないわね。でもね、遅かれ早かれ、何時かはあなたもあたし達の仲間になるの。『生者必滅』、これ天の理ことわりなのよ。
あたしの持っている超能力を少しだけ使えば、あなたの様子は、まるで手に取るように詳細に至るまで分るわ。本来、超能力は、私達と本物の霊能力者のごく限られた領域だったのに、最近、東大の研究室で、量子レベルではあるものの、テレポーテーション(瞬間移動)は既に実現しているわ。この研究を進めれば、人が一生費やして解く計算を、一秒で解決できるコンピューターを創造可能らしいわ。多分、いずれは、ノーベル賞候補に上ると思う研究よ。
あなたには、あたしの存在を五感では少しもキャッチできないでしょう。あなたが、優れた霊能力を身につけているようには思えないもの。そう、一方通行なのよ、フフフフ……。
あなたの脳をガツーンと震撼させちゃおかしら。覚悟はいい。
あなたの守護霊は、脳疾患患者であった「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、一五世紀フランスの国民的英雄でカトリック教会における聖人であったが、コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判にかけられ、ルーアンで火刑になったジャンヌ・ダルクと言いたいところだけれど。
残念ながら、敵側のイギリス軍の下級歩兵隊員で、無残にも首を切り取られ、あまつさえ、味方にもかかわらず、騎馬軍の蹄で何回ともなく踏みつけられ、血みどろのになった平凡な男の霊なのよ。
自分自身が、これまで培ってきた理解を超越したおぞましい恐怖で、あなたの皮膚の毛穴が強く閉じられ、鳥の毛をむしった痕のような細かい突起がでている鳥肌がたって、気味悪がっている様子が、あたしにはヨーク見えちゃうのよ。
大当たりでしょう?
散々、あなたを怖がらせたあたしは、本来は、心やさしくて涙もろい霊なのよ。
「何を今さらいい子ぶったって、にわかに信じられない」
って。天命に誓って、真実よ。
あたしの死んだ経緯を教えてほしい、だって? 友達の霊にすら言ってないのよ。
どうしても聞きたい? あなたの頼みを、むげに断りきれないし。じゃあ、覚悟を決めたわ。
簡単に、お教えするわ、だって、あたしにとっては、二度殺される経験をしているみたいだもの。二十九年前の夜十一時ごろ、あたしは、フランス料理のあと、薄々予感していた通り、青年実業家として成功している彼に、プロポーズの言葉と共に、ティファニーのエンゲージリングを渡され、
「夜も遅いから、家まで送って行くよ」
という優しい言葉を、
「近いから、いいわ」
とそっけなく断ってしまった。彼が運転するポルシェ911タルガを見送って、上気した興奮を覚まそうと家までのわずかな距離を、熱い吐息交じりの鼻歌を歌いながら、雲の上を歩いていたの。後に分ったことだけど、寿司職人の経歴を持つキモイ男が商店街の路上で、主婦数人を刺し、通行中のあたしを、商店街にある寿司店に引き連れ、あたしと家族を人質にとったの。
家族は店の裏口から逃げて難を逃れたが、男は店の二階に立て篭もり、警察官に包囲され、もはやここまで、と腹をくくった男は、柳刃包丁で抵抗するあたしをメッタ刺しにしたの。
まだ暴れまわる覚醒剤中毒の男を取り押さえた時には、あたしは出血多量で死亡していた。
救急車が到着した時には、もう遅すぎたのよ。
この位で、いいかなー。
えーと、お話を元に戻しましょう。
お馬鹿さんで六十歳過ぎの、自称文豪のオジサンの書く文章は、ヘタクソの極みで(あら、お下劣な表現ね)未だに一本の作品すら、世に出せてはいないのに、芥川賞、直木賞を狙っているオジサンが、ほんのわずか持っている霊感を頼りに、このお話を、書いてもらっているの。
と言うより、オジサンの意思なんか完全に無視して、無理やり書かせているのかもね。
芥川 龍之介の業績を記念し、直木賞とともに創設され、年二回の発表は、新人作家の発表済みの短編・中編作品が対象であり、選考委員の合議によって受賞作が決定される賞があるわ。
そう、芥川賞、直木賞。
だけど、当のオジサンの苦しい言い訳は、
「選考委員が、必ずしも、現代の文学に通じているとは限らんし、数が多すぎるので各担当者が下読みし、(これはいける)と思った作品のみを委員に提出しているから、大概、無難な作品が受賞しておる。全く、そもそも、文学が持っている真実、本質を知らないボンクラどもが・・・」
奥さんの手前、毎度毎度、強がりを言っているの。
でもさすがのオジサンでも、日本では川端康成氏と大江健三郎氏の二人だけが受賞している、ノーベル文学賞までは、恐れ多くて望んでいないわ。
十四歳下であり、下駄顔で少し間の抜けた表情をしているオジサンには、もったいないくらい妖艶で、その振る舞いは楚々とし、なおかつ実業家として辣腕をふるっている、経営を肌で熟知している奥さんは、ヘアーサロンを十九店舗経営しているわ。しかも、全ての店舗が順調で、損益分岐点(利益も損失も出ない売上高)をはるかに上回っている。短・中・長期利益計画を、開店前に試算していたより、どの店も、四倍以上の利益を出していて、十二分に儲かっているから、オジサンは、いわば、昔で言うところの、(髪結いの亭主)ナノネ。
だから、今では、何の職に就かなくても、充分に贅沢過ぎるわがままな生活を、享受できる訳なの。
ギリシアの美しい青年のナルキッソスが、ニンフの求愛を拒んだ罰として、水たまりに映った自分の姿に、恋するという呪いを受け、彼はどうしても想いを遂げることができないので、やつれ果てたあげく、スイセンの花になった、いわゆるナルシストそのもののオジサン。
あたしが、ののしってばかりいるオジサンでも、一応紹介をしておくのは、礼儀でもあるから、少しだけ、付き合ってね。
家庭の事情は少し複雑なの。オジサンが生まれた三年後、真鯛、真蛸まだこ、ノリ、アナゴ、イカナゴの釘煮、焼穴子、明石焼等が有名な兵庫県は明石市で、十三店舗の割烹料理屋を共同経営していた、お人好しの義理の祖父が、お妾さんの家で心臓発作を起こし、無残にも、白目をむいて苦しみ暴れて、肌を所々露出した着物姿になって、戸板で家に運ばれた。当時としては、それが当たり前だったらしい。現代で言えば、救急搬送用のストレチャーみたいなものね。かかりつけの白ひげの医者が、妻でもある看護婦を連れて家に到着した時には、義理の祖父はもうあの世に旅立ってしまった後だった。
彼は、オジサンの実の祖父の弟で、義理の仲なの。
実の祖父は、十三人の子宝に恵まれ過ぎて、口減らしも兼ねて養子を熱望し探していた弟夫婦に、まだ、赤ん坊の時にあげたの、まるで安い品物の様に。本当の実家は、兵庫県姫路市にあって、昔は、羽振りのいい庄屋として苗字,帯刀を許され、頼山陽達に漢学・国学・医学を教授させ、優秀な人材の育成に取り組んだ姫路藩に、数千両もの大金を、無利子で貸していた程、資産、信用、由緒と三拍子揃った家柄だった。
第二次世界大戦の敗戦後、GHQ最高司令官マッカーサーが、
「寄生地主が、日本の軍国主義に加担した」
という理由を無理にこじつけて、農地改革を行ったわ。地主が持っていた農地は、政府が安値で買い上げ、今まで小作人だった人達に安く売り渡された。
(その結果、大規模営農が事実上不可能となり、日本の農業が、現代、国際競争力を得られない構造が、固定化される基となった)
その祖父の養子先(つまり、結婚相手)は、何も知らない世間知らずの、乳母日傘おんばひがさで育てられた、明石市では、大きな道場主の柔道家を父に持つ、若い時は、明石小町と呼ばれ皆から持てはやされた祖母。
独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くを、日本画の技法で描き、洋画技法による女性像や風景画も残している竹久夢二をこよなく愛していた、ミステリー作家志望で、お嬢さん育ちのせいか、世間知らずの実の母親。
そんな純粋に人を信じ切ってきた二人の女性達は、もう一人の悪辣な共同経営者に、赤子の手を捻るように、いとも簡単に、策略に陥れられた。店舗は言うに及ばず、家屋敷の全てを取り上げられ、おまけに多額の借金まで背負わされたの。そのあげく、急転直下、今までの裕福な生活では考えすら及ばなかった「低所得者」になり下がった。
(この時には、養子に迎え入れていた、若い時の小林 旭そっくりでイケメンの父親は、二十九歳の若さなのに、ストレス、糖尿病のせいか、急性心筋梗塞のため既に亡くなっていた)
戦時中でさえ、白いご飯を食べていたにもかかわらず、没落後は、あったかい麦飯をオジサンには食べさせ、二人は水で大きく膨らませたふやけた空豆を食べて、終戦後の就職難の中、日雇いの労務者として、死にもの狂いで働いた。
家財道具がわずかしかない六畳一間の共同住宅で、オジサンを立派(?)に育て上げた。当時としては珍しく、他人から羨ましがられた大学にさえ入学させたの。
大学進学率については、千九百五十年代には約1割であったがものの、オジサンが入学した千九百七十年代までは、高校進学率と同様急増し、千九百七十六年には約三十九%という第1のピークに達したわ。いわゆる、団塊の世代に属し、幾多の競争相手をも退け、オジサンは、がむしゃらに勉強に励んで、目には見えない母と祖母の期待を背中に重く負いながらも、難関で有名な関西のK大学の経済学部に、見事現役でパスした。
当然、彼も家庭教師をはじめ、様々な肉体労働のアルバイトをしながらも、勉学に励み、大学を優秀な成績で出たの。
卒業後、世界的にもその名を馳せていた総合商社に就職し、上司の勧めで見合いをし、一年半の交際を経た後、二十九歳でその女性と結婚し、男女二児のパパとなった時期までは、人生まさに順風満帆、そのものであったわ。しかし、もともと血圧が高く、海外勤務者、管理者等が、一般に、頻差に受けるストレスによる過労と接待等に起因する、不摂生の結果、糖尿病も患い、五十五歳の若さで脳梗塞に罹患し、生死の淵をさまよい続けたが、比較的発見が早く、しかも、近くに脳神経外科を主な診療科目にしている、地元では有名な救急病院に搬送された。
そのため、処置を早く受ける事が出来、優秀なお医者さん達のお陰で、命だけは救われたの。
しかし、その救急病院で四十五日間入院し、CT(コンピュータ断層撮影)は言うに及ばず、約四十分もの間、体は固定された状態で、頭部の輪切り映像を撮るため、カンカンカンカン、ガガガー、ガガガー、ガガガー、ガガガーとうるさいMRI(磁気共鳴画像)検査を二度も受けたのに、脳梗塞の部位の特定は出来なかった。
転院した県立のリハビリセンターの検査で、やっと梗塞の場所と程度が、判明したの。首の脳幹部分には神経の束あるが、そこにあるほんのわずかな血管が死滅していた。当然、外科的手術は今の医学では、無理なの。もしも、そのような部位の手術が出来れば、ノーベル賞ものよ。
死亡原因の中でも多くを占めている高頻度な疾患で、後遺症で介護が必要となることが多く、福祉の面でも、大きな問題もあるわ。ちなみに「脳軟化症」の名の由来は、脳細胞は壊死すると溶けてしまうことから来ているの。ゼロ金利政策や、積極財政の成果により、経済は比較的好調で、ITバブルを発生させ、「地域経済の活性化」と称し、地域振興券を国民に配布したが、これは「バラマキ政策の極致」と酷評された小渕元総理と、同じ脳卒中患者なの。
でも、オジサンは「死からの生還を」果たしたっていう訳。小渕さんと同じように亡くなっていれば、このお話は書かれなかったかも知れないわね。
六十歳になる今でも、頭脳は明晰そのもので、幼い頃から既に持っていた、ある種の霊能力は、
一段と研ぎすまされたものの、県立のリハビリセンターで、規則正しく、毎日、手と足のリハビリ実践のため、四ヶ月にわたり入院をした。にもかかわらず、ご多聞に漏れず、右半身不随の状態は一向に回復せず、可哀そうに、不自由な車椅子の生活を余儀なくされたの。
オジサンの最終役職は、本社役員待遇の営業本部長だった。当然、企画書、関係各位に出す文書、部下に対する指示等は、数人の秘書に、ワープロ、パソコンを使わせていたので、会社にいた期間、彼自身は、アナログ人種のままだった。
ところが、目的達成意欲の強い血液型O型の彼は、五十六歳でワープロを巧みに操り、五十七歳で初めて、PCを独学で勉強し出したにもかかわらず、ほとんどマスターし、週三日、ヘルパーさんのお世話になりながら、自由に動くものの、利き手でない左手を使って、ワードを、ポチポチポチポチと打ちながら、自分自身をモデルにした私小説らしき文章を、懲りもせずに書いているわ。
血液型占いを信じている大勢の人には気の毒だけれど、血液型と性格の間には何のつながりもないの。Nという放送作家が、戦前の学者の説を、面白おかしくとりあげ、メディアがそれを煽っただけ。
彼の研究の始まりは、次のようだったの。彼が大学時代に、四百人あまりが生活する学生寮の委員長となった時だった。寮内のもめ事に立ち合っていたが、名簿には寮生の血液型が、全て記入されていた。それを見て、寮生達に接していると、気質の違いが浮かびあがってきたので、ただ事ではない、と彼は思った訳なの。その後は積極的にデータ収集にも努め、予想以上であったと思っただけよ。後の研究では、真の意味で、科学的な根拠は全くないらしいわ。
もちろん、DNAに遺伝情報として、脳梗塞になる運命が、オジサンの細胞には、組み込まれてはいたのに、間違いないでしょう。
脳梗塞後リハビリ期間後に、罹患し易いとされる鬱病にも悩まされ続け、優しく、オジサンの話に、根気よく耳を傾けてくれる、何時行っても病院は満員の、心療内科の若いお医者さんに、今でも、いろいろと悩を訴え続けている。
でも、普通の人でも鬱病になるわ。生涯のうちに、鬱病を罹患する可能性については、近年の研究では十五%程度という報告があるし、また、日本で、最近行われた千六百人の一般人に対する面接調査によれば、時点有病率二%、生涯有病率は六.五%らしい。
優しい心療内科の先生に、話を聞いてもらえるだけでも、鬱病の亢進を食い止め、快方に向かわせる効果は、十分あるわ。
睡眠導入剤、精神を高揚させる薬等を、脳梗塞の薬と一緒に、朝、昼、晩と、欠かさず飲み続けている。まるで薬が主食でないかと思える程に、大量のお薬を食べ(?)続けなければならないの。
でも、どんなに重篤な病魔に侵されていようと、あたしに言わせれば、この世に、肉体があるだけでも、羨ましい限りよ。
北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の華南や華中の沿海部、台湾等、東アジアの広範囲の気象現象で、五月から七月にかけて毎年めぐって来る、雨の多い雨季の一種の、梅雨のような、ジトジトと湿っぽい、お涙ちょうだいのお話は、これ位にして、いよいよ、あたし自身の話を聞いてね。
あたしも、オジサンと同じ、千九百四十九年生まれの団塊の世代に属しているわ。
大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部の前身校)卒業後、一旦は、薬剤師として、実家の生薬家に、従事していたが、金田一耕介を探偵にして、映画、TV、角川文庫等でお馴染のミステリー作家、横溝正史の、戦時中の疎開先でもあり、旧家を舞台にした作品を多く描いた岡山県で、あたしは、裕福な家庭の長女としてこの世に生を受けたわ。
父は、地元の名士であり、数々の種類の異なる会社を、順調に経営し、(岡山の松下 幸之助)と呼ばれ、皆から尊敬される程の気概に満ち溢れ、度量の広い、あたしには立派過ぎるぐらい立派な男性なの。
オジサンとあたしは、生まれも育ちも、天と地ほども違うの、ゴメンナサイ、また上から目線で、彼をけなしちゃったみたい。
めんご、めんご。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した……。
アラー、これは憲法の前文で、あたし達が、中学三年の時に「高校の試験によく出題されるから、必ず覚えなさい」と先生に言われて、丸暗記した文章だわ。
前置きは、これ位にしようとボンヤリ考え事をしていたら,何故か、こんな文が、頭に浮かんだのよ。無味乾燥な文を覚えるのに、大変な苦労したのに、高校の入試には全然でなかった。バッカみたい。
頭が少し混乱して来たので、ここらで、買い溜めをしている、バージニアブレンドタイプでバニラ豆のワニリンのような加香を施し、「ほのかに甘く華やかな香りと深み」のある紺の缶の入れ物に入った、ニコチン、タールの含有量が多くて、特に体に悪いタバコだと言われている、カンピーで一服でもするとしょう。
おや、オジサンの思念が、突如、出て来たみたいね。それとも、あたしがオジサンに同化してきたのかな? この際、ドチラデモいいか。
以下の話は、オジサンが創作したことにするわ。少し固くて、時代錯誤的表現は大目に見てやって。何しろ、オジサンは自称大文豪(?)なのだから。名残惜しいけど、あたしはこれで、おいとまするわね。バイナラ。
皆さんは、自縛霊をご存じだろうか?
不慮の原因で命を失った場合に、その意識や念が、特定の場所や建物などに居付いたままになり、成仏出来ずにいる霊である。戦争、殺害、事故死、自殺等の時に地縛霊になり、他人に憑依すれば、地縛からは離れられる。地縛霊は、長い期間、苦しくて淋しいので、他人を引きずり込み、時には命さえ奪う恐ろしい存在でもある。
山下 玲子は、本来地縛霊でなければならないのに、浮遊霊になったのには、それなりの訳がある。その理由はというと、地獄で、骨まで焦がすような熱い苦しみの灼熱地獄に耐えられず、見張り番の三メートルをはるかに超える、筋肉質の青鬼達が、メスの赤鬼の話に花を咲かせている隙を見計らって、この世に舞い戻って来たのである。
気味の悪い形相をした、ある意味では、化け物であり、決して、浮遊霊に憑依されないよう、あなたも更に信仰心を養うべきである。
かく言う私に、彼女の霊が、乗り移っているような気がしてならないのは、単に気のせいだろうか?
山下 玲子の供養と浄霊のためにも、単なる都市伝説ではない、おどろおどろしいこの怪異譚を、書く決心をした次第である。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
合掌。
私が、健康であったころの唯一の趣味は、美術館巡りであり、日本各地は当然のこと、出張で海外に行った折には、必ず休みの日は、各国の美術館、博物館を訪れた。
ミケランジェロ・ブオナローティ、フランチェスコ・プリマティッチオ、ティツィアーノ、ジョルジョ・ヴァザーリ達が、ルネッサンス期に描いた写実的な名画も捨てがたい。
特に愛好した画家は、思想的にはジークムント・フロイトの精神分析の強い影響下にあり、シュルレアリスムに傾倒し、自称天才として憚らず、多くの奇行や逸話で知られる、特徴のある髭(これは、水あめで上げていたらしい)サルバドール・ダリ、彼と同じスペイン生まれで、ギネスブックの掲載されている程の多作家で、亡くなるまでに、一万三千五百点の油絵と素描、十万点の版画、三百点の彫刻と陶器等を制作したピカソの二人である。
二人ほど有名ではないが、明治三十四年、ニューヨークに渡り絵画を学ぶが、近代彫刻の父といわれる ロダンの「考える人」を見て彫刻を志し、明治四十年、フランスでロダンに面会し、「女の胴」「坑夫」等の彫刻を制作していたが、三十歳の若さで夭折した彼の作品で「デスペアー」(絶望)と題したブロンズがある。女性がうつむき、絶望と悲しみに、身を震わせていそうな作品で、後の述べる、矢野 慶介に全てを告白した山下 玲子を思い浮かべる作品だ。
先ずは、玲子の生い立ちから話そう。
彼女の生れた家は、神戸港 、メリケンパーク・中突堤・神戸ポートターミナル等を眼下に見下ろせ、山頂エリアには様々な文化・保養施設があり、企業の保養所や、個人の別荘も点在して一つの町が形成されていて、山陽自然歩道をはじめとする多数のハイキングコースが、整備されている六甲山系を背後にしている。春には親子連れが、園内に大勢群がり、桜を愛でながら、手弁当を広げ、しかも、子供たちの喜ぶ動物が沢山飼育されていて、乗り物も数多い、神戸市立王子動物園近くの、裕福な家庭の長女として、千九百四十九年九月十三日(奇しくも、私と同じ誕生日)に、この世に生を受けた。
西洋のお人形のように鼻筋が通った現代風の顔つきと、異国の香りすら感じられるスタイルにも、恵まれているばかりか、幼い頃より頭脳明晰の俊才で、私立の幼稚園の時から、持てる才能を存分に発揮させていた。
小学、中学、高校を通じて、常に学年トップを独走し、大学は、進路担当の先生より、T大を強く勧められたが、T工業大学にこだわり、結果、見事に、現在の1類、理学部に現役で合格したのである。彼女は、理科系が子供の頃より大好きだった。(小学校3年の時には、普通は高校、しかも、理科系志望の生徒が学習する数Ⅲを、既に,習得していた)
東京の大田区で、二LDK のマンションに一人住み、優雅な学生生活を謳歌しつつ、大学院を目指し、大学の勉強とホワイトホールの研究に、我を忘れる程に没頭していた。言いよる男性達をも無視して、学問の虫といわれる存在であるが、玲子の美貌には、同姓さえ魅了されるほどであり、しかも麗々しさと、優しさも兼ね備えていた。「天は二物を与えず」という諺を、見事に裏切った女性である。
(ここで簡単に触れておくと、ホワイトホール 『white hole』と は、ブラックホール解を時間反転させたアインシュタイン方程式の解で、一般相対性理論より導かれる議論であり、ブラックホールの反対の極にあるが、未だ、実証されてない理論であるらしい)
私の理解を、はるかに超えている天体物理学の世界である。
大学構内では、冷たい風が、あちこちに落ち葉を散乱させ始めた初秋、大学院の修士課程二年目、彼女、二十四歳の時だった。現在と違って、この当時は,今なら誰しも使用している携帯電話もなく、固定電話には留守番機能さえない時代だった。唯一、彼女に、一番早く、しかも確実に知らせる手段は、電報である。その電文は一行と短く、「チチキトク、ハヤクカエッテキナサイ」のみであった。
玲子は、日頃から欠かさず手入れをし、ガソリン補給の都度、手洗いの洗車と、ワックスがけをしてもらっている愛車の「ビートル」の通称でも知られる、千九百三十八年の生産開始以来、二千三年まで生産が続き、四輪自動車としては世界最多となる、生産台数「約二千百五十二万台」の大記録を打ち立てた伝説的大衆車を、ぶっ飛ばした。
出来たてホヤホヤの、千九百五十八年、 松永安左エ門の私設シンクタンク産業計画会議が、東京-神戸間高速自動車道の建設を政府に勧告し、千九百六十六年 、東京IC-静岡ICの建設工事に対し、世界銀行から1億ドルを融資してもらい、千九百六十八年、東京IC-厚木IC、富士IC-静岡IC、岡崎IC-小牧ICが開通し、小牧ICで名神高速道路と接続した。
東名、名神高速道路を、バタ、バタ、バタ、バタと空冷車特有の大きな騒音を響かせながら、西宮からは最高制限速度六十KM/ Hの阪神高速道路三号神戸線に合流した。車の少なかった当時でも、夕方五時過ぎには、かなりの交通量があった。阪神高速道路三号神戸線の深江を超えた頃から、追い越し車線を百二十km/Hで疾駆する玲子の後ろに、ナンバーすらハッキリと見える程に、僅かの車間距離しか置かずに、まるで、ビートルを操るのが美女であることに気付いているような運転だった。今で言えば、ストーカーのように執拗に迫る、ソレックスを搭載しているらしい、エンジン性能が格段に勝るモスグリーンのセリカリフトバックを、ルームミラーで確認すると、彼女は何故か背筋に大きな氷の塊を入れられたような、ゾクッとする奇異な恐怖心を抱いた。慌てて走行車線に進路変更すると、目の前に、制限速度に近いスピードで、ノロノロと運転している、鉄筋を満載した大型トレーラーを目にしたが、ブレーキをかける間もなく、一瞬で激突してしまった。豊満な胸に食い込み苦しいため、(今では義務なのだが、当時は『奨励』であった)シートベルトを着用していなかったので、彼女の体は、衝突で、細かなクモの巣状にひびの入ったフロントガラスを突き破って、車外に放り出された。大型トレーラーの頑丈な鋼鉄製の後部に頭を打ち付け、アスファルトの道路上をゴロ、ゴロ、ゴロ、ゴロ……と何回転もし、空を見上げた格好で、やっと止まった。運の悪いことに、後続の数台のトラックの太いタイヤに次々と轢かれ、救急車で病院に運ばれたものの、既に,心配停止状態の、見るからにおぞましい肉体を、医者達に晒しただけであった。
明白な自損事故であり、医師・歯科医師等が、死因究明のために解剖を施行して、死因を特定する作業はなかった。
酷い死体となった玲子は、今までの面影は既になく、顔の半分は、まるでザクロのように割れてなくなり、脳味噌は道路上に飛散し、着衣はボロボロとなって飛び散り、そのため上半身は裸同然で、内臓のほとんどは、四方八方に付着していた。鮮血にまみれた下半身も、左右の足はねじれ、白い骨を所々晒しながら、骨盤に辛うじてぶら下がっており、交通事故死を見慣れている医者ですら、目をそむけるほどの、惨たらしさである。
彼女の家まで、あと僅かの地点で、あの世に行ってしまった。
後日、友引を避けて執り行われた、お通夜式、告別式でも、遺体の損傷が激しいため、親戚、友達さえ、無垢材の天然である檜の木棺に、安置された怜子の顔を見せないのは、母親の娘への配慮である。その母親、二人の妹ですら、病院の霊安室で、全身覆われた白い布を開けて、玲子の無残な死体を、初めて見た時には、全員が気分を悪くし吐き気を催し、その場で嘔吐した程である。
母親は遺影を持ち霊柩車の助手席に乗り、親戚一同は葬儀社のバスで火葬場に着いて、斎場専属のお坊さんの読経に送られながら、炉に入れられ、高温の炎で焼かれている時、母親だけに「キャー、熱いわ、助けてー、死んでないのよー」と聞こえたような気がした。
昼食をはさんで二時間後、斎場の係員が、骨になった怜子の骨の部位を説明し、喉仏から順に皆で骨壷に収めた。十日間、家に骨壷を置いていたが、早くご先祖の眠るお墓に入れようと、父の容態が安定しているのを見計らって、骨壷をお墓に入れて頂くよう住職と打ち合わせをした。
墓守をしていただいているお寺の住職の、ありがたい読経を賜りながら、遺骨を先祖代々のお墓に納めた。
しかし、がんが膵臓周囲の血管におよんでおり,第二群のリンパ節転移があるIVb期で苦しんでいる瀕死の父を、病室で付き添っていても、何も出来ないのを溢れ出る涙を流して悔やみながらも、芯から眠れずに、うたた寝をしている母親は無論のこと、親戚縁者、友人達の枕元に、夜毎、醜い幽霊となって現れた。
半分になった血の滴る口から、微かに脳にこだまする、恨みらしい言葉を聞かされた続け、皆は睡眠不足に陥った。朝の太陽はとても眩しくて、まともに見ることができない位であり、一年間も悩まされ続けた末、中には精神に異常を来たして、訳の判らぬ戯言を言う人達。ヒステリックに暴れまわる人達が続出し、母親は藁をも縋る思いで、名のある密教系の僧侶にお願いし、長い間、祈祷してもらったが、玲子の怨念のほうが強いのか、一向に改善されることはなく、ただただ怯える夜が続くばかりである。
浮遊霊の玲子は、自分をこの様な二目と見られぬ姿にした男を、一年をかけて、いたぶり続けることにし、おぞましい復讐を、際限なく繰り返すことに、生きがい(?)を見出したのは、よほどの恨みを抱いていたのだろう。
父に現金で買ってもらったばかりの愛車に(勿論、汗水たらして稼いだ給料のほとんどを、毎月返済しているが)ウエーバー、OERをも検討したが、当時レース等で使われ、実績・ノウハウが豊富であり、しかも、セッティングが分り易いので、ソレックスに決めた。燃費、エンジンへの負荷の増大、オイルへの悪影響等を無視したのである。
わずかの期間で、常連となっている改造専用工場で、ソレックス四連キァブレターを、取り付けてもらい、初めて、西宮インターチエンジ近くの家から、兵庫県で、真鯛、タコ等の水揚げで有名な明石市にある、第二神明道路の終点の土山インターチエンジまで試運転のため、スピードメーターを振り切るほど、飛ばしていた。
ステアリングを握る革製のドライビング手袋の内側は、緊張のため、冷や汗でじっとりしていたが、気分は爽快そのものだった。のろい走りのワーゲンに追い付き、後ろから煽って車間距離を縮めると、多分、怖くなったのだろう、走行車線に車線を変更したので、更にスピードをアップし、冷や汗をかきながらも、邪魔な車を、蛇行しながら避けて運転した。
ビートルズのカセットを、大音量にしたBOSEのスピーカーで楽しみながら、ソレックスキャブを搭載した、心地よいエンジン音に酔い痴れていたのは、今年二十歳になったばかりの大学二回生、矢野 慶介であった。
須磨の月見山から始まる第二神明道路西の終点である土山インターチエンジで高速を降り、大型トラックも楽に駐車出来る、近くの、広い駐車場のある大衆レストランで、神経をすり減らしたためハラペコの彼は、大盛の焼き飯とラーメンセットをペロリと平らげ、更にギョウーザを三人前食べた。帰りは、名神高速道路の尼崎インターチエンジで高速と別れ、兵庫県尼崎市と宝塚市を南北に結ぶ、何時も込み合い、昼夜を問わず、三キロ進むのに約一時間を要する尼宝線をノロノロ北に進み、大阪国際航空の敷地の大半を擁する、現在では二十万人都市で、大阪、神戸のベッドタウンである伊丹市に、ようやく帰ってきた。冬には、カモを初め、多くの渡り鳥が飛来する昆陽池こやいけ近くの、三LDKマンションのTVで、彼は、初めて玲子の事故を知ったのである。
事故現場のTV中継に、肉片らしき赤黒い物体が、一瞬映り込んだような気がしたが、
(まさかTV局が、その様な映像を、お茶の間で寛いでいる人達の目に晒す筈はない)
と、自分の目の錯覚のせいにした。彼が毎月買い求めている男性雑誌を、ボンヤリと読みながら、今では民営化されている西日本高速道路株式会社の人たちが走行車線を封鎖し、後片付けをしている光景を背景にして、緊張と恐怖にひきつれた顔をして、シドロモドロになって原稿を棒読みしている、若い男性キャスターの生中継ニース番組を漫然と見終わった。
それとほぼ同時に、父が帰って来たので、今週一週間食事当番の彼は、昨日から仕込んであった、バイト先で覚えた特性カレーと、海藻がメインのゴマドレッシングをたっぷりかけたサラダを、食卓に並べだした。父と二人だけの食事は、ともすれば、暗くなりがちだと思われるだろうが、現在の田中角栄政権が、推し進めている日本列島改造論が描く、夢に満ち溢れた将来の経済の展望等を、何時ものように、議論し合うことで楽しい時を過ごしていた。
彼だけでなく、中堅の商事会社で、常務を拝命したばかりの父もそうであり、夕食後後、後片付けを終えると, プロケッズの薄茶色のスニーカーを履き、彼は何時もの居酒屋のバイト先へ、足音も軽やかに出かけて行ったのである。
当時の社会情勢を描くのは、団塊の世代にはノスタルジーに浸れ、若い人には、歴史の確認
(現代日本史の授業を思い出して下さい)にもなるだろうから、簡略に記述してみよう。
今日の経済社会と違い、昨日より今日、明日は、更に右肩上がりの高度経済成長の恩恵に浴し、誰もが未来の自分が、今より素晴らしい生活を享受出来ると、信じにたる薔薇色の時代であり、一億総中流階級を夢に描ける時代であった。
二年前の千九百七十年、第三次佐藤内閣が発足し、国産初の人工衛星、おおすみの打ち上げが成功した。彼自身も、四度も足を運んだ大阪国際万博が開催され、岡本太郎氏が製作した太陽の塔に何度も感心し、アメリカ館にある月の石をぜひ見ようとしたが、何時も三-五時間待ちであったので、結局、見ずじまいで、何故か今でも悔やまれてならない。
YODO号ハイジャック事件も起きた。
大ヒット曲の連発で、ポピュラー音楽の歴史を、塗り替え、「抱きしめたい」のシングル盤は、世界中で千二百万枚以上の売り上げがあり、歴代でも世界のトップクラスのセールスを記録した、ビートルズが解散した。彼も、後年読んだ「金閣寺」などで有名な文豪、三島 由紀夫氏が割腹自殺をし、世界に大きな衝撃を与えた時でもあった。私と同じ本籍地の兵庫県加古川市の加古川公会堂で、彼は、徴兵検査を受け、第2乙種合格となる。自著の「仮面の告白」に、加古川で徴兵検査を受けたのは、「田舎の隊で検査を受けた方がひ弱さが目立って、採られないですむかもしれない」という、父の入れ知恵だが、結局は合格し、召集令状を受け取ったものの、風邪をこじらせて、入隊検査ではねられ帰郷したとある。
千九百七十年十一月二十五日午前十一時頃、陸上自衛隊東部方面総監部の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問した総監の陸将と談話中、名刀「関の孫六」を益田総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取って籠城した。
三島自身が自衛官と、詰めかけたマスコミ陣に向けて三十分間演説することを要求して、バルコニーで自衛隊決起(=反乱)を促す演説をしたが、自衛官達からは「昼食の時間なのに食事ができない」と言う不満や、総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さ、さらには三島の演説への野次や報道ヘリコプターの音に、かき消されてわずか七分で切り上げた。総監室に戻り、「天皇陛下万歳」を三唱したのち、三島は恩賜煙草を吸い、上半身裸となり「ヤアッー!」と叫び自身の腹に短刀を突き立てた。有段者の古賀浩靖が一刃の元に首を刎ね、三島は臍下四センチほどの場所に刀を突き立て、左から右に向かって真一文字に約十三センチ、深さ約五センチにわたって切り裂いたため、腸が傷口から外に飛び出していた。さらに、舌を噛み切っていたらしい。
ノーベル文学賞候補にもなり、多方面で活躍した著名作家のクーデター呼びかけと割腹自殺は、
日本だけでなく世界中で注目を集め、種々の論議を巻き起こした。
一年前の千九百七十一年、ドルショックが起きており、そのメインは金ドル交換停止であり、これにより第二次世界大戦後の通貨の枠組みであった、ブレトン・ウッズ体制が崩壊し、世界を揺るがす経済政策の変更が、アメリカ合衆国大統領の独断で実施された。
今でも、美味しいカップヌードルが初めて発売され、特撮番組、仮面ライダーが放送開始された。三年後には、彼も良く通って、マイボール・マイシューズを使用したボーリングブームが起こっている。チギリ絵で有名な画家の山下 清氏、小説家の志賀 直哉氏が死去された。
この年、千九百七十二年、世界的にも稀な積雪都市として有名な札幌の交通環境を向上させた地下鉄開通や、地下街の建設、インフラ整備に多大な貢献をしたと評価されている、オリンピックの開催により、札幌の知名度が世界的に向上した。北米大陸では三菱自動車がその知名度の向上に着目し、「sapporo(日本名はギャランΛ《ラムダ》)」という名称の車種を売り出すなどの事例もあった。
この年、彼だけでなく皆をTVに釘付けにし、映画にもなった浅間山荘事件が起き、機動隊員が寒い中、食べたカップヌードルは、図らずも、大ヒットしたのである。
沖縄の返還に国民が沸き、刑事ドラマ(太陽にほえろ)、時代劇(必殺シリーズ)が放送開始された。
アメリカでは、ウオーターゲート事件が起き、パンダ二頭が上野動物園に来日し、連日多くの見物客で賑わい、ミュンヘンオリンピックが開催された。
日本列島改造論を打ち上げ、結果、金権政治を世に知らしめた、田中角栄内閣が発足した年でもある。
次に、矢野 慶介を紹介せねばなるまいが、彼には玲子の怨念の的が、自分でありながら、何ら警戒すらしていないのは、彼女の死の原因を、自身が握っていることに、全く気付いていないからである。彼女の死は、数あるTVニユースの中の一つで、もはや記憶の片隅にすらない。
加害者だという意識は当然なく、母を小学四年の時に胃癌で亡くし、父と二人だけの寂しい生活を送り、そんな悲しみにも、敢然と立ち向っている、勇ましい青年である。成績もずば抜けて良く、元総長で初代の基礎工学部長を務められた、正田建次郎博士が、昭和三十六年の基礎工学部創設にあたって、目指すところを「科学と技術の融合による科学技術の根本的な開発、それにより人類の真の文化を創造する学部」と主張した大阪大学。
マンションから通学可能な、国立大阪大学基礎工学部に、一年苦痛の浪人生活をしたものの、父と同じ大学に、学部こそ違え入れたのは、因縁めいた優性遺伝子の成せる意思を、微かに感じている。同時に父に対して、畏敬の念とコンプレクスを抱いているのは、多感な青春が彼に強いた一種の幼さであろう。そのことを、常に意識はしておらず、潜在意識の中で燻り続けていたが、傍から見ても、自分達同士も、仲の良い父子であると、信じて憚らない。
しかし、慶介には恋人と呼べる女性は居なかったので、暇な時間に、ほとんどのバイト仲間達が女友達、恋人の話を自慢げに声高で話すのを、只黙って聞くだけである。
常々、恋人と呼べる相手を心底渇望していたが、何故か、女性には全く縁がなく、何時も悔しい思いをしていた。イケメンで、しかも国立大学に通うスマートな彼なのに、あまり何もかも整いすぎて、却って女性に敬遠されるのだろうか?
矢野 慶介は、土、日を含め週四日、昔ながらの町屋風カウンター二十五席、掘り炬燵のテーブル席に、三十五名ゆったり坐れ、二階には、団体客専用で三十名まで収容可能な畳座敷が、四部屋ある、彼のマンションの近くでは比較的大きな居酒屋で、大粒の汗を流しながらアルバイトに励んでいる。調理担当と言えば聞こえは良いが、彼の仕事は、冬でも汗ふきタオルを欠かせない、焼き鳥を担当している。材料に樫を使い、きめが細かい良質な炭で、煙が出ず雑味が付かない備長炭の火力と格闘している。
近隣の店舗に負けない程、価格もリーゾナブルで、歓送迎会・宴会は飲み放題付で、土、日、祝日は二千五百円~、平日は二千円~、クーポン券持参の方には生ビール(中ジョッキ)一杯を百円で提供し、また、各種タウン誌、ホットペッパーにも店の紹介をする等して、彼のアルバイト先は、チョー繁盛している。
店の営業時間は、午後の五時から夜中二時までであるが、最近、彼の持ち場から、微かに見えるカウンター席に、月に一度の割合で真夜中の十二時頃、いつも一人で、最近女性達に人気のあるコラーゲンたっぷりの一人用モツ鍋を食べている、彼より年上らしい、うっとりしてしまう美形の女性に、恋心を抱いている自分を意識し出したのだ。
彼の初恋は、おく手のせいか、中学三年の時で、よくある話だが、胸をときめかして夢にまで現われる美し過ぎる女性は、彼より年上の二十四歳、鈴のような声の持ち主の、すらりとした体型の国語の独身美人教師であった。当然ながら、彼の一方的な恋が、成就することはなかったが。
夜中の土曜日三時頃、何時ものようにアルバイトを終えて帰宅する途中に、照明設備はわずかしかなく、木々が鬱蒼と茂り、まるで漆黒のお化けのように、僕を追いかけてくるような気がする、気味の悪い公園がある。
でも近道なので仕方なく、その夜も駆け足で、蕪村が詠んだ、去り行く秋に愛惜の念を持つという意味の「戸を叩く狸と秋を惜みけり」の俳句がぴったりする秋が、深まっていたのでベージュのダッフルコートを着込み、通り抜けようとした時、照明の真下で、例の年上らしい麗しい女性に偶然(?)出会った。
薄暗い照明に、浮き出たような彼女には、それまで気がつかなかった妖艶さのオーラさえ感じられる。どこから見ても非の打ちどころのない、完璧な大人の色香が、周囲にまで漂っている。
完全に、思考停止状態で、頭の中が真っ白で、ここがどこなのか、しばらくの間、把握出来ない程であった。
僕は、相当舞い上がりながらも、その胸のときめきを悟られないよう努力し
「こ、こ、こんな時間に、この公園で、どうかされたのですか?」
と、恐る恐る尋ねると、
「是非とも、直接、矢野さんにお会いして、お話がしたかったの。ああゴメンナサイ。私が先に自己紹介すべきだわね。私の名は、山下 玲子と申します。どうかよろしく。今大学院で、勉強している学生なの。年齢はいいわね。見ての通りだから」
潤んだ目で見詰められたので、うぶな僕は、ますます気が動転してしまった。辺りの静寂な空気を震わすほどに、心臓の鼓動が大きくなり、次に話す言葉は、自分でコントロール出来ない状態で、話す言葉は、完全にシドロモドロになっていた。声が上ずらないよう、二、三度咳払いをしたが、無駄だったようだ。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕が家に帰るのを、ここで待っていたのですか?」
「そうなの、どうしても貴方に真実を伝えたかったの」
彼女の声には、僕に対する憐憫の情と、僕の慾目だろうか、わずかばかりの愛情さえ、含まれていている様な気がする。すると今度は、僕には理由は分らないが、何故か、急に気の毒そうな顔つきになったのである。
「今夜はもう遅いから、明日の朝十時に、この場所でお会いしましょう。必ず、来て下さいね!」と告げると、夜目にも鮮やかなショキングピンクのセーターの彼女は、寒そうに背中を丸め、
小走りで近くに止めてあったワーゲンに乗り、エンジンを始動させると、すぐに慌てた様子で公
園を去って行った。微かに甘くて、ほんのりと芳しい香りを残して。
翌、日曜日の朝、眠い目を何度も何度もこすりながら、疲れきって熟睡している父を、起こさないように気を使いながら、物音をたてないように注意し,何時になく念入りに髭をそり、ジバンシーのアフターシェイブローションで、軽く髭をそりあとを叩く様にすると、まだ残っていた眠気は一気に飛んで行った。普段は使わない、香りの良い高級石鹸を洗面台の下の扉を開けて、包装紙から取り出し、豊かなシャボンで顔を何度も何度も丁寧に洗った。新品のオーデコロンを開封し、少しだけ全身に振りかけた。
チーズを乗せ軽く焼いたトーストに、一人用のサイフォンで落とした薫り高いキリマンジャロコーヒーを、一つひとつの花に職人の思い思いが込められていて、愛くるしさと風格がうまく共存している、ドイツ・マイセン地方で生産される磁器であり、西洋白磁の頂点にある名窯のマイセンのコーヒー茶碗でゆったりと味わった。
フワフワする雲の上にいるかのように、心は浮き浮きとし、去年の誕生日に、父にプレゼントしてもらった、金無垢のデイト(Date )と呼ばれ、三針式で、三時の位置に日付があり、風防に日付を拡大するためのレンズ(サイクロップレンズ)がついていて、文字盤にはダイヤを配した自慢のロレックスを誇らしげに見ると、もう約束の二十分前なので、慌てて朝食をすませた。
ノリのよく利いたシャツに、イタリー製でペイズリー柄の、淡いグリーン系のネクタイをキリリと結んで、未だ一回も袖を通していない、ミラノに第一号店をオープンし、パリ・コレでオートクチュールを手がけ、舞台衣装の製作などにも携わり、精力的に活動しているジャンニ・ヴェルサーチのデザインした濃紺のスーツを着込んだ。
四日前に理髪店で、きれいにカットしてもらった少し癖毛の頭髪を、香りの薄いリキッドで、サタリーマンの様に分け、櫛で細かく手入れした。(短めな髪は、バイト先の身だしなみマニュアルに忠実だからだ)
ヴェルサーチの黒光りする程に磨いた革製のポーチを、真っ白の不織布から出して、左腕に挟んだ。アルマーニがデザインした、黒の皮靴も顔が映るほど、丹念に磨き上げた靴を履いて出かけた。
徒歩で公園に行くと、彼女は既に来ていて、四人がけのベンチに、うつむき加減で右端に腰をかけていた。
高鳴る胸をなだめるように深呼吸をし、あえて平然を装って、
「おはよう。待たせたかなー」
と、言って左隣に、少し間をおき緊張して坐った。太陽がまぶしく反射している金色に輝く腕時計に、さり気なく目をやると、約束した十時の四分前である。多分、僕の顔は、左手上空に燦然と輝く太陽に負けないくらい、赤くなっているだろう。胸が苦しいほど、心臓の動悸が激しさを増し、かなり血圧も上昇しているに違いない。
でも、彼女は、まるで僕の激した感情を鎮静化させるように、長い間、沈黙を守ったままである。
すぐに僕の目を引いたのは、彼女の両方の手首にしている、オノキスと水晶をあしらった数珠だ。魔除け、邪念除けなのだろうか? 色白で、華奢な彼女の腕には、あまり似合っているとも思えないが。シンプルなプラチナのブレスレットの方が似合いそうなのに。
お互い沈黙のため気まずくなりかけた時、彼女は意を決したように立ち上がり、
「これから一緒に、ある場所を尋ねるから、私の車に同乗してね、貴方にはショックでしょうけど、許してね」
と、唐突に言った。何のことか、さっぱり分らなかったが、「はい」とだけ言い、水晶のキーホルダーや、数珠をデフォルメした飾りを車中に取り付けた、ワーゲンの助手席に乗った。
「私、今朝は何も食べていないから、よく通っている洒落た喫茶店で、モーニングを注文するから、付き合ってね」
特に反対する理由もないので彼女に従った。僕がこれまで一度も車で走った事もない県道を二十分ほど走行し、早くも、親子連れがひしめいている、大人八百円、子供五百円、九月末まで営業中と、サブロク看板をこれでもかと言うほど、あちこちに沢山設置している観光葡萄園を右折すると、百台以上駐車出来そうなアスファルト舗装されている駐車場の端に車を止めた。
もう十一時前なのに、キャデラック、ベンツ、ジャガー、プジョー、アストンマーチン、アウディー、BMW,ロールスロイス、ベントレー、等の高級外車も多く、日曜なのに仕事なのか、白いバンの社名入りの営業車も、駐車している。
それまでずっと無言のままだった、彼女は急に早口で、
「左の植え込みに咲いているバラは、古代ギリシア・ローマでは、愛の女神ヴィーナスと関係付けられ、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはこのバラを愛好し、ユリウス・カエサルを歓待した時も、多量のバラの花や、バラで精製した香油を使用したらしいわ」
と、説明した。
壁面には、五枚の緑色の花弁を持ち、小さな花をつけているツタの絡まる瀟洒しょうしゃな喫茶店を、焦げ茶色のカラン、カランと軽やかな音が鳴る扉を手前に開けると、ウエイトレスが、
「いらっしゃいませ。いつもの席は空いていますよ」
と、二階を指し示した。
常連なのだろう、ウエイトレスに軽く会釈をして、彼女はグレイっぽいタイトスカートの後ろを、黒のシャネルのバッグで押さえながら、先に、トントンと軽やかな足音を立てて二階に上がった。そこには、ゆったり座れるソファー席が二十以上あり、日当たりのよい窓際に腰を下ろすと、間もなく、胸元には、ピンク色の本物のバラをリボンの様にあしらって、紺の制服に身を包んだ、ショートカットで堀の深い顔立ちのロシア系らしいブロンドの美人が、トレイに氷の音を立てながら、コップを一つだけ白いガラスのテーブルに置いた。
「何時ものモーニングセットですね」
流暢な日本語を使って、笑顔で確認すると、階下に降りて行った。
なぜ僕の顔も見ずに、しかも、コップを1つだけ置いていったのだろう? サイフォンで落としたに違いない、微かに湯気の立ち上る、香りが非常に高く、繊細な味であるブルーマウンテンのあまずっぱいコーヒーを、なみなみと入れた、可憐な花弁をデフォルメして描いたブルーを基調にした、多分、名のある陶工が創ったと思われるカップ。サンドイッチの横に、未だ熱そうな殻付きゆで卵、スライスしたメロン、レタス、キャベツ、赤いミニトマトをあしらった、モーニングセットを一つだけ置いて,
「ごゆっくりどうぞ」
と言うや、紺のフレアーのマイクロミニスカートを翻して立ち去った。
彼女の差し出したサンドイッチを、遠慮なく口に運ぼうとしたが、手はどうしてもサンドイッチを掴めず、よく見ると、僕の手は半透明になりかかっている。
気の毒そうな顔をし、小声で、僕の目をしっかり見つめ、彼女は、次のようなショッキングな話をしだした。
「貴方は、微かに意識の片隅では気付いているでしょうけれど、この世には、正しい意味ではもう存在していないのよ。生前見知っている人達には貴方の霊は見えるけれど。知らない人には、余程の霊感の持ち主でないと、見えないわ。つまり、貴方は、自身の突然の死を受け入れられずに、自分の身に降りかかった災難を、この私に、すり替えたの。でもねー、もう貴方の肉体は限界なのよ。徐々に醜くなっていく姿を、もうこれ以上知っている人とはいえ、貴方の姿を晒し者にはしたくはないの。私の気持ちも察してほしい。これから、その証拠を、一緒に確認しに行くから付いてきてね」
右隣りは空席であったが、左隣のソファーに腰掛けている気品ある五十歳前後の夫婦らしき二人は、彼女が、まるで独り言を呟いているかのような姿に、互いの顔を見合わせては、チラチラと奇異な視線を送ってきた。
話すだけ話すと、彼女は冷えたモーニングセットを早々に食し、再び二人はワーゲンに乗り込んだ。ワーゲンの運転席で無言のままの彼女が、目に涙をためている横顔を、見てはいけないと思いつつ、チラッと見てしまった。次に、僕達の乗った車が、約一時間かけて到着したのは、広大な、どこか見覚えがあるお寺であった。
よく観察すると、そこは、春分、お盆、秋分、母の命日しか参らない、僕達のご先祖様をお祭しているお墓のあるお寺だ。親鸞を宗祖とし、東本願寺に本山を持つ浄土真宗の寺院の一つで、多くの檀家を持ち、立て替えたばかりの以前は、木造建築であったが、建築基準法や消防法の規定上、鉄筋コンクリート造で、内部には、五十畳以上の正面には、現世をあまねく照らす光の仏と言われている、県指定重要文化財である阿弥陀様をお祭りしている。更に、僧衆が居住する大きな平屋建ての僧坊もある。
(何故、こんな場所に連れて来たのかなあー)
と、訝っていると、彼女は僕をお墓に誘導し、
「先祖代々と彫られた、墓石の横に、真新しく彫られた名前と享年をよく見てね。でも気丈にしていてね。決して、混乱しないで。お願い」
と、言う彼女の言葉には、深い憐憫の情を内に秘めた雰囲気を、漂わせている。
まだ、さっぱり彼女の意図をはかりかねたので、彼女に聞こうとしたが、どうしたことか、言おうとしている言葉が口から出てこない。更に、深い霧の中をさすらう旅人のように、目標を見失って、同じところを何度も何度も通り過ぎているかのような焦燥感が、僕の全身を包み込んでいるようだ。時が経つごとに、霞んだ深山幽谷の中にいるように、ぼんやりとしか、辺りが見えなくなってきている。突然、視力がガクンと下がったのだろうか? 常識で考えれば、そのようなことが起こるはずはない。だとすれば、一時的な、「霞み目」になったのかなー。おやー、それらの代償作用なのだろうか? 嗅覚だけが、やたら鋭敏になってきたようだ。
愛らしい菊を主体にした可憐な花束の、得も言われぬ極楽浄土の香りを嗅ぎ、大好物の牡丹餅が二つ、真新しい白いお皿に入れて、供えてられているらしいので、思わず「ゴクリ」と喉の奥で鳴ったような気がする。
対になっている線香立てには、半分燃え尽きてはいるものの、夢心地に誘うような芳しい香りが、辺り一面たちこめて、僕の心が更に和んでくる。
お盆はとっくに過ぎているのに、タコ入道の様な頭で、背が高く筋骨隆々の、一見すると厳ついけれど、心根は優しい住職が書いたのであろう、墨の香りがまだ残っている、達筆で真新しい二本の卒塔婆に、心安らぐ思いと、喜びの感情が身内から湧き出してくるのは、どうしてなのだろう?
彼女の誘導で、お墓の横側をぼんやりと霞んだ目で見ると、そこには、僕の父、矢野 一郎 享年五十一歳、矢野 慶介 享年二十歳と二人の名前と、亡くなった年齢が彫られていたのである。
それが何を意味しているのか? 益々、朦朧としてきた僕の頭脳では、まるで理解できない。
すると、彼女は、今まで以上に気の毒そうな素振りを見せ、可憐で優しい涙を流しながら、同時に時々、小さくて、可愛い嗚咽を漏らしながら、ゆっくりとした口調で、次のような真実を語り始めたのである。
「半年以上前に、モスグリーンのセリカリフトバックを運転し、阪神高速道路神戸線を次々と前方の邪魔な車を避けて、ビートルズの英国におけるデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のカセットをウーハーで楽しみながら、免許取り立てで経験が浅いにもかかわらず、蛇行運転を繰り返して、制限速度をはるかに超えて飛ばしていた貴方は……。
西宮から最高制限速度六十KM/ Hの阪神高速道路で追い越し車線を百二十km/Hで疾駆していたわ。音楽に気を取られていたのか、あるいは脇見をしていたのかしら。鉄筋を満載した大型トレーラーを一瞬目にしたものの、ブレーキをかける間もなく、後ろの鋼鉄シャーシにもろに激突し、シートベルトを着用していなかったため、フロントガラスを突き破って車外に放り出されたの。
更に、運の悪いことに、後続の数台のトラックに次々轢かれたわ。自分でも突然の死を迎えたため、その後も浮幽霊となっていたのよ、今の今まで。そして、自分の受けた信じられない不幸を、私にすり替えたのよ、貴方は。
だから、予想していなかったタイミングで、突然の死を迎えたあなたは、本来なら、成仏できないために阪神高速道路の事故のあった場所近くで、自縛霊として留まっている筈なの。
そう、貴方の霊が、自身が行くべき世界のことについて、頑なに心底から否定したのよ。
あなたの顕在意識だけが、最後にいた場所に立ちつくしたままになり、客観的に見れば、すでに死んでいるのにもかかわらず……。それ以上動くことが出来なくなってしまっていたのよ。
だから、あなたは、本来は自縛霊にならなければいけないの。
でも、貴方は、今まで大事に育てて頂いたお父さんを、悲しませたくない思いで、かってそうであったような仲の良い親子関係を、ある意味では演じ続ける優しい気持から、浮遊霊としてこの世に留まり、大学にも通い、アルバイトにも精を出し、お父様に食事も提供していたわ。
でもねー、浮幽霊でいるのも、もう限界に近くなってきたのよ。
先程、喫茶店で私が噛んで含める様に、訴えたお話を覚えているわよね。
貴方も、薄々感じはじめているでしょう?
そう、お父さんの顔色や、立ち居振る舞いに、何処か、今までと微かに違っている違和感を、肌で実感してきたでしょう? 大学やマンション、アルバイト先のお店等の人々が、生きている時とは全く異なる、恐怖に慄く表情を見せるのを。
喫茶店で告げたように、私は、もう貴方の惨めな姿を他の人達に見たくないもの。分ってくださるわねー。もう少し、早く、貴方に出会っていれば、きっと私の純粋な恋心を捧げていたのに違いないと、思うと心の底から悔やまれてしょうがないわ。でもね、過ぎ去った過去をどうしょうもないのは、分っているわ。過去に帰れるなら、そうしたい。
ごめんなさい。泣いてばかりで。
先に行って、あの世で、待っていてね。あたしも、すぐにあなたを追いかけるわ。約束ね!
浮幽霊となった時から、慶介君が経験してきた事柄は全て、自分自身の真実の姿を、認めたくなかったのに過ぎなかったの。その後、怜子ちゃんがどのような行動をしたのかは、ご想像に任せることにするわ。
あたしよ、覚えている? うそー。ほんとは、もう忘れてしまっていたでしょう?
このお話の最初に、あなたに語っていたのを覚えているでしょう? あたしは、山下 玲子を、背後で守る守護霊なの。約四百年前から五百年前に他界した、古い祖先の霊が、守護霊となるとよく言われているのに、死んで未だ四十九年しか経過していないあたしなのに……。
きっと、神様が、出来のいいあたしを凄く気にいってくださったのに違いない、と思うわ。
オジサンに書いてもらったお話は、全て本当なのよ。所々に、結末を推理できる「伏線」を表わした個所があったけれど、気がついたかしら?
女の幸せは、身も心も、脇目も振らずに捧げられる素晴らしいパートナーに巡り合えることなの。その意味では、山下 玲子を可哀そうだと思うのは、あたしが、彼女の守護霊だからではないと断言できるわ。きっと、あなただってそう感じているはずよ。
無理に強要するお話ではないわね。
この実話を、最後まで読んで下さった皆さんには、心よりお礼を申し上げます。
ありがとう。
これで、矢野 慶介君が、真実を素直に受け入れて、成仏出来ると、あたしは信じています。
それでは、あたしは霊界に帰って、更に修行を重ね守護霊として、神様にまた指名されるよう頑張るわね。さようなら。あなたも、お気をつけてね。特に、自動車の運転には。
自動車学校で基本を身につけても、応用、つまり、実践の積み重ねが大事よ。あたしからの最後の忠告。
ではまた、どこかで、お会いしましょう。
でも、あなたに霊能力がなければ、あたしの姿には気付かないでしょうけれど。
――完――
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