もしかしたら居たかもしれない、一匹の喰種のお話。
多少設定はあるので、気が向いたら連載化するかもしれません。
喰種調書 対象:モドキ
性別:男 年齢:推定二十代 身長:170~80
赫子:鱗赫 レート:A~
最初に姿が目撃されたのが、第十二区。
上半身を覆う赫子から、当初赫者かその発展途中の半赫者と目されていたが、単に赫子を薄く引き伸ばして纏っていたものと判明。
装甲は薄く、赫子も鱗赫であるので見た目以上に脆い。
更に、纏った赫子を伸ばして攻撃することが出来ないと推測される。
本物の赫者程の脅威はないと思われるが、上等捜査官一名をはじめ、複数の下位捜査官が犠牲になっているので要警戒。
偽赫者という印象から、付けられた名称は"モドキ"
また、赫者とは違った珍しい赫子であるため、ラボから赫包の早期提供要請がきている。
近々、討伐隊を派遣予定。
「──彼なんかいいんじゃないかな?」
喰種調書を眺めながら、全身を包帯で覆った男とも女とも判別つかないナニカが愉快そうに笑う。
CCGの機密資料である筈だが、この者がどうやって手に入れたかは知る由もない。
「好きにしろ。使えるならそれでいい。使えなければ捨て置けばいい」
薄暗い部屋の中、白髪で長身の男が答える。
"いやいや、選り好みできる状況じゃないでしょ"とナニカが突っ込むも、男は取り合わない。
この二人が所属する喰種の大組織──アオギリの樹の本部は、CCGの大規模な襲撃を受けた。
幹部も何名かやられ、残っていた喰種はほぼ壊滅。
同時にコクリアを襲撃して強力な喰種をスカウトしたが、それでも元が取れたとは言い難い。
最も、幹部の中でも中枢に在る筈の二人はそれほど気にしていないようだが。
「お遊戯は上手そう!」
ケタケタ笑いながら、まだ見ぬ男を品定めするナニカ。
「あまり遊び過ぎるなよ」
これ以上付き合う必要はないと、それだけ言い残して男は部屋を出て行った。
職業柄というか、言葉遊びが大好きなナニカは意味のあるような無いような台詞で周囲を引っ掻き回す。
まともに受け取っても、ろくなことにはならない。
「じゃあ、私も寄り道だ」
鼻歌混じりのご機嫌な足取りで、コンクリートの地面をぺたぺたと子供の様に走っていく。
まるで全てがシナリオ通りの茶番だと言わんばかりに。
ナニカは笑う。
哂う。
嗤う。
◆
「──クソが」
東京が第九区の路地裏。
滴る血のような紅い両目を爛々と輝かせる中肉中背の男が、満身創痍でへたりこんでいた。
全身いたる所に裂傷と風穴を開けて、普通の人間ならとっくに死んでいるような状態である。
だが、この男は人間ではなく喰種だった。
人を喰らい、人間離れした怪力と、赫子という捕食器官をもつ食物連鎖の頂点。
とはいえ、現実は数の差と文明の力で日陰に追いやられている始末。
ボロボロになっているこの男が良い例だ。
食い場争いや喰種捜査官との小競り合いが積み重なり、日々消耗していく身体。
もはや、限界だった。
「治りが遅ぇ……肉も食いそびれちまったし、ふんだりけったりだチクショウッ!」
この男──白田栄座(シラタ エイザ)は、最近地方から上京してきた喰種だった。
東京以外では喰種はまともに生きられないとされるが、エイザ等のグループは暴力団と癒着し、安定した肉の供給や住居と引き換えに殺しなどの裏稼業を引き受けていた。
エイザの赫子は貧弱で、喰種としての力はかなり弱い方だったが、地方喰種の数自体が少ないので皆結束する傾向にあったために争いは少なかった。
しかし、その生活も長くは続かなかった。
人間と協力を結ぶようになって数年経ったある日、エイザ等の前に一匹の喰種が現れた。
純粋な日本産まれというには堀の深い顔立ちと、ただ立っているだけで感じられる尋常じゃない気迫。
鋭い嗅覚を持つ喰種だからこそ分かる、濃密な同種の血の臭い。
一目でまともじゃないと分かった。
"どうやら、ここは滓溜まりだったみたいだね"
そう一言呟くと、次の瞬間には一人目の仲間の首が飛んだ。
呆気にとられていると、二つ三つと仲間だったモノの首が宙を舞う。
恐怖と驚愕のあまり、戦う事も逃げる事もできずに腰を抜かして目の前の光景を焼き付けていた当時のエイザ。
その男がヒートアップするに連れ、全身を覆うように肥大化していく赫子。
それは一部の共食いを繰り返す狂人が至るという、赫者という形態だった。
同じ喰種と比べても、正に怪物と形容するに相応しい。
結果、自分だけ残して仲間は全滅。
──されど、エイザはこの時、男に対して憧れのようなものを抱いてしまった。
せせこましく人間とつるんで生きている自分と違い、この男には圧倒的な力があった。
余裕綽々の笑みで自由気ままに殺して、犯して、奪って。
そんな"特別"なヒトに、エイザはどうしようもなく焦がれてしまった。
目の前の惨劇をどんな顔して見つめていたのかは分からないが、エイザ自身の人生観すら変える光景だったのはよく覚えていた。
こうしてエイザだけ気紛れで残されたのも、自分も将来同じような怪物になる運命だからだと都合よく解釈して、散らばった仲間の屍肉を喰らった。
食えたものじゃないが、天災に等しいあの男に少しでも近づくには、仲間だろうが喰らわなければならない。
その後、地元を離れて上京していく過程で共食いを繰り返しながら、数か月前に東京へやってきた。
赫包も少し増え、全く役立つ気配のなかった赫子も使い物になるくらいには強くなった。
遠距離まで伸縮させて攻撃するのは不得手だったが、あの日みた赫者の男のように纏うことはできた。
マスク代わりに赫子で顔を隠し、腕や胴に巻きつけて補強する。
接近戦では鋭利な凶器となった腕で相手を切り裂き、頑強になった身体で攻撃を凌ぐ。
地方の喰種程度なら複数人束になられても負けなくなった。
だが、東京に来てみればどうだ。
そこら中に同種の臭いが充満し、食い場では喧嘩慣れした喰種にしょっちゅう遭遇する。
しかも一体一体が強い。
それだけではなく、東京にはCCG──通称白鳩と呼ばれる対喰種の総本山があり、あちこちで喰種捜査官が徒党を組んで喰種を駆逐している。
クインケと呼ばれる駆逐した喰種の赫子を箱に収めて武器化したものを使ってくるので、普通の刃物じゃ傷一つつかない喰種といえど、複数の捜査官を相手にすれば死は避けられない。
エイザのような共食いを率先して行い、気性の荒い喰種はすぐに目を付けられた。
きっかけは上等捜査官と、随伴していた下位捜査官の殺害。
苦戦はしたが、何とか勝利をもぎ取ったエイザは調子に乗っていた。
"俺も特別な側に足を踏み入れた"、と。
そして、すぐに自惚れであったことに気付かされた。
次に投入された捜査官は準特等をはじめとしたベテランを固めた構成であり、間違ってもエイザのような半端に強い程度の喰種一体でどうにかなる相手ではなかった。
人間の強みは、その数と知恵にある。
遠距離から羽赫のクインケが降り注ぎ、二の足を踏んでいると本命の甲赫や鱗赫の重く鋭い一撃が飛んでくる。
ベテランの連携を前では、エイザがまともに攻勢に出ることすら叶わなかった。
なんとか隙をついて下位操作官を二人殺したが、逆に仲間を殺され憤怒に燃える人間側の攻撃を勢いづけただけだった。
どうにか逃げおおせて路地裏に隠れたものの、満身創痍の死に体ではこれ以上逃げることもできず、見つかるのも時間の問題だろう。
「クソ……クソがッ! 俺じゃ……あの人みたいに、"特別"な側にはなれないのか……?」
エイザという男はどこまでも俗物的な喰種だった。
知らないでいるうちは何ともなかったが、いざ大きな力を目前にしたら、途端にそれが欲しくなった。
現実を知らぬ子供のように、素直に、純粋に、自分の気紛れで世界をどうにかできるような力に憧れた。
人を従え、喰種を従え、王様のように崇められるビジョンを夢見て行動した。
そうは言っても、エイザにはあの赫者の男程の才能は無かった。
無論、まだ強くなる余地は幾らかあるだろう。
けれど、才能には限界があることをエイザ自身が強く自覚していた。
共食いや捜査官殺しで自分に酔うことで誤魔化したが、そのツケが今こうしてエイザに突き付けられていた。
自分が並の域を出ない、ただの有象無象であることなど百も承知だった。
「なりてぇ……俺も……特別に……!」
気力を振り絞って立ち上がるエイザ。
追手が来る前に、まずは補給しなければならない。
この際、多少目立とうが構いしない。
──そう思って動き出そうとした矢先。
「これ、食べる?」
「……あ?」
気づけば、エイザの前に全身を包帯で巻いた子供くらいのナニカが立っていた。
いったい、何時からそこにいたのか。
そんな事を考える前に、エイザが培ってきた喰種としての勘が大きく警告した。
──コイツは危険だ、と
人とも喰種とも違う奇妙で濃すぎる匂い。
その本質が意味するのは、"死"だ。
死神が服を着て歩いているといっても過言ではなかった。
もしかすると、あの赫者の男以上の存在かもしれない。
エイザの姿をまじまじ眺めていたナニカは、痺れを切らしたのか手に持っている赤黒い塊を無理矢理押し付けた。
押し付けられたものが人肉である事は分かっていたが、相手が相手だけに警戒を緩めないエイザ。
「そんな心配しなくても、毒なんて入ってないし」
"取れたて、もぎたてのフレッシュビーフ"とほざくナニカを尻目に、肉の匂いを嗅ぐ。
食欲をかきたてる良い香りだった。
消耗している現状なら、堪える方が辛いほど。
もうどうにでもなれと、与えられた肉を貪るエイザ。
口の中いっぱいに新鮮な血肉が充満して、生の実感と幸福感が溢れだす。
「人間、それも準特等のお味はいかが?」
ナニカが、いたずらっぽく言う。
「準特等……? ……まぁいい。お前はなんなんだよ」
少し気になったが、それよりも目の前のナニカが何者であるのかを問うのが先だった。
あくまでも強気な姿勢で、口調で、ナニカに問う。
「あなた、臆病なのに強がりさんだね。むしろ、恐いからそうやって吠えるのかなぁ?」
ケタケタ、ニマニマ。
見透かされたように嘲笑われるエイザ。
言い返そうにも事実である以上、反論するだけ一層惨めな気持ちになる。
堪えるしかなかった。
「──私はエト。アオギリの樹っていう組織なんだけど知ってるかな? そこで、幹部……うん、幹部をやってます!」
「アオギリ……」
東京にきて一年経たないが、アオギリの噂はエイザもよく耳にしていた。
数多くの強力な喰種を束ね、日本の喰種の中で最も大きい組織だということ。
そしてついこの間、CCGに大襲撃を受けるも、その間にコクリアを襲撃してSからSS級の喰種を何体もスカウトしたとか。
そのアオギリの幹部が自分になんの用向きかと、思案するエイザ。
もしかしたら、自分が殺した喰種に仲間がいて仇討にきたのかもしれないと、まだ痛む身体に鞭打っていつでも迎撃できる体勢をとる。
「うんうん、君のその臆病さは生き抜くための武器でもあるんだね。でも、安心してよ。私はあなたをスカウトしにきただけだから」
エトと名乗った自称アオギリの幹部は、エイザを自陣に招きたいという。
確かに仇討なら、肉を与えたりこうして対話を試みるなんてまどろっこしい真似はしないだろう。
だが、疑問に思う所はあった。
「……俺をスカウト? わざわざ、アオギリの幹部が赴いてまでこの俺を?」
「そうそう! こないだの戦いで大勢死んじゃったからさ。強い喰種はいくらでも大歓迎ってワケ」
強い喰種、と言われて嬉しくないと言えば嘘になるが、手離しで喜べる程エイザは本心から自惚れているわけではなかった。
エイザは並よりは強いかもしれないが、S級に届くかと言われれば否だ。
珍しい赫子で悪目立ちした分、見かけ倒しというレッテルがいつも付き纏っていた。
「それに今なら、幹部の椅子が空いてるよん」
「幹部だと……? おい、いくら俺が馬鹿でも、そんなんで騙せるとでも思ってるのか?」
その辺に幾らでもいるゴロツキの喰種を、大組織の幹部の椅子へ添える。
少し知恵のある者なら、裏があると勘繰って当然だろう。
「ほんとだって! まぁタタラさん……うちの参謀にお目通りしないとだけど、裁量は私に任されてるから安心してくれたまえよ。あなた、喰種を率いてたことはある?」
「……殆どねぇよ」
「じゃあ、合格」
「なんでだ!?」
「ほんの少しでもあるなら十分だよ。うちには強い人多いけど、皆自分勝手だからねー。あなたみたいにまともっぽい人も欲しいなーって!」
"私もまともではないけどね!"と付け加えるエト。
本当にアオギリの幹部なのかと疑わしくなってきたが……。
「──悪い提案じゃないし、そもそもあなたには拒否権はないの。私の提案に乗れば、あなたが欲しいと思っているモノは全部手に入る。乗らなかったら、遅かれ早かれあなたは死ぬ。私以外の手によってね」
雰囲気が変わる。
おちゃらけた態度からうってかわり、エイザを脅すように追い詰める。
「欲しいんでしょ。力とか、地位とか、名誉とか。いいよ、全部あげる。私がお膳立てした椅子に座って、ご馳走を喰らって、召使を侍らせれば、きっとあなたもご機嫌になれる」
拒否権はないと脅しながら、素直に応じた時の飴をイヤになるほど露骨にチラつかせるエト。
しかも、その飴玉は地面に転がされて汚れきったものだ。
もはや拾うのは屈辱の域だったが……。
「……俺は大組織の幹部になれる程の力はない」
エイザはその飴玉さえ欲する程に飢える餓鬼であった。
見せかけでも、はったりでも、"特別"になれるなら何でも良かった。
「そうかなぁ? 準特等率いるベテラン捜査官を皆殺しにした"S級"喰種のモドキなら、十分だと思うけど」
「ッ!?」
──違う、殺したのは間違いなくエトだ。
それを分かった上で、エトは"お膳立て"だと称したのだ。
襲ってきた捜査官を本当に皆殺しにしたのなら、S級認定は確実だろう。
"もう殺したという事実は覆らないぞ"と、エトの窪んだ眼窩がそう訴えかけているように感じた。
エイザが生き残るにはエトの提案を呑むしかない。
だから、これは仕方ないことなのだと自分に言い聞かせる。
「────分かった。俺は今日からアオギリの幹部、S級喰種"エイザ"だ」
かっこ悪いと罵られても構わない。
才能のない己が特別になるには、なりふりなんか気にしてられない。
あぁ、名乗ってしまえばなんと心地の良い肩書だろう。
発した口から、舌から、欲望まみれのテッペンまで麻薬のような快楽で狂わせる。
「おぉ、なんか貫録あるねぇ。じゃあ改めて歓迎するよ、エイザさん」
「あぁ」
──こうして、一匹の凡庸な喰種がアオギリに加わった。
彼には世界を変える力もなければ、運命を切り開く要素も持ち合わせていない。
ただただ、物語の端っこを彩るだけの飾り道具。
"特別"を求めて、どこまでも貪欲に地を這う惨めで哀れな男。
それでも、間違いなく、一匹の喰種はそこに生きていた。