雨上がりの先に、虹が架かるように。絶望の先にも、希望はあると思いたい――。
キーワード:雨上がり、虹
登場キャラクター:日向創、七海千秋
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雨上がりの後には

 深い深い眠りの底から、意識が覚醒へと向かう。長い長い夢を見ていたような気がする。リゾート地として有名なジャバウォック島への修学旅行。超高校級の肩書きを持つ生徒たち。唐突に始まったものだけど、楽しいものになるはずだった。しかし、たった一人の招かれざる者によって悪夢へと変わってしまった。

 そうだ、これは夢なんだ――。わずかなまぶたの隙間から、白い光が差し込む。目を覚ませば、その悪夢とはおさらばできる。そして、また楽しい修学旅行を満喫できるんだ。そう希望を胸に、俺は目を覚ました。

 最初に視界に映ったのは、初日から各人に用意された部屋の天井だった。見慣れた、もしくはもう見たくはないと思うもの。こんなとき、知らない天井だなんて言うのは、漫画かアニメの世界だけなんだろうなって思う。

 ずいぶんと長く眠っていたのだろう、なんだか無性に身体が硬く感じた。天井に向けてグィーッと手を伸ばす。開かれた指の間から天井が切り取られた写真のように見えた。一度脱力してから、ゆっくりと上半身を起き上がらせる。かけていた薄い掛け布団がお腹の上からするりと落ちた。辺りをきょろきょろと眺めてみる。自分以外に、人気は感じられない。個人部屋にしては広いと感じさせる。でも、ほとんど初日にドアを開いたときとなんら変わった様子はない。仲間たちと楽しく過ごして、希望のカケラを集める毎日だったらもう少し違ったかもしれないけれど。そう、これが現実。――悪夢という名の現実。

 部屋の中は物静かだけど、窓の外からはザーッザーッという雨の降る音が聞こえていた。灰色がかった雨雲が空一面を覆っていて、雨が叩きつけるように降っている。窓ガラスに当たってバシバシと音を立てている。

 小さく息を吐いて、ベッドから降りる。窓際まで歩いていき、外を覗いてみる。リゾート地ということもあり、色鮮やかな花が植えられているけれど、今は無慈悲にも雨に叩かれている。小さな川ができるほどの雨量。力なく首をもたげてしまった花は、水の中に顔を沈めている。プツプツと剥がれた花びらが流れていく。こうやって見ると、魚が泳いでいるみたいだ。そんなことを考えていると、不意にドアをノックする軽音が聞こえた。

 こんなときに、いったい誰なんだ――。今の状況からして、誰が来てもおかしくはない。結局誰なのかわからないまま「今開けるよ」と、声をかけて、ドアの鍵を開けた。

「えっと……今お邪魔だったりするかな?」すっぽりと頭にパーカーのフードを被っている少女が一人、ドアの先に立っていた。七海千秋だった。

「いや、大丈夫だけど」と、言ったところで、彼女が被ったフードの上から雨で濡れていることに気がついた。どうやら傘も差さずに、この雨の中をフード一つでしのいで来たようだ。常備されていなかったとはいえ、一本くらい買い込んでいると思っていた。それはそうと、このまま彼女を立たせたままにするのはまずい。風邪を引く恐れもある。「なにか話しがあるのかはどうとして、まずは入ったらどうだ? タオルくらい貸すからさ」

「うん。……ありがとう」そう言って微笑を浮かべた七海は、お邪魔します、と部屋に上がった。男の部屋に入るだなんて初めてなのかもしれない。殺風景な部屋の様子をキョロキョロと物珍しいものを見るかのようにしていた。俺はタンスの引き出しを引いて、中からタオルを取り出し、それをまだ部屋中に視線を彷徨わせている七海の頭にポンッと置いた。

「あぅ……」頭に置かれたタオルに両手を添える。「……ありがとう」お礼をつぶやいて、七海はぐしぐしと頭の水滴をぬぐった。

 落ち着いたところで、俺はなにか用があって来たのか、と七海に尋ねた。七海は一度小首を傾げてから「なんでだっけ、かな……」と、とぼけるように言った。

「用がないと、来ちゃいけなかった……?」

「いや、別にそんなことはないけど」

「……でしょ? 用はないけど、来ちゃった」

 まあ、来るのは自由だし、文句は言わない。だけど、話すことなんてあまりないし。空元気に明るい話題を出そうにも、今の状況下では少々無理がある。したらしたで、空気の読めない男と思われるかもしれないからやめた。

 二人、無言のままベッドに腰掛けている。横目でチラリッと七海を見ると、ブラーンッブラーンッと足をぶらつかせている。暇なのだろう。普段なら場所に関わらずゲームに熱視線を向けていたのに。流石に“超高校級のゲーマー”であっても、他人の部屋に来て早々に一人ゲームを始めるというほど礼儀知らずではないようだ。

「暇だな」と、俺が言うと「うん。……暇だね」と、七海が答えた。「いつもならゲームしているのに?」と、俺が尋ねると「積みゲー、全部クリアしちゃったから……。……新しいの買いたいけど、この雨だから行けないんだ」と、七海は肩を落とした。非常に残念そうだ。

「雨が降ってなかったらゲーム買いに行ってたのか?」

「うん、買いに行ってた……かもしれない」天井を眺め見るようにして言った。でも、すぐに「あ、雨が降ったから日向くんのところに来たんだ……と思うよ」と、言葉を続けた。

 雨が降ったから、ていうのはどういう意味なんだろうか。俺が尋ねると、七海は口元に指を添えるといった考える仕草を見せて「えー……と、日向くん……雨は好き?」と、質問で返された。質問を質問で返すなよ、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。隣に座る七海が、珍しく真剣な顔をして見つめていたからだ。

 俺はしばし逡巡してから「前は好きとか嫌いとかはなかったけど――」一度言葉を切って「――今は嫌いだ。雨ってすべてを洗い流してくれる感じがするけど、決してそうじゃないんだよな。今だってこの悪夢のような現実をきれいさっぱり洗い流してくれればって……」弱音をこぼすように言葉を並べていく。いや、きっとこれは弱音なんだ。

 また新しい殺人が起きるんじゃないかっていう――不安。

 このまま、誰一人として外に出られないんじゃないかっていう――絶望。

 七海はそんな俺の弱音をなにも言わず、黙って聞いていた。情けないとか、男らしくないとかって思ってるのだろうか。

「うん……そうだね。私も、嫌いだな」と、予想とは反して共感してくれた。「雨が降った日には髪に変なクセがつくし、日向ぼっこしながらゲームできないし、洗濯物が干せないし」

「い、いや……そういうことじゃなくて」

「うん……わかってる」

 本当にわかってるのだろうか。髪については女の子らしいし、ゲームについては七海らしいと言える。だけど、最後の洗濯物うんぬんについては普段の彼女の姿を見る限り、とてもイメージできない。

「本当、こんな悪夢……流れちゃえばいいのにね」

「そうだな……」

「黒ってさ……なんだか“絶望”って色だよね」

「そうだな……。そう考えると、やっぱり雨って大嫌いだな。なら、“希望”の色ってなんだろうな。対極の白とか?」

「うー……ん、私は違うと思う……かな」

「白じゃなきゃ、何色だと思うんだ、七海は?」

 七海が座っていたベッドから立ち上がり、窓際へとトテトテと歩いていく。訝しむ俺だったけれど、彼女の後を追った。窓から外を覗くと、いつの間にか、叩きつけるようにして降っていた雨が止んでいた。ゆっくりと黒い雨雲が風に流されていく。その切れ間から、隠れていた太陽の日差しが光の柱のように差し込んでいた。雲が晴れると、上には青空が広がっていた。

俺たちはその様子を黙って眺めていた。まるで“絶望”を“希望”が晴らしているような光景に見えた。俺たちにも、それができるのだろうか。この雲ひとつない青空のように、晴れ晴れとした未来が待っているのだろうか。

 不意に、七海がスッと外に指を差した。その指先の方向には、空高くに橋のように架かっている虹が見えた。ちょうどジャバウォック島と海の彼方とをつなげているようだった。この虹の橋を渡っていけば、この島を脱出できるんじゃないか――なんて、一瞬考えてしまった。

「日向くんは雨が大嫌いって言ったけど、私はそこまで嫌いじゃないよ?」

「どうしてさ?」

「だってさ……雨のあとには虹ができるでしょ?」七海は空に架かる虹を見つめている。「だからね……、きっと“絶望”の先には“希望”があるって……思うんだ」

 澄み切った瞳。そこには絶望など微塵もなく、晴れ渡った青空のようだった。希望に満ちているように見えた。狛枝じゃないけど、希望を捨てないことが大切なんだなって改めて思う。雨は悪夢を流してくれない。だけど、止まない雨がないように、覚めない悪夢もない。この悪夢を終わらせる――。晴れたその先にある、虹を見たいから。

「浜辺に行かないか? もっと近くで見られるかもしれない」今のうち、虹を目に焼き付けておきたかった。

 

(終わり)



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