風来坊で准ルート【本編完結】 作:しんみり子
『決まったあああああ!! 見逃し三振!! 安藤小波、今シーズン未だ無敗の8連勝――!!』
インハイに143km/hのストレートを見せられた直後、抉れるようにアウトローへ突き刺さるスクリューに、手も足も出ないラストバッター。
画面の中の小波は一息ついて帽子を取ると、軽く客席に手を振ってからベンチへと戻っていった。
「ちょっとかっこつけすぎじゃない?」
「見るところはそこかよ……」
テレビの前にあぐらをかいていた小波が、背後からの声に振り向くと。
シャワーを浴びて、髪をバスタオルで拭う色っぽい恋人が、半眼でテレビを眺めていた。
「絶対スクリューが来るって分かってるのに打てないものなのね」
「お、野球が分かる人のコメントですね!」
「いくらなんでも、恋人があれだけ騒がれてるスポーツを何一つ知りませんじゃ……この先恥ずかしいでしょ?」
「そっか」
彼女の言うことはごもっとも。
そのまま友子はしなだれかかるように小波の隣に座りこみ、肩を枕にしてぼんやりとテレビを眺める。テープを戻して、再生して。己のピッチング研究に余念がない小波の横に寄り添って、真剣なまなざしをテレビに向ける彼の頬を軽く突いた。
「立派な、プロ野球選手ね」
「ああ。友子と一緒に人並みの人生を送る、一人のプロ野球選手だよ」
「……そっか」
人並みの人生。
その言葉に籠った実感を、きっと彼らを傍目から見る人間は理解が出来ない。
二人の間に――いや、二人を取り巻く環境は、去年と今とで目まぐるしく変化を起こしていた。
色々、あった。戦い、お互いの同胞を殺し合い、精神を汚染して近づいて。
けれどその縛りはもう存在しない。二人を縛る鎖は消え、残っているのはお互いの間で結ばれた赤い糸ただ一つ。幸せを、ようやく甘受できるこの日常を、誰がくれたのかなんて二人の中で答えは一つ。
「……深紅君は、今頃どうしてるかな」
「CCRは解体される見込みだ。もし動きがあるとしたらそのあとの大神だろう。上層部には軽く探りを入れているけれど……そっちはまだ分からない。きっと遠前町で、河原のキャンプ暮らしとかそんな感じじゃないか?」
「どうしよう……やめてほしいけど凄くあり得る」
うわ、と引きつった表情を浮かべる友子。
――CCRは、世の闇に溶けて消えた。そう言って相違ないほどに、もう組織として機能していない。その存在を、在った事実を、きっと大神は消滅させるだろう。
同僚の女もそう言っていた。
……灰原は死んだ。
隊長の死を知らされた日、小波は少しだけ思考に時間を取ってからすぐさま深紅の元へと出かけたのだ。友子に連絡を取り、別れの日に託すつもりだった封筒を持って。
元々あの隊長の立場というものは気になっていた。けれど、灰原が殺されるような状況と、直前にあった深紅と小波の会話を思い出せば何が起きたのか、どういう背景があったのかを結論づけるのは容易だったと言っていい。
そういう点において、凄まじく頭がキレるのがこの小波という男だ。
死んだ灰原よりも、深紅の居場所を先に探した冷静さもこの男であればこそ。
機を逃せば、姿をくらませるに違いない。実際彼はそうしようとしていた。
何も出来なかった、などとうそぶいて。
きっと深紅は、小波と友子が全てを知っていることを知らない。
どれほど、深紅という男に感謝しているのかを知らない。
けれど、それでも良いのだ。友達が、友達のままで居られるのだから。
いつかきっと友達として何かを返すことが出来ればと。小波はそう考えている。
「……とはいっても、あいつが助けを求めることなんてそうそう無いとは思うがな」
「そうね。全部ひとりでやっちゃうんだから。……それに気づいてくれる人がいれば、いつか深紅君も――」
少しは私たちを頼ってくれても良かったのに。
つまらなそうに友子は言う。そんな彼女の髪をそっと撫ぜながら、思った。
「そうだな。あいつは遠前町で、きっと友子の友達を救ってくれようとするだろう。どこに行ったってあいつはそういうヤツだ。そうして続けて、いつか。守るだけが人じゃないって……きっとどこかであいつも気づくさ」
「……ドジャースからのオファー、受けるの?」
「それは――」
《楽しいデート》II――俺の胃キャンプファイヤー――
助けてくれ、小波。救ってくれ、友子。
「ご主人様♡ 本日もいつも通り、コーヒーで宜しいでしょうか♡」
「深紅さんここ良く来るの? 教えてくれても良かったのに」
「はい♡ それはもう、いつもメイドにデレデレしております♡ ご主人様に想って貰えて、私とっても幸せです♡」
「へえ……深紅さん、そんな趣味だったんだ」
「深紅さん、ね……?」
何これ。
どうしよう、どう弁解……いや、なんで俺が弁解する必要があるんだ。
それこそいつも通り准の適当なセリフはあしらえばいいし、武美にはよく無料コーヒーを飲んでいるだけだと正直に言えばいい。
いいはずだ。
けど、なんだこれ。俺の目がおかしくなってなければ、いつも准から立ち上っている黒いオーラが武美からも見えるんだけど。なんでそんな据わった目で俺を見てるわけ?
「えーっと、准」
「はい、いつも通り私の頭をなでなでされますか♡」
「したことないだろそんなこと!?」
「ではいつも通り私のスカートの中にお潜りに♡」
「したことないだろそんなこと!!!! 捕まるわ!!」
「ご主人様♡ 私はいつでも、ご主人様の想いを受け止める準備は……♡」
「頬染めんな!! なんでこんないかがわしい店みたいなノリになってんだよ! おかしいだろ!! じゃなくて!!」
「はい♡ なんでしょう、ご主人様♡」
「……友達に友達を紹介するだけで、どうしてこんなに疲れるんだ。こっちは広川武美。商店街の漢方屋さん。前居た街の友達の連れで、それで知り合った」
「ふぅん。宜しくお願いいたします、お嬢様♡ この店の看板メイドの夏目准です♡」
「うん、宜しくねー」
はあ、疲れる……。思わずテーブルに突っ伏した。
なんか、二人とも仲良さそうに笑顔で宜しくやってるし、これで何とか……ん?
武美はともかく、准の目が明らかに笑ってないんだが。怖ぇよ。武美が何したっつーんだよ。
けど、なんか武美も変だ。にこやかに手を振って、メニューを見ているだけなのになんだろう……こう、迂闊にこの二人の間に入ったら死ぬ気がする。
なんで喫茶店でこんな張りつめた空気にならなきゃいけないんだ。
マスターが恐る恐るカウンターから覗き込んでるじゃないか。
武美はメニュー表から顔を上げると、満面の笑みを俺に向けてきた。
可愛い。可愛いんだが……なんか、怖いぞ?
「じゃあ、あたしもコーヒーを一つと……深紅さん、何か食べる?」
「え、あ、いや、今は良いかな。お腹空いてないし」
山を下りる前に、武美お手製の弁当を食べてきたばかりなのだ。
それを分かっているはずなのに、わざわざ聞いてきた意味が分からないが。俺が必死で食い溜めしたりしてるの知ってたっけか?
などと悩む暇もなく。
彼女はまるで俺の返事が分かり切っていたかのように言葉を返してきた。うんうんと頷きながら、准にメニュー表を返しつつ。
「そうだよね、あたしのお弁当食べたばっかりだしね。あたしもコーヒーだけでいいや。じゃあ店員さん、コーヒー二つお願い」
……ん? なんか見間違いでなければ今の准と武美のメニューの受け渡し、おかしくなかったか? なんか二人の視線が交錯する瞬間だけ、どこかで見た目に……はっ。
この喫茶店でよく見る殺し屋の眼差し……!!
「かしこまりました♡ あ、でもご主人様♡ この前召し上がられたパスタ、今日もありますよ♡ 今日一番の美味しさを提供させていただきます♡」
お腹空いてないって言ったじゃん。
ていうかあれお前の自作だろ? メニューにも書いてないし……ああ、だから言ってくれた、のか?
「いや、いいよ。空腹が何よりのスパイスだよ」
「あら残念♡ ご主人様がいうと含蓄がありますね♡」
「バカにしてやがる!」
「あはは。それでは、失礼いたします♡」
俺との会話で満足したのか、彼女は楽しげにスカートの裾をつまんだ。
そして、たたた、とカウンターの方へ戻っていく。
なんだったんだ今の空気――ひっ。
「た、武美?」
「気に入らない」
「な、なにが?」
「気に入らない気に入らない気に入らない! あたしのお弁当食べたって言ったのに! 今日一番って! なにあれ!」
「武美もなんでわざわざあんなこと言ったんだよ」
「ピッチャーなら分かるでしょ?」
「は?」
「もういいですー」
ぶー、と不貞腐れたようにむくれて。なんだか知らんが武美はそのまま出されたお冷をちびちび飲みながら無言になってしまった。
ピッチャーなら分かるってなんだ? 投球?
「……深紅さん、ここよく来るんでしょ」
「まあ、練習のあとはだいたい」
「カシミール来ないで、ここに来るんだ?」
「ここならただでコーヒー飲めるしな」
「え、なんで?」
「まあ、色々あってな……」
「へーー!」
ぷっくー、と頬を膨らませる武美。
いや、ここにはいないお姉さんが俺の一年分のコーヒー代払ってくれたとか、意味不明すぎて説明にまた手間取るだろう……。そういえば、その維織さんを最近見ないな。
どうしたんだろう。
「お待たせいたしました♡ コーヒーお二つお持ちいたしました♡」
「お、さんきゅ」
「ありがと」
准は俺以外が居ると完全営業モードになるのはまあ、電視の件でよく知っている。
けれど、武美もこんなに人見知りだったとは思わなかった。
なんかもう、来客に敏感になる家猫のようだ。猫飼ったことないけど。猫みたいなやつなら居たからな。身近に。
「いつも通り、私がふーって冷まして差し上げましょうか♡」
「やったことねえし冷めたコーヒーなんて冒涜だ!」
「無料のコーヒーは冒涜じゃないの?」
「そ、おま、こ、それを言ったら戦争だろうが!!」
今一瞬、ちょっと素の准が出たぞ。あの黒い表情は間違いない。
なんてくだらないことを言っていると、スティックシュガーをさらさらと自分のカップに入れていた武美が微笑む。……表情だけ。
「でも今日、このお店混雑してて忙しそうだね」
「はい♡ おかげさまで♡ いつもご主人様がいらっしゃる時は蜘蛛の子を散らすように閑散としているのですが♡」
「それじゃあ俺が避けられてるみたいだろ!! 素直に空いてるって言えよ!」
あらあら、と准は准でご機嫌だ。ご機嫌、に見えるがなんかこう、なんだ。いつもと違う。
そんな彼女に対して、しかし武美もなんだかさっきよりも笑顔がこう、深いというか強気というか。
「あっちの人とかメニュー閉じてるし、あっちの人もカップの中身ないし……やっぱり一人でウェイトレスさんって大変そう」
「えっ?」
准が驚いたように目を開いた。いや、俺たちの角度からそんな細かい情報……あ、さては武美、監視カメラをジャックしたな。
「大変そうだね、店員さん。頑張ってね」
「……それではごゆっくりどうぞ♡」
ぺこりと柔らかな物腰で頭を下げた准は、そのまま俺の後ろを通り過ぎ――
「気に入らない……」
ぼそりとなんか呟いてった。怖ぇよ! お前もかよ!!
「……あのメイドさんさ」
ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをくるくるかき混ぜながら、武美はぽつりとつぶやいた。彼女の視線は、笑顔で客に応対する准に向いている。
「前にあたしと深紅さんが話してる時、走ってた人だよね?」
「よく覚えてるな」
「あんな見た目だしね。それにあの時、深紅さんの目が……」
「俺の目?」
「んーん。言ってあげない」
彼女は笑った。俺に向けて、いっそ華やかなまでの優しい表情で。先ほどまでと違って、目も含めて。……なんだろう、こいつら水と油の関係なのか。
「はあ、このお店にするんじゃなかったかなあ。確かにちょっと混んでて、あまり聞かれたくない話とかし辛いね」
「まあ、触りだけでも良いんじゃないか? いつにするかとか、そういうの」
今更店を変えるのもあれだし。
そう思って俺が提案すると、少し考えた武美はぽんと手を打った。
「おお、それは名案だね!」
「言うほどではないだろ」
「そんなことないよ、名案だよ。それなら大きな声で言ってもバレないね」
「わざわざ大きな声で言ってどうする」
「じゃあ、深紅さん。次のデートはどこにしよっか♪」
「……はあ?」
頬杖ついて両のほっぺたを支えながら、にまにまと嬉しそうに彼女は言う。
いや、デートって。カモフラージュにってことなんだろうけど、それはそれでちょっとこっぱずかしいだろ。
……お前もちょっとほっぺた赤いじゃねえか。
「えへへ。幸せ~」
「いや、なんでだよ」
「あん? 深紅さんがそれを聞きますか。あたしが諦めてた色んなことが、これからできるかもしれない。そんな期待が、未来が待ってるかもしれない。久々なんだよ、こんなに希望なんてものを抱けたのは。全部、深紅さんのおかげ」
「油断はするなよ」
「するわけないじゃん。人生の分岐点だよ。徹底しなきゃ。そのためにも、あたし的には隣町の繁華街にお買い物行きたいな」
「……ブギウギ商店街じゃダメなのか?」
「……」
じとっとした目で俺を見る武美。
それは、なんだ。カモフラージュする気があるのか、みたいなことか?
「だめだめ。誰に見られてるかわかんないんだよ? その場に人が居なくたって、カメラ越しに見てるかもしれない。そんなことになったら、あたし恥ずかしくて死んじゃうよ」
この時点でだいぶ恥ずかしそうな彼女の表情を見る限り、まあ確かに死にそうではあるが。
……なるほど、大神の連中がインターネット越しに居場所を特定してくる可能性があるわけか。そうなれば、隣街辺りまでは少なくとも足を運ばないと厳しいと。
「分かった。いつにする? ちょうど明日の試合が終われば、しばらくは時間が出来るけど」
「といっても、商店街も夏祭りの準備で忙しいからね。もうすぐ六月だし、梅雨に入っちゃったら色々身動きも難しくなるし……じゃあ、来週の日曜日とかどうかな」
「ん、分かった。何か準備するものは?」
来週にはもう準備が整うのか。流石だな。
とりあえずしっかり打ち合わせ自体はしておこうと、最後の詰めを問いかけると。
彼女は頬に指をあてて思案すること少し、照れたようにはにかんだ。
「あたしへの愛情かな」
「真面目にやれ」
「真面目だもん。……真面目だよ?」
「……」
「ごめん、不安なんだ。貴方にとっては頼まれごと。あたしにとっては、降ってわいたかもしれない最後のチャンス。どんなに貴方が優しくても……信じ切れるか不安なんだよ」
「――大丈夫だ」
「どうして?」
「正義のヒーローは、無責任に逃げ出すようなことはしない。たとえ自分が死ぬような状況でも、必ずヒロインを救い出すさ」
「そっか。……そっか。ずるいなあ。ずるいなあ、深紅さんは」
てひひ。なんて可愛く頬を掻く彼女の表情に、不安は感じられない。
信じて貰った分は、必ず応えよう。それすらできないというのなら、俺に存在価値はない。なんのために自分がここに居られるのか。それは分からないけれど、きっと誰かを助けるためだから。
「じゃあ、来週のデート、楽しみにしてるね」
「覚悟して待っていよう」
武美が頷いたのを確認して、俺はまだ残っていたぬるいコーヒーを飲みほした。
「准ちゃん、どうしたの?」
「あ、マスター」
「……大丈夫?」
「はい、看板メイドはいつでも元気そのものですよ♡ ……ただ」
「ただ?」
「……あの人、いつも誰かを助けてるなって」
「?」