風来坊で准ルート【本編完結】   作:しんみり子

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《バーサクわっしょい!》V

しばらく前まで俺が住んでいた河川敷に、浴衣姿の准と二人で並んで座っていた。

 暗闇を照らす幾つもの花模様が、隣の彼女の顔を明かるく見せてくれる。

 

 少し遅れてやってくる激しい破裂音の旋律と、次々に打ち上がる華々しい彩り。

 その音色と色合いが美しくて、幾らでも眺めていられる気がした。

 

「自主的な花火大会、ね」

 

 そう、こじんまりしたことを会長は言っていたが。とんでもない。

 丹精を込めて作ったのだろう、そして商店街の多くの財を投じたであろう、この街の為を想った夢が夜空に広がっていた。

 

「お世辞じゃなく、綺麗じゃないか」

「そんな貴方より花火の方が綺麗だよ♡」

「……ん? ただの悪口じゃないか!」

「冗談だよ。花火の方が綺麗だよ♡」

「……変わってないじゃないか!」

「ちょっと考えなきゃ分からないのかしら」

 

 周りに明かりのないこの河川敷でも、花火という名の眩しい夜景のお陰で彼女の表情がよく分かる。どどーん、とひときわ大きな花火が打ち上がると同時、彼女は明らかにいつもの俺をバカにする黒い表情をしていた。

 

 ……せっかく、綺麗な浴衣と普段はしないアップの髪型で印象が違うというのに。

 対応はまるで変わらない。

 

『……いや、脈あるだろ。脈あるとかいうレベルじゃねえだろ』

 

 バカを言うな、権田。

 これが脈あるように見えるのか。

 

「たーまやー♡」

 

 いや、そもそもだ。脈があるなしとか、関係ないだろう。だって別にほら、くっつきたいとかそういうのじゃないんだし。ああまったく。欠片も思ってません。ほんと。

 

 惚れたら負けだ。特にこいつには。マジで物理的な敗北が待っているに違いない。

 

「どうしたの深紅さん、せーので言わないと」

「え、そうなの?」

「ほらほら」

「か、かーぎやー!」

「ちなみにあれって花火を作るメーカーを讃える意味だから、ブギウギ商店街に対してかーぎやーってただただ恥ずかしい無知を晒してるだけなんだけど」

「なんで言わせたんだよ!!」

 

 なんてやつだ、夏目准。

 帯の背に差していたうちわで口元を隠しながら楽し気に笑う様は、からかわれていても確かに表情が緩んでしまいはするけれど。別に惚れているわけではないのだし。

 

「はー、楽しいなあ。明日からまた頑張ろうって気になるね」

「そう、だな。頑張らないとな」

 

 准にとっては、毎日が戦いだ。バイトして、お金を貯めて、夢へとつなぐ。

 まさに眼前に広がる風景はブギウギ商店街が自身に向けて放った夢へのエールなのだ。それに触発されないような鈍い人間にデザイナーは務まらない。

 

 きっと彼女が夢をかなえるといい。それは俺の本心だ。

 

「……」

「……ん?」

 

 両手を後ろに投げ出すように、杖にして俺たちは空を眺めていた。

 そんな俺の左手に、何かが重なる感触。

 

「頑張ってね、深紅さん」

「言われずともな。どのみち二度と負けは許されない」

「そうだね、燃えるもんね♡ ……何がとは言わないけど」

「ほんとに頑張らないとな!!」

 

 合わさった手と手。絡まるように指先が繋がる。

 横を見ても、彼女はまるで夜景から目を離さない。平常運転で、いつもと同じ。

 からかわれているのか分からないが。まあ准が何も言ってこないのであればスルーしよう。言い出した方の負けだ。負けのはずだ、これは。

 

 ……ただ、気恥しいというよりはなんだろう。

 

 なぜか、居心地が良い、といった方が良い気がした。

 

「深紅さん」

「んー?」

 

 最後の花火の十連発。

 盛大な炸裂音にわざと重ねるようにして、彼女は口を開いた。

 

 

「私、貴方のこと好きなんだよ?」

 

 

 

 ……俺が、耳が良いことを知っていてからかったのか。

 それとも、聞こえないと思って言ったのか。

 

「准?」

「ん? なに? 聞こえた? 聞こえなかった?」

 

 まるで悪戯が成功した童女のように、楽し気に問いかけてくるその様に恥じらいはいまいち感じられず。花火の明かりのせいで、彼女の頬や耳が赤いのかまでは判別がつかなくて。これもきっと、計算づくなのだろう。なら。

 

「また騙されるところだった、とだけ言っておこう」

 

 そう、目を閉じてそう言った。

 

「ばーか♡」

 

 本当にこいつは、俺のことを何だと思っているのだろうか。

 

 

 

 

 

《バーサクわっしょい!》V――あの夏と同じ亀裂――

 

 

 

 

「うわっ」

「観客がいっぱい来てる!?」

「見てる人がいっぱいいるよ!」

「こんなにお客さんがいると、僕緊張しちゃうなあ」

 

 ジャジメントスーパーの抱える草野球チーム、ニコニココアラーズとの試合当日。

 いつものように球場へと足を運んだビクトリーズの視界いっぱいが、観客で埋まっていた。普段なら四割も埋まっていれば多い方というレベルだというのに、この球場のおよそ八割が観戦客であふれかえっていた。

 

 当然、歓声やざわめきも普段の倍だ。いや、空間に込められた熱の量を考えたら、倍どころではないのかもしれない。

 

「まだたいして宣伝もしてないのに、どういうことなんだこれは」

 

 俺たちを引率してきた会長の、ぼやくような呻き声。

 そして、反対側のベンチ付近で笑う見知った男を、俺は視界に入れていた。

 

「くくくく。みたか、ジャジメントスーパーの力を。この試合の各イニングで貰えるスタンプを集めれば、商品が最大で40%オフになるんだ」

「でも、大丈夫ですか? この割引率…大赤字ですよ」

「ははは! きみが気にすることではない」

「あ、もうしわけありません!」

 

 ……相変わらずというか。どうしてここまでするのかというか。

 それを俺が今考えたところで仕方がないか。

 

 ま、いつも通りやるだけだと帽子をかぶり直す。

 権田を誘って投げ込みを――あれ?

 

「お前ら、なにをボケっとしてるんだ。さっさと試合前の練習を始めろ」

「でも、観客が……」

 

 へえ。権田でも飲まれるのか、この空気は。

 

「はあ? 高校野球の甲子園に比べれば、無人みたいなもんだ! そら、とっとといけ!」

 

 ……あんたが言うか。甲子園の話を。

 いや、いいけどさ。

 

「おい、小波!」

「はい」

「よーし、お前はしゃんとしてるな。いいか、今日のお前は試合全体を見ろ。なにしろキャプテンなんだからな」

 

 白い目に気づかれたかと思ったが、全然違う話だった。

 それにしても、あんたが俺をここまでキャプテンに押す理由は何なのか。

 

「権田、投げ込み付き合ってくれ」

「あ、おう」

「……お前、ひょっとしてこういう状況で野球やるの初めてなのか?」

「もう十年も昔の話だ。それに、今は商店街って重みがある。そりゃ、緊張したっておかしくねえだろ。お前が慣れていそうな方が意外だよ」

「俺は俺で色々あったからな。それに……倒すべき相手がはっきりしてるんだ。闘志の方が湧いてくる」

 

 スコアボードに目をやれば、相手の四番にはセンター椿の名前が刻まれている。

 

「ま、俺にいわせりゃ、あいつを四番に据えている時点で打撃陣は大したことないのかと思うけれど。うちのクリーンナップの方が強いぜ」

「カニ、ムシャ、俺か」

「ああ」

 

 今のビクトリーズの打線は、俺、寺門、カニ、ムシャ、権田で五番まで続く。この強力さは、俺が知っている野球チームの中でも随一だと自分でも思う。

 俺は一番打者になる代わりに完投スタイルを捨てた。木川や電視に抑えて貰えれば、最後までどうにかなるはずだ。

 

「警戒すべきは椿だ。あいつを抑えられるかどうかが、試合の鍵だ」

「分かった。……勝つぞ、小波」

「当然」

 

 

 鈍い打球音が空に響きわたる。打撃練習に興じていた椿の一閃。

 バックボードに吸い込まれていく打球を眺めながら、彼は呟く。

 

「……うん、良い日だ」

「頼むぞ、椿」

「任せろ。貧乏くさい深紅の野郎と、貧乏くさい草野球チームに引導を渡す日にしちゃ、上出来だ。お前こそ、深紅にへぼな球投げるんじゃねえぞ。あいつは俺のマブダチだからな」

「……肝に銘じておく」

 

 椿の隣で肩を温めていた大北が、椿の言葉に頷いた。

 

 

 

「おじちゃん、がんばってー!」

「よーしみんな! この試合が商店街の正念場だ! 絶対に勝つぞ!」

 

 

 

 試合が、開始される。

 

 

 

「一番、ピッチャー……小波」

 

 

 先攻で挑んだビクトリーズの攻撃、一番バッターは俺だった。

 いつものようにネクストを通り過ぎ、打席へと歩いて向かう中……ふと、俺は観客席の隅に一人の少女の姿を見つけた。

 

 集団で固まり、応援してくれる面々に混じって一人ぽつんと。

 応援、というより見守るようなまなざしで、俺を見ている。

 

 そういえばあいつは、俺たちの野球を見に来たことなんてなかったな。

 なら見せてやろう。俺の野球を。

 

 左打席に立つと、主審のコールがかかる。

 さあ、試合開始だ。

 

 大北の投球については、もう皆の知るところ。であれば、初球からいっても問題はない!

 

 大北が振りかぶると同時、投手越しに見えたセンターの椿の表情が強張る。

 何かを叫んだように聞こえたが気にしない。

 

「まずい、外せ大北!!」

 

「おせえ」

 

 初球にコアラーズバッテリーが選んだのはアウトコースへのストレート。

 良く言えば定石。悪く言えば、安直だった。

 

 迷いなく踏み込み、鋭く振り抜く。

 

 一閃。

 

 打球は椿の頭を軽々と超えて、スコアボードにぶち当たった。

 

 

 「だぁからヘボな球投げるなつったろ……」

 

 吐き捨てるように帽子の鍔を弄る椿のつまらなそうな声が、小さく耳に触れた。

 

 

 

ビクトリーズ1

コアラーズ 

 

 

 しかし、一回は三人で抑えた二回の裏。先頭打者の椿が苛立たし気に俺を睨む。

 

「お前はよお……いつもいつも本当に、やってくれるぜ」

「それは俺のセリフだ。毎回邪魔しやがって」

 

 ……こいつは一番警戒しなくちゃいけない相手だ。権田もそれはわかっているはず。ならば初球はアウトコースへのスライダー。それが権田と俺の下した判断だった。

 

 ワインドアップから、丁寧に、しかし豪快に腕を振り下ろす。

 軽く弾いた指先の感触は最高。

 まずは一球、アウトローへのストライクカウントを稼いでみせる。

 

「相変わらず――」

 

 目を見開く。権田のミットと寸分違わぬベストコース。

 だというのに、椿の体幹はまるでブレちゃいない。球速に合わせた理想的なスイングで、曲がる角度まで完全に狙って振るわれるバット。

 

「スライダーでそんな球速でちゃあ、緩急とは呼べねえなあ」

 

 椿の一閃。自らから逃げていくスライダーをわかっていたかのように踏み込むと、そのまま力任せにレフト方向へもっていった。

 

 当たった瞬間に理解した。

 場外まで届く当たりであると。

 

「嘘だろ? スライダーを読まれた……?」

「あー、あいつには球種全部割れてるから、狙い打ちされたら不味いのは分かってたんだが」

 

 権田は唖然としている。守っていたメンバーも驚いた様子でダイヤモンドを回る椿を見ていた。あいつらにとって俺の球をホームランにされたのは初めてのことだ。仕方がないとはいえ。

 

 俺としては慣れっこだ。どんな速球でも、打たれる時は打たれる。次は抑えて、俺たちがより点を取ればいい。

 

 切り替えていこうじゃないか。

 

「まだまだ序盤だ、楽しんでいこうみんな!」

 

 帽子を振り上げ、声をかける。

 気を引き締めて、行こう。

 

 

ビクトリーズ10

コアラーズ 01

 

 

 三回の表。先頭打者は俺。

 大北の球を流し打ち、これをヒットに。

 続く寺門がエンドランでレフト前ヒットを放つが、三番カニのフライが浅く、塁に釘付けにされてしまう。ムシャも高め低めに踊らされ三振したものの、五番権田がフルカウントから意地のライト前ヒット。

 

「小波にばっか良い格好させられねえよ!!」

 

 ファーストでガッツポーズする彼に、奈津姫さんとカンタ君の声援が届く。

 俺はセカンドから悠々ホームに帰ってきてこれで二点目。ここからだ。

 

ビクトリーズ101

コアラーズ 01

 

 次に試合が動いたのは五回の表だ。

 椿を三振に抑えた流れのまま出塁しようとするも、大北の必死の投球に俺と寺門が倒れる。しかし、カニがぼてぼての内野安打で出塁すると、ムシャがレフトの頭を超えるツーベース。一塁ランナーのカニは三塁を蹴って帰ってきた。

 

「野球は、楽しいカニ。必死になって勝てた時が、一番楽しいカニ」

 

 キャッチャーのブロックとクロスプレーでボロボロになったカニのその笑顔が、俺たちに火をつけた。

 

ビクトリーズ10101

コアラーズ 0100

 

 その裏、俺は一度センターへ退いた。マウンドに上がった木川はしかし緊張からか出塁を許し、椿の強烈な当たりがショートの頭を越える。

 

「ちっ」

 

 ぎりぎり左中間を抜かせることなくホームへ投げ返すが、間に合わなかった。

 

「……へ、三塁まで行くつもりだったのによ。それでこそだぜ、深紅」

「だったら柵越えでも打ったらどうだ?」

「言ってろ」

 

 その後椿に三盗を許すも、後続をきっちり木川が抑え、一点でこの場を切り抜ける。

 

 

ビクトリーズ10101

コアラーズ 01001

 

 六回を終えた七回。

 リードが一点と心もとない今、どうにかして点を稼いでおきたいビクトリーズはこの回、俺が四球で出塁した直後、寺門のツーベースで一気にチャンスを作る。

 

「投手が心配な間は、俺が頑張らないとな!」

 

 頼もしくはあるが、若干チームメイトへの配慮を欠いた発言に周囲が少し反応するが、後続は助っ人陣。カニのタイムリーヒットで一点を稼ぎ、この回も得点に成功した。

 

 しかし、続く裏。ベンチで木川と寺門が揉め、荒れた精神状態からの投球で木川が崩れる。ノーアウト満塁で迎えるバッターが椿という地獄のような状況に、権田が一度タイムを取った。

 

 木川は意気消沈しており、かといって今交代を告げるというのは酷だろう。

 その確認をしに行ったところ、しかし木川は奮い立った。

 

 椿に対して初球フォークで空振りを取ると、続けて今度はストライクゾーンにフォークを投げ込み2球で追い込むことに成功。

 高めのボール球で2-1としてから2球ちらつかせたフォークの印象のまま、インコースに渾身のストレートを投げ込んだ。

 

 「ぐっ」

 

 高めに目付けをしてからの変化球で三振を取りに来ると思っていた椿は、そのストレートに盛大に振り遅れる。

 ゴンと鈍い音を出して弱弱しく上がった打球は、しかしレフトとショートの間に落下、ビクトリーズにとって不運のポテンヒット。

 ハーフウェイ状態で待機していた二塁ランナーまで生還し、2点を許してしまう。

 

 「クソッ」

 「大丈夫だ! お前の球が勝ってたぞ! そのまま投げてこい!」

 

 権田に激励され、木川は後続を連続三振に抑え込み、この回を2失点で切り抜けた。

 

 

 

ビクトリーズ10101010

コアラーズ 0100102

 

 

 八回の表、ビクトリーズは何も出来ずに凡退する。

 ここで佐和田監督は継投策を取った。木川を下げ、八回を任せるピッチャーは藤本。

 しかしこの采配が仇となったか、木川の球速に慣れていた相手打線が火を吹く。

 

 一気に逆転され二点差。残すは九回のみ。

 だが、まだチームメイトの目は死んでいなかった。

 

ビクトリーズ10101010

コアラーズ 01001022

 

 

「一番、センター小波」

 

 

 大北から変わった太村の投球は、やはり大北と比べると見劣りする。

 ここはなんとしても出塁しなければならない。太村から投じられたストレートを忠実に逆方向を狙ってコンパクトに振りぬいた。

 打球はショートの頭を超え、ヒット。センターが椿でなければ二塁打も行けたかもしれないが……仕方がない。

 続く二番の寺門が三振に倒れ、三番のカニ。

 

「やってやるカニ!」

 

 彼の打球はライト線ギリギリのフェアゾーンへ。俺は勢いに乗って三塁へ。

 これで一、三塁。

 

 四番のムシャがここで大きな犠牲フライを放った。

 センターの定位置少し後ろ辺り。半身になってボールを追っていた椿はそこでホームベースに正対すると、2歩、3歩と助走をつける。

 なら、俺のすることなんてたった一つ。

 

「よーい――」

「――かけっこかい、負けねえぞオラ!!」

「――ドン!!」

 

 俺と椿の競走だ。

 あいつの肩と俺の足。どちらが速いか――その軍配は、俺に上がった。

 

「セーフ!!」

 

 湧き上がる商店街サイドの大歓声。軽く次のバッター、権田とハイタッチをかわし――その背中をどつく。

 

「……やってやれ、ヒーロー」

「ヒーローはお前だよ。……だがまあ、商店街の誇りをかけて、やってやるさ」

 

 打席に立った権田を見送って、俺はベンチに引っ込もうと――ふと、二塁から声が聞こえた。

 

「ホームに、返して欲しいカニー!! 絶対に、勝つカニ、権田さん!!」

 

 あいつ、気づいたら二塁に走っていたのか。本当に野球が好きなんだな。

 思わず笑みがこぼれた。そして、ツーアウトのこの状況でも俺は心配していない。

 

 権田の緊張が解けていて、カニの声にも頷いたあいつ。

 ベンチの仲間たちが、あいつを見守っている。負けねえよ、権田は。

 

 俺がベンチのタラップをふんだ瞬間、この日一番の快音が鳴り響いた。

 

 

ビクトリーズ101010103

コアラーズ 01001022

 

 

 

 

 

 その頃、ビクトリーズ側の観客席はざわめきに包まれていた。

 一人でぽつんとやってきた少女――夏目准に、野球のルールはいまいち分からない。

 けれど、この機会にしっかり調べてみようかなと、少し心を躍らせていた。

 

 だって、こんなに胸が高鳴るのだもの。

 

 次は九回の裏。最後の攻撃だということくらいは、准も知っている。

 と、ふと近くで観戦している商店街の人々の怒声にも似た論争が耳に入った。

 

「このまま藤本が投げるのか!?」

「木川が下がった以上、投手は――」

「いやしかし、一点でも取られたら延長。下手すると逆転なんだぞ!?」

 

 やいのやいのと。そう騒ぐ気持ちも分かった。投手が重要であることくらい、素人だって理解している。

 八回もあわや打者一巡の憂き目にあった投手を、このまま投げさせるのはみんな怖い。

 

 その事情は、彼らのこの試合中の雑談で聞いていた。

 野球で売っていく街。そのメンツをつぶしに来たニコニココアラーズ。この試合の注目度の理由。

 

 そして、出てきた投手は――変わらず藤本だった。

 

「おいおいマジか!」

「大丈夫、大丈夫、監督は甲子園優勝経験もあるんだろ?」

「なら、信じるしか……」

 

 九回の裏が始まった。

 打順は八番からの下位打線。何とかアウトカウントを稼ぎたいバッテリーだったが、変化球のない藤本の投球の組み立ては至難に過ぎた。

 

 八番、九番、一番と三人連続の連打で、あっという間に満塁とされる。その僅かな時間に起きた悲劇に、遅れて客席が悲鳴を上げた。

 

 権田は思わず監督を一瞥するも、静観の姿勢。

 一度藤本に声をかけに行ったが、彼の顔色は真っ青のまま変わらない。

 とはいえ、こんな精神状態で投げさせるわけにもいかず、一度アウトロー一杯に好きに投げさせるサインを送る。

 

 しかしここでど真ん中への失投。

 痛烈な打球が右中間へ。

 

「男、寺門!! ここで終わってたまるかッ!!」

 

 ここでセカンド寺門にファインプレー。まさかの利き腕――右手でむんずとライナーを引っ掴む異常事態。

 飛び出してしまったファーストランナーを跳躍した状態からジャンピングスロー、唸る風切り音とともに突き刺す。

 

 このツーアウトに観客が湧く――が、調子の戻らない藤本が四球で塁を埋めてしまう。

 

 ツーアウト、満塁。

 そしてここでバッターは。

 

「四番、センター……椿」

 

 

 この試合で誰が目立っていたのか。少なくともニコニココアラーズで誰が一番脅威だったか。それは、元プロの大北ではない。この男――椿だ。

 

 もうだめだ。おしまいだ。

 そんな雰囲気が周囲に満ちようとした時だった。

 

 一人の少年が、声を上げたのは。

 

「……小波さんでやんす」

「カンタ?」

「権田のおっちゃんが言ってたでやんす! エースはピンチを救うヒーローだって!! だから絶対、小波さんでやんす! おじちゃんでやんす!! おじちゃーーーーん!!」

 

 小波さん。

 その言葉は、すんなりと准の心に入ってきた。

 そうだ、これはピンチだ。なら、ピンチを救うのはヒーローだ。

 なら――

 

「ブギウギビクトリーズ。選手の交代、並びに守備位置の変更をお知らせします。ピッチャーの藤本に代わりまして、ピエロがセカンド。セカンドの寺門がセンター」

 

 ざわ、と観客がざわめいた。

 

 センターへと駆けていく寺門と代わるように、悠々とマウンドへ向かって歩く背番号1。

 

「センターの小波がピッチャー。以上に代わります」

 

 

 歓声が、はじけた。

 

 

 それがどうしてか。嬉しくて、誇らしくて……少しまた、不安になった。

 

 

 

 

 

 

 

 マウンドに上がって土の調子を確かめる。

 塁上にはランナーが1,2,3。ちょっと多いな。

 

 そして、バッターは――押しなべての仲間。今は敵。

 

 出来過ぎじゃないかと笑えてくる。まあでも、良い。調子は上々。一点もやれない。

 決着には最高だ。そうだろう、椿。

 

「小波、大丈夫か……ってお前、緊張とは無縁なのか?」

「この上なくいい気分だ。心配するな。お前をヒーローのまま終わらせねえとな」

「俺のことは良いんだよ。商店街だ。商店街を守るためだ。必ず勝ちたい。俺たちの命運は今、お前に託されてんだ。チームのエースのお前にな」

「分かってる。頼もしいリードを期待する」

「この状況でよく言えるな……」

 

 満塁の状況を見渡して、権田は肩を竦めた。

 点をやらなければいい話だ。楽しもうぜ、権田。

 

「……よし、行くぞ小波」

「おうよ」

 

 それだけ言葉をかわして、権田は定位置に戻っていく。

 さあ、バッターボックスの椿とご対面だ。

 

「……いいねえ、派手にお前をぶち倒せる」

「最高のシチュエーションだな。お前を下すための」

 

 さあ、やってやろう。ボールを握って、要求はストレートインハイ。

 

 投げた瞬間、椿がバットを振るった。

 

 当たる。大きい。……が、これは逸れる。

 

 

 ファールゾーンの客席がどよめいた。同時に、商店街側からの安堵のため息。

 

「ふう」

 

 ま、そのくらいの力はあるって分かってる相手だ。大丈夫。

 このチームの仲間を俺が守るんだ。問題ねえさ。

 次のボールを握る。さあ、勝負――

 

 

「深紅さん!! ――――……がんばろ!!」

 

 

 っ。

 弾かれたように観客席を見上げた。

 フェンス越しに見える切なげな表情が目に入った。

 声なんて聞こえる距離じゃなかった。特に、こんな鮮明に。

 けれど、届いた。

 

 がんばろ、か。

 なんだろう、頑張って、より頑張れる気がしてきた。なんでなのか、分からないけれど。

 

 よし、良いぜ。

 

 次は、シュート。

 

「ぐっ」

 

 椿がバットを振るった瞬間のことだった。

 ばき、と勢いよくバットが折れて、ボールがファールゾーンに転がる。

 

 ツーストライク、だな。

 

 恨みがましい瞳で睨む椿に軽く笑みだけを向けて、権田からの返球を受け取った。

 さあ、あと一球で決めてやる。この、アウトローへのストレートで。

 

 

 椿がバットを変え、主審の「プレイ」と殆ど同じタイミングからモーションを取る。

 アウトローに突き刺さったストレートを、椿は勢いよく空ぶっていた。

 

 

「バッター、アウト!!! ゲェェエエエム、セット!!!」

 

 

 

 

 

(そして・・・)

 

 

 

 

 

「対コアラーズ戦勝利に乾杯! ……あれ? どうしたんです、みなさん」

「ちっとも嬉しくなんかないよ。なんだかおかしいですよ、今のビクトリーズは」

 

 戦勝会、とでもいったところだろうか。

 集会場に集まった商店街の主要メンバーは、会長の音頭で乾杯、勝利を祝うはずだった。しかし――それにしてはあまりにも空気が異質だった。

 

 木川たちの不満げな瞳を受けて、元キャプテンの権田は頷く。

 

「まあ、監督も主力選手も外から来た連中だからな」

「それはそうだが、彼らなしでは試合に勝てなかったんじゃないのかね」

「それとこれとは別でしょう」

 

 権田まで、いまいち喜んでいない状況にメンバーの愚痴が加速する。

 どちらかといえば権田は助っ人擁護に回ると思われていたからだった。

 

「あいつら、いい気になってますよね。この前だって」

「なにがあったんだ?」

「あの連中の練習した後の、ボールの跡片付けをやらされたんですよ。自分の後始末くらい、自分でやりゃあいいのに」

 

 それが、メンバーの愚痴を聞き、共感し、同情している。

 もしや彼もずっと不満を押し殺していたのでは。

 自分たちにも助っ人たちにも隠して、同じ感情を抱いていたのではと。

 次々、この前もあんなことが、こんなことがと助っ人たちをなじる会が始まった。

 

 戦勝の空気など、ここにはない。

 

「ねえ、これでいいんですか権田さん。昔、河川敷の石を拾って、練習場所を作ったじゃないですか。仕事もろくにしないでって、白い目で見られながら練習したじゃないですか。あの苦労は、あんな余所者の連中が活躍するための準備だったんですか」

 

 縋るように、権田の肩をゆする木川。

 権田はしばらく瞑目していたが、ゆっくり立ち上がって周囲を見据える。

 

「手は、ある」

 

 その言葉に、全員が注目する。

 

「擁するに、あの連中がいなくてもジャジメントに勝てるようになればいい」

「な、なるほど。じゃ、あいつらに気づかれないようにこっそり練習しておくんですね」

「ええ? しかし、本官は時間が……。それに、今の練習だけでもへとへとで」

「このままだと、僕たちはあの連中の引き立て役で終わってしまうんですよ!?」

「俺はやるぜ、あんな奴ら吹き飛ばしてやる!」

「僕もやるよ。あんな野球舐めた連中に負けてたまるもんか」

 

 権田の提案に、同調圧力宜しく皆が乗る。

 野球をもっと上手くなって、あいつらを追い出してやるんだと。

 その気持ちで、皆が固まっていく。

 

 特に木川は不満だった。エースとしてのポジションも、練習時間も、正捕手との投げ込みも全部奪われた。そのうえ、今日は自分も活躍したのに……最後は全部小波が持っていったのだから。

 

 彼は誓う。ビクトリーズは自分たちだけで十分だと。そして。

 

「商店街のヒーローは、この僕だ!」

 

 

 

 

 

 

あのコアラーズとの試合以来、ビクトリーズは連戦連勝。

敵なしの大活躍で地方紙やローカル番組でも取り上げられるようになった。

それと同時に、ブギウギ商店街も野球テーマの商店街として少しずつ知名度を上げていった。

 


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