白雪姫の指し直し   作:いぶりーす

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三話 雛鶴あい

 師匠に自宅へ帰された後、自分の部屋で神鍋先生と八一の対局をネット中継でずっと見守っていた。

 深夜にまで長引いた対局が終わり、無事に勝利を収めた八一を見て胸を撫で下ろした。良かった……勝てたんだ。

 八一の勝利に高揚感が抑えきれず居ても立ってもいられなくなった私は、家から抜け出して真っすぐに将棋会館へと向かった。

 一応は病み上がりで、しかもこんな深夜帯に出かけるなんて普段は放任主義の両親でも流石にバレたら怒られるかな。

 

 でも、今は無性に八一に会いたかった。

 

 関西将棋会館に入って、一階の出入り口付近で八一を待つことにした。

 電話で連絡でもしようかと何度も悩んだけど、どうせ忙しくて出れないだろうし、何より直接会って話したかったので、結局待ち続けることにした。

 そして約一時間半後。午前五時を過ぎた辺りでようやく八一が降りてきた。

 

「姉弟子? どうしてここに……」

 

 私を見つけた途端、八一は驚いた顔をして小走りで近づいてきた。

 まあ、驚くのも無理はないか。こんな時間だし。普通なら対局後なら何人もの記者たちも一緒に降りてくるけど、八一の他には見知った女記者一人しかいない。

 

「どうしてって、見ててって言ったのは八一でしょ?」

「言いましたけど……でも病み上がりなんですから、あまり無茶しないでくださいよ。あと、流石にこんな時間に歩いてると補導されますよ?」

「別に無茶なんかしてない。もう平気よ」

「なら、いいんですが」

 

 呆れたような声だけど、八一は私を気遣ってくれているんだ。

 確かに起きた直後は体の気怠さを感じていたけど今は調子がいい。

 それに補導されないように普段の制服ではなく、わざわざ私服を着てきたし問題はない……筈だ。

 

「……どうしたの?」

「あっ、いえ……」

 

 さっきから八一がずっと私を見つめてくるので、問いかけた。

 すると慌てたように八一は視線をそらす。

 どしたんだろう。もしかして……この服、変だったかな。

 普段は制服ばかり着てるせいか、気づかずにおかしなコーディネートになってるのかも。

 私的には無難なモノを着てきたつもりなんだけど、こういう時に流行に疎い自分を恨んでしまう。

 

「姉弟子が制服以外を着てる姿なんて、珍しいなって思って」

「そう?」

「ええ、最初見たとき姉弟子だと直ぐには分からなかったですよ」

 

 もしかして、私=制服だと認識されているんだろうか。失礼な奴だ。

 ……でも、事実だし否定はできない。

 それに、この時期の八一は間違いなく私のことをただの姉弟子の関係としか思ってないのだろう。異性としてではなく、家族に対する服装の認識なんてそんなものなのかな。むかつくけど、仕方がない。

 だって八一だもん。

 

「えっと、その……すごく、似合ってますよ」

「なんか言った?」

「い、いえ、何でもないです!」

 

 ぼそりと八一が何か呟いたようだったけど、声が小さすぎて言葉が聞き取れなかった。私の気のせいだろうか。

 

「それより、これからどうします? 時間も時間ですし帰るなら送りますよ?」

「そうね……」

 

 一応悩む素振りは見せているものの、どうしたいか聞かれた時点で既に思い浮かんでいる。

 

「今の時間なら少し待てば始発の電車が……」

「八一の家」

「は?」

「八一の家」

 

 私の言葉に間抜けな顔をしながら茫然とする弟弟子にもう一度同じ言葉を言う。

 

「いやいや、でも俺も対局後だし、姉弟子も病み上がりですし流石に今からは……」

「八一の家」

「で、ですよねー」

 

 有無など言わせない。八一が私を異性だと見てくれないんだ。なら、その間は存分に姉弟子としての立場を利用させてもらう。

 

 

 

 

 将棋会館を出て、二人で並んで歩く。

 八一に会いたかっただけで、最初はその後の事なんて考えてなかったけど、せっかくだし八一の家で泊まることに決めた。この時期の私は八一の家にいつでも泊まれるように着替えや歯ブラシを八一の部屋に常備させていたので抜かりはない。

 隣でゲンナリとした顔でとぼとぼ歩く八一は今から私と指すと勘違いしているんだろうけど、流石に対局後で疲労した相手にそんな事は求めない。

 それに、今回の対局に備えて寝不足だって言ってたし。まだ目元にクマが残ってる。

 

「春とはいえ、この時間だと冷え込みますね」

「そうかしら」

「そりゃ、姉弟子はそんな暖かそうな恰好してるからいいですけど」

 

 マフラーと手袋をした私を吐息を手に吐いて両手をこすり合わせながら八一は羨むような目で見てきた。

 確かに今の八一は寒そうだ。……うん、それなら、いい考えがある。

 私は手袋を外して、八一の手を掴んだ。ひんやりとした手が温まった手を程よく冷やし、妙に心地よかった。

 

「えっ、あ、姉弟子!? な、な、何を」

 

 急に手を握られて驚いたのか、挙動不審になる八一。私相手にこんな反応をするなんて珍しいかも。ちょっと可愛い。

 気分を良くした私はそのままぎゅっと八一の手を握りしめた。 

 

「なに? 寒いんでしょ?」

 

 倒れた私の手を握ってくれたのは、八一が優しいから。

 あんな状況じゃないと、きっと今の八一は昔のように手を繋いでくれないと思う。

 もう子どもじゃないんだし、とか言って。

 今はまだ私を異性としては見てくれない、ただの姉弟子と弟弟子の関係。

 『前回』の八一は私の事を好きだと言ってくれたけど、それはもう少し未来の話だ。少なくとも今の時期はまだ、そういう目で私を見てくれてはいない。

 そんな私がいま仮に告白したって、八一はきっと困惑するだけ。下手をすればフラれてしまうかもしれない。

 ────それだけは絶対にいやだ。

 

「いや、でも」

「いいから、言う事を聞きなさい」

「は、はい……」

 

 だから、今だけは口実さえあればいい。手を温めるためという理由で、姉弟子として命じて。

 それなら、姉弟子に逆らえないこの愛おしい弟弟子は今でもこうして私と手を繋いでくれるから。

 

「あの、姉弟子」

「なに?」

 

 手を離せというなら全力で拒否する。その意思を伝えるように手を握る力を強めた。

 少し爪が食い込んでしまったかもしれない。

 

「ちょ、離しませんから! そんな強く握らないでくださいよ! 痛い! 痛いから!」

「……それで、なに?」

「えっと、その……今日はありがとうございました」

 

 急にそんな事を言われて、思わず言葉が詰まった。

 その言葉は、あの日。人生で一番聞きたくない告白をされた時と同じ言葉だったから。

 

「……あ、ありがとうって、何が?」

 

 まさか、あの日と同じやり取りをするとは思わなかった。

 これで八一の指にあの吐き気を催す銀色の指輪がはめられていたら、完全な再現になってしまう。

 不安になって繋いだ手を恐る恐る確かめてみたけど……そこに指輪の感触はなかった。

 ほっと息を吐き、もう一度八一が離れてしまわないように握る力を強めた。

 

「今日の対局ですよ」

「……対局?」

 

 今回も私は特に八一になにかしてあげた記憶はない。

 スランプの原因を指摘しようとしたけど、八一は自力で切り抜けてしまったし。

 寧ろ、私が倒れたせいで余計な心配までさせてしまったかもしれないのに。

 どうしてお礼なんて……。

 

「今日、俺が勝てたのは姉弟子のお蔭なんです」

「私は、なにもしてないけど……」

「そんな事ないですよ。ずっと見てくれてたんですよね? 俺の対局」

「……うん」

「対局中、今日は姉弟子がずっと見てくれてるって思ったから、だから今日は最後まで指すことができました」

 

 頬が熱くなるのが自分でも分かった。

 私が見てる。そんな、そんな些細な事で……。

 私が、力になれている。支えになれているんだ、私が、あの八一の。

 八一にとっては姉弟子として、なんだろうけど、それでも信頼されているんだと、知ることができた。

 ああ、なんで、こんな簡単なことが前はできなかったんだろう。

 

「……だから、これからも俺を」

 

 八一は何かを言おうとしたけど、首を振って途中でその言葉を止めた。

 恥ずかしそうに頬をかいている。八一は何を言おうとしたのだろう。

 

「八一?」

「いえ……とりあえず言いたかったのは、それだけです」

 

 それだけ言って、八一は黙ってしまった。

 さっきの言葉の続きが気になったけど、この様子だとこれ以上は話してくれないらしい。

 でも、とりあえずは──。

 

 

「八一が勝ててよかった」

 

 その後は特に会話もなくただ静かに歩いて帰った。いつもなら、弾む将棋の話すらなく、ただ黙々と歩幅を合わせて歩くだけ。

 言葉はなかったけど、それが気まずい沈黙なんかじゃなくて、ただ心地よい時間で、まるで私達だけで昔に戻ったようで。

 繋いだ手は家に着くまでずっと離れず、朝焼けに吹く冷たい風は火照った私の頬に心地よかった。

 隣にいる八一の顔も、ほんのりと赤みが指しているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい。師匠」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八一と手を繋ぎながら家の扉を開けると、真っ暗な玄関で正座をした幼女がいた。

 

「「ひいいいいいいいいいいい!!」」

 

 こ、怖かった……正直、心臓が止まると思った。

 私はもともとホラーが大の苦手なのに、誰もいない筈の部屋の扉を開けたら玄関で幼女が待機しているなんて、あまりにも心臓に悪すぎる。

 普段はホラー映画を見て怖がる私をおちょくってくる八一もさすがに、暗闇の玄関で待機する幼女の不意打ちには耐えられなかったのか、私たちは互いに抱き付きながら悲鳴を上げていた。後々思うと中々恥ずかしいことをしている。

 

 そんな私たちを無視するかのように、幼女は自己紹介を始めた。

 

「お久しぶりです。約束通り私を弟子にしてください。九頭竜八一先生」

 

 純粋無垢な笑顔を浮かべ、八一にぺこりと頭を下げたその子は、とても小学生とは思えない言葉使いで挨拶をした。このホラー幼女の名を、私は知っていた。

 

 

 雛鶴あい。

 

 八一の一番弟子となる子。内弟子になって私と八一の間に急に割り込んできたクソガキ。将棋の神様に愛された白い天才。

 こいつの事を忘れていた訳じゃないけど、まさかずっと部屋で待機していたなんて、想像できなかった。

 小学生とは思えない行動力を発揮する雛鶴あいを眺めていると、下げていた頭を急にぐるりと上げ、私を見た。

 

 

 

「それと……“はじめまして”、空先生」

 

 

 

 先ほど浮かべた笑顔と違う、黒く濁ったその目を見て、私は先ほどとは違う別の恐怖心を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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