いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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表と裏:後編

 ―――うちはサスケの変化―――

 

 

 

 午後の任務が終わってから、サスケは演習場にいた。夕焼け空の下の空気は午前よりも温度は低く、面倒だった任務の後にはちょうどいい。任務は得るものが何もなく、ただ時間と些細な体力とチャクラを消費しただけの不毛な時間でしかなかった。ストレスが溜まっただけだったが、体温が下がると、少しだけ気分は改善されるような気がした。。

 

 ところが、演習場に着き、三本の丸太が立つ場所まで来ると、落ち着きだした気分がさざ波を出し始める。

 

 理由は単純。丸太の上で格好つけて立つ彼女の姿が、単にムカついただけだった。

 

「ふふーん、よく来たねサスケくん!」

 

 イロミは腕を組みながら声を高くする。

 

「その度胸だけは褒めてあげる。でもね、私はまだ怒ってるよ……紅ショウガじゃなくて、柴漬けを買ってきたことにねッ!」

「黙れアホミ。俺を見下ろすな」

 

 苛立ちを隠そうともしない鋭い視線をイロミに向けるが「全く! 貧乏生活の私でも、牛丼に柴漬けを合わせたのなんて初めてだよッ!」と、丸太の上で地団太を踏むという器用な動きをするだけで、それが益々サスケの苛立ちを逆撫でした。さらに「ふふん」と演技がかった笑みを浮かべると、サスケは小さく舌打ちをする。

 

「今日こそは教えてあげるからね」

「さっさと降りろ」

「私の方が年上なんだからねッ!」

「うるさい黙れ」

「それに上忍だからね! 特別が付くけど! 雑務処理しかやらせてもらえないけどッ!」

 

 とにかく彼女は格好つけたがる傾向がある。丸太の上に立っているのも、年上や地位を主張するのも、長いマフラーを年がら年中首に下げているのも、格好をつけるためだ。正直、頭が悪いようにしか見えなかった。頭が悪い相手を見るだけなら何も思わないが、不必要に絡んでくるのは鬱陶しい。

 

 イロミは丸太から飛び上がり、無意味な空中一回転をしてから着地した。

 

「それじゃあ、勝負しよ。勝ち負けの決め方は?」

 

 まるで負ける気がしないというのを露骨に主張する彼女の笑み。

 

 忍術勝負をすることになったのは、昼食時の会話で決まっていた。言い出したのはイロミである。紅ショウガを買ってきてくれるなら勝負をしてあげる、と。結局は紅ショウガを買ってこなかったのだが、そもそも買い物に集中していなかった。

 

 イロミと勝負できる。

 この機会はサスケにとって貴重なものだったのである。

 

 頭が悪そうに見えても、事実として、彼女はサスケよりも強かった。これまで何度も忍術勝負を彼女と行ったが、勝てた試しはない。

 

 里の中で実戦に近い勝負をすることというのは難しい。同じチームのカカシに、サシでの勝負を要求しても実現されない。兄であるイタチに言っても「もっと力を付けてからだ」と言われるだけ。他の上忍や中忍でも、下忍という地位では相手にされないのだ。

 

 その上、任務は地味で不毛なものばかりで、実戦とは程遠い。

 

 皮肉なことに、自分よりも強く、勝負の相手をしてくれるのは、最も鬱陶しく邪魔臭い彼女だけだった。

 

「勝ち負けはいつも通りだ」

「決定打を当てたらだね。他には? いつも通り? ハンデは無し?」

「ああ」

「うん。じゃあ、よろしくね」

 

 イロミは右手を顔の前に持っていく。不自然に曲がったまま固まってしまっている彼女の指は、しかし機械的な動きで人差し指と中指だけを立てる形を作る。忍術勝負を始める前の挨拶だ。サスケはイロミと距離を取ってから、対峙する。挨拶はしない。それが、今のイロミへの、サスケの評価だった。

 

 見下している訳ではない。

 鬱陶しくて邪魔臭いという意味合いはあるかもしれない。

 

 だが、本心では、やはり彼女のことが嫌いだった。

 憎いほどに、大嫌いだった。

 

「今日は―――」

 

 サスケは呟く。

 

「俺が勝つぞ、イロミ」

 

 小さくイロミが息を呑み込んだ音が届いた。彼女の視線は真っ直ぐ、サスケの両眼を見つめていた。

 

 写輪眼。しかし、彼がイロミとの戦闘で用いたことは何度もある。イロミが驚いたのは、写輪眼を発現させたことそのものではなかった。

 

 黒い瞳。その周りに浮かぶ、勾玉模様が、これまでは二つだったのに対して今は……三つ。イロミは一瞬だけ、サスケの写輪眼から、友人であるイタチを連想してしまい驚いたのだ。それによって生まれたイロミの僅かな思考の空白は、全く次の動作を起こそうとしないことを予測したサスケの写輪眼が明確に示していた。

 

 地面を蹴る。波の国での任務を経て毎日行ってきたチャクラコントロールによる、迅速な動き。

 

「うわ!?」

 

 振り抜いた右手をイロミは間抜けな声を上げながら、咄嗟に上体を大きく仰け反らせて避けた。重心を不必要にずらしてしてしまった彼女だが、その反動を利用して右足を振り上げる。特別上忍であるイロミだが、身体能力はあまり高くない。サスケはあっさりと腕で受け止めながら、彼女の左足を蹴る。背負った巻物ごと背中からイロミは倒れる。

 

 即座にイロミが右手をジャケットの中に入れようとするのを、瞬時に左足で踏み抑えた。

 

 彼女の一挙手一投足が、いとも容易く予測できてしまう。

 

「ちょ、不意打ちなんてズル―――」

「油断したてめえが悪いんだろうが」

 

 彼女の左腕も右足で踏み抑え、右手は拳。これを振り抜けば、勝てる。

 

「解」

 

 それでも、イロミは特別上忍だ。身体能力ではサスケより下でも、一応は上忍である。チャクラを巻物に送ると、彼女の【仕込み】が出現する。

 

「……ッ!?」

 

 蜘蛛の節足のような巨大な刃だった。地面を突き進み、イロミの両脇から六本の刃をサスケは後ろに跳んで回避した。流石に、見えない地面の下の物質の動きまでは予測することができず、大雑把な回避である。

 

「よかった、避けてくれて。大怪我したらどうしようかと思ったよ」

 

 すぐさま立ち上がった彼女は安堵の笑みを浮かべながらも、巻物を背から離し、紙を広げる。

 夥しい量の【封】という大小様々な文字。それはただの文字ではなく、脅威の象徴だった。

 

「解」

 

 弾丸のように出現したのは、イロミ特性の泥団子。廃油と泥と多種の粉末を練りこんだ、液状に近い拳ほどの大きさを持つ泥団子を、イロミの足元から順に敷き詰めるように飛来してくる。サスケは避けていった。触れてしまえば、へばり付き鉛のように重い泥団子に動きを制限される。これまでの忍術勝負で何度も手を焼いた泥団子の弾幕は、写輪眼が成長してから容易く避けることが可能だった。

 

(……あの時と同じだ)

 

 波の国での戦闘を思い出す。

 

 白という少年と戦った時のこと。

 

 ある時(、、、)を境に、急に白の動きを予測し捉えることができた。

 

 あの時の感覚が、集中力や危機感による高ぶりなどの一時的な現象ではないということをはっきりと確認した。写輪眼の成長に込み上げる笑みを抑えながら、サスケは印を結ぶ。

 

 写輪眼の力を確認するということ。それが、イロミが提示した忍術勝負に飛びついたサスケの心情だったが、目的は次にシフトする。

 

 先ほど宣言した通り、彼女に勝つ。

 

 印を結び終えたサスケは、態勢を大きく低くして、左手を筒のようにし口の前に構えた。

 

「火遁・豪火球の術!」

 

 口に溜めたチャクラを一気に吐き出した巨大な炎の塊。チャクラコントロールによる効率化のおかげで、直径三メートルにも及ぶ大火は油を染み込ませた泥団子を燃やし分離しながら、イロミを呑み込もうとする。

 

「ふふーん、解」

 

 出現するのは、膨大な水。どこかの池の水を封印していたのか、豪火球の術よりも三回り大きい球形の水は、大火を押しつぶしながらも表面が蒸発し辺りを霧で包み込む。蒸発しきらなかった水は地面に落ちると一気に広がる。

 

 濃霧の中。しかし、写輪眼は確かにイロミのチャクラを捉えている。次の行動も。彼女は巻物を投げてきた。蛇の尾のように紙を螺旋状に引きずりながら近づいてくる。

 

 巻物から距離を取ろうと足に力を入れるが、その時になってようやく、足元が不安定だったことに気付いた。

 

 地面に広がった水。それらが、イロミに近い泥団子の油を浮かせ、足を滑らせようとする。いくらチャクラを足元に集中させていても、乾いた地面と油の浮いた濡れた地面を移動するのでは、微妙な差が生まれてしまう。

 

(くそッ………)

 

 上体を大きく右に傾けながらチャクラを調節。しかし、第一歩を踏み出した時には、すぐ脇を巻物が通過しようとしている。巻物の尾には、イロミの指へと延びる一本のチャクラ糸が。

 

 いくら写輪眼でも、巻物から何が出現するのかまでは、予測できない。あくまで見える行動の予測だけ。巻物の取捨選択は、イロミの思考そのもの。

 

 何が出ても避け切るように、写輪眼の焦点を巻物に合わせるが……それは悪手。木の如く枝葉に分かれたイロミの思考の一つは、サスケの行動に触れていた。

 

(……ッ!?)

 

 上体を傾けたせいで、重心が右足一本に集中してしまっていた。その右足を掬われる。視界の端に、もう一本のチャクラ糸が。糸は、自身の右足に。

 態勢が完全に崩れると同時に「解」というイロミの声が。

 

 巻物の【窓】から出たのは、布のガムテープ。サスケの身体に貼りつき、動きを絡めていきながらも、投擲された巻物の勢いに引っ張られる。

 

「ホイホイ、ホイ」

 

 それからは一方的に、サスケは動きを封じられた。

 

投擲されて伸びた紙の部分をイロミはすぐさまチャクラ糸で動かし、ガムテープに雁字搦めにされたサスケにさらに巻き付けた。【封】という文字が書かれた面を内側に、簀巻きにされる。

 

 勝負はあっという間に決着してしまい、サスケの惨敗で終わった。

 

 ちょうど濃霧が晴れる。わざとらしく胸を張って近づいてきたイロミは、声のトーンを高くして言った。

 

「ふふふーん。もしこれで私がチャクラを送ったら、そこに入れてある槍とか刀とかがサスケくんを串刺しにしちゃうよ?」

「……うるせえアホミ。まだ勝負はついてねえ」

「そろそろ私を、イロミさんって、呼んでくれないかなあ? 呼んでくれたら、もう一回勝負してあげてもいいよ?」

 

 もう一戦できる。魅力的な提案だったが、即答することはできなかった。嫌いなイロミをさん付けで呼ぶということへの抵抗が六割、写輪眼の成長を確認できたことへの一応の目的の達成による諦観が三割。そして、不本意だが……まだ彼女の方が強いということへの認識が一割。それらが、返答を躊躇わせた。

 

 渋っていると、イロミは唇を尖らせた。

 

「もー。意地っ張りなんだから。……まあいいや」

 

 イロミは慣れた手つきでサスケを解放させた。巻物から解放してやり、ガムテープを剥がしてやる。自由になったサスケだが、服や顔には、地面を濡らしてできた泥が付いていた。

 

「ごめんねサスケくん。服とか汚れちゃったね、拭いてあげるからね。えーっと、タオルタオルっと……」

「……大きなお世話だ」

「そう言わないの。家に帰ったら、そのままの恰好で上がらないでよ? 掃除するの大変なんだから。靴とかの泥はしっかり落としてから―――」

「てめえが面倒なことするからだろ」

「私はあまり忍術が使えないからね。こんなバカみたいな方法じゃないと、勝てないの。はっきり言って、私と忍術勝負しても実戦的じゃないよ?」

 

 身体能力、忍術の精度など、忍としての基本的戦闘力では勝っているという感覚はあった。これまでの忍術勝負では、常に距離を離し、巻物の【仕込み】で戦うというスタイルでしかイロミは戦ってこなかった。彼女のことを強いとは思っているものの、彼女のような忍が他にもいるような気はしなかった。

 

(……いや…………里の外には、俺よりも強い奴がいる。当たり前のように……)

 

 思い出すのは、白のこと。

 

 彼は血継限界を持つ者だった。氷の性質変化を使用し、片手のみで印を結ぶことができた彼は、全く想定できなかった人物だ。もしかしたらイロミのようなスタイルの忍が他にいるのではないかという考えが過ると、いつの間にか、彼女を睨んでいた。イロミは巻物からタオルを取り出している最中である。

 

「イロミちゃーん!」

 

 その時、遠くの方から少女の声が届いた。夕焼け時の空気を一切に無視した、あっけからんと底抜けに明るい声。二人は同時に声の方に視線を向けると、演習場を囲う木々の上を器用に飛び回る少女―――フウがいた。

 

「とうっ!」

 

 特に障害物がある訳でもないのに、サスケとイロミに一番近い木から無駄に高いジャンプをすると、別に審判がいる訳でもないのに六回転の捻りを加えた宙返りを披露して、イロミの前に着地し、

 

「ぬがッ!?」

 

 油の浮いた地面に足を滑らせた。ダイナミックに前面から転んだせいで、サスケの頬には跳ねた泥が付くのを、イロミはタオルで拭きながら彼女に尋ねた。

 

「……大丈夫? フウちゃん」

「ぶくぶくぶく、ブクブクブク?」

 

 泥に顔面を埋め込んだままフウは何かを言っているが、もちろん聞き取れない。煩い奴が増えた、とサスケは内心で舌打ちしながら、イロミからタオルを奪い自分で泥を拭き始める。

 

「何言ってるか分からないんだけど。フウちゃん?」

 

 フウは顔だけをイロミに向けた。

 

「…………カッコよかったっすか?」

「相当間抜けだったよ」

 

 同感、とサスケは思う。

 

「どうしてここら辺、濡れてるんすか? 今日は雨が降ってないはずっすけど」

「サスケくんと忍術勝負しててさ、まあ、そこで色々やってさ」

「え?! サスケくんがいるんすか! ってことは―――」

 

 飛び跳ねるように立ち上がった彼女は、泥パックをした顔をキョロキョロと辺りに向けた。

 

「イ、イイイイイ、イタチさんがいるんすかッ?! ど、どこどこどこ?!」

「いや、いないけど」

「……えー」

「イタチくんは任務が入ったみたいだから」

「そんなぁ。…………あ、サスケくん、どもっす。泥塗れで酷い顔っすね」

「お前にだけは言われたくねえ」

 

 はいタオル、とイロミは巻物から新しくタオルを出してフウに手渡した。巻物には油でも塗られているのか、表紙に付いた泥は軽く振るとあっさりと地面に落ち綺麗なままで、イロミが手早く伸びた紙を丸めると元通りになる。それを背負いながら、イロミはフウに尋ねた。

 

「何か用?」

「あ、そうなんすよ。アンコさんがイロミちゃんのこと呼んでたっすよ? 何だか、仕事をしろーとか、叫んでたっす。何かやったんすか?」

「うーん……やっておくべき仕事はやったんだけどなあ。え? そんな叫んでたの? 何か、具体的に言ってない?」

「フウは、連れて来いって言われただけっす」

「じゃあとりあえず、アンコさんの所に行くよ」

 

 どうやら、たとえこれからもう一勝負と言ったとしても無理なようだった。まあいい、とサスケは心の中で呟く。写輪眼の成長を確認できただけでもと、落としどころを設定して、立ち上がる。東の空が夜色になり始めている。西の太陽は完全に隠れたようだ。

 

「あ、サスケくん。晩御飯は冷蔵庫の中に置いておいたから。イタチくんの分もあるから、あまり食べ過ぎないようにね!」

 

 イロミの言葉を無視して、サスケは帰路を辿った。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 シャワーを浴び、白の無地の寝間着に着替えた後、お湯で重くなった髪の毛を軽くしながら忍術書に目を通していると、イタチは家に帰ってきた。壁に背中を預けていたサスケは、顔を上げる。窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

「おかえり、兄さん」

「ああ、ただいま」

 

 シューズを脱ぎ、黒のコートを脱ぎながらイタチは自室に入るが、すぐに戻ってきた。コートは自室の衣文掛けに掛けたようである。

 

「晩御飯は食べたのか?」

「まだ。兄さんは?」

 

 食べてないと呟きながら、彼は冷蔵庫を開けた。

 

「イロミちゃんが作ってくれていたようだ。食べるぞ」

 

 二人で夕食の準備をする。準備をすると言っても、イロミが作った野菜の煮物とサラダ、アスパラのベーコン巻きと味噌汁、そして炊いてあった御飯を温めたり器に移しただけである。テーブルの上に食事が並ぶと、イタチは両手を合わせて「いただきます」と言った。けれどサスケは無言に食べ始める。イタチは呆れたように息を吐きながら微笑んだ。

 

「サスケ、いつも言ってるだろ。食事の挨拶くらいはしろ」

「バカミがいないのに、言っても意味ないだろ」

「その呼び方も止めるんだ。イロミちゃんは特別上忍だ。お前よりも努力して、実力もある。恭しくしろとまでは言わないが、敬意は払え」

「どんな任務があったんだ?」

 

 イタチは小さくため息を吐く。食事の挨拶云々というのはいつものことで、サスケ自身は改善するつもりは毛頭なかった。

 

「しばらく、里の外に出ることになった。今日呼び出されたのは、その打ち合わせだ」

「どれくらい外に出るんだ?」

「分からない。だが、二週間以上になることはないだろう。帰ってくるまでは、一人で家の世話をすることになるが、大丈夫か?」

「もぐもぐ……ああ、大丈夫」

 

 と、サスケはアスパラのベーコン巻きに箸を伸ばす。

 

「一応、イロミちゃんに一言お願いしておく。ただ、彼女も忙しくなるみたいだ。あまり、失礼なことは言うなよ」

「………………ああ」

「あとは、そうだな……家を出る時は必ず二回は窓と玄関の鍵は確認するんだ。ガスコンロは元栓を閉めるんだぞ。夜更かしはするな。それとだな―――」

 

 夕食の後半は延々と、一人で過ごすことの注意点を語られた。どれもこれも、いくらまだ子供であっても過度なくらいに用心した注意で、正直、鬱陶しく感じてしまった。

 

 イタチには時々、そう言った過保護な部分があった。忍としても人格者としても心底尊敬しているのだが、その部分だけはいただけない。サスケが子供ながらに悟った価値観は「完璧な人間というのはいない」ということで、話しの最後の部分はかなりいい加減に相槌を打っていた。

 

 夕食が終わると、ゆったりとした時間がやってきた。つまり、満腹による安心感にも似た感覚が頭を支配した。憎らしいことだが、イロミの料理は美味い。少なくとも、イタチが作る薬の如く無味無臭に近い料理に比べれば遥かに美味しいことは間違いない。イタチの料理では、ゆったりした時間はやってこないのだ。

 

 イタチが浴室から出てくる。寝間着に着替え、後ろの髪の毛を解いた彼も、洗った黒髪をタオルで乾かしながら、サスケと同じように忍術書を手に取った。二人は対面に座りながらも、それぞれ別の忍術書を読んでいた。

 

 別段、イタチと話したいと思わない。嫌いだとか苦手だとかではなく、ただ、話すことがないというだけ。むしろ、こういった全くの静かな時間というのは心地いい。何回も同じ種類の飲料水を飲んだ後に、急に冷えた水が飲みたくなるような感覚だ。午前の演習、午後の任務。どちらも不毛な時間で無意味な経験だったが、この時間で洗い流されるような気がした。

 

 だが、

 

 イロミとの忍術勝負のことは、流されなかった。写輪眼が成長したということの事実を洗い流すには、今日の収穫は放置できない。サスケは本から小さく顔を上げた。

 

「兄さん」

「なんだ?」

「兄さんのような写輪眼になるには、どうすればいいんだ?」

 

 うちは一族抹殺事件の時。

 イタチとフウコの戦闘を見ているだけだったサスケは、写輪眼の可能性に気付いていた。

 

 黒い炎に、灰色の巨大な人型のチャクラ。

 

 あの力も欲しいと、サスケは常々思っていた。

 

 イタチは少しだけ考えるように瞼を伏せた。

 

「……お前にはまだ早い。チャクラコントロールが………そうだな、イロミちゃんの三分の一まで上達してからにしろ。身体の一部であっても、写輪眼は忍具の一つだ。それだけに頼っても、いずれ限界が来る」

「………………」

「学びたい術があるなら、いずれ俺が教えてやる。あるいは、カカシさんを頼れ。あの人も、写輪眼を使える。術の多さなら、あの人の方が多いだろう」

「……カカシに頼んでも、はぐらかされる。兄さんみたいに」

 

 くすりと、イタチは笑った。

 

「そうだな、カカシさんは昔からはぐらかすのが得意な人だ。ならきっと、お前にはまだまだ学ぶべきことが多くあるということだ。あの人は、見た目はいい加減に見えるが、人を良く見てる。じっくり基礎を学べ。俺も時間が空けば、手を貸そう」

「……じっくり基礎なんか学んでいる暇なんかない。俺はもう、ガキじゃないんだ」

「お前はまだまだだ、サスケ。だが、下忍の中では抜きんでてはいる。まずは地力を固めろ。写輪眼は―――」

「写輪眼は、成長した」

 

 白との戦闘で。

 ナルトが……倒れた時。

 高ぶった感情が眼に集中するような感覚と、視覚が恐ろしく研ぎ澄まされたかのような感覚を獲得してから。

 

 サスケは、写輪眼を見せつけるように、イタチを見た。

 

 イタチが小さく息を呑むのが、はっきりと分かる。

 

「俺は、強くなりたい」

「……強くなってどうするつもりだ?」

「あいつを………フウコを殺す」

 

 躊躇いもなく宣言したその言葉は本心ではあったが、一瞬だけサスケの脳裏には、ナルトの姿が過った。

 

 身体中に刺さる千本の群れに蝕まれたナルトが、糸の切れた人形のように倒れる瞬間。

 

 命が消えるという喪失感。

 大嫌いで、憎くて、鬱陶しい奴なのに、空虚に包まれる感覚。

 どうしてその光景が思い出されたのか、サスケは無意識に触れないように逸らす。

 

 リビングに沈黙が。

 

 イタチの表情は硬くなり、本を閉じた。左手で唇を覆う仕草は、これまでただはぐらかして修行を付けてくれなかった兄のリアクションとは異なっており、もしかしたら写輪眼について教えてくれるのではないかという期待が膨らむ。

 

「……いいだろう。だが、条件がある」

 

 サスケは固唾を飲んだ。

 

「九日後、七の月七日に、中忍選抜試験が行われる。まだ極秘だが、第七班はカカシさんの名の元に推薦がされた。もしお前が、その試験で合格し中忍になったら、写輪眼のことについて教えてやる」

「……本当か?」

「ああ」

 

 そこでようやく、イタチは表情を和らげた。立ち上がり、目の前までやってくると頭を撫でられた。

 

「だが本当は、試験には参加してほしくはないんだ。写輪眼云々は別にしてな」

 

 イタチは続けた。

 

「中忍選抜試験は、下手をしたら命を落とす。お前の実力は認めているが、それでも心配なことには変わりない。試験を受けるかどうかは、よく考えるんだ。まだお前は子供だ。伸び代も、時間も、十分にある」

「……兄さんが修行を付けてくれれば、試験なんて楽勝だけどな」

「よく考えて、覚悟を決めたら、お前の好きにしろ。試験に合格し、中忍になったら、写輪眼のことを教えてやる」

 

 すると、頭を撫でてくれていた手が離れ、人差し指と中指で額を叩かれる。気が付けば写輪眼は解けていた。

 

「お前の上司はカカシさんだ。俺も仕事で忙しい」

 

 つまりは、今は諦めろということなのだろう。仕方がないと、サスケは思う。イタチは暗部の部隊長で、忙しい身だ。それにイタチが自分と同じくらいの時は、自分の力で実力を付けたようで、だから、自分も同じようにしなければならないという、兄への敬意が諦めさせた。

 

「俺はもう寝る。明日は早いからな。お前も、夜更かしはするなよ」

「分かった。おやすみ、兄さん」

「おやすみ。ああ、明日からは寝る時も―――」

「分かってる分かってる。鍵は確認するし、ガスコンロの元栓も閉める」

「歯も磨けよ」

 

 そう言ってイタチは自室へと入った。

 

 静かになるリビング。手に持っていた本を閉じてテーブルに置き、リビングの電気を落とした。眠くはなかったけれど、自室に入り、押し入れの布団を敷いて横になる。自室は暗く、窓を隠すカーテンからは一切の灯りは入ってこない。暗闇に包まれる天井をぼんやりと見上げていた。その向こうには、明日の予定が浮かび上がっている。

 

 明日は、特に予定はない。任務も演習も無く、自由な時間だった。修行はありったけできる。何を修行しようか。

 

 そう思う反面、どこか、物足りなさを感じている自分がいることに気付く。薄々、ここ最近の自分の変化は分かっていた。

 

 カカシやサクラ、ナルト。鬱陶しく、面倒なメンツと集まるという時間が、自分の日常になりつつあった。どうしてだろう。

 

 カカシはいい加減で、修行を頼んでもろくすっぽまともに指導しようという気を感じられない。何かと話しかけてくるサクラは鬱陶しく、正直、実力だけ見れば第七班では一番下だ。

 

 そしてナルトに至っては、サクラ以上に面倒だった。何かと突っかかって来る上に……未だフウコのことを信じている。それが何よりも苛立たせる。一族を滅ぼし、両親を殺した彼女を信じるというのは、敵と同義だ。

 

 なのに、ほんの少しだけ……認めている部分はあった。

 

 ナルトの境遇は詳しくは知らない。ただ彼がずっと、孤独の中にいたというのだけは、理解している。彼の両親を見かけたことは一度も無く、彼に向けられる視線が彼を孤独に追いやっているということも、何となくは分かっていた。

 

 だからなのかもしれない。自分はまだ、恵まれていると思えてしまうことも、フウコを信じようとする馬鹿みたいな考えも、分かってしまう。

 

 もし、イタチが何かの間違いで犯罪を犯しても、きっと自分は彼を信じるだろう。たとえ全ての人が彼を犯罪者だと決めつけてもだ。今ではもう、たった一つで最上の繋がりだから。

 

 孤独という部分においては、ナルトのことは認めていた。

 あいつもまた、孤独なのだと。

 認めていると言っても、爪の先ほどだ。

 それ以外は勿論、一切に認めてもいない。

 

 とにも、かくにも。

 

 きっと自分は、第七班を認めているのかもしれない。必要なのだと、認めている。カカシの実力も、サクラのここぞという場面に強い胆力も、ナルトの孤独も。イロミの実力を認め、彼女との忍術勝負を必要としているように、第七班と過ごす時間も、必要としているのかもしれない。

 

 だから、考えてしまうのだ。明日を考える思考に、第七班のことを含めようとしてしまうのも。

 

 眠くなってきた。よくよく考えてみれば、今日は忙しかったように思える。無駄に疲れる演習と任務、イロミとの忍術勝負、そして意外と充実した一日を堪能した。

 

 そんな当たり前の子供のような感情を隠して、明日の事を夢想しながら、気が付けばサスケは眠っていた。

 

 

 

 ―――上忍・はたけカカシ―――

 

 

 

 はたけカカシは報告書を出していた。午後の任務の経過と達成、及び依頼主の任務達成の認可が記された書類であり、特にカカシ自身の個人的考えを記すことのない簡単なもので、ましてや下忍クラスの任務なのだから鳥を飛ばして【任務達成】の文字を記した紙を提出するだけで事足りるような気がしないでもない。しかし、やはり任務依頼の為に金を出してもらっているのだから、そういった記録は残すのは義務であり責任だ。下忍クラスの任務は些細な金額で依頼されるけれど、信頼というのはディティールから作られ支えられるものだ。

 

 筒状の灰皿と二つの長椅子が設けられている部屋だった。奥側にある折り畳み式の簡素なテーブルが二つか三つほど並べられ、その上には幾つかの書類が置かれている。ここが、下忍クラスの任務の報告書を受け取る部屋だった。

 中忍、上忍となればもっと格式ばった部屋を使われる。任務の重要度や危険度が異なれば、情報管理も変わってくる。つまり、この部屋そのものがランク分けの指標ともなっているのだ。

 

 部屋には、今さっき入ってきたカカシ以外に人がいた。彼女は長椅子に座り、タバコの煙を吐いていると、入ってきたカカシに顔を向けあからさまに顔をしかめた。

 

「……チッ。んだてめえかよ」

「よ、久しぶり」

「死ね」

 

 会話を初めて三秒で死ねと頼まれるのは人生ではなかなか経験できることではない。だが、ブンシの暴言は今に始まったことではなく、昔からだ。特に、カカシに対しての暴言の速度と飛躍性は群を抜いている。

 

 カカシ自身は特に不愉快に思うことはなかった。黒縁眼鏡と、額を大きく見せるように額当てで前髪を抑える髪型、香りの強いタバコ、それらがブンシの特徴であるように、暴言もまた彼女の特徴だ。割合で言えば、九割を占めているかもしれない。むしろ、ニコニコと上品な笑みを浮かべながら「あら、カカシさんではありませんか。ご機嫌麗しゅう」などと言った日には、神社でおみくじを引いて今日の運勢を確かめる事だろう。

 

「てめえタバコ吹かさねえだろ。なんでいんだよ」

 

 目障りだ消えろと言いたげに彼女はタバコを大きく吸った。タバコは見る見る短くなり、先端が真っ赤っかに燃えた。

 

「任務報告に来ただけだよ。俺、チーム持ってるから」

「しゃべんな。髪型ズレてんだよ。ハゲにして死ね」

「んなむちゃくちゃな」

「ったく、糞面倒くせえ」

 

 短くなったタバコを殴るように灰皿で潰し、もう一度舌打ちしてから彼女はテーブルの裏に回って書類の中から任務依頼をまとめた書類を取り出した。カカシもそれに合わせて、自身がまとめた報告書を出した。

 

「……あー、猫探しの奴か。あのマダム、まだ飼い猫に嫌われてるって分かってねえのか。そろそろ、国の保健所が依頼にでも来るんじゃねえか?」

「俺たち忍としては、顧客様だけどな」

「午後はこれ一本って……どんだけ時間かけてんだよ」

「いい加減、猫も学習してね。ナルト達に任せたら時間がかかったんだ」

「……あいつら、真面目にやってんのか?」

 

 依頼表の中の第七班が担当した欄に○を記しながらブンシは尋ねる。

 

「まあまあだな。心配なのか?」

「誰がてめえの心配なんざするか。てめえの顔見るたび腹が立つんだよあたしは」

「もうあいつらも、立派な忍だ」

 

 報告書を彼女の前に置く。彼女は乱暴に手に取り、報告書の中の【依頼達成】という部分だけを流し読んだ。カカシは続ける。

 

「サクラは真面目で容量が良い上に、チャクラコントロールは抜きん出てる。サスケは全スキルは、おそらく下忍でトップレベルだろう。ナルトは―――」

 

 そこでカカシは一瞬だけ言葉を止めた。一秒も止めていないだろう。しかし、フラッシュバックした映像は克明だった。

 

 波の国で起きた、ナルトの暴走。

 

 九尾の赤いチャクラに染まり、全身を血だらけにした彼の姿を思い出す度に、あの時に何度も死線を掻い潜った緊張感が蘇る。

 

 もちろん、それだけで彼への友好的な評価は変わっていない。

 

「―――真っ直ぐで素直で、努力を欠かさないよ。今はまだダメダメで、予想外の事ばっかりやるが、あいつはいずれ、大物になる」

「……そうか」

 

 報告書にブンシは判子を押した。これで報告書の提出は終了である。

 

「そういやおたく、ここ担当だったっけ?」

「イルカの野郎がアカデミーの残業中でな、アンコの奴に頭下げられたんだよ。手当も出るみてえだし、タバコも吸い放題。断る理由ねえだろ。だけど、自販機が近くにねえのが困ったもんだ。酒が飲めやしねえ。後でアンコに文句でも言ってくれ」

「時期的に、もうそろそろ中忍選抜試験が行われる頃だ。特別上忍は忙しいんだろう。まあ、会えたら言っとくよ」

 

 踵を返し、部屋を出ようとする。タバコを吸う習慣は無く、彼女とあまり会話をするつもりもなかった。彼女の暴言は面白いものの、下手をしたら暴力が飛んでくることもある。当たることはないものの、そういう事態になることが面倒だった。

 

 ブンシとは仲が良いという訳ではない。特に、彼女自身が積極的にカカシを嫌っている。理由は分かっている。彼女が昔、父であるサクモを慕っていて、かつての自分はサクモを軽視していたから。今は父を誇りに思っているが、それでもブンシは許してはくれなかった。

 

 両手をポケットに入れて部屋と廊下の境界線を踏み越えた時「おいカカシ」とブンシに呼び止められた。振り返ると、彼女は困ったように唇を一文字に閉めてから、呟いた。

 

「イロミのアホは……上手くやってんのか?」

「……上手くやってんじゃないの?」

 

 テキトーに応えたように思えるが、実のところ、そうとしか言いようがなかった。

 

 彼女と自分では役割が違う。イロミは特別上忍で、自分は上忍だ。仕事を上手くやっているかどうか、というのは本当のところ、よく分からない。

 

 カカシの答えにブンシは、安心したかのように小さく肩を下した。

 

「気になるなら、彼女に直接訊けばいいだろう。まだ仲直りしてないのか?」

「……てめえに言う必要はねえよ」

「あ、そ。お前が心配するほど、彼女も、それにイタチも子供じゃない。教師なら、それぐらい分かったらどうだ?」

「うるせえ、死ね。ああそうだ、イタチの奴は?」

「あいつは暗部だ。事情は分からない。じゃ、また」

 

 部屋を出た。廊下はタバコの匂いも無いクリアな空気だった。

 

 イロミとブンシの間に何があったのか、詳しくは知らない。イロミから「ちょっと、まあ、色々とありまして。あはは、絶賛、絶交中という感じで……」くらいしか聞いていないものの、ある程度は事情は予測できた。

 

 うちはフウコ。

 

 イロミが彼女の親友だというのは知っている。当時の上忍や中忍の間でも知られていたことだ。アカデミーの頃にブンシの教え子の一人だということも。

 

 まあ、だけれど、あまり深く考えないようにする。当人たちの問題である。それは、自分が受け持つ第七班にも言えることだ。サスケとナルトが、うちはフウコに向けている感情の差によって生じる軋轢も、深くは言わないようにしている。どれほど言っても、結局は自分自身が決断することというのは、第三次忍界大戦でよく分かったことの一つだ。

 

 うちはオビトが死んだ時も。

 のはらリンを殺してしまった時も。

 

 もちろん、それら二つに心を痛めた時は、常に誰かが支えてくれた。恩師である、波風ミナトが一番支えてくれただろう。

 自分もそうあるべきなのだと、カカシはナルト達をチームとして持った時に小さく決めたことだった。守るべき時だけ、サポートできる時だけ、力を尽くせるような上司になろうと。

 

 廊下を進むカカシは、けれど、家に帰ることはなかった。この後、予定があった。報告をしなければならないのだ。廊下の窓から入り込む光は、もうそろそろ夜になりそうな淡さを持っていた。カカシが向かった先は、火影の執務室だった。着き、ドアをノックする。「入れ」と、ヒルゼンの声が聞こえるとカカシは中に入った。

 

「……ん?」

 

 執務室のカーテンは閉め切られていたが、火影のデスクに置かれているランプが室内の光量を保持している。灯りに照らされて壁に貼りつく影は、ヒルゼンの他にもう一人。その人物がいるとは思っていなかったカカシは、小さく眉を傾ける。

 

 イタチはカカシを見ると、小さく頭を下げた。

 

「どうも、カカシさん」

「……どうやら、ちょっとお邪魔みたいですね。時間を置いてまた来ようと思います」

「いや、よい」

 

 と、ヒルゼンは頷いた。

 

「ちょうど、お主の報告を待っていたところじゃ」

「ってことは、イタチも関わっているってことですか。おたく、具体的にどんな風に関わってるの?」

 

 そこで一度、イタチはヒルゼンに視線を送った。話してもいいのか、という意味だろう。暗部の部隊長であるイタチの行動はヒルゼンが握っていると言っても過言ではない。ヒルゼンが重々しく頷くと、イタチは言った。

 

「カカシさんの波の国での報告を聞いてから、俺が独自で調査をしていました。ナルトの八卦封印が弱まっているのではないか、そう思って、手を打つことにしたんです。万が一に備えて」

「して、カカシよ。ナルトの様子はどうじゃった?」

「まあ今のところは、特に変わったことはありませんでしたね」

 

 午後の任務が始まる前に行った、ナルトの修行。あれは螺旋丸を教える為という名目だったが―――実際には嘘ではなく、チャクラコントロールの修行は螺旋丸の使用にはある程度は必要である―――本当の目的は……ナルトの異変を知るためだった。

 

 波の国で起きた、ナルトの暴走。そのことについてカカシは、ヒルゼンに報告をしていた。ナルトが仮死状態になった時に、九尾のチャクラが多大に漏れたことを。

 

 報告を受けたのヒルゼンの見解としては、不明瞭、というものだった。

 

 屍鬼封尽には、まだはっきりとしていない部分が多くある。何せ、使用者は必ず死んでしまうからだ。また、ナルトに九尾のチャクラを封じ込めたミナト自身も、屍鬼封尽に関する資料を残していない。分かっていることは数えるくらい。

 

 九尾のチャクラは、常にナルトの身体を補助するために、微かに循環させられているということ。

 ナルトの感情に呼応して九尾のチャクラの放出が変動するということ。

 

 今のところ、分かっている部分はこれくらいだ。

 

 だから、波の国での暴走が果たして、屍鬼封尽が弱まったことを示唆するものなのか、あるいはミナトが予め封印式の機能の一つとして埋め込んだものなのかは定かではなかったのだ。そのために、幾日かの監視、そして今日の【徹底してチャクラを消費させた後の螺旋丸発現】による、不可解な九尾のチャクラの漏れがないかを観察したのだ。

 

 結果、チャクラの奔流はなかった。それはカカシのみの判断だけではなく、ナルトの修行を監視していたテンゾウという後輩も含めた、双方の見解の一致だった。

 

 カカシの報告に「なるほどのう」とヒルゼンは白い顎鬚を軽く指で撫でた。カカシはドアを閉めながら、デスクに近づく。

 

「まあしかし、封印が弱まっていないと決まったわけではないですがね」

 

 ただ分かったことは【チャクラが枯渇している状態で螺旋丸を使っても、九尾のチャクラが不必要に漏れない】という事実だけ。封印が弱まっているか、という可能性を完全否定するものではない。

 

「それで、おたくの万が一の備えっていうのは?」

「……三忍の綱手様を捜していたんです」

「綱手様を?」

 

 はい、とイタチは頷いた。

 

「綱手様は、かつて初代火影である千手柱間が持っていた特殊な鉱石を持っていると思われます。九尾のチャクラを抑え込む力を秘めた鉱石です。現状、もし八卦封印が弱まっていた場合、ナルトくんが暴走した時の対処が実質ないようなものです。テンゾウさんの木遁でも、完全に抑え込むことができるか分かりません。ですので、綱手様が持っているだろう鉱石を目的に捜索をしていたんです」

 

 千手柱間の孫である綱手が持っているだろう鉱石は、今では採掘も加工もできない伝説的な代物だ。本当に彼女が持っているのかすら怪しいが、しかし、他に手が無いのも事実だ。

 

「それで、昼時に部下が綱手様を見つけたと?」

 

 昼時の鳥による報せは、イタチが持っている部隊の者がやったのだろう。カカシの予想にイタチは小さく頷き、詳細を明確にした。

 

「火の国の端の町、そこの賭場を仕切っている金貸し屋が彼女のことを言っていたようです。目撃そのものは三日前ですが、金貸し屋の連中が火の国の国境を中心に捜索しているということです」

「三忍相手に素人が捜査網って言ってもねえ……」

「もちろん、それは想定しています。ですが、国境を越えての捜索は暗部が勝手に行うこともできません」

「ワシも、他国の大名を通じて国境外での活動申請を行っておる」

 

 ヒルゼンはそう呟いたが、表情は険しい。当然だ。申請というのは手間がかかるものである。下忍の報告書を提出するのにも、書類という形式が必要であるのだから、他国での暗部の活動の認可が下りる頃には、綱手の行方は掴めなくなっていることだろう。

 

「一応は俺も、明日の早朝に目撃現場へ赴きます。もし国境を越えていないのであれば、一日で見つけられるかもしれません」

「見つけたとして、問題は、あの綱手様が里に戻ってくれるかだな」

「そこは、どうにかしなければいけませんが……。最悪、力づくでしなければいけなくなるかもしれませんね」

 

 伝説の三忍相手に平然と力付くでと言ってみせる彼だったが、しかし、決して傲慢な発言でもいい加減なものでもないと感じるのは、彼の実力を知っているからだろう。彼の名が高額の賞金と共にビンゴブックに載ったのは、彼が暗部に入隊して半年経った頃のこと。おそらく今の彼は、火影を除き木の葉で五本の指に入るだろう実力者だ。

 

「―――して、カカシよ。お主に訊きたいことがある」

 

 と、ヒルゼンはカカシを見上げた。

 

「まだ期日ではないのだがの……七の月七日に、中忍選抜試験を行うこととなった。お主は第七班を推薦するか?」

 

 小さくイタチが息を呑む音が、ランプの光で壁に貼りついた影に吸い込まれる。どうしてヒルゼンが、このタイミングで訊いてきたのか。おそらく、推薦日当日に訊かれた場合、ナルトのことを考えて即座に応えることができないだろうという配慮があるからだろう。

 

 しかしカカシは、ノータイムで応えた。

 

「ええ、もちろん。推薦します」

「……ッ!? カカシさん!」

 

 イタチはカカシを睨み付けるが、カカシ自身はやれやれといった感じにイタチを眺めた。イタチの視線からは焦りと、微かな怒りが滲み出ていた。

 

「言っておくけど、お前の指図は受けないよ。俺があいつらの上司である以上、議論する気はない」

「……カカシさんがそう判断するのなら、実力という面では、もしかしたら問題はないのかもしれません。ですが、分かっているんですか? サスケのことを」

「うちはフウコのことだろ?」

「あいつはまだ子供です。何も知らないまま、ただ力と地位だけを与えるのは危険です。それにナルトくんだって、屍鬼封尽がどう機能しているのか判然としていないのに、危険が多い中忍選抜試験に参加させるのは……」

「中忍になるかどうかで、強くなるかどうかが決まる訳じゃない。力があるから、中忍になるだけだ。それにな、ナルトも十分に力を付けてる。怪我をすることはあっても、死ぬことはないだろう。二人とも予想外の行動はするかもしれないが、サクラが良くも悪くもブレーキ役になってくれるだろうから、問題なし。まあ―――」

 

 カカシはわざとらしく肩を透かして見せた。

 

「実のところ、あいつらは一度、痛い目にあった方がいいんじゃないかって思ってるんだけどね」

 

 イタチに襟を掴まれた。

 

 昼時のような、半ば呆れたような手を抜いたものではなく、真剣で真っ直ぐな思いが伝わってくる強さがあった。弟を想う、兄としての力強さだ。カカシは睨み付けるイタチの視線を、今度は真正面に受け止める。

 

「俺は……悪い冗談は嫌いだ」

「ま、最後のは冗談だけどね。だけどなイタチ」

 

 声のトーンをカカシは下げる。

 

「俺は、あいつらの上司だ。うちはサスケの、うずまきナルトの、春野サクラのだ。うちはフウコを憎むサスケの上司でも、化け狐のうずまきナルトの上司でもない。あいつらが中忍選抜試験を受けるに相応しいと判断し、推薦したに過ぎない」

「……貴方の言いたいことは分かります。だが、それでもし、サスケがフウコを捜しに里の外に出たら、どうするつも―――」

「逆に訊くけど、おたく、そうやってサスケを誘導して、最後はどうするつもりなんだ?」

 

 イタチの瞳が少しだけ震えるが、カカシは続けた。

 

「あいつだっていつまでもガキのままじゃない。いずれ、お前に誘導されていたと気付く時が来るだろう。そうなった時こそ、サスケは里の外へ行くんじゃないのか?」

 

 数秒の沈黙があった。

 

 兄としてどうするべきなのか、微かに視線を下に逸らし震える彼の瞳が、多くの葛藤が渦巻いているのを主張していた。やがて……イタチは静かに、襟元から手を離した。兄としての凄みが無くなり、普段の彼の冷静で知的な雰囲気が戻り始めるのを、カカシは乱れた襟元を軽く直しながら呟く。

 

「……俺はね、あくまであいつらの上司だ。プライベートをとやかく言える立場じゃない。部外者だからな」

 

 どれほど仲間を大切に思っても、下忍である彼らとは生きた時代も、境遇も違う。ましてや、チームの上司という名目がある。対等を装って言葉を並べても、彼らの支えになることは、カカシにはできない。できることは、彼らが大人になるまでに、忍としての実力と、自分が経験して得たものを伝えるだけで、彼らの道の行く先は彼らが決めることだ。

 

 家族でもない自分が何を言っても、それらはあくまで助言の域を出ない。

 

 真の意味で対等に言葉を交わし、支え、時には背中を押したり、諫めたりすることができるのは……家族か、親友だけ。

 

 かつての自分も、そうだったのだ。

 

 子供というのは、ただの大人の言葉を聞かない。親友か家族だけで……自分に強く影響を与えてくれたのは、オビトだった。

 

 だからカカシは、どこか託すように、イタチに言った。

 若者がかつての自分のような過ちを犯してほしくないように。

 

「今のサスケと対等に向き合えるのは、お前じゃないのか?」

 

 

 

 ―――道具の過ち―――

 

 

 

 道具。

 

 その言葉に含まれる無機質な信頼性が、白は大好きだった。道具が使われるという現象には、常に使用者からの信頼が与えられている。世の中に溢れかえっているだろう【愛】のどれよりも無償で、【友情】のどれよりも雪の中で作られる薄氷のような透明性が、そこにはある。

 

 何せ、道具には未来の保障がないからだ。愛にも友情にも、あるいは人の感情のいずれにも、利益がある。肉体的にも、精神的にも、あるいは経済的にも。そして利益というのは、未来と同義だ。未来に存在しない利益などありはしない。必ず利益が招かれないと予想されることには、誰も手を出したりはしないのだ。愛や友情を信頼している者は常に、未来があるという想いを抱くことが許されていて、でもだからこそ、未来という漠然としたものに雑念を埋め込んでしまう。

 

 愛を裏切る余地が入り込んでしまったり、友情に溝を作る魔を刺させたり。

 

 けれど、道具は違う。道具には未来など保障されない。使用者が不要だと判断すれば、あっさりと道具は捨てられてしまい、そして、道具には取捨選択が与えられていないから。

 

 でも、だからこそ、使用者から与えられる道具への信頼は、何よりも美しい。

 

 道具が使用者に使用され続ける限り、使用者にとって道具というのは、この世で最上のものだということを示唆していることに他ならないからだ。そして、道具は使用者に使用され続ける限り、必ず役目を全うする。使用者の、為だけに。

 

 道具として拾われた白は、使用者である再不斬の為にどんなことだってしてきた。

 

 人を殺すことは勿論、時には拷問も。相手が男であろうと女であろうと関係なく、再不斬が求める未来の為に道具としての役割を果たしてきた。

 

 再不斬の道具として動く。それが、白の生きる意味だった。

 

 彼から道具として認められる度に、心が温かくなる。頭を撫でられ、よくやったと言われる度に、道具としてこれからも彼の為に全てを尽くそうと応えたくてしょうがなくなる。人を殺すことなんて……何とも…………思わない。

 

 多くの者を殺し、多くの者を絶望させてきた彼だったが、その悲鳴を耳にした時は、驚きを隠すことができなかった。

 

 殺す瞬間に耳にする断末魔でも、拷問の際に届いてしまう苦痛の声でもない、絶叫が、暗闇の向こうから現れた。

 

「ああぁあああぁあああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああッ!」

 

 声は、女性のものだった。暗闇の向こう側から唐突に聞こえてきて、白と再不斬は同時に声の方向を見た。

 

「やだ……ッ! やだぁああッ! どうして……、なんで…………ッ! あぁあ、嘘だ…………、イタチ……、イロリちゃん……、サスケくん…………、みんな……………ッ。私は……どこで…………まちがって………、ぁ、あぁあああああああッ!」

 

 涙と唾が混ざり、喉が裂けて血が加わった濁った絶叫は、あらゆる絶望を孕んでいた。それを聞くだけで寒気と不愉快さが唇に貼りつくような生々しい錯覚を起こさせるほどに。

 

「……悪いが、少し待ってろ」

 

 ガラスの向こうに立つサソリが、無表情にため息を漏らすと、暗闇の奥へと消えていった。少しして、ガラクタか何かが乱雑にぶつかり合う音が聞こえてくる。その後、ドアが開く音がすると、女性の声が鮮明に聞こえてきた。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ッ! 私が…………負けたから……、シスイ……怒らないで、恨まないでッ! 私は……」

「落ち着け、フウコ」

 

 と、絶叫を続けるフウコという女性に、サソリは平坦に語りかけた。しかし、フウコの絶叫は止まらない。

 

「やだ、やだッ! 死なないでッ! あぁああッ! ごめんなさい…………ごめんなさいッ! フガクさん! ミコトさん! 失敗して……みんなを、殺して…………ッ!」

「安心しろ、まだ何も失敗していない。ただの夢だ」

「怒らないで……恨まないで…………、私を………ひどりに………しないでぇ…………ぁぁぁあああああッ!」

 

 女性の声には、聞き覚えがあった。

 

 再不斬と共に霧隠れの追い忍から逃げていた時に、聞いたのだ。正確には、一人の追い忍を自分の命と引き換えに殺そうと決心した時にである。

 

 黒く長いウェーブの掛かった髪と、赤い瞳。サソリが着ていたコートを羽織っていた。雨の降る暗黒の中だったが、微かにだけ伺えた彼女の表情は人形のように無機質で、声は高級な鈴ほどのものだったはず。

 

 しかし、今聞こえてくる絶叫は彼女から発せられているとは到底想像ができなかった。延々と絶叫し続ける。ずっとこのまま彼女の声を聞いていると、こちらがおかしくなってしまうのではないかと思ったその時、サソリが呟いた。

 

「……薬、打つぞ。暴れるなよ」

 

 ピタリと、絶叫が病んだ。

 

 徹底的に暗闇に絶望を染み込ませた後の静寂はあまりにも不気味で、白も再不斬も、暗闇から視線を逸らすことができなかった。

 

「…………サソ……リ……………………?」

 

 そしてひっそりと、涙声が届いた。震えて、湿っているものの、自分たちを助けてくれた高級な鈴の音色のような声だった。

 

「起きたか?」

「…………ああ、そっか……。また…………夢……だったんだ………。ごめん……うるさく、してた…………?」

「気にするな、いつものことだ」

「……拘束具、外して」

 

 金具の外れる音が連続して聞こえてくる。

 

 白は再不斬を見て、声を潜めた。

 

「再不斬さん、どうしますか?」

 

 自分の使用者である再不斬が目を覚ました以上、ここにいる必要性はもはや無くなった。ちらりと見えてしまう失ってしまった右腕に心を揺さぶられてしまうが、ここにいても腕が治ってくれる訳ではない。

 今なら、サソリはこちらが見えていない。障害は、おそらく強化材で作られたガラスのみ。右腕を失い、首切り包丁がない彼では困難かもしれないが、自分はまだ五体満足でチャクラも回復している。サソリの監視が無い今なら逃げ出すことはできる。

 

 だが、白は逃げ出すべきかとは決して尋ねなかった。視線でも、訴えかけてはいない。道具が使用者の役に立つことはしても、行動を強く要求するなど、あってはならないことだ。透明で美しい信頼関係を保つためには、自分が道具であり続ければいけない。

 

「……お前はどうしたいんだ?」

「え……?」

 

 それは、予想外の返答だった。

 

 これまで参考程度に意見を求めてくることはあっても、決定権を委ねてくることはなかった。

 戸惑い、躊躇ってしまう。

 

 どこか、道具と使用者という関係性が希薄になったような気がした。まるで波の国で出会った彼らのような、人間と人間の関係のようになったかのような、錯覚が。嬉しいのか、悲しいのか分からない感覚に、頭が痺れさせられてしまう。

 

 返答に戸惑っていると、金属音が止まる。遅れて、水音が。フウコの呻き声に呼応した水音だった。

 

「……ッ! はぁ…………っ」

「我慢なんかしねえで、さっさと吐くものは吐いておけ」

「ごめんね…………、床、汚して……ッ! ぅぁ」

「掃除は後で俺がしておく。タバコ、吸えるか?」

「………ごめんね……、私……、ごめんね……。どうして……私…………こんな………」

「大丈夫だ、落ち着け。誰も責めたりしない。ゆっくり吸い込むんだ。煙管は俺が持つ。お前は吸うことだけに集中しろ、何も考えるな」

 

 暗闇の向こうから、密度の濃い紫煙が漂い、見えてくる。時折聞こえてきた水音はテンポを緩めて、紫煙が十分にガラスに跡を残すとようやく、フウコのすすり泣く声も水音も聞こえてこなくなった。

 

「落ち着いたか?」

「……ありがとう、サソリ」

「顔が酷いことになってるぞ、シャワーでも浴びてこい」

「…………ああ、そっか。あの二人、無事だった?」

「生きてはいる。今は契約の交渉中だが、お前が気にすることじゃない。先にシャワーを浴びろ。あの二人と会うのは、それからだ」

「……分かった。ご飯、ある?」

「吐いたばかりでそれか。用意しておく。さっさといけ」

 

 またドアの開く音が―――音の遠さからして、サソリが入った部屋のさらに奥からだろう―――聞こえた。サソリの足音が近づき、つい先ほどと同じ位置に戻ってくる。彼の右手には、針の太い注射器が握られていた。

 

「悪かったな、話しの腰を折って」

「……依頼主様は薬中のイカレ野郎なのか?」

 

 再不斬が鋭い視線で尋ねると、サソリは「ああ」と右手の注射器を見てから、いい加減に床に放り投げた。

 

「むしろ逆だな。あいつは色々と病んでいてな。薬漬けにでもしないと、すぐに頭のネジが吹っ飛ぶ作りだ。メンテナンスが面倒だが、なに、心配することじゃない。まともな時のあいつは芸術品だ」

 

 メンテナンス、芸術品。

 

 サソリは同盟相手をまるで道具のように評価した。だが、無表情のはずの彼からどこか、先ほどよりも力が抜けたような感じた。どこか憂いた雰囲気。ついさっき、再不斬から感じ取ったものと同じだった。

 

「話しを戻す。どうする?」

 

 と、サソリは呟いた。

 

「俺たちと同盟を組むか、ここを去るか。今すぐ決めてもらう」

「……いいだろう、手を組もうじゃねえか」

 

 再不斬を見る。彼の表情は、これまで多くのチンピラ共と契約した時のような嘲笑と余裕を保った笑みではなく、真剣で落ち着いたものだった。

 

 心の隅で、チクリとした痛みを自覚する。

 誰かと契約をする時、再不斬は決して、相手と対等になろうとする姿勢は示さなかった。あくまで、利用する側と利用される側というスタンスを続けてきた。しかし、今の彼の表情からはそれが感じ取れない。これまでずっと道具として彼に尽くしてきた白だからこそ、再不斬の心の動きが分かる。

 

 心の痛み。それは、本来は生まれてはいけないものだと、白は思った。

 

 使用者が道具に愛着を抱くのは自由だけれど、道具が使用者に執着するのは禁忌だ。つまり、彼がどこかの誰かと同盟を組むことへの……嫉妬にも近い感情である。

 

 ―――……ボクは…………ナルトくん達とは…………違う……。

 

 波の国で出会った彼らの形。凸凹で、不格好で、雑念ばかりの繋がりは……もしかしたら自分と再不斬にもあったのではないかという可能性を示唆しているように、思ってしまったのかもしれない。

 

 仲間という……互いが向き合った、あるいは互いに支えった、線対称のような美しさを持つ形。

 

 だが、それを求めてはいけないと白は強く自責する。仲間という形を求めるということは、自分が再不斬に拾われた、道具と使用者という始まりの繋がりを否定することに繋がってしまう。

 

 再不斬が求めているのは、便利な道具。

 もし自分が、道具ではなく仲間として見てほしいと言ったら、彼は何というだろうか?

 忍には利用する側と利用される側しかいない。その彼の矜持を否定してしまったら、また、孤独に―――。

 

 サソリはガラスの部屋のドアを開けて、二人を案内した。これからアジトを使うにあたり、各々が自由に使用していい部屋への案内である。白は再不斬の左腕に挿したままの点滴を運ぶことにした。

 

 案内された部屋は、殺風景な空間だった。壁も床も天井も剥き出しのコンクリートで、部屋には二つのベッドしか置かれていない。光源は天井から孤独にぶら下がる裸電球だけだった。

 

「ここは自由に使え。言っておくが、物が欲しいなら術で外に出るしかない。全てのアジトには直接の出入り口が無いからな」

「なら、さっさと術を教えろ」

「まあ待て。まずはお前の義手を作るのが先だ。右腕が無い状態で印は結べないからな。すぐにお前に合った義手を作ろう。経絡系も通した、特注品をな」

 

 再不斬は先に手前のベッドに近づいた。点滴の事なんかどうでもいいとでも言いたげに、勝手に動いてしまう彼だったが白は難なく彼の傍によって点滴がスムーズに流れるようにした。

 

 再不斬が乱暴にベッドに腰かける。安っぽく薄いベッドだが、スプリングが大きく軋む音がした。大きなため息を、再不斬はする。右腕を失っての大量出血による、数日もの睡眠による肉体の弱体化による弊害は、膝の上に左腕を置く姿で見て取れた。

 

 白は右腕を見る。無くなってしまった、右腕。義手をする必要があると考える。どうやらサソリが作る義手は印を結び術を発現することができる特殊なもののようだ。

 

「俺の首切り包丁はあるのか?」

 

 軽く俯きながら再不斬が尋ねると、ドアの前に立ったままのサソリは頷いた。

 

「あのバカでかい粗悪な刀のことだな? 保管している」

 

 そうか、と再不斬はどうでもよさそうに返事をした。

 

「……義手はいらねえ」

「なんだと?」

 

 不愉快そうな声を出したサソリだったが、白も驚いた。視線を下すと再不斬とちょうどこちらを見上げていたが、彼は何も言わないままサソリを見上げる。

 

「俺には白がいる。てめえの得体の知れねえ物を腕に付けるより、遥かに信頼できるからな」

「……再不斬さん」

「てめえらの依頼は受けてやる、それなら問題ねえだろう」

「…………そうか。好きにしろ。術はお前の体調が戻ってから教えてやる。それまで寝てろ。飯は後で持って来てやる」

 

 ドォオン、とサソリがドアを閉めると、重い音が廊下と部屋にそれぞれ響き渡った。音の残響が無くなると、再不斬はベッドで横になり瞼を閉じる。白は何か言いたげに口を小さく開くが、下唇を軽く噛みしめて、懐から取り出した千本を一つ壁に突き刺す。点滴のパックをそこに引っ掛けた。

 

 音を立てないように、白はゆっくりと隣のベッドに腰かけた。再不斬が眠そうだったからだ。おそらくこのまま眠りに付くだろう。なら自分は彼に完全な静けさを提供しなければならない上に、念の為にサソリと、そしてフウコという女性に警戒をしなければならない。今までも自分は、そうしてきた。これからも変わらない。

 

 だけど、今だけはと、白は微かに考える。

 

 少しだけ彼と話しをしないと。気分が高揚しているのが分かる。印を結び、忍術を使えるようになる義手を差し置いて、自分の方が信頼に足りる道具であると言ってくれたからだ。

 

 ―――やっぱりボクは、道具の方が嬉しい。

 

 彼らのような形はきっと、性に合わない。愛だとか、友情だとか。勿論、それらは素晴らしいのだろう。誰もが声を高くそれらを求めているのは、素晴らしい何かがあるからで、それらの為に戦争を起こすこともあるからだ。

 だけど、白にとってはもう、使用者と道具という関係の方が永遠と美しいものとなっていた。

 

 未来を求めず、ただ使用者が必要と言ってくれる限り、使用者の為だけに生きる。

 

 これほど上等な生き方は、他にないだろう。

 彼の為のだけに。

 彼の幸福の為だけに。

 彼の夢の実現の為だけに。

 生きよう。

 

 もう、独りになるのは……嫌だった。

 

「……白…………」

 

 再不斬が小さく、名を呟いた。寝言だと一瞬思ったが、瞼が薄く開いてこちらを見ている。白は静かに立ち上がり、膝を折って彼と同じ視線の高さに立ち、微笑む。

 

「分かってます、再不斬さん。ボクは、貴方の武器です、道具です。言いつけを守るただの道具です。安心してください」

 

 白は優しくそして力強く言った。そうすることが、道具として正しい行動だと判断して。

 

 だけど、どうしてだろう。

 

 薄く開いた瞼の向こうの彼の瞳が、微かに、震えたのは。

 

 いや。

 

 もしかしたら、気のせいかもしれなかった。道具として生きる方がいいと思っておきながら、まだ、ナルト達の形を求めているのだろう。まだまだ自分は甘いなと呆れながらも、それは表情には出さず、笑みを保つ。

 

 再不斬が「……フッ」と鼻で小さく笑う。瞳は震えておらず、やはり、気のせいだったのだと白は思った。

 

「……いい子だ」

 




 登場人物の補足説明

 前話と同様に、今回の話でスポットが当たった登場人物、そして今回はイタチに付いて補足説明させていただきます。

【うちはサスケ】
 :第七班の一人。同期の中の下忍の中ではトップの実力者。サクラとの人間関係は原作様と大きく異なる部分はない。

 未だフウコを信じているナルトを憎んではいるものの、殺したいと思っているほどではない。また、ナルトとフウコの関わりについてはほとんど知らないままである。波の国でのナルトの暴走を目の当たりにしたが、そのことに関して興味はない。白との戦闘で反射的にナルトを庇おうとしたところを、むしろナルトに跳ね飛ばされる。その際に、人が死ぬという喪失感が明確に分析しきれない怒りによって、写輪眼が成長した(原作様で言うところの、終末の谷の戦闘後半あたりくらいの瞳力に匹敵する)。しかし、実戦経験が乏しく、成長した写輪眼を使いこなせてはいない。

 家の家事をしてくれているイロミに対しては未だ強い憎しみを抱いている。けれど、実戦形式の修行の相手は彼女だけであり、またイタチよりも料理が上手いという部分においてだけ評価している。イロミの友人であるフウとは顔見知り程度で、やかましい奴としか思っていない。

【はたけカカシ】
 :第七班の一人。ナルトの暴走を心配しているが、ナルト自身の評価に対しては原作様と大きな変化は無く、サスケ、サクラに対しても同様。イタチは良き後輩と思っている。

 ブンシからは嫌われているが、カカシ自身は彼女を嫌ってはいない。

【白】
 :再不斬の道具と自負する少年。波の国での戦闘の後、フウコに助けられアジトへと招かれる。ナルト達の繋がり方を見て、自分と再不斬も彼らのような繋がり方ができるのではないかと考えてしまうが、再不斬の矜持と彼との繋がりの始まりを尊重し、道具として生き続けることを選択。今後、文字通り再不斬の右腕になることを決意する。

【うちはイタチ】
 :暗部の部隊長に就任。実力、知識共に木の葉の中ではトップクラスに入っており、他里から強く警戒されている。

 イロミとは友人同士であり、暗部の仕事に追われ家事が出来ない時に家事をしてくれる彼女に大きな恩を感じている。仕事が無い時は自分から料理を作るが、上達することはなく、実は内心かなりショックを受けていたりする。

 サスケをとても大切に想いすぎるあまり、過保護な面がある。また、サスケがフウコに強い憎しみを抱いているため、あまり実力を付けないようにし、いずれ自立して考えることが年齢になるのを待っていたが、カカシに指摘されてしまい、彼が中忍選抜試験に受けることを了承する。

 ナルトに対しては、フウコを信じてくれている子だと思っている。サスケほどではないが、彼のことも大切に想っているが、ナルトから嫌われていることは自覚している。いずれ溝を埋めていきたいと考えている。

 サクラのことはサスケ、ナルトの良き友人と見ている。

 カカシのことは心の底から尊敬している。

 暗部の部隊長ではあるが、裏でダンゾウと繋がりがあり、ダンゾウから渡された【根】の部下たちを国内及び国外に配置しており、常にフウコの足取りを追わせている。今回、綱手を捜索していたのはヒルゼン直属の暗部の部下であるため【根】の干渉はない。

※以下、次話について。
 前話と今回の話は、原作様で言うところの波の国編を省略したため、登場人物の背景を中心とした結果、共に二万字前後になってしまいました。次話からは一万字ほどに抑えたいと思います。

 誤字脱字、ご指摘ご感想がありましたら、ご容赦なくコメントしていただければと思います。次話は十日以内に投稿したいと思います。

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