いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい、誠に申し訳ありません。

 次話の投稿は、今月の30日を予定しております。詳しくは、中道の活動報告を見ていただければと思います。



ツナガリ、ツナガレ、ツムガレテ

 第二の試験が始まって、三刻が経過した。

 

 互いの所持している巻物を巡っての、サバイバル戦。それが、試験内容だった。場所は、死の森。所狭しと大樹が犇めき合い、獰猛な動物や有害な昆虫が生息するそこは、ただ歩むだけでも命の危険はやってくる。その上で、参加者たちは【天】あるいは【地】と印字された巻物を二つ持って、中央の塔を目指さなければならない。開始前に渡された巻物は、二つの内のどちらか。もう片方は、別の参加者たちが持っていて、それを奪わなければ合格にはならない。

 

 目的は巻物だが、巻物を手にするには、戦闘は免れない。極端なことを言えば、相手を殺すのが、最も簡単に奪える手段だ。

 

 死ぬ可能性。

 

 それは、試験開始前の契約書にサインをした時には覚悟していたことだった。いや、中忍になれば、殺す殺されるの状況にはいくらでも遭遇するだろう。

 

 ましてや―――あの女を殺すのならば、それぐらいの覚悟は必要だ。その覚悟は、ずっと以前から胸に秘めていたものだ。

 

 ヒリツク緊張感に、サスケは顎から目にかけて流れてくる汗を乱暴に拭った。死ぬ可能性を感じながらも、その動作には怯えは無く、小さな苛立ちだけがあった。

 

 ―――くそッ! 術が通らねえッ!

 

 サスケは地面を見上げた。大樹から歪んで伸びる太い枝に足の裏からチャクラを吸着させてぶら下がっていた彼は、苦々しく舌打ちをしてから、分厚い砂煙の中に視線を集中させる。写輪眼は正しく、砂煙の中に浮かび上がる大蛇の姿をしたチャクラを捉えた。

 

 蛇の大きさは、軽く二十メートルを超えていた。太さは五メートルを上回るだろう。雄大さえも抱いてしまう程のゆったりとした動き出しに、サスケの緊張は強くなる。

 

 ―――ナルトとサクラは無事なんだろうな……!

 

 大蛇は砂煙から巨大な頭を飛びさせた。全身を使った力を一気に放出するかのように、脇目も振らず、毒牙を剥き出しに襲い掛かる。顎を限界まで広げた口は、相手を噛み砕こうなどという些末な本能はない。丸呑みするという強欲が、粘質の強い涎に混ざっていた。

 

 舌打ちをして、サスケは素早く跳躍する。躱すことは容易だったが、チャクラを吸着させていた枝は粉砕され、爆風と共に飛んでくる破片に頬を一筋の傷を付けた。張り詰めた痛みは、しかしサスケの意識には届かない。

 

 生き残ること、そしてナルトとサクラの安堵を考える思考は、痛みに耐える所作を見せることも無く、素早く両手で印を結ばせた。

 

「火遁・豪火球の術!」

 

 込めれるだけのチャクラを込めて、口腔から巨大な炎の塊を大蛇の顔にぶち当てる。炎が蛇の頭を包み、周辺に煙を発生させるが、地面に着地をして煙の奥を見据えると、平然と大蛇は顔をこちらに向けていることが分かった。即座にまた大きく飛び、飛びついてきた大蛇の一撃を交わす。

 

 襲撃は、試験が開始されて一刻も経っていない時に起きた。

 

 三人で試験のゴールである塔を目指そうと、森の中を進んでいた。どの参加者も必ず塔を目指すはず、という考えがあったからだ。先に待ち伏せ、罠を張れば確実に先手を取ることが出来る。

 

 警戒を怠った訳ではなかった。同じことは他の参加者も思いつく程度のもので、あるいは、塔を目指さず、道中でトラップを仕掛けるかもしれないからだ。慎重に、だがスムーズに、移動していたのだ。

 

 だが。

 

 突然の豪風。サスケを先頭に、ナルトとサクラがバックアップという三角形のような隊列の真横から、襲ってきたのだ。おそらく、風遁系の忍術だったのだろう。そう認識した時には二人とは分断されてしまい、探そうと動く間もなく現れたのが、今戦っている大蛇だった。

 

 ―――丸呑みされることはねえが……このままじゃ埒があかねえ…………ッ!

 

 硬い皮膚と分厚い筋肉を身に纏った蛇には、サスケの火遁では致命的なダメージを与えることが出来ていない。写輪眼で動きを予測し、躱すことはできても、命を絶つことが困難だった。

 

 ―――さっさとあの二人を探さなきゃいけねえのに……。何か、もっと、大きな術が……。

 

「サスケくんッ!」

 

 地面を動く大蛇から逃れて樹の幹にチャクラ吸着によって立つサスケは、左下から聞こえてきたサクラの声に素早く反応した。

 

「サクラッ! 無事かッ!?」

 

 見下ろしたサクラの姿は砂埃に塗れてはいたものの、どこか大きな裂傷などは無いようだった。「うん!」と返事をする姿も力強かったが、その声にサスケは微かに表情を顰める。

 

 案の定、サクラの声に反応した大蛇はサスケから彼女へ顔を向ける。舌なめずりをするかのように、先端が二つに分かれた長い舌をしゅるるると鳴らして出したり閉まったりとし始めた。

 

 ようやくサクラは状況を理解したのか、大きく瞼を開け、両手を頬に当てた。

 

 彼女の次の動作と、大蛇の次の動作。それらを写輪眼は精密に予測する。

 

 サクラを制止することは間に合わない。吸着に使っていたチャクラを移動の為に使用し、大蛇よりも速くアクションを起こした。

 

「へ、蛇ーッ!?」

 

 悲鳴が合図だったかのように、大蛇は大口を開けてサクラに飛び掛かる。驚愕と恐怖で足が竦んでしまったのか、迫りくる危機に全く対応できていない。舌打ちをし、大蛇の横を通り過ぎる際にクナイを獰猛な眼に投擲した。

 

 クナイが刺さり、地鳴りのような絶叫と共に大蛇が動きを止めている隙に、サクラの腕を引いて樹の影に身を潜めた。

 

「あ、ありがとう……サスケく―――」

「声を小さくしろ」

 

 樹に背を預けたまま、サスケはサクラに顔を近づけて呟く。樹の向こう側から、大蛇がこちらを探そうと蠢く音が伝わってきており、緊張はまるで解ける余裕はない。細く、深く、息を吐くと、サスケは言う。

 

「ナルトの奴は見なかったか?」

「……ううん、見てない。私はただ、元の場所に戻って来ただけで…………」

「……そうか」

「ねえ、サスケくん。あの蛇って……」

「おそらく、口寄せだ」

 

 分断するかのような奇襲の仕方。

 タイミング良く出現した大蛇。

 ナルトがいないこと。

 

 偶然だと考えるのは安易のように思える。つまり、奇襲を仕掛けてきた相手の目的は、チームを分断しての―――各個撃破。

 

 第二の試験の失格条件は三つある。

 

 その中の一つに【チーム内のいずれかが死亡、あるいは再起不能となる】があった。巻物を二つ揃えても、チーム三人が無事に塔へと到着しなければ不合格ということだ。持っている巻物に価値は無い。相手の誰かを殺してしまえば、容易に巻物を渡してもらえる。

 

 しかし、それは机上の空論だとサスケは判断する。

 

 共に時間をかけて任務を行ってきた仲間を殺された場合、用済みになった巻物を素直に相手に渡すだろうか? むしろ、怒りに駆られて報復のつもりで巻物を、たとえば燃やしたりなんだりして渡しはしないはずだ。最悪、残ったメンバーが襲い掛かってくることだって考えられる。殺しはせず、生かして交渉の材料にする方が効果的だ。

 

 ―――……だが、そんな悠長なことを言ってられるか………?

 

 背後の樹の向こうの大蛇からは、相手を捉えようという術者の意図を感じられない。容赦を抱く間もない、無邪気な殺意しかないように思える。生まれたばかりの雛鳥を、人間が、足の爪先で小突いて転がすような残酷な殺意だ。

 

 しかも運悪く、巻物を持っているのは自分である。巻物と取引をして逃げるという手段を、ナルトは取ることが出来ない。

 

 脳裏に過るのは、血みどろの姿となった、ナルトの姿。

 

 背筋を撫でる寒気と、腹の底が熱くなり始める怒りが同居するが、サスケはその感情の源泉を理解できなかった。

 

 ナルトは……フウコを信頼している。

 うちは一族を皆殺しにした彼女を。今でも、そんなナルトに対する憎悪の気持ちは消えていない。

 

 なのに、どうして……。

 

「……サクラ。頼みがある」

 

 え? とサクラは瞼を開いた。

 

「一瞬だけでいい、あの大蛇の注意を引いてくれ」

 

 混沌とする自身の感情を整理することも無く、意識を大蛇へと向けた。

 とにかく今は、大蛇を殺すことだけを優先する。

 

 ―――ナルトの奴も、さっさとくたばるようなタマじゃねえ筈だ……。

 

 ある意味、チームの中で最も力のないサクラといち早く合流できたのは、好都合だったかもしれない。ナルトならば、たとえ相手が三人相手でも、すぐに殺されたりはしないはずだ。

 

 目の前のサクラは顎に指を置いて思案してから、力強く頷く。

 

「合図を出したら、注意を引いてくれ」

 

 サスケは大蛇に気付かれないように素早く移動し、樹を駆け上がる。

 

 大蛇に大きなダメージを与えることが出来る術を一つだけ思い付いていた。絶対に使うことはないだろうと嫌悪していた術。しかし、自身の命、そしてナルトやサクラの命の危機を前に、その嫌悪感は無意識的に遠ざけていた。

 

 樹の上に立つと、サスケは左手を構える。

 

 写輪眼で見たのは、今までで三度。

 

 一度目は、フウコ。

 二度目と三度目は、ナルト。

 

 二人と同じように、手で、指で、器を作るように。

 

 チャクラの動きのイメージは、乱回転。

 

 サスケは螺旋丸を発現させようと、意識を集中させた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

『もし一生下忍になったって……意地でも火影になってやるから別にいいってばよッ! 怖くなんかねーぞッ!』

 

 第一の試験終盤、たしかにそう言った。

 試験会場の教室を十分に満たし響き渡る自身の言葉には……偽りがあった。

 

 怖くなんかない。

 

 嘘だった。

 

 第一の試験の最終問題。

 その問いに挑むか挑まないか、それを問われていた。

 挑まないを選択するのであるならば、不合格。チームのメンバーと共に、退席。

 挑むを選択すれば、もちろん続行。しかし、もし問いに失敗すれば、失敗した者は今後二度と、中忍選抜試験を受験することはできなくなってしまう。もう二度と、中忍以上になることができない。

 

 そんな、理不尽を通り越した、暴力にも似た選択を前に、ナルトは一瞬だけ……恐れてしまった。

 

 足が竦んでしまった。

 

 火影になれないかもしれない。

 火影になれず……大切な人を迎え入れる為の力が、手に入らないかもしれない。

 彼女が握ってくれた手の温もりが、自分を正しく認めてくれる暖かさが、もう、二度と……。

 

 その恐怖を振り払うことができたのは、やはり、彼女のおかげだった。

 

 フラッシュバックする、彼女との日々。

 世界に自分と彼女しかいないような、静かな夜。

 手を握ってくれた彼女の無表情。

 

 自分が悠長に中忍選抜試験を受けている今でも、彼女は世界のどこかで孤独と戦っている。

 犯罪者の彼女の命を狙う者も、多くいるはずだ。

 それなのに自分はこのまま、たかが火影になれないかもしれないという理由だけで、また来年受ければ問題などと馬鹿みたいな考えを抱こうとしている。

 

 大きな声で、最後の問いを受けるという宣言をしたのは、試験官―――森乃イビキ―――に向けたものではなく、実は自分を鼓舞する為のものだった。

 

 もう二度と、逃げない。

 火影になる道にどんな障害があっても、踵を返そうとも、自ら足を踏み外そうとも、決してしない。

 第一の試験を合格し、第二の試験を受ける前に渡された契約書を書きながら、ナルトはそう誓った。

 

 決して曲げることのない―――誓い。

 

 それは、目の前に立つ悍ましい男を前にしても、変わらなかった。

 

「あらあら。私の殺気を受けても、怯えて腰砕けにならないなんて、大したものね。だけど、それくらいの胆力は見せてもらわないとねえ」

 

 長身長髪の男のぬめりとした声質は、発せられる一言一句を細い刃物のようにナルトの鼓膜を痛めつけた。その痛みは足を震わせて、額から大量の汗を出させるが、ナルトの蒼い瞳は慎重に男を見据えたままだった。

 

 ナルトは、右太ももに巻き付けているホルスターに指を掛けながら、目の前に姿を現した男に尋ねる。

 

「お前の持ってる巻物は何だってばよ」

 

 ククッ、と男は笑った。

 

「意外と冷静なのね。もっと馬鹿みたいに突っ込んでくる子だと思ってたけど」

「けっ! お前と勝負して、結局同じ巻物だったなんて馬鹿らしいことは嫌だからな! 勿体ぶってねえで、さっさと言えってばよッ!」

 

 何が愉快だったのか、男は薄気味悪い嘲笑をしてから、巻物を取り出した。巻物には【地】と書かれている。自分たちの持っている巻物―――その巻物はサスケが持っているが―――は【天】。男の巻物を奪ってしまえば、合格条件の一つを満たすことになる。

 

 また一つ、火影に近づくための―――彼女に近づくための―――一歩だ。

 

 自分の夢に近づくという興奮が男への恐怖を退けさせる。強気に笑ってしまう。笑みは彼らしい能天気さを含めながらも、青い瞳の奥には野心が。そして眼光の一部には、小さな優しさも。

 

 サスケとサクラ。

 

 今、二人は近くにいない。もしかしたら、目の前に立つ男のチームメンバーと交戦しているかもしれないという想像が思い浮かぶ。

 

 ―――サスケのヤローがいっから、あっちは問題ねえだろうけど……。

 

 目の前の男を連れて行ってしまうのは脅威だ。

 巻物を持っているということは、この男がチームの中で最も実力があるということ。

 このまま自分が間抜けに逃げて男が二人の所へ行ってしまうのだけは、防ぎたかった。男は人を殺すことに何の躊躇もない。

 

 二人を、危険な目に合わせること。

 

 それだけは何としても、阻止したかった。

 

「いい眼をするわね、君。嫌いじゃないわ。実力が伴うかは、別の話しだけれど」

「うるせえってばよッ! お前なんか、俺の一人でボッコボコにしてやる! 多重影分身の術ッ!」

 

 印を結び、チャクラを放出すると―――ナルトを中心に大量の分身体が出現した。数は、軽く五十を超え、瞬く間に男を分厚く包囲した。

 

 禁術・多重影分身の術を会得したのは、アカデミーの卒業試験の夜だった。ナルトにとって、ある意味忘れられない夜で、ある意味で、忘れたい夜でもあった。

 

 卒業試験に落ち、ミズキの口車に乗せられて禁術が記された巻物を盗み出してしまった。

 

 下忍になりたい。火影になりたい。強くなりたい。

 

 そんな思いに駆られて犯した犯罪だった。ルールは守らなければいけないと、フウコから言われていたのに。

 

 結果として、禁術の巻物をミズキに渡すことはなかった。自分を追いかけてくれた、うみのイルカのおかげで。

 

 今では、影分身の術は一番得意な術だ。

 

 しかし男は、五十以上ものナルトに囲まれても尚「へえ」と余裕を崩さない。口角を吊り上げるだけだった。そしてあろうことか、男は手に持っていた巻物を口の中に押し込み、呑み込んでしまう。

 

「巻物を手に入れるには、私を殺さないといけないわよ?」

「へッ! 腹をボッコボコに殴って、嫌でも吐き出させてやるってばよ!」

 

 その言葉を口火に、男に近い分身体らは男に襲い掛かる。

 何人かは跳躍し上から、何人かは背後から、左右の連中はクナイを握り喉元をめがけ。正面の分身体らは体勢を低く保ちながら、足元を狙う。

 襲い掛かった分身体らは一直線に、さながら男を殺すことに一切の躊躇もないかのように駆ける。しかし、誰一人として男の一挙手一投足に注意を逸らすことはなかった。

 

 アカデミーの頃、ナルトは体術だけは成績が優秀だった。

 

 それは、フウコから教えられたことの大半が、体術に関するものだったからだ。体術の中でも基礎中の基礎。けれど彼女の教えを愚直に、あるいは素直に反復してきたナルトの身体には、体術を行うための体幹や身体をスムーズに動かすための筋力、感覚が十分なまでに育成されていたのだ。

 

 センスを必要とする忍術や幻術。

 考え方を柔軟にしなければいけない座学。

 これらよりも、遥かにシンプルな体術のレベルにおいては実のところ、下忍の中では上位に食い込む。

 

 男の動作を視認したナルトの分身体らの動きには、見て分かるほどの正確さがあった。

 

 しかし、それでも。

 

 ナルトのこれまでの努力を嘲笑うかのように、男の身体運びは尋常ではなかった。

 

「ぐえッ!」

「うわっ!」

「げえッ!?」

 

 ほぼ同時に、両手足を駆使しても防ぐことができないタイミングで攻撃をしたはずなのに、分身体は流れるように霧散していく。次々と代わりの分身体が男に襲い掛かるが、かすりもしない。

 

 男は口の中から刀を出していた。刀を右手に持ち、白銀の光を反射させながら分身体を屠っていく。

 

 気が付けば、分身体は七体と減り、オリジナルのナルトを含めて八体だけになっていた。男の衣服にはおろか、皮膚へは微かな傷も付けられていない。

 

「ククッ。まだまだこんなものじゃないでしょ? もっと全力を出しなさい。じゃないと、君が死ぬことになるわ」

「だったら―――これならどうだッ!」

 

 残った分身体が男に飛び掛かると同時に、ナルトは右手にチャクラを集中させる。三次元的な螺旋の軌跡を辿るチャクラ。それは、これまでよりも一回り程、小さいものとなっていた。

 

 未だ完成形には届かないものの、チャクラの密度は高い。飛び掛かってきた分身体を容易く屠っていた男は、小さな驚きと共に舌なめずりをしている。蛇のような瞳からの殺気に飛び込むように、ナルトは駆ける。

 

「食らえ、螺旋―――えッ!?」

 

 右手を突き出し、螺旋丸を男の腹部にぶつけようとした途端、男は右腕の裾から大量の蛇を出現させナルトをがんじがらめにする。

 

「うわぁッ!」

 

 そのまま、ナルトは投げ飛ばされ、太い樹に叩き付けられた。その際に螺旋丸が樹の一部を吹き飛ばし、爆風と樹の破片が辺りに散らばりナルトの頬を傷付ける。背中の筋肉が痛みを訴えてナルトは表情を歪めてしまう。

 

「私が見たい本気っていうのは、そういうのではないのだけれどね」

 

 男は痛みで地面に腰を置いてしまっているナルトを見下ろしていた。裾から生やした蛇の束は、どこへ収納されたのか、いなくなっている。

 

「でも、珍しい術を使うようになったものね。それ、誰に教えてもらったのかしら?」

「……てめえなんかに言うつもりはねえってばよ」

 

 この術を誰に教えてもらったのか、それを誰かに言ったことは一度もない。

 

 大切な恩人であるイルカにも。上司であるカカシにもだ。

 

 なぜなら、彼女は犯罪者だからだ。

 

 だが目の前の男に言わないのは、単純に、言ってしまえば自分の大切な記憶が穢れるのではないかという想いがあっただけである。

 

 ナルトは立ち上がり、次はどうするべきかと考えようとする。徹底して、逃げるという選択肢は無かった。

 

 ナルトの返答に「あらそう」と男は言ってみせると、驚きの言葉を口にした。

 

「実は私も、その術を使っている子を知っているのよ。名前は確か……うちはフウコだったかしら?」

 

 わざとらしい演技がかった口調だった。

 それでも、ナルトは……呼吸を忘れてしまうくらい、驚愕し、逃げないだとか、勝つだとか、サスケやサクラのことだとか、そう言った考えが一瞬にして吹き飛んでしまった。

 

 懐かしい、言葉だった。

 

 他者から彼女の名前が出たのは、いつぶりだろうか。

 

「なん……で…………お前が、フウコの姉ちゃんのことを……」

 

 震える声。

 どこか縋るような、希望を求めるような、声だった。

 

「知ってるかって? 私、あの子とは少しだけ友達だったのよ。ある目的を共有していてね」

「フウコの姉ちゃんは、今は、どこにいるんだよッ!」

「クク。知りたい?」

 

 知りたい。

 ずっと追い求めていた、眩く光る、最も大切な繋がりの糸口。

 それを今、手に入れられるかもしれないと、ナルトは思った。

 

 しかし。

 

 その言葉が口から出なかったのには、理由がある。

 

 男―――大蛇丸が、口から吐き出したものが、原因だった。

 

 吐き出されたのは、バラバラの遺体。

 

 四肢を切断され、達磨のような形にさせられた遺体が、二つ。顔は抉られたかのように失われていて、傷口からは大蛇丸の体液と混ざり合った血がピンク色になって溢れ出ている。

 

 繋がり。

 大切な、彼女への、フウコへの繋がりだけではなくなっていた。

 今ではもう、繋がりは増えてしまっている。

 

 何かが切れるような音が、頭の奥底で聞こえてきた。

 その音は幼い頃―――フウコが犯罪者となって里を出て行った時に聞いた音と、酷似している。

 

 遺体の顔は分からなくても、髪型や衣服は何とか判別できる。

 

 桜色の髪。

 うちはの家紋が入った服。

 

 心がざわつき、

 叫び、

 怒り、

 ナルトの身体から、赤いチャクラが漏れ出していた。

 

 大蛇丸は愉快に、ナルトを観察するような眼で見下ろす。

 

「なら、本気を出してごらんなさい。君の中にいる化物を、私に見せなさい」

 

 死の森で、二つの衝撃が響き渡る。

 

 暴発した赤いチャクラの波動と、そして、獣のような絶叫が。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 テマリの持っている母との記憶はあまりない。母―――加琉羅がこの世を旅立ったのは、まだテマリが本当に幼い時だったからだ。弟の我愛羅が生まれるとほぼ同時に亡くなり、しかし、加琉羅の死に目に立ち会うことができず、突然と行われた葬式の棺桶に納められた無機質な顔が母との別れだった。

 

 加琉羅と、最後に遊んだ日。不思議と、テマリの中で最も印象に残っている。きっと、加琉羅がいなくなった、という結果が後付け的にそうさせたのかもしれない。

 

『ちょ、ちょっと待って、テマリ』

『えー。さっきもそう言ったじゃん』

『お願い! これで最後だから!』

 

 顔の前で両手を合わせる母の姿に、幼いテマリは唇を尖らせた。これで八度目の待ってである。いくら母が、はさみ将棋が破滅的に弱いからと言っても、こう何度も待ってを言われては、やる気が無くなってしまう。色々考えた末に手を考えているのに、まるで無駄になってしまうようだ。

 

 合わせている両手の力の入れ具合にテマリは素直に「駄目」とは言えず、無言の批難を目線だけで訴えかけると、母は優しい笑顔を浮かべて顔を傾けた。

 

『……駄目?』

『…………これで最後だからね』

『ありがと!』

 

 母は善は急げとばかりに、正座するテマリの前に置かれた将棋盤のコマを、一手前のものに戻した。そして顎に手をやって、うんうんと、頭を悩ませる母を顔では見上げながらも、テマリの視線は密かに母の腹部を観察していた。

 

 膨らんだ腹部。もうじき、弟が生まれる。テマリはそれが楽しみだった。弟は一人、カンクロウがいるのだが、彼はあまり遊んでくれない。ずっとカラクリ人形をいじっているせいだ。だが、もう一人弟が生まれれば、もちろんすぐではないけど、遊んでくれるかもしれない。

 

 いや、もしかしたら、家族が変わるかもしれないと、テマリは思った。

 

 ずっと家族はバラバラだった。

 仲が悪い、という訳ではないと思う。一人一人が、ずれた歯車同士のように互いを傷つけあうような関係ではなく、油が無くなってしまった歯車がズレを積み重ねていったような関係だ。

 

 顔を合わせても、会話はあまりない。きっと理由は、父にあるのだろう。風影という偉大な地位にいて、忙しいのは分かるけれど、彼がカンクロウや加琉羅と長く会話をしているところを見たことがない。

 

 朝早くに誰よりも早く家を出ていき、夜遅くに帰ってきた時は怒ったような表情を浮かべては、母と二、三会話をするところしか知らない。

 

 彼が纏う、固い雰囲気が伝染して、いつしか家族には閉塞感にも似た固い空気が漂い始めた。

 

 だから。

 

 変わるんじゃないかって、思った。

 また、家族が増えたら。

 空気が変わるんじゃないかって。

 

 根拠は、あまりないけれど。

 

『気になる?』

 

 視線に気付いていた加琉羅を見上げると、母らしいほんわかした笑顔だった。頬微かに赤らめてテマリは視線を逸らすと、加琉羅の手が頭を撫でた。

 

『この子が生まれたら、しっかり傍にいてあげてね』

『そんなこと、分かってるよ。母さんに言われなくても』

『ずっとよ? ずーっと』

『どれくらいなのさ』

『勿論、この子だけじゃなくて、お父さんや、カンクロウ……みんなと一緒によ? テマリは私に似て、賢いんだから、支えてあげないと』

『母さんは私よりも頭悪いのに?』

『は、はさみ将棋は別よ! もう、とにかく! 約束して? 皆と、ずっと傍にいるって。貴方たちは、家族なんだから』

 

 その後、加琉羅と指切りとなった。破ったとしても、守ったとしても、罰も何もない、意味のない約束となってしまったけれど。

 

 それでもテマリは、母との約束を守ろうと必死に努力をした。

 

 化物をその身に宿した我愛羅と名付けられた弟と、必死に仲良くなろうとした。殺されるのではないかという恐怖を必死に抑えつけて。

 

 だがその努力は、たった数カ月で途絶えてしまう。

 

 我愛羅を世話する者が、叔父にあたる夜叉丸に変わってしまったからだ。それ以降、父からは我愛羅に会うことは禁じられていた。

 

 そして我愛羅と仲良くなろうという気持ちは、数年で枯渇した。

 

 我愛羅が暴走してしまったから。

 あの夜の恐怖は、今でも拭いきれない。

 

 テマリの中に残ったのは、母との約束だけ。

 傍にいる。

 我愛羅の人格や境遇、想いなどを度外視した、形骸化してしまった、砂のように乾いた約束だけだった。

 

「我……我愛羅、やめなよ……ね!」

 

 辺りに巻かれた血痕が生々しい臭さを放つのを傍らに、テマリは両手を小さく上下させて、冷汗を浮かべた表情で我愛羅をなだめた。

 

「そんな冷たいこと言わないでさ……。姉さんからもお願いするから……ね!」

 

 姉さん。その言葉に、あまり意味は無かった。やはり母との約束。家族として傍にいるという小さな使命感が自然と選ばせただけの、心も籠らない言葉である。

 

 だからなのか、冷酷にカンクロウを睨む我愛羅はテマリに見向きもしないまま、右手を茂みへと向けたまま、何かを握り潰すかのような動作をした。

 

 怖い。

 このまま我愛羅が暴走してしまったら。

 中の化物が起きてしまったら。

 

 自分も、肉片となってしまったつい先ほどの雨隠れの里の忍のような死に方をするのではないか。

 

 その死に方が、その死に至るまでの痛みが、恐ろしかった。

 

 このまま止まってほしいと、テマリは心の中で強く願う。

 これ以上、我愛羅を恐れたくない。

 これ以上恐れてしまったら、母との約束を守れないから。

 

 我愛羅の周りを浮遊する砂が蠢き、合わせて右手に力が入るのが見えた。

 

「我愛羅!」

 

 テマリの叫びと同時に……我愛羅は拳を作る。

 その中には、我愛羅が背負う砂の巨大な瓢箪の栓が握られていた。

 

「………………分かったよ……」

 

 狂気を感じさせない、脱力しきった、声だった。無言のままに栓をし、一人で歩いていく。

 

 空虚感を漂わせる我愛羅の背中に、安堵の息を細く吐いた。

 このまま何事もなく第二の試験を合格し、第三も、その次も、合格して。

 無事に、砂隠れの里に帰り―――。

 

 

 

 チャクラの波動が、伝わった。

 

 

 

「!?」

 

 そのチャクラには凶暴さが溢れていた。

 

 波動はたったの一瞬で、すぐに空気は戻ったが、テマリとカンクロウは同時に波動を感じた方向を見据えた。

 

「今のは……一体何だよ…………」

 

 カンクロウの言葉に含まれた感情は、テマリの中でも同様な反応を起こしていたが、彼女はすぐさま我愛羅を見て……後悔した。

 

 波動を感じた方向を見ていた我愛羅の目が、狂気に満ち溢れていたからだ。

 

 ―――我愛羅…………!

 

 心中の言葉は、声にはできなかった。狂気に満ちた目がこちらを向いてほしくないと、本能が怯えてしまったから。我愛羅が波動の方向へと跳躍したのは、そのすぐの事。

 

「待って、我愛羅ッ!」

 

 テマリはようやく、弟を追いかけた。

 

 弟を心配してではない。

 弟が暴走して、全てを破壊し、それに巻き込まれることが怖かったから。

 

 母との約束を守るだけ。

 テマリにとっての繋がりはもう、ただそれだけに、砂上の楼閣のようなそれに、なってしまっていた。

 


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