いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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親と子

 親の事を考えたことが一度もない、という訳ではなかった。アカデミーの頃が、最も多く考えた時期だったように思える。自我を獲得してから視力を持っていなかったイロミにとって、家族という言葉の持つ意味と、孤児院で暴力を振るう主の存在との区別を付ける時期が、他の子よりも遥かに遅かった。眼を貰ってからも、比較対象を詳しく知る状況に巡り会えなかったのも、原因だろう。

 

 イロミがはっきりと家族―――あるいは、両親―――というのを実感したのは、アカデミーの入学式の時だった。父親、母親と一緒に手を繋いでアカデミーの校門を通っていく生徒たちの川。

 

 どうして皆、笑ってるんだろう。当時のイロミは理解できなかった。大人の人と手を繋ぎながら、軽い足取りで歩いていくのを、一人ぽつんと少し離れた所から眺めていた。親同伴でアカデミーに来なければいけなかったのだけれど、孤児院の主は汚い字で書いた委任状をイロミに持たせるだけにしていた。

 正直、孤児院の主が傍にいないことは、安心できた。眼を与えてくれた彼に多大な感謝を抱いてはいるものの、理不尽な暴力や暴言への恐怖は常々抱いている。大人は怖い、というのが、イロミの常識だったのだ。

 

 なのに、どうして、他の子たちが笑っているのか。もし孤児院の主の前で笑えば、すぐに殴られるのに。大人の人はどうして殴らないのだろうか。

 

 不思議に思う反面、羨ましいとも思った。同い年の子たちの笑顔が、あまりにも自由だったからだ。自分のように、すぐ目の前に大人がいても、大人と手を繋いでも、何も束縛されていないことが、たまらなく羨ましかったのだ。

 

 この時に、直感的にだが、家族という形と効能を理解した。……しかしイロミはその後、フウコと出会い、家族あるいは両親への関心のエネルギーは全て、彼女へと向いてしまった。フウコと友達になるまでは、両親の事を考える暇は無く、時間も瞬く間に過ぎた。

 それから、シスイ、イタチと友達になって……。ちょうど、四人で、夜に神社へと探検した日、その翌日くらいから、考え始めた。

 

 きっと、きっかけは、フウコが孤児院の主を殺そうとしたからだと思う。当時は、主の事を「お父さん」と呼んでいた。そもそも、彼の名前を知らなかったこと、猿飛ヒルゼンの養子になる以前に彼の事をそう呼んでいた―――正確には、呼ばされていたのだが―――名残であって、特に深い意味は無かった。

 

 しかし、フウコの殺意を感じて、フウコが「どうしてあんな奴をお父さんだなんて―――」と無表情な不快感を示すのを見て、本当の自分の父親、そして母親はどんなのだろうか? と考え始めた。

 

 優しい人だったのだろうか。

 それとも、怖い人だったのだろうか。

 綺麗な人だったのか、カッコいい人だったのか。

 

 だけど、既に両親が死んでいることは知っていた。自分を拾ってくれた忍の人が言ってくれたのだ。アカデミーに入る前である。しかし、両親の事を考えるようになってからは、その事実が悲しいことなのだと実感してしまい、泣いた夜もあった。

 他の子には、両親がいる。家でご飯を食べる時は笑って楽しい時間を過ごしている。それだけではなく、頭を撫でてくれたり、アカデミーの宿題を教えてくれたりしてくれるのだろう。そう思うと、自分が過ごしている家と、家の中で殴られたり、ゴミのように邪険にされる時間が、どれほど惨めであるのか。

 

 他の人より足りてない。

 両親という、きっと、何よりも大切なものを持っていない。

 戦争で死んだのだと聞かされている。しょうがないことなのだとは、分かっている。

 

 だからこそ、苦しいんだ。

 

 しょうがないこと。どんなに頑張っても、手に入らないものなのだと、言われているような気がして。

 

 そんな惨めな自分を自覚して、泣いたのだ。

 

 眼を与えてくれたのには感謝してる。だけど、感謝と恐怖は、別だ。人の感情は、時と場合で分別できてしまう。一心に徹することは、難しい。幼いなら、尚更だ。

 

「なあ、イタチ。ずーっと見てっけどさ、全っ然、来ねえぞ」

 

 アカデミーの頃の、ある夜。

 

 イロミは、友達と一緒に、夜の下にいた。神社を探検した、三日後の事だ。場所は、うちはの町から少し離れた、小さな公園。どうせ試験まで時間あるから、などと言う、神社へ探検しに行った理由と何も変わらない事情で、夜に集まったのだ。

 

 背の高い滑り台の上に立つシスイは、右手を水平にしたまま額に当て、清廉に晴れ渡った夜空を見上げながら、滑り台を支える細い柱に立ちながら背を預けているイタチに尋ねた。イタチは腕を組みながら、小さくため息を吐く。

 

「まあ、運、だからな」

 

 イタチは面倒そうに呟いた。

 

「俺、そろそろ首が疲れてきたんだけど。なあ、そろそろ次の試合しようぜ」

「駄目だ。まだ一分も経ってない。続けろ。負けたお前の責任だ」

「負けたっつっても、というか、大体、フウコが俺の前の時点で問題があるんだよッ! 順番変えろッ!」

 

 シスイは空気をたんまり含めた慎み深い大声を出し、滑り台の下にある砂場を見下ろした。そこには、フウコとイロミが、砂で小さな建築物を作っていた。シスイの言葉に、フウコは赤い瞳で彼を見上げる。

 

「山崩しが下手くそなシスイが悪い」

「下手くそも何もねえだろッ! お前、毎っ回、俺が棒を倒すギリギリまで砂持っていきやがってッ!」

「そういう勝負だから。シスイだって最初、イロリちゃんが棒を倒すギリギリまで砂を持っていってた」

「限度があるだろ限度がッ! お前みたいに両腕全体を使ってまで砂を持っていってねえよッ! なんだ、あのタコみたいな腕の使い方はッ! お前はイカかッ!」

「何を言ってるの? シスイ」

「おいシスイ、空を見てろ。流れ星が来るかもしれないだろ」

 

 四人は、流れ星を見ようとしていた。天体観測をしようと、シスイが言い出したのだ。しかし、専門的な望遠鏡を持っていない四人は、仕方なく、流れ星を見つけて、願い事をしようと考えたのである。

 

 しかし、夜に集まって一刻。四人全員がずっと夜空を見上げていたが、一度として流れ星を見かけなかった。満点の星空が覗ける、雲一つないクリアな夜空。大気も大きく揺れている訳でもなく、ベストコンディションであるにもかかわらず、見つけられず、いい加減首が痛くなってきた四人は、山崩しで夜空を見上げる担当を決めようと判断した。

 

 今のところ、六戦して、半分以上はシスイが担当している。最初の二戦はイロミで、その後は全部シスイである。理由は単純に、シスイがフウコの静かな怒りに触れたからである。

 

 山崩しの順番は決まっていた。イタチ、フウコ、シスイ、イロミの順番を繰り返しに。山崩しのルールを知っていたのはシスイだけだった。シスイはそれを良いことに、イロミが取れる砂をなるべく少なくしようと画策していたのだが、フウコがそれに怒り、やり返した、というパターンである。

 

 シスイはやれやれと唇を尖らせながら、再び夜空を見上げるのを、イロミは一瞥し、すぐに目の前の建築物を見下ろす。砂場の横にある電灯が白く建築物を照らしている。三角屋根のベターな家を模した砂の塊は、なかなかの出来栄えなのではないかと、イロミは内心思っていたりした。本当なら、もっと角を鋭角にしたいようだが、蛇口から砂場までの距離が遠く、バケツもなかったため、乾いた砂では実現できそうにない。

 

「バケツ、持って来ればよかったなあ」

「え?」

 

 と、フウコは顔を上げた。彼女の前には、ただの滑らかな円錐の砂の塊があった。「どうして?」と、フウコは頭を傾ける。

 

「水があったら、もうちょっと、綺麗に作れるなあって、思ったの」

「しょうがないよ。流れ星を見に来たんだから」

「来ないね、流れ星。私、見たことないの。フウコちゃんはある?」

「何回かあるよ。夜空を見てたら、星がこう、流れていくの」

 

 一度手を止め、フウコは右腕を伸ばして、流れ星の軌跡を描いて見せた。

 

「どうして、流れ星にお願い事をすると、叶うのかな?」

「必ず叶うって訳じゃないと思うよ」

「え、そうなの?」

「多分……。本当に叶ったら、皆、夜中に寝ないと思うけど」

「まあ願掛けだよ、願掛け」

 

 と、シスイ。

 

「神社にお金入れて鈴をジャラジャラ鳴らすよりは、何か、叶いそうだろ?」

「いい加減だな、お前は」

「どうせイタチは、お参りの仕方にもうんたらかんたらで、そういった手順をキチンと踏めばなんたらかんたらもしかしたら叶うかもしれないっていうんだろうけど、流れ星の方がよっぽど神様とかに近い気がするぞ」

「深く考えない方がいいよ、イロミちゃん」

 

 イタチはイロミを見ながら、小さく微笑んだ。

 

「俺も流れ星は見たことがないんだ。それに、あまり見れるものじゃないから、見た方がいいし、どうせなら、願い事もした方がいいだけだ。流れ星は、綺麗みたいだからな」

 

 たしかにそうかも、とイロミは思う。星が流れるというのがどういうものなのか、その神秘性を楽しみにしている部分が大半だったことには変わりない。

 

「ねえねえ、フウコちゃん」

「なに?」

「フウコちゃんは、何をお願いするの?」

「サスケくんが、でんでん太鼓無しで、私を見て泣かないでくれないように」

「まだお前、泣かれてんのか。そんなの、星に願うなよ。もっとこう、壮大な願いをだな―――」

「そういうシスイは?」

「神にしてくれって願う」

「お前……凄いな」

 

 イタチが呆れ切った声を漏らした。

 

「俺は今まで、お前の事を、その、なんだ、色々と……誤解していたかもしれない」

「他に願うことなんかないんだよッ! バカにするなッ! 努力して叶うこと願うより、どんなに努力しても叶わないこと願った方がお得だろうが! そう言うイタチは何を願うんだよ!」

「そうだな。実のところ、俺もあまりない。強いて言うなら、里の平和くらいだ」

「平和だろうが」

「これから先のことだ。願掛け程度のことだ、それくらい想ってもいいだろ」

「イロリちゃんは、何をお願いするの?」

「あ、えーっと……」

 

 本当のお父さんとお母さんに、会ってみたい。

 

 その言葉を、ぐっと、喉元で押し留めた。これを言ってしまうと、フウコが心配して、孤児院の主を殺して、自分を家族として迎え入れようとするかもしれないと、思ったからだ。今日も主には、フウコ特製の睡眠薬を飲ませている。

 

「えへへ……内緒」

 

 フウコは「そう」とだけ呟いた。彼女のそういう、無機質な部分が、イロミは実は大好きだったりする。

 

「おいイロミ、それはズルいぞ。俺とイタチもフウコも言ったのに、お前だけ内緒だなんて」

 

 しかしシスイは、変に食いついてきた。

 

「俺たちは恥ずかしい告白をしたんだぞ」

「俺とフウコを含めるな、神」

「お、分かった。テストで満点取りたいとかだろ?」

「え? いや、そういうのじゃ……」

「大丈夫だよ、イロリちゃん。分からない所は、私が教えるから。だから、他のことお願いした方がいいよ」

「う、うん、最初から、そのつもりだから」

 

 その時、シスイが声を挙げた。「流れ星だぞ!」という言葉が耳に聞こえる前に、彼の興奮した息遣いに、イタチ、フウコ、イロミは同時に夜空を見上げていた。

 

 キラキラと光り瞬く星々。その隙間を、力強い白い一閃の光の軌跡が描かれる。軌跡はすぐさま消え始める儚さがありながらも、たしかに、何かを願えば叶うのではないかという想像が入り込む余地を疑わせるほどの、神々しさがあった。

 

 イロミは、気が付けば、両手を握り合わせていた。

 

 強く願うつもりはない。叶う訳がないことなのだから。それに自分には、育ての親と、また別の父親―――猿飛ヒルゼン―――がいる。だけど、握り合わせた両手は力強い。

 

 この一瞬だけ、この刹那だけ、この時だけ、願わせてほしい。もう、今後、一度だって我儘はいないから、望まないから。

 

 ―――私の、本当のお父さんと、お母さんに、会いたい…………。

 

 この日を境に、イロミは、本当の両親のことを考えることはしなくなった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 第二の試験会場を突き止めるのに、それほど時間はかからなかった。場所を突き止めたイロミはすぐさま死の森へと向かった。どうやって中に入ろうか、移動している時に考えていた。第二の試験の担当は、上司である、みたらしアンコだ。どんな尤もらしい嘘を並べ立てても、素直に通してくれるとは思えなかった。イロミは、死の森に入るために設けられている幾つかの出入り口を遠目で観察して、最も入りやすい場所から侵入しようと考えていた。

 

 しかし、驚いたことに、どういう訳か、全てではないのだが警備を担当する中忍及び特別上忍の姿が見当たらない箇所があった。イロミは幾つか、事情を予想する。

 敢えて姿を見せないで、侵入者を呼び込みやすくするための罠という可能性。

 何かしらの緊急事態が起きて、警備の者がどこかへ行っているという可能性。

 既に、第二の試験が終了している可能性。あるいは逆に、進行が極端に遅れている可能性。

 

 いくら列挙しても、はっきりとしたことは、現状では分からなかった。とにかく、イロミは素早く静かに、入口を潜り抜けた。

 

 途端に、全身を圧迫する強烈なチャクラの波動に襲われた。

 

「―――ッ!?」

 

 本能が、意味もなく呼吸を止めさせてしまうほどの寒気に、イロミの身体は一瞬だけ完全に膠着した。

 

 下忍レベルから逸脱し過ぎたチャクラの波動。突風のように通り過ぎて行ってからも、首筋に十分な寒気を残し、汗を滲みださせる。

 

 ―――今のは………なに……?

 

 一抹の恐怖は、しかし、ここに来るようにと言ってきた男の悍ましさに比べれば遥かに軽く、頭に思い浮かんだ疑問は、すぐさま一つの答えに接近する。

 

 合図。

 

 そう判断し、死の森を進んでいく。巨大な樹の枝を、彼女は独特の動きで突き進んでいった。樹の枝に着地し、再び跳躍するときは、足の裏に溜めたチャクラを風船のように小さく爆発させ。時には、掌に集中させたチャクラで枝に吸着し、チャクラを滑らかに流しながら進んでいく。

 

 チャクラコントロール。その一点において、イロミはどの忍よりも優れた技術を持っていた。それは、機能不全となってしまった両手が起因している。

 

 物を掴むことができない両手。クナイはおろか、筆の一本すら掴むことができない。どうしても忍として活動していくのに、それは壊滅的なペナルティである。それを克服する為に、彼女は、徹底してチャクラコントロールを磨いた。

 経絡系がまだ残っている、両手首から肘にかけてのチャクラコントロールを、特に。手首からチャクラを放出させ、動かない手を覆う。覆ったチャクラを利用して、物を吸着して掴んだりすることができるようにした。

 

 毎日毎日。

 

 今ではもう、何の苦も無くチャクラを動かせる上に、チャクラで手そのものを動かすことさえ可能だった。自分の手が、傀儡人形のようなものなのだと解釈すれば、容易である。その他に、チャクラを液体のように流動させる、風のように回転させる、手を覆ったチャクラでチャクラ糸を出し、チャクラ量の多寡で傀儡人形を操作する、そんなことが、簡単に出来てしまう。

 

 それを体現するかのように、樹を移り飛ぶイロミは水のように風のように、流動的な動線を描いて、突き進んでいった。

 

 意識が研ぎ澄まされていく。

 久々の感覚。

 特別上忍になってからというもの、雑務処理ばかりしかしていなかった。中忍の頃のような、実戦的な任務もなく、地道に努力だけを積み重ねるだけの日常。辺りに気を張りながら、脳内であらゆる状況を想定し、自身の数多の仕込みをどう展開するのか、それを考えるのは、久々だった。

 

 そしてイロミは、その場面に出会う。

 

 膝をついて苦しそうにしているサスケと、傍に駆け寄っているサクラ。二人に対峙するのは、気を失ったナルトの前に立つ、顔の皮膚が破けている男だった。

 

「てめえ……ナルトに何をしたッ!」

 

 サスケの声が聞こえると同時に、イロミは樹の影に姿を隠した。

 最初は、ただの下忍同士の争いなのだと思っていた。どうやら、第二の試験は順調に行われているようだ。しかし、状況は、見る限り最悪だと言ってもいいだろう。

 

 ナルトは気を失っているようで地面に倒れている上に、三人の中で最も実力のあるサスケが大きなダメージを受けている。同じ下忍相手ならば、サスケがそう簡単に負けることは無い筈だ。

 

 本当なら、今すぐにでも手助けをしてあげたい。だが今は、中忍選抜試験の最中。ルール違反は、サスケたちの失格を意味している。万が一、サスケたちが殺されそうになった時に手を貸そうと、彼らの危機が去るまでイロミは、樹の影で見守ろうと考え始めていた。

 

「安心なさい、殺しちゃいないわよ」

 

 男の―――大蛇丸の声に、首筋が薄ら寒くなった。

 聞き覚えのある、という表現すら生易しい。初めて聞いた時と何ら減少がない薄気味悪さ。頭に血が上る。

 

 あの男が、サスケとナルト、サクラの前に立っている。ねっとりとした殺意を隠すこともなく、与え続けている。

 

 考えるよりも早く、イロミは動いた。

 いや、考えながら動いていたと言った方が正しい。

 実戦の彼女の思考速度は常に、自身の行動を先行している。

 かつてよりもイロミの思考の精度は高くなり、イメージを実現する精密さも、両手の機能を失ったビハインド以上のものを獲得している。

 

 そして全ては、予想通りに事態は進んでいった。

 

 サスケたちを離脱させることに成功した―――サスケが大嘘狸のことを知っていることを想定して、煙幕を展開―――。

 大蛇丸をこちらに引き付けることに成功した―――そもそも彼が呼び出しているのだから―――。

 大嘘狸を使用して、彼の実力を一部だが観察できた―――大嘘狸は破壊されたが、イロミにとって痛手でも何でもない―――。

 

 後は……そう。

 

 友達の。

 親友の。

 フウコの。

 情報を聞き出すだけ。

 

「―――と、言う訳よ、イロミ。貴方は私が産んだようなものよ」

 

 大蛇丸の声は、冷気のように、樹の太い枝の上を重たくした。まだ中忍選抜試験は行われているはずなのに、辺りは不気味なくらいに静かで、だからこそなのか、十メートルほど彼と離れているはずなのに、まるで言葉が雨のように身体に浸透して寒気を覚えさせる。

 

 友達の情報を聞くはずだったのに、耳にしたのは、自分の生い立ちだった。

 

 多くの人の血と、肉と、内臓を混ぜ合わせ、繋ぎ合わせて生まれた。親なんてものはそもそもいなくて、元々、まともな人間ではないと。

 

 まるで、安い空想小説のような設定に、話しの初めはイロミも大蛇丸の言葉を強く否定していた。

 

「そんな馬鹿な話しを、私が信じると思いますか?

「訳の分からないことを言わないでください。

「早く、フウコちゃんの事を―――」

 

 しかし、自分が多くの人の命を糧に生み出された生物なのだということを裏付けられるような情報を大蛇丸は並べ立てた。それは、さもイロミの親であるかのように、多くを彼は知っていた。

 

「今まで一度も、病気に罹ったことはないでしょう? それは、貴方の細胞が異常な変化を遂げているからよ。おそらく、身体の害になるものは全部呑み込んで無力化しまうのね。貴方の両手が動かないのも、そのせいよ。複雑骨折でズタズタにされた神経を、細胞が食べてしまったのね。

「今は分からないけど、貴方の身体は不完全なのよ。経絡系が途切れていたり、筋肉と靭帯の連携が悪かったりね。アカデミーの頃、座学以外の成績は良くなかったでしょ? それがその証拠よ。どんなに意識しても、思う通りにできないことが沢山あったでしょう。

「よくここまで頑張ったわね。凄いわ。特別上忍にまでなるなんて。でも、それ以上は無理よ。木ノ葉がどうして貴方を上忍にしないと思う? 私と繋がりがあるからよ。戦争孤児として貴方は拾われたようだけど、本当は私の研究室で発見されたというのが真実なの。私と貴方の繋がりを、木ノ葉は疑っているということね」

 

 確実な説得力を持っている訳ではない。ただの、言葉だ。

 だけれど、どうしてだろう。

 どれも、一度は疑問に思ったことだった。

 

 どうして自分の両手は動かなくなったのだろうかと、医療忍術の知識を得た時に、複雑骨折程度で両手がまるっきり動かなくなるなんてことはありえないのに。

 自分の才能の無さに、アカデミーの頃はいつも不思議に思っていた。想像通りに、身体が動いてくれない。

 上忍になりたいと思ったのに、どうしてなれないのだろうか。

 どうして、どうして。

 

 不確かな疑問に、細々としながらも、解答を与えられてしまったことに、イロミは無意識の内に納得しかけてしまっていた。

 

 ましてや。

 

 面識のない男が突如、声をかけてきたという状況も手助けしてきていた。彼が自分を生んだ張本人だという言葉が、あながち間違っていないのではないか、と。

 

「貴方は……何者ですか?」

 

 その言葉を呟いたのに、深い考えはなかった。

 気が付けば、と言っても過言ではない。思考が混乱し、足を止めてしまっていた。大蛇丸は「ああ、忘れていたわ」と、皮膚が破けた顔の前で軽く腕を振るった。腕が通り過ぎると、そこにあったのは、白化粧をした男の顔だった。

 

「私は大蛇丸。もしかしたら、名前くらいは聞いたことあるんじゃないかしら?」

 

 頷きはしなかったものの、彼の名前と、そして彼が里で何をしたのかを、イロミは知っていた。多くの知識を蓄えてきた彼女が、その過程で、木ノ葉の三忍と呼ばれた彼を知ってしまうのは自然な流れである。

 

 禁術の開発や、行ってきた人体実験の数々。それがまた、大蛇丸が語った事柄に真実味を一つ帯びさせた。

 

 イロミは、一度固唾を飲み込む。

 

「どうして貴方は……木ノ葉に戻って来たんですか…………」

「ちょっと私にも事情があってね、少しやることがあるのよ。一言では言えないけれど、一つは、貴方を迎えに来たの」

「……私を?」

「今まで、一人にして悪かったわね」

 

 甘ったるい―――声だった。

 本当に彼がその声質だったのか、それとも自分の心がそう都合よく聞こえさせたのか。

 吐き出した息が、安堵を含んだみたいに、熱くなる。

 

「ずっと心配してたわ。貴方を置いて行ってしまったあの夜から、ずっとよ」

 

 大蛇丸が大股で一歩、近づいてくると、声がより身体に染み渡った。

 

「里で人体実験をしたのは、ただ、子供が欲しかっただけなの。自分の子供が。生まれた時から、ずっと戦争続きで、私に残ったものなんて何もなかった。だから、たとえ他の連中を犠牲にしてでも、何かを残したかったのよ。何度も何度も実験を繰り返して、ようやく生まれたのが、イロミ、貴方よ。貴方が生まれてくれた時、本当に、嬉しかったわ」

 

 一歩、一歩。

 言葉が入ってくる。

 身体に、心に。

 幼い頃に、少しだけ嫉妬した、家族という繋がりが、頬を舐める。

 

「それなのに、里から逃げる時に貴方を置いて行ってしまって……。生まれた時はまだ細胞が不安定で、もしかしたらもう死んでしまってるんじゃないかって、想像するだけで恐ろしかったわ。……正直に、白状するわ。もう、貴方が死んでると思っていたの。ごめんなさいね。だけど、彼女と―――うちはフウコと会った時に、教えてもらったわ。貴方が、無事に生きていて……それに、中忍になっているだなんて…………」

 

 やはり、声は、甘い。

 蜜のように。

 毒のように。

 強迫的なまでに甘くて、考えることが馬鹿らしく思えてしまうほどの密度。

 もはや目の前に立つ彼からは、敵意は感じ取れなかった。その雰囲気に緊張を緩めないように、イロミは必死に奥歯を噛みしめて、抗う。

 

「そんなの……嘘に決まってます…………ッ! だって、初めて会った時に、貴方は―――」

「ああでもしないと、来てくれなかったでしょ? 彼女の名前を出しただけじゃあ、ただの悪戯だって思われるかもしれないと思ったのよ。それに、貴方は特別上忍。音隠れの里の者として、あまり貴方と長く話せないじゃない。少し強引だったかもしれないけど、あれしか方法は無かったの。ごめんなさいね、怖い思いをさせちゃって」

「じゃあ……フウコちゃんが、壊れるかもしれないって…………」

「ククク。あれは嘘よ。貴方と、こうして会いたくて言ったのよ。全くの健康という訳ではないけど、問題は無いわ。だから、安心なさい」

 

 顎を指先で、撫でられる。

 くすぐったさが、耳の裏を通って、頭の中を駆け巡った。眠たくなるような、刺激だった。

 視界が、明滅する。

 

 流れ星だ。

 

 幼い頃に願った、本当の両親に会いたいという想い。

 目の前の男は、本当の、両親?

 血は、繋がっていない。

 だけど。

 血の繋がりだけが、家族では……ない。

 だって彼女は―――フウコが、そうだったから。

 

「愛してるわ、イロミ」

 

 大蛇丸は呟いた。

 

「私と一緒に来なさい。そうすれば、うちはフウコに会わせてあげる」

「……ッ!? フウコちゃんに、会えるんですか?」

「すぐに、という訳ではないけどね。言ったでしょ? 彼女とは同盟を組んでいたって。今は、少し事情があって会えないけど、あらかたの場所は分かっているの。見つけるのに、長い時間は必要ないわ。それに、貴方が会いたがってるって知ったら、きっと彼女から会いに来てくれるに違いない。だからイロミ、私と一緒に来なさい」

 

 撫でられていた顎から指が離れ、そのまま右手が差し伸べられる。掌を上にした手は、迷子の子供を見つけた親のそれだった。

 

 この手を取れば。

 

 会える。

 友達に。

 ずっとずっと、探し求めていた、友達の元に。

 

 イロミは決意する。右手をゆっくりと、大蛇丸の手へと。

 怯えるように腕が震えている。喜ぶように、肩が震えている。もはや、イロミは彼の手しか見ていなかった。イロミよりも身長の高い大蛇丸が、視界の上で、ニタリと嗤っていることにも気づかないまま。

 

 樹々が、枝葉が、木ノ葉が、ざわめく。

 風は吹いていないのに。

 止めろと、叫んでいるようだった。

 

 手が、手へと。

 

 そして、

 

 イロミは―――大蛇丸の腕を、掴んだ。

 

 正確には、手首だ。がっしりと逃がさないように、素早くチャクラ糸を巻き付ける。彼女の予想外の動きに、大蛇丸は息を小さく呑み込んでしまう。その音を、イロミは聞き逃さない。すかさず、足からチャクラを放出した。

 

「解ッ!」

 

 声とチャクラに呼応して、ちょうど、イロミが掴んだ手首の真下の樹の枝から、大量のガムテープが出現し、二人の腕に巻き付いた。すかさず、懐から一本の針を取り出す。濃い睡眠薬を塗ったものだ。

 

 ガムテープの上から、それを突き立てようと腕を振り下ろすのを、大蛇丸は許さない。

 

「ぐッ!?」

 

 彼は、口から吐き出した草薙の剣の刀身で自身の腕を切り落とすと、そのままイロミの頬を蹴り飛ばす。衝撃は身体を傾け、勢いのままに枝から落ちた。左手から離れる針と共に、空中に投げ出される。イロミは器用に別の近くの枝に手を吸い付け、着地した。

 

 口が鉄臭くなる。コロコロと、硬い物を感じた。吐き出すとそれは、粘質の強い血と、歯の破片だった。痺れるような痛みが、上顎から広がっていくが、涙一つ溢れようとはしない。先ほどの枝よりも低い位置から、イロミは大蛇丸を見上げた。

 

「全く、困った子ね。油断も隙も、あったものじゃないわ」

 

 大蛇丸の右腕から、ドバドバと血液が落ちている。出血を脳裏に浮かべてもおかしくないほどの量にもかかわらず、微かな落胆を浮かばせながらも余裕たっぷりの笑みは不気味だ。

 

「それは、私の台詞ですよ。まさか、何の躊躇もなく腕を切り落とすなんて、思ってもみませんでした。それに―――」

 

 右手にガムテープごと絡みついた、大蛇丸の右腕が突如、蠢く。切断面から、三匹の蛇が、イロミの首を絞め殺そうと伸びてくるのを―――左手から伸ばすチャクラ糸が、逆に絞殺した。

 

「こんな分かりやすい小細工をするなんて、思ってもみませんでした。伝説の三忍はもっと、圧倒的に強いと思っていたのに」

 

 蛇は力なく項垂れ、頭部を地面に落とす。

 イロミはガムテープを剥がし始める。もうそろそろで、仕込みが完成するだろう。なら、ここからが本番だと、自分に言い聞かせた。

 

 その空気を感じ取ったのか、大蛇丸も雰囲気を変える。右腕の切断口から、さも当たり前のように、右腕を生やした。

 

 イロミは、驚かない。

 

 たかが腕の一本や二本、新しく生えてきても、特に感想は無かった。

 

「どうして私の手を取らなかったのかしら?」

 

 と、大蛇丸は呟く。口からは既に、草薙の剣が抜き取られていて、新たに生えた右手が握っている。

 

「……フウコちゃんは、私に会いたいと思っていないはずです」

「あら? それは嘘じゃないわよ。本当に彼女、貴方に会いたいと言っていたわ」

「貴方とフウコちゃんが、どれくらい親密なのかは知りませんが、それだけはありえません」

 

 はっきりと言ってやる。それは、駆け引きなんてものが何もない、イロミの本心。

 

 フウコが会いたいと思っている。それはイロミが願っている可能性である。もう一度会った時は、こちらから伸ばした手を取ってほしいとは、流れ星が降り見える夜でなくとも願っていることだ。

 

 だけど、それを、誰かに言うなんてことは、ある訳がない。

 だって、彼女はそうしなかったからだ。

 

 兄であるうちはイタチにも。

 弟であるうちはサスケにも。

 友達の自分にも。

 

 言わなかったからだ。言わなかったから、だからこうして、自分は彼女を求めている。フウコが何かを隠そうとしていたのは、イロミは知っている。イタチから、シスイの言葉が書かれた写真を見せられたことがあるからだ。

 

 何かを隠すために、うちは一族を滅ぼした。

その過程で、自分やイタチに嘘を付いて、突き放して、里の外へ出て行った。

 

 だから、そう。

 

 その嘘を否定してしまうことを、たとえ親しくとも、あるいは全くの赤の他人であっても、彼女がするはずないと判断しての、決裂だった。

 

 頑固なイロミの言葉に、大蛇丸は鼻で一笑にふせる。

 くだらない、と思っているのだろう。事実、こちらを見下ろす彼の瞳は、侮蔑に満ち溢れていた。

 

「教えてください。フウコちゃんは今、どこにいるんですか? どこで、何をしようとしているんですか?」

「親を眠らそうとする子に、教えるわけないじゃない」

「何度も言いますけど、私は貴方の子供じゃありませんよ」

「作ったというのは、事実ではあるのよ?」

「それがどうしたんですか。子供が、必ずその親の子供という訳じゃありません」

「ええ、そうね。全くその通りね。世の中の親たちに言って聞かせたいものだわ。どんな子供だって、どんな親の子供ではないものね。遺伝子では繋がっていても、子供の人格は、どこかから勝手に生まれたものなんだもの。その人格さえも自分が生んだものだと思い込む親ほど、反吐が出そうになるものはないわ。貴方も同じよ、イロミ。私は、貴方のそんな人格を生んで育てたつもりはないわ」

「私も同じですよ。貴方に育てられた覚えも、貴方がいなくて寂しいと思ったことも、ありません。今の私が一番欲しいのは、フウコちゃんです」

 

 流れ星に願った、あの夜。

 親に会いたいと願った、あの夜の自分は、もういない。

 いるのは、ただ、あの夜の帰り道に、フウコと、イタチと、シスイと、四人で楽しく帰った自分である。

 

 あの頃の自分が、今の自分なんだ。

 

 頭上から、一匹の狸―――ダルマが、イロミの肩に降り立った。

 

「イロミよ~、準備は出来たぞ~」

 

 ありがとうございます、とイロミは、とても冷ややかな声で呟いた。彼女の目は、鋭く大蛇丸を見上げている。

 

 もはや、彼からフウコの情報を聞き出そうとは思わなかった。そんな丁寧な手段は必要ない。

 徹底的に痛めつけて、徹底的に吐き出させる。

 怒りがあった。

 フウコの情報を教えてくれないことへの怒りだけではない。

 彼が、ナルトとサスケを痛めつけていたことへの怒りだ。

 

 もし自分が、彼を見つけるのにあと少し遅れていたら。それを想像するだけで、イロミの怒りは一回り大きくなる。

 

 伝説の木ノ葉の三忍でも、畏怖などは抱かない。

 

「後は好きにするがよい」

 

 ダルマは、普段とはまるで違う重々しく言う。

 

「自然エネルギーのコントロールは、ワシがする。お前はいつもみたく、馬鹿みたいにがむしゃらにやるんじゃ。よいな?」

「はい、ダルマ様。お願いします」

「ククク、まるで私に勝てるような言い草ね。ゴミの分際で、あまりはしゃがないで頂戴。耳障りだわ」

 

 ゴミという評価に、けれど、イロミは悲観することも怒ることも無かった。自身が凡人で、才能がなくて―――そして、ただの人間ではないことは、知っているから。むしろイロミは、大蛇丸の言葉に「おい、小僧」と言葉を返したダルマに、驚いた。ダルマの表情は、今まで見てきた中で、最も苛立ちを生み出しているものだった。

 

「言葉を慎め。イロミへの侮辱は、ワシら夢迷原に巣くう狸への侮辱だと知れ」

「あら、【夢幻の秘境】と呼ばれたところの狸だったの。恐ろしいものね……一体、どんな寝技(、、)を使って、そんな才能の無いゴミを化かしたのかしら? さっさと原っぱに戻って、腹太鼓でも鳴らしてなさいな」

「たかが蛇を使役しただけで、いい気になるでないぞ。どれほど皮を脱いでも、所詮は蛇。手も無く足も無く、己が尾を食らうことしか知らぬ獣など、地面に這いつくばりみっともなく舌を伸ばしておることが真諦じゃ。千に変わり、万に化け、那由他を網羅するワシら狸の足元にも及ばぬわ、痴れ者め。こやつ―――イロミは、ワシら狸の千番目の弟子にして無形の仙女……ゴミなどと、間違っても口にする出ない」

「―――大蛇丸さん、最後にもう一度、訊きます」

 

 と、イロミは二人の会話に割って入る。

 

「フウコちゃんの事を、教えてください」

「言うわけないでしょ?」

「……もう、貴方は私の胃の中にいます」

 

 その言葉に合わせて、イロミの背負っていた巻物が、鮮やかな緑色の木の葉の群れへと姿を変えた。

 いや、元に戻ったと言った方が、正しいかもしれない。

 大蛇丸の前に姿を現す前に、予め、巻物はダルマに持たせていた。背負っていたのは、ダルマの仙術で化かしていた偽物である。

 

 本物は既に、辺りに張り巡らされていた。大蛇丸には、目視することは許されない。大量の【封】の文字が書かれた巻物の紙は、ダルマによって化かされ、樹々に、枝葉に、時には空中に、同化しているからだ。イロミがついさっき展開したガムテープも、展開した巻物の一端を動かしたに過ぎない。

 

 仕込みは、完成した。

 

 ダルマが、液体に姿を変え、イロミの体内へと侵入する。戦闘で動きながら仙人モードを維持することができない部分を担う為だ。

 

 イロミの姿が変わる。

 頬に狸のような髭が生える。口回りに痣は出来なくなったが、その代わりに、耳が黒く変色した。しかし、身体に痛みは無い。

 

愚忍仙術(ぐにんせんじゅつ)八百万(やおよろず)の狸合戦」

 

 次の瞬間。

 大蛇丸は吹き飛んだ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 一瞬、大蛇丸は何が起きたのか理解できなかった。

 

 前兆は無かった。油断をしていた訳でもない。突然、腹部を強烈に押しつぶそうとする衝撃が訪れた。全く予知できていなかった攻撃に大蛇丸の身体は抵抗なく後方へ吹き飛び、少し離れた背後の樹に叩き付けられる。

 

「くッ……!?」

 

 幹の表面を砕き、背を埋められてしまった。腹部と背中を中心に広がる痛みが走るが、苦悶を堪能し、衝撃の原因を突き止めようとする暇をイロミは与えてくれはしない。

 

「解」

 

 やや上の空中から、五十を超える槍の群れが襲い掛かる。身体を蛇のように細くし、素早く回避するが、続けざまに襲い掛かってくる、忍具の雨。面を制圧する攻撃ではあるものの、蛇のように躱し続けながら、大蛇丸は忍具の出所を観察する。

 

 そこには、何も無いように思えた。空中から無造作に現れる忍具たち。不可思議な光景だが、大蛇丸の頭脳は粗方の当たりを付けた。

 

 イロミが背負っていたはずの巻物。それが、展開されている。胃の中にいる、というイロミの呟きは、それを示しているのだ。イロミの巻物には多くの技術と道具が収納されていることは、カブトが収集した情報から知っている。それが、さも結界かのように展開されているのだろう。

 目に見えないのはおそらく……。

 

 そこまで考えて、大蛇丸は異変気付く。

 

 イロミ。彼女の姿が見えない。確かに、忍具の雨で彼女の姿が見え辛くなっていたが、完全に見失ってしまうほどの大きな動きはしていなかったはず。視線の移動だけで辺りを探るが、不意な方向からチャクラ糸が首に巻き付き、上空へと引っ張られる。

 

 ―――後ろ……!?

 

 首の血管を締め付けるなんて生易しいものじゃない。首の骨をねじ折る、あるいは首を脊髄ごと身体から引き抜くかのような力だ。チャクラ糸は大蛇丸の背後へと回っており、上の枝を滑車に利用している。しかし、イロミの姿は見えない。

 首吊りのまま身体は上昇し続け、そして、

 

「解」

 

 どこからか、イロミの声。もはやその声は、殺意の玩具箱をひっくり返す死神の声のように聞こえてしまう。滑車代わりの枝から、硫酸を垂らす太い針の塊が。大蛇丸の身体は肉を貫かれ、硫酸によって焦がされる生臭い煙を漂わせ―――その死体の中から、大蛇丸は五体満足のまま這い出てくる。

 

「忍法・亀竹林(かめちくりん)

 

 イロミは手を止めはしない。どこからか口寄せした一万本の鋭い竹が地面から生え、やがて樹にも生え、大蛇丸の場所へと、生える場所を伸ばした。左腕の袖を捲り、草薙の剣を握る右親指の皮膚を噛み破る。溢れた血を、左腕に描かれている模様の上に滑らせる。

 

 剣を口で一時的に持ち―――印。

 

「口寄せッ!」

 

 出現したのは、巨大な蛇。サスケに嗾けた蛇よりも、さらに三回りほども大きな大蛇。背に乗り、安全地帯を確保する。大蛇の硬い皮膚は竹の先端を悠々とへし折り、獰猛な瞳で辺りを探り始める。

 

 蛇には、周りの温度を感知する器官が眼の下に備えられている。思惑通り、大蛇はイロミの体温を感知し、プレスするかのように地面へと身体を投げ出した。

 

 落下する大蛇の頭上から、大蛇丸は確かに見た。

 

 何もないはずの地面の上に、五本のチャクラ糸が出現するのを。

 いや、もはやそれは糸とは呼べない代物だ。五本のチャクラは弾丸のような速度で放たれ、容赦なく大蛇の皮膚を貫いた。仙術チャクラで練られた糸は横薙ぎに振るわれ、いとも容易く大蛇の肉体を六等分に切り分ける。鋭い鋼線のようなチャクラ。大蛇の大量の血が空中を舞い始める。

 

 風が吹いた。大蛇丸が、口から吐き出した、風遁系の術である。血液は広く薄く展開され、地面を覆い尽くすと、ある一部分だけが、立体的な形を表した。

 

 ―――なるほど、透明になる術だったわけね。

 

 血を頭からもろに被ったイロミの姿だった。肌の色も髪の色も服の色もどれもこれもが赤一色に染まっている。染まっていない部分もあるにはあるが、その部分はガラスのように向こう側が透けていた。

 

 ―――所詮は子供騙しねッ!

 

 イロミは被った血のせいで一時的に視界が塞がれているようだ。死んだ大蛇の頭部を蹴り、いち早く地面へ。着地すると同時に、一歩踏み込み、そして……。

 

「…………ッ!?」

 

 驚愕の表情を浮かべるイロミの腹部を剣は―――突き刺しはしなかった。

 まるで空気に通しただけの、虚しい感触。イロミの腹部と接触しているはずの剣から、大量のウジ虫が姿を現し始めた。

 

 イロミは、演技した驚きの表情を解き、口端を吊り上げる。

 

「化かされましたね?」

 

 千に変わり、

 万を化け、

 那由他を網羅する、

 狸の千番目の弟子。

 仙女、イロミ。

 仙人モードの彼女の肉体には、原形などという不自由は存在しない。

 

 肉体を透明にさせることも、

 皮膚と筋肉と血と内臓をウジ虫に変化させ自由に動かすことも、

 ましてや、

 右腕を大蛇に変化させることなんて、造作もない。

 

 大蛇は大蛇丸の身体に巻き付く。のみならず、彼女の下半身全てが、鼠、サメ、トラ、犬、鳥、兎、あるいは分厚い蜘蛛の糸になり、大蛇丸を、今度こそ逃がさんと絡みついた。さらには、辺りの結界から千本、クナイ、鎌が大蛇丸の両足に深々と刺さり、靭帯を切断する。

 

「クッ……!?」

「貴方の変わった変わり身の術は厄介ですけど、ここまで動きを封じられたら逃げられませんよ?」

 

 上半身だけとなったイロミの背中から、鳥の羽が生え、宙を舞わせる。

 

「そして次の攻撃は、絶対に受け流すことはできません」

 

 イロミがチャクラ糸で、張り巡らせた巻物の一部を破って引き寄せる。紙は、筒状に丸められる。内側に溢れんばかりと印字される【封】の文字が、一つ残らず大蛇丸を睨み付けた。

 

「愚忍仙術・音塊情歌(おんかいじょうか)

 

 放たれた音の塊はもはや音を飛び越し、ただの弾丸となって身体全体を圧迫して、大蛇丸そのものを弾丸へと化けさせた。

 

 身体は地面を何度も跳ね、樹々を貫通し薙ぎ倒し、一筋の巨大な跡を死の森に刻み付ける。

 

「まだです。まだ私の【仕込み】は終わりません」

 

 イロミは攻撃を休ませない。再びチャクラ糸で、数百メートルまで飛んでいった大蛇丸の身体を掴むと、乱暴なまでの腕力で引き寄せ、上空へ打ち上げる。

 

「解ッ!」

 

 未だ身体にはイロミの下半身が化けた諸々が絡みついている。そこから放出されるチャクラが、空中の巻物に触れ、数十枚の起爆符を出現させ、爆炎で抱擁する。その外側からさらに、忍具の弾幕が。

 

 肉が千切れる。眼球が焦げる。上も下も、何も分からない。

 

 それでも大蛇丸は、笑みを浮かべていた。

 

 まるでダメージなど受けていないかのように。

 炎の中、忍具の弾幕の中。

 確かに笑っていた。

 

 ―――ククク、まさか、ここまで強くなっているなんてねえ……。

 

 皮肉なことかもしれない。あるいは、親子だからこそなのか。

 

 イロミが巻物に多くの【仕込み】をしているように、大蛇丸もまた、自身の身体に大量の【仕込み】をしていた。

 それも、イロミがそこらの忍具や常識的な力を集約させているのとは対称的に、大蛇丸は、彼の才覚が作り上げた稀有な研究成果ばかりを。

 

 大蛇丸にとって、単純な外部の攻撃は、殆ど意味をなしてはいなかった。

 蛇のような肉体の頑丈さを持ちながらも、蛇の巣のように多くの命を孕んでいる。

 不老不死を追求し続けた彼の肉体はもはや、不条理を闊歩することを可能にしていた。それはかつて、滝隠れの里でフウコと対峙した時よりも、さらに異常な肉体構成。いやむしろ、彼女と対峙したからこそ、彼は自身の肉体の改造を多く繰り返してきたと言っても過言ではない。

 

 ―――嬉しいわ、イロミ。ただのゴミだと思っていたけれど、どうやら、これは予想以上に……使えそうねえ…………。

 

 身体が地面に叩き付けられる。「解ッ!」とイロミの声と共に、上空の枝葉から、巨大な岩石が容赦なく肉体を押しつぶす。血肉が岩石の下から弾けてはみ出ながらも、それでも大蛇丸は自身の興奮が萎えることがないことを自覚した。

 

 ―――貴方に会ってみて、良かったわ。ククク。

 

 カブトにも知らせていない、イロミとの接触。つまりは、大蛇丸は独断で、イロミと会っている。

 

 なぜ、そうしたのか。

 

 彼女が我が子だからという理由―――な訳ではない。

 

 ナルトと一緒である。

 そう。

 彼女の実力を確認する為だった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 岩石が地面に落ちた衝撃で巻き上がった砂煙の中を、イロミはじっと見つめていた。

 

 相手に一切の反撃チャンスを与えない数の力。そして、仙術による奇襲。徹底的なまでに攻撃を仕掛け、普通なら相手が死んでいてもおかしくはないのだが、イロミは決して集中力を切らしはしなかった。

 

 相手は三忍の一人。恐怖ではなく、決して油断はしないという固い決意の元に支えられている集中力である。

 

『イロミよ、もはや樹脂も僅かじゃ。逃げることも念頭に入れよ』

 

 ダルマの声が脳内に響き渡る。はい、ダルマ様、とイロミは口の中で返事をする。

 

 仙人モードを維持するのには、ダルマの協力が必要不可欠だった。しかも、夢迷原に自生する特殊な樹の樹脂をダルマが自身の身体に塗らなければならないという条件付きである。イロミの細胞がどんな些細なものも呑み込む暴飲暴食の産物である以上、同化するダルマ自身がイロミに取り込まれないようにするための、いわば保湿液のようなもの。

 

 それがもう間もなく、食いつくされてしまう。ダルマもイロミも、細胞の性質について詳しく知らないものの、制限時間が設けられているのは分かっていたのだ。

 

 身体にも、徐々に痛みが広がり始めている。もはや猶予はない。

 

 砂煙が晴れる。チャクラ糸は、依然として岩石の下の大蛇丸に繋がったまま。下半身は、既に小さなハエの集まりとなって、イロミへと繋がり、元の姿に戻っていた。

 

 ―――……生きてる。

 

 イロミはそう直感する。仙人モードによる感知能力の向上が伝えてきたのだ。

 

 大蛇丸の気配は地面を伝い、真下へ。羽を羽ばたかせ、大きく上空へ。遅れて、大蛇丸の頭が出現した。

 

 轆轤首を彷彿とさせる、異常なまでに伸びた首。毒々しい歯をギラギラと見せながら、追いかけてくる。

 

「ゴミの分際で、私に勝とうなんて驕るにも程があるわッ! イロミッ!」

「そんな姿で言っても、説得力なんてありませんよ」

 

 チャクラ糸をすぐ近くの樹に接続し、チャクラを送る。

 

「解ッ!」

 

 空気の小さな弾丸が、大蛇丸の首を打ち抜く。初撃に当てたのと同じ、予め巻物に封印していたものだ。今回のは最初のよりも小さいものの、彼の首を引き千切るのには十分だった。

 

「カァアッ!」

 

 千切られた口があまりにも大きく開き、中から、また同じ姿のそれが放出される。

 

 芸がない、とイロミは心の中で呆れてから、気付く。吐き出された彼に、まるで力を感じなかった。貪欲な笑みを浮かべながらも、こちらに近づき剣を振りかぶる彼の動作はどこか、緩慢だった。

 

 チャクラの枯渇。

 

 その可能性を、イロミは推測した。

 いやしかし、と別の可能性も模索する。罠かもしれない。だが、たとえ影分身の術を使用したとしても、これほどまでにチャクラを感じ取れないものだろうかとも思う。感知できる彼のチャクラは、本当に、小さかった。

 

 ちらりと、先ほど千切った彼の首を見る。ドロドロと地面に溶け始めている。アレは、偽物。ならば目の前の彼は本物なのだろうか?

 

「死になさい、イロミィイイッ!」

 

 絶叫にも近い声で剣を振るってくる。

 やはり、緩慢な動作。

 カウンターを入れるのに困難などなく、右腕で思い切り彼の顔面を殴り飛ばすと、何事も無く、地面へと落ちていく。

 

 盛大に地面に叩き付けられた彼は、仰向けになったまま動こうとしないのを、イロミは着地した樹の枝から観察した。

 

「ダルマ様……あれは、本物ですか?」

『お前は、他に動いてる者の姿を感知できるか?』

 

 耳を澄まし、鼻を利かせ、肌で風の流れを読み取る。

 

「……いえ、他に動いている者は、近くにいるようには感じ取れません」

『ワシもじゃ』

 

 ダルマは続ける。

 

『それに、アレは溶け始めたりなどはしておらぬ。どうやら、本物のようじゃな。……すまんがイロミよ、限界じゃ』

 

 その言葉と同時に、ダルマはイロミの身体が離脱した。彼女の頭の上にダルマが狸の姿で現れると、背中の羽も、頬の髭や耳の変色も収まった。

 

「もはや勝負はついたの~。まだ仙人モードは~、持続させようとすれば持続できるが~、これからあの愚か者を運ばにゃあならんからの~。お前の身体も~、限界が近いじゃろ~?」

「そんな……私はまだ…………」

「血が出ておるぞ~」

「え?」

 

 言われて、何となしに鼻をなぞってみると、血が零れていた。喉の奥も、なんだか血生臭い感触で包まれている。グローブの中の指先は、爪の間から出血しているのか、湿っぽかった。

 

「とりあえずは~、どうするんじゃ~?」

 

 イロミは鼻を啜ってから、慎重に応える。地面に倒れているアレが、どうやら本物のようだとイロミは判断した。

 

「ダルマ様は、いつでも私と同化できるようにお願いします。不意を突かれてもいいように」

 

 万が一、アレが偽物であったとして、不意を突かれて、たとえば、首を切断されたり心臓を射抜かれたりしても、即座にダルマと同化すれば、身体を有象無象に変化させて元に戻すことは可能である。頭を吹き飛ばされれば別だが、それほど大きな隙は与えるつもりはない。どんな攻撃が来たところで、ダルマがすぐ近くにいれば、何も問題は無いと判断し、下に降りる。

 

 イロミは彼に近づき、見下ろす。

 生気のない瞳が、ガランとイロミを見つめていた。

 

「これから、貴方を捕縛して、山中一族の方たちに尋問してもらいます。貴方が見てきたことは全て、吐き出させてもらいますので、覚悟してください」

「……どう、して…………」

「それと、音隠れの下忍の子たちも調査します。貴方が大蛇丸だと分かった以上、見過ごすわけにはいきませんので」

「……………どうして…………だ…………………………」

「……何がですか? 私は、貴方の子供ではありませんよ」

「どうして…………なんだ……、どうして………………、どうして、俺を、

 

 

 

 大蛇丸様

 

 

 

 俺を、見捨てたのですか………?」

 

 彼―――ドス・キヌタが絶命すると同時に、被せられていた大蛇丸の皮膚が、溶けだした。

 

「「!?」」

 

 イロミとダルマは即座に同化しようとした。第三者を使った罠だと、即座に判断したのだ。

 

 しかし、二人の行動よりも早く、足元から顔を出現させた大蛇丸の歯は―――イロミの胸を噛んだ。

 

「私の勝ちね、イロミ。やはりゴミは、ゴミだったようね」

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 胸が、熱い……。

 

 燃えているのかのように、熱かった。熱は瞬く間に全身に伝播して、すぐに、身体中が痛くなった。指先から脊髄にかけて、細胞単位で、激痛が。

 

「あぁあああぁああぁあああああああああッ!」

「イロミ、しっかり―――ッ!?」

「もう、何もかも遅いわよ、貴方たちは」

 

 地面の上で悶えるイロミの頭を、五体満足な大蛇丸は上から乱暴に抑えつける。途端、頭の下の地面に文字が浮かび上がった。イロミに同化しようとし、しかし全く異なるチャクラの奔流によって同化することが出来ずに地面に降り立ってしまったダルマは、自身の身体を包み込む彼女のチャクラが抜け出したことを感じ取る。

 

「小僧、口寄せを―――」

「口寄せの契約を強制的に解除する術の一つや二つ、私が知らないとでも思っていたのかしら?」

「イロミよ、すぐにこやつから」

 

 しかし、ダルマの言葉が最後までイロミの耳に届くことはなかった。無常にも、ダルマは夢迷原へと戻されてしまうが、それに気付けるほど、イロミには余裕が無かった。

 

 絶え間なく身体中を蝕む痛みに、涎が零れてしまうことさえ憚らないほどに悶え苦しんでいる。

 

 その様子を大蛇丸は、楽しむように見下ろしていた。

 

「あらあら、可哀想に。ククク、本当なら、すぐに気を失うか、それとも死ぬかのどちらかなのに、貴方の細胞はそれを許さないようねえ。でも、それは素晴らしいことなのよ? この世で貴方だけが、呪印(じゅいん)に対抗しうる遺伝子を持っているのだから。ほら、もっと力を入れなさいな」

「ぐぅう……あぁあッ! わだじは…………まだ…………」

「まあ私も、あまり時間は無いのだけれどね。もうそろそろ、暗部が私を探しに来る頃合い。まだ少し、貴方の経過を観察していたのだけど……まあ、生きているか死んでいるかだけ分かれば十分だわ」

 

 首に、何かが刺さる痛みがした。注射器である。大蛇丸が栓を引くと、イロミの赤い血液が、注射器の中を満たしていった。

 

「貴方の血液は有意義に使わせてもらうわ。さて、じゃあ、本題に入りましょうか」

 

 注射器を懐に戻すと、そのまま、小瓶を取り出す。中には、細かい、黒い丸薬が犇めいているのが見える。激痛の最中、直感する。

 

 あの丸薬は、駄目だ。

 呑まされてはいけない、悪魔の丸薬だと。

 身体を俯かせ、震える両腕を伸ばして地面を掴もうとするが……両手が、動かない。チャクラを使って動かそうとするが、激痛のせいで、ままならない……。

 

「察しの良い子ね。だけど、逃がしたりはしないわよ。そうねえ、また何かやられたら面倒だから……」

 

 前髪を引っ張られ無理やり上を向かされる。背骨が軋んだ。目の前に、恐ろしい研究者としての獰猛な瞳が、爛々と。

 

「ついでだから、貴方の両眼、貰ってあげるわ。どこかの誰かから入れてもらったみたいだけど、もしかしたら、その眼が特別で、誰にでも適用されるものだったかもしれないものね。貴方の細胞の観察と同時に、これも解析させてもらうわ」

 

 大蛇丸の言葉と同時に、彼の指が、瞳と瞼の間に滑り込む。

 

 ミチミチミチミチミチ。

 

 湿っぽく、繊維ばった音は、イロミの絶叫と共に、死の森を駆け回った。

 

 彼から貰った眼が。

 綺麗な色を見る為の、大好きな友達の顔を見る為の、眼が。

 奪われた。

 あっさりと。

 

 気を失いたい気を手放したい今だけは眠りたい。

 

 だが、呪印の痛みが、それを許さない。

 衰弱したイロミの息遣いは、細かった。

 

「あぁあ…………ぁ、…………」

「この丸薬は、醒心丸(せいしんがん)というものでね、貴方に打ち込んだ呪印のレベルを上げる為のものなのよ」

「………ぅ、………ぁ………」

「丁寧な手順で飲ませないと、あっという間に死んでしまうのだけど、貴方なら死なないから安心なさい。だって、私が作った子なのだもの。信じているわ。ククク」

 

 口が開けられる。

 いとも簡単に。

 抵抗ができない。

 真っ暗闇。

 舌の上を、ぬるぬるとした、まるで蛇のようなものが通り抜けていく。それは、大蛇丸が生み出した、真っ白な蛇だった。丸薬を加えた蛇は、舌を通り、喉を叩き、胃の中へと。

 

 もし生きていたら、今度は、私の言うことを聞いて頂戴ね、イロミ。

 

 胸に打ち込まれた呪印は、イロミの全身を覆った。

 紫色に変色していく身体。

 何も見えない。

 何も感じない。

 真っ暗闇の彼方に、イロミは意識を投げ出した。

 

 

 

 みたらしアンコがイロミを発見したのは、その一刻ほど後の事だった。

 




 あけましておめでとうございます。

 次話は1月25日に投稿します。

 ※追記です。

 今回、15日以内に投稿できていませんでした。新年初投稿から誠に申し訳ございません。

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