いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

36 / 87
 投稿が遅れてしまい、誠に申し訳ありません。


根の下の願い

 夜空が白みを帯びてきた。東の空に浮かぶ薄い雲は、これからやってくる朝の冷たい風を運んでくるかのように速く動いていた。目を覚まし始める鳥たちは、朝一番の風を捉えようと羽を広げて飛び立つ。喧騒を生み出し始めるその颯爽さは、やがて、人をも目覚めさせるに違いないだろう。白は、辺りの木々の影から迫ってくるかもしれない人影に注意を払いながら、肩を軽く叩いてきた再不斬に顔を向けた。

 

「どうしたんですか? 再不斬さん」

 

 身長の高い再不斬を見上げるには、羽織っていたコートはやや邪魔だった。深緑色のロングコートは、再不斬と同じものだ。互いにコートに付いているフードを頭に被っていたが、再不斬は邪魔くさそうに頭を大きく振るってフードを外した。口元を隠す白い布の奥から、彼の重たい声が聞こえてくる。

 

「切り上げだ。これ以上は人目が増える。帰るぞ」

「……そうですね。もうそろそろ、朝ご飯の時間ですし」

 

 特別、空腹を感じている訳ではないものの、つい、朝ご飯という言葉を呟いてしまった。一定の場所に戻れば、自然と食事が用意されているという環境は、あまり経験が無かった。これまで利用してきた組織からの食事は、常に警戒して、結局は持参していた。しかし、今利用している―――あるいは、所属している―――集団からの食事は、安心できる。

 おそらく、集団のリーダーが、信用できるからだろう。

 まるで人形のように表情を変えず、メトロノームのように平坦な声のトーン。こちらに対して大きな期待をしている訳でも、不必要に警戒している訳でもない態度。それらが、プラトニックな信頼関係を築かせているのだと、白は判断している。少なくとも、再不斬本人からは、リーダーを警戒している様子は感じ取れなかった。

 

 朝ご飯の時間。

 

 再不斬を相手に……いや、他の誰かに対しても、そんな言葉を言う日が来るとは、昔は思っていなかった。家族が出来たみたいだと、他人事のように思う。形は家族のそれに近似しているかもしれないが、実質は違っていることは確かな事実で、羨望する感情も持ち合わせていない。

 

 再不斬の左腕が白の肩に乗せられる。それを合図に印を結んだ。アジトに戻るための、時空間忍術の一種。二人は瞬く間に煙に包まれ、煙が晴れる頃には、二人の足元は土の地面から硬いコンクリートの地面に変わっていた。

 

 白は真っ先に、部屋の電気を点けた。真っ白な明かりを放つ蛍光灯が、部屋の剥き出しのコンクリートを照らす。

 

「あ、再不斬さん、首切り包丁はボクが外しますので」

 

 すぐさま再不斬のコートを脱がし、壁に打ち込まれた釘に掛ける。彼が背負う首切り包丁を慣れた手つきで外し、丁寧に壁に立てかけていると、再不斬は小さく息を吐きながら簡素なベッドに腰かけた。

 

「ご飯は、少し時間を置いてからにしますか?」

 

 自身のコートも壁の釘に掛けながら、白は尋ねる。男でありながらも長い髪は、集団に属してからは一度も纏めていない。散髪もしていないおかげで、髪は女性顔負けの長さになってしまっているが、対して再不斬は属する時とほとんど変わらない短い黒髪を生やした頭を、疲れたように垂らしたまま呟いた。

 

「……気にするな」

「ですが……」

「さっさと行くぞ」

 

 立ち上がり、再不斬はさっさとドアから出て行ってしまった。足取りは乱暴だったが、微かに見え隠れする疲労に不安を隠せない。右腕を失い、その治療期間は、再不斬は一切の運動を禁じられていた。下手に後遺症などが生まれ、使えなくなったら困ると、サソリから言われていたからだ。体力が著しく低下し、今でも、外に出て大蛇丸の行方を捜索するだけで彼の体力は殆ど残らない程になってしまっている。

 

 本当なら、徐々に身体を元のコンディションに戻してほしかった。しかし、再不斬本人がそれを拒絶しているため、強く願うことも言うこともしなかったが、無くなった彼の右腕の先端を隠す包帯は見る度に、やはり、と思ってしまう。心配を胸に、再不斬の後を追った。

 

 薄暗い通路を進んでいく。通路は基本的に一本道。途中にある二手に分かれた突き当りを右に曲がった。その先にはリビングがある。このアジトで唯一、誰も所有していない部屋である。食事や、今後の活動の打ち合わせなどは全て、そこで行っているが、家具はテーブルと四つの椅子しかなく、それ以外に物は無い。リビングという表現が正しいのか定かではないが、白は勝手にそう名付けているだけだった。

 

 リビングを隔てる鉄製のドアを白が押す。すると、溶かした飴よりも甘ったるい匂いと喉奥に引っかかる煙たさが襲ってきた。明かりの点いていない室内は暗闇一色だが、二人はすぐに中に誰がいるのかを察した。

 

「……誰?」

 

 平坦で、高級な鈴のような声が、暗闇の向こう側から届く。白は腕で鼻を抑え、応えた。

 

「ボクです、フウコさん」

 

 一拍の沈黙を経て「……ああ」と、フウコは声を漏らした。

 

「おかえり」

 

 ただそれだけを呟くだけで、彼女からの声は続かなかった。後ろで、再不斬の舌打ちが聞こえてくる。

 

「おい、煙草を消せ。てめえの煙草は甘ったるくて吐き気がしやがる」

「そう? いい匂いだと思うけど」

「吸うならてめえの部屋に行って吸え。ここで吸うんじゃねえ」

「大蛇丸は見つかった?」

 

 再度、再不斬は舌打ちをした。慌てて白が代わりに応える。

 

「すみません……今日も、特に目立った情報は」

 

 しかし、フウコは「そう」と呟くだけ。喫煙している時の彼女はいつも、ぼんやりとした会話しかできない。

 ドアの脇にある蛍光灯のスイッチを押すと、リビングはすぐさま白い光が溢れだした。紫煙の煙が漂う室内の中、テーブル前の椅子に腰かけているフウコの姿が目に入る。ちょうど、煙を吹いていた。

 

「外はどうだった? 晴れてた?」

 

 フウコは白い浴衣に身を包んでいた。寝間着姿である。椅子に座っているにも関わらず、床に十分触れてしまうほどに長い黒髪には所々、ついさっき目を覚ましたのだと主張するかのような寝癖が付いていた。赤い瞳はぼんやりと、どこか中空を見つめている。

 再不斬が乱雑にフウコの対角線上の椅子に座ると、左腕の肘をテーブルに置き、膝を組みながら体を半身にした。会話する気などない、ということだ。白も、再不斬の横に座り、再度、代わりに応える。もはや、煙草の香りは我慢できるくらいには、鼻は慣れ始めていた。

 

「はい、晴れてました。フウコさんも、外に出たらどうですか? 今日は何か、仕事は……」

「私はもう、ノルマは達成してるから。サソリもクリアしてる。当分は無いと思うけど、そう、晴れてたんだ。じゃあ、楽だね」

「え?」

「買い物。二人が、行くんでしょ?」

「ああ……はい、そうですけど…………。買ってきた方がいいものでも?」

 

 ドアが開いた。再不斬と白が入ってきたドアとは、また別のドアである。リビングには、合計で三つのドアが設置されている。一つは、再不斬と白が通ってきたドア。もう一つは、フウコの私室に繋がるドア。もう一つは、保管庫である。開いたのは、保管庫のドアだった。

 

 ガラガラガラと、台車の車輪が床の上を転がりながら動く音と共に、足音が。サソリは、台車を押しながら入ってきた。

 

「……戻ってきていたのか。その様子だと大した収穫は、無さそうだな」

 

 再不斬は鋭く彼を睨み付けた。

 

「文句あるのか?」

「いや、無いな。元々雲を掴むような依頼だ。放棄は許さないが、すぐに成功するようなものじゃないと俺は考えている」

「だったらいちいち無駄口を挟むな」

「サソリ、ご飯早くして」

「慌てるな。まずは煙草を消せ」

 

 煙管の先端と吸い口を指で塞ぐフウコを傍目に、台車の上に載せていた料理の品々をサソリは手早くテーブルに並べる。テーブル一面を料理が埋め尽くす。明らかに人数に対して量が釣り合っていないように思えるが、夕食に比べれば遥かに控えめな量であることを、白は知っている。素早く自分と再不斬の皿に手を伸ばし、非常に近くに引き寄せ、フウコの魔の手から料理を避難させた。

 

 カチャカチャと、皿の重なる音がリビングを駆け回る。フウコが、並べられた料理を一口二口で食べてしまい、雪が積もるかのように、空いた白い皿が積み立てられていく。食事の度に見ているが、相変わらず、彼女の身体のどこに入るのか不思議でしょうがなかった。しかし、彼女の食事姿を気にしているのは自分一人だけのようで、再不斬はさっさと箸を使い口元の布を外して食事を始めてしまい、サソリはサソリで空いた皿を淡々と台車に載せている。

 

 無言のままに、食事は進行していった。それが、ここでの普段の光景だ。雑味の無いおかげで、食事は素直に進んでいく。料理は美味しかった。

 

 食事はすぐに、そして静寂のままに終わりを告げた。テーブルの上には物が無くなり、食器を片付け終えたサソリはフウコの隣に腰かけた。

 

「フウコ、腕を出せ」

 

 着ているコートの袖から、サソリが一本の注射器を取り出す。「うん」とスムーズに返事をし、浴衣の袖を捲って左腕を差し伸べるフウコ。左腕の二の腕には、何本もの小さな注射痕が残っており、皮膚が青く変色していた。

 

「新薬?」

 

 ああ、とサソリは注射器の空気を抜きながら呟いた。注射器の中身には、薄緑色の液体が入っている。

 

「最近は、身体の調子が良いみてえだからな、新薬を作った。心配するな、死にはしない。確認するぞ、気分はどうだ?」

「食後だから、眠い」

「感情の事だ。悲しいか? 嬉しいか?」

「分からない」

「打つぞ。目を閉じろ」

 

 注射器の中身が注入されるのを、白は静かに見つめていると、サソリが横目でこちらを見た。白は隣を見て、再不斬にサインを送る。

 

 注射器が引き抜かれると、刺し傷から赤い血が落ちる。

 

「大きく呼吸しろ」

 

 十秒ほど、フウコは瞼を閉じたまま深く呼吸を続けた。

 

 このまま何事も無く、時間が過ぎてくれることを白は望む。

 

 急にフウコは大きく俯いた。長い黒髪が、彼女の顔を隠す。「気分はどうだ?」と、サソリは再び尋ねた。

 

「……眠い。すごく、眠いの」

 

 力のない無気力な声でフウコは応える。

 

「もう一度訊くぞ、気分は、どうだ?」

「……ここはどこ?」

「アジトだ。飯を食った後だぞ」

「そうだ……明日は、アカデミーだ。イロリちゃんに…………修行、付けてあげないと。小テストだもんね……。晴れてくれるといいなあ、明日は……」

「……まあ、悪くはないな」

 

 サソリは片手を上げて小さく上下させる。問題は起きないだろうという判断だった。作っていた緊張を解く。意識が混濁しているのか、フラフラと身体を揺らす彼女をサソリは担ぎ、彼女の自室へと運んだ。ジャラジャラと重苦しい鎖の音が聞こえてくる。やがて、サソリだけがリビングに戻ってきた。

 

「寝たのか?」

 

 再不斬が尋ねる。

 

「意識が混濁しているだけだがな。直に眠るだろう。なんだ? あいつが心配なのか?」

「目の前でいきなり実験をさせられるのが気に入らねえだけだ」

「そんな事か。結果的に、お前らは何もしていないだろう。それに、これも契約の内だ。今更文句を言うな」

 

 契約。

 それは、フウコとサソリ、この二人に協力すると約束した時に交わした条件のようなものだ。その中には【うちはフウコの実験の手伝いをする】というものが含まれている。手伝いといっても、サソリが開発している新薬に対する意見を述べるなどといった専門的なものではない。どちらかというと、知識よりも実力を必要とされるもので、手伝いというよりも後始末と言った方が正確かもしれない。

 

 フウコが暴走した時、彼女を抑えつけるのが、実験の手伝いだった。

 

 サソリが開発している新薬は、主にフウコの意識を混濁させることを目的としている。混濁させると言っても、方向性には違いがある。気分を高揚させて意識を支離滅裂にさせるか、気分を落とし込んで意識を重くするか。新薬は、後者の効能を目指しているが、時には全く別の結果が生まれてしまうこともある。

 

 これまで三度ほど、フウコは暴走し、三度も彼女と戦う羽目になった。いずれも、彼女は単調な動きで暴れただけで、サソリと再不斬、自分の三人で抑え込むことには成功している。しかし、簡単だ、と楽観できるほどの余裕を感じたことはない。再不斬は本調子には程遠く、自身は明らかな力不足で、九割以上はサソリが彼女を抑え込んでいるのが現状だ。

 

 本当なら、役立たずと言われても文句は言えない立場なのだけれど、サソリがそう言ってきたことは一度もなかった。

 

「さて……ちょうど良く、あいつが眠ってくれたことだ。少し、込み入った話しをしよう」

「なんだ、ようやくお前らの計画を話してくれるのか?」

 

 皮肉るように肩を透かしてみせる再不斬に「それは無いな」とサソリはあっさりと言ってみせる。

 

「元々、計画の立案者であるフウコが不安定だ。計画自体がご破算になって、また別の計画になるかもしれないのに、今話しても意味がねえだろ?」

「それだけが本心か?」

「まあ信用していない、という訳じゃあないことは事実だ。だが、大蛇丸という前例がある。少しだけ時間をかけさせろ、というのが俺の判断だ」

 

 フウコとサソリが、【暁】という組織に所属していることは知っている。フウコが何気なく、あっさりと教えてくれた。ついでに、二人が【暁】に反旗を翻そうと考えていることも。

 

 ただ、知っているのは、そこまで。それ以上の情報は、サソリがフウコに口止めをさせて、渡されることはなかった。今回も「時期が来たら、教えてやる」と呟くだけで、サソリは別の話しをし始める。

 

「大蛇丸の件についてだが、足取りが分かった」

「……どういうことだ?」

 

 再不斬の声が鋭くなるのと同様に、白も殺気を油断なく零れさせる。

 大蛇丸を捜せと依頼をしておきながら、その足取りを依頼主自身が見つけてしまうという状況が、不愉快だった。

 

「そう睨むな。俺が独自で調査をしていた訳じゃない。ちょっとした伝手で、勝手に教えられたというだけだ」

「伝手だと?」

「ああ。そいつから情報が送られてきた。大蛇丸は今、木ノ葉隠れの里にいるらしい」

 

 木ノ葉隠れの里。

 

 脳裏に、サスケ、ナルト達の姿が思い浮かぶ。

 

「俺たちに、木ノ葉に潜入しろって言うのか?」

「いや、事はそう単純じゃない。今、木ノ葉は中忍選抜試験を行っている最中だ。しかも、大蛇丸が中忍選抜試験に姿を現して、猿飛イロミとかいう現火影の娘を襲ったらしい。そのせいか、警備がかなり厳重でな。おそらく、碌な手段じゃ中に入ることも出来ないだろう」

「猿飛、イロミ……?」

 

 サソリの口から出た人物の名前に、白は疑問を持つ。

 

 イロミ。

 

 確か、フウコが時々にぼんやりと呟く名前に、似たような名前が……。

 

「そいつはフウコの友人らしい」

 

 白の疑問に答えるように、サソリは呟いた。フウコが眠ったタイミングを見計らって、この話題を持ち出したのだろう。彼女の前では、木ノ葉隠れの里の話題は禁句だというのは、このアジトでの暗黙の了解だった。「お前らには―――」と、サソリは話しを戻す。

 

「しばらく、木ノ葉隠れの里の周辺を警戒してもらう。万が一、大蛇丸が里の外に出た場合、あるいは大蛇丸の協力者らしき者を発見した場合は問答無用で捕えろ。それまでは、アジトに戻ってくることも許さない」

「具体的には、いつまで警戒してりゃあいいんだ?」

 

 と、再不斬は尋ねる。

 

「今から二十日後に、中忍選抜試験の最終試験が行われる。火の国や風の国の大名やら忍頭やら、まあ、間抜け共が出入りするが、お前らはその時に潜入しろ。勿論、場合によっては指示を変更することもあるからな。例えば、大蛇丸の協力者を捕えた場合や、大蛇丸自身を里の外で捕えた場合だ」

 

 後者は限りなく可能性は低いだろうがな、と付け足して、サソリはリビングを後にした。再不斬と白も、自室に戻った。再不斬からは、一度休息をとってから、木ノ葉隠れの里に向かうという指示を受けた。それまでは、自由時間。

 

 再不斬はベッドの上で眠りについた。明かりを消した部屋の中には、彼の静かな寝息が耳に届く。だが、自分はあまり眠気を感じなかった。ベッドで横になっているが、瞼を開け、暗闇を見つめている。

 

 ―――ナルトくんやサスケくんは、試験に出ているのかな…………。

 

 もし二人に会うのだとしたら、今度は、敵同士ではない。しかし、抜け忍である自分と純粋な忍である彼らとでは、立場が違い過ぎる。里の中の往来で対面するというのは、出来ないだろう。

 だが、二人が試験に出場しているのだとしたら、もしかしたら、その光景を見ることが出来るかもしれない。波の国の時よりも、二人は強くなっているのだろうか。そう考えると、今までよりも多少は、依頼に対して楽しみを感じてしまう。

 

 ちらりと、横の再不斬を見る。暗闇ではっきりとは見えない。彼は、どう、思っているのだろうか。死闘を繰り広げたカカシに対して、何を、思っているのだろうか。

 

 気が付けば、白は静かに眠りに落ちていた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 白がようやく眠りにつく頃には、太陽はすっかり空を飛んでいた。

 

 昼時前の、乳白色を帯びた光り輝く日差しは、広い草原の中央に立つ一本の枝葉を大きく広げる木を斜め上から照らしていた。足元の草には、朝露が微かに降り注いでいる。自然に溢れた光景。辺りには、建物すらない。しかし、その木の下には、笠を頭に被り、赤い雲のマークが散りばめられた黒いコートを着た、背の低い傀儡人形が立っていた。

 いや、傀儡人形だとは、傍から見た者にとっては分からないだろう。口元を隠す布のせいで、顔は目より上しか見えない。その鋭い眼光の作りだけを見た場合、人間だ、と人は無意識に判断してしまうほどの精巧さはあった。

 

 傀儡人形・ヒルコ。

 

 サソリが普段使用している、傀儡人形の一つだ。アジト以外では、このヒルコという傀儡人形の中に潜み、中から操り行動をしている。再不斬、白、そしてフウコと、この三人には既に顔は知られてはいるものの、彼が所属している【暁】のメンバーの殆どは、彼の顔を知らない。

 

 ……いや、もはや彼は【暁】に所属しているつもりなど無かった。

 

 フウコと組んでから【暁】は敵である。

 

 彼女の計画の為。そして、その計画を遂行した果ての報酬として、フウコの【肉体】を人傀儡として提供するというものを目的としてから【暁】を敵と判断している。

 

 ―――面倒なことになったな……。

 

 サソリはヒルコの中で考える。今回の情報についてだ。

 

 大蛇丸が木ノ葉隠れの里に姿を現した。個人的な考えとしては、彼がまだ【暁】に所属していた頃に抱いた殺意があるものの、正直な所はどうでもいいと思っている。木ノ葉隠れの里を消し炭にするなり、粉々に粉砕するなり、好きにすればいい。命が消えようが、勝手に動くものが動かなくなるだけのこと。命の価値というのは、それだけだ。

 

 しかし、問題なのは、フウコだ。

 

 彼女は未だ、木ノ葉隠れの里を想っている。そして、彼女の心には信じられないほどのトラウマが刻み込まれてもいるのだ。言葉一つ、彼女の顔の前に置くだけで、彼女の心が震え、乱れ狂ってしまうほどに。

 

 おまけに、薬を常用してきたせいもあってか、感情のブレーキが壊れかかっている。元々新薬は、彼女の意識がトラウマに触れないように誤魔化し、尚且つ、もう一人の人格からの幻術を感じ取れないように意識をぼやかすことを目的としていた。前者は、薬を使用し続ければ問題は無いのだが、後者は難しい。チャクラの干渉を、物理的である肉体に影響を与えることによって困難にさせるというのは、至難の業だ。強すぎればフウコの意識自体が動かなくなる、弱すぎれば意味がない。

 新薬投入の始まりはフウコの指示であるとはいえ、フウコの枷になりつつあり、そして自分たちの足枷にも変貌しようとしている。面倒なこと、この上ない。

 

 木ノ葉隠れの里に何かがあれば、フウコはすぐさま、里へ向かおうとするだろう。そうなった時の暴走は、今までと比べ物にならない程に強力なはずだ。上手く抑え込めるかという問題が一点。

 

 そして、フウコが明確に【暁】と対立してしまうという問題が一点。現時点で、【暁】のリーダーはフウコを信用していない。元々、彼女とパートナーを組むことになった理由は、フウコを監視するようにサソリがリーダーから言われたからである。薬物に詳しい自分なら、彼女を拘束することは【暁】のメンバーの中では最も有能だろう、という判断らしい。つまり今は、まだ自分はリーダーからは疑われていないということだ。しかし、もしフウコが暴走し、木ノ葉隠れの里へと行ってしまうと、間違いなく【暁】はフウコを敵とみなす。うちは一族を滅ぼし、抜け忍となりながらも、自身のいた里を守るという矛盾を抱えた行動は見逃されないだろう。そうなった場合、自分はフウコの側に立つことになる。問題は、まだ【暁】と対立する時期ではないということだ。依然として【暁】のリーダーの隠れ家を特定できていない。対立するなら、場所を特定できてからだ。

 

 そのために、再不斬と白と交渉したのだ。【暁】という集団に属しているフリをしている以上、自分たちだけで動くには限度がある。二人を助けたフウコは、そう言った考えの元に、あの夜の雨の日に―――偶々、【暁】の依頼の途中だったという偶然も重なって―――再不斬と白を拾ったのだ。

 

 大蛇丸の居場所を突き止めた以上、今回の件が終わったら、本格的に二人には【暁】のリーダーの隠れ家を捜索するように命じようと、既に算段は出来上がっている。だが、その算段以前に、フウコの計画が彼女自身の手で破綻するのではないか。サソリはそれを危惧していた。

 

 ―――……おそらく、大蛇丸の野郎の狙いは尾獣だ。

 

 フウコの元を離れた理由は分からない。こちらに敵意があるのだけは明白で、大蛇丸はフウコの目的を知っている。ならば、彼が優位に立ち回れる配役は、尾獣を確保して【暁】あるいはこちらの、どちらかと取引が出来るようにするということだ。

 

 木ノ葉隠れの里には、人柱力が二人いる。一人は七尾、もう一人は九尾だ。特に九尾は【暁】が最後に手に入れることを決めているため、利用価値は高い。九尾を獲得しようとしていると考えて間違いないだろう。こちらから手を出せないというのが、歯痒いばかりだ。

 

 気配を感じ取り、サソリは一旦思考を停止させた。背後から近付いてきたそれに、警戒態勢を取る。

 

「赤砂のサソリですか?」

 

 平らな声でありながらも、鼻に付くしたたかな社交性を含む滑舌に、警戒態勢は少しだけ緩められた。ヒルコを動かし、振り返る。暗部の面を被った男が立っていた。

 

「遅えぞ」

 

 低い声色に変えて、サソリは呟く。

 

「俺は待つのも待たされるのも嫌いなんだ。上司に言われなかったか?」

「ダンゾウ様より、そう申しつけられておりますが、なにぶん、こちらも忙しいもので」

 

 謝罪は無く、けれど負い目を感じている様子からは、自身は何も考えていないということを如実に語っており、何を言っても無意味なのだと知らされる。待たされたことへの苛立ちは失せ、サソリは【根】の者に話しを促す。

 

「さっさと木ノ葉の状態を教えろ」

「はい。木ノ葉は大蛇丸の捜索、警戒をしながらも、中忍選抜試験は予定通り実行する方針です。大蛇丸が潜んでいるという事実は、火の国の大名らには知らされず、上忍及び暗部のみの機密事項扱いとなっています」

「面子を保つのが精一杯ってことか……。呆れたもんだな」

「ダンゾウ様も、同じ憂いを抱いています」

「そんな事はどうでもいい。【根】は動いているのか?」

「指揮系統は異なりますが。現在、うちはイタチの指揮の元に、【根】は里の警備を秘密裏に行っている状態です」

 

 うちはイタチ。

 フウコの兄で、木ノ葉の神童と謳われる実力者。彼が指揮をしているとなると、やはり、現時点での再不斬と白の潜入は困難だ。不用意にチェックを入れることのできない大名に紛れて二人を潜入させるしか方法はないようだと、サソリは再認識する。

 

「大蛇丸の目的を、木ノ葉は分かっているのか?」

「まだ不鮮明ですが、ダンゾウ様は尾獣ではないかと……」

「うちはイタチはどう考えてるんだ?」

「彼は【根】を信用していません。指示は出していますが、何を考えているのかは判断できませんね。ただ彼は、今回の中忍選抜試験の参加者のリストに目を通していました。これが、そのリストです」

 

 男が出してきたリストをヒルコの腕を使って手に取る。顔写真は載っていないものの、名前と所属している里が記されている。

 その中の一つに、薬師カブトという名を目にし、サソリは舌打ちをしてしまった。

 

「……これはどういうことだ。カブトの名前が、どうして中忍選抜試験の中に含まれている」

 

 薬師カブトがかつて【根】に所属していたことは調査済みだった。

 

「こいつは大蛇丸の部下だ。そのことは、お前ら【根】も、ダンゾウも分かってることだろうが。拘束はしてるんだろうな?」

「彼はあくまで大蛇丸のスパイとして活動しています。【根】も、ダンゾウ様も、その認識で共有しています」

「……ふざけてるのか? んな大っぴらなスパイがいる訳ねえだろ」

「ダンゾウ様は、薬師カブトの拿捕をデメリットと考えています。それは勿論、うちはフウコも同様なのではないですか? 薬師カブトを捕え、大蛇丸とうちはフウコの繋がりを知られるのは危険なのでは? 大蛇丸がどこまで貴方達と親密であったかは定かではありませんが、もしかしたら彼は、うちは一族の事件の真相の事も―――」

 

 男の声はそこで止まった。

 コートの下に隠れていたヒルコの尾。巨大な両刃の刃がムカデの身体のように連なった鋭く、そして怪しく液体を滴らせながら、男の喉元手前で停止した。

 

「それ以上下らねえことを言ったら殺すぞ」

「それは失礼しました」

 

 怯えることも、悪びれる様子も無く、男は言う。

 

「他にお尋ねすることはありますか?」

「失せろ」

「ではこちらからお伺いします。うちはフウコの状態はいかほどに?」

「前と変わらねえ。失せろ」

「またいずれ」

 

 男は音も無く姿を消した。

 

 残ったのは草を撫でるそよ風と、後味の悪い不愉快さだけだった。ヒルコの中でサソリは印を結び、アジトの自室へと戻った。

 

 明かりを点けっぱなしにしていたサソリの部屋は、設計図に溢れていた。再不斬と白を最初に隔離していた保管庫とは違い、こちらには傀儡人形の部品や道具は置かれていなかった。設計図には走り書きでもされたような筆跡があり、簡素なベッドにすら設計図が散りばめられている。壁際のデスクには山積みされた設計図と筆などが置かれている。

 

 ヒルコから出たサソリは、床を侵食する設計図の上を躊躇い無く踏み歩く。

 部屋の中央には、台座があった。横に長い直方体で、人一人分の長さを持っている。台座の上には、何かが乗せられているが、白い布に覆われているせいで、全容までは分からない。しかし、サソリは布の一部を手で捲ると、その下にはフウコの顔があった。

 

 正確には、フウコの顔をした、傀儡人形である。

 

 人形をじっと見下ろしながら、呟いた。

 

「まだまだ駄作だな」

 

 フウコ本人の顔と何ら差異が無いと思えてしまうほど精巧に作られているように見えるが、これまで何百と傀儡人形を作ってきた彼の眼鏡には適わないようだった。不服そうに布を被せ直し、サソリは部屋を出る。リビングに繋がっていたドアとは別のドアからだ。足元を照らす灯りと、細い通路を進んでいく。

 

 サソリの部屋とフウコの部屋は、一つの通路で繋がっている。万が一にでも、唐突に彼女が暴走した時に備えて、すぐに動けるようにアジトを作ったのだ。

 

 彼女の自室に入る。明かりは消えており、通路からの光だけがぼんやりと空間を照らしている。家具が何一つとして置かれていない寂しい部屋。床にはタバコで使用した薬草の燃えカスが大量に落ちており、残り香に溢れかえっているが、サソリは嫌悪の表情を浮かべることなく、壁に貼り付けられたフウコの傍に寄った。

 

「起きてるか?」

 

 彼女の身体には、何重もの鎖が巻き付かれている。身体は直立に立ちながらも、鎖が巻かれていない首は前に傾き、黒髪が彼女の顔を隠していた。反応の無い彼女の顔に手を伸ばす。冷たいのか熱いのか、それすら分からない。首に移動させると、指先が微かに、彼女の鼓動に合わせて動く。

 

「脈拍は正常か。おかしな副作用も無し」

 

 食事時に打ち込んだ薬の効果の安全性を確かめる。これなら、しばらくはこの新薬で、次の新薬を開発するまでの間を持たせることも出来るかもしれないと、小さく思う。

 

「…………勝手に、触らないでよ」

 

 突然、彼女は声を発した。頭を俯かせたまま、唇だけを微かに動かして発する、小さな声。しかし、弱々しい声であるにもかかわらず、刺々しさだけははっきりと分かり、そして誰が話しかけてきたのかも、サソリにはすぐに分かった。

 

「なんだ、お前か」

「なんだじゃないでしょ? 人の身体にベタベタと触らないで」

「お前のじゃねえだろ」

「私のよ。私の、お父さんが治してくれた、大切な身体なの」

「大切だという割には、お前はこの身体を自由に動かせないみたいだが?」

「ふざけた死に損ないが、私に呪いをかけたせいよ。そのせいで、フウコさんの精神を幻術で操らないと動かせない。しかも、動かせるのはほんの少し。本当なら、この鎖を引き千切って、アンタをぐちゃぐちゃにしたいくらいよ」

「そうか。勝手にしろ」

 

【彼女】の言葉の棘を流しながら、サソリはフウコの顔を持ち上げる。前髪を指で払うと、虚ろで半開きの赤い瞳が見える。

 

 顔を右に、今度は左に。上に、下に。角度を変えて眺める。自室で確認した人形と、どこが違うのか、頭の中に叩き込みながら、確認していく。

 

「顎のラインが悪いのか? それとも鼻の高さか?」

「……アンタ、時々こうして私の身体を見に来るけど、何? もしかして人形でも作ってるの?」

「喋るな。頬の筋肉が動くせいで、正確に見れないだろう」

「気持ち悪い。私の身体は全部終わってから貰う筈でしょ? それとも、もしかして諦めてるの? 身体が手に入らないって」

「いや。どのような結果になろうが、フウコの身体は貰う。瞳の色をもう少し濃くしてみるか」

「……ねえ、アンタさ、何がしたいの?」

 

 彼女の髪を取り、指でなぞってみる。髪質がどんなものなのか、実際には感じ取れないが、サソリはじっくりと観察する。

 

「フウコさんと一緒にマダラ様に逆らってさ……。勝てると思ってるの? 今の内に、マダラ様にフウコさんの計画の事を話した方が、アンタの為よ」

「やはり髪の質は、まだまだだな。光沢が足りていない。油分を増やしてみるか」

「ああでも、もしマダラ様に言う時は、あの変な連中には言わないでね。【暁】のリーダーの人? 輪廻眼を持ってるやつね。あいつ、私嫌いだから。……私の話し、聞いてる?」

「いや、油分だけじゃあ足りないな。他に何が必要だ?」

「……………………」

 

 急に黙りこむ【彼女】だったが、サソリはぶつぶつと呟きながら考えを広げていく。

 

 どうすれば、あの人形をオリジナルに近づけることが出来るのか。

 いや。

 どうすれば、あの人形がオリジナルを凌駕することが出来るのか。

 

 考え込み―――だが、途端に、フウコは悲鳴を発した。

 

「あ、あぁあ、あぁああぁぁああああああああああああッ!」

 

 触れていた髪が、不規則に暴れだすフウコの頭に引っ張られて、手から離れていった。ジャラジャラと鎖が擦れ合う耳障りな金属音が、部屋に響き渡る。

 

「助けて、助けてッ!? 私を、誰か……ッ!」

「……面倒な事をしやがる。おい、なんだ? 俺に何が言いたい?」

「……ッ?! ―――ふふふ、ようやく、私の話しを聞いてくれるんだ」

「五月蠅くて仕方がねえからな」

「取引をしない?」

 

 虚ろな表情に戻った【彼女】は呟く。

 

「今からでも、フウコさんを裏切って、マダラ様に事情を話すなら、アンタの事は黙っていてあげる」

「取引になってねえよ」

「それだけじゃないわ。あの長門って奴―――【暁】のリーダーは嘘を付いてるって言って。本当なら、私に掛けられた呪いを解けるはずなのに、解こうとしなかったって。そうすれば、マダラ様は長門って奴を操って、私を解放するようにしてくれる。そうなったら、自由に私の身体を観察させてあげる。どう? 悪くない取引―――」

「却下だ。話しにならねえ」

「……またフウコさんをイジメるよ?」

「言ったはずだ。勝手にしろ。お前がどれだけフウコを壊そうとしても、俺が薬を使って無理やりにでも治して、フウコを舞台の上に立たせるだけだ。お前も知ってるはずだろ?」

 

 フウコの計画に協力する時に、一つの約束をした。

 

『サソリ。今後、私がどれくらい壊れても、貴方は私を動かし続けて。傀儡人形を直すみたいに、傀儡人形を動かすみたいに、計画の為に、私を動かして。どんな事があっても、どんな事が起きても、計画の遂行の為だけを考えて。私は、貴方の傀儡師の力を、信じてる』

 

「……アンタって、最低ね。人を人と思わないなんて」

「そうだな。人を人と思ったことなんざ一度もねえな。フウコの事でさえ俺は、そこらの連中よりも出来の良い人傀儡だとしか思ってない」

「これは、私の身体よ」

「フウコが表に出ている時の方が、お前よりも遥かに芸術的だ。お前を見ていると、どんな芸術品も、持ち手一つでガラクタになるのだと思い知らされる。お前もさっさと寝ろ。今度は五月蠅くするんじゃねえぞ」

 

【彼女】は、何を想ったのか、ただ何も言わずにその人格を潜めた。力なく項垂れた頭は、しかしやがて、ゆっくりと再び、起き上がった。フウコの両目からは、止め処ない涙が溢れ出ていた。

 

「……サソ、リ…………?」

 

 湿った色だったが、聞き慣れた平坦な声だった。震える瞳で辺りを見回して「ああ」と彼女は状況を思い出す。

 

「…………ごめん。また、五月蠅くして」

「気にしてねえよ」

 

 と、平坦な声でサソリは返した。

 

「夢で……私、木ノ葉にいたの」

「そうか」

「懐かしかった。私が暗部にいて、イロリちゃんが……中忍選抜試験の最終試験を受けてて。中忍になってたイタチとシスイと、私で、応援してた。だけど…………」

 

【彼女】に見せられた悪夢を思い出して、大きな涙を零した。

 

「ただの夢だ」

「……ああ、そういえば。今の時期は…………たしか……。木ノ葉で中忍選抜試験が」

「行われてるみたいだな」

「サスケくんやナルトくんは、どうしてるかな? イロリちゃんは、試験官とか、やってるのかな……。イタチはきっと、上忍だと思うから、忙しいと、思うけど……」

「うちはサスケとうずまきナルトは中忍選抜試験を受けているようだ」

 

 先ほど会った【根】の者からのリストの中に合った名前を咄嗟に伝える。

 

「そっか…………。サソリは、色んなこと、知ってるんだね……。すごいね……」

 

 フウコは真っ直ぐと、その赤い瞳でサソリを見つめた。

 透明感に溢れた視線。

 鏡のようだと、サソリは小さく思う。だが、その鏡の向こう側にいるはずの自分の姿が見えてこない。

 

『ねえ、サソリ。貴方は、何になりたいの?』

 

 暁に入ってきたばかりの彼女とパートナーを組んでしばらくの時に、そう尋ねられたことがあった。久しく尋ねられたことのない問いだった。

 

 多くの人を傀儡にしてきた。

 一番最初は両親で、その後は、気に入った造形を持った者、力のある者、とにかく芸術品として価値がありそうな―――極端に言えば、人として価値の高そうな者を、傀儡にしてきた。挙句に、自分自身も、傀儡にして。

 それらの果て。芸術の集大成を問われたのに、サソリは答える事が出来なかった。

 

 彼女の計画を聞き、手を貸そうと思った、足掛かりの疑問。

 その疑問は今でも、分からない。あるいは、思い出せない。

 

「フウコ。お前には俺が、何に見える?」

「サソリは、サソリだよ。変な事を訊くね」

「……そうか。さっさと寝ろ」

「うん。今度は……静かに寝る…………。お休み、サソリ」

 

 彼女の静かな寝息を後ろ手に、部屋を出て行った。細い廊下を戻りながら、考える。

 

 木ノ葉隠れの里のことと、自分らの立ち回りの事について。

 

 おそらく、かなりの高い確率で、木ノ葉隠れの里の平和は脅かされる。それが、大蛇丸によってなのか、それとも大蛇丸をきっかけとして他里も巻き込んだ大規模なものになるのかは、定かではない。どちらにしろ、中忍選抜試験を続行すると現火影が決定した以上、大蛇丸の後手に回るのは明白だった。

 おまけに、独自の私兵を秘密裏に持つダンゾウは、それを良しとしている節が伺える。木ノ葉隠れの里が滅ぶまでは行かせないが、その一歩手前ならば良し、と。

 

 だがこちらとしては、あまり良い事じゃない。木ノ葉隠れの里という舞台で行われるだろう血生臭い演劇をフウコに知られる訳にはいかないのだ。

 ましてや既に、フウコの友人は大蛇丸に襲われている。

【彼女】に延々とトラウマを刻み付けられ、薬の常用で感情のブレーキが壊れかかっているフウコがこれを知られれば、計画の破綻は明白だ。

 

 いや、もはや彼女が知ることは決定事項なのかもしれない。

 木ノ葉隠れの里が大蛇丸の襲撃を受けたとなれば、それなりに大きな事件だ。【暁】の耳に入らない訳がない。そして疲弊した木ノ葉隠れの里から、人柱力を取って来いと、リーダーがメンバーを招集して指示を出すだろう。

 

 ―――打つ手は、ねえか…………。

 

 考えうる限りの想像を巡らせても、妙案は思い付かなかった。

 

 頼みの綱があるとすれば……薬師カブトに目を付けているらしい、うちはイタチの存在くらいだ。彼が薬師カブトを捕え、最終的には大蛇丸を捕え、無理やりに演劇の幕を閉じさせるということ。

 

 大蛇丸の口からフウコの真実が知られる可能性は否定できないが、【暁】と今対立してしまうよりかは遥かにマシである。大蛇丸が捕えられた、という情報が舞い込んでくれば、再不斬と白を使って彼を呼び、直接交渉をすればいいだけだ。

 

 マシと言っても……最悪ではない、というくらいだが。

 

 サソリは自室に戻ると、すぐに新薬の開発に取り掛かった。

 万が一に備え、フウコの自由を徹底的に奪い取るための―――後にどれほどの後遺症を残すことになっても構わない程に強力な薬を、作り始めた。

 




 次話は、2月15日までに投稿します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。