いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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投稿が遅れてしまい、誠に申し訳ありません。


幕間:1

 

 中忍選抜試験の第二試験が終わってから―――一週間が経過した。最終試験開始までに設けられた一カ月という貴重な期間の四分の一が過ぎたのである。しかし、あまり切迫した気分ではなかった。カーテン越しに昼頃の日差しが、部屋を鈍く彩っている。天井から吊るされているライトは薄暗く止まっていて、寝起きの視界には、輪郭がぼやけて見えた。

 

「……腹減ったなあ」

 

 うずまきナルトの独り言は当然のことながら、返事をする者はいない。

 

 目を覚ましてすぐに、空腹を感じた。いつもなら眠気を引きずりながらも薬缶に水を入れコンロにかけるのだが、ここ一週間、身体を覆う気怠さのせいで、インスタント麺を食べるのさえ億劫だった。

 

「うーん……。イロミの姉ちゃんが来てくれたら、飯食うのも楽なんだけどなあ。任務でもあったのかな?」

 

 普段なら、三日に一度の頻度でイロミが家に訪ねてくる。食材を入れた買い物袋を持ち、優しく明るい笑顔を浮かべながら「カップラーメンを捨てに来たよー」と凶悪な事を言ってくるのだ。お節介焼きで、毎回の食事には嫌と言うほどのサラダが出てくるのだけれど、料理は美味しく、今では心の底から恋しく思ってしまう。

 

 イロミの事を思い出すと盛大に腹の虫が鳴る。その音を聞くといよいよ我慢できないくらいの空腹感に苛まれてしまい、ナルトは惰性に上体を起こした。腹部に赤い渦巻き模様が描かれた白いTシャツが、上体を起こすと同時にくしゃりと皺を作る。胡坐をかいて、小さく一つ欠伸を噛みしめると目に涙が溜まった。

 身体を起こしたおかげなのか、ぼんやりとした気分は微かにだけ軽減する。おもむろに頭を掻いていると、真正面にある窓の縁に置かれた一つの写真立てが目に入った。

 

 カカシ、サクラ、サスケ、そして自分。第七班のメンバーが映った写真が中に収められている。

 

 全員が満面の笑みを浮かべた治まりの良い画―――という訳ではない。全員が別々の意図を表情に浮かべた、むしろ、ちぐはぐ感が否めない画だ。憎たらしいサスケの姿が自分と一緒に映っているというのも気に喰わない。

 

 けれど、今は、その憎たらしさも―――そして写真が、自分の繋がりを再確認させてくれることへの嬉しさも―――生まれることはなかった。

 

 ぽっかりと穴が開いたかのような虚しさだけが、首の裏を撫でるだけ。その空虚さが原因で、ナルトはここ一週間、修行をしようと思えなかったのだ。

 

 中忍選抜試験の……最終試験。

 

 第七班の中で、そこに至ったのは、自分だけだった。

 サクラもサスケも、第二試験の後に行われた最終試験の前試験で失格になってしまった。

 

 前試験では、第二試験で合格した者同士の、一対一での戦闘である。サクラは山中いのと戦い、相討ちの末に両者不合格となった。実力云々は全くの度外視にして、二人とも、持てる力を全て出し切った後腐れの無い試合だったように思う。彼女が最終試験に進出できなかったのは、同じチームとして残念だったけれど、試合結果に異議を唱えれる隙があるほど緩やかな試合内容ではなかった。

 

 だから、納得はできないけど、納得するしかない……という、よく分からない決着を、ナルトは内心で下していた。

 

 だが―――。

 

「……二次試験の時、一体何があったんだってばよ」

 

 前試験において。

 サスケは、日向ネジと対戦した。

 日向―――つまり、対戦相手は、木ノ葉隠れの里において名門の一族と称される者の一人だった。

 

 結果は、サスケの敗退。サクラと同じだ。しかし、サクラの時とは違い、サスケの失格は消化しきれるものではなかった。

 

 サスケは前試験を受ける以前から、右足を負傷していた。第二の試験の時から、という事である。大蛇丸との戦闘で気を失い、そして目を覚ました時には、サスケの右足首の骨が砕けていたのだ。足首の骨折という診断は、前試験終了後に病院へ運ばれた際に付き添いだったカカシが後で教えてくれたことである。しかし、ネジとの戦闘の時点で既に異常は見て取れた。

 

 ただ立っている時でさえ、左足で全体重を支える姿。柔拳と呼ばれる体術を駆使したネジの攻撃を、写輪眼で予測しながらもギリギリでしか躱すことのできない動き。

 

 まともに体術で反撃することのできないサスケは、火遁の術で一矢報いようとした。それしか、攻撃手段が残されていなかった。

 

『回天ッ!』

 

 だが、ネジが使用する防御術を前に、サスケの火遁が届くことはなかった。

 

 試合は、ネジの攻勢にサスケが躱し続けるという、一方的な体裁を成し、やがて試合はサスケの体力の限界と共に静かに終わりを告げた。試合後に残ったのは、ネジの実力が合格者の中でも上位にあるのだという、合格者やチームを担当する上忍たち殆どの、無言の評価だった。

 

 ―――違う!

 

 ナルトは、心の中で叫んだ。

 

 ―――サスケはもっと、すげーんだ。

 ―――もっと強くて、もっと……もっともっと……ッ!

 ―――怪我さえしてなけりゃ、あんなやつに負けるわけがねえんだッ!

 

 しかし最後まで、言葉を口から放つことはなかった。

 

 担架に運ばれながら、足首の激痛と、ネジから受けた柔拳の痛みに耐えるサスケ。表情を歪めながらも、こちらを見上げ、細く開いたサスケの黒い瞳が、何も言うなと、語ってきたからだ。

 

 理不尽だと感じた。

 サスケが負けた事にではない。いや、負けた事も、やはり理不尽だと感じてしまうのだけれど、何よりも、全力で戦う姿を見ることが出来なかったのが、嫌だった。

 彼は強い。気に喰わないことだし、腹立たしい事ではあるけれど、強いのだ。全力を出せば、きっとサスケは、最終試験に出場できたはずなのに……。

 

 サスケが最終試験に出場しないという事への苛立ちと、彼と一度も拳を交わらせることも無く自分が最終試験に出場してしまう事への虚しさが、ぐちゃぐちゃと混ざり合って、奥歯の辺りが痒くなりそうになった時、家のインターホンが無邪気になった。

 

「……イロミの、姉ちゃんか?」

 

 真っ先に彼女の顔が思い浮かんだ。自慢ではないけれど、家に訪ねてくる者は極めて限られている。空腹のせいなのか、一番家にやってくる回数が多いからか、浮かべたイロミの笑顔を保ちながら、ナルトは家の玄関を開けた。

 

「遅いってばよー、イロミの姉ちゃん。俺もう、背中と腹がくっつきそう……で…………」

 

 昼の眩しい光が辺りの建物を反射して、つい瞼を細めてしまう。狭まった視界の先にイロミが立っていることを前提にしていたが、立っていた人物に、細めてしまった瞼が自然と開いてしまった。

 

 うみのイルカは、暖かな笑顔でナルトを見下ろす。

 

「悪かったな、ナルト。イロミじゃなくて」

「イ、イルカ先生!?」

 

 ナルトの驚いた表情を楽しむかのように、イルカは「よっ!」と無邪気に白い歯を見せた。

 

「どうしてイルカ先生が、俺ん家に?」

「ナルト、もしかしてイロミと何か約束でもしてたのか?」

「え? いや、何もないけど……」

「なら、これから一楽のラーメンでも食べに行かないか? 今日は俺の奢りだ。好きなもの食べていいぞ!」

 

 大好きな一楽のラーメンを自由に食べる事が出来る。普段なら大喜びで飛び跳ねる所だけれど、正直、先ほどまでの気分を引き摺ってしまっているせいで、中途半端に笑う事しかできなかった。

 

「??? どうしたんだ? いつもなら、大はしゃぎするのに」

 

 ナルトの心情をすぐさま気取ったイルカは、不思議そうに頭を傾けた。内心では大慌てで、ナルトは言い訳を呟く。

 

「……イルカ先生。今日はお金大丈夫なの?」

「バカにするなっ! アカデミーの教員の給料は高いんだぞっ!」

「いやだって、前に奢ってもらった時だって同じこと言ってたけど、結局最後は『もうその辺でいいんじゃないか?』って震え声だったじゃん」

「あの時は偶々だっ! 今回は、ちゃーんと持って来てる! とにかく、食いに行くぞ!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 食欲というのは単純なもので、一楽の屋台から出てくるヘビーで刺激的なスープの匂いを嗅いだだけで、空腹を消化したいという積極的な感情が湧き上がってきた。中忍選抜試験の事への考えは、屋台のカウンターに置かれたトッピングを全部乗せた特盛のラーメンを前に、一時的に姿を隠してしまった。

 

 あっという間にラーメンを平らげたナルトは、快活な笑顔を浮かべて、普段の黄色を基調としたジャケットの上から少し膨らんだ腹を擦っていた。

 

「ごちそうさま! イルカ先生! 美味かったってばよッ!」

「お前……本当に容赦ないな」

「まだまだ甘いってばよ、イルカ先生」

「…………ま、お前の中忍選抜試験最終試験の前祝いだからな」

 

 薄くなった財布を懐にしまうイルカの発言に、ナルトは瞼を大きく見開いた。

 

「え? これってそういう事だったの!」

 

 イルカは無邪気に笑いながら頷いて見せた。

 

「タイミングは中途半端だが、お前が中忍になったら時間も取れないだろうし、俺も時間が合うとは限らないからな」

「まだ中忍になったわけじゃねえのに」

「最終試験に出場するだけでもすごい事なんだぞ? 参加者全員が脱落して、最終試験そのものが行われなかったなんてこともあるくらいだ。軽い祝い程度してもおかしくない」

 

 恩師であるイルカに、まだ中忍になったことが確定していないとはいえ、祝ってもらえるのは嬉しかった。もし自分に両親がいたら、こんな事をしてくれるのだろうかと想像してしまうほどに。

 

 だけれどその想像は一瞬だけで、頭に過るサスケの痛みに歪んだ表情が気分を重くした。普段なら「じゃあ、中忍になったらもっと豪勢にしてくれってばよ!」などと、勢いに任せて言うはずなのに、何も言えなかった。

 

 その隙に生まれてしまった、数瞬の沈黙。

 

 イルカは、その違和感を見逃しはしなかった。

 

「何か……悩みでもあるのか?」

「え?」

「昼頃になっても、家に閉じこもってたからな。いつものお前なら、最終試験に向けて修行しているはずなのに。玄関で顔を見た時も、お前、何だか困った顔もしてたしな」

「……………………」

「解決できるか分からないが、話しを聞くくらいなら、してやれるぞ?」

「……イルカ先生には、隠し事が出来ねえってばよ」

 

 苦笑いを浮かべたナルトは、一度大きく深呼吸をしてから、スープを飲み干した空っぽのどんぶりを見下ろした。一楽の店主は偶然なのか、カウンターから姿を見ることは出来なかった。

 

「イルカ先生は、最終試験の参加者のこと、知ってんの?」

「ああ。お前と同期で最終試験に行けたのは他に、ヒナタとシノ、シカマル、だったか」

「どう思う?」

 

 ナルトは真っ直ぐにイルカを見た。イルカは何かを察したかのように、頷いた。

 

「サスケのことだな?」

「実はさ……あいつが不合格になったのは…………俺の、せいかもしれねえんだ」

 

 サスケの怪我のこと、そしてその怪我のせいで前試験で敗れてしまったことをイルカに伝えた。

 

「……カカシ先生は、運も実力の内だって言ってた。戦争の時とか、達成困難な任務を言われる時があるって。自分の力以上の事を求められる時もあって、だけど、忍は任務を全うしなければいけない。怪我をしてるとかしてないとか、そんなのは、現場じゃ言い訳にならねえって」

 

 似たようなことは、第一の試験の試験官も言っていた。

 どのような事態が待っているかも分からない任務においても、任務が下された以上は全うし、見事にクリアしなければいけない。カカシの言う【運】というのは、つまり、達成困難な任務が自分に任されるかどうか、あるいは、任務で待ち構えている困難とバッティングしてしまうかどうか、という事なのだろう。

 

『サスケは運が悪かったと言えば、悪かった。第二の試験を突破した中でも、一番悪いだろう。だけどな、運程度に負けてしまうような忍じゃあ、中忍にはなれないよ。おそらく、サスケもそのことを理解したうえで、文句の一つも言わなかったんだろうな』

 

 と、カカシはそうも言っていたのだ。

 

 もしも自分がサスケと逆の立場だったら、きっと、彼と同じように、言い訳などしない。だけどやっぱり、納得できない。

 

「なんつーかさ、あいつが最終試験に出ないって思うと、やる気が出ねえんだってばよ。何か、違うっていうか、なんていうか……。しかも、俺が最終試験に出るって言うのも……」

「修行をする気にならない、か……。だけどな、中忍選抜試験は待ってはくれないぞ?」

「分かってるってばよ……。俺は火影に絶対になるって決めてる。だけどさ……」

「もしかして、サスケに悪いって思ってるのか?」

 

 そう指摘されて初めて、ナルトは自分の心を理解したかのように、小さく頷いた。罪悪感が、ずっと、あったのだ。

 

 負傷していなければ、ネジに負けることなんてなかった。本来の力を出していれば、自分が悔しいと思ってしまうほどの実力を叩きだして、勝っていたに違いない。

 

 本来あるべき結果。妥当な評価。それらをを歪めてしまったのは、自分が……第二の試験で気を失ってしまっていたからだ。

 

 修行をする気が起きなかったというのは、本心ではない。

 修行をしてはいけないと、思っていた。

 だから、一週間も何もしなかった。

 

 一週間も、木ノ葉病院に入院しているサスケの顔を見に行きすら、しなかったのだ。

 

「中忍選抜試験は今年だけじゃないってのは、分かってる。来年受験すれば、あいつはぜってー合格する。けど、このまま俺が中忍になっちまったら、何だかあいつを利用したみたいで、後味が悪いんだってばよ」

 

 きっと、中忍になっても喜ぶことが出来ない。中忍にはなりたいし、火影になって、自分の夢を実現させたい。だけどどうしても、罪悪感が背中を引っ張る。

 夢を叶えたい自分と、罪悪感を抱いている自分。

 本当の自分の感情がどっちなのか、それすら分からなくなって、呆れてしまう。呆れて、そして、泣きそうになっていた。

 どうすればいいのか、道に迷ったみたいに、泣きたくなってしまった。

 

「大丈夫だ。サスケはそんなこと、思わないよ」

 

 頭を、撫でられた。いや、軽く手のひらで叩かれたと言った方が、いいかもしれない。明るい声で、あっけからんとした笑顔を、彼は浮かべた。

 

「それはお前が一番、分かってることじゃないのか? あいつがそんな小さな事を言うような奴だって、お前は思ってるのか?」

「……思って、ねえけどさ…………」

「もしお前が中忍になって、サスケが万が一……いや億が一にも、文句を言って来たら、その時はあれだ、もう一回下忍からやり直せばいい。それで一緒に試験を受ければ問題ない」

「いや、それはだけど……」

「問題ない! どうせ今回で中忍になれるんだったら、次にお前が受けても結果は変わらない。サスケだって中忍になれるのは間違いないんだからな」

 

 確かに彼の言うように、そうすれば問題はないだろうけれど、今の問題が片付いている訳ではないように思える。しかし何かを言おうとすれば「とにかくだ、ナルト」と有無を言わせない迫力をイルカは発揮してきた。

 

「今回の試験結果がどうなろうと、お前一人のものじゃない。カカシさんだったり、サクラだったり、それにサスケだって、お前を期待してると思うぞ? その期待を変な形で裏切ることだけは絶対にしちゃだめだ。それは、分かるな?」

 

 ナルトは頷く。

 

「俺だって、お前に期待しているんだぞ? だから、とにかく全力は出せ。お前の得意なことだろう。もしその後、何か困ったことがあったら、また相談に来い。いいな?」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 久しぶりに見る木ノ葉の夕焼け空は、望んでもいないのに懐かしさを運んできた。

 

 酒を呑んだせいなんだろう、と綱手は空を見上げながら思った。木ノ葉の里の中におけるあらゆる経費は全て、暗部持ちとなっている。イタチと新しく、そういう条件を結ばせたのだ。どんな事をしてもタダという破格の待遇なため、里に来てからは豪遊しっぱなしである。普段から賭け事で所持金の九割以上―――綱手の所持金の殆どは、金貸し屋から騙し取ったものなため、そもそも彼女の物ではないのだけれど―――を溶かし、慢性的な貧困状態だったせいで、リバウンドで豪遊三昧。

 泊まっている宿泊施設も一等もの。朝昼晩と贅沢な食事に包まれ、日中に好きな酒を浴びるように呑む。里の外では考えられない生活である。

 

 今日は、少し飲み過ぎてしまったようだと、綱手は自身の顔が赤くなっていることを自覚する。偶々、美味しい酒に巡り合ってしまい、酒屋の店主もなかなかどうして快活な男で、会話の馬が合って、結果的に多く飲まされてしまったのだ。

 まあ、支払いは全て暗部なため、困ることはないのだが、少し酒は控えようと自戒してしまうほどには酔っぱらっている。血行が良くなった首筋に、夜の湿気を感じさせる涼しい風がちょうどいい。

 

 特に目的も無く道を歩いていた。夕涼みとでも言うのだろうか、酒を呑み過ぎたせいで、用意されている筈であろう宿泊施設の懐石料理を食べ切れる自信が無かった。少なくとも、もう少しだけ時間を置かせてほしいという意味もあって、綱手はぶらぶらと散歩しているだけだった。シズネは先に宿泊施設に帰らせ、夕食の時間を遅らせるようにさせた。今は、つまり一人である。

 

 西から送られてくる夕陽。東の空はもう紫色で、立体的でありながらも輪郭はぼんやりとさせる幾重もの雲たちと、その向こう側の星々。いずれも、幼い頃に、ゆったりと見た光景だった。

 

 戦争が起こる前の、平穏だった日々。むしろ、戦時中に空を見た記憶なんてほとんどなく、ましてや空そのものを見ようとすらしていなかった。

 

 戦時中は、大切な人と空を見ただけだ。

 ただ、それだけ。

 その時の空気は、辺りから伝わってくる里の風景からは伝わってこない。

 戦争の空気が無い、平穏だ。

 

 自分と、自分が大切に想った人がいない、平穏。

 けれど、大切な人が願った平穏でもある。

 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。酔ってしまった意識では、線引きが出来ない。ただただ、昔の空気を―――そう、とても昔の―――思い出すだけだ。

 

『綱手様、帰りましょう。扉間様が心配しています』

 

 綺麗な声で、平坦な声。

 いつも空ばかりを見上げていた、灰色の髪と灰色の瞳を持つ少女。無表情で、人形を強く連想させる雰囲気を持つ彼女の事を思い出した。

 

『アンタだけ帰ればいいでしょ』

 

 木の上で蹲っていた自分は、真下からこちらを見上げる彼女に、折った枝を投げつけた。

 

『大叔父様は、アンタの方が大切なんだから』

『そんなことはありません』

『嘘だ』

『嘘じゃありません』

『嫌だって言ってるのよ。フウコ(、、、)は私の世話係でしょ。私の言うこと聞いてよ』

『お世話をするだけであって、私は綱手様の召使ではありませんので』

『人形みたいなこと言わないで』

 

 今度は少し大きめな枝を投げつける。思い切り投げているというのに、彼女は瞬き一つ怖がることも無く、人差し指で払ってみせた。それだけの動作に、堪らなく憎らしいと思ってしまう。

 

 いつだって彼女は大切に想われている。少なくとも、自分の目にはそう見えた。大叔父である扉間に愛され、多くの技術を教えてもらっている。家族でも何でもないのに、人形みたいに無表情なのに。

 世話係として毎日顔を合わせているが、自分よりも扉間や他の人たちに愛されている彼女が大嫌いだった。

 

 年を取って、思い返してみれば。

 あの当時の自分は、あまりにも無知だった。

 彼女がどういった境遇にいたのか。彼女がどれほど里に尽くそうとしていたのか。

 幼さを言い訳に、家族を言い訳に、彼女を邪魔者扱いして、彼女と接しようとも考えなかった。

 

 ―――私も、歳を食っちまったなあ……。

 

 フウコの事を思い出し、その当時の自身のクソガキ具合に呆れながら歩いていると、いつの間にやら、小さな展望台のようなところに立っていた。半円形に整えられた崖際の台。設けられている柵は大人の胸程の高さまである。夕陽はすっかりと消えてなくなり、西の空には微かに夕陽の残り香のようなピンク色の空だけがあった。

 

「……お前はそこで、何してるんだ? 自来也」

 

 展望台には電柱はあったものの、まだ灯りは点いていない。だが、柵の上に乗っかって、変わらず望遠鏡を持っている彼の姿は、薄暗闇でも腹立たしい程の視界に入ってしまう。

 

 自来也は声をかけられて初めて綱手に気付いたのか「おう、綱手か」と、慌てた様子も無くこちらを見下ろしてきた。

 

「なんじゃお前……昼間っから酒を呑み歩いておったのか」

「当たり前だろ? 私の経費はぜーんぶ、あのイタチって小僧が払ってくれるんだ。遊ばない方が失礼ってもんだし、それに、他人の金で遊ぶほど楽しいものはないからねえ」

「はぁ、昔のお前はもうちっと色気があったというのに、今見てみるとただのオッサンじゃな。歳は取りたくないのう」

「歳を取れば皆、ジジイかババアのどちらかになるんだよ。お前だってジジイじゃないか。しかも、覗きをするような。お前は、昔から全然変わらないようだがな」

 

 本当に、変わらない。まるで覗きが趣味のクソガキがそのまま図体を大きくして白髪になっただけのようにしか思えない。けれど、その変わらなさが微かに、羨ましいと思っていたりもする。

 

「それで?」

 

 と、綱手は自来也と同じように柵の上に立ってみせた。真下はそれなりの高さのある崖で、落ちたら骨の一本や二本は折れてもおかしくはないだろう。しかし、綱手も、そして自来也も気にはしない。

 

「またお前、覗きをしていたのか?」

「ワシを何だと思っておるのじゃ……」

 

 自来也は子供っぽく下唇を伸ばしながら、持っていた望遠鏡を綱手に渡して「見てみよ」と。言われた通り、彼が見ていた方向を見てみると、演習場に一人の少年がいた。

 

 黄色い短い髪と、黄色を基調としたジャージを着た少年。一見、もう夕飯の時間帯であるにもかかわらず修行をしているように見えるが、綱手はすぐさま、彼の顔立ちが誰かに似ていることに気が付いた。

 それだけではなく、今まさに少年が右手に作り出してみせた球形のチャクラの塊を見て、確信する。

 

「……あのガキが、ミナトの息子か?」

 

 自来也は頷いた。という事は、九尾を封印された子でもある、と思い至る。

 

「まさかお前、この里に戻ってきた理由は―――」

「それは違うのう。ワシは純粋に、取材に来ただけだ。ナルトに会いに来たわけじゃない」

 

 ナルト。それが、あの少年の名前。

 イタチが語っていた、九尾の子供。

 

「だがあのガキ、螺旋丸を使ってるぞ。お前が教えていなかったら、他に誰がいるんだ?」

「さあのぅ。ナルトの上司のカカシか、それか他の誰かか。どちらにしろ、分かったところで何も変わらん」

「気にならないのか?」

「まあ、ナルトに直接訊けば分かることだしの」

 

 ナルトが手に作った螺旋丸は、術の開発者であるミナトよりも何回りも大きなものだった。オリジナルを知っている綱手からしたら、あまりにもお粗末で不完全なもの。それを本人は分かっているのか、作ったチャクラの塊を近くの木に放つことなく、大きさを小さくしようとした。しかし、チャクラの塊は暴発し、ナルトはゴロゴロと後ろ向きに地面を転がっていった。

 

「ミナトと違って、才能は無さそうだな」

「ワシは、なかなか捨てたもんじゃないと思っておるがのう。才能なんてえのが、突っ立ってて空から降ってくるもんじゃねえってのを知ってる顔じゃ、あれは」

「なんだ、随分と買ってるじゃないか。教え子の子供だからって、贔屓でもしてるのか? 別にお前が修行を付ける訳でもないのに」

「―――いや、これからワシは、ナルトに修行を付けるつもりじゃ」

 

 別に驚くほどの発言ではなかった。望遠鏡を渡された時の自来也の顔を見れば、ナルトに対して微かな特別な感情があるというのは、すぐに分かったからだ。歳を取ると、腐れ縁のバカの考えの一つや二つ、分かってしまうものである。

 

 望遠鏡を投げるように自来也に返すと、彼は言う。

 

「どうじゃ? お前も一緒に―――」

「あり得ないな。断る」

 

 自来也は小さく笑った。

 

「昔を思い出すのう、そのセリフ……じゃが、少し事情が複雑でな…………いずれ、お前の元にも報せが来るだろう」

「どういう意味だ?」

「この里に、大蛇丸がいる」

「…………そうか」

 

 と、淡々に返事をした。

 驚くことも無く、怒ることも無い。

 

「イタチの奴が、ワシの所に来ての。最初は、里の警備を手伝ってほしいと頼まれた。中忍選抜試験に紛れて大蛇丸が何かをしようとしているようでの。じゃが、ワシが動けば、中忍選抜試験に顔を出す大名共が五月蠅く言い、同盟里にも不用意な勘繰りをさせてしまうからのう。じゃからワシは、里の警備は断った。イタチの奴も、納得してくれての。代わりに、ナルトのボディーガードを頼まれた」

「大蛇丸の狙いが、あいつだと?」

「おそらく、九尾じゃろうなあ。イタチが調べた限りでは、大蛇丸はナルトと接触しておる。まず、間違いないじゃろう。んで、なら、ボディーガードも兼ねて、修行を付けることにした。ナルトの上司のカカシにも、許可を得ておる」

 

 まるで状況の流れで仕方なく、とでも言いたげな口ぶりだったが、再び望遠鏡でナルトを見る自来也の横顔は、孫を見守るような優しさがあった。

 

「私には関係のないことだな。里がどうなろうが、知ったことじゃないよ」

「…………まあ、近いうちにイタチが似たような事を伝えにくるじゃろう。その時は、お前の好きにすればいい。じゃが、万が一にも、大蛇丸に手を貸すようなことだけはするなよ?」

「ふん、誰があいつの手なんざ」

「そうか、じゃあ、もう何も言うまい」

 

 望遠鏡をしまい、柵から自来也は降りた。展望台からさっさと離れていく自来也は、最後にこう言い残した。

 

「これからは、シズネと一緒にいるようにしろ。もしかしたら、里に血が流れるかもしれんしのう」

 

 嫌な予感を残していくような言葉は、すっかり夜となってしまった空に吸い込まれていった。

 




 次話は2月26日までに投稿したいと思います。

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