いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。

 次話は、4月25日に投稿したいと思います。


ネガティブディペンデンス

 確実に殺されるだろうと直感した時、痛みで薄れていく意識の中、湧き上がってきた感情は怒りだった。

 

 自分に対する怒り。

 

 自分の無力さに対する、熱した鉄のような怒りだった。

 

 フウコを殺す。

 

 その為だけに、今まで力を磨いてきた。

 寝ても、覚めても。

 一族の仇を討つためだけに。

 誰の邪魔を許さないように。

 

 研鑽を重ねてきた。慢心した時期など、思い返しても、あるはずが無かった。波の国での一件以来、さらに修行を重ねてもいた。今はまだ、カカシに勝てるとは思っていない。今はまだ、イタチに勝てるとは思っていない。

 だが、自分と同じ世代の子らに負けるつもりはなかった。

 

 だからこそ。

 

 大蛇丸から逃げた先に遭遇した相手に、全く手も足も出なかった自分に、怒りを覚えた。

 今まで自分は、一体何をしていたのかと。

 

「お前に用はない」

 

 サスケの抱く怒りを他所に、我愛羅の声は酷くどうでもよさそうなものだった。

 背負った瓢箪の口から出ている砂の手は、サスケの足首をがっしりと掴み、興味の薄れた人形を摘まむように、彼を宙づりにしていた。ボロボロになった衣服と、身体中に付けられた青白い打撲痕。足首を掴まれ、何度も地面に叩き付けられた痕である。朦朧とする意識は、逆さに吊るされたサスケの頭に血を集め、より一層と混沌を強くする。

 

「お前」

 

 薄く開き、逆さになった視界の正面に立つ我愛羅の視線は真っ直ぐに、ナルトを背負ったサクラを見据えていた。

 

「その男を起こせ」

 

 言葉による返事はない。だが、涙を流しているだろうことは、視界に入らなくても分かってしまう。不安定で急な高低差を作る息遣い。震えているのだろうと、分かった。

 

「早くしろ」

 

 遭遇してから。

 我愛羅は執拗にナルトを狙っていた。

 どうしてなのか、分からない。想像も付かない。接点なんて、無かったはずだ。遭遇して彼は、品定めでもするように、こちらを一人一人と睨み付けた。そして「その眠っている男か」と呟くと、剥き出しの敵意を行動で露わにした。

 砂を操る忍術。

 砂を操り、あらゆる術を未然に防ぎ、相手を傷付けることに躊躇いを持たない力。

 ただただ一貫して、ナルトを起こす事だけに執着していた。

 サクラとナルトを逃がす。どういう訳か、そんな考えに囚われていたサスケの攻撃を、水しぶきを掃うように軽く退けた。

 

「サスケ……くん…………」

 

 縋るようで、怯えるようで。普段の彼女の利口さがまるで感じ取れない、思考を放り投げた声だった。だけど、応える事ができるほどの余裕はなかった。

 視界が上下する。身体を再び、地面に叩き付けられた。サクラの怯えた小さな悲鳴が、ぐわんぐわんと残響する鼓膜の中で、濁って聞こえる。

 

「起こせ。さもなければ、この男を殺すぞ」

「で……でも…………。お願い……みの、がして………」

 

 さっさと逃げろと、サスケは微かに思った。サクラは、胆が座っている時がある。本当に、変なタイミングでだ。今は真っ先に逃げた方がいい。勝ち目なんてない。たとえナルトが目を覚ましても、勝てるかどうか。

 

 ―――いや、あの時のナルトなら…………。

 

 ふと脳裏に浮かぶのは、赤いチャクラを纏ったナルトの姿。

 波の国で暴走し、カカシや再不斬や白ら三人を相手に、それでも尚、圧倒的に暴力を振るい続けた、あの存在なら―――。

 

 砂で足を砕かれた。

 

 森に響く声が、自分の叫び声なのだと理解するのに時間が掛かってしまうほどの激痛は、薄れかけていた意識をはっきりとさせ、けれど同時に、身体の痛みも鮮明にさせた。

 

「早く起こせ……ッ」

 

 サクラは怯えながら、とうとう、背負ったナルトを静かに地面に下ろしてしまった。細い腕で、ナルトの背中を揺らし「ナ、ナルト……。起きて……」と言う。普段とは違い、小さな声だ。そんな声じゃあ、ナルトは起きない。起きたら起きたで、馬鹿みたいな事を言うのだろう。

 

 どうしてだ。

 

 気が付けば、二人の事が分かってしまう。

 チームとして初めて班分けされた最初は、ナルトに対する憎らしさはあったものの、それ以外に興味も関心も無かった。サクラに対しては、より一層なかった。

 なのに今では、まともに見えていないのに、微かな情報だけで想像が広がっていく。

 自分の無力さと我愛羅の殺意が、その想像に限界を作る。先は無い、という限界。そしてそれは、いとも容易く実態となって現れる。

 足首を掴むだけだった砂の手が、体積を増やして身体全身を覆った。卵のように砂は形を作り、四肢の先と顔の半分だけを外に出させる。

 

「サ、サスケくんッ! きゃ―――」

 

 サクラの短い悲鳴。何が起きているのか、微かにでも顔を動かせないせいで分からない。ただ、僅かに見える我愛羅の表情は、不吉な未来を暗示させるばかり。

 

「いや……起きて、ナルトォッ!」

「お前らに―――もう用はない」

 

 我愛羅は両手を開いたまま、掲げた。

 掌が徐々に閉じられていくのに呼応して、纏わりつく砂が圧縮されていくのを感じた。

 

 死。

 

 それを目前に。

 関節を一寸とも動かせない身体の内側から、破裂しそうな怒りが、込み上げてくる。

 無力な自分に。

 また、何も出来ないままに、何もかもを奪われていく惨めな自分に。

 

「―――砂漠棺(さばくきゅう)

 

 圧力が一瞬だけ止まった。

 助走をつけるように。

 首を刈る大鎌を振り上げるように。

 サスケは叫ぶ。

 意味もなく、叫ぶ。

 現実は変わらない。

 砂は押し返せない。

 変わらないならば、意味はない。

 これまでの努力が、ひたむきな憎しみが―――無に帰そうとした時。

 声が、横から聞こえた。

 

「……ッ! 心転身の術ッ!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 家の玄関が静かに開く音がしたのは、空が白み始めた明朝だった。八月の空気は本格的に暑苦しくなり、湿度も高い。自室の網戸から入ってくる空気の冷たさは気休め程度だった。目を覚ますと、天井はまだ暗い。腹部にかけた薄いタオルケットが横にズレてしまっている。サスケは玄関の戸が閉まる音を無言に聞いていた。

 

 ―――兄さん、帰ってきたのか……。

 

 シューズを履く音。いつもと違って、丁寧さの無い、乱暴な脱ぎ方。床を歩く足音は泥を叩き付けるような重たさがある。イタチが自室に戻る為に戸を開ける音も、投げやりだった。

 

「……ゴホッ、ゴホッ」

 

 乾いた咳だった。三日前のよりも、酷くなっているような気がした。サスケは部屋から出た。居間には、イタチが脱ぎ捨てた黒いコートが投げ捨てられている。彼にしては珍しい乱雑さだった。

 対面の戸が開くと、イタチが着替えを片手に立っていた。

 

「悪い、サスケ。起こしたな」

 

 明かりも付けず、カーテンも閉め切った暗さの中であることを考慮しても、イタチの表情は青かった。優しい笑顔を浮かべてはくれるものの、微かに目の下には薄いクマが出来ており、明らかに疲れが見えた。

 

「……元々、起きてただけだ」

「足が痛むのか?」

 

 サスケは首を横に振る。我愛羅に砕かれた足は、まだ完治と判断はされていないものの、生活に支障は出ないレベルだ。足首に包帯を巻いてはいるが、問題なく歩ける。包帯の下にはシップも薬も塗っておらず、いい加減うんざりしていた薬品臭さは、とうに消えていた。カカシや医者の言う通り、おとなしく修行はしていないが、おそらくそれでも問題は無いはずである。「本当か?」と尋ねてくるイタチに、顎を引くように頷く。イタチは安心したように、疲れた表情でも優しい笑みを作り、サスケの頭を軽く叩いた。

 

「今日、医療忍者の方が来る」

「家にか?」

「ああ。お前の足の状態を診断してくれるよう、頼んでおいた」

「病院ぐらい、俺一人で行ける」

「文句を言うな。その方はただの医療忍者じゃない。診断は間違いないだろう。……医療忍者の方は、昼頃に来る。それまでゆっくり―――ッ」

 

 喋っている途中で、イタチは小さく咳き込んだ。

 本当に、苦しそうに(、、、、、)

 しかし咳が止まると彼は「すまない」と、優しく微笑み「ゆっくり昼間で寝ていろ」と呟いて、風呂に入ろうと、横を通り過ぎた。サスケは、下唇を噛んだ。

 

「……無理…………し過ぎなんじゃないのか?」

 

 つい、言葉が出てしまった。振り返ると、イタチは足を止めていた。

 

「無理はしていない。暗部は里の治安維持の機能も任されているからな。ましてや里に大蛇丸がいるとなれば、尚のことだ。お前が気にするようなことじゃない」

 

 冷静で整然とした言葉。

 だが、その言葉を素直に受け入れることは出来ない。

 背中を向けたままの彼からは、どこか焦りのようなものを感じてしまう。その焦りが、呪いのように兄を衰弱させている。

 

「兄さんこそ、一日くらい休んだ方がいい。ここ最近、まともに寝てないだろ」

 

 彼が家で寝ている時間は、いつも二刻ほどの仮眠だけ。しかも、里の警備と―――そして、何人もの暗部を殺害し、今尚、逃亡と潜伏を繰り返しているイロミを捜索するという作業を、昼夜問わず行っているのだ。体調を崩さない方がおかしい。

 

 イロミの心配をする必要はないと―――サスケは言わない。彼女がどうして、木ノ葉隠れの里に敵意を持つようになったのかは知らない。

 

 しかし、原因の一つは、自分のせいなのかもしれないという予想はあった。

 中忍選抜試験―――第二の試験。

 大蛇丸から逃げる事ができたのは、イロミのおかげだった。彼女が間に入り、隙を作ってくれたからだ。

 その後、イロミが大蛇丸と戦ったという事は、知らされてはいないが。

 イロミが指名手配される前日。

 病院でフウを目撃して、イロミが入院しているのだと分かった。そして、大蛇丸と戦い、怪我をしたのだという事も、容易に推測できた。

 

 普段、鬱陶しくも、穏和な人格の彼女が豹変したのは、大蛇丸と接触したから。

 

 気休めでも、心配しなくても大丈夫だ……とは言えなかった。

 

「お前が気にすることじゃない」

 

 それ以上、イタチは何かを語ることなく、風呂場へと入っていった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 シズネと名乗る女性が家に来たのは、イタチの言った通り、昼間だった。白く縁取られた黒い浴衣を着た、黒のショートヘアの女性。開けた玄関に立っていた彼女は、両腕に真珠のネックレスを掛けた子豚を抱えていて、一瞬だけ、胡散臭い業者に見えてしまったが、「イタチくんに頼まれて、お伺いしました。君が、サスケくんですね?」と、物腰柔らく尋ねてきた時にようやく、医療忍者の者なのだと分かった。

 

「あんたが、医療忍者か?」

「はい、そうです。今日は、君の足の状態を診断する為に来ました」

 

 ちらりと、シズネは包帯の巻かれたサスケの足首を見た。

 

「骨が砕けたという話しでしたが、状態は良いようですね。一応は、診断書や治療履歴を拝見してきましたが、問題ないようですね」

 

 シズネを部屋に招き入れる。家には一人だ。イタチは家にいない。風呂から上がり、やはり二刻ほど仮眠を取ってから、さっさと行ってしまったのだ。食事はしていない。そもそもイタチが、食事を取っているのかすら、疑わしかった。

 

「あ、すみません」

「なんだ?」

「トントンは家にあげても大丈夫でしょうか?」

 

 シズネは腕に抱えた豚を見下ろした。他人の家に来る時点で、その疑問は頭に思い浮かばなかったのだろうかと思う。医療忍者だからといって、頭が良いという訳ではないらしい。

 

「そこにでも置いておけ。部屋を汚すんじゃねえぞ」

 

 苦笑いを浮かべながら、シズネはトントンを三和土に置く。「少しの間、静かにしていてくださいね」と、彼女は言う。トントンに対しても敬語を使う姿はもはや意味不明である。最初の物腰柔らかな印象は消え失せ、そもそも、本当に医療忍者なのかさえ疑わしくなってきた。

 サスケはさっさと座ると、シズネは対面に正座をした。

 

「じゃあ、足を見せてください」

 

 出した足をシズネは手に取る。「軽く動かしてみるので、もし痛みや違和感があったら教えてください」と言うと、足先を掴み、ゆっくりと足首を動かしてきた。色んな方向に足首を動かされたが、痛みは無かった。

 

「骨は完全に修復されていますね。おかしなくっ付きもありません」

 

 足首を動かすのを止め、右手を覆うチャクラを包帯越しに当てながらシズネは報告する。チャクラに敵意は無く、骨を軽く圧迫される感覚があるだけだ。

 

「筋肉の萎縮も、特に無いようですね。もしかして、運動をしてましたか?」

「軽くな」

「怪我をする前と同じという訳ではないと思いますが、これならすぐに任務に復帰できますね。念のために、筋肉を柔らかくしておきますね。あまり、力を入れないでください」

 

 チャクラは質を変える。包帯の下の筋肉が徐々に熱を帯び始めた。足首の長さが変わっているように錯覚してしまうほど、足首の力が緩んでいく。包帯を外され、シズネは新しい包帯を手際よく巻いた。

 

「終わりか?」

 

 足首を動かしてみる。包帯の抑制はあるものの、解された足首の筋肉は想像以上に柔軟に動いてくれた。

 

「はい。もう、完治はしていると思って間違いないでしょう。ですが、あまり無理はしないでくださいね。足首の筋肉や靭帯は良好な状態ですが、身体は足首の動かし方を忘れているかもしれません。下手にいつもの調子で動かすと、強い負荷が掛かり、足首を痛めます。徐々に足首の状態に合わせて、動かしてください」

「どれくらい動かしていいんだ?」

「あ、もしかして修行しようとしてますか? 駄目ですよ、それは。イタチくんから言われているんです」

 

 修行をすることは、サスケの頭の中には無かった。中忍選抜試験で失格となってから、そう言った感情は、全くと言う程ではないが、足首の怪我を抜きにしても、不思議なことに、あまり沸いてこなかった。

 どうしてそんな状態になってしまったのか、自分では分からない。

 ただ、今は、別の感情が―――目的があった。

 シズネは立ち上がると、三和土のトントンを抱えた。診断の間は退屈そうに横になっていたトントンは、抱えあげられると「ブヒ」と嬉しそうに鼻を鳴らす。

 

「あんた、兄さんと仲良いのか?」

「はい?」

「兄さんから、俺に修行させないよう、言われてたんだろ?」

 

 ああ、とシズネは笑顔を浮かべた。

 

「親しいという程ではありません。君の診断をしてほしいというのも、ただ、お願いされただけです。しかも、本当なら私ではなく、別の方が、君の診断をする予定で、イタチくんが診断を頼んだのは、そちらの方だったんです。私は、その……何と言いますか、その方のとても個人的な事情で、代理として来ただけで。君に修行をさせないように言われたのも、私ではなく、そちらの方です」

「………………」

「ああでも、さっきの診断は嘘ではないので、安心してください。これでも、医療忍術の知識と実力は人並み以上にあると自負しているので」

「……なら、あんたでも分かるのか?」

「何をですか?」

「兄さんの体調が悪かっただろ」

 

 思い当る節があるのか、シズネは少しだけ暗い表情を浮かべた。しかし首を横に振り「私からは何も言えません」と小さく呟く。

 

「検診をさせてもらえないので、正確な判断は難しいです。大雑把に、体調は芳しくない、という事だけは分かりますが……それ以上は。ですが、万が一、彼が倒れたりしたら、私に教えてください」

 

 彼女は口で今寝泊まりしている宿の住所を言った。知っている場所だったため、すぐに頭に叩き込み、頷き返すと、シズネは丁寧に頭を下げながら帰って行った。

 

 静かな部屋で、サスケはすぐに足首の包帯を取る。こんな物があったのでは、いざという時に邪魔にしかならない。クナイや手裏剣を入れたホルスターを付け、家を出る。外の天気は、憎たらしいくらいに晴れやかだった。

 

 イロミを捜す。

 

 サスケは、あの夜を想起していた。

 自分の知らないどこかで、何かが大きく変わっていっている。

 そしていつかまた、奪われるかもしれないと。

 イロミを、イタチを、あるいは何もかも。

 それだけは許さない。

 今度こそ、何も出来ないまま、奪われたくはなかった。

 サスケは、怒っていた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 音の忍と共に、木ノ葉に戦争を仕掛ける。

 

 中忍選抜試験の最終試験まで進出した報告をする為に砂隠れの里へと帰り、再び木ノ葉隠れの里へと戻ってきたバキは、我愛羅たちが寝泊まりしている宿の一室で、重々しい表情でその言葉を発した。

 砂隠れの里と木ノ葉隠れの里は、同盟を結んでいる関係だ。テマリもカンクロウも、前触れも無く聞かされた【風影】の意向に、異を唱えた。

 

 間違っている、と。

 わざわざ戦争を仕掛ける意味が見出せないと。

 

 しかし、バキは砂隠れの里の実情を冷静に語った。

 

 第三次忍界大戦が終わり、平和な時代がしばらく続くことによってもたらされた、軍縮という流れ。しかも、砂隠れの里の大名は殊更に、その傾向が強い。里への投資を減らそうとしているらしい。今後、砂隠れの里から排出される忍の数も量も激減し、挙句には、木ノ葉隠れの里が滝隠れの里を吸収した時のように、砂隠れの里も吸収されるだろう、という観測だった。

 

 そうなってしまえば、それこそいよいよ、戦争が始まる。

 

 肥大した木ノ葉隠れの里を相手に、他の忍里らが戦争を仕掛ける。忍の世界のバランスを保つために、元の状態に戻そうとする力が行使される。

 

 そして、真っ先に被害を受けるのは、元砂隠れの里の忍なのだと。単なる先兵として、使い捨てられるだけの未来しかない。

 

 風影も苦渋の選択なのだと、バキは語った。

 

 現風影―――それは、我愛羅たちの実の父である。木ノ葉隠れの里に戦争を仕掛けると判断した彼に、テマリとカンクロウが何を思ったのかは定かではない。我愛羅にとっては、砂上の楼閣の天辺に残された砂粒よりも、遥かにどうでもいい事柄だった。

 

 戦争が起きようが起きまいが、やることは変わらない。

 

 他者を殺す。

 

 それだけである。

 

 それこそが価値だ。

 

 生きていくには、理由が、つまりは価値が必要だ。

 

 理由もなく、価値もなく生きるというのは、死んでいるのと変わらない。いや、もしかしたら、死んでいるよりも、無意味かもしれない。

 

 死ぬという事は、当然の事ではあるが、生きるという権利を放棄する事だ。

 

 そして、死んでしまえば、もう二度と、生きることは出来ない。これも、当たり前のこと。しかし、生きている者は、死ぬことが出来る。つまり、選択肢の数という考えでは、生きている者の方が、死んでいる者よりも上位にいる。

 

 死者は、生者に想われる事はない。誰も、死者の肉体を部屋に置き、挨拶をしたり、会話をしたり、共に食事などしない。むしろ、邪険にされる対象だ。生者が想っているのは、死者の生前の記憶だ。死者そのもの……肉体を想ったりはしないのだ。生者にとって死者の肉体は、単なる生前の記憶を蘇らせる為の道具の一種でしかなく、記憶の中でしか出会うことが出来ないからこそ、死者は死者なのだ。

 

 しかし、生者は違う。

 

 挨拶も、会話も、食事も、あるいは遊びも。

 生者の肉体と共に行われる。その肉体から発せられる言葉や行動に価値があるのだと、他者が付与してくれるのだ。故に、その価値を大切に抱き、自身は死者ではなく、生者なのだと理解し、生きていくことが出来る。

 

 選択肢も、肉体の価値も。

 

 生者は死者よりも上である。

 だが、上位の者が、成す術もなく下位の存在と同じ価値を与えられてしまった時点で、価値は崩壊する。大人が子供よりも頭が悪かったら、あまりにも情けない存在になってしまうように。

 価値が必要なのだ。

 理由が必須なのだ。

 生きていく上で。

 死者と同等というのは、あまりにも、惨めだ。

 死者と同じように、ただ肉体があるだけではなく、ただ肉体を邪険にされるだけではなく。あるいは、他者に邪険にされても尚、自身が死者と異なるという確信を与えてくれる理由―――価値が。

 

 我愛羅にとってそれは、他者を、あるいは自らを殺しに来る者を、または殺すべき者を、殺すという事が、自身の生きる価値だった。

 

 他者を殺す事は、死者には出来ない。

 そして殺すという行為は、自身が生まれた時から無意識に行ってきたものだった。

 生まれたばかりの雛鳥が、自身の価値である小さな羽を羽ばたかせるのと同じように。

 我愛羅は、生まれたその日に、母の命を奪った。

 母の命を糧に、自分は生まれてきたのだ。

 殺すという行為を、生まれた頃から行ってきたのだ。

 

 であるならば、それこそが自身の生きる理由。

 

 他者を殺す事ができる自分。

 それを愛せる自分。

 我愛羅。

【我を愛する修羅】

 これほど符号の揃う生き方と、それが行える忍の世界。

 我愛羅にとっての世界は、そんな血肉に塗れながらも、素晴らしいと賛美できるものだった。

 その中で、木ノ葉隠れの里に戦争を仕掛けるという砂隠れの里の意向。

 何の事はない。

 

 ただ【生きる実感】を噛みしめるイベントが出来たに過ぎない。子供が誕生日にテーブルの中央に置かれた特大のケーキを前に、喜ぶのと同じだ。バキから「この任務……我愛羅、お前の働きにかかっている……」と言われた時は、微かな喜びと共に、冷静に返事をしたのだ。

 

 けれど今は―――。

 少しだけ―――。

 違和感があった―――。

 

 それは、一人の少女に、出会ったからだった。

 

『我愛羅くんって言うんだ……。綺麗な名前だね』

 

 当夜。満月は少し欠けていた。分厚い雲が幾つか浮かぶ、静かな深夜だった。【砂の化身】と呼ばれるバケモノを、赤子の頃に憑りつかされた我愛羅は、眠ることを許されない。一度眠ってしまえば、【砂の化身】は、容赦なく肉体を乗っ取り、破壊の限りを尽くす。自分の肉体を、全く別の存在に奪われる恐怖に駆られ、我愛羅は不眠を貫いてきた。

 今では慣れたものだが、何もしないというには、夜の時間は長すぎる。

 月を眺めるか、散歩をするか。

 気分にもよるが、その日の我愛羅は、夜を散歩していた。

 血生臭さが、鼻に付いたからだ。

 湿った夜の冷たい空気。その中を砂煙でも巻き上げるように入り込む、鉄と体液の臭い。自分が【生きる実感】を体験する時に嗅ぐそれに、我愛羅は引き付けられていった。

 そして、辿り着いたのは、古い建物だった。

 薄汚い壁にびっしりと張り付いた植物たち。ボロボロの屋根に、見るからに埃臭そうな玄関。どう見ても、ただの廃墟。しかし、それまでの道のりで眺めた建物らは真新しく、まるでゴミを隠すようにその建物は建っていて、違和感があった。

 明らかに、誰かの意志によって、その建物は残されている。

 

 血生臭さは、濃厚だった。

 

 調教された犬が、主の声に反応して食事を連想し涎を垂らすように。

 我愛羅もその血の香りに、ゾクゾクと興奮を覚えていた。この香りの根源を殺せば、より【生きる実感】を抱けるのではないかと。最終試験までの退屈な時間は、あまりにも殺しを行っていなかったせいもあり、もはや禁断症状化のように、背負った瓢箪から、砂が溢れ出ていた。

 建物の戸を開ける。耳障りな鈍い音の奥には、真っ暗な廊下が。

 

『だれ…………』

 

 と、廊下の奥から、少女の声が聞こえた。

 

『イタチくん…………?』

 

 返事はせず、廊下を奥へ進む。ギャシィ、ギャシィという音が、廊下から軋み出る。

 

『……来ないで』

 

 廊下の突き当りには、ドアがあった。埃臭さは鼻を痒くするが、それ以上に、血の臭いが濃かった。

 

『お腹が、空いちゃうから……。お願い、来ないで……』

 

 戸を開ける。

 

『来ないで…』

 

 中は漆黒。

 

『……イタチくんじゃないの?』

 

 しかし臭いは、部屋の中央からだ。

 

『だれ?』

 

 そこで我愛羅は出会った。

 

 身体中を真っ赤に染めた少女に。

 

 イロミに。

 

 決して死ぬことのない、盲目の少女に。

 

『お前は何だ?』

『私は……イロミっていうの……』

 

【生きる実感】を与えてくれない、不可思議な少女に。

 

『どうして……私を殺したいの?』

『生きる為だ』

『ごめんね……。私の身体、今、おかしくて。死なないんだ……』

 

 そして。

 

 どういう訳か、こちらの殺意に対して、理解不能に手を差し伸べてくる少女に。

 

『独りが、怖い?

『誰かを殺したいくらい、怖い?

『私も、怖い。

『色んな人を、食べちゃって。

『友達と喧嘩しちゃって。

『今は、里の人たちに、追われてるんだ。

『私……里の敵になっちゃった……。

『でもさ……、君の前だと、どうしてだろ……。お腹が空かないんだ。

『帰るの?』

 

 彼女の身体の異常さと殺意の無さに毒気を抜かれて、踵を返した我愛羅の手を、彼女は握ってきた。

 殺意の無い、真っ白で純粋な彼女の行動に、砂のガードは動かない。

 彼女の細い手には、痛々しい傷が、残っていた。

 半ば強引に隣に座らされたことに抵抗は出来なかった。

 イロミは、これまで見てきた、そして殺してきた者たちの誰よりも、違ったから。

 目元を隠す長い前髪。それ以上に、その下を真っ赤な血で染まった包帯が隠していた。

 蔑む視線。

 恐れの視線。

 怒りの視線。

 どれも読み取れず、無防備に手を握ってきた彼女は、初めて出会う不思議な生き物に見えたからだ。

 殺す価値のない、人間ではない、動物か何かに。

 

『お願い……、傍にいて……。

『独りが、怖いの……。

『昔も、何も見えなくて、怖かったから。

『我愛羅くんって言うんだ……。綺麗な名前だね。

『だって、そうでしょ?

『名前って、自分の子供に送る(、、)ものなんだから。

『我を愛する修羅。違うと思うんだ。

『あはは、ごめんね、ペラペラ喋っちゃって……。誰かと話すの、久しぶりで……。よく、色んな人に呑気だって言われる。

『私はこう思うの。

『【私は()愛しています()どんな時でも()】。そう言う意味だと思うな、きっと』

 

 

 

 ところで。

 

 

 

 木ノ葉隠れの里という限られた範囲で、暗部、そして木ノ葉の神童と謳われるイタチの捜索において。

 どうして彼女が見つからないのか。

 捕縛することが出来ないのか。

 それは、単純な話だった。

 中忍選抜試験中という背景の元、捜索することが出来ない場所に彼女がいるからである。

 詰まる所。

 兄弟であるテマリやカンクロウでさえ、恐ろしさのあまり不用意に近づくことの出来ない、我愛羅の部屋に、匿われているからである。

 

「今日の晩御飯は、お刺身なんだ」

 

 部屋に用意された夕飯のお盆に顔を向けて、彼女は呟いた。浴衣に袖を通した彼女の姿は、まるで暗部に追われていることから目を背けるようで、ヘンテコだった。

 助けてと、あの日、彼女は言った。

 年上の彼女は、情けなく、我愛羅を頼り、今に至っている。

 当夜の弱々しい姿は、微かな名残を残すだけで。

 今では、まるで深夜の森をおっかなびっくりに探検する子供みたいに、我愛羅の手を握りながらも、小さな笑顔を浮かべている。

 

 何かを誤魔化すかのように。

 

「ねえ、我愛羅くんは何を食べたい? 私、きんぴらごぼうが苦手なんだ」

「うるさい。黙って食え」

「……ありがとう、我愛羅くん」

 

 木ノ葉隠れの里に戦争を仕掛ける。

 その事を、イロミは知らない。

 いざ、戦争が始まったら。

 彼女を殺せるのだろうか?

 彼女が差し伸べてくる手を払い、殺せるだろうか。

 混沌とした感情を横に、イロミは勝手に食事を始めた。

 




 ご指摘・ご批評がございましたら、ご容赦なく、コメントしていただければと思います。

※ 追記です

 申し訳ありません。次話は27日に投稿いたします

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