いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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カーテン・コール

 会場の呼吸を停止させたのは、三つの遺体だった。会場を囲う高い塀から放り投げられた遺体らは、ちょうどヒナタとネジの間を分断するかのように落とされた。遺体の損傷は激しく、地面に叩き付けられた遺体からは肉と骨が混ざり合う音が静かに、けれど無音の会場には十分なくらいに響き渡った。

 

 遅れて、血の雨が微々と降った。その血が、三つの遺体のどれらのものなのかは、分からない。一つの遺体は、四肢が鋭利に切断されていた。一つの遺体は身体中にクナイや手裏剣が打ち付けられ、一つは関節という関節が捻じれ歪み骨が内側から肉を突き破っていた。それぞれがまるで違い過ぎる手段で、殺された形跡。

 

 イタチは、息を呑み込んだ。その遺体らは、自分の部下だったこともあるのだが……何よりも、その遺体を作り上げた人物が脳裏を過ったからだった。

 

 

 

『ねえ、イタチくん』

 

 

 

 霧雨のように降る血が、記憶の想起に抗うように、スローモーションになっていく。

 

 

 

『私、特別上忍になったんだけど……なんだか、うーん…………あまり、嬉しくないんだよね』

 

 尖らせた唇に箸の先を当てながら、イロミは不満そうに呟いた。食事処。普段から世話になってしまっているため、その恩返しとして、昼食を奢ったのだ。尖らせた唇は小さくため息を吐き、もはや問題なくチャクラの運用が出来てしまう彼女は、注文したざるそばを少しだけ口に含んだ。

 

『どうしてだ?』

 

 対面のイタチは頭を傾げる。自身が注文したものは、茶碗蒸しだった。恩返しをする立場の自分が、彼女よりも高い値段のものを頼むわけにはいかないと、品書きの中では茶碗蒸しが何とか低い値段で、昼食らしい昼食だったのだ。

 

 イロミは『だってさ』と言う。

 

『特別上忍は、里の外で任務が出来ないんだって。里の中で、事務的な仕事をさせられたりするみたいなんだ』

『ああ……そういうことか…………』

『そりゃあ、うん、一応は上忍になれたことは、嬉しいんだけど……。それぐらいの実力が身に付いたっていう評価なのかもしれないけど……里の外に出れないんだったら……、捜しに行けないんだよね……』

『中忍のままという訳にはいかないのか?』

『それじゃあ、もっとランクの高い任務を選べないよ……。きっと、些細な場所に、いないから』

 

 敢えて主語を抜かした表現を、彼女はした。食事処には他にも人がいる。フウコの名前を口にしないように、彼女はしたのだろう。背もたれに体重を預け、天井を、彼女は仰いだ。

 

『どうすれば、上忍になれるんだろうなあ。早くしないと、駄目なのに』

 

 低く、細く、呟くその声には、深く察する必要が無い程の疲れが含まれていた。

 

 正直なところを言えば、彼女の年齢で特別上忍にまで上り詰めるのは並大抵の事例ではない。彼女自身は認識してはいないかもしれないが、周りから秀才―――あるいは、天才―――という評価を受けても、不自然ではないほどに。

 

 だが、たとえそんな評価を受けても、彼女は一切に満足する事はしないだろう。彼女の目的はあくまで、フウコに会い、里に呼び戻すこと。

 

 おそらく、特別上忍への昇格が、表面的には嬉しくないという風に留めているが、心底気に食わなかったのだろう。

 

『あ、そうだ』

 

 と、イロミはガバリと顔を突き出してきた。前髪の隙間から、彼女のオッドアイが覗けた。

 

『暗部に入るのって―――』

『駄目だ』

『えー……』

 

 明らかに落胆した表情で深く椅子に居座るイロミ。イタチは声を潜めて言う。

 

『前にも言ったはずだけど、暗部の中には、うちは一族の事件に精通している者が必ずいる。ましてや君は、あの夜の前日に、ダンゾウと接触している。危険だ』

『危険なのは承知の上だよ。それに、本当に危険なら、私は今頃死んでるって』

『暗部に入ると余計に危険だと言っているんだ』

『でも、それじゃあ私にできる事が、いよいよ無くなっちゃうんだけど』

『君の実力は間違いなく上忍に適している』

 

 時折行う忍術勝負をしているイタチは断言する。彼女の的確な【仕込み】の運用、そして仙術の力。友人という評価を勿論除外しても、間違いのない評価だった。それでも納得がいかないのか、イロミは口元をへの字にして鼻から大きく息を吐いていた。

 

『いずれ、上忍に昇格する。それまで俺も、暗部の中でうちは一族の事件に関して情報を集めておく。あいつの情報も集める。一番大事なのは、俺たちがあいつの前に立つことなんだ。そして俺たちは、おそらく……まだ力が足りない。必要な準備は、絶えず行うべきだ』

 

『……言ってることは、うん、分かったよ。特別上忍の仕事は、我慢するよ』

 

 

 

 でもね、イタチくん―――。

 

 

 

 血の雨は地面に落ち、禍々しい模様を描いていく。

 

 強制されている訳でもないのに、会場の静けさはお化け屋敷のように重かった。その重圧に決定的なヒビを入れるように、それは塀の奥側から跳躍してきた。

 

 全身を黒いローブで身を包んでいた。袖も裾も、まるで体躯には合っていないほど長く、深々と被っているフードは顔を碌に覗かせはさせない。昼間の太陽の光を受けても尚、それの足元から伸びる影との境目が見えないほどに、漆黒だった。

 

 ちょうど黒いローブは、ヒナタとネジ、二人の等距離に降り立った。三角形を作るかのような、位置だ。ヒナタは咥えたクナイを落としてしまい、ネジは警戒心を露わにし、そして審判の上忍は密かな戦闘態勢に入った。

 

 誰もが、死体を作り上げた張本人だと察し。

 誰もが、不吉なものだと理解した。

 そしてイタチは、分かってしまった。

 たとえローブを着ていても、その背丈は、あまりにも日常的に見ていた彼女のそれと、同一だったからだ。

 

 風が動く。

 

 会場内に配備されていた、幾人かの暗部。その内の三人が、動いた。動作に迷いは無く、瞬間的な動きであるにも関わらず、それぞれが別々の動きを見せ、多角的に攻め入った。

 

 一人が、今まさに黒いローブを着た人物に、背負った刀で切りつけようとする。

 

 ―――……ッ!

 

 それでも、尚。

 黒いローブは徐に、顔を上げ、こちらを見た。

 

 いや、いや。

 

 イタチの意識が、知覚できる時間を圧縮させたのだ。

 あまりにも衝撃的な光景だったから。人生に別れを告げる走馬灯のように。

 被っていたローブは角度を上げ、口元を垣間見せる。その口元の微か上には、白い前髪が。

 

 

 

 でもね、イタチくん―――。

 

 

 

 私、頑張るから。

 

 

 

 今度は、力になるから。

 

 

 

 だから、一人にしないでね。

 

 

 

 記憶の残滓にも近い、その中で映った彼女の笑顔と。

 ローブの下の口元が重なった。

 黒いローブは。

 

 イロミは。

 

 イタチに向かって。

 

 小さく呟いた。

 

 イ

 タ

 チ

 く

 ん

  。

 こ

 た

 え

 あ

 わ

 せ

 し

 よ

 ?

 

 ―――……イロミちゃん…ッ

 

 時間の流れが、正しく現実のそれと、同期する。

 

「解」

 

 そのイロミの声を聞くことが出来たのは、彼女に攻め入った三人の暗部だけだった。とても簡素で、機械的な発音。だが、その声が意味する死の強度を、三人は知らない。彼女が木の葉隠れの里の敵となる決断をし、それを実現とする為の【仕込み】は、あまりにも、相手を殺す事しか考えていない。

 

 イロミのチャクラに呼応して、ローブの黒に隠れて―――いや、ローブを黒くしている何重もの【封】という文字が頭を上げた。背後に迫った暗部の男は、背中から出現した幾十本もの槍に貫かれ、その勢いのままに塀に貼りつけにされる。

 

 その光景を目の当たりにした二人は、瞬時に印を結び忍術を発動させようとした。近づくのは危険だと、判断したのだろう。だが、それよりも速く、イロミは動いていた。

 

 背後で貼り付けにされた死体。その死体を貫いた槍にチャクラ糸を接続し、死体を引き裂きながらも、槍を二人へと投擲し―――同時に、長い袖の中から小さな玉が幾つも地面に転がり落ちる。

 

 煙玉だ。

 

 地面をバウンドした玉が小さな爆発音を出すと、瞬く間に彼女の周りは白い煙に覆われる。しかし、暗部の二人は後方へ飛ぶように煙から姿を現した。追いかけるようにイロミも姿を露わすが、彼女は二人になっていた。片方は、煙から出る時に空気の対流は見受けられなかった。実力者ならば片方が【分身の術】による幻影なのだと分かるだろう。分身の方に追いかけられていた暗部の者も理解し、すぐさま本体を狙おうとするが……それが最後のミスだった。

 

 分身体の後方。ちょうど、煙幕と分身体の間には、傀儡人形が潜んでいた。イロミが愛用していた大嘘狸のように、写実的な傀儡人形ではない。蛇の尻尾が付き、猿のような頭。胴体は狸で、虎なのか猫なのか分からないしなやかな四肢を持っている、混沌とした傀儡人形だった。

 

 人形はイロミの両指のチャクラ糸に接続されていた。混沌とした四肢が鋭く巨大な剣山を生やしながら男に抱き着いた。即効性の毒と傷口を溶かす硫酸がたっぷりと塗りたくられた剣山は、男の命をあっさりと身体から零れ落とさせる。

 

 そして、残った一人。彼は驚きを隠せなかった。

 

 暗部に入隊するという事の実力の証明。それを嘲笑うかのように、仲間を殺された事にもそうだが、何よりもイロミの速度だった。もはや完全に懐に入り込まれてしまった。果たして彼女の服から何が飛び出すのか、予測が困難なスタイルを持つ相手。おまけに、完全に背後を取った相手に対して瞬間的に忍具を展開する反応速度。先手を取っても、結果的には先手を取られてしまう。

 

 どうすれば、相手を上回れるか。その、刹那の思考が、既に、詰め路だった。

 

 今のイロミには―――仙術を使用していないイロミには―――生来の身体能力のハンディというものは存在しない。大蛇丸の呪印を吸収しきってしまった彼女の身体能力は、完全に上忍のそれと遜色はない。

 

「解」

 

 チャクラで促す。胸元から現れたのは光玉だ。閃光が、イロミと男の間で生まれる。男は視界を塞がれ、視界が元から無いイロミ。済む世界が違う二人の差は、決定的。光の中、イロミは袖の中かから長く分厚い刀を取り出し、男の足を地面ごと刺し込んだ。

 

 男は咄嗟に刀を抜き、右上段から左下段に目掛けて振り下ろす。

 

 空振り。イロミは軽く跳躍していた。

 

 前転に宙返りをし、地面に着地せず、イロミは男の肩に両足を掛け顔を股に挟んだ。長いローブの裾が蛇の口のように、男の上半身を覆った。

 

「邪魔、しないで……」

 

 くるり。

 

 あっさりとイロミは、上半身の反動を利用して身体全体を半周させた。骨が、歪み切れる音が一瞬。男は力なく、イロミの体重に従って、顔が向いていない前方に倒れた。

 新たに遺体が三つ作り出されてしまった。

 

 しかも、木ノ葉の暗部の者が、あっという間に。

 

 予想も何も、全く出来る筈もない、外部からの介入。ましてや、大名たちは、イロミの存在を知らされていない。

 

 いよいよ会場の静寂は―――しかし、会場に配備されていた暗部たちの中に身を潜めていた薬師カブトの幻術が、それを保たせた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 猿飛ヒルゼンにとって、イロミの存在は多様に特別だった。一番最初のきっかけは、やはり大蛇丸の研究所で発見された赤ん坊という符号による、罪悪感。どこから連れてこられたのかも定かではない、盲目の赤ん坊。その子の泣き声は、まるで大蛇丸の凶行を知りながらも中途半端に野放しにしてしまっていた自分への恨みを叫んでいるように、ヒルゼンには聞こえてしまったのだ。

 

 故に、養子とした。しかし、時期が時期だった為に、彼女を育てる為の人材は彼の手元には無かった。第三次忍界大戦末期は、誰もが、里の為、ひいては自分の為だけにしか力を発揮できないほどに疲弊しており、ましてや火影という立場である自分には赤ん坊を満足に育て上げる事は出来なかった。そのため、彼女を施設へと送ったのである。

 

 いずれ里が落ち着き、平和を過ごす事が出来るまでと。もしかしたら、イロミを確かに育てる為に、次期火影を選出しようと考えたのかもしれない。罪滅ぼしの為に。今となっては、その当時の感情は思い出せない。それ程までに、戦後の里は不安定で、それに対処する為に奔走していた。

 

 やがて時間が過ぎて。

 

 イロミが赤ん坊から、子供になって。施設を運営していた男の元に居続ける決断をし。アカデミーに通うようになり。

 

 気が付けばイロミには、友達が出来ていた。

 

 どういう偶然か、相手は、フウコ。

 

 その頃から、イロミへの評価は変わり始めていた。

 

 千手扉間から託されたフウコの幸せを成就させる為には、友達が必要だ。まだフウコは幼い。平和という言葉を、言葉としてしか理解していないだろう。平和な時代を過ごす為には、手を繋ぎ笑い合える友達が、そう、必要なのだ。

 

 だが、口出しをするつもりは無かった。ただ自分は、フウコが、そしてイロミが頼ってきた時にだけ、力を貸そうと考えていた。自分からイロミに何か言える立場ではない。彼女は自分の罪だ。教え子の暴走を止める事が出来ずに、被害を受けてしまった子。一方的に力を貸すというのは、動物に首輪を無理やりつけて連れまわすような、身勝手な考えである。

 

 ただただ、自分は、見守るだけ。

 

 けれどその選択は、誤りだったのだと思い知らされる。

 

 うちは一族の事件。

 

 火影という立場であるにも関わらず、里内の問題を、フウコ一人に背負わせてしまった。そして、イロミに大きな傷を残してしまった。大蛇丸の時と同様、また自分は、何も出来なかったのだ。

 

 罪が重くなった。

 

 それでも、火影という立場を捨てなかったのは、やはり、扉間からの信頼と、フウコとの約束……イロミへの、謝罪も兼ねていたからだ。うちは一族の事件を機に、火影を辞任する事も出来なくはなかった。暗部が当時、ダンゾウが管理してはいたものの、暗部のあらゆる権限は火影に収束されていたのだから。

 

 火影を辞めよう。そう、思ったこともある。だがそれでは、逃げなのだ。

 

 罪を背負うと覚悟した。

 

 うちは一族の恨みを。

 

 フウコの苦しみを。

 

 フウコに罪を背負わせ、傷を与えてしまったイロミの苦しみを。

 

 火影という責務を全うし、フウコが残していった平和を守り、イロミの傷を忘れさせていく。それがフウコの望みで、自分の、望みだった。

 

 だが。

 

 イロミは、フウコを追いかける事を選択した。フウコにズタボロにされたというのに。友達という繋がりを彼女は求めたのだ。それは……ヒルゼンが望んでいなかったこと。イロミが望むあらゆるフウコへの情報を渡す事は出来ず、手助けも。

 

 何とか彼女の行く末を変えようと考えたが……考えた、だけだった。

 

 どうして行動に移す事が出来なかったのか。

 

 きっと、フウコとイロミの仲の良さを見たことが、あったからかもしれない。

 あるいは、そう。

 フウコを本当に、連れ戻してくれるのではないかと。

 自分ではできなかった事を実現してくれるのではないかと。

 里の平和を守るという扉間との誓いと、

 フウコの犠牲を無駄にしないという覚悟と、

 それら二つに板挟みにされ、何も選択できない、脆弱な自分には出来ないことを。

 実現してくれるのではないかと。

 そんな期待があったからかもしれない。

 その期待も、もはや、打ち砕かれた。

 

「全く、もう少し楽しんでからでも良かったのだけど……」

 

 暗部の遺体が転がり、そして幻術で意識を失っていく大名らを見下ろしていると、横から声が。

 ヒルゼンは静かに、風影を見た。風影もちょうどこちらを見ていたのか、視線が真正面からぶつかる。笠と口元を覆う布の間から見える瞳は、怪しくギラギラと光を放っていた。

 

「あの子が暴れ始めたなら、始めるしかないわね」

 

 その声色は、確かに、聞き間違いなどではなく―――覚えのあるものだった。

 

「お前は……」

「お久しぶりですね、猿飛先生」

 

 風影―――いや、大蛇丸は、笠と口元の布を投げ捨てると、挑戦的に立ち上がった。

 

「大蛇丸―――!」

「ククク、ぜひ、楽しんでください。木ノ葉崩しを」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……やべ、寝すぎた…………」

 

 いつの間にか電池が無くなり動かなくなった目覚まし時計を見下ろしながら、ブンシは呟いた。カーテンを開けたままのベランダの窓からは太陽の光が高い角度から挿し込んでおり、昼間の時間であるという事を眩しく伝えてきている。ブンシは一度大きく欠伸をしてから、寝癖が付いた黒髪を乱暴に手櫛で直し、布団のすぐ横に転がっている箱の中から煙草を一本取りだした。マッチも手に持ち、火を点ける。眼鏡をかけ、紫煙を吐きながら、ベランダを開け外に出た。

 

「あー……今日もいい天気だなあ、おい」

 

 特に呟く事柄もなく、ただぼんやりと見上げた空に対して文句を言う。ランニングシャツとボクサーパンツのみというラフな寝間着だが、身体に熱が籠ってしょうがない。悠長に一本吸い終わり、部屋の灰皿で煙草をもみ消して「シャワーでも浴びっか」と呟いた。

 

 今日は休みである。アカデミーには、教師に与えられたカリキュラムが存在する。どの時期までにどの程度の事を生徒に教えるか、というものだ。一見すれば、簡単なものかもしれないが、意外にも、カリキュラム通りに進めるのは難しい。特に、実技を担当する教師がそうだろう。忍の世界では、実力の水準は年々変化する。それは、単に他里の忍のレベルが向上していたり、あるいは国同士の情勢であったり、はたまた迷惑な事に大名の気分転換ないい加減な考えの元に軍縮を行われたり、などなど。それに伴い、教師は生徒への教育方針を変えざるを得ないのだ。時として、カリキュラムを大幅に遅らせてしまう、という事もある。

 

 ブンシの場合、ただただ歴史を教えるだけなため、カリキュラムとして遅れるという事は無い。今日は、つまり、実技の担当教師の一人がカリキュラムに遅れが出た為、本来ならばブンシが使うはずだった授業の時間を、その担当教師に与えて穴埋めする、という形が取られたのだ。そのため、休みとなった。

 

 水九割お湯一割のシャワーを浴び、髪を乾かし、着替える。さっぱりとした気分になってから、煙草に火を点ける。本日二度目の煙草。しかし、寝起きと違って、煙草の香りがはっきりと鼻孔に伝わってきた。

 

「今日は、何、すっかなあ」

 

 暇である。いや、やりたい事はあるのだけれど、それは今、禁止されてしまっている。外出をするな、と言われたのだ。元同僚のイビキから。

 

 正確には、不必要な外出は、であるが。

 

『お前が猿飛イロミを捜しているのは知っている』

 

 カカシを殴った後。

 夜中までイロミを捜していたブンシの前に、いきなり現れたイビキがそう言ったのだ。

 

『んだよ、悪ぃのか? 別にテメエら暗部の邪魔してる訳じゃねえだろ。むしろ手助けになってんじゃねえか?』

『彼女を見つけて、お前はどうするつもりだ?』

 

 まるで信用の無い鋭い視線で、こちらを睨んできた。平然とブンシは睨み返す。

 

『テメエに言う訳ねえだろ? あたしに構ってる暇があんなら、とっととあのバカを見つけて、あたしの前に連れて来い』

『それはありえないな。猿飛イロミは、忍としての掟を破った。同じ里の者に手をかけている。お前の前に連れて来る事など、曲がり間違っても起きないだろう。昔のお前なら、十分に理解しているはずだ。掟を破った者には、どんな制裁をも加えてきたお前ならな』

『いちいち昔話を語るんじゃねえよ。イロミが掟を破っただ? こちとら、カカシから話しを聞いてんだよ。大蛇丸が関係してんだろ? それに、あのバカの実力じゃあ、碌すっぽ暗部一人を殺す事だってできやしねえよ』

『理由があれば、人を殺してもいいと?』

『理由じゃねえよ、不可抗力だ』

『同じだ。たとえ不可抗力が許されたとしても、疑わしきは罰する。それが尋問・拷問部隊のやり方だ。勝手に潔白と判断するな』

『生憎、今のあたしは教師だ。アカデミーのな。テメエらクソ吐き気のする連中の道理なんざ、知ったこっちゃねえんだよ』

『……もう一度言うぞ、ブンシ。明日以降、お前の外出は禁止する』

『勝手に言ってろ。掟気取りも、ほどほどにしとけよ』

 

 イビキの影が揺らいだ。一瞬にして背後を取り、彼は右手を大きく振りかぶっている。振り向き様にブンシは左手で彼の服の上から腹部に触れ、チャクラの性質を電気に変えた。

 

 神経を辿り、脳へ電気信号を送り、彼の意識をショートさせようとしたが―――。

 

『―――……ッ!』

 

 チャクラが通らなかった。イビキの右手がブンシの首を掴み、そのまま地面へと押し倒す。後頭部をコンクリートの地面に強く打ちつけられ、視界が明滅した。

 

『テ、メエ……。わざわざ……』

『お前の術は全て知っている。同じ尋問・拷問部隊で働いていたから。対処させてもらった』

 

 イビキの服の下には、ゴム製の帷子が用意されていた。しかもチャクラの電気を通さない、特別製。ブンシは彼の右腕を両手で掴むが、そこにも帷子が敷き詰められているせいで、チャクラが通らない。

 

『いいかブンシ、今は、俺がルールだ。お前を大蛇丸の協力者と見なし、拷問椅子に掛ける事も出来るぞ』

『勝手に……掟を気取ってんじゃねえよ…………。ホラ吹いて、掟を利用すんじゃねえ……』

『無法者が法を語るな。本来なら、あの日にお前を拷問にかけても良かったんだぞ』

 

 あの日。

 

 うちはフウコを、信用した、あの日のことだ。

 

『俺は今まで、お前の意志を尊重してきた。尋問・拷問部隊での、お前の活躍。どれほどの情報を引き出し、どれほど無残な死体を積み重ねても、徹底して職務に身を費やすお前を、尊敬すらしていた。たとえ、暗部を抜け、教師という立場に身を置くことになっても、そこで忍の掟を守らせようとする姿勢があったからこそ、俺はお前を良き元同僚として尊重してきたんだ。どんな私情があれ、お前の行動は里への貢献になっていたからな』

 

 だが、

 

『今のお前は、単なる邪魔者だ。鋭さも抜け、掟を守らせるという信念も緩んできている。正直言うとな、ブンシ。あの日、うちはフウコへの拷問を行わなかったお前の考えには、失望させられた』

『元々……信頼してねえだろうが』

『今のお前にここで留めている事が、最後の信頼だ。そして、よく言葉を選べ。猿飛イロミを見つけて、お前は、どうするつもりだ?』

 

 ブンシは、無言のまま、イビキを睨み返すしか出来なかった。

 もしそれを口にしてしまえば、自分は、拷問されるだろう。いや、別段、拷問自体は怖くない。本心だ。問題なのは、イロミを見つける事が出来なくなってしまう事である。

 イロミを見つけ、助けるという事が。

 掟を破った彼女への失望はありながらも、ブンシの中には確かに、彼女への心配も、あった。

 掟は守らなければいけない。

 今でも、その決意は変わっていない。

 しかし。

 いくらなんでも。

 

 彼女を、罰するのは―――。

 

『よく聞け。今回だけだ。今回限りだ。お前の横暴を許すのは。これ以上は、俺の誇りが許さん。もし、破れば……そうだな』

 

 そこでイビキは、悪魔的な笑みを、浮かべた。

 

『アカデミーの子が一人、いなくなるだろう』

 

 背筋が凍る。

 

『ふざ、けんな……ッ! んな事が、許される訳ねえだろッ!』

『この里には大蛇丸がいる。全ての者には知らされていないだろうが、いずれ周知される事だろう。子供の一人や二人いなくなろうが、全て彼に押し付ければ問題ない』

 

 嘘だ、とブンシは考える。いくら里の為とはいえ、そんな無法が許される訳がない。イビキお得意の、脅しに決まっている。

 

 だが。

 

 それでも。

 

 あり得るかもしれないとも、思ってしまう。

 かつて尋問・拷問部隊に身を置いていたブンシの思考は、イビキが示した可能性を濃厚にしてしまった。

 

『お前が言った言葉だろ? 【一人の人権よりも、掟の方が重い】と。同じ里の犯罪者をペンチで細切れにしながらな』

 

 そのままブンシは、家に帰ったのだ。家に帰り彼女は、涙目になりながら何度も壁を殴った。何もかもが、納得できなかったからだ。

 ブンシは、家を出る事にした。アカデミーに行こうと思ったのだ。アカデミーに行くことだけは、イビキから許されている。家のドアから出て、軽く視線を辺りに向ける。監視らしい監視は見当たらないが、諦めて、いつも通る道を進んだ。

 今日、中忍選抜試験の最終試験があるからかもしれないが、心なしか人通りは少ないように思えた。

 アカデミーに着くと、ちょうど昼休みが終わる頃だった。校門を抜けると同時に、校庭で遊んでいた生徒たちが、鐘の音と同時にそそくさと帰っていく。何となく、こちらをちらちらと見て足早になる子もいるが、気のせいではないだろう。生徒からの畏怖の視線はもう、慣れたものだ。

 

「あ、ブンシ先生だ」

 

 一人の生徒が、不思議にも話しかけてきた。顔を向けると、短い髪の毛をツインテールのように二つに纏めた、茶色の毛をした生徒である。

 

「おう、カミナじゃねえか」

 

 女の子の名前をブンシは覚えている。明るく真面目な、優秀な生徒。そしてどういうわけか、気軽に声を掛けてくる生徒だった。彼女は可愛らしい笑顔を浮かべて、目の前まで走ってきた。

 

「珍しいね、ブンシ先生が遅刻するなんて。いけないんだー」

「うっせえ。今日は休みなんだよ」

「嘘言っちゃだめだよ? 休みなのに来るはずないでしょ」

「ばーか、教師はそういう仕事なんだよ。お前はさっさと教室に行って勉強しろよ。キミとクラタと一緒に……って、あのバカ二人はどこだ?」

 

 いつもカミナは三人で行動している。キミという男の子と、クラタという男の子だ。休み時間は決まって三人で遊んでいるのだが、今は二人の姿が見えない。

 

「かくれんぼしてたんだけどね、見つけられなかったの」

「はあ?」

「でも、すぐに戻ってくると思うんだ。チャイムも鳴ったし」

 

 一瞬だけ、頭の中に恐怖が。

 

 イビキの言葉。

 

 もしかしたら、と……。

 

 ブンシの様子を他所に、カミナは「それじゃあ、バイバイ、先生!」と笑顔を浮かべながら手を振りながら、校舎へと姿を消していった。ブンシはすぐさま、二人を捜し始める。不安がどうしても、脳裏に。

 

 ―――……クソガキどもッ! 真面目に授業くれえ遅れないで出ろよッ!

 

 可愛い生徒がいない。

 もうそんな、恐ろしいのは、止めてくれ。

 

 しかし。

 

 その行為は、やがて、別の事柄のせいで、邪魔される事になった。

 

「……なんだよ、アレ…………」

 

 見上げる。

 里を覆う、高い塀。

 その向こう側から突如現れた大蛇の群れが、アカデミーすぐ近くの塀を、破壊したのだ。

 




 次話は8月15日までに投稿したいと思います。

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