いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が一カ月ほど遅れてしまい、誠に申し訳ありません。

 次話は今月中に投稿いたします。


舞えよ、舞えよ、散れよ、散れよ。木ノ葉よ

 

 全ての始まりは……二代目火影、貴方から生まれたのですよ。貴方が推し進めた、木ノ葉隠れの里を、明確な忍里として機能させる為の整備の一環として行った、うちは一族を中心とした警務部隊の設立。それが、彼ら彼女らに小さな芽を与えたのです。

 

 まだ、初代火影によって束ねられただけだった、木ノ葉隠れの里の黎明期。一族らがただ集まり、一族そのものが単なる役割に従うだけの、烏合の集を、貴方はほぼ分け隔てなく混ぜ合わせた。一族という括りを力の象徴ではなく、単なる血脈の誇りにまで落とし込んだその手腕と先導力は、歴史の教科書では淡々と描かれていますが、大した偉業だと私は判断している。本来なら里そのものが空中分解してもおかしくない政を、無事に完遂させたのですから。

 

 しかし貴方は、うちは一族だけは、その整備から外した。警務部隊。里の治安を守護するという重要な機能を、たった一つの一族に依存する形をとった。

 

 勿論、今を見渡せば、一族がある種の機能を担っている部分があるわ。例えば、山中一族は他里の忍の記憶を見る為の、所謂、尋問を任とした事が多い。けれどそれは、一族に伝わる秘術や、特性に依存しているに過ぎないわ。仕方ない、という事。しかし、うちは一族が警務部隊を担うのは、仕方ないことではなかった。

 

 おそらく貴方は、里を守護する者として、中途半端な力では不十分と考えたのでしょうね。うちは一族は、その全ての者が十分な力を有している。常に一定のエリートを輩出してくれるという観点で、警務部隊の中心とした。傍から見れば、誤った選択肢ではなかったでしょう。

 

 しかし、うちは一族から見れば、その選択はあまりにも非情なものに映ったのでしょうねえ。実力があるのにも関わらず、任せられた仕事は、あくまで里の警備。

 

 しかも警務部隊には里の政に口出しする権力は与えられていない。まあ、里の警備―――裏を返せば、里で一、二を争う武力を持った集団が政に口出しを許してしまえば、いずれは武力の高低で発言力が決定してしまう。その事態を憂慮したのは当然の流れ。けれど、それは納得いかない事だった。

 

 うちは一族と千手一族の確執。実は、貴方も薄々は感じていたのではないですか?

 

 木ノ葉隠れの里が誕生する前。まだ、第一次忍界大戦だった頃。うちは一族と死闘を繰り返してきた千手一族。つまり、初代火影、二代目火影、貴方方の事です。御二方が、火影になったという事が、うちは一族にとっては納得のいかない事だった。

 

 どうして、千手一族と力は変わらないのに、扱いが全く違うのか。

 

 それこそが、うちは一族が木ノ葉隠れの里の転覆を望む―――クーデターの始まりだったのですよ。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 涙が混じる湿った息の中には、埃臭さが入り込んでいた。おまけに、息苦しさ。どんなに鼻で呼吸しても、まるで空気が薄くなってしまっているかのようだ。いや、きっと、薄くなっているのだろう。

 

 肩に乗っかる何か、足先を圧迫する何か、背中を押す何か。視界は真っ暗。分かるのは、ただ、自分が瓦礫の中で偶然と出来た狭いスペースにいるという事。いつ押しつぶされてもおかしくない、そんな不安定な場所に、身体を小さくしているだけだという事だった。

 

「……だ、誰か…………―――ひッ!?」

 

 零れる涙を止める事が出来ない。怖い、怖い。助けてと、叫ぼうとした時、耳の横で小さな石の粒が落ちるのが分かり、声を止めてしまった。声の反響で、瓦礫が落ちてきて、トマトのように押しつぶされてしまうのではないかと、少年は怯えたのだ。

 

 男の子は、大きく後悔した。かくれんぼをしようと言い出したのは、自分だった。昼休み中、目一杯遊びたくて、それに、かくれんぼなら、授業に遅れても言い訳が出来る。隠れるのには、自身があった。だから、かくれんぼが良いと、言ったのだ。

 

 ついこの間、見つけたばかりの、隠れスポット。そこを使えば、もしかしたら、アカデミーが終わるまで隠れ続けられるかもしれない。そう、思ったんだ。

 

 けれど。

 

 地震のような大きな揺れが、今の現状を作った。

 何も見えない、何も出来ない。

 ただ、外から誰かが助けてくれるか、外からの小さな力で押しつぶされるかというそんな状況。

 いや、誰かが見つけてくれる可能性は低い。

 

 だって、自身を以て、見つからない場所に隠れていたんだから。

 

「……ごめんなさい…………」

 

 つい、そんな言葉が零れてしまう。授業をサボろうとしたことに対してだ。呟いてしまうと、涙がボロボロと、量を増していく。頭に思い浮かんだのは、怖い怖い、ブンシの顔だった。彼女はよく怒る。怒らない授業が全くないと言っていいほどに、彼女は怒る。ほんの少しでも、悪い事をすれば、必ず怒鳴って、目の前までやってきて、拳骨を起こしてくる。たとえ黒板に文字を書いていても、後頭部に目が付いているのではないかと思えるくらい、悪い事を見つけ、怒る。

 

 今だけは、彼女の怒鳴り声が聞きたい。今、自分は悪い事をしている。アカデミーの授業をサボっている。だから怒鳴りに、目の前に来てほしい。

 

 男の子は何度も「ごめんなさい」と呟いた。小さく、小さく。瓦礫の向こう側には絶対届かないだろう、声量で。

 

「ひっ」

 

 瓦礫が小さく震えた。もしかして、瓦礫が崩壊するのだろうかと、脳裏に過る。そして、自分が潰される映像が想像できてしまう。頭からなのか、肩からなのか、足先からなのか。ガタガタと身体が震えると同時に、瓦礫の揺れが大きくなっていく。振動は真正面から。じゃあ、足先が潰れる。必死に足を引っ込めようと膝を折るが、もはやスペースが無い。恐ろしさのあまり、瞼を強く閉じる。暗闇の深度は変わらない。だけれど、強く閉じて、閉じて、そして―――。

 

「おら、キミ、見つけたぞ……」

「……え?」

 

 瞼の向こうから、白い光が透き通り、女性の声が聞こえてきた。驚きで瞼を開けると、綺麗に前髪を額当てで上げ、そこに幾つかの砂埃の汚れを付けたブンシの顔があった。

 

「せ、せんせい……なの?」

 

 キミは涙声にそう尋ねた。ブンシは四つん這いになっているのか、顔を突き出した姿勢のまま、不機嫌そうに顔を歪める。

 

「あぁあん? いつ、あたしがアカデミー首になったよ、ったく。まあ今日は非番だから、先生じゃねえと言えば、先生じゃねえけどな」

「ど、どうして先生が、あの……」

「お前を見つけられたかって?」

 

 小刻みにキミは頷いた。

 

「テメエの隠れる場所なんざ、あたしにゃすぐ分かんだよ、バカタレ。教師舐めんな。ほれ、外に出るぞ」

 

 差し伸べてきたブンシの手は、外からの光で照らされて、所々に生まれた小さな傷を露わにした。瓦礫を素手で押しのけて出来た傷なのだろう。けれど、握ると、安心してしまう。いつもは頭を殴ってくる拳なのに、今だけは、安心できた。

 

「このまま引っ張るからな。どっか、挟まってる部分はあるか?」

 

 キミは顔を横に振る。さっきまで挟まっていた足先は、ブンシのおかげで自由になっている。

 

「なら、安心だ」

 

 ブンシは握った手を引っ張りながら、そのまま後退する。

 

 外に出た。そこは、校舎内にある用具室。普段は鍵がかかっているそこは、実は外の空気を輩出する為の小さな通風孔がある。キミは昼休みの間、その通風孔を辿って中に入っていた。

 

 引っ張り出されたのは、校舎の廊下側。だが、天井は無く、天井だったものは床一面に瓦礫となって積まれており、壁という壁は穴だらけ、もしくは壁そのものが無くなり、外の空気を漠然と通している。

 

 異様な光景。そんな光景は、けれど、目に入らず、真っ先に入ったのは、友達のクラタとカミナの姿だった。二人はキミの姿を見るなり、貯めていた涙が零れ始めた。

 

「ああ、キミ。良かったぁ」

 

 と、カミナが顔をくしゃくしゃにする。

 

「大丈夫か? どっか、ケガとかしてんじゃないのか?」

 

 クラタが慌ててキミの身体の心配をした。

 

 二人とも、身体中に砂埃や小さな傷を付けている。けれど、さっきまでの暗闇と全く正反対の、いつもの二人を見ただけで、安心が生まれた。嬉しくて、涙が零れてしまい、つい、二人に抱き着いてしまった。

 

 無事で良かったと、三人は互いに伝え合う。

 

 良かった。

 本当に、良かった。

 怖かったよぉ。

 良かった―――。

 

「うっせえぞクソガキどもッ!」 

 

 そして三人は床に崩れ落ちた。

 

 強烈な拳骨が、三人の脳天を叩いたのである。

 

「勝手に喜び合ってんじゃねえ。ったく。元はと言えば自業自得だろうがッ! はしゃいでんじゃねえッ! いつも言ってんだろうが! 授業は遅れねえでちゃっちゃと出ろってッ! テメエらのせいで、あたしの眼鏡や服が汚れたぞ、どうしてくれんだッ!」

「「ご、ごめんなさい……」」

「あ、あの、先生」

 

 と、カミナが小さく手を挙げる。

 

「私は、真面目に授業を受けてたんだけど……」

「かくれんぼの鬼なら、しっかりこのバカ二人を見つけろ」

「そんなぁ……、無理だよぉ……」

「無理でもやれ。友達なんだろうが」

 

 苛立ちを隠さない大きな舌打ちをしてから、ブンシはキミとクラタを両腕で抱え、カミナの股下に頭を入れて強引に肩車した。「さっさと逃げるぞ」と、彼女が呟き走り出すと、むわっとした熱い空気が顔一面に貼りついた。

 

 校舎―――今では、瓦礫と、中途半端に残った屋根や壁が残っているだけの建物だが―――の外は、台風でも過ぎ去ったかのように、荒れていた。校舎のように倒壊している建造物、空へと昇る大きな砂煙。日々、当たり前のように眺めていた光景を思い出させないかのような強烈な情報量に、キミ、クラタ、カミナの三人は恐怖を抱いた。何が起きているのか分からない、濃霧のような漠然とした恐怖。やがて否応なしに視界に入り込んでくる巨大な蛇たちに、息を呑んだ。

 

 蛇たちは皆、里の中央へと進んで行っている。アカデミーには見向きもしない。距離は遠い。だが、もし間違って、人よりも大きな眼がこちらを見下ろしでもしたら、絶叫してしまう事だろう。

 

「いいから、お前らは静かにしてろよ」

 

 と、ブンシは小さく呟いた。半分以上が呼吸で含まれている、慎重なものだった。彼女の表情は授業で怒るそれとは異なっていた。蛇が里の中央に向かっているのとは逆方向―――歴代火影たちの顔が彫られている、顔岩の方へと向かっていた。どうしてそこに向かって移動しているのか、すぐには分からなかったが、顔岩の下には避難所が用意されている。緊急時の事が起きた場合、そこに移動するという事は、授業で学んだ。

 

 緊急時。

 

 それが今、起きている。

 

 アカデミーの友達や、家にいるだろう親は大丈夫だろうか? と、ようやく自分以外に心が向き始める。この世で一番怖いと感じているブンシが、傍にいてくれるからかもしれない。彼女よりも怖いものを、今は知らない。

 

 顔岩に近づいてきた。あともう少しの所。建物の間隔が少しだけ広い通り。蛇が通った跡のせいで、殆ど、広場のような見晴らしになってしまっている。あともう少しで、避難所だ。

 

「止まれ」

 

 その声が聞こえるよりも、先だったように思える。ブンシが、足を止めたのは。

 

 急激なブレーキによる慣性で血液が頭に偏った。遅れて、彼女の足元の地面にクナイが突き刺さると、ブンシは舌打ちを鳴らして、クナイが飛んできた方向を睨んだ。キミたちも、つい、顔を向けてしまう。

 

 崩れた瓦礫の山の上。そこには、黒いマスクと頭巾で顔を覆った男が。唯一覗かせる目元は、子供でも分かるくらい、冷え切った視線を飛ばしてきていた。額には、音符のマークが彫られた鉄板が。

 

 木ノ葉隠れの里に、他の里の忍がいる。加えて、里の惨状。

 

 歴史の教科書でしか知らない知識が、現実となって現れたのだと、ようやく三人は思い知る。

 

 戦争だ。

 

 ブンシが授業で言っていた、戦争が、目の前にある。

 

「木ノ葉の忍だな」

 

 と、男は尋ねる。だが、肯定しようと否定しようと、大して意味など無いことは、男の冷たい視線が物語っていた。

 

「……だったら何だよ。こちとらガキ連れでよ、面倒事は勘弁してくれたら嬉しいんだけどなあ」

 

 ブンシは小さく、汗を額に浮かべながら呟いた。

 

「なあに、すぐに終わる。ガキ共々、殺してやるよ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 勿論、うちは一族がクーデターをすぐに起こそうと思うわけはなかったわ。政から外されたからと言って、警務部隊という大きな組織の中核を担うというのは、他の一族から見れば一つ抜きん出た厚遇ですものね。当時はおそらく、小さな不満程度だったのでしょう。

 

 しかし、月日が経つにつれて、その小さな不満は世代を超えて蓄積されていくわ。里の治安を担う、争い事を治めるという立場は、どうしても角が立ってしまうもの。忍としての実力は他の一族よりも抜きん出ているというのに、時には不当な声をぶつけられなければいけないのかという不満が蓄積されていく。そこで、一度は火を消した、政に参加できないという不満が起きたわ。

 

 里の中で最も貢献しているというのに、里への影響力はまるで無い。

 

 この頃ではありませんか? うちは一族が、抗議の声を出し始めたのは? ねえ、猿飛先生。貴方の性格なら、いちいち馬鹿みたいに対応していたのでしょうねえ。そして、駄目とも了承とも言えない、つまりは現状維持。私の時と同じ。亀のように鈍重な改善。それがやがて、クーデターの芽に水を与える事になったわ。

 

 でもまあ、それだけならうちは一族はまだしばらく行動を起こす事は無かったでしょうねえ。エリート集団とはいえクーデターを起こすとなれば、五大里の中でも筆頭の木ノ葉隠れの里全てを相手にしなければいけない。一か八かの大博打ですもの。そこまで彼らは愚かではないわ。……とある転機がやってくるまで。

 

 一人の天才が誕生したこと。

 

 うちはフウコ。

 

 稀代の天才が生まれた事が、うちは一族の背を押してしまった。彼女が成人し、十分な力を付ければ、木ノ葉隠れの里を転覆させることが可能になると、一族が思ってしまった。

 

 まあ、()()()()()があるかもしれませんが、それを語るのは野暮というものですよね? 猿飛先生。ナルトくんもいますし、本題に入りましょう。

 

 うちはフウコが、頭角を現し始めるのとほぼ同時期に、うちは一族の動きが不穏になってきた。具体的には知りませんが、急に抗議の回数が増えたとか、あるいはぱったりと減ったとか、そんな所ではありませんか? そして、うちは一族を監視し始めた……いえ、おそらく上層部は、その事態を想定していたのでしょうねえ。

 

 そうでなければ、うちはフウコへの厚遇が、あまりにもスムーズ過ぎる。

 

 最年少での暗部の入隊。かつて暗部には存在しえなかった【副忍】という異例の地位の設立。全ては、うちは一族の中核にさせる為のアピールでしかなかった。彼女が中核になればなるほど、うちは一族の監視の精度は高くなる。

 

 そう。

 

 貴方々は、うちはフウコを自分たちの手元に置いていた。

 

 うちは一族がクーデターを企てようとしているという情報を伝え。

 

 里の平和を担保に。

 

 半ば脅迫したのですよ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「ギャァアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああッ!」

 

 生き物が共通して出す、知性も理性も捨て去った絶叫は、足元を転がる友人が確かに発したものだった。その声はどこか彼方から聞こえてくるかのように、遠く感じる。思考は限りない白。

 

 指先の感覚を喪失してしまうほど、寒く感じた。

 

 彼女の声は遠く聞こえるのに、未だ治まる気配の無い木ノ葉と音の忍たちの戦闘の音は、酸素を大量に求める脳をガンガンと圧迫してくる。

 

 呼吸を何度しても、空気が肺を満たしている気がしない。水中にでもいるようだ。動悸は激しく、胸が痛い。大きく上下する肩には不必要な力みが拘束してくる。そして体全体が震えていた。じんわりと滲み出ていた汗が、やがて大きな一粒となって地面に落ちるのを、イタチは半ば茫然自失に視界の中に捉えていた。

 

 地面と、地面に膝を付き、乱暴に頭を振るっている友達の姿が。

 

 イロミ。

 

 呪印に全身を侵食させた。

 大切な友達は。

 口元を両手で抑えていた。

 

 特徴的な髪と長い前髪、ほどき掛けている包帯と両手の隙間から覗かせるのは、黒い炎。それが、イロミを苦しめ、傷付ける元凶だった。

 

「い……いらぃッ! いらいよぉッ! いらぃいいいいいいいいいッ!」

「………………イロミ、ちゃ―――……ッ!?」

 

 顔の右反面に激痛が走った。イロミに伸ばしかけた左手が反射的に顔を抑える。

 自分の体温よりも、そこは熱かった。激痛は原点を示すかのように、箇所を明確にしていく。右眼。眼球そのものが痛みを訴え、流血をもたらしていた。

 その流血は間違いなく、万華鏡写輪眼の発動による負荷の証明だった。

 右眼の万華鏡写輪眼に宿る、天照が、発動したのだ。

 

 ―――何故……天照が…………。

 

 顔から離して見える左手に付いた血と。

 写輪眼を解いてしまっている事が感じ取れてしまう左眼が。

 訴えてくる。

 間違いなく、天照は発動したのだと。

 お前が、発動させたのだと。

 手が震える。

 呼吸が荒くなる。

 

 天照は容易に発動できる術じゃない。間違ってだとか、咄嗟にだとか、思考を省略して実行する事は出来ない。最速でも、数秒。しかし、あの瞬間。

 

 イロミの口内が視界すぐまでに迫った、あの瞬間は。

 間違いなく、発動できる時間は無かった。

 一秒も猶予は無かっただろう。

 思考も、完全に追いついていなかった。

 避けようとも。

 助かろうとも。

 何も思っていなかった。

 だから発動する訳がないのだ。

 発動させようという意志が、思考が、生まれていないのだから。

 ありえない。

 頭の中でそんな結論を導き出しても、現実の結果がそれを跳ね返す。

 

 天照は発動してしまい、写輪眼を食らおうと開いたイロミの口内を焼き尽くしているという現実は、揺るがない。

 

 つまりは。

 そう。

 自分は。

 思ったのだ。

 助かりたいと。

 死ぬわけにはいかないと。

 いや……もっとそれ以上のことを思ったのではないか?

 だって、そうだ。

 似ている。

 感覚と、状況が。

 酷似している。

 また、あの夜だ。

 あの夜の光景と情景が、蘇る。

 フウコを殺すと。

 心の奥底から溢れ出た悍ましい殺意に、意識全てが支配された、あの夜。

 イメージした訳でも、意図した訳でもないのに。

 天照は、発動した。

 あの時と、同じだ。

 勝手に術が、発動したんだ。

 イタチの殺意に応じるように。

 そして今回は。

 あの時よりも遥かにスムーズに、術は発動されてしまった。

 導き出される答えは、一つ。

 

「…………そんな、はずは……」

 

 思ってしまったのか?

 心のどこかで。

 いや、心の中心が、奥底が。

 死んでしまえと。

 自分ではなく、お前が死ねと。

 思ったのか?

 友達を前に。

 友達の死を。

 闘争を、願ったのか?

 妹を連れ戻したいという強い想い。

 それを最優先に。

 あの夜の自分が。

 フウコを連れ戻そうとする自分を殺すなら。

 

 

 

 お前が死ねと。

 

 

 

 無意識の内に。

 

 死ねと。

 

 死ねと。

 

 お前は。

 

 お前のような化物は。

 

 フウコよりも、大切ではないのだと。

 邪魔するなら、死ねと。

 

 殺意が……。

 

 ―――違うッ!

 

 あの夜の自分は、もういない。

 

 フウコを信じると決めたあの日から。

 

「―――ッ!?」

 

 肌を刺す殺気と、左眼からの視界の端に映った砂の塊を前に、イタチは横へ跳躍した。たった一歩の跳躍は、獰猛な獣のように迫ってきていた砂の塊を一瞬で置き去りにし、けれど天照に苦しめられるイロミからは遠ざけられてしまう。

 

 天照は狙った対象を燃やし尽くすまで、対外の事象によって消す事の出来ない術である。術者が制御しない限り、消えない炎。

 

 ―――また、この砂か……ッ!

 

 すぐにでもイロミを燃やす天照を消したいというのに、砂の塊は、イロミから遠ざけるように追いかけてくる。やがて砂の塊は分裂し、片方はそのまま追いかけ続け、もう片方は寄り添うようにイロミの傍へと動きを変えた。

 

 明らかに、砂はイロミを守ろうとしている。砂を躱しながら、我愛羅を見上げた。瞳孔を広げた怒りの無表情が、こちらを見下ろしている。

 

 ―――どうして彼女を……。

 

 顔に見覚えはある。大蛇丸の内通者を見つける為に、中忍選抜試験の関係者、参加者のリストを見た時だ。我愛羅。砂隠れの里出身者。現風影の息子であること以外に特出した記述は無かった。普通の、中忍選抜試験に初参加した子供だ。

 

 にもかかわらず、初対面であるはずのイロミを助けようとしている。

 

 心の中で浮かぶ疑問。

 

 その疑問に耐えうる幾つかの可能性の生産。

 

 無意識化で行われる答え合わせは、しかし、すぐに中断させられる。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあああああああぁぁぁあああああッ!」

 

 イロミの絶叫がイタチの思考を引き寄せた。

 

 助けなければ。

 

 刻一刻と、天照は彼女の口内を焼いている。やがては肺を、その隣の心臓を、あるいは頭部を内側から焼いてしまうだろう。

 

 友達を殺してしまう。

 

 その恐怖が、冷汗をさらに多くさせ。

 

 と、同時に。

 

 砂の動きが、戸惑いを見せるかのように一瞬だけ硬直した。イロミに纏わりつく砂の端々が微かにだけ右往左往と震えたのを、イタチの写輪眼は見逃さない。

 

 速度を限界まで上げて、イロミの傍へ。纏わり付いている砂の隙間に腕を伸ばし、イロミの細い肩を掴んだ。慌てて砂が動き出す頃には、イタチは会場の端に。砂との距離は十分で、天照を消す時間もある事を視認する。

 

 運び出したイロミの両手を取る。彼女が嵌めているグローブは強く拳が作られ彼女自身の血で濡れていた。掴んだ手首にまで血は垂れ。右目を万華鏡写輪眼にし、痛みで痙攣し俯いているイロミの口内を見ようとした。

 

「すまない、イロミちゃん。すぐに炎を消す。顔を―――」

 

 いや、待て。

 

 彼女を助けたいと願うイタチとは別に、冷静な人格のイタチが語り掛けてくる。

 

 おかしい。

 

 どうして。

 

 血が、出ている。

 

 なぜ、血があるんだ。

 

 天照は全てを燃やし尽くす術だ。

 肉も、骨も、血管も、血液さえも。

 何もかもが跡形もなく燃え尽きてしまうまで燃え続ける業火なのに。

 今も尚、彼女の口内は天照が煌々と燃えているはずなのに。

 どうして。

 

 血が。

 

「ぅぅぅぅ…………―――ヒ………ヒヒヒヒヒヒ……」

 

 太く歪んだ声―――いや、音。そう、パイプにただ空気を強く送り込んだような、音だ。

 

 彼女はゆっくりと顔を上げる。

 

 口元は無かった。

 

 唇は溶け、歯と歯茎は消え、舌は燃え。

 

 焦げ臭さと小さく残った喉だけ。声の太さと歪みは、口内に音を調整する器官が全て焼き尽くされていたからだった。

 

 眼球が無く、口は無く、肌は紫で、前髪は自身の血で赤く染まっていた。

 

 もはや見る影もない友人の姿に、イタチは悪寒を走らせてしまう。

 

「ヒヒ、ヒヒヒヒ。おいい、あっあ……」

 

 音を発するイロミの口から、生臭さと焦げ臭さが攪拌された汚臭がイタチの鼻先を撫でる。天照は、どこにもないのは確かだ。だが、ただただ、人間の成れの果てのような悲惨な顔の彼女に、イタチは恐怖だけしか抱けない。

 

 彼女をこんな姿にしてしまったことの。

 彼女のこんな姿を見てしまったことの。

 

 恐怖。

 

 頭が痛い。

 

 脳の神経がショートしそうなほど、感情が、思考が、乱雑になっていく。それはまるで、オバケを見てしまった子供のそれと酷似している。現実から目を背けたい衝動だけが最も強くイタチの後頭部を熱くした。だが、写輪眼を解かず、イロミを見続けていた。

 

 そして見る。

 

 何もかもが燃え尽きたはずのイロミの口内が、蠢くのを。

 

 白い歯が生え始める。

 

 歯茎が上顎と下顎を押し上げて土台を作る。

 

 唇はドロドロと零れ落ちる血と体液が形となって肉を得た。

 

 そして、彼女は言う。

 

 生えたばかりの長い舌でべっとりと新しい唇を舐めてから。

 

「キャハハハ。熱かったけど、美味しかったぁ。前にイタチくんを齧った時よりも、イタチくんの味が、匂いが、スゴイィ、濃かったぁ」

 

 まるで天照を食べ終わったかのように、イロミは胃の中の空気を吐き出した。

 

「ねえ、イタチくん。もっとぉ、食べさせてぇ?」

 

 本当に彼女は食べたのか。

 

「まだぁ、まだぁ? キャハハ、私を殺そうとしてよぉお……」

 

 口は治ったが、本当に大丈夫なのか。

 

「さっきの炎、出してぇ。その……キレイな眼からぁ……」

 

 そんな考えを他所に、未だ発動している右眼の写輪眼は、イロミの挙動を先読みした。

 

 両手がまた顔を捕えようとするビジョン。

 

 彼女の顔は、邪悪に嗤う。

 

 その所作には、一切の躊躇は無く。

 

 押し寄せてくる死の恐怖に、イタチの本能が身体を動かした。

 

 ―――……ッ!?

 

 二人の動き出しは全く同時だった。

 ビジョンをなぞるイロミの両腕。その両腕を止めようと、クナイを一瞬で取り出す。投擲されるクナイはイロミの両肩、両肘の関節を間違いなく打ち抜いた。肩から先の部位が、肘から先の部位が、力を無くす。

 

 しかし、イロミは止まらない。痛みを楽しむかのように、イロミは「キャハハ」と嗤いながら、両足と巨大な尾を駆使して、弾丸の如く身体全身を前に押し出した。

 

「……くそッ!」

 

 全力で身体を傾け、彼女の突進を躱す。そのままイロミの身体は観客席側の壁に激突した。石造りの壁は音を立てて崩れ落ち、立ち上る砂埃がイロミの姿を隠す。イタチはじっと写輪眼で見つめ続けると、ビジョンが生まれる。そのビジョンに従い、イタチは横に飛んだ。コンマ数秒遅れて、頭上から降りてきたイロミの踏み付けが、地面を大きく砕いた。生まれる突風。弾き飛ばされる砂と石のつぶてが、イタチの頬の皮膚を切る。

 

 左眼の写輪眼はまだ、発動できない。チャクラを練ろうすれば、激痛が走り、反射的に瞼を閉じてしまう。たとえ予測が立てられなくとも、高速で動き回る彼女を前に、片目だけで対峙するのは困難だ。

 

 だがすぐに、別の思考が入ってくる。

 

 ぐちゃぐちゃと、五月蠅く、やかましく。

 

 そんなものは言い訳だろう? と。

 

 語り始める。

 

 お前が彼女をじっと見るのは、殺されたくないだけか?

 殺す為じゃないのか?

 アレは、化物だ。

 里を壊す、災害だ。

 掟を破った、敵なんだ。

 忍は……何よりも、平和を支えるのが、第一だ。

 フウコが帰ってくる家なんだ。

 なら、殺さなくてはいけないと、思っているはずだ。

 

 ―――今は、余計な事を……考えるなッ。

 

 イタチは必死に自分に言い聞かせる。

 天照が勝手に発動したこと。

 自分が本当に彼女を殺そうと思ったのか? という事。

 それらを全て、思考の外に無理やり追いやる。

 今、最も大事なことは。

 友達を救うこと。

 目の前で起きる悲劇を、今度こそ止めることだ。

 だが、思考の一部を追いやるという行為は。

 つまりは、意識してしまうという事に他ならない。

 オバケなんていないと呟いてしまえば呟いてしまうほど、心がオバケを肯定するように。

 

 追いやった自分が、強く主張してくる。

 

 天照は、お前が使ったんだと。

 あの夜と同じ、お前が。

 そうでなければ、術は発動しない。

 何度も言わせるな。

 自分の身体だ。

 自分がよく知っているはずだろ?

 

「キャハハハハッ! イタチくんはぁ、やっぱりスゴイァナ? 食べさせてよ……。さっきの炎だけでもいいから………あ、アレレ?」

 

 再度、弾丸のように突進しようと膝を曲げたイロミは、力なく、前のめりに倒れた。イロミの踏み付けによって砕け、周りのよりも低くなっている地面のせいで、何が起きたのかはすぐに分からなかった。だが、両腕と尾を駆使してイロミが地面から這いずって出てきて、理解した。

 

 両足が―――膝から下の部位が、ぐちゃぐちゃに折れ曲がっている。

 

「ア、レレ……足が、壊れちゃったぁ………?」

 

 不思議そうにイロミは頭を傾げる。痛みを、感じていないのか―――それとも、視覚を失ったせいで状況整理に意識が追いついていないのか。立ち上がろうと何度も試みるが、イロミは何度も地面に倒れ、バタバタと両手を動かしている。

 

 自分の能力を、理解できていない。イタチはそう判断した。本人自身も、言っていたではないか。

 

 身体の感覚がぼんやりとしている。

 スポンジみたいだと。

 

 おそらく、櫓での速度が、彼女の限界だったのだ。呪印に呑み込まれ、荒れ狂う情動に従ったままの動きは、本人の身体の強度と釣り合っていない。

 

 このまま暴れさせたら、いずれイロミが壊れてしまう。

 

 殺せと、別の自分が乱暴に叫ぶ。ガンガンと頭を叩き、身体を勝手に動かそうとする。里を守る為に。きっと、その主張は正しいのだろう。

 

 だけれど、あの夜を過ぎて、誓ったのだ。

 

 何も、失わないと。

 

 奪われることは決してしないと。

 

 イタチの両手が紡ぐ印は、封印術。呪印を封じ込めようと、イロミを助けようとする意識の方が上回った。印を終え、チャクラを右手に。そのチャクラをイロミの頭部へと当てようとする―――だが、砂が、間に割って入った。チャクラが、届かない。

 

 何度も。

 何度も何度も、邪魔を―――ッ!

 

 苛立ちによって感情は逸る。その速度に追随しようと、思考は進むが、着地点が見つからない。散漫とした思考経路は結論を出せないまま、腕を絡めとろうとする砂から離れる動作を余儀なくされた。

 

 ―――先に、術者を始末した方が……。

 

 また一つ、思考は分岐してしまう。

 術者を殺すほどの余裕は与えられるだろうか。

 動けないでいる今しか、イロミを救えないのではないか。

 影分身の術を使用したとして、今はピッタリと隙間なくイロミに貼り付いている砂を排除し、イロミに封印術を施せるのか。あるいは、再び、天照が暴発しないか。

 

 枝分かれは止まることを知らない。

 

「火遁・豪火球の術ッ!」

 

 そんな時に聞こえてきたのは、弟の声だった。

 声の先を見ると、巨大な炎の塊が一直線に、我愛羅を目掛けて放たれていた。炎は巨大な爆発を巻き起こし、観客席にいるカンクロウとテマリに向かって熱気を生み出させ、我愛羅の姿は炎で完全に見えなくさせた。

 

「サスケッ!」

 

 イタチは観客席に立つサスケを見上げた。術を放ったのは、彼だった。

 

「ここはお前の力は必要ない。避難所に行くんだ!」

「そんなこと言ってる場合じゃねえだろッ!」

 

 写輪眼となった彼は苛立たし気に叫んだ。

 

「さっさとアホミを止めろよッ! そうしねえと―――ッ!?」

 

 炎の中から襲い掛かってくる砂を、驚きの表情でサスケは躱した。サスケは炎の中を見据える。彼の眼には、炎の中に揺らめくチャクラの塊がはっきりと映っていた。やがて炎が消えると、身を守る砂と共に、我愛羅が冷徹な視線を送ってくる。

 

「邪魔をするな」

「それはこっちの台詞だ。アホミの奴から離れろ」

 

 サスケと我愛羅が対峙する。

 

 思考が、やはり、また、分岐する。

 

 木ノ葉と音の忍の乱戦だ。いつ、彼に火の粉が飛ぶか分からない。早く避難させなければ。

 

 イロミを助けなければいけない。

 

 サスケを避難させなければいけない。

 

 フウコが帰ってくる木ノ葉を、守らなければいけない。

 

 幾重にも渡る思考と想定は、同時に、イタチの感情を引き裂き始めていた。

 

 考えれば考えるほど、何かを切り捨てなければいけないものばかりだ。イロミを助けようとすれば、サスケが助からないかもしれない。サスケを助けようとすれば、イロミが助からないかもしれない。はたまた、全てが、終わるかもしれない。

 

 大切なものが一つ一つと、想定の中で失われていく。その恐怖が、焦りを生み、冷静さを蝕んでいく。

 

 時間は刻々と葬り去られ。

 

 状況は蛇の胴のようにうねり始める。

 

「まだ……私は、戦える…………」

 

 イロミを見た。

 

 残った両手を駆使して、身体を起き上がらせようとしている。狂気の笑みではなく、歯を食いしばった表情だった。

 

「今は、戦ってるんだ……。()()()()……、戦ってるんだ。足が、壊れたくらい、大丈夫……。身体が壊れたなら……食べれば、いいんだから。ここには、いっぱい、ご飯がある。生きてるのも、死んでるのも……ッ!」

 

 全部食べればいいんだ。

 最後は、全部食べるんだから。

 食べ尽すんだからッ!

 

「ギィイイイァアアアアアアアッ!」

 

 犬歯を剥き出した彼女の絶叫は、痛みと怒りを孕み、彼女の尾は闇雲に地面を叩き始める。会場の殆どの者の視線を招き入れてしまった。戦闘の音が一瞬だけ静かになる。

 

 イロミの背中が、盛り上がる。

 頸椎以下から、尾てい骨に渡って。

 つまりは、背骨丸ごと。

 筋肉や臓腑が内側から意志を以て皮膚を突き破ろうと、凸凹と背を蠢き始める。上半身の衣服は盛り上がりに耐え切れず破れ、彼女の肌が露わになる。紫に変色した上半身。背の皮膚が、いよいよと突き破られると大量の血液が噴出する。

 

 痛みによるイロミの絶叫は乾いた息の比率が大きくなる。血は、彼女自身の肌を真っ赤に染めた。

 

 背中から現れたのは、人一人を簡単に呑み込んでしまうほどの大蛇。

 

 しかも、それは六匹いた。

 

 イロミの血で皮膚を赤く染めた蛇たちは、獰猛な瞳を動かして、平たい舌を俊敏に口から出し入れしている。まるで、イロミに代わって眼を使い、餌を求めるかのように。

 

「ギヒヒヒヒ……ヒヒヒヒヒヒヒヒ…………見て、見て……イタチくん。これが、私の才能…………。周りには、いっぱい、私の才能になってくれる人が……。全部、全部、食べれば……ッ!」

 

 君を食べられるかなあ?

 

 大蛇は身体を伸ばす。体内に折りたたまれた大腸を引き延ばしたかのようだ。大口を開けた大蛇は、木ノ葉も、音も、生きている者も死んでいる者も、有象無象関係なく、捕食し始めた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 ナルトくん。

 

 貴方は不思議に思わなかったかしら?

 

 どうして、うちは一族の中で、サスケくんとイタチだけが生き残ったのか。

 

 それはね。

 

 木ノ葉が出した条件だったからよ。

 

 うちはフウコも人の子。同族を殺す事を考えるだけでも苦しかったでしょうねえ。親を殺す事を考えるだけでも、身を切る思いでしょうねえ。そして、愛する兄弟を殺す事を考えると、いざ平和を担保にしても、傀儡にはなってくれない。最悪、大切な人だけを連れ出して里から逃げ出してしまう可能性も十分にある。

 

 故に、二人の命を助ける事だけは、木ノ葉は許したのよ。

 

 でもまあ、それでも。

 

 彼女は苦悩したでしょうねえ。

 

 一族を滅ぼせば、里の平和は守られる。けれど、親を殺してしまう。犯罪者として里から離れ、死ぬまで平穏の中に戻る事は無い。大切な人と会う事が許されないのはおろか、兄弟からは恨まれ続ける。自分の人生を捨てるに等しい行為よねえ。死ぬよりも辛い選択。

 

 不安が消える日は無かったはず。

 恐怖に苛まれない夜は無かったはず。

 朝の陽を見る度に現実を否定しようと思ったのは毎日だったでしょうねえ。

 

 けれど彼女は、実行した。

 

 自分の人生を全て賭けて、木ノ葉を守った。

 

 分かった? ナルトくん。

 これが、簡単ではあるけれど、うちはフウコの真実よ。

 彼女自身から、私が確かに聞いた真実。

 クク、どうしたの?

 そんな怖い顔をして。

 貴方が知りたがっていた真実を語ってあげたというのに。

 もっと、嬉しい表情を見せてほしいわね。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 夜だ。

 

 夜が在った。

 

 吸い込まれるような漆黒の夜空。薄い雲が疎らと浮かび、星々がひっそりと浮かんでいる。里の灯りは街灯を残して消えているというのに、夜はぼんやりとした白い光に照らされていた。夜空に浮かぶ満月のせいではないのかもしれない。

 

 そう。

 

 これは、夢。いや、意識は身体から離脱していない。身体は確かに、半透明の紫色の結界の前に立っている。【戦争】の音が鼓膜を圧迫もしている。結界に押し付けた両手が焼けている痛みも、確かに感じる。

 

 それでも、見えてしまうのだ。そこに在るんだ。

 

 夜が。

 

 大切な人と、唯一会う事が許された時間が。

 

 いつ頃なのかは分からない。きっと、修行後なのだろう。

 

 目の前には、彼女がいる。汗だくで地面に横になっている自分のすぐそばで、片膝を立てて座っていた。そよ風に、長い黒髪が揺らされているだけの横顔は、綺麗だった。

 

『疲れた?』

 

 と、彼女は訊いてきた。赤い瞳が、何の雑味もないクリアな視線を送ってくる。当時の自分なら強がって呑気に笑ったはずだ。こんなの、大したことじゃないと。疲れている様子なのは、むしろ、彼女の方で。そのことは分かっているのに、彼女と話しがしたくて、彼女に頑張ってる姿を見てほしくて。そもそも、結局のところ、かまってほしくて。

 

 ―――あの時、フウコの姉ちゃんは……、ずっと、一人で……。

 

「サルよ……この男の話は誠か?」

 

 結界の向こう側にいる扉間の声に、ナルトの意識は半分ほど、現実に向き直る。

 

「木ノ葉が……フウコを里から追いやってしまったのか?」

 

 フウコの事を、まるで知っているかのように語る、白髪の男。まるで乾いた紙粘土のようなボロボロとした皮膚で、生気を感じない姿だが、彼の声は静かに震えていた。フウコと彼が、どういう関係なのか、疑問に抱けるほど、余裕はない。おもむろに、ヒルゼンに視線を向けた。

 

 ヒルゼンは……彼は、応えない。

 

 苦しんでいるかのように、悲しんでいるかのように、逡巡するかのように。

 

 下唇を噛んでいた。ヒルゼンと、短く視線が交差する。

 

「…………なあ、じぃちゃん」

 

 と、ナルトは声を漏らしてしまった。

 

「うそ……だよな?」

 

 そんな言葉を、選ぶつもりはなかった。

 本当なのか、と聞きたかった。

 どうして消極的な言葉を選んだのか。

 フウコの真実を確かめるべきなのに。

 だから。

 試験会場に到着した時に、イロミではなく大蛇丸の元へ―――イロミを助ける意味合いも込めて―――向かったのに。

 何よりも、優先すべきなのに。

 頭の中で、何かが訴えかけてきたのだ。 

 

「真実よ。何から何まで」

 

 答えたのは、大蛇丸だった。

 

「何か反論があるなら、すぐにでも出来る筈よ。なのにしないというのは、することが出来ないということなのだから」

「じゃあ、本当に……フウコの姉ちゃんは…………」

 

 里を守って―――。

 

「木ノ葉は、今までひた隠しにしてきた事の落とし前を、彼女一人に背負わせた。二代目や、猿飛先生らが生み出してしまった事を、何の関係もない世代の彼女が、背負わされ、謂れのない汚名を囁かれる。狂気の沙汰ね。ナルトくん、貴方も分かるでしょ? この里がどれほど狂ってるか。皆、呑気に平和を過ごして、その平和を支えた張本人の不名誉を語る。だから、あの子も戦っているのよ。うちはフウコを取り戻す為に、この里を滅ぼす為に」

 

 キャハハと、嗤い声が聞こえてきた。それは、眼下で暴れているイロミの嗤い声。振り返る頃には、抉られた地面の中心で前のめりに倒れているイロミの姿があった。遠目からでも、彼女の両足が無残に壊れているのが分かる。

 

「イロミを……あやつにあのような事をさせているのは―――」

「私はあくまで呪印を与えたに過ぎないわ」

 

 ヒルゼンの言葉を大蛇丸が遮る。

 

「たしかに、私の呪印には闘争本能を極端に助長させる副作用があるわ。けれど、呪印を使用するかどうかというのとは、別の話よ。あの子が望んで、里の敵になったのよ。木ノ葉を、うちはフウコに罪を被せた木ノ葉を、彼女が望んで闘争に挑んでいるのよ。ただ、自分には才能が無い。それを分かっているから、呪印に身を任せているだけ。うちはフウコの真実を知りたいと言った彼女に、真実と力を、私は与えただけなのよ」

 

 まあ、と大蛇丸はイロミを見下ろした。

 

「今となっては、自分が何をしたいのかなんて、あの子自身にも分かってないでしょうけどね。呪印から解放された頃には、何も覚えていないでしょうねえ。たとえ木ノ葉を食らい尽くしても、実感なんてありゃしない。……だけど、それ程までに許せなかったのでしょうね。―――友達を奪った、この里を」

 

 今度は、別の夜が姿を現した。

 そこには二人の姿。

 イロミとフウコが隣り合って立っている。

 

『ねえねえ、フウコちゃん。やっぱりね、思うんだけど、こんな暗い夜で修行なんて危ないよ』

 

 と、イロミは言う。危ないという割には、どこか、探検でもしている子供のそれであるかのような、弾んだトーンだった。

 

『今日は満月だから、大丈夫』

 

 対してフウコの声のトーンは変わらない。

 

『満月だけどね。そりゃあ、見れば分かるよ。明るいもん。でもさ、お月様は毎日満月なわけじゃないよね? それに、曇りとか、最悪雨の日とか、ある。そういう日も修行してるの?』

『雨の日は家で勉強させてるの。曇りの日は、やってるけど』

『じゃあ、今日より暗いわけだね。うん、危ないよね』

『任務は朝と夜は選べないよ。これも修行のうち』

『ナルトくん、今からでも良いから私に弟子入りした方がいいよ? この調子だとフウコちゃん、任務じゃ衣服も選べないからって理由で、裸で修行をさせてくるかもしれないよ?』

 

 本心なのかジョークなのか分からない事を、真顔で言ってくる彼女に、ナルトは小さな笑みを浮かべてしまう。イロミの横では変わらず無表情のフウコは、状況を理解できていないようだった。

 

 ボールのように弾むイロミと、水面のように平坦なフウコ。まるで正反対な二人の姿は、けれどパズルの破片のように、ピッタリと完全な形だったように思える。二人がアカデミーの頃からの友人だという事は知っているが、それ以上に深い関わりは知らない。日々どんな事をしていたのか、どんな話をしていたのか。しかしそれを聞かずとも、二人の繋がりが深い事は見るだけで十分に分かった。

 

 それは今、絶叫を上げ、背の内から六匹の大蛇を生み出しても尚、覆るものではない。むしろ、あんな人の姿を半ば捨てているような彼女は、彼女がどういう想いであそこにいるのかが分かってしまう。

 

 純粋な怒りと憎しみ。

 

 泣いているようだと思った。

 

 そしてイロミの絶叫は、ナルトの感情を誘い乱す。

 

 また、別の、夜。

 

 けれど、毎日の、夜でもあった。

 

 修行が終わってから、家に帰るまでの短い時間。

 

 フウコと手を繋いで歩いた夜道。

 

 今までで、何よりも最上級だったあの時間が、呼び起こされる。

 

 他愛もない会話をした。一方的に自分が喋った時もある。

 

 だけど何よりも、ただ二人静かに、夜道を歩いていた時が、美しかった。

 

 完成されていた。

 

 手の温かみは今でも思い出せる。

 

 それこそが、ナルトにとっての全てだった。

 

 火影を目指すと志した、ナルトの全て。

 

 大切な人と再び会う為の、全て。

 

「……なあ、じいちゃん。本当、なのか?」

 

 振り返りヒルゼンを見つめるナルトの両目には、涙が溜まっていた。表情は悔しそうにも、苦しそうにも、あるいは最後の希望に縋る様でもあった。

 

「じいちゃんの口から言ってくれ……」

 

 本当に。

 本当に!

 本当にッ!

 

「フウコの姉ちゃんに、うちは一族を滅ぼすように言ったのか? あんなに優しかったフウコの姉ちゃんに、そんなひでえこと言ったのかよッ!」

 

 今度こそナルトは、正しく尋ねた。

 

 信じたくはなかった。

 

 ナルトにとって、木ノ葉隠れの里というのは、フウコと共に過ごした場所、という以外の意味が付属されてしまっている。唇を震わせているヒルゼンを見ながらも、ナルトの頭の中には、幾人かの人物の顔が思い浮かぶ。

 

 イルカであったり、カカシであったり。

 サクラであったり、サスケであったり。

 

 他にも、まだ数えられるくらいの人物ではあるけれど。

 

 大切な人がいる。

 

 アカデミー生だった頃のように、大嫌いな大人達が住む場所だけではなく。

 

 大切な人が住む場所でもあった。

 

 だから。

 

 そう。

 

 彼ら彼女らの顔が浮かんだのは。

 

 ストッパーだった。

 

 意識のどん底―――いや、意識の外側から重々しく響き渡り始める、獰猛な獣の唸り声から守る為の、最後の。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 この場面。

 

 木ノ葉崩しという舞台における、この場面。

 

 ナルトが、扉間の前にいるヒルゼンに、正しく、真実の有無を尋ねるという場面。

 第二の試験でナルトの実力と、九尾のチャクラの引き金の条件を確認してから。

 大蛇丸が思い描いた、理想の瞬間であった。

 

 ―――さあ、どうしますか? 猿飛先生。

 

 ヒルゼンの唇は震えている。視線は空を見る訳でも、大蛇丸を見る訳でも、ましてや扉間やナルトを見る訳でもなく、地面だけを。彼が何を考えているのか、大蛇丸には手に取る様に分かってしまう。

 

 ―――もし里を第一と考えるならば、この場は私の話を否定すればいい。けれど今は、目の前の御二人への義理を通す事、ナルトくんに真摯に向き合おうとする事に迷っている。

 

 大蛇丸は、フウコから事情を聞いている。

 浄土回生のこと。

 それ以前のこと。

 うちは一族の真実も。

 

 本当の、()()()()()()から。

 

 そして、答えは出た。

 

「……すまぬ、ナルト」

 

 勝ったと、大蛇丸が確信した瞬間。

 

 四紫結界が震えた。

 

 いや。

 

 空気が震えたのだ。

 

 赤いチャクラの柱が木ノ葉隠れの里の青空を貫く。

 

 戦争は、ほんの束の間、止まり。

 

 木ノ葉隠れの里に一瞬だけ舞い降りた静寂を、獣の叫びが巨大に叩き壊す。

 

「あらあら、()()にもなると、そんな姿になるのね」

 

 大蛇丸は勝ち誇りながら笑う。

 

 紫色の結界の向こう。

 

 そこには、全身を血の様に赤く染め、四本のチャクラの尾を生やした、小さな化け狐の姿があった。

 

 

 

 ? ? ?

 

 

 

 ―――……お願いします。

 

 ―――どうか、彼を。

 

 ―――ナルトくんを。

 

 ―――助けてください。

 

 ―――今の私ではもう、止められません。

 

 ―――ナルトくんの身体を動かす事も、もう。

 

 ―――波の国のようには、もう。

 

 ―――だから、どうか、御力を。

 

 ―――御二人の、御力を、どうか里の……いいえ、ナルトくんの、為に。

 


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