いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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七足す二は、九

 その瞬間……殆どの者は呼吸を忘れてしまった。

 西の空に浮かぶ、不吉を余すことなく含ませた巨大な入道雲を見てしまった衝撃を何十倍も濃くした間だった。そして、肺から全ての空気が抜け出るようなため息を零す。たった一秒でも気を抜くことが出来ないというのに。

 例えば、試験会場で音の忍と戦闘を繰り広げていた者たち。

 例えば、街を襲う巨大な蛇に立ち向かう者たち。

 例えば、非戦闘員を避難所へと誘導させる者たち。

 

 そう。

 

 例えば。

 

 不安定さが目に見えてしまうイタチと、まだ幼いサスケ、そのどちらを助けるべきかと、イロミの背から生まれた大蛇を躱しながら逡巡していたカカシ。

 ナルトを守る為にいたはずなのに、大蛇の襲撃と共に目の前に現れた白い着流しの灰色の髪をした女性によってそれを阻まれた自来也。

 始まった木ノ葉と音の忍による戦闘、そして目の前に飛ぶ血飛沫を浴びてその場を動けなくなってしまった綱手。

 

 役割も状況も異なり、危機的な事態である者たちは、その瞬間、その刹那だけは、見上げたのだ。

 

 日常を象徴とする蒼い空に意を唱える、真っ赤なチャクラの柱を。

 

 数瞬の遅れを経て、チャクラの波動はやってきた。感知忍術に長けた者でなくとも、それこそ直感的な認知しか持たない赤子でさえも感じ取れてしまうほどの衝撃。震える空気が、木ノ葉に悪しき記憶の残滓を呼び起こさせようとさせる。やがて、獰猛な声が響き渡ると、記憶は起きる。

 

 九尾の化け狐。

 多くの命を貪り屠った、化物。

 

 記憶の起こりは当然のように恐怖を招き入れる。苦しく悲しい記憶は、身体と思考を硬直させる。たとえ、エリートと呼ばれる上位の者であっても、そう簡単に動き出すことは出来ない。

 

 それは、はたけカカシにとっても例外ではなかった。九尾が暴れた事件以前から家族のいない彼にとっても、事件への恐怖はあった。九尾との戦闘には加わりはしなかったが、短い時間だけではあったものの、人の命が紙吹雪かのように消えていく光景は生物的な恐怖を抱いたものだ。

 

 だがそれでも尚、恐怖に震えながらも、カカシは真っ先に動き出していた。

 

 ―――こんな時に……ッ!

 

 観客席を駆け抜けている間に邪魔してくる大蛇を容易に躱しながら進んでいく。片目は写輪眼。戦闘の為に発動させたが、今は殆ど意味を成してはいなかった。

 

 音の忍たちの殆どが、殺されたのだ。

 

 イロミが背から生やし動かす、六匹の大蛇に。

 

 上半身か下半身を噛み砕かれるか、全身を丸呑みされるか。次々と捕食されていった音の忍は、今ではもう数えるくらいしかいない。戦闘はもはや崩壊している。まだ誰一人として欠けてはいない木ノ葉の忍たちは、大蛇から意識を失っている大名や下忍の子らを守ろうと動き始める。

 

 心の中で微かに祈る。

 

 不安定さが目に見えているイタチと、無謀にも好戦的なサスケ。その二人をサポートしてくれる者が現れてくれることを。

 

 本当なら、自分がすぐに対応をしたかった。

 する、予定だったのだ。

 

 九尾―――ナルトが、姿を現すまでは。

 

 真っ直ぐに、櫓の上にいるナルトを見る。波の国で見せた姿と同じだ。濃すぎる九尾のチャクラによってボロボロと剥がされ、全身が血に染まっている。人間の知性を失い、獣のように四足歩行の姿。ギラギラとした開き切った瞳孔は、熱すぎる呼吸を静かに漏らしながら試験会場を、いや、木ノ葉隠れの里全体を見下ろしていた。

 

 ―――まだ……尾は四本…………。だが―――

 

 様子がおかしい。

 

 波の国の時の暴走は、いつ弾けるか分からない爆弾のように思えたが、微かな指向性があったように感じた。目的の物を破壊さえできれば、その他の全てが粉々になっても構わないといった、本当に、ごくごく小さな狙い。

 

 だが、櫓の上にいるナルトには、それが感じ取れない。

 

 もう何でもかんでも、壊れてしまえばいい。

 

 壊れて消えて、いなくなってしまえばいい。

 

 そんな感情が……感情をかなぐり捨てた本能が、見えたのだ。

 

 どちらにしても。止めなければいけない。

 

 里を守る為ではなく、ナルトを守る為に。

 

「おっと、ここからは先にはいかないでほしいものですね」

 

 およそ観客席の端に近付いた時、一人の男が前に立ちはだかる。木ノ葉の暗部の面を被り、白いコートに身を包みながらも、くぐもった声は聞いた事のあるものだった。確かな面識は無く、一度見て、一度声を聞いただけ。中忍選抜試験の二次試験会場でだ。

 

 カカシは足を止める。

 

 その者の動きが、単なる下忍のソレでは無いことに、経験的な警戒心が働いたのだ。

 

「……お前、薬師カブトか…………」

「すぐに分かりましたか。流石に、貴方ほどになると簡単な変装は意味がないみたいですね」

 

 薬師カブトは落ち着き払った所作で面を外した。余裕たっぷりの表情には、カカシへの警戒心は然程持ち合わせていないようで、だからこそなのか、場慣れした空気を感じ取る。

 

「まさか、木ノ葉の下忍が、大蛇丸の部下だったとはな。道理で、音の忍が多く中に入り込めるわけだ」

「ええ、まあ……。確かに大蛇丸様の部下ではあるんですけど……。単なる下忍だと思われたままだと、僕としてはいささか不愉快ですね」

「悪いが、今はお前の自慢話に付き合っている暇は無い。邪魔をするのなら」

 

 警戒を解く。

 守る体勢から、攻める体勢へ。

 

「死ぬ羽目になるぞ」

「それは御免ですね……。なら、僕ではなく―――彼が相手をしましょう」

 

 カブトの言葉を合図に、背に隠れていたのか、君麻呂が姿を現す。低く這うような姿勢で駆けてくる彼の右手からは、鋭い骨が皮膚を突き破って得物と化していた。下段から首元を正確に狙いすました骨の軌跡は鋭い。

 

 しかしそれでも、カカシにとってはまだ遅い部類として評価される。写輪眼を発動していなかったとしても、容易に観測できてしまう。

 

 攻撃を躱しながら、カカシは姿勢を崩した反動を利用して君麻呂の顔面を蹴り抜く。

 

 顔面の骨を砕く勢いと力で蹴り抜いたのだが、君麻呂は気を失う事は無く、後ろに吹き飛ばされる衝撃を床と足の接着面でブレーキを掛けながら、数メートルほど後ろに後退するだけだった。

 

 君麻呂の顔は、骨を砕かれてはいなかった。

 

 口の中が切れた事による出血を、口端から少しだけ零すだけのダメージ。

 

「頬を固めたはずなんだが……ただの蹴りでさえ、剥離させられるとはな……」

 

 浮かべる無表情は強がりではなく、自然体。

 冷静に力の差を分析しているのだ。年齢は、ナルトやサスケと大して離れていないだろうその体躯とは見合わない、不釣合いな場慣れの空気を感じる。

 

 ―――何か、特別な術を使っているな。

 

 子供であっても、成人の忍を殺せてしまう者はいる。

 得てして、予想外の術を使用する。

 そういう手合いは厄介だ。

 上忍クラスの忍術のような、シンプルな力強さが無い。変則的で、初見で逃れるのは困難というのが相場が決まっている。写輪眼を以てしても、最悪の場合は大いに考えられる。

 

 だが、今は慎重に戦っている暇は無い。

 

「カブト先生……ここは全て、俺に任せてください」

 

 君麻呂が、静かにカカシを見据えながらチャクラの質を変化させているを、写輪眼は確かに捉える。泥の中から見え隠れする鋭い金属片のような、恐ろしさ。

 

 呪印。

 

 イロミが自身の肉体を大きく変貌させた際に感じ取った物と、ほぼ同一のチャクラだ。

 

 首筋から幾何学的な模様が浮かび始める。

 

「いいのかい?」

 

 と、カブトは薄く笑いながら尋ねた。

 

 予め想定していたと言わんばかりに。

 

「いくら身体の状態が回復しているとは言え、まだ試験段階だ。呪印を発動すれば、どんな事になるか、僕ですらも予想が付かない。控えた方が良い」

「いえ……やらせてください。今は、大蛇丸様の為に……彼女の為に…………自分の全力を出したいんです」

 

 幾何学的な模様はやがて、君麻呂の皮膚全てが紫色に埋め尽くされようとした。

 チャクラの質はより濃密に、鋭利を増す。

 厄介さは、最悪な地点に近づいた。

 

「キャハハハハハハハハッ! そこに、美味しそうな匂いぃいいいいいッ!」

 

 イロミの奇声に呼応して、大蛇の毒々しい眼球が君麻呂たちを捕捉した。咢を限界まで開けた口はもはや壁に等しい。君麻呂、カカシ、カブトの三人はそれぞれ大蛇から逃れようと後退。三人がいた場所は座席事粉砕される。

 

 ―――やれやれ……。アレにも困ったものだな。いくら悪食だからといって、君麻呂まで食べようとするなんて。

 

 と、カブトは心の中でため息をした。

 

 やるべき事は殆ど残っていない。

 

 木ノ葉の下忍として侵入し、ナルトの調査。

 砂隠れの里の忍との連絡役。

 猿飛イロミの細胞と彼女に移植されていた眼球の解析と、試薬の開発。

 音の忍を木ノ葉隠れの里に潜入させる。

 

 大蛇丸が用意し、復活させた代物を、ナルト誘拐に使い―――こちらは、どちらかというナルトを護衛していた人物らを振り払うだけの効果しかなかったようだが―――、ナルトにフウコの真実を伝える。

 

 残された仕事を言うならば、大蛇丸を死なせないこと。暴走したナルトやイロミの牙が大蛇丸に向くのではないかという危惧くらい。四紫炎陣は、九尾の力では破壊されてもおかしくない。イロミの力も、何人もの人間の努力と才能を捕食したせいで、限界値が予測できない。

 

 今の木ノ葉は、静電気が溜まった枯れ葉が敷き詰められている状態に等しい。

 

 いつ火が付き始めるか。そして、火がついてしまえば燃焼は一瞬にして全てを灰にする。木ノ葉を滅ぼすタイミングを見極めなければいけない。さもなくば、滅びの火の粉が飛んできてしまう。

 

 ―――……まあそれも、あの方の気分次第だけどね。

 

 見上げる櫓。大蛇丸の姿は見えず、九尾に化け始めたナルトがいる。

 

 きっと大蛇丸は、嬉しそうに笑っている事だろう。

 

 その無邪気でありながらも邪悪な、ちぐはぐとした狂気染みた感性が変に転ばない事を祈るばかりだ。

 

 ―――と思っている間に……まずはここが危ないな…………。

 

 ナルトの足―――四足姿勢である今は、後ろ足と言うべきか―――が大きく曲がる。鋭い眼光は試験会場を一心に見つめているのは、明らかにここへ降り立とうとしている。

 

 いや、降り立つなんて言う生易しいものではないはずだ。

 

 突撃するつもりだ。

 

 砲弾のように。

 

 弾丸のように。

 

 試験会場をあらかた消し飛ばすつもりで。

 

 咄嗟に避難することを考える。

 

 暴走したばかりのナルトを止められないようにとカカシの前に立ったが、その必要は無さそうだ。頭の中に入れておいた逃走ルートに移動しようとする。

 音の忍や砂の忍の事も一切考えず。

 むしろそう、イロミも死んでくれてしまえばいいと。

 

 あんな。

 

 あんな出来そこないも、巻き添えに死んでしまえばいいと。

 

 しかし奇しくも、そのルートを使う必要性は唐突に消え去った。

 

 カブトは驚きに眼鏡の奥の瞼を大きく開く。

 

 試験会場の、全くの場外からの介入。それは高速で空を飛び、青いチャクラの軌跡を残しながら、跳躍しようとしたナルトを横から突進し、そのまま遠くへと連れて行った。

 

「あれは……フウかッ!?」

 

 ナルトを抱えたフウをカカシは視線で追いかける。写輪眼はフウの姿をはっきりと見通す。

 

 青いチャクラが鎧のようにフウの身体を分厚く覆い、七本の尻尾のような細い羽が空気を叩きながら飛翔しているのを。

 

「ぐぎぎぎぎッ! ナルトくん、正気に……戻るっすよッ!」

「ヴォォオオオオオオオッ!」

 

 高速飛翔によって耳に入り込む空気の荒波。それをかき分けて入ってくるナルトの雄叫びは、完全に理性を失っている証拠だった。

 

 理性を捨てた凶暴性は、容易に力を行使する。

 

 風圧をものともしないのか、チャクラによって構築された右腕をナルトは振り上げる。その指先は、鉞よりも分厚い爪が。

 

『フウ。こいつをさっさと捨てねえと痛い目にあうぞ』

 

 内側から、呆れと落ち着きに満ちた声が。

 

「分かってるっすよッ! 重明、人がいない所はッ!?」

『自分で探してみろ』

「さっさとするっすっ!」

『……あそこだな』

「本当っすね?! 嘘ついてたら承知しねえっすよッ!」

『勝手にしろ』

 

 重明の意志に従い、ナルトをその地点に投げ落とす。

 

 爪は、重明のチャクラを抉りながらもフウの眼前スレスレで通り過ぎる。

 

 避難が完了した住宅街の区画に、ナルトは叩き付けられ、爆発的な衝撃を辺り撒き散らす。地面はへこみ、土と砂は舞い上がり、近くの建物は崩壊する。

 

 普通の人間なら原形も留められないほどに身体は吹き飛ぶだろう。

 

 だが、相手は九尾に支配されているのだから。

 

「重明ッ! チャクラ、少し多く寄越してくださいっすッ!」

『いいだろう。今日の俺は―――』

 

 フウは高く空へ飛び、背面から急降下。

 両手を前に突き出し、身体は地面と垂直になる。

 

『気分が良い。ラッキーだったな。好きなだけ、力を貸してやる』

 

 重力に任せるだけではなく、七本の羽で空気を押しのけ、さらに身体を横軸に回転させ空気抵抗を減らす。両手の先には、カブトムシのような分厚い角のチャクラが形成される。そのまま、真下のナルトを目掛けて地に落ちる。

 

 チャクラの角はいよいよ音の壁を超えて、空気が弾ける音が鳴る。同時に、弾丸となったフウはナルトに着弾した。

 

 尾獣のチャクラに完全に呑み込まれたナルトを相手に、手加減は出来ない。殺すつもりで立ち向かうのが、ちょうどいいという判断だった。

 

 ―――入院コースは、覚悟してもらうっすよッ!

 

 手応えはあった。

 

 地面を数メートルほど沈ませる程の衝撃によって二度、砂煙が舞った。

 

 ―――どうにか、ナルトくんの意識が途切れてくれれば……。

 

『フウ、避けろ』

「え?」

 

 目の前を覆う深い砂煙の向こう側から爪が姿を現し、肩を掴まれる。大型の獣に噛みつかれたかのような痛みに表情が歪むが、次の瞬間にナルトの顔が眼前に迫ってきた事に驚きが隠せない。

 

 視線を下げる。

 

 チャクラの角が、ナルトの片腕と四本の尾に防がれていた。

 必殺にも近い一撃が、大したダメージを与える事が出来なかったへの驚愕が、フウの身体の自由を奪うきっかけとなってしまう。

 

 身体が浮く。自分の意志による飛翔ではない。投げ飛ばされた。

 

 強烈な力で投げられた身体は、七本の羽を駆使して姿勢を戻す暇を許さぬまま、残骸となった瓦礫に身体がバウンドさせられる。

 

「―――ッ!?」

 

 回転する視界の中に、ナルトの姿。

 振り下ろされる鉤爪を両腕を交差させて防ぐ。ダメージは無いが、衝撃は、空転している最中では抑える事は出来ない。そのまま、まだ倒壊していない建物数件を貫いた。

 ようやく勢いが収まり、道路の往来に仰向けに投げ出されていた。

 戦争が起こっているというのに、間の抜けた青空が視界一面に広がる。フウは小さくため息をついた。

 

「……くっそー、ナルトくん。容赦、ないっすねえ」

『お前が言えた口じゃないだろ』

「ははは」

 

 と、フウは乾いた笑みを浮かべる。

 

「ナルトくん、強くなり過ぎっす。アレで無傷って何なんすか。フウのシマじゃ反則っすよ」

『九尾のバカに憑りつかれてるんだ。あんなものだろう』

「というか、重明。ちょっと情けないんじゃないんすか? 七本も尻尾あるくせに、四本に負けるなんて」

『俺が本気を出せば、あんなのに負けはしない。お前の身体が脆弱なせいだろうが』

「……人が気にしている事を」

 

 人柱力として。

 

 フウは自身を不適切であると判断していた。

 

 重明のチャクラを使う事は出来る。身に纏い、空を駆ける事は、出来る。だが、それだけだ。十分に、使い切れてはいないのだ。

 

 いくら重明がチャクラを渡してくれるからと言って、膨大な量のチャクラ全てを身に纏えば、身体が持たない。

 

 強靭な肉体も、特別な資質も、フウは持ち合わせていないのだ。

 

 あくまで、小さな忍里である滝隠れ出身の中では、少しだけ、封印の器として適正だっただけだ。扱う器としては、適正ではない。尾獣化が出来ているのは単に、重明がチャクラを調整してくれているだけに過ぎない。

 

 かといって、重明のチャクラを使えばフウの実力はそこらの忍の比ではない。渾身にも近い力を平然と防ぐナルトが、桁外れなだけである。かといって、重明に全てを委ねてしまえば……木ノ葉は今以上の被害を生んでしまう。

 

 止めるならば、今しかない。

 

 まだ、尾が全て生え揃っていない、今。

 

 ―――といっても、フウは封印術なんて、使えないっすけどねえ。

 

 自分の役割はただ、ナルトが被害を拡大させないようにすること。

 

「……重明…………今回は、最初から最後までフウに任せるっすよ」

『勝手にしろ』

 

 辺りは静かだ。どうやら言っていた通り、避難が完了した地区なのだろう。

 フウは記憶を掘り起こす。あとどれくらい時間を稼げばいいのかを考える間に、ナルトが、やってくるのをチャクラの波で感じ取る。上体をゆっくり起こす。

 

「……何がそんなに気に食わないんすか、ナルトくん」

 

 問いかけてみるが、返ってくるのは獣の唸り声。

 

 怒りと憎しみが、チャクラ越しに伝わってくる。

 

 いつもは明るく素直な子なのに。

 

 火影になる。そう、言っていたのに。

 

 伝わってくる感情の方向には見境はなく、木ノ葉を滅ぼそうというものしか分からない。

 

 どうして、そういう感情に至るのか。

 

 いや、彼だけではない。

 

 友達のイロミも、そうだ。

 

 試験会場の上空を飛んでいた時、一瞬だけだけれど、イロミを見た。

 

 イタチと対峙しながら、見たこともない姿になっていたのを。

 

 ―――イタチさん、イロミちゃんを任せるっすよ……。

 

 こんなに。

 

 別の里の出身で、人柱力である自分を受け入れてくれる。

 

 こんなに平和な場所を。

 

 どうして二人は憎んでいるんだ。

 

「いいっすよ……。相手してやるっす」

 

 立ち上がり、対峙する。

 

「今のフウに出来る事って言ったら、これぐらいっすからね。さあ、こいっす。木ノ葉を、絶対に守ってやる……ッ!」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 四紫炎陣の向こう側で、一人の少年が尾獣化した。ヒルゼンとの会話を聞くに、フウコを慕った子だったのだろう。

 

 うちは一族をフウコが滅ぼし、犯罪者となって里の外へと追いやられた。しかもその最たる原因は、自分が進めてきた政策によるもの。歪みの発端は、自分が死んだ後の時代にも影響を及ぼし、今も尚、一人の少年が里を破壊しようと姿を変えてしまった。

 

 誰よりも、何よりも。

 

 里の平和と発展を望んで、行ってきた営為は。

 

 多大な時間と人の命を食らい、悪しき地脈の震源へとなってしまっていたのである。

 

「アレは……七尾の人柱力ね。折角、先生の目の前で里が消し炭になる光景を見られたと思ったのだけれど……無粋ね」

 

 青い軌跡がナルトを連れ去っていくのを、後ろの大蛇丸はつまらなそうに呟くが、すぐに視線をヒルゼンに向けると、表情は再び愉快そうに歪んだ。

 

「それにしても、不器用な方ですね、猿飛先生。嘘でも言えばよかったものを」

「……フウコの事について、扉間様の前で偽るつもりはない」

「わざわざ死人に義理を通すなんて、愚か以外の何物でもないわ。おかげで、今生きている下の連中が死体になるというのに……。まあ、先生のそういうところを信頼してこういう場を設けたのですが、お気に召していただけたでしょうか?」

「……申し訳ありません、扉間様」

 

 震えた声でヒルゼンは言う。

 

「ワシは……扉間様との約束を…………エン殿との、約束を守ることが―――」

「フウコに、友が出来たのか?」

 

 扉間の予想もしない問いに、ヒルゼンは驚いたように瞼を大きく広げる。対して大蛇丸は不愉快そうに眉を顰めた。

 

「何を仰っているのですか?」

「大蛇丸と言ったな。貴様の話が、もし真実であるならば、辻褄の合わぬことがある。どうして、フウコが犯罪者となったのかだ」

「気でも違えましたか? うちはフウコは、うちは一族を滅ぼして―――」

「ならば何故、うちは一族がクーデターを起こしてから、うちは一族を滅ぼさなかったのだ」

 

 その言葉に、扉間の言わんとしている事を、ヒルゼンも大蛇丸も察した。

 

「ワシの知るあやつは、そのように効率的ではない事をするような子ではなかった。ワシの言いつけを守り、誰よりも無駄を知らない子だったのだ。それは、あやつを育てたワシが、誰よりも知っている。わざわざ自分が犯罪者になる事もなく、うちは一族がクーデターを起こし、里の者たちにうちはの脅威が知れ渡ってから、堂々とうちは一族を滅ぼせばよい。あやつには、ワシの教える事の出来る全ての技術を与えた。ましてや、あの身体(、、、、)だ。不可能な事ではない」

 

 だが、と扉間は続ける。

 

「あやつはそうしなかった。自分が汚名を被ってまで、非効率な手段を取った。ならばあやつには、汚名を被らなければいけない理由があったのだろう。他の誰でもない、自分が被らなければならない、理由が。ほんの少しでも、里を傷付けたくない理由が、有ったに違いない」

 

 その言葉は決して、希望的な観測による願望ではなかった。

 フウコは子供だ。

 何も知らない、何も教えられていない。

 未熟な子供だ。

 無邪気に遊ぶことを知らず、無思慮に楽しむことを知らず。

 どうすれば知れるかを考え。

 どうすれば学べるかを考え。

 それだけしか出来ない、子供なのだ。

 無駄が無い。無駄というものが、分からない。

 誰よりも知っている。

 八雲一族が滅び、唯一生き残った彼女を、親代わりに育てた扉間だからこそ断言できる。

 自分の知るフウコは、そんな事はしない。

 わざわざ汚名を被るという、過ちは。

 ならば、答えは一つだ。

 非効率的な事をしなければいけないほどに、大切なものが出来てしまった。効率的なやり方では、全ての人間の命が等価であるという効率的な考えをしては、いけないと。

 つまりは―――そう、他者の存在だ。

 

「会ってみたいものだ」

 

 と、扉間は呟く。

 

「あやつを友だと思う者は、かなりの酔狂者に違いない。それでいて、素直な子なのだろう。フウコと対話をするには、変に穿った考えを持っていては、疑心暗鬼になってしまうからな」

 

 そう、彼女は変わり者だった。初めての出会いが、木の上から落ちて、額同士をぶつけるというとんでもない出会いをするほどに。

 

「あるいは、余程快活な子やもしれぬ。あやつの腕を無理やりにでも引っ張る様な、悉くフウコの価値観をぶち壊してくれる、愉快な子か?」

 

 彼は誰よりも先を進んでいた。誰よりも勇気があり、誰よりも正しく、誰よりもその輪に話題を持ち出し、日常という者だった。

 

「それとも、フウコと同じくらい聡明な子か。それが一番しっくりくる。落ち着いていて、冷静で、正しくフウコを誰よりも理解してくれるような頭の良い子だ」

 

 彼は友というより家族だった。彼には卓越した知性があった。正しく人を評価し、いついかなる時も正しい道を模索し続けることが出来る者だった。

 

「サルよ…………フウコの友は、どのような者たちなのだ?」

 

 そしてフウコは、その友達にどのような表情を浮かべたのか。それも知りたい。友達と関わっている時のフウコの全てを知りたい。もっともっと、ヒルゼンに問いかけたい言葉はあった。

 

 だが、状況がそれを許さない。

 

 時代も、里の環境も、知らない。そして結界の外では、おそらく戦争が。時間がどれほど残されているのか分からない。

 

 穢土転生の術で現世に降り立った身として、今の時代の邪魔をするのは極力避けたい。といっても、これから穢土転生の術者―――大蛇丸によって戦わされるのは確実なのだが、それでも、力を貸せるならば……。

 

 ヒルゼンは言葉を選ぶように、視線を微かに揺らめかせるが、大きく息を吸い、

 

「……扉間様が仰った、良き正しき者たちでした」

「そうか……」

 

 やはりフウコは、その友の為に、汚名を被った。

 汚名を被ってまで、その友と、その友と過ごした時間が美しかったという事。

 少なくとも、里には平和な時代があったのだ。

 

「―――サルよ……、里を守れ」

 

 扉間は言う。

 

「たとえ犯罪者となろうと、この里は今も尚、フウコにとっての宝だ。何としても守れ」

「ククク」

 

 笑ったのは、大蛇丸だった。

 

「良いのですか? 彼を裁かなくて。彼は、うちはフウコを里から追いやった張本人だというのに」

「うちは一族の件は、全てワシの責だ。サルの問題ではない」

「死人がそう語ったところで、問題は常に、今を生きる者たちの眼前にあるというのに。それに……彼女はそれを許すかしら? 貴方の亡骸の傍に在った(、、、、、)、彼女が」

 

 勿体ぶった言い方。

 しかし、言葉の文脈を辿れば、大蛇丸の語る【彼女】という意味はすぐに分かった。

 

「なるほど……ワシや兄者だけではなく、エン殿も口寄せしたか」

「ええ。今は、どこかの街の方で暴れていることでしょうねえ。すぐにでも、こちらに口寄せする事も出来ますが如何しますか?」

「……ふ、止せ。あの者がここに来てしまえば―――下らぬ嘘話を聞かされてしまう」

 

 地獄を旅行中でしたのよ、などと。

 きっと彼女は細やかな笑みを浮かべて言うだろう。そして、フウコの事を聞いたとして、彼女は淡々と、

 

『あの子が選んだ事です。どれほど辛い選択であっても、親というのは、子のそれを称えなければいけません。誤っているなどと、言うつもりもありません。あの子が友達の為に汚名を被った。素敵な事ではありませんか』

 

 そう言うに違いない。

 彼女の教育方針はいつだってそうだ。

 嘘と、放任と、尊重。

 いささか、彼女と会話をしてみたいという感情はあるが、止めておこう。

 今は、今の時代の木ノ葉の子らが胸を張らなければいけない。

 

 死者が陽炎のように立ち、大切な者を思いながら、語らい合うというのは、駄目だ。

 

 死者はいつだって、過去でなければいけないのだ。

 

 過去に成り、草葉の陰で称えなければいけないのだ。

 

 いついかなる時も。

 

 今を傷付けてしまうのは、過去だから。

 それはもう、何度も経験した事だった。

 真後ろに大蛇丸の気配を感じ取る。穢土転生の術を理解している扉間にとって、それがどういう意味を持っているかは、即座に分かった。

 

「扉間の言ったことは、至極的を射ているな」

 

 今まで閉口していた柱間が、口を開いた。

 

「猿飛よ、迷う事は何もないであろう? お前は、火影なのだぞ」

「……はい。承知しております」

「ならばやることは一つだ」

「はい」

 

 ヒルゼンと視線が合う。

 

「さらばだ、サル」

「ええ、おさらばです」

「木ノ葉を―――守るのだ」

 




 投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。

 次話の投稿ですが、中道のプライベートが多忙になりつつあるため、期間が少し空くと思われます。今月中に投稿できるかと思いますが、ご承知いただきたく思います。

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