いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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彼方より木の葉の書が届く

 ―――……あまり、悠長に時間を割いておる暇などありゃあせんというのに。

 

 つい先ほど強烈なチャクラの波を感じ取った自来也は、苦虫を噛みしめるように奥歯を震わせていた。額に薄く貼りついた砂煙を、小さな冷汗が垂れながら拭い取り、濁った水滴となって顎から地面に落ちる。今すぐにでもフウを追いかけ、ナルトの元へ向かいたい。

 

 しかし、今はそれが叶わない。木ノ葉の三忍と謳われ、歳を重ねながらも実力は未だ衰えの無い自来也であっても、久方ぶりの感覚だった。向かいたい所へ行けないという、至極単純な行動さえ制限されるのは。

 

「……っ、…………ッ、ッ?!」

「流石のお主も……コレを力尽くで突破するのはできんじゃろう。指先一つ、動かせまい」

 

 勝ち誇ったように笑みを浮かべる自来也だったが、微かに上下した息遣いや鋭い視線は未だ緊張を解いていない事を現している。両手を合わせ、練ったチャクラを自身の髪に送り続け、相手―――女性の動きを完全に封殺していた。白い髪は長さと太さを変え、大注連縄のように女性に巻き付いている。のみならず、毛先は鋼の強度を誇り、女性の全関節を貫き固定していた。自来也の言う通り、指一つ動かす事は出来ないが、あまりにも過度な拘束とも言える。だが、相手の実力を目の当たりにした自来也にとっては、この状況を作り出してもまだ、不安は拭えない。

 

 辺りは、さながら隕石でも落ちてきたかのような惨状だった。音の忍が戦争を仕掛けてくる前は―――フウと共にナルトと歩いていた時である―――人の往来があったが、今では人の姿は全くなく、広い道は抉れ、道沿いの建物は無残に倒壊している。その殆どは、自来也が作り出したものではない。相手の一挙手一投足が生み出した。

 

 腕を振れば空気が動き衝撃が広がる。

 足が振るわれれば地面が捲れ石が弾丸の如く飛来する。

 

 単純なまでの力押しだが、個人が持てる極致とも言える暴力は一瞬の隙すら許さない。ましてや相手は、どういう訳か、不死の肉体。どれほどの忍術をぶつけても、たとえ頭部を吹き飛ばしても、身体は地面の塵芥を吸い寄せ元に戻る。自来也の拘束も、本来ならば激痛で顔を歪めるか、あまりの痛みに気を失う、あるいは、絶命してもおかしくはないのだが、女性の表情は、血の気の引いた蒼白ではあるものの、淡泊なものである。感情の機微を喪失した人形のようである。灰色の髪と白い浴衣。細い顎は端整な顔を装飾している。単なる初対面ならば、すぐにでも口説いてしまうとこだろう。今の自来也にはそんな呑気な事を想像する余地は無い。彼女さえいなければ、面倒な事にはならなかったのだ。

 

 ―――大蛇丸め……、ワシやフウがいることを知っておったな……。

 

 イタチから、ナルトが大蛇丸から狙われている事は聞かされていた。大蛇丸がどうしてナルトを狙っているのか、憶測は出来ずとも確信は持てず、だがナルトを守るのには自信があった。自惚れではなく、客観的な認識。

 その認識を真正面からぶち破るかのように現れた女性に襲われ、自分の意志で大蛇丸の元へと向かったナルトを追い駆ける事を許さない状況となったのだ。

 

「自来也様ッ!」

「イビキか!?」

 

 残骸の上に姿を現したイビキに、自来也は目だけで視線を向けた。

 

「封印術に長けた奴を連れて来い!」

 

 状況を察したのか、イビキはすぐに部下を呼ぶ。部下たちは巻物を取り出すと、自来也の髪ごと女性を覆う。その手際は熟練の域を当然のように跨いでいた。巻物を巻く者、符を取り出し巻いた巻物の上から貼る者、封印術のチャクラを行う者。術が女性を侵食しているのが、チャクラを纏った髪から伝わってくる。女性の力が弱まってきていた。

 

 もう殆ど力が伝わってこない。髪のチャクラを解き―――刹那、巻物を貫いて、女性の右腕が動いた。

 

 自来也の警戒が寝た子のように起きる。イビキや部下たちも緊張を走らせ、一時的に封印術の進歩が慎重になる。しかし、巻物の隙間から覗かせる瞳は、戦っていた時とは違って生気を戻した潤いを持っていた。

 

「……ここは、木ノ葉隠れの里…………なのでしょうか?」

 

 初めて聞く声。細く、綺麗な声質に、自来也は徐に応えた。

 

「そうじゃ……」

「ああ……そうなのですか…………。どうやら私は、木ノ葉隠れの里にご迷惑を、おかけしてしまったようですね……。今は、戦時中なのでしょうか?」

「お主は……何者じゃ?」

 

 女性は瞼だけを柔らかく動かした。

 

「ふふ、さあ、何でございましょう。一度、晴々しく死んだはずなのですが……。強いて言えば、そうですね、千手扉間さんの正妻と言えばよろしいでしょうかねえ」

「……嘘を言うな。二代目は生涯、妻を娶った事はないはずだ」

「ええ、嘘でございます(、、、、、、、)。こう見えても、未亡人ですので。ふふ、死んだのに、未亡人というのは、なかなかオツな洒落でございますね」

 

 瞳と瞼だけだが、何ともまあ、言葉にはし難いやり辛さというものを強制してくる。自来也が口をへの字にしてから溜息を吐くと、女性は尋ねてきた。

 

「戦時中ではないのでしょうか? 木ノ葉隠れの里は、それ以前は、どういった状況だったのでしょうか?」

「戦時中ではない。コレは、ワシの知り合いが勝手に起こした事じゃ」

「まあ。随分とやんちゃな方とお知り合いなのですね」

「…………木ノ葉隠れの里は、まあ、平和じゃった」

「つまり貴方は、里を守る為に励まれたのですね。そうですか……。それ程までに、木ノ葉隠れの里は、重要なものへとなったのですね。扉間さんは、約束を果たしてくれた。それでは―――」

 

 あの子(、、、)の事も、きっと、心配はいりませんね。

 

 八雲エンの消え入る呟きは誰にも届かず、だがそんな事はどうでも良さそうに、笑みだけを残した表情を巻物は覆い隠した。エンの全てを、幽世へと帰還させようと覆い隔てる。

 

【どうか―――】

 

 未練でも残すかのように、最後に言葉が聞こえてきた。

 

【木ノ葉隠れの里を守ってください。ここは、扉間さんの夢の地で、あの子にとっての新しい故郷だと思いますので】

 

 封印術は成功した。

 

 束の間の静寂は疲弊した両足の力を無意識の内に抜けさせるには十分だった。地面に尻餅をつく。

 

「……どこの誰かは知らんが、言われんでも木ノ葉隠れの里は守ってやるってえの」

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

「おーらおら。お前ら、何泣いてんだよ。どっかからまた変な奴が来るかもしれねえんだぞ」

「だってぇ……」

「いいから泣き止めって。ぶん殴るぞ」

 

 普段通りに脅してみても泣き止む気配の無い三人の生徒たちを前に、ブンシは珍しく困った表情を浮かべた。戦闘で乱れた黒髪をボリボリと掻くと、砂粒が絡みついている感触が指に触れて不愉快だった。空いた手で煙草を取り出し、火を点ける。戦闘の最中はずっと吸えなかった事もあるが、久しぶりに身体を動かして汗を出した為、やけに煙が脳天に響いてくる。しかし、悪い感覚ではない。

 

 大きく煙を吐き捨ててから、ブンシはしゃがみ込む。地面にしゃがみ込んでしまっている三人と、なるべく同じ視点になった。

 

「ったく、何が怖いんだよ。あたしより怖い奴なんていねえだろうが。授業でキレた時よりも泣くなんざ、ふざけんなよなあ」

「ブンシ先生が……し、」

「し?」

「……死んじゃうんじゃないかって…………」

「………………」

 

 音の忍との戦闘には勝利した。だが、簡単な勝利ではない事は、衣服がズタボロと破けているブンシの姿を見れば誰もが分かる事だろう。眼鏡も片方はひび割れ、額当ても傾いて前髪が微かに垂れてしまっている。

 

 ―――まあたしかに、あたしは弱い方だし、心配させたかもな……。

 

 暗部の拷問・尋問部隊では数々の功績を出してきたブンシではあるが、特別、忍での戦闘力が高いという訳ではない。マイト・ガイのように身体能力が高い訳でも、はたけカカシのように才能がある訳でも、夕日紅のように幻術に長けている訳でも無い。人体に電気を流し意のままに操る独自の忍術を持っているだけだ。しかし、戦闘において、そもそも相手に直接触れる事が可能な場面は多くない。

 

 ほんの一瞬だけだ。

 使える場面は限られる。

 

 しかし、今回はその場面が丁度よく訪れてくれた。生徒を守りながら立ち回るブンシを前にして、忍術を主体として戦っていた相手は動きを変え、不用意に生徒に近付いたのだ。その時には既に、ブンシは防戦一方で、痛みと疲弊で身体は殆ど動かせない状態だった。

 

 動かなければ、生徒が。

 大切な生徒が殺されてしまう。

 ブンシは自分のプライドだけを糧にして、自身の身体に電気を流した。動かせない身体を、意識という糸を絡めとって、強制的に動かした。勝ち誇った男の頭を、トマトを握りしめるかのようにがっしりと掴み、男の意識を刈り取るには十分な電気を脳に直接ぶち当てた。

 

 意識を失った男を生徒から遠ざける為に遠くへ投げ込んだ。まだ、男の身体は動いていない。

 

「バーカ、あたしが死ぬ訳ねえだろ?」

「だって……、先生、ボコボコに………」

「うっせえッ! 演技だ演技ッ! それ以上なんか言ったら、ぶん殴るぞッ!」

 

 授業の時の調子で言ってみせると、カミナたちの涙の量が増えた。

 

 それでいい。

 

 教師は生徒たちに怖がられるのが仕事だ。教師より怖いものなんてないと思われれば、生徒は何だかんだと前を向いて励んでいける。優しさというのは、教師が持ち合わせるべきではない。優しさというのは、親でも友人でも構わない。だが怖さというのは、親や友人が持ち合わせ難いものだ。子供にとっての初めての赤の他人に近い教師が、怖がられなければ。

 

 だからブンシは、彼はあまり教師として適正ではないのではないかと考えている。姿を現した波野イルカは、慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「ブ、ブンシ先生ッ!? 大丈夫ですか?」

「遅えぞイルカ。こんな事態だってのに、ガキの世話も出来ないのか」

「せ、せんせーッ!」

 

 ブンシを押しのけて生徒たちはイルカの足に抱き着いた。安心でもしたのか、ブンシがただ単に嫌だったせいか、抱き着くとわんわんと泣きじゃくる。教師ならここで叱り、周りの人間がどれだけ心配したかだとか、そういうテーマを語るべきなのだが、イルカは柔らかい表情を浮かべて生徒たちの頭を撫でた。

 

 ―――ったく、ちったぁ仕事しろっての……。ガキたちの為になんねえだろうが。……まあ、ちょうどいいか。

 

 ブンシは「おい、イルカ」と呟いた。

 

「お前はこいつらを避難所に連れてけ。どうせすぐに暗部の連中が動くだろうから、避難所までは安全だろ」

「ブンシ先生は……」

「あたしは少しやることがあるんだよ。さっさといけ」

 

 それでも心配性な彼は納得がいかないのか、一歩前に出た。ブンシは分かりやすく、地面に倒れている音の忍を視線で示した。

 

 ブンシが、教師の職に就く以前は拷問・尋問部隊に所属していたのをイルカは知っている。教師たちが頭悪く噂話を広めてしまったのだろう。イルカ本人からも無遠慮に「変な噂を聞いたんですけど……」と、まあおそらくはブンシを擁護する為に確認してきたのだが、それに対して素直に「ああ。その噂、本当だから」と肯定したのである。

 

 これから行う事。

 

 生徒には見せられない暗部。

 

 イルカは理解してくれたのか、小さく頷いた。表情は賛同してくれている様子は全く見られないが、カミナたちの小さな背中を押すようにして進み、避難所へと向かった。

 

 姿が見えなくなるその間際に、カミナたちは全員同時にブンシを振り返った。どこか不安そうだった。さっきまで叱られて泣いていたというのに、こちらに見せた表情は、親から離れて不安になる赤子のそれと酷似していた。

 

 仕方ない。初めて体験する戦争だ。不安になってしまうというのは、むしろ、正しい反応だ。こんな場面で冷静だったり、無表情だったりというのは、あまり良くない。子供らしく一人で頑張ってしまい、無理をしてしまうから。

 

 新しい煙草に火を点けて、音の忍の頭を掴む。すぐ近くの倒壊している建物の中に連れ込んだ。

 

 倒壊したばかりで埃臭く、風は流れない。煙草の匂いは停滞し、自分にとって得意な空間になってくれる。咽返るほどに煙が濃度を上げていくと、昔の自分が戻ってくる。音の忍の両手足を、無残に折れ太くささくれ立った幾本かの柱に打ち込む。肉が裂け骨が砕ける音。血の臭いが、空気中に混ざってきた。

 

 脳が痺れる。

 

 残虐な昔の自分が頭を上げる。

 

 ―――懐かしい感じだ。

 

 世界が終わる様な夕焼け色の煙草の火をブンシはしばらく見つめていた。時にはゆらゆらと揺らし、煙と戯れる。気分が乗って、鼻歌を歌った。無表情に、ただ、目の前の音の忍をどのように拷問してやろうかと、考える。手足を柱のささくれに打ち付けられた際に目を覚ましていた音の忍は、ブンシの異様な空気を察して、小さく冷汗をかいていた。

 

「……今から、あたしはお前を拷問する」

 

 死刑宣告をする裁判官のように、ブンシは言った。しかし音の忍は、最初からそれを覚悟していたのか、大きなリアクションを取る訳でも無く、むしろ掛かって来いと言わんばかりに鼻を鳴らした。

 

「別に脅かすつもりはねえけど、忍だったらそういうのは覚悟できてるんだろうけど、あたしの質問には正直に応えてくれ。お前をぐちゃぐちゃにしたら、可愛い生徒たちが避難してる所に行かなきゃなんねえんだ。血生臭い所にずっといると臭いが移っちまう。さっさと吐いてくれると嬉しい」

「俺から情報を聞き出しても無駄だ。大蛇丸様と同胞たちが、もうじき木ノ葉を滅ぼすことに変わりはない。さっさと逃げた方が賢明なんじゃないか?」

「木ノ葉は滅びねえよ。たとえ、伝説の三忍の一人が味方していようが関係ねえ。夕陽を拝む前にお前らは皆殺しだよ」

 

 音の忍は喉の奥で笑った。

 

「何が愉快なんだ?」

「お前ら木ノ葉がだよ」

「そうか」

「五大里と崇められている連中だから、どんな恐ろしい者たちかと思ったが……どうだ、見てみろ。里の状態を。皆殺しになりかけているのは貴様らの方だろうが」

 

 倒壊した建造物たち。黒い煙が蜘蛛の糸のように空へと何本も立ち昇っている光景は、確かにどこから見ても滅亡の憂き目に会っている、そのものだ。

 

 大蛇丸に拾われるまでは忍として満足に活躍することも出来ず、誇りも何も無かった音の忍たち。木ノ葉隠れの里に生まれたというだけでで任務にありつける者たちへの嫉妬と僻み、そして自分たちの新たな将来の為に力を付け、木ノ葉崩しに参加した。

 

 たとえ、ブンシによって拷問され、死んだとしても本望だ。

 

 彼にとって、今の状況は悲観するものじゃなかった。勝ち誇った口調に、しかしブンシは淡々と、むしろ呆れたように煙草の煙を吐いた。

 

「……お前みたいに、勘違いしている奴らがいるんだよなあ。たかだか、建物ぶっ壊したり、ダチがワイワイはしゃいでるの見て勝った気になる馬鹿が」

 

 強がるな、と音の忍は言いそうになる。単なる屁理屈だ。本当は優勢だと言いたいのなら、今すぐにでも対抗して殲滅すればいい。しかしそれをしないというのは、混乱し、後手後手に回っているという事に他ならない。だからこそ、ここで笑ってやるつもりだった。

 

 しかし、ブンシの表情は一縷の不安や強がりも染み込んではいなかったことに、躊躇いが生まれてしまう。そして彼女は吸っていた煙草の先端を、男の左眼に押し付けたのだ。悲鳴が男の喉と舌を支配した。

 

「これでお前が木ノ葉を見られる光景のチャンスは、残り一回になったわけだ」

 

 まあ、どうせ死ぬけどな、と彼女は言いながら新しい煙草を取り出し火を点ける。

 

「里の状況はお前らにとって好都合かもしれねえけど、あたしたちにとっても好都合な状況でもあるんだよ」

 

 片目に宿る、文字通り焼ける痛みに、男は声を発せれない。

 

「テメエらは歴史の勉強をしっかりしてきたか? 木ノ葉隠れの里が、一体どれほどの歴史を歩んできたのか勉強してきたか? 木ノ葉隠れの里が、どんだけの命を糧に大樹になったか、知ってんのか?」

 

 ブンシは煙を吐いた。

 

「三度もの大戦を経験した木ノ葉が、何の進歩もしていない訳ねえだろ。いくら平和な里になろうが、ガキ共が平和ボケして忍の授業をサボろうが、木ノ葉に貢献してきた先祖たちの命の糧に大樹の根元は、五大里筆頭だ」

「……何を言って―――」

「木ノ葉にはな、里を襲撃された際のマニュアルがあるんだよ」

 

 もう一度、煙を彼女は吐いた。アカデミーの生徒たちが時折嗅がされてしまう煙の香りを、音の忍も聞いている。そう、つまりは授業だった。

 

「スケールが違うんだ。お前ら音の忍は、木ノ葉を滅ぼすか滅ぼされるかの博打勝負を仕掛けてるつもりかもしれねえけどな、こっちはそんな事を端にも気に掛けてねえんだよ。気に掛けてんのは、里にいる人間の命だけだ。言うなれば、目の前のお前らなんて眼中にねえ。考えてるのは、明日の朝、誰が生き残っているか。それしかない。今お前らが好き勝手暴れているのは単純に、マニュアルの第一段階に過ぎねえってことだ」

 

 伊達に、三度の大戦を経験した訳ではない。

 

 無暗に、人の命をテーブルをひっくり返すように失った訳ではない。

 

 里は学習する。

 集団は進歩する。

 大樹は成長する。

 

 初代が苗木を集め、二代目が樹形を整え、三代目が大きく成長させ、四代目が希望を抱いた巨樹。そして今も尚、葉を芽吹かせ、枝を伸ばし、成長している。

 

 吹く嵐に耐え忍ぶ術よりも、火の粉を振り払う術よりも。

 

 大樹は、新たに芽吹く葉を第一に考えるようになった。

 

「もうすぐ、避難は終わる。そして次の段階に行く。むやみやたらに暴れるお前らを、木っ端微塵にする為に、反撃をする。山津波のようにお前らを呑み込むんだ」

 

 そこでブンシは指を伸ばし、先ほど焼き潰して半液体になった眼球を留めている眼孔抉った。指をグルグルと中で動かす度に男は激痛に震えるが、ブンシは足で男の頭を壁に押し付け固定する。

 

「さっきお前はくだらない事を言ったな。情報を聞き出しても無駄だってよ。無駄じゃねえよ。これから、お前があたしに吐いてくれる情報には価値がある」

 

 そのままブンシは指を曲げた。釣り針のようにし、眼孔奥から男の頭を引っ張り上げる。

 肉が引っ張られる違和感と激痛。

 悲鳴は止め処なく零れる。木ノ葉へと襲撃した時の高揚と、取り戻しかけていた忍としての誇りを跡形もなく霧散させてしまった。それでも尚、ブンシは指を動かし続ける。今度は下に、今度は右に左に。指を新しく入れ、眼孔を広げようともした。

 最も恐ろしかったのは、彼女の表情だった。

 楽しんでいる訳でも無い。怒りに任せている訳でも無い。

 無表情。むしろ、つまらなそうにしている。

 

 その表情は、彼女が今までどれほど、こんな光景に遭遇し、そして今や飽き飽きとしているのかを伝えてきている。

 

 指を引き抜いたブンシは、眼孔の体液と血に塗れた指で、男の顔を無理やり自身に向けさせた。

 

「こっからは大人の授業だ。まずは、人間どこまで体重を減らしても生きていけるか、実験しようじゃねえか。安心しろよ。死んだら、地面に埋めて樹の栄養にしてやるよ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

【暁】の連絡会は終わった。術を解き、サソリは静かに瞼を開ける。電球が死にかけているのか、不愉快な点滅を繰り返す薄暗い部屋の中で、再不斬と白が存在感を消すように壁際で身構えている。二人とも視線は鋭く、臨戦態勢。招集が掛かってから、二人に指示を出していた。

 

 フウコが暴走する可能性がある。

 

 かつてない程の暴走を。

 

 サソリは片手を小さく上げて、二人に待機を命じながら、顔をフウコに向けた。

 

 彼女はこちらに背中を見せて立っている。他意は無いのだろう。連絡会に顔を出す際に、偶々、そういう姿勢だっただけだ。けれど、物言わぬ彼女の背中からは、冷ややかな空気が放たれているように感じる。声を掛ける事さえ躊躇わせるほど、不気味な空気。ちょうど、彼女に薬を投与しなければいけない時間だ。

 一番、不安定なタイミングである。

 

「……サソリ」

 

 フウコの声は平坦だった。逆にそれが、恐ろしい。

 

「ねえ、サソリ」

「なんだ?」

「知ってたの? 貴方は、知ってた?」

「何をだ?」

「今、大蛇丸が木ノ葉隠れの里に戦争を仕掛けてるって」

「知る訳ねえだろ」

「ううん、知ってた。貴方は知ってたはず。知っていなきゃいけないはず。絶対そう。貴方は知ってた」

 

 何の理屈も証拠もなく、何度も彼女は「知ってたはずだ。知ってたはずだ」とぶつぶつと言い続ける。意識の骨格を支える螺子がカタカタと緩み始めるような音に、サソリの耳は捉えていた。再不斬が静かに動こうとしているのを、サソリは人差し指を上下させて制止する。まだ、完全にタカが外れた訳ではない。

 

「いいか? フウコ。俺が知っていようが知っていまいが、今はそんな事は重要じゃねえ筈だろ」

「……そうだね。今重要なのは、木ノ葉の事」

「そうだ。だが、分かってると思うが、今俺達にはどうすることも出来ねえ。下手な考え起こさねえで、ジッとしてろ。飯でも作ってやる。それ食ったら―――」

「お腹は減ってない。だって―――」

 

 振り向いたフウコの眼は、真っ赤に血走っていた。

 

 表情に向けられるはずの感情は現れず、逆にそれが両の眼に集中してしまったのか、血走った写輪眼を浮かべていた。

 

「私の目の前に裏切り者がいるというのは、何よりも許せないから」

 

 視界が歪むほどの重圧が室内を満たした。

 

「ぐッ……!?」

「チャクラだけで……?!」

 

 再不斬と白の声。肌を刺すなどという生易しいものではない。肉体をすり潰すような圧力だ。チャクラが室内を充満し、フウコの殺意が鎌のように肌をなぞる中、サソリだけは平然と佇んだまま、フウコを見つめていた。

 

「テメエが俺を裏切り者呼ばわりしたことは、今だけは許してやる。だから頭を冷やせ。木ノ葉は滅びはしねえよ。大蛇丸一人で滅ぼせるような里じゃねえってのは、お前が一番知ってるだろうが」

「あの里は、私にとって大切な里なの。私だけの、私たちだけの里なの。傷を付けていいのは私だけ。他の誰かが傷を付けるのは、我慢できない」

 

 髪を揺らしながら、彼女は近づいてくる。

 もし生身の人間ならば、胃の中の内容物が全て出てしまうほどの恐怖なのだろう。

 

「傷を付けた大蛇丸は殺す。それに漬け込もうとする暁も、私が皆殺しにしてやる。私の大切なものを少しでも傷付ける奴も、悲しませる奴も、一人残らず。そしてサソリ、裏切り者の貴方もそう。今すぐ殺してやる」

 

 フウコは右手首に仕組んだ印字に指を這わせ、刀を取り出した。

 

「よく聞け、フウコ」

 

 と、サソリは溜息をついた。

 

「テメエが俺を殺してえのは分かった。そんなもん、全部が終わってからにしろ。だがな、今、木ノ葉にお前が行って大蛇丸を殺すのも、戦争が終わってもし暁が木ノ葉に襲撃をした時それを邪魔するのも、それだけはするんじゃねえ。計画が台無しになる。テメエはそれでいいのか?」

「五月蠅い黙れ。喋るな」

「そうやって過ちを繰り返すのか? お前が里を追われたのは、お前がガキみてえに感情任せに動いたからだろうが。それで何を失ったか、覚えてるだろ。兄弟を傷付け、家族を殺し、一族を皆殺しにし、挙句の果ては、お前の絶対の味方だったうちはシスイを―――」

「お前がシスイの名前を言うなぁッ!」

 

 折角手に取った刀を使わず、激情に任せた彼女の叫びに応えるように、須佐能乎が出現した。半分に割れた面を持つ巨人。ただ姿を現しただけで、室内に収まりきらない巨躯が壁にヒビを入れ、天井の一部が崩れる。指先が槍のように鋭く尖った三本の左腕。その一本がサソリを鷲掴んだ。

 

 身体が軋む。関節のギミックがひび割れ、胴体の内側にある歯車の一部が止まり掛けようとしていた。須佐能乎の握力は、このまま潰し殺しても構わないというフウコの感情を素直に反映させていた。

 

「おい、これ以上は―――」

「いい。お前らは動くな」

 

サソリは、再不斬をまだ動かそうとはしない。

 

 フウコはサソリを引き寄せた。その表情は、無表情が剥がれ、病気に侵された狼のように歯を剥き出しにし、口端からダラダラと涎が溢れ出ていた。

 

 そして、彼女の口からもたらされたのは、喚き散らした一定性を喪失している言葉と汚らしい声だった。もはや正気を保った人間が発するものですらない。螺子は彼方に沈み、脳は腐ったトマトのように溶けているのかもしれない。

 

 直視するに耐えない。そう思いながらも、サソリの視線はフウコの瞳の奥を見つめ続ける。

 

 ―――感情の震えに漬け込みやがって。

 

 フウコの理性部分を感じさせない暴言の端々。どこにも彼女らしさが消し飛んだように見えるが、物を見極める眼を持っているサソリには、彼女の背景に別の意識があるのだと判断していた。

 

 もう一人のフウコが、内部から幻術を使って意識を混濁させている。おそらく、フウコの中でケタケタと嗤っているに違いない。これは自分の身体なのだと長々と主張し続けた彼女だ。フウコを追い込めば、サソリを殺せる上に、身体を薬漬けにされる事も無くなる。

 

 今度こそ。

 今度こそはと。

 もう一人のフウコは、勝ちを確信している。

 

 今まで何度もフウコを誑かし、痛め付けてきた彼女だが、須佐能乎を発動させるまでに至ったのは今回が初めてだ。あと一押しすれば、殺せる。殺しきれる。ケタケタと嗤う彼女の笑みが、フウコの髪の隙間から覗かせるかのように見えてくる。

 

 須佐能乎の握力に、右腕の関節部位が破壊された。胴体にもヒビが入り始める。しかしサソリの表情は歪まない。

 

「……おいフウコ、これで終わらせるのか?」

 

 その声は、厳しいものだった。

 

 演劇を監督する者が、本番直前のリハーサルを止めてまで粗を指摘するような程に。そしてフウコの顔が、獣から、怯え始める子供のように静けさを宿し始めた。

 

 言葉ではない。

 

 サソリの声質が、もう一人の分厚い幻術を通り抜けて、フウコの琴線に触れたのだ。

 

「手前勝手な理由で俺たちを巻き込んで、今度は手前勝手に演劇を潰すか。呆れたものだな。しかも木ノ葉を守る為だと? 下手くそな言葉を並べてんじゃねえ。単に、テメエが大切にしてる連中を触りに行きたいだけだろうが」

「……違う」

「お前は全部を捨ててここにいるんだろう。そう俺に言って、誓ったんだろう。そのお前が、そいつらに会ってなんて言うつもりだ? お前たちの為に犯罪者になって頑張ってるぞとでも言うつもりか? お前たちのせいで犯罪者になって苦しんでるぞと言うつもりか?」

 

 違う、違うと、フウコは震え始める。須佐能乎が氷のように溶け始める。チャクラの圧迫は引き始めるのを、再不斬と白は感じ取るものの、同時に疑問を獲得してしまう。

 

 フウコの身に何が起きているのか。

 

 ただ言葉をぶつけているだけ。声の質が多少変わっただけだ。何度か暴走したフウコを目撃している上に、止めるのは毎回薬を打ち込む為だ。現に今、白はサソリに言われた通りの薬を懐に隠し持っている。だがまるで、そんなものは必要なかったのだと言いたげな状況が出来上がっている。

 

 そんな心持の二人を尻目に、サソリは言葉を続けた。

 

 既に須佐能乎の拘束は解け、自由に歩ける。右腕は肘から先が外れ、床に落ちる。サソリは落ちた腕を一瞥すると、鼻を鳴らした。

 

「良かったな、俺が人傀儡で。これが普通の人間だったら、腕一本取れただけでも致命傷になりかねねえぞ」

「ご……ごめ―――」

「頭を下げる余裕があるんなら、黙って座り込んでろ。木ノ葉の事は心配するな」

「………………」

 

 うん、と消え入る声と共に、フウコはその場に座り込んだ。足を腕で抱えた姿勢。足と胸の間に顔を埋めると、彼女はピクリとも動かなくなった。無音が、彼女を中心に広がった。

 

「まあ、出来は悪くないと言ったところだな」

 

 大きく息を吐いたサソリに、再不斬は「おい」と声を掛けた。

 

「これはどういう事だ」

「ん?」

 

 と、サソリは何食わぬ顔で振り返る。

 

「何の事だ?」

「今の茶番劇の事だ。そんな簡単にそいつがおとなしくなるんだったら、どうして今まで使わなかった」

「ああ、そのことか。いや、隠していた訳じゃねえ。単純に、使えるかどうか分からなかったからだ」

「ああ? 説明になってねえぞ」

「説明する時間が勿体ねえ。とりあえず、おい小僧、持ってきた薬を寄越せ」

 

 白が手渡してきた薬と注射器をフウコに使用する。首元に針を差し込み、薬を投与する。たちまちフウコの四肢は弛緩し、軽く押すだけで床に仰向けになった。うすぼんやりとした瞳の焦点は不動のまま、瞼は微かにだけ開いている。軽く目の前で指を振るが、彼女に反応は微かも無かった。

 

 意識は失ったようだ。

 

「よし、これで安全圏だ」

 

 空となった注射器を放り投げると、サソリはフウコの傍に腰を下ろした。再不斬や白に背を向けたまま、サソリは言う。

 

「……今やったのは、催眠術みてえなもんだ。お前らも分かっていただろ? 俺の声が変わったのを」

 

 再不斬と白の聴覚は、確かに捉えていた。深い霧の中で暗躍できる二人の聴覚は鋭い。フウコに異変が起きたのは、サソリの声が変わってから。

 

「今後計画が進行していく場合、俺がこいつの傍にいない場面も出てくる。そんな中で勝手にぶっ壊れるのが最悪だ。それを防ぐために、薬を打ちながら、フウコに縛りを加えておいたんだ。色々、こいつの頭の中をいじりながらな」

 

 フウコを調整する薬もタダではない。失敗作も、何度造った事だろうか。その失敗作をただただ失敗だと諦めるよりも、サソリは有効的に使おうと考えた。

 

 薬を使わず、声さえ届けばフウコを制御できる手段。

 

 失敗作で苦しみ悶えるフウコに、声質を微かに変えて語り続けた。何度も何度も。

 

 死にたいのか?

 このままだと死ぬぞ?

 いいのか?

 ああ、死にたいのか。

 お前が死んだら、他の連中も死ぬぞ。

 破滅するぞ。

 死にたいなら死ね。

 もう二度と、何も触る事のできない地獄に落ちろ。

 

 いつしかサソリのその声は、フウコに強制力を持った。鈴を鳴らせばペットが涎を垂らして食事に期待を持つように、サソリの声がフウコに痛みと苦しみと恐怖を想起させるようになった。

 

 そのことを滔々と語ったサソリは、「そんな事よりも」と話題を切り替えた。

 

「お前らに依頼を出す。すぐに木ノ葉へ行け」

「……木ノ葉は滅びねえんじゃねえのか?」

 

 突如の依頼に、再不斬は声を荒げる事は無く尋ねた。サソリからの依頼は、いつどんなタイミングかというのは分からない。だが、導入部の無いシンプルさは、悪くはなかった。

 

「木ノ葉は滅びない……だが、傷は付けられる。その傷が大きければ大きい程、フウコの―――」

 

 サソリは言葉を止めた。

 白は不思議そうに彼を見つめるが、再不斬は言葉を待つことなく尋ねる。

 

「木ノ葉に行って、何をすればいい」

 

 単純だとサソリは、溜息のように呟いた。

 

「木ノ葉を守れ。どいつもこいつも、一つの漏れなく、命を救って来い」

 




 あけましておめでとうございます。

 年を越してからの投稿となってしまいました。誠に申し訳ありません。

 去年は投稿ペースが下がってしまった年となってしまいました。今年はなるべく、以前のようなペースに戻したいと思っております。

 今年は、あるいは今年も、ご清栄な日々を、これを読んでいた方、そうでない方も、お過ごしいただけたらと思います。

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