いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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万の夜を超えて 前編

「あぁぁぁぁぁああああああぁぁああッ!」

 

 タガが完全に外れてしまったのか、イロミはただ絶叫しかあげなかった。須佐能乎を形作る強固なチャクラの塊を振動させる声は衝撃そのもの。空気は震え、地面を揺れさせ、試験会場の者たちの動きを止めさせる。

 

 誰もが耳を両手で塞ぎ、頭痛に瞼を歪める中、イタチだけが、彼女を真っ直ぐと見据えていた。激痛が全身の感覚に成り果て、立っている自覚すらおぼろげだ。しかし、イタチの表情は死への恐怖を抱いている脆弱さを宿してはいなかった。

 冷静そのもの。

 将棋盤を前に、劣勢の盤面を覆す一手を考える棋士のようだった。いや、確かに彼は考えていたのだ。どうすれば、友達を叩きのめす事が出来るのか。それ唯一を考え抜いている。今ある自分の手札と、それ以外の手札を、条件に照らし合わせて。

 

 条件。

 

 つまり、自身の状態である。

 イタチは……もう、一歩も動けなかった。もし一歩でも動いてしまえば、身体の中心が欠落してしまっている今では、激痛が意識を貪ってしまうだろう。腹部を覆う部分影分身の術は解け、血液も内臓も、命と共に身体から抜け出て、終わる。

 

 動いてはいけない。

 術を発現させる為の印も結べはしないだろう。

 

 出来る事は、極めて僅かだ。須佐能乎を動かす事と、写輪眼の力。

 

 これら、二つだけだ。けれども、どちらとも強力な力ではあるものの、イタチは絶対の信頼を寄せてはいなかった。須佐能乎を発現している今でも、激痛は時間を重ねる事に痛みを招いてくる。ましてや、写輪眼はチャクラを多大に消費する。使い続けるには、払うべきリスクがあるのだ。

 

 無手にも近い状況。

 

 それでも、イタチの思考は進んでいく。

 激痛に狂わされる事無く、死への恐怖に竦むことなく。条件という石を躱しながらも軌跡は輝きを以て前進する。

 手放してはいけない。親友が繋ぎ、紡ぎ続けてくれた意識と、時間と、絆を。

 イタチの集中力は、あの夜(、、、)を寄せ付けないほどの強度を誇っていた。

 だがそれを押し潰さんばかりの圧力を、イロミは放つ。

 

「ぎぃいぃいいいいいいいいぁぁぁぁぁあああああああッ!」

 

 絶叫が、より強くなる。しかし、先ほどの絶叫と異なっている事を、写輪眼が視界として捉えていた。須佐能乎に捕まれたイロミの周りに、チャクラが集まり始めたのだ。集まったチャクラはイロミに入り込んだが、すぐに余剰分が溢れだし、冷気のように地面へと降りていった。

 

 その一部が、須佐能乎の手と腕に纏わり付く。

 そして―――石化(、、)したのだ。

 チャクラの塊であるはずの須佐能乎の腕は完全な物質である石となり、自重を支えられなくなったせいか、ヒビが生まれ、脆くなる。イロミは腕力で、石像となった手を砕き、そのまま腕をつたって迫り来る。

 

 ―――そんな事も出来るのか…………。

 

 しかし、イタチの思考には乱れは生まれない。新たにイロミへの情報を更新させるだけ。徹底してクレバーに考えながら、須佐能乎を操作。残った腕で薙ぎ払い、イロミを塀に叩き付けた。

 

 ―――微かに触れた部位だけでも、石になるのか。だが、衝撃は通る。

 

 イロミを払った掌の表面が、石となって崩れ落ちていくのを観測する。石になった面積も体積も、先ほどよりも小さい。捕える事は難しくとも、イロミにダメージを与える事は可能だという、一つの答えを手に入れる。

 

 ―――須佐能乎の腕を石にした……なら、術はどうだ…………。

 

 イタチは右眼にチャクラを集中させた。

 視界が深く、黒く染めあがる。勝手に発動した時よりも、黒には一切の躊躇いは無かった。黒は集約し、起き上がろうとする彼女の中心を捉え、

 

 ―――天照。

 

 発火する。

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああッ!」

 

 黒炎に焼かれ悶える。

 右眼の視界は痛みに歪み血涙に滲むが、冷徹と言えなくもない無機質な視線を向け続ける。煌々と燃え続ける炎は、しかし、イロミの身体を焼き尽くす勢いを失い、火の元から徐々に石に成り始めた。

 

 ―――この術でも石にされる。他の術も、石にされると考えた方がいいだろうな……。

 

 また一つ、イタチは答えを見つける。詰将棋のように、一つ一つ、丁寧に、思考の道筋に条件という石を置き、選択肢を明確にしていく、追い詰めていく。自身の不利を覆す為に、勝率を上げる為にだ。

 

 勝敗を決する条件が双方同一である場合。

 勝負する前から、勝敗が決まっている勝負は存在し得ない。

 勝負が始まる寸前までは、常に勝率は五十パーセントなのだ。

 勝敗は目に見えていると、勝負の前に語る者は、勝負が始まった瞬間から加速度的に変動し得る勝率を捉えきていない事への諦観を受け入れているに過ぎない。逆転劇を目撃し、奇跡と言うのと原理は同じだ。必然的な結末を、奇跡などという言葉で蓋をしているに過ぎないのと、全く同じなのだ。

 

 手持ちのパーセンテージを勝負が始まった瞬間から、どれほどキープできるか、あるいは増減の配分を上手くコントロールできるか。勝つ、負ける、という現象はその上で導き出されるものである。努力も才能も、勝率を確保する手段を実現させる、その可能性を、あくまで高める為のものでしかないのだ。

 

 故に、努力とは単純ではない。

 故に、才能とは扱い難いのだ。

 

 頑張れば報われるというのは幻想だ。頑張ったことを実現できた時に、報われるのだ。勝率を動かす為の努力のみが、本当に報われる努力なのだ。頑張っている、やる気がある、それらは全て、装飾に過ぎない。

 

 才能の広域性はアンバランスだ。勝率という点をカバーしながらも、ピンポイントに動かす事は出来ない。足が速いだけでは勝てない、腕力があるだけでは勝てない、だからこそ才能を持つ者は皆、自身の才能のバランスを取る為に努力するのだ。

 

 今、イタチは、ゼロではない程度の勝率を動かそうと、努力をしている。須佐能乎、写輪眼、それらの才能のバランスを取り勝率を変動させる為に、分析という努力を。

 

 ―――何故、天照を最初のように吸収しなかった……。選択が出来るのか?

 

 チャクラを吸収する事も。

 チャクラを石にしてしまう事も。

 自在に動かせるのだろうか。

 

 ……いや。

 

 ―――もう、チャクラを食えないのか………?

 

 須佐能乎で掴んでいた時に写輪眼が捉えた、外部からのチャクラ。そのチャクラは、イロミに吸収され、余った分が須佐能乎を侵食し石にしていた。それに、彼女は多くの人間を捕食し、途中から止めた。

 

 イロミ自身が許容できるチャクラ量が限界値になっている。勿論、あくまで可能性ではあるが、もしチャクラを吸収する力を行使できないならばやり易い。

 チャクラを石にされるなんてものは、何の障害でもない。

 

 天照が完全に石となって、朽ち果てる。纏わりついていた天照の残骸を振りほどき、イロミは突進してきた。

 

 須佐能乎の腕で彼女を叩き落とそうとするが、速度はやはり届かない。振り抜いた須佐能乎の腕を潜り抜け、イタチ目掛けてイロミは腕を振り抜いた。須佐能乎のちょうど胴体。イタチの顔面を吹き飛ばす事への躊躇いが一切と無い拳は、高密度のチャクラで形成されている須佐能乎を大きく振動させ、周囲の空気を弾き飛ばす衝撃を生む。しかし、チャクラの表面が石にされるだけで、拳はイタチにまでは届かない。

 

 何度も、彼女は須佐能乎を拳で殴る。時には額で。その度にチャクラは石と変えられ、剥がされていくが、量は少ない。ガラスの板を、細い針で削るにも等しい行為。全くの無駄ではないが、費用対効果から見れば挙げられる選択肢にすら入りはしない。

 

 ―――いつもの君なら、こんな無駄な事はしない。

 

 忍術勝負の時のイロミは、もっと多様な手段を使っていた。多角的で包括的な、ありとあらゆる武器、術、道具。それらを駆使し、予測を困難にさせる先手の攻めと、分析によって変化していく手段の効率化。その彼女ならば、一度二度、拳で殴り効果が薄いと判断して次の手段を即座に実行する事だろう。もしかしたら、術の継続によるチャクラ消耗を判断して、そもそも長期持久戦という最善手を打ってくるかもしれない。

 

 それに比べれば、獣のようにただ牙を剥き突き立ててくる今の彼女は、どれほど御しやすい事か。

 

 地面を抉り、岩を砕く一点の力。それは絶対的才能だろう。覆し難い、現実だ。

 

 しかし、如何に強大な才能も、乱雑な純朴さを保有したままでは、さらに強大な才能の前ではあっさりと凡愚に成り果てる。

 才能のアンバランスさ。

 一点を穿つだけの力では、勝率は動かせない。

 

 普段の彼女ならばすぐに理解したであろう。知性を失い、呪印の力に身を委ねた獣は牙を剥く。ただ闇雲に放つ拳は、殴る度にイロミ自身の手の皮膚を、肉を、骨を砕き、同時に桁外れの速度で再生を行っている。

 

 ―――力が、自分の身体に追従できていない。

 

 つまり、おそらく今の力が、彼女の力における限界の近似値。須佐能乎の防御力は、決してイロミには突破できないという事実の証明でしかない。

 

 須佐能乎の腕を動かした。獰猛なイロミを軽々と捕まえる事が出来てしまう。完全に彼女の理性は吹き飛んでしまっているようだ。手を石と変えられる前に、イロミを地面に叩き付けた。

 

 バウンドし、口から血を吹き出す彼女。イタチは容赦なく、空中にいる彼女を上からさらに、須佐能乎の拳を振り下ろした。地面は砕かれ、その隙間からは大量の血液が。もはや致死量を大きく超えている量だが、写輪眼は、捉えている。

 

 未だイロミに纏わり付く大量のチャクラを。それらが須佐能乎の腕を石にしているのも。

 腕は砕かれ、五体満足のイロミが再度突進してくる。

 闇雲に拳をぶつけ、突進してくるのだ。

 何度も潰し。

 何度も塀に叩き込み。

 時には拳の中で握り骨を砕こうとも。

 

 イロミは絶叫を伴って襲い掛かってくるのだ。

 

 もはや須佐能乎を以て、彼女に残された異常さは、異常な再生能力だけになってしまっている。

 イタチの頭の中には、彼女を叩きのめす手段は九割方、構築は出来ていた。問題は、残りの一割。その部分がどうしても足りない。自分の今の状態だけでは、決して、埋めれない部分。

 

 頭の中の候補として、他者の力を借りる事。

 

 情けない、とは露ほどにもイタチは考えていない。親友の、一人になるのか? という激励を受け止めたからだ。むしろ、頼れる他者がいる、というのを力と捉えた。イロミもまた、他者の力に頼っている。他者を食らって、自分のものにしているのだから。

 

 しかし、その他者も、一割を埋めれない。

 

 カカシでも、ガイでも、紅でも、アスマでも、他の上忍でも……足りない。

 

 彼女を止める為の、一瞬の刹那を生み出してくれる、力を持つ人物。

 

 その時……須佐能乎に砂が纏わり付いた。砂の量は、膨大だった。

 

 イタチは我愛羅を見上げる。

 

 砂だ。

 

 砂を纏った、何かが居た。

 

 何か。表現が難しい姿だったが、連想したのは、イロミの姿だった。砂の形をした、尾骶骨付近から一本の尾が生えている。そこから上は、全て、分厚い砂の鎧―――あるいは、皮膚―――に覆われ、手先は獣の鉤爪の形を作り、頭部は獣の顔を模ろうとしている。しかし、口には砂は無く、狂気なのか、怒りなのか、ただただ獰猛さだけを伝えてくる。そして、口と同様に砂の覆われていない目の部位の中心で光る黄色の瞳はギラギラと光ながら、イタチに狙いを定めていた。

 

「―――死ねえッ!」

 

 砂の化身の声に反応し、須佐能乎に纏わり付いた砂たちは圧力を掛けてくる。圧力は、イロミの腕力にも匹敵するほどのものだったが、しかし、須佐能乎の防御を上回れはしなかった。

 

 ―――振りほどこうと思えば、出来る。だが、どうして……。

 

 操作している砂だけでは力不足と判断したのか、化身は、砂を纏わせた腕を大降りに、観客席から飛び降りる形で須佐能乎に鉤爪を突き立てる。

 

 響き渡る金属同士がぶつかり合うような音は、互いにダメージが無かった事を表すだけだった。砂の拘束をものともせず、須佐能乎の腕で振り払う。我愛羅の身体は受けた衝撃そのままに地面を転がった。

 

 ―――どうしてこの子は、イロミちゃんを守ろうとしているんだ?

 

 イロミの事……あるいは、自身の過ちの事で精一杯だったが、今になって思考の中心に移動してきた。須佐能乎を展開し、イロミからの攻撃を防げるという優位のおかげか、そのことを考え始めてしまう。当然、暴れ襲い掛かるイロミの攻撃を防ぎ払いながらではあるが。

 

 我愛羅の存在。彼は、イロミを守り続けていた。会場に彼女が姿を現してから、ずっと。何より分からないのは、どうしてそこまで、彼女を守ろうとしているのかという事だ。

 

 砂隠れの里は木ノ葉隠れの里にとっては、敵側である。それは、サスケとテマリの戦闘で明確に分かった。音と砂が同盟を組んでいるのだろう。それでも、イロミを守る理由にはならない。

 

 イロミは言った。大蛇丸とは、関係が無いと。彼女の目的は答え合わせで、そして音の忍を見境なく捕食していた。たとえ木ノ葉の忍だろうと、音の忍だろうと、砂の忍だろうと、彼女を守ろうとする人物は、親しい人間を除けば、存在する訳がない。

 接点が生まれたのは、おそらく、彼女が木ノ葉の敵になってから。親しさというのが、時間経過と完全に比例するとは限らないけれど、彼女は積極的に交友関係を作ったのだろうか? 

 

 あまり、想像は出来なかった。

 

 単なる勘。はたまた、友人としての経験則。

 イロミは怒っているのだから。

 泣いているのだから。

 積極的に他者と関わろうとは、しないはずだ。

 

 ―――…………なら……。

 

 印を、結ぶ。発現した術は口寄せ。何羽かの烏を呼び寄せ、会場内を羽ばたかせる。

 

「兄さんッ! クソ、この女ッ! 邪魔すんじゃねえッ!」

 

 サスケの声が、観客席から届く。その声を遮るのは、

 

「おいテマリ、さっさとここから離れるぞッ! 我愛羅がああなっちまったら、いずれここはぶっ壊れるッ! そうなる前に、逃げるのが得策じゃんよッ!」

「分かってるッ! だが―――」

 

 少女の声は、一瞬だけ間を置いた。

 この時、少女―――テマリの脳裏に過ったのが、母との小さな約束だったことは、誰にも分からない。

 

「我愛羅を一人にさせる訳にはいかないッ! 相手はうちはイタチだッ! 間には入れないが、周りの邪魔を止めるくらいは出来るッ!」

「兄さんの―――」

「我愛羅の―――」

「「邪魔をするなあッ!」」

 

 爆風と爆炎が、観客席で生まれた。

 思考が一瞬だけ、ブレてしまう。

 大切な弟の命が危ない事への、条件反射。身体が動こうとしてしまう。いや、正に、一歩踏み出そうと、身体中の痛みを無視しようとした。家族を失ってしまった、あの夜の喪失感は、やはりまだ、心の奥底で燻っている。

 それを押し留めたのは、爆風と爆炎によって生まれた煙の中に入っていくカカシの姿が見えたからだ。

 そしてすぐさま、サスケを脇に抱えたカカシが煙の中から姿を現し、一瞬だけ、視線が交差する。互いの考えが、片鱗だけだが伝わる。

 

「おい離せッ! カカシッ!」

「悪いけど、その頼みは聞けないな。今お前がする事は、イタチのサポートじゃなく、足手纏いにならないよう、避難区画に行く事だ」

 

 カカシに合わせて、アスマ、紅、他の上忍らも動き始める。自身の部下たちを、あるいは大名らを試験会場から避難させる為に担ぎ、離れ始める。

 

 この場では、足手纏いでしかない。

 

 イロミとイタチの間に入れないと、彼らは同時に判断を下したのだ。そして、他の事に徹した方が良いと。

 

 冷静である……と同時に、冷徹でもあっただろう。須佐能乎を発動させているとはいえ、瀕死にも等しい状態のイタチにイロミの相手を任せるのは、あまりにも責任が勝ち過ぎている。

 

 しかし、それはイタチが願った事だった。

 

 口寄せした烏たちが、イタチの意図を伝えたのだ。

 

 ここは、任せてほしい。

 無茶をしている訳ではない。

 独りよがりでもない。

 ただ。

 今は、別に必要な力がある。

 大丈夫。

 信じてほしい。

 

 捉えようによっては、盲目的な独断で個人的な無謀だ。イタチの実力を知っているからこそ、独断の判断を敢えて引き受けた者もいるかもしれない。同じ行動を取ったからと言って、全員が同じ理解の経緯を辿ったという事にはならない。

 

 たとえばカカシは、彼の実力そのものは度外視していた。独りよがりではない事をイタチは自覚している。その上で、信じてほしいと語った。不安は拭い切れはしないが、ここで彼の言葉を信じなければ、今度は自分が前までの彼と同じ立場になってしまう。

 他者を頼らず、他者の責任を自分が背負ってしまうのだ。

 同調を捨て、彼の言葉と彼自身を信頼してカカシは動いた。最後に彼を一瞥したのは、確認だった。他者を騙す為の言葉ではなかったのか、と。しかし、それは杞憂だった。

 

 カカシはサスケを連れ、観客席で身を低くしているサクラの元に連れてきた。

 

「サスケくんッ! 大丈夫!?」

 

 と、サクラは勢いよく身体を起こした。下忍ながらも幻術返しを扱える彼女はカブトの幻術に嵌る事無く意識を保っていたのである。けれど、上忍たちの争いとイロミの背から現れた大蛇の暴食、そして、ナルトの尾獣化。度重なるイレギュラーと死の恐怖に、意識を保ったものの、何も出来ないでいたのだ。

 

 上司であるカカシと、頼りにしてしまっているサスケが近くに来たことで、緊張が解けた。涙目を浮かべる彼女だったが、サスケは意にも介さずカカシからの拘束を解いて彼の胸倉を掴んだ。

 

「おいカカシッ! 邪魔するんじゃねえよッ!」

「それはこっちの台詞。お前がこの場にいるだけで、邪魔になってるよ」

 

 普段の掴みどころのない飄々とした口調でありながらも、彼の表情は緊張感を伴っていた。

 

「言いたいことは分かっているつもりだけどね、今はお前の意見を聞いている時間は無い」

 

 そう言うと、カカシは印を結び、口寄せの術を行った。現れたのは、十前後の犬たちである。大きさも、おそらく品種も異なるだろう犬たちであったが、全員が木ノ葉の額当てが付けられた青い頭巾を付けていた。

 

「パックン、みんなと手分けして医療忍者を連れてきてほしい。連れて来れる限り、連れて来るんだ」

 

 パックンと呼ばれた、呼び寄せられた犬たちの中で最小の犬がカカシの言葉通りに頷くと同時に、犬たちは四方八方へと散り散りに動き始めた。

 

 当然ではあるが、イタチには、カカシの指示や忍犬らの目的は見聞きする由も無かった。イタチの思考は――勿論、襲い掛かってくるイロミの攻撃を防御しながらであるが―――導き出した答えを実行に移していた。

 

 既に、彼は我愛羅の瞳を見ていた。

 

 いや逆かもしれない。我愛羅が、イタチを見ていたのだ。

 

 その瞳に充満する殺意と怒りの源泉を見定める為に、月詠を、発動させた。

 

 幻術空間が、我愛羅の内部に構築されていったのだ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

『牛丼にね、柴漬けって意外と合うんだ』

 

 最後に人の手に触れたのは、いつだっただろう。そんなふとした疑問を思い浮かばせておきながら、それをあっさりと吹き飛ばすように二転三転と切り替わる彼女の話題は、鬱陶しいものだった。

 食事中にわざわざ隣に座ってきては、手を握ってくる。こちらから話題を振っていないのに、どこから湧いて出た話題を出してくる。夜中になって勝手に寝静まるだろうと思ったら、急にメソメソとさざめき泣く時もあった。

 

 嫌が応にでも自分の感覚に割り込んでくる。

 

『サスケくんっていう子がいるんだけどね……。その子が、間違って買ってきたんだよね。だけど、いざ作ってみたら、悪くなかったんだ。今度、試験が終わったら、食べてみたら?』

 

 そして、なんとなく。

 

 彼女は全部を無くそうとしているようだった。自暴自棄になって、自分を消したくて、抱えてきた色んなものを投げ捨てたくなっているように見えた。我愛羅自身にも、そういう感情を経験した事があっただろうか。

 

 もう、何もかもがどうでもいい。積み上げてきた何もかもを信奉することのくだらなさ。その感情の表れ方が違うだけで、同じように見えたのだ。積み上げてきた事を口に出して、消えて無くなろうという意志が見えた。

 

 けれど、その意志はか弱くか細く、どこか、何かに縋ろうとしている。

 

 手を握ってくるのは、そういう意図があるからだ。

 

 彼女は何がしたいのだろう。

 どうして、語り掛けてくるのだろう。

 小さな疑問が、徐々に生まれていった。稚拙なものだ。靴に付いた砂埃程度だった。あくまで我愛羅の彼女に対する評価は、鬱陶しい、その一言に過ぎない。殺すべき相手でも無い、という意味では、テマリやカンクロウと同じ程度だ。むしろ、殺したい相手よりも関心は低い。

 

 最後に―――イロミが、我愛羅の元を離れた日―――彼女が言った言葉が、我愛羅にとって、関心を高めた。

 

『我愛羅くん。君に会えて……良かった』

 

 風が吹く、その様だった。名残りだけを一方的に押し付けるだけ押し付けて、姿も形も消え失せていく風。最悪には、砂埃を巻き上げて網膜に傷を付ける。

 

『君が傍にいて、君がいてくれて、良かった』

 

 意味も無く、鬱陶しいだけの時間を共に過ごした狭い部屋から出て行った彼女の後ろ姿は、嫌に目に焼き付いた。突飛に、さも当然だというように、呟かれた言葉。彼女にどんな意図があったのかは、分からない。ただ、言われたという事実が、衝撃的だった。

 

 他者とは、殺して初めて価値がある。

 

 自分という存在に恐怖し、そして抹殺して来ようとする他者を殺し、自分の存在価値を実感させてくれるだけの。

 

 我愛羅にとっての、絶対的価値観だった。

 

 今まで、何もしていないのに恐怖され、蔑まれ、孤独へ追い込まれ、実の父から命を狙われた人生が積み上げてきた基準。他者を殺してようやく、我愛羅は自分を認識してきた。

 

 しかし彼女は、違った。

 

 自分に恐怖する訳でもなく、殺そうとする訳でもなく。

 ただ同じ空間にいて、ただ一方的に話しかけてきておいて、ただ一方的に手を握ってきて。そして、そこにいて良いのだと、言ってきた。

 

【だから君は、彼女を助けようとしたのか?】

 

 助ける。積極的な感情は、無かったように思える。

 知りたかった、と言うだけだ。

 彼女が離れてから、彼女が何を思ったのか。それを知りたくて、砂を動かした。彼女が衣服から大量の起爆札を出した時も、呪印に完全に呑み込まれそうだった時も、イタチと対峙してしまった時も。

 

 結果的には、助けてしまったことになっている、と言えるだろう。

 

【どんな事を聞きたいんだ?】

 

 尋ねられても、答えは出なかった。

 何を尋ねようとしていたんだろう。

 

「シャハハハハッ! ただぶっ殺してえだけに決まってんだろうォッ!」

 

 背後上部から汚い笑い声が入ってくる。一日中ずっと、意識を圧迫してくるソレの声は聞き飽きてしまっているが、目の前に立つ彼の赤い瞳が、ただただ不愉快さだけを示すままに砂の化身を見上げた。

 

【少し黙っていてくれ。俺は彼と話をしているんだ。邪魔をするな】

 

 彼が軽く右手を上下させると、砂の化身は呆気なく霧散した。圧迫し続けていた意識は軽くなったが、完全に消滅したという訳ではないだろう。あの化物が静かにしている程度。奥底では、忌々し気に、化物の唸り声が鳴っている。

 赤い瞳がこちらを再び見つめる。

 

【力を、貸してくれないか?】

 

 彼は言った。

 

【もし彼女を助けたいと思っているなら】

『……お前にとって、あの女は何だ?』

【友達だ】

 

 彼はまた、断言した。けれど、その言葉とは裏腹に、二人の繋がりは言葉の性質を宿しているようには思えない。少なくとも、彼女は友達と言う関係を否定し、敵とまで言っていた。

 

 そう、敵。

 

 なのにどうして目の前の彼は、友達だと、そのまま言えるのだろう。彼の瞳には殺意や怒りと言ったものは見受けられない。

 

『殺すのか?』

【そんな事はしない。ただ、今は……少し、仲違いをしているだけだ。だから、仲直りする為に、彼女と喧嘩をして、話し合う。どうすればいいのか、話し合う為に】

『あの女はお前を殺そうとしているのにか? 話が通じるとでも?』

【そうまでして、俺に伝えたかった事があったんだ。俺がそれに気付いてあげられなかったから……気付いてあげようという努力が足りなかったから、彼女はその手段を使わざるをえなかったんだろう。彼女に―――イロミちゃんに、失望されただけだ】

 

 失望された。

 だから、殺すという手段を用いてきた。

 彼の見解は、果たして、あの時の夜叉丸にも当てはまるのだろうか?

 失望ではないにしても、夜叉丸は自分に伝えたかった事があったのだろうか?

 

【失望させてしまったのなら、困らせてしまったのなら、俺はそれを改善する。だが今は、彼女は俺に言葉をぶつけてはくれる状態じゃない。言葉以外の暴力を全て、彼女から奪う必要がある】

 

 だが、と彼は続けた。

 

【もしかしたら、彼女は追い詰められた時に、俺の前から姿を消してしまうかもしれない。そうなった場合、俺はそれを防げない】

 

 今のイロミはチャクラを限界まで吸収した状態で戦っている。肉体の限界を超えながらも、異常なまでの再生能力で誤魔化し、がむしゃらに向かってきてくれている。けれど再生に使ったチャクラが少なくなれば、また彼女は食事を始めるだろう。あるいは、試験会場から離れて、別の場所で食事を始めてしまうかことも考えられる。一歩も動くことの出来ないイタチでは、追いかける事は不可能であり、泥沼になってしまえば、負けるのはイタチだ。

 そうならない為に、上忍たちに他の場所へと移動してもらい、そして我愛羅に交渉を持ちかけた。彼の忍術は、イロミを拘束する条件では適している。近付いてしまい捕食される危険も無く、拘束させるには十分な力も持っている。

 

【イロミちゃんを助けたいと思っているなら、力を貸してくれ。君が、彼女の事を想っているなら】




 投稿が大幅に遅れてしまい、誠に申し訳ありません。どこまでで話を切るべきか悩んでしまいました。結果、前編後編で分ける事に致しました。

 次話は来月になってしまうかもしれません。今回のような期間にはならないと思います。

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