いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい申し訳ありません。話しの区切りが付かず、長くなってしまいました。後編は、今夜(あるいは明朝)に投稿します。


万の夜を超えて 中編

 テマリの意識が完全に我愛羅に集中してしまっていたのは、試験会場の中にいた木ノ葉隠れの里の上忍らが大名らと下忍らを避難させ、もはや敵対する相手がいなくなったせいもあるだろう。勿論、物見櫓の上に展開されている四紫炎陣の前にただ立ち尽くすだけの暗部の者らが幾人かはいるが、彼らの警戒範囲の中には常に君麻呂がいる。君麻呂がイロミの邪魔にならないよう暗部の者らを牽制しているおかげで、実質的にテマリとカンクロウを狙う者はいなかったのだ。

 

 しかし、たとえ、敵対する者がいたところで、テマリの変化に差が生じたのかと言えば、決してそうではない。起こりえない事が、起きたのだから。

 

 我愛羅の暴走が―――治まったのだ。

 突如として。

 前触れも無く。

 

 見た限りでは、我愛羅が誰かからの干渉を受けた様子は無かった。と、言うよりも、つい一瞬まで彼は、うちはイタチに対して獰猛な感情に任せて攻撃を仕掛けていた。しかし、身体に纏わり付いていた邪悪な模様の砂が消え失せた後の彼は、普段の冷たい無表情のまま。そして、イタチへの攻撃をパタリと止めたのだ。

 

「おい……これって、どういうことじゃん………?」

 

 隣でカンクロウが震えた声を出した。テマリは応えない。カンクロウの言葉が耳に届いているかも定かではなかった。

 

 我愛羅は静かに、イタチの横に立つ。

 

 彼が見据えるのは、イロミ。殺意に光っている訳ではなく、破壊衝動に憑りつかれている訳でもない。その眼に宿している色が何なのか、テマリには分からなかった。そして同時に、イタチに対しても同様の疑問を抱いていた。

 すぐ横に立つ我愛羅には、須佐能乎の巨大な腕が簡単に届いてしまうはずだ。だが腕は我愛羅を密かに狙うかのような微かな緊張は無かった。

 

 幻術に嵌ったのではないかという考えが、テマリの頭を過った。

 写輪眼。

 三大瞳術の一つ。ましてや、うちはイタチだ。こちらが気付かなかっただけで、写輪眼の幻術が発動していたのではないか。

 

 しかし、我愛羅の周りを漂う砂の動きがその考えを否定した。柔軟にゆらりゆらりと漂いながらも獰猛な気配を滲ませる砂の動きは、普段の我愛羅のソレと遜色は無かった。これまで彼の傍で―――あるいは遠くで―――眺めていたテマリだからこそ理解できる、経験則。表情の機微が少ないからこそ、彼を象徴する砂の動きの表情は、詳しかった。

 幻術に掛けられてはいない。

 見解は出ても、我愛羅と、そしてイタチの二人の変化が理解できる訳ではなかった。

 

「あ……はははは………………」

 

 静寂の中を、二人と対峙するイロミの乾いた笑い声が歩き回った。

 全身全てが血に染まったバケモノ。

 月の形を連想させるように歪み開いた口からは、微かにだけ白い歯が姿を現す。全身の赤が強烈過ぎるせいか、僅かに見える歯の白は生々しく光っていた。

 

「……あ、ははははは……………。あははははッ! キャハハハハハハハハハ! 美味しそうなのが、一人……ふえたぁあああああああッ!」

 

 一閃の影となったイロミの照準は我愛羅を一直線に捉えていた。

 我愛羅の砂が、弾丸と成った彼女を捕まえようと動き始めるが、あまりにも速度が達していなかった。ようやく触れる事の出来た数粒の砂が大きく弾かれる残滓の前に、イロミの拳は我愛羅の顔面を叩く。イロミの速度が拳を伝達し、我愛羅は観客席側の壁に衝突した。

 

 ちょうど、テマリたちの真下だ。

 

「……!? 我愛羅ッ!」

 

 壁の破片に包まれ姿を見下ろせない我愛羅に向かって、テマリは咄嗟に叫んでしまった。観客席にまで伝わってくる衝撃は、たとえ我愛羅であっても無事では済まない事を予感させるものだったのだ。

 返事は無い。

 薄ら寒さに、テマリは汗を滲ませる。

 嫌な予感がした。

 そう、我愛羅の身を案じたのだ。

 

 いや。テマリが一度として、我愛羅の身を案じなかった日は、無かったかもしれない。

 

『気になる?』

 

 砂の輝きのように、温かい声が浮かんだ。

 母の言葉。そして見上げる母を見て笑う小さい自分が見えたが……絶叫に、かき消される。

 

「死ぃねぇぇぇえええいいいいいいいいッ!」

 

 間髪を許さない追撃を知らせるイロミの雄叫びに、戦慄が走った。

 我愛羅の砂では、イロミの暴力を受けきれない。たとえまだ我愛羅が無事であっても、今度こそ、殺されてしまう。

 反射的に観客席から降りようとしたが、それより速く、須佐能乎の腕がイロミと我愛羅の間に割って入った。腕にぶつかった衝撃は空気を震わせるが、軽々と須佐能乎はイロミを反対側の塀に叩き付けた。

 

「力を貸してくれるのはありがたいが」

 

 イタチは背を向けたまま、小さな忠告をした。

 

「君を守りながらでは、どうしようも出来ない。本末転倒だ。距離を取っていれば、彼女から狙いが外れる。そこから砂を使えば―――」

「黙れ」

 

 破片から現れた弟の姿に一瞬だけ胸を撫で下ろすが、すぐに彼の状態に息を止める。

 

 ふらふらとした足取りは、ダメージが意識にヒビを与えている証左。背負っていた砂の瓢箪は形を崩し、我愛羅の足元を弱々しく動いている。壁にぶつかる間際、瓢箪をクッションとして機能させたのだろう。だが、震えている小さな背中が、砂のクッションがダメージを受けきれなかった事を示すばかりだ。

 

 ボロボロと、我愛羅の表皮を覆っていた砂も剥がれ落ちていく。その中には、血を含んだ砂もあった。いや、砂が剥がれ落ちても尚、血は落ちている。今まで我愛羅を見てきたが、初めて目撃してしまう程の出血量だった。

 

 我愛羅に宿る、砂の化身の力。宿主である我愛羅を自動で守る砂の力を以てしても尚、吐き出されてしまう血の量は、イロミとの力量差を示している。

 

 おそらく。

 

 砂の化身に乗っ取られていない状態においては、最も力量差がある相手だ。本来ならば、強い相手を前にした際、我愛羅の昂りに合わせて化身による意識の侵食に伴った砂の鎧が生まれるのだが、砂自身にその兆候は見られない。

 

 ―――どうして、化身は動こうとしないッ!

 

 口元の血を拭い捨て、砂は動く。

 イタチの忠告は一切に無視して。

 低く速く、砂はイロミの足から絡めとろうと―――。

 しかし、捉える事は出来ない。

 砂を置き去りにする速度。

 砂の端に触れても振り払う力。

 イロミの拳は、我愛羅の頬を振り抜いた。衝撃はそのまま我愛羅の身体を横に吹き飛ばすが、初撃よりかは、身体は浮きはしなかった。寸前、拳と自身の間に砂を滑り込ませたおかげだろう。砂の量も、さっきよりも多かったのも衝撃が軽減された要因だ。吹き飛ばされながらも確かに両足で姿勢を保ったまま砂を行使するが、やはり、結果は変わらない。イタチが何とか、須佐能乎でイロミの攻撃が我愛羅に届かないようにするが、彼の攻撃すら当たらない。

 

 やがて、戦況は明確に提示される。

 イロミは休まず、我愛羅とイタチに攻勢を仕掛け続けた。須佐能乎の拳に弾かれようと、中空で姿勢を整え壁を蹴り、我愛羅に、イタチに、突撃する。二人とも、彼女を完全に捉える事が出来ていなかった。

 

 ―――どうして……………。

 

 と、テマリは奥歯を噛みしめる。

 イタチは我愛羅を守ってはくれているが、全てではない。イタチのサポートを潜り抜けて、イロミの拳が幾度も我愛羅の肉体に埋め込まれる。

 

 ―――どうして、化身は我愛羅を守らない……ッ!

 

 我愛羅はイロミに向ける砂の量を調整している。砂が空振りした場合に備えて、守る為の砂に配分を多くし、ダメージを減らす為。オートで守れる砂であっても、イロミの初速に対して、攻めから守りに切り替えるまでの砂の挙動が追いつかないからだ。

 

 だが、ならば。

 

 砂の鎧に身を包めば、そんな手間をしなくても済む。

 化身に意識を侵食され始めた彼ならば、身に纏った分厚い砂の鎧が、少なくとも、ダメージを今よりも遥か安全に防げるはずだ。

 宿主である我愛羅が傷付き続けているというのに。

 いつもは恐ろしいくらいに……我愛羅の強さを支えてくれたというのに。

 

『しっかり傍にいてあげてね』

 

 傍に。

 傍に、いてあげる。

 我愛羅の、家族の、弟の。

 

 そうだ。

 

 今はいない。

 アイツは。

 あの、バケモノは動かない。

 我愛羅を守る事が出来る力が発動していないのだ。あの悍ましい力は無い。

 そして、我愛羅は今、何かをしようとしている。何かを達成しようとし、傷ついている。

 今だけは。

 たったの、今だけは、我愛羅への恐怖は、これまでよりも幾許か。

 あるいは。

 恐怖に押し潰されようとしていた家族への感情が、頭を上げる。

 

「……約束、したんだ…………」

「……は?」

 

 気が付けば口にしてしまっていた言葉に、隣のカンクロウは不思議そうに瞼を大きく開いた。

 あの時、自分は愛していた。

 まだ見ない弟を。

 これから見えてくる弟を。

 その想いを元に母と、約束をしたのだ。

 

「……私たちは、家族なんだ。母さんと、約束したんだ…………」

 

 確認するように。

 自分に、言い聞かせるように。

 もしかしたら寝ていた化身が起きるかもしれないという恐怖を押し殺すように。

 守らないと。

 約束を。

 我愛羅を。

 傍に。

 

「お、おいテマリ! お前、何を―――」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 限界が近付きつつあることをイタチは理解していた。自身のチャクラ量は僅かで、肉体に襲い掛かる激痛は意識を保てる水位の僅か上を揺蕩っている。現状の劣勢が続いた果ての結末は、想像に容易い。

 そうなる前に、打開策を講じなければいけない。

 

 手段は―――ある。

 

 だが、なるべく、使いたくはない手段だ。この手段を用いれば、たとえ事態が全て治まったとしても、元通りになる事はない。仲直り(、、、)が出来なくなってしまうかもしれない。

 

 故に使うのは、最後の最後。今ある手の内でどうにか、戦況を打開したかった。

 

 イタチは我愛羅をサポートするように須佐能乎を綿密に動かしている。

 イロミを捕まえようとする砂の速度は徐々に速くなっていっているが、それは、砂の量が少なくなってきているからだ。つまり、自身を守る為の防御用に回してしまっている事が起因している。

 

 イロミを助けたいという想いと同時に潜む、自分が傷付きたくないという小さな恐怖の芽。その芽を自覚してしまっている自身の苛立ちと、自分の力が及ばない事への怒りが、我愛羅からは汲み取れた。

 

 本当は、我愛羅にはイロミが逃げないように広範囲の砂の檻を作ってくれるだけでいい。イロミのターゲットにならない距離でじっくりチャクラを練り、強固な檻を作ってほしいのだ。実際、我愛羅のサポートをしないだけでもチャクラの消費は減らせる上にイロミを真正面から叩き潰せるのだから。

 けれど、イタチは静かに、我愛羅の意図を尊重するようにサポートを続けている。

 

 それぐらいの事を、しなければ。してみせなければ。

 

 我愛羅の砂の運用が効率的になるように、須佐能乎である程度、イロミの攻撃の方向性を縛っている。我愛羅自身もそれを理解してくれたのか、次第に防御に回す砂の量は一定量から増えなくなっている。

 

 問題は、攻めだ。

 

 イロミの動きを封じるには、彼の砂は有効だ。だが、微かにでも防御に砂を回されては、拘束に必要な砂の量が足りない。

 たった一瞬だけで良いのだ。

 一瞬。

 その瞬間だけ、防御の砂全てを、イロミを封じるのに使ってほしい。

 しかし、それは賭けである。

 イタチ自身のチャクラは残り少ない。

 つまり、イロミの動きを一瞬だけ封じれる回数が限られている。

 出来れば、一度目で完全に封じたい。

 

 どうすれば、彼が一歩でも前に、勇気を振り絞ってくれるか。

 

 と、その時。

 

 風が、吹いた。

 

 鋭い、そう、空気を裂くような風で、空気を呑み込むような風だった。

 風は今まさに跳躍し我愛羅に攻撃を仕掛ける寸前だった空中のイロミを捉える。風が、イロミの攻撃の軌道を逸らし、振り抜いた拳は我愛羅の顔の横を通り過ぎた。予想外の事だったのか、イロミは受け身を取る事も出来ないままに壁に激突した。

 

 イタチと―――そして、我愛羅は風がやってきた方向を見上げた。

 

 そこには、身の丈の大きな扇を広げた少女が、目端を震えさせて、こちらを見下ろす姿があった。

 前触れの無かった介入に、流石のイタチも思考に乱れが生まれた。

 

 結果だけを見れば、イロミの攻撃を防いでくれたことになるが……。イタチは彼女―――テマリとサスケが戦っている場面を目撃してしまっている。その場面が、イタチに微かにテマリへの微かな警戒心を与えてしまった。

 

 けれどすぐに、警戒心は解ける。

 

 テマリは観客席から飛び降りると、我愛羅とイロミの間に立った。

 

「邪魔をするな……テマリ」

 

 イロミの攻撃を受け、出す言葉さえ不安定な我愛羅の声は、微かばかりの苛立ちを伝えてくる。

 

「どけ……っ。あの女は、俺が―――」

「私も、手を貸す」

 

 扇を後ろ手に構えたままテマリは、ゆらりと立ち上がるイロミを睨み続ける。

 

「私の風じゃ、アイツの動きを完全に止める事は出来ないが、攻撃の軌道をズラすくらいは出来る。そうすれば、砂をもう少し回せるだろし、他の砂を使うチャクラも回せるはずだ」

 

 強い進言だったが、扇を握る手はイロミの狂気に当てられ震えていた。

 ダラダラと止め処なく零れる大量の血液をイロミは長い舌で舐め取っていく。

 いつ、どのタイミングで動くのか。写輪眼を持っているイタチや、自動で動く砂の盾で守られている我愛羅ならばいざ知らず、テマリにとっては火花の見えない爆弾がすぐ目の前に置かれているようなもの。

 

 それでも彼女は、扇を強く握りしめ、闘争心を翻しはしない。

 

「いいから……、邪魔だ、テマリ。どけ」

「………………」

「お前と、あの女は関係ない。俺が、あの女に……用が、あるだけだ。ただでさえ、面倒な事態なんだ………足手纏いは、御免だ」

「………………」

「さっさと……どけ。言う事を聞かないなら………」

「―――ッ! お前こそ、私の言う事を少しは聞けッ!」

 

 その瞬間だけ、テマリの震えは消えていた。

 

「私は……お前の姉だぞッ! 家族だぞッ! 今の今まで散々お前の我儘を聞いてきたんだッ! 今くらいは、私の我儘を聞けよッ!」

「何を……都合の良い事を言っている…………。何が………家族だ……………。勝手に化物と、呼んでおきながら……………」

「一度も、呼んだことは無いッ!」

 

 そう。

 テマリは、ずっと。

 我愛羅そのものを化物と呼んだ事はなかった。

 彼の中にいる化身と、我愛羅は、テマリの中では常に別の存在として認識していた。勿論、我愛羅の人格には欠落があり、その上危険性も孕んでいるという認識も持ち合わせてはいる。牽強付会にも等しいものではあるものの、テマリは一度として、我愛羅を化物という侮蔑で呼んだことも、カテゴライズした事も無かった。

 

 どんなに怖くても。

 どんなに恐ろしくても。

 どんなに。

 どんなに悲しくても。

 毎日、朝を迎える度に。

 毎日、夜を超える度に。

 

 我愛羅が家族という認識は、無意識に、再構築していた。

 

 だって、彼は、

 

「お前は……弟なんだぞッ! 私の弟だッ! それだけは、ずっと、変わったことは無い」

 

 とても、当たり前の言葉だった。

 

 当たり前で、けれど日常的には出さない、だからこそ大切な言葉だった。

 

 伝えたかった。日に日に、孤立していき、それを受け入れてしまった我愛羅に、伝えたかった。

 

 死んでしまった母の想いを。自分の想いを。

 

 しかし、幼い頃に我愛羅の中の暴走を目撃してしまった彼女には、その光景はあまりにも強烈で恐怖そのものだった。

 

 だから、言えなかった。

 

 そう。単純に、怖かったから。

 

 言えなかった。言ってしまえば、我愛羅の琴線に触れてしまうかもしれないと、思ったからだ。

 

 しかし今は違う。

 

 我愛羅の中にいる化身は動かず。

 

 ともすれば我愛羅よりも恐ろしい悍ましい存在が目の前にいる。

 

 ならば言葉を止める理由は失している。

 

「……手を貸す。私を足手纏いにしたくないなら、お前が、何をしたいのかはっきり言え。―――うちはイタチ」

 

 突如、名を呼ばれたイタチは目線だけを彼女に向けた。

 

「なんだ?」

「アンタは、我愛羅の敵じゃないんだな……」

「ああ」

 

 イタチにとっては、少なくとも、敵ではない。かといって、信頼できる仲間という表現もどうやら正しくはなく、味方という認識も誤っているだろう。同じ方向を見ているだけ、というのがしっくり来る。

 

「おい、カンクロウッ!」

 

 テマリは叫んだ。

 

「お前も降りて来いッ! 手を貸せッ!」

「ちょ……おい待てよッ!」

 

 観客席から、大慌ての顔をカンクロウは出した。

 

「我愛羅でさえ手こずるような相手に、俺らが敵う訳ないじゃんッ! それよか、我愛羅を連れてさっさとこっから―――」

「早くしろッ!」

「どうしたんだって、急にッ! 状況考えろよッ! 俺たちが出る幕じゃねえってッ!」

 

 カンクロウの躊躇いは正常だった。非常に正しく、明瞭な判断と言える。彼自身も、自分の判断は間違っていないと自負していた。

 

 しかし、どうしてだろう。

 

 こちらを見上げるテマリの表情が、それは違うと瞳を介して伝えてくる。

 テマリが頭の良い人物である事は弟であるから良く知っている。だから伝わってくる意志は、正しいと自信を持っていた判断を揺るがしてくる。

 

 そして、ふと、合ってしまったのだ。

 

 たった一瞬だけ、こちらを一瞥した我愛羅の視線と。

 我愛羅からは何の意志も伝わってこなかった。

 何も伝えて来ようとしなかったのか、そもそも何も意志が無いのか。

 カンクロウが感じたのは、ただ一つ。

 

 怒りだった。

 

 今まで何度と我愛羅の態度には怒りを覚えた。辺り構わず殺戮衝動を出そうとし、それを止めようとすると身勝手に殺意をこちらに向けてくる。その視線には、ただただ、邪魔だと、鬱陶しいという感情以外は何も込められていない。

 

 だが、今の我愛羅の視線は、空っぽだった。

 期待も何もしていない。

 それが、カンクロウの感情限界を崩壊させる重大な要因となり、檻のように留めていた観客席の縁を容易に飛び越えさせた。

 

 着地した足は、衝撃を受け流すばかりか、伝い昇る衝撃を真っ向から押し潰すかの如く地面を踏みつけた。

 

「ああッ! 分かったよッ! やればいいんだろッ!」

 

 吐き捨てる言葉に勢いを付けるように、カンクロウは背負っていたモノを包んでいた包帯を解いた。中からは、カンクロウの背丈と同じ程のカラクリ人形が姿を現す。人の形を元に、腕を六本持つ、黒いボロ衣を纏った人形。十指からのチャクラ糸は流麗にカラクリ人形【烏】へと接続され、カタカタと口を鳴らした。

 

「おい、我愛羅ッ!」

「……なんだ?」

「手ぇ貸してやんだから、しっかり俺を守れよッ! もし俺が死んだら……化けて出てやるじゃんッ!」

 

 彼の言葉に、我愛羅は返事をしなかった。だが、拒絶をしなかったのは、やはり、普段の彼とは何かが違うのだろう。砂は静かに、薄く広がり、テマリとカンクロウの足を過ぎていく。

 

「……さっきの術を使うのか?」

 

 我愛羅が問いかけたのは、イタチだった。やはり、互いに視線を重ねる事はしない。だが、気のせいか、我愛羅の声は落ち着きを確保しているように思える。

 

 さっきの術。

 

 月読の事だろうとイタチは察し、首を横に振った。

 

「イロミちゃんには……今、眼球が無い。俺の眼を見る事が出来ない以上、月読に落とし込むことは不可能だ。他の幻術を使う」

「上手くいくのか?」

「難しい事じゃない」

 

 と、短く応えたのは、半ば、嘘だった。

 

 幻術に落とし込むことは可能だ。超速の彼女の動きを止める手立てもあり、他の幻術による成功は、事実として難しくは無い。幻術は成立する。

 しかし、問題が全く無い、という訳ではない。

 何よりもの問題は、成立した幻術がどれほどの時間を保つ事が出来るかであった。イロミの保有するチャクラは膨大だ。並の幻術では、成立した途端にチャクラの統制が破綻しかねない。並大抵の幻術では弾かれる。

 高位の幻術は絶対条件だ。しかし、それを発動したところで、確実な制御が実現できるかと言えば、不定である。

 

 失敗すれば、チャクラを無駄に消費されるだけだ。

 

 もちろん。

 

 失敗したとしても、最後の手段はある。こちらの手段は間違いなく成功するが、使うのは望ましくない。禍根が、残ってしまうから。

 

「眼があれば……使えるんだな」

 

 表情にでも、出てしまっていたのか。身体のコントロールが遠くなっているのだろう。我愛羅の言葉に、イタチはようやく視線を彼に向けた。

 

「どういうことだ?」

「時間は掛かるが、砂を使えば、あいつの視神経を通した義眼を作れる。それでも可能か?」

 

 おそらく、可能のはずだ。

 幻術における媒介は、あくまでスイッチに過ぎない。一つの媒介を互いの共有認識として、チャクラの波長を合わせ、相手のチャクラを巻き込み操作するのが幻術の基本的な原理だ。月読も、それに漏れる事はない。

 

 義眼であっても、イタチの万華鏡写輪眼の模様を共通認識として獲得させる事が出来れば、月読は成立する。「可能だ」とイタチは首肯するものの、「リスクが高い」とも続けた。

 

「医療忍術の分野でも、他人の視神経を繋げるのには時間が必要だ。ましてや戦闘の最中では―――」

「動きを止めればいい」

 

 切り捨てるように言葉を割り込まされる。

 

「その為に、俺はここいる。あの女を止める為に」

 

 どうするべきなのか―――などと、迷う余地は無かった。

 

 月読を使えば、話せる。

 

 呪印に囚われてしまっている彼女を解放して、対話が出来る。

 

 そう。

 

 今回の騒動が全て、綺麗に恙なく、収束し解決したところで、イロミとの対話が実現するかは分からない。

 掟を破ってしまっているのだ。

 拘留は免れない。

 そして、大蛇丸の行動に乗じたと判断されてもおかしくは無い参加。大名らも気を失う前に彼女を目撃してしまっている。もはや、彼女を擁護できる要素は皆無に等しい。確定的な未来は、今だけは明細にしないまでも、彼女との対話が許される時間は、皮肉にもこの時間だけかもしれないのだ。

 

 無言のままのイタチの意志を感じ取り、我愛羅は砂を動かす。背負った瓢箪も、身に纏っていた薄い砂の鎧も総動員に、会場の地面を覆った。

 

「テマリ、カンクロウ」

 

 と、我愛羅は二人に言う。

 

「あの女を止める。時間を稼げ」

 

 口調は普段と変わらない。

 それでも、命令口調であろうと、初めての微かな信頼を背に受けたテマリとカンクロウは無言のままに大きく頷いてみせた。

 

「……キャハハハ。いいなあ、いいなあ? 私も、ソレ、欲しいぃ。お腹、いっぱいになりたいよぉ」

 

 空気が冷え込む。殺意が腹を空かせて虫を泣かせているようだった。

 イロミが身を低くした。動く構え。その象徴として、両足の大腿部が太く張り詰め、彼女のズボンを引き裂くのが目に見えた。

 

「カンクロウッ!」

「あいよッ!」

 

 テマリの合図に、カンクロウは動く。

チャクラ糸を駆使し、烏の肘から黒い弾丸を射出させた。弾丸はイロミの遥か手前の地面に着弾すると同時に、紫色の煙を噴射する。

 

 毒を粉末とした煙だった。一吸いでもすれば身体機能に悪影響を及ぼすものの、今の彼女には大した効果が望めない事は、戦闘を見ていたカンクロウは充分に認識している。イロミは毒霧の向こうから、黒い影を一瞬だけ残した速度でイタチへと突撃した。

 

 やはりイロミの拳は須佐能乎の身体を貫くことはなかった。

 

 しかし、打撃によって石と化し剥がされるチャクラの欠片は先ほどよりも大きかった。

 

 チャクラのコントロールが限界に来ているのか、コントロール出来ているチャクラの量が枯渇しかかっているのか。須佐能乎を象っている装束も希薄になりつつある。

 

 チャクラの流れを察知したのか、イロミは一段と長く拳の振り幅を長くし、砕くというよりも穴を開けるかのように拳を強くした。

 

 その瞬間を、テマリは見逃さなかった。

 

「カマイタチの術ッ!」

 

 扇を駆使して生み出される突風は鋭く、イロミの肌を切り刻みながらイタチから切り離す。突風は地面から逆巻き、イロミの身体を空中へ浮かせた。

 いくら身体機能の天井が破壊されているイロミとは言え、蹴る事も殴る事も出来ない空中では移動は出来ない。

 息を合わせたかのように、カンクロウが烏を空中へと飛翔させる。チャクラ糸で支えられたカラクリ人形は、術者のチャクラが残る限り移動に制限は無い。

 今度は、至近距離。毒霧を含んだ弾丸をぶち当てる。さらに―――。

 

「まだ……練習中(、、、)なんだけどなッ!」

 

 毒霧はあくまで目暗まし―――正確に言えば、彼女の目の代わりとなっている嗅覚を鈍らせる役割だ。そして、たとえ霧で視界を遮られていても、カンクロウのイメージは忠実にイロミの空中の姿勢を捉えていた。本来ならば、黒蟻と言う、もう一体のカラクリ人形を使った技なのだから。

 

 烏は四肢が分解される。いや、頭部もだ。それらの付け根には、骨の役割を果たしていたかのような長く鋭い刃。それらが、イロミの人体の急所に狙いを定め、貫く。

 

 勢いそのままにイロミは壁へと貼り付けられる。

 

「いくら傷が治るからって、ずっと刺さりっぱなしじゃあ、すぐには治らねえじゃんッ!」

 

 さらには刃には液体状の毒が仕込まれている。イロミの肉体を蝕む毒は、当然ながら彼女の細胞が暴食し尽くすが、その毒がある意味膜となって刃を守っていた。刃はすぐには外されない。

 

 ほんの刹那の時間の停止。それが、カンクロウに安堵という油断を与えてしまった。いや、たとえ油断があったとしても、イロミの身体機能の強靭さを減退させるにはあまりにも力不足である事は、揺るぎない事実だ。

 

 問題なのは、次のアクションへの反応が遅れてしまった。これもまた小さな要因である。もし油断をしていなかったところで、どうだっただろうか。その想像は、当のカンクロウ自身が獲得できていたかどうか……。

 

「え……?」

 

 烏の刃を、四肢の部品もろとも粉々にし、突進してきたイロミを前に、カンクロウは何も出来ずに立ったまま。目の前まで開いた貪婪の口は悍ましさだけしか意識に残らない。烏も何も、手元には無い。

 防ぐ手立ては何も無い。

 だが、カンクロウとイロミの間に、三つの力が入り込んだ。

 砂と、風と、巨大な手。

 薄い砂が微かにだけイロミの衝撃を緩め、

 風がイロミの軌道を逸らし、

 巨大な須佐能乎の手が確実にイロミを弾いた。

 

「なにボヤッとしてるんだッ! カンクロウッ!」

 

 気が付けば腰を抜かしてしまっていたカンクロウを、テマリは上から叱咤する。弾かれた勢いそのままに空中へ投げ出されたイロミを、そのままテマリは扇を振るい上昇気流を作りさらに上へと打ち上げ、自由を奪う。

 イロミを顔を上げて見上げ、カンクロウは気が付けば我愛羅を見ていた。彼はチャクラを地面一杯に広げた砂に注ぐのに集中している。

 砂が、守ろうとしてくれていた。

 見間違いではない。薄い砂の壁だったが、確かに。

 どうして。

 どうして―――。

 

「馬鹿にするんじゃねえよッ!」

 

 いよいよ、カンクロウは声を荒げる。

 彼の声に、テマリは驚き、我愛羅は瞳だけを向けた。

 

「お前はさっさと砂を集めればいいんだよッ! くだらない気を回すんじゃねえッ!」

「だったら安心なんかするな。こっちも、回せる砂は多くないぞ」

 

 カンクロウは舌を打つ。今は、一粒でも回される事が、何よりも屈辱だ。

 

「もう二度と同じ真似はするなよ。それに―――」

 

 指からチャクラ糸を出し、胴体だけとなった烏を手元に引き寄せる。

 

「俺の烏は死んじゃいねえよ」

 

 空高く浮かばされたイロミが、重力に捕まって落ちてくる。その速度と重さは、テマリが操る風の力の限界値を超えたものとなっていて、手が出せない。

 

 イタチもまた、イロミに手を出さなかった。考えている事は、チャクラの残量だ。

 

 須佐能乎の維持だけでも、チャクラは多大に消費されていっている。残りはそう多くは無いだろう。月読分を差し引けば、天照は二度、放つ事が出来るかどうか。放つところが出来たところで、須佐能乎は消え失せるだろう。

 

 慎重に使うべきだ。

 

 今は、自分に出来ない事をしてくれる人間がいる。

 無理はするな。

 見極めろ。

 ミスは許されない。

 そこで、イタチの眼はイロミの次の行動を先読みした。が、それが意図するものが分からなかった。

 ただ、空中でイロミが口を開けている。

 大きく、限界まで。

 遅れて―――気付く。

 ちょうど、写輪眼の先読みにイロミが追いついた時である。

 つまりは、リアクションの遅れだった。

 

「ギィイイイイイイイイいぃいイイイイヤァァァァぁアアアアアアアアアアアッ!」

「「「「――――ッ!!!!」」」」

 

 忍術も幻術も、ともすれば体術でさえかなぐり捨てたイロミの攻撃手段が、単なる打撃だけだと思い込んでしまったのは仕方がない。写輪眼が捉えるチャクラの流れも何も関係の無い、ただの声が、暴力に成りえるのだと知る忍は、いないだろう。

 

 音が四人の鼓膜を破壊せんばかりに震わせ、その奥にある三半規管を狂わせる。さらには脳を殴るかのような衝撃に、テマリとカンクロウ、そして我愛羅は咄嗟に両手で頭を抱えるように耳を塞いでしまった。それは、完全な無防備な状態。

 

 辛うじて、須佐能乎の中にいたイタチだけが音の衝撃を緩和された状態で受けている。だが、イタチでさえチャクラコントロールが崩される。須佐能乎がさらに希薄となり、肉体は崩れ、骨格だけとなってしまう。

 

 イロミの声が残響となり、木ノ葉隠れの里全域に吸い込まれるような木霊を残しながら、彼女自身が地面に降り立った。そして、驚愕する。

 

 どうしてイロミが声を張り上げたのか。

 

 攻撃が目的ではなかったからだ。

 言うなれば気合を貯めるようなもの。口を大きく開けたそこには、チャクラの塊が生み出されていた。

 尾獣化したナルトが放とうとした弾丸と、酷似している。

 偶然か、それともナルトの攻撃を見て真似たのか。

 写輪眼はチャクラの弾丸が高密度である事ははっきりと分かる。

 須佐能乎の胴体ならば、防ぐ事は、出来る筈だ。しかし、テマリとカンクロウ、そして我愛羅は無理だ。彼らは今、三半規管を歪められてまともに動けないでいる。須佐能乎の腕を伸ばす事が出来るが、それだけで防ぎきれるだろうか。

 

 かと言って、天照で軌道修正は出来ない。イロミ本人に当てたところで、軌道を変えられるかどうかは博打である。

 

 時間は無く、故にイタチは即座に動いた。

 チャクラを無理に使い、須佐能乎を立て直す。そして、さらに須佐能乎の形態を次のステップに移行させる。

 肉を纏い、衣を纏い、安定した須佐能乎。それが、今のイタチが実現できる須佐能乎の限界だった。

 弾丸が放たれる寸前、須佐能乎が持っていたチャクラの盾を我愛羅たちの前に構えさせた。

 

 八咫鏡(やたのかがみ)

 

 イタチの須佐能乎が所有する能力だった。忍術、物理問わず、全ての攻撃を跳ね返す絶対の守り。

 弾丸が放たれる。

 衝撃が、会場を吹き飛ばした。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「おい、今の声って―――」

 

 ブンシは建物の上から、耳に届いた衝撃波のような声の発信地を見た。そこは中忍選抜試験会場。いや、問題は、そこではない。その声は、聞き覚えがあったのだ。

 

 泣き虫で、変な所で根性を出す、可愛い元生徒の。

 

「ブンシ。こいつらから情報を引き出せ」

 

 隣からイビキが指示を出してくる。彼の前には、音の忍らが三人ほど拘束されている。もはや、鎮圧が完了近い状況であり、暗部は次の予定へとシフトしつつある。

 

 今後、音の忍らはどんな企みをしているのか。

 

 音の忍らの情報。

 使用する忍術。

 また最悪の場合は、音隠れの里へと戦争を仕掛ける事も考えられる。

 必要とされる情報には余分は無い。

 アカデミーで音の忍から徹底的に情報を搾り取ったブンシは、その情報をイビキに伝え、暗部全体に確固たる統制を張り巡らせるのに成功した。

 

 襲撃は、二度は無い。

 

 一度の襲撃に彼らは全てを賭けたのだ。

 役目を終えたブンシはそのまま暗部に合流し、鎮圧に参加し、今はようやく、一息ついた所だったのだ。

 咥えていた煙草が地面に落ちる。先端に点いている火は寂しく紫煙を立ち昇らせていた。

 

「……ふざけんなよ」

 

 ブンシは足元の煙草を乱暴に踏み潰し、立ち上がったが、それをイビキは目の前に立ちはだかった。

 

「止まれ、ブンシ」

「邪魔だ。どけよイビキ。便所だ」

「ならこいつらを拷問してから行け。お前なら時間もかからないだろう」

「うるせえ。こんな雑魚の拷問なんざ、他の連中でも出来んだろうが。兎に角、あたしは行くぞ」

「いいのか?」

 

 横を通り過ぎるのと同時に、イビキの声は低くなった。

 

「お前が今行けば、その後……どうなるか」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 会場全体が、砂塵に包まれる。もはや砂嵐とは差異の見られないほどの濃い砂塵は、数メートルすら目視させない。足元すら覗かせないほどだ。

 

 そんな中であっても、イロミの感覚は完全に砂塵内のターゲットを感知していた。

 

 四人とも健在。いや、健在とは言えないだろう。

 

 チャクラの臭いは小さい。

 

 先ほどまでに展開されていた巨大な人型のチャクラは無い。そして、その代わりに才能の臭いが先ほどよりもはっきりとしている。イロミは呪印に浸蝕された紫の唇をベロリと舌で舐めた。

 

 彼女には今、理性は無い。

 才能が欲しいという。

 才能が憎いという。

 人を食べたいという。

 純朴な欲求だけだった。

 

 イロミの四肢は爆風によって、おかしな方向へと曲がってしまっているものの、自身は特に気にすらしていない。痛みは欲求の前では無に等しい。そして、呪印によって自動的に治される四肢は、骨が無理やり形を矯正される際の痛みも同様だった。

 

 完全に身体は元に戻る。

 戻った身体は空腹を訴えた。

 身体中は力で溢れかえっているというのに。

 

 矛盾は関係ない。

 

 臭いのする方向に全力を以て突撃する。

 最も嫌いな臭いに向かって。

 砂塵は、眼球が抜かれた伽藍の中に容赦なく入り込んでいるが、それもまた沙汰の外。

 臭いがすぐ目の前―――鼻先にやってきた。

 チャクラの臭いは限りなく小さい。

 いや、全ての臭いが薄い。

 それでも開いた口は―――首元から狙いを逸らさない。

 肉の味が、血の味が、忘れられないからだった。

 相手の動きは遅い。

 そう、遅い。

 まるで動かない。

 それだけで、口内の唾液は潤沢になる。

 食べれる。

 ようやく。

 ようやく。

 ようやくッ!

 食べる事が出来るッ!

 光沢を帯びた鋭い牙が、首元に食い込んだ―――。

 

「――――ッ!?」

 

 イロミの感情が初めて空白になった。周りの、そして自身に内包される矛盾を全て気にも止めなかった彼女の意識がストップする。

 

 血肉を裂く最高に心地良い瞬間が無かったのだ。

 牙に伝わるのはジャリジャリとした不愉快の不連続。舌に残るのは、豊潤だった唾液が吸い取られる理不尽な乾き。

 間違いなく、鼻先から入ってくる匂いはイタチのそれだ。

 なのにどうして、砂が。

 砂が、そこに在るんだ。

 遅れて噴出してきた怒りに両手は振るわれる。砂は剥がされ、中から出てきたのは、硬い何かだった。いや、イロミはそれを知っていた。つい先ほど壊したはずの人形。その残骸が、チャクラの糸に継ぎ接ぎに組み合わされているだけの状態だった。牙が裂いたのは、人形の表皮を覆っていた砂だった。

 

「ったく……こんな状況でコレ使うなんて………烏を直すのに、どれだけ時間が掛かるか分からねえじゃん。あちこちに、砂が入り込んじまってる…………」

 

 そして、匂いにも違和感を抱いた。

 表皮の砂からは、イタチの匂いは一切感じ取れない。匂いは、その周り。いや、人形の背後から、だ。

 爆風による気流と、砂塵という匂いが限定されやすい環境化で、イロミは感じ取れていなかった。

 風が吹いている。

 本当に微かな、意図的な風。それが、イタチの匂いを運んでいた。

 

「しょうがないだろ。下手したらこっちが死んでいたんだ。我慢しろ」

 

 二つの声はどちらとも、砂塵の向こう側からだった。

 即座にイロミは声の方向に顔を向けるが、既に遅かった。

 砂塵の向こうから射抜くようにイタチの写輪眼は、イロミを捉えていた。

 

 黒炎が生まれる。

 

 イロミの腹部中央に、黒炎は灯されたのだ。

 小さな黒炎は、即座に辺りを浮遊する砂塵に燃え移る。燃焼速度は単なる炎とは一線を画する。砂塵の粒を渡り歩く極小の黒炎らは、瞬く間に周辺の空気を膨張させた。

 粉塵爆発が、黒炎を乗せながらイロミを呑み込む。

 

「あ、あぁぁぁぁあああああああッ!」

 

 通常の天照とは比にならない程の熱と衝撃だった。

 爆風が天照を燃焼させ、イロミ全身を呑み込んでいく。衝撃に吹き飛ばされ、全身に付着する黒炎の道標を残す最中、反対側には砂のドームが出来上がっている。

 

「あぁぁぁぁあああッ! おいアンタッ!? 俺の烏が粉々に―――ッ!」

「準備は出来たか?」

 

 継ぎ接ぎの烏がとうとう爆風で粉々になるのを青い顔で叫ぶカンクロウの後ろで、イタチは冷静に隣の我愛羅に状況を確認した。イタチの須佐能乎は解けてしまっている。爆風による衝撃と八咫鏡によるチャクラ消費が原因だった。咄嗟に無防備となったイタチを我愛羅の砂が運び、代わりにイタチに偽装した烏を動かし、そしてテマリがイロミを誘う風を慎重に送っていた。

 チャンスを紡ぐため。

 

 須佐能乎をもう一度、発動させる事は出来ないだろう。

 

 視界がぼやける。

 意識は届くか……。

 我愛羅は―――。

 

「十分だ」

 

 写輪眼が捉える、地面全てを覆い尽くした我愛羅のチャクラ。応えてくれた我愛羅は、表情の変化は無かったが大量の脂汗が限界を現していた。

 

 チャクラを張り巡らせられる時間は少ない。

 

 ―――だが、問題は無いッ!

 

 天照をもう一度だけ、発動させる。

 今撃てる、最後の天照だ。

 もはやイロミは天照に全て覆われる。皮膚一つ見えなくなってしまう程の濃さ。彼女の悲鳴とも絶叫とも区別できない低い呻き声が、やがて、天照を石に変えていく。

 

 だが、それがイロミを拘束する。

 

 黒炎は、既にイロミの身体を侵食していた。熱で皮膚を焼き、爆風で肉を溶かし、最後の天照で骨を焦がしていた。全ての関節、全ての筋繊維、全ての靭帯に入り込んだ黒炎が石と成り、イロミ自身を拘束する。身体を動かせる要素が石に呑み込まれたのだ。

 

 完全に動けなくなったイロミに我愛羅は砂を―――いや、地面を揺るがした。

 

 所持していた砂によって、地下以下の全ての鉱石を砕かれ砂へと還元された、膨大な量の砂を我愛羅は操っているのだ。

 

「―――砂漠棺ッ!」

 

 地面全てが砂の棺となり、イロミを呑み込んでいく。完全に全てを呑み込みながらも尚、砂は次々と棺へと姿を変えていく。会場の地面がさながらクレーターのような残骸へと変わり果てた頃、砂は動きを止めた。

 完成された棺は球体。

 内側からの全方位への衝撃を均等に防ぐ事の出来る形だった。

 砂はさらに圧縮される。砂同士の隙間に、細かい砂が埋め込まれ、その上からまた砂が重ねられて隙間を消していく。液体―――いや、空気すらも通さない。

 鉄格子が折り曲げられるような重厚な音を最後に、棺は静寂する。

 そして我愛羅はチャクラの運用を変化させた。

 棺の内部では、イロミの眼孔に砂が入り込み始めている。視神経の電気信号を解析すべく、奥へ奥へ。それに伴い、棺の上、僅か上空に現れ始める、砂の眼球がイタチを見据えた。

 あとは、電気信号をキャッチできれば―――。

 

「なっ………」

 

 同様の声を零したのは、砂を操作している我愛羅自身だった。

砂を通して感知される電気信号。それらが、あまりにも、乱雑過ぎる事に息を呑んでしまったのだ。

 

 まるでイロミの中に、数多の意志があるかのように、視神経の電気信号は滅茶苦茶だった。我愛羅自身も、完全に電気信号をキャッチ出来るとは考えてはいなかった。自分自身の視神経を繋げるのにも時間が掛かるというのに、ましてや他人のものを拾うなど、経験が無い。

 

 故に、本当に微かにだけ……イタチの眼だけでも捉えられる程度だけを最低ラインとしていた。

 

 しかし、乱気流の如く暴れる電気信号の中から、正解すら拾えない。

 焦りが足元を焼く。

 このチャンスだけが、全てなのだと。

 もう一度、同じ棺は作れない。チャクラの残量が足りないからだ。

 紡がなくてはいけない。

 それでも―――。

 

「―――ガァァァァァァァアアアアアアアアアッ!」

 

 棺の奥から、死霊の声が全てを震わせる。

 たとえ強固な棺であろうと、音の伝播だけは許してしまう。

 鼓膜を劈き意識を歪ませる。

 

 棺に、微かなヒビが。

 

 テマリが、

 カンクロウが、

 イタチが、

 紡いだ道筋。

 今まで、自分が歩いてきた潔癖な道とは違う、頼りなくけれど地質がしっかりとした道。

 

 その上に成り立ったチャンスを潰さんとする意志は、鼓膜を破ろうとするイロミの絶叫に揺らいでしまう。

 結果、棺の一部が崩落したのだ。崩壊したのは、棺の上部。棺を構築するにあたって、自重を支える必要のある下部にチャクラを集中させてしまっていたせいか、チャクラが僅かに薄い上部が崩壊したのだ。

ちょうど、イロミの頭だけが現れる形となった。

 

 我愛羅だけではなく、状況が絶望へと変わったことを直感したのは他の三人だった。テマリとカンクロウは思考が空白となるものの、イタチだけは悲観してはいなかった。

 

 最後の手段を使わなければいけなくなっただけでしかない。

 

 その術を発動させるのに、我愛羅たちに対する失望も、迷いは無かった。

 友達の為。

 謝る為。

 仲直りする為。

 混在しながらも中心に据えられた意志の固さは、スムーズに術を発動させようとした。

 

 空から、怒鳴り声が届く前までは。

 

「泣き止め、クソガキィッ!」

 

 上空から降ってきたブンシが、イロミの頭上に拳を振り下ろした。

 音が止む。

 

「―――先生ッ!?」

「おらイタチッ! テメエ、何やってんだッ!」

 

 驚愕する一堂を、眉間に皺を寄せ青筋を最大まで浮かべたブンシが砂の上から見下ろした。

 

「さっさとこいつを泣き止ませろッ! お前の役目だろうがッ!」

 

 役目。

 

 その言葉が頭の中で、パズルのピースのように未来を予見させた。

 

「先生ッ!」

「んだ!? つーかもうお前の先生じゃねえってのッ!」

「イロミちゃんの眼を見えるようにすることは出来ますかッ!?」

 

 ブンシの忍術をイタチは把握していた。ダンゾウの部下として暗部へと入隊した彼は、うちは一族の事件を調べる過程で、現在過去を問わず、暗部に関わりのある人間を全て調査し、ブンシが過去に暗部の尋問・拷問部隊の所属だったことを知った。

 

 どのような拷問を行ったのか、それは、後の拷問部隊の技術向上の為に資料として残されている。

 

 ブンシが得意とした拷問。

 それは、忍術を電気信号として相手の感覚を操作するというものだった。

 疑似的な痛みや、恐怖を与えながらも、肉体に損傷は無く延々と拷問を続ける事の出来る画期的な手法だった。さらにはその合間に、現実の拷問を組み合わせ、人体の損失という恐怖を織り込ませる事によって拷問の効率は飛躍的に上げていた。

 疑似的な感覚の体験。

 視神経が喪失していようとも、電気信号を操れるブンシならば、無理やり視神経を作り出し、脳に映像を捉えさせることが可能ではないか。

 イタチの問いに、ブンシは即座に事態を理解した。

 

「眼がねえと、映像は送れねえぞッ!」

「我愛羅ッ!」

「分かった」

 

 砂によって作られた眼球が即座にブンシの前へと移動した。

 ブンシの左手は眼球へ。右手は、イロミの眼孔へ繋がれる。

 

「ギィイイイイ―――ッ!?」

 

 本能が察したのか。イロミは再び声の暴力を発動させようとしたが、それは、眼孔に指を滑り込ませたブンシの術によって強制的にシャットダウンさせられる。

 

「ぎゃあぎゃあ騒ぐなクソガキッ! テメエ、いつものよく分かんねえクソ根性はどうしたぁあッ!」

「ギ、ィ、ァアア……ア…………」

 

 声が出したくても、出せない。

 悔しそうに、苦しそうに。

 イロミの口は泣くのを我慢しているように見えた。

 その顔はブンシにとって、可愛くて、どうしようもなく、苦手な表情だった。

 イロミの絶叫が耳に届いた時から、こんな予感はしていたのだ。

 こんな、最悪な予感。教師の勘という奴だ。

 今まで見てきた生徒の中で、最も出来が悪く、色んな意味で問題児で、色んな意味で記憶に残って。卒業してからも目を離せないほど出来が悪い、残念な生徒だが。

 誰よりも努力してきた生徒だ。

 生徒を不平等に扱うつもりなどさらさらない。

 だが出来の良い生徒と出来の悪い生徒と言うのはいる。

 ならば平等にする為には、出来の悪い生徒の面倒を多く見なくてはいけないのだ。

 ましてや、努力が報われない、残念な生徒は。

 だからここに来た。

 わざわざ、イビキに宣戦布告までして。

 

「……………もう泣かねえって……あたしに、一丁前に言っただろうがッ! しっかりしろッ!」

「………だぁ……。い………や……………だぁ…………」

 

 その言葉は、ブンシにだけ聞こえるほど小さいものだった。

 

「………ここ………までキたんだ………………こん、な…………ところまで……キちゃ……たん……………だ…………。負け……た………ら…………………、わ……たし…………は…………もう………………………木ノ葉に……………」

「―――ッ! イタチッ!」

 

 逃げるように、ブンシはイタチを見た。

 

「繋げるぞッ!」

「お願いします」

 

 ブンシが神経を作り。

 その神経を我愛羅が拾い。

 作られたイロミの義眼を、月読が貫いた。

 


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