いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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万の夜を超えて 後編

 漆黒が当然の如く居座っていた。

 

 明暗は全て均一で、他に物があるのか、輪郭すら捉えさせてくれない。だが不思議と、地面はあった。シューズ越しに伝わってくる地面の感触は、浅瀬を歩いているような、弾んでいるようで硬いようで、曖昧なもの。

 

 万華鏡写輪眼の瞳術、月読。

 

 幻術空間における全ての質量、時間を自由に操作できる瞳術だが、歩む空間はイタチが望んだものではなかった。それでも彼自身は特別大きな驚愕を持っていない。月読を発動させた瞬間に感じ取ったチャクラを捕食されるような感覚。そもそも、幻術が成立するかが不安として過った程で、月読の力を最大限に発揮できないとは言え、こうして辛うじて幻術を作り出せた事を僥倖とさえ考えていた。

 

 歩き、進む。

 方向をイタチは、闇雲に決めている訳ではなかった。

 

 広がる闇。

 

 この空間は、意識的か無意識的か、イロミによって作られたものだ。本当に微かだが、黒の中でもチャクラの流れがあった。流れは不規則では無く、どこか中心があるかのような流線型だ。

 

 中心へと進んでいく。

 

 言葉(、、)がきっと、そこにあるはずだ。

 

「――――――」

 

 音が聞こえてきた。言葉ではない。イタチは足を止めて、暗闇の中、微かにだけ輪郭を持つソレ(、、)を見た。

 

 子供の落書きのような、ぼんやりとしたものだった。人の姿にも見えなくは、ないかもしれない。頭があって、肩の凹凸があり、足のような部位がある。輪郭が少しだけ黒から遠く、身長は高くなかった。

 ソレはたどたどしい足取りで小さく近づいてくると、イタチの手を取って、ねだる様に引っ張ってきた。

 

「――――――――」

 

 小さな口らしき輪郭がボソボソと動くが、届くのは息遣いの音だけで、言葉は一つも聞こえなかった。

 

「――――――――」

 

 音。

 ただの音だ。

 音程も、音韻も、どれも平らで、分析は不可能。

 

 ソレが何なのか、イロミにとってどういう意味を持つのか、何を伝えようとしているのか。

 

 何一つとして判然とはしないままに、ソレは残念さを露骨に頭に乗せながら手を離した。数歩ほど距離を取って、先端がぼんやりとした手が、進もうとしていた方向とは少しだけ違うところを示していた。

 

 そっちに行ってほしいという事なのだろうか。あるいは、中心に行かないでほしいという事なのか。逡巡し、イタチはソレの示す方向を目指す事にした。

 

「ありがとう」

 

 と、礼を言い進む。その場で立ち尽くしたままのソレを後目に、チャクラの流れに少しだけ抵抗する形で進んでいく。やがて、暗闇に明暗が生まれ始めた。地面に灰色の波紋が、空間に灰色の風が、空かもしれない上部では雨のような灰色の線が生まれ始める。

 

 生まれては消えていく、灰色。

 

 その、灰色と灰色の、つまりは隙間とでも言えばいいのだろうか。波紋の度に、風の度に、雨の軌跡が次の雨で書き換えられる度に。

 

 言葉が、淡い光景が、一方通行に生まれていった。

 

 

 

【待ってよ、フウコちゃん】

 

 

 

 幼かった頃の声で、小さな足だけが駆けていく波紋の隙間があった。

 

 

 

【今日は何するの?】

 

 

 

 風の隙間からは、楽しそうな声が生まれては過ぎ去っていく。

 

 

 

【雨だね……。外で、遊べないね。修行も出来ないし……】

 

 

 

 雨の向こう側から膨れっ面な声が響いてくる。

 進めば進むほど、声も情景も、頻度は増えていく。

 

 

 

【楽しかったなあ。また、みんなと遊びたいな。

【宿題、忘れてきちゃった……。うぅ、どうしよう…………。

【フウコちゃんは、こう、投げてたけど、難しいなあ……。えっと、こういう風に―――! 投げても、的に刺さらない……】

 

 

 

 まだ、アカデミーの頃の姿と声の片鱗が多かった。

 

 

 

【お願い! 中忍試験の対策教えて!

【今日……中忍の初任務なんだけど…………。し、死んだり、しないよね………?

【あのね? サスケくん。何回も言うけど、私の方が年上で、特別上忍で、つまり偉いんだよ? 敬語まではいかなくても、うん、名前くらい呼んでほしいなあ、って、思ってる訳なんだよね】

 

 

 

 波紋も風の名残も雨の間隔も、速くなっていく。

 声が、声が、声が。

 言葉が、重複していき、重くなっていき。

 何気ない言葉が脅迫する刃物のように押し寄せてくる。

 これが自分の積み重ねてきた感情なのだと、努力なのだと、主張するようで。しかしイタチは、それらの言葉に耳を傾けながらも、淀みの無いテンポの足取りは常に前進を選択する。

 この先が、中心なのだろうか。

 イタチの確信を後押しするかのように、声が、言葉が、吐露し始める。

 

 

 

 良いなあ、みんな。

 羨ましい。

 私に出来ない事を、みんなが出来る。

 フウコちゃんも、イタチくんも、シスイくんも、他にも。

 凄いなあ。

 どうして出来ないんだろう。

 頑張ってるのに。

 こんなに、頑張ってるのに。

 認めてもらえない。

 褒めてももらえない。

 才能が無い、才能が無い。

 どうしてそんな事を言ってくるの?

 頑張ってるのに。

 頑張ってるのに!

 頑張ってるのにッ!

 才能、才能。

 お前らだって無いじゃないか。

 経験が有っただけじゃないか。

 なのに、どうして私だけを馬鹿にするの?

 才能が無くても、才能が有る人くらいは見て分かる。

 馬鹿にするな。

 お前らだって無いんだ。

 才能なんて、私だけが持ってないんじゃない。

 どいつもこいつも、お前らだって―――。

 

 

 

「見るな」

 

 足を止めた。

 目の前に、また、黒い何かが立っていた。先ほどのより輪郭は白くはっきりとしていて、背丈は今の彼女そのものに酷似している。全身が黒く、亡霊のように、両腕をだらりと下げ、イタチを見上げてきた。

 

「見るな」

 

 と、ソレは再度、呟いた。

 泥臭く、掠れ切った声だった。

 

「その薄汚い眼で私を見るな。見下ろすな」

 

 私と、ソレは言ったが、果たして彼女が中心なのか、判断はまだ早い。先ほどの小さな彼女の例もある。小さな彼女のように、理解してもらいたいという役割を持つ心の機能を持っているのかもしれない。あるいは、中心を危険から遠ざけたいという防衛機制かもしれない。

 

「君は、イロミちゃんにとってどういう役割なんだ?」

「分かるだろ?」

 

 波紋を、風を、雨を、ソレは見回して示した。いつの間にか、それらに作られる言葉の群れは、イタチの知らない彼女の叫びに埋め尽くされていた。

 

 

 

 欲しい。

 欲しい。

 才能が、欲しい。

 両親がいないから?

 才能を与えてくれるはずの両親がいないから?

 憎い。

 憎い憎いッ!

 家族が有る奴らがッ!

 両親がいる連中がッ!

 才能が有る人達がッ!

 そして。

 それを、全部全部、持って、持て余して、笑ってるあいつらが―――。

 

 

 

「アイツの怒りだよ。私たちの怒りだ」

 

 言葉たちが立体的に蠢いてくる。

 波紋は胴体に。

 風は鱗に。

 雨は鋭い瞳孔に。

 蛇の群れとなって、大蛇の塊となって、イロミの怒りに纏わり付いて、白い舌を敏感に出し入れしながらイタチを睨み付けた。

 今すぐにでも捕食してやろうかという明確な殺意の提示。いや、既に何匹かの蛇たちはイタチの足に絡み付き始めていた。やがて蛇らは腰に、肩に、首にと、ぬるりぬるりと位置を上げてくる。

締め付けてはこない。

 だが、蛇を模るイロミの怒りが耳に届いてくる。

 

 

 

 イタチくん。

 イタチくん。

 君が憎い。

 お前が嫌いだ。

 お前が大嫌いだ。

 どうして、お前みたいな天才が、私の友達なんだ。

 お前がもっと、もっともっと、凡人だったら良かったのに。

 凡人で、私と一緒に頑張ってくれるような人だったら、良かったのに。

 お前は天才だから、私を心配する。

 鬱陶しいくらいに。

 きっとお前は正しい。

 天才だから、皆が認めるから。

 正しい。

 だからこそ、嫌いだ。

 正しい者が、正しい事を言えば、そうじゃない者の権利は何も無い。

 どんなに頑張っても、正しい事柄には、決して勝てない。

 世の中には、正しい事をしたくても、出来ないくらい呆れ果てた凡人がいるんだ。

 正しい事を言いたくても、それを実現できない、無力な人間がいるんだ。

 そんな凡人でも。

 そんな人間でも。

 プライドはあるんだ。

 欲しい物があるんだ。

 頑張ってみたいことがあるんだ。

 明確なルール違反なら、抗うつもりは無い。

 だけど。

 だけど。

 才能だとか、努力だとか、正しいとか、そうじゃないとか。

 そんな曖昧な、波が立って風が吹いて雨が降れば、変わってしまうような他人の評価の中で、唯一正しい線の上に立たせて貰えなかっただけで、心配だとか、可哀想だからだとか、そんな正しい言葉の前に何もかも邪魔されるのは。

 許せないんだ。

 だから。

 憎い。

 嫌いだ。

 お前なんか。

 才能が有って、その才能が皆に認められて。

 ルールを破らなければ。

 ルールの内側。

 いや。

 ルールの外側(、、)でさえ。

 何もかも正しいお前が、大嫌いだ。

 

 

 

「帰れよ。アイツの前に、お前が顔を出しただけで、全部が壊れるんだ。だから―――」

「彼女の中心は、どこに居るんだ?」

 

 ソレの言葉を怯みの無い綺麗なトーンで遮った。

 

「お前、そんなにアイツの嫌な事をしたいのか?」

「喧嘩中、だからな」

「……ふざけるな。笑えない冗談を言える立場だとでも思っているのか?」

「冗談のつもりは別段、ある訳じゃない。本心のつもりだよ。喧嘩中で、だから俺は、イロミちゃんの本心を聞きに来た。そして、謝りに」

 

 暗闇が小さく震え始めた。

 

 最初はとても緩やかだったが、ある一定を境に振動の幅と間隔が急激に上昇していった。伴って、人工的な波紋や風と雨が黒を覆い尽くしていく。

 

 ポチャリ。

 ポチャリポチャリ。

 

 地面の一部が振動で跳ねて、そして地面に落ちた音に溢れ返り、波紋は大きく、高く、唸り起きて、大蛇が頭を上げた。

 

 たった一匹の、けれども、遥か巨大な蛇が、その咢を限界まで広げてイタチの真上を覆ったのだ。

 

「なら……私がアイツの代わりに教えてやる。喰われろ」

 

 ソレの意志―――あるいは、方向性―――に合わせて、イタチに巻き付いていた蛇たちは身を縮め身体を拘束してきた。逃がさない為、と言っても、イタチの真上を覆う大蛇の口は暗い上部を完全に埋め尽くしていたのだが。

 

 大蛇がイタチを呑み込んだ。

 

 いや、もはやそれは、押し潰したという表現が何よりも適切だった。

 イタチを呑み込んだ大蛇は、地面にぶつかると同時に黒い液体となって津波となった。

 地面は津波の波紋によって一面を灰色にし、豪雨のような飛沫が灰色を重ね―――弾け飛ぶ。

 

「……まだ、喰われる訳にはいかないんだ」

 

 津波を跳ね除けたイタチは、何事も無かったかのように立っている。幻術空間の主導権はイロミであっても、イタチ自身の主導権は勿論、彼が持っている。自身の精神だけは、月読の力によって完全に守られているのだ。

 イロミの怒りも、そのことを最初から理解していたのか、イタチの姿を見ても特別な苛立ちを滲ませている様子は無かった。亡霊のままにイタチを見上げたままだった。

 

「お前なんか、大嫌いだ」

「ああ。身体に穴を開けられるくらい嫌いだというのは、知っている。だから、謝りたいんだ。そして、しっかり、話し合いたい」

「知らない。私は、アイツの怒りだ。お前を許す事も、話し合う事も出来ない」

「場所を、教えてくれないか?」

「自分で探せ。やっぱり、私じゃあお前を喰う事が出来ないんだからな。アイツの役に立てないんだ。もう、お前と話したくもない」

「いや、君からも、教えてほしいんだ」

「何をだ?」

「イロミちゃんの怒りを。全てを」

「……だからお前は、アイツを苦しめるんだよ。天才」

 

 そこで初めて、ソレの声が鋭くなった。波紋も風も雨も、全てが凪いでしまっているが、ソレの白刃の如き声の方が遥かにプレッシャーがあった。

 

「なあ、天才。自分にとって一番の味方って、何だと思う?」

 

 突然の問いだった。

 自分にとって一番の味方。

 最初は家族が思い浮かぶ。しかし、友人というのも、すぐに浮かんだのだ。どちらかが上位、下位というのを判断するのは、理屈的には整理が付くが、感情的には納得は出来なかったせいで応える事は出来なかった。

 

「答えは、無意識(わたしたち)だよ」

 

 ソレは言う。

 

「お前をここに案内した私も、アイツの怒りを抱える私も、全員がアイツの味方だ。アイツの無意識たちが、アイツの一番の味方なんだよ」

 

 無意識。

 目の前にいるソレも、言葉を発しなかったアレも。

 イロミの無意識なのだとソレは言った。

 

「アイツが壊れないように、私たちは色んな役割を、アイツの為だけに行使してる。ましてや、アイツは泣き虫で、何の才能も無いからな。すぐに、助けてやらねえと駄目になるんだよ」

 

 じゃあ、

 

「友達って、何だと思う?」

 

 また、問い。しかし、今度は意図的に沈黙を選択する。

 目の前の無意識が、本当の意味でこちらの答えを求めている訳ではないと理解した。

 

「お前ら友達っていうのは、私たちの代弁者なんだよ」

 

 ソレは、知ってて当然だろうと言いたげな、苛立った声だった。

 

「私たちは、アイツに気付かれる事は無い。絶対に。だけど、アイツは気付かない内に何気ない行動で外に出してたりするんだよ。私たちの一部を」

 

 泣いたり、

 笑ったり、

 怒ったり、

 表情の一つ一つ。

 行動の一つ一つ。

 言葉の一つ一つ。

 韻の端々。

 

「そうして、友達は、それをちょっとずつ拾って、アイツの味方になっていくんだ。私の代わりにな。そう言うのが、以心伝心ってやつなんだよ」

 

 ソレの声は火の熱が伝導してくるように、徐々に語気を強くしていった。

 

「それをお前は、拾ってやったか? アイツの機微を察したか? 私たちを理解していたか? してねえだろ」

「………………」

「心配だ、危険だ。そんな正しい言葉を並べて、私たちを蔑ろにしただろう。アイツの味方である私らを殺してきただろう。本当なら、私たちを理解して、お前が言葉を選んだり、リアクションの細かい部分を見せて、アイツに伝えなくちゃいけねえのに。お前の事を理解してるって、お前の味方が何を思っているのかってのを知ってるって」

「……君は―――君たちは、ずっと俺に…………」

「ああ、言ってたよ。フウコちゃんが外に行ってから、ずっとな」

 

 本心(アイツ)は、きっと理解してないだろうけどな、とソレは自嘲する。

 

「心配だ、危険だ。そんな事は、アイツも分かってるんだよ。お前の優しい部分を知って、理解していたんだよ。だから、アイツの小さな怒りをちょっとずつ私が抱えて、アイツが負担にならないようにしていたんだ。だけど、私にも抱えれる限界がある。アイツ自身も、自分の苛立ちを感じ始めていた」

 

 特別上忍という事務的な立ち位置に置かれてしまっているということ。

 うちは一族の中におけるフウコの出来事とイタチへの不信感。

 進展しない、フウコとの距離。

 そして、大蛇丸との遭遇と、イタチの嘘。

 

「だからお前は、友達じゃねえんだよ。無意識(わたしたち)を理解できねえお前は。アイツはずっと、望んでたんだ。少しだけでも、味方になって欲しかったのに。理解しないで、味方にならないで、上っ面の友達って言葉を後ろにおいて、正しい言葉を並べ、私たちを殺し続けたんだから。敵なんだよ、お前は」

 

 でもさ。

 

 と。

 

 急に、ソレの声が柔らかくなった。

 

「フウコちゃんと、シスイくんは、アイツの味方だった。私たちを、理解してくれていた。二人は、アイツの友達だった。あの二人が居た時は、子供の頃は、私の役割なんて、本当に、何も無かった。穏やかで、満ち足りてた」

 

 波紋が微かにだけ揺れた。

 

 先頭で四人を牽引していくシスイ。

 その後ろをやれやれと付いていくイタチ。

 前を見ながらも後ろを気にしながら、シスイとイタチの距離を適度に保つフウコ。

 その三人を、たどたどしい足取りで、時には地面の凹凸に爪先を引っ掛けてしまうイロミ。

 

 四人の姿が映った。

 

 不満な表情を誰もしていない。躓き掛けているイロミでさえ、口元は嬉しそうだった。三人を追いかけるだけでも、楽しそうで。

 

 新しい波紋が生まれた。

 

 その波紋には、成長した姿のイロミが立っていた。悔しそうに歪んだ口元の遥か先には、背だけを見せるフウコが。そして、イロミのすぐ目の前には、自分が立っている。

 

 音も無く、イロミは手を伸ばす。指先はイタチに触れる事は無く、その手前で、ガラスのような透明な壁に阻まれた。

 

 壁を叩く、叩く。掌で。叩く度に力を強く込めているのが分かった。やがて、拳を叩き付け始める。壁は歪まず、純然と有り続けた。

 

 イタチは微笑みながら、一方的に頷いてみせると、フウコの背を静かに追いかけ始めた。

 

「どうして、お前が友達なんだ」

 

 イロミは膝を崩して、壁を引っ掻いた。

 下唇を噛みしめて、声と涙を抑えながらも、小さく頷く。

 

「お前が友達じゃなければ、こんな壁、ぶち壊してやったのに。お前が天才じゃなければ、こんな壁、無かったのに。どうしてだよ」

「……すまない」

「私に言うんじゃねえよ」

「イロミちゃんの中心がどこにいるか、教えてくれないか? 今度こそ、友達になりたいんだ」

「……条件がある。その条件を、守れるか?」

「ああ。絶対に、守る」

「アイツの前で…………私たちを……殺さないと誓え。お前の、その眼が、その才能がッ! ガラス細工じゃないって言えッ! 言ってみせろッ!」

 

 簡単に吹き飛ばされない為に深く杭を打ち込むように、重く頷いた。果たして、そう言った表面的な意思表示が他者にどれほどの影響を与えるのか分からない。行動における反省において、言葉の信頼性というのは限りなくゼロに等しい。結果によって、初めて反省は観測されるのだから。

 故にイタチは、ソレから中心を教えてもらえる確証は無く、たとえ教えてもらえなかったとしても、それは正当な帰結であるとも受け入れる準備も出来ていた。

 反省しているのだから、それを許容しろ、などというのは、脅迫だ。過剰な拒絶ではない限り、正しく受け入れなければいけない。友達に、なるのだから。

 

「…………アイツは、もう、すぐそこだ」

 

 ソレは指で、チャクラの流れの中心を示した。

 

「こっちじゃないのか?」

 

 最初に在った無意識が示していた方向を指さして確認してみると、ソレは鼻で笑った。

 

「あの私は、お前と私を合わせたかったんだろうな」

「あの君は、どういう無意識なんだ?」

「仲直りしたい、アイツの無意識だよ。どうせ、私を理解しないままアイツに会っても、意味が無いって思ったんだろ。実のところ、あの私は何を考えてるか分からない」

「同じ無意識なのにか?」

「あの私は言葉を知らないんだよ。一度も話さなかっただろ?」

 

 イタチは頷いた。

 

「仲直りしたいけど、喧嘩をしたことが無いから、喋れないんだよ。喧嘩なんてした覚えはないし、駄々こねても、フウコちゃんが頭を撫でてくれたからいろんなこと、水に流れちゃったしな」

 

 ソレと別れ、再び、チャクラの流れに抗うように歩みを進めた。

 もう波紋も風も雨も無い。

 ただ、暗闇だけだった。

 そして、

 そして。

 そして―――。

 中心に、出会った。

 

 

 えーん。

 えーん。

 えーん。

 

 

「どうしたの? イロミ。泣いてはいけないわよ」

 

 

 さみしいよぉ。

 こわいよぉ。

 だれもいないよぉ。

 なんにもないよぉ。

 

 

「安心しなさい。見なさい、周りを。貴方には立派な才能があるわ。誇りに思いなさい」

 

 

 やだよぉ。

 こんなさいのういらないよぉ。

 ともだちがぁ。

 ともだちがほしいのぉ。

 

 

「才能があるんだから、気にする必要なんて無いのよ。ほら、こっちにいらっしゃい。外の友達がいらないなら、私の言う事を聞いてなさい」

 

 

 ……うん。

 

 

「クク。良い子ね」

 

 イタチは呼吸を忘れてしまった。あまりにも中心は、醜さと悍ましさだけが在ったからだ。

 地面も空も、向こうの彼方も、やはり基調は黒だった。

 黒からは、手足が生えていた。

 所狭しと、雑木林のように生えた手足の全ては、皮が剥がされ爪が無かった。本当に、ここが中心なのかと疑わざるを得ない。極めつけは、その手足の林に囲われた、肉の釜倉だった。

 手足の無い人が積み重なった釜倉。人の口のように開いた入口の奥に、二人は居た。

 林を抜けて、釜倉の前に立つ。そこで、中に居た大蛇丸がニタニタと嗤った顔を向けてきた。ようやく来たのかとでも言いたげに。

 

「何もかも遅いわよ。この子は、もう私のモノになったんだから」

 

 膝を折り、両腕で包み込む様に抱えている彼女の小さな頭を満足気に撫でていた。

 彼女の―――イロミの姿は、幼かった。アカデミーの頃よりも体躯は小さく、すっぽりと大蛇丸の両腕に収まってしまっているが、覗くことの出来る小さな手は大蛇丸の腰回りに伸びている。

 

「彼女から離れろ」

「見当違いも甚だしいわね。この子はね、この可愛い私の子はね、私を離してくれないのよ。とっても甘えん坊で、仕方のない子よ。クク」

「何を言って―――」

 

 そこで視界に捉える事がようやく出来た。

 イロミを抱いている大蛇丸の、その首元―――いや、脊髄から背中全てに掛けて、床下に沸く蛆よりも数の多い小さな蛇が群れていたのだ。大蛇丸の背中に噛みつき、悶えている。蛇たちの尾は、イロミの足首へと収束し、血肉を吸い込んでいるのか、彼女の足首の血管は張り裂けんばかりに浮き上がっていた。

 

「ここに来た連中は……いえ、喰われて来た連中は、みんなこうして尽されるのよ。吸い尽くされ、しゃぶり尽されて、喰い尽くされる。いらない部分はそこらに突き刺して、ね。この釜倉は、つまり、喰い尽くされた才能たちよ」

 

 釜倉にも、小さく長い蛇が管のように伸び、イロミの首筋に繋がっている。

 

「これが、この子の才能よ」

 

 大蛇丸は嬉々としていた。

 

「この子を産んであげた時は、ただ単に、他の細胞を、他の才能を、呑み込んで無力化するだけかと思っていたけど、そうじゃなかったわ。この子は他の全てをしっかりと食べていたわ。ただ、身体がその才能を表現できないだけで、内側で貯め込んでいたの。産まれた時に混ぜ合わせていた連中の、木ノ葉で食べた連中の、全てを。私の呪印が、ようやくこの子を完成させた。クク、呪印の効果と、貴方への怒りで、才能を出しきれてはいないけれどね。いずれ、呪印もこの子が喰い尽くす。そうすれば、この子は私の夢を叶えてくれるわ。食べるだけで、人の才能を身に宿し、あらゆる術を知り導く箱舟になる」

「イロミちゃんがそうなったところで、お前の願いを彼女が叶える事はありえない」

「そうね。現に私も、この子に喰われ続けているわ。何とか、呪印を介して、この子のチャクラを私に循環させているから喰われ尽されないままでいるけど。まさかこの私が、食べられる側になるなんてね」

 

 呪印を介して。つまり、イロミを抱いている大蛇丸は、呪印の中に組み込まれたチャクラの集合体か、あるいは別にイロミへと潜らせたものという事だろう。イロミ自身も、大蛇丸からフウコの事を教えてもらったと語っていた。

 写輪眼で見る限り、大蛇丸のチャクラ自体は脅威に値しない。問題なのは、イロミが大蛇丸を取り込もうとしている事だった。

 大蛇丸を消そうと思えば、出来るだろう。果たしてその場合、イロミ自身に影響はあるのか、その不安がイタチの足を止めていた。写輪眼で大蛇丸のチャクラを注視した。

 

「まあ、時間は幾らでもあるわ。この子にも、私にもね。こうして頭を撫でてあげ続ければ、言う事くらいは守ってくれるかもしれないもの」

 

 イタチに語り掛けながらも、大蛇丸の手はイロミの頭を撫でている。涙を流しながらも、甘えるように大蛇丸の胸に顔を擦りつけていた。その動作に、彼は何を思うのか、撫でる手が柔らかくなったように見える。

 

「クク、可愛い子。今なら、少しは分かるわ」

「何がだ?」

「子をどうして欲しがるのか、という事がね」

 

 イロミの泣き声が、耳に届いてくる。

 こわい、こわい、と。

 

「こんなに私の想像通りに応えてくれないのに、なかなかどうして、私の呪印(ちから)で想像を超えてくれる事の面白さ。思い通りにならないとすぐに泣きついてくる可愛らしさ。期待できるモルモットくらいへの好奇心程には、愛着が湧いてくるわ。―――ほら、怖くはないわよ。あそこに、友達がいるわ」

 

 友達?

 小さな声は、イタチを向いていた。

 毛先の白い長すぎる前髪。泣きべそを隠そうともしない、への字に曲がった口元。それが、イタチを見た途端、より一層、酷くなり、大蛇丸の胸に再度顔を埋めた。

 

 

 友達じゃない、と震えた声が届いた。

 あの人、怖い。

 怖いよ。

 どうして、ここにいるの?

 嫌いなのに。 

 大嫌いなのに。

 苦しいよ。

 怖いよ。

 怖い。

 怖い。

 コワイ。

 

 

 彼女の心がどよめき出す。手足の林がカタカタと人形のように震え、肉塊の釜倉は呻きを輪唱した。

 林は牙に。

 釜倉は胃袋に。

 空間そのものが巨大な肉の蛇となり、足元は口内に姿を変えた。口が完全に閉じ切る寸前、柱を足場にイタチは脱していた。再び暗い地面に立ち、見上げる。現れた蛇は、木ノ葉隠れの里を襲っていた大蛇を遥か凌ぐ強大さだった。

 肉塊の蛇は見下ろす。額には、上体だけを苗木のように生やした大蛇丸だけが。

 

「これが……この子の、本当の姿よ………。どう? 綺麗でしょ?」

「何が綺麗だ……。ふざけるな」

 

 写輪眼に微かな怒りが宿ってしまう。

 

「お前が彼女をこうしたんだろう」

「違うわ。これは、運命なのよ」

 

 怒りの色が濃くなった。

 運命という言葉は、大嫌いだった。

 イタチの怒りを、大蛇丸は嬉しそうに見下した。

 

「うちはイタチ。貴方に写輪眼という才能がある様に、これも才能なのよ。いずれ開花されていたわ。何かの拍子に人の才能を羨み、欲し、手を伸ばし、人そのものを欲するようになるのは時間の問題だった。才能とは……いずれ突如として、自身の前に現れる暗幕。呪印は、これから幾多とあった機会に過ぎないの。木ノ葉の敵になったのも、当然の帰結よ。最初から決まっていた、運命なのよッ!」

 

 蛇が咢を広げ、やってくる。

 現実のイロミとほぼ、同じ速度。しかし、質量は百を乗じても足りないほど。たとえ蛇の皮膚に触れるだけでも身体が吹き飛ぶ。

 避けるのが最善手。

 躱しながら隙を伺い、大蛇丸本体を攻撃するのがベストだ。

 それはすぐに導き出せた答えであり、

 幻術世界のイタチにとって避けるのは困難でも何でもない。

 イタチは―――真正面から、蛇を捻じ伏せた。

 須佐能乎を顕現させ、蛇の頭を地面に押し倒したのである。

 

「ぐッ!」

 

 と、呻き声を挙げた大蛇丸を、イタチの写輪眼は冷酷に見下ろしていた。

 氷のように―――いや、イタチは、うちは一族。火を操る偉大な一族だ。彼の眼に宿るのは、静かでありながらも灼熱の業火だった。

 

「―――たとえ、イロミちゃんが……人を食べなければいけない運命だったとしても、そんなものは俺には関係ない」

 

 あまり、イタチは自分の願望を口にはしない。

 忍は耐え忍ぶ者であるからだ。耐え忍、己が胸に秘めた想いを静かに実行する。それを実現可能にしてきたのは、彼の強靭で研ぎ澄まされた理性が可能にしていたのだ。

 特に。

 フウコが里を出てから。

 自身の本心をストレートに語る事はしなかった。

 

「どんな強固な運命だったとしても、俺がそれを許さない」

 

 それが、イタチの忍道だった。

 フウコが里を出て行ってから。

 イロミが自身の忍道を口にしてから。

 シスイが……いなくなってしまってから。

 常にイタチの中心に、在った。

 大蛇丸が絶句する。

 本心を語るイタチの須佐能乎が、何もかもを燃やし尽くす黒炎を纏い始めていた。

 既に大蛇丸はイロミからチャクラを搾取されるだけの存在だということを、写輪眼で確認していた。

 

「お前如きが、俺の友達の運命を語るな。失せろ」

 

 黒炎は瞬く間に蛇ごと大蛇丸を呑み込んだ。

 絶叫すら炎は食い潰し、蛇を小さくしていく。

 最後に残ったのは、小さな女の子だった。

 辺りは、変わり始める。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 女の子は砂場で遊んでいた。夜の、砂場である。空は曇天で月明かりは見えない。近くには、無人の遊具が並んでいる。滑り台、ブランコ、ジャングルジム、雲梯。遊びたい放題の環境でありながらも、女の子はただ黙々と、砂場で山を作っている。

 意匠も何も無い、砂の山。

 山の天辺には、枝が立てられていた。

 女の子は、砂場の砂を全部、山にしようと、その小さな手でゆっくりと砂を集めている。膝を内側に曲げてちょこんと、座りながら。

 

「……イロミちゃん」

 

 小さな男の子が女の子の後ろにやってきた。

 端整な顔立ちに、知性的な面持ちは歳不相応さが明確だが、口から零れる声は落ち込んでいた。

 

「ごめんね、イタチくん。迷惑……かけちゃって」

 

 女の子は静かに呟いた。

 

「酷い事も……言ったよね」

「本心……だったんだろ?」

「……うん。でも、正確じゃないんだよね」

「それは、呪印のことか?」

「言葉が正しく選べていなかった、ってことかな」

 

 あはは、と彼女は笑った。

 

「イタチくんの事は、今でも、友達だって……思ってるよ。これは、嘘じゃないよ。今は、大嫌いだけど……。本当に、そう、思ってるの。イタチくんは、嫌いだけど、私の友達。敵だって言ったのは、あの時の私は、そう言う風にしか言えなかったの」

「俺も、君の事、友達だと思ってる」

 

 ありがとう、と。

 彼女はまた笑った。

 寂しそうに。

 悲しそうに。

 イロミは、振り向かない。

 砂を集めて、山を作ってる。

 

「―――本当は、うちは一族の事、知ってたんだ。全部」

「え?」

「あ、フウコちゃんが里を出た後の事じゃないよ。呪印を受けた時。大蛇丸の記憶が入ってきて……あの夜に、何があったのか、分かってたの。フウコちゃんが、何をしようとしていたのか。シスイくんがどうして死んだのか。イタチくんが………どんな事をしていたのか。全部じゃないけど、概要くらいは、知ってた」

「つまり、フウコが……大蛇丸に?」

 

 そこでイロミは小さく、俯いた。頷くではなく、俯いた。

 記憶に映ったフウコが自分の見てきたフウコとは、様子が異なっていたからだ。

 

「……だから私は、知りたかったの。イタチくんが、私の敵かどうかを。フウコちゃんを里から追い出した人なのか、知っていたけど教えてくれないだけなのか……それか、フウコちゃんを助けようとしていたのか」

 

 だけど、

 

「君は何も知らないって言った。……まさか、そんな事を言うなんて、思ってもみなかったから、頭に血が昇って、呪印に頼っちゃって。あんな酷い事を、言ったり、したりして」

 

 イタチは何かを言おうと、彼女の小さな肩に触れようと右手を上げて……下ろした。シスイの事を語ったとしても意味が無い。今は、そうではない。

 彼女の対面に回って、座り込む。するとイロミは、砂山の端の方に手を伸ばして山を削った。

 

「イロミちゃん」

「……なに?」

「ごめん」

 

 イタチも、砂山を削った。

 

「俺はずっと、君の気持ちを何も考えていなかった」

「……それは、私もだよ。私、ずっと、自分の気持ちを伝えてなかった」

 

 怖かったんだ。

 言いながら、イロミは自分の分の山を削った。イタチの砂よりも、量は少なかった。

 

「私は……フウコちゃんや、シスイくんや、イタチくんみたいに、天才じゃない。才能も見つかってない……。だから、私なんかが我儘言ったら、みんなに嫌われるんじゃないかって、ずっと……思ってた。私にとって、みんな、凄く大切な友達だから。傍に……居てほしかったから。何も言わなかった………」

「だけど、俺は気付くことが出来たはずなんだ。シスイは……気付いてた」

「ありがとう……。でも、ゴメンね。私……泣き虫で…………弱虫だから」

「俺も…………ごめん。君の事を分からないまま。何も、考えないで……君を傷付けないようにしてた」

 

 イタチも砂を取った。

 

「傷付かないと……私は前に進めないんだ。ううん、違うかな。前に進む為には、必ず傷が付いちゃうんだ」

「言っていたけど……フウコの為なら、死んでもいいのか?」

「うん」

 

 今度は、イロミが砂を。

 天辺の枝が傾いた。

 

「勿論、死なないように全力を出すけど………手を伸ばせる可能性があるなら、どんなに危険でも、諦めたくない。才能があるとか、努力をしてきたからとか、そんなのは、関係無いの。私が、私だから、そうしたいの」

 

 言っておくけど、

 

「フウコちゃんじゃなくても、里を出て行ったのがシスイくんやイタチくんだったとしても、私のこの気持ちは少しも変わらなかったよ」

「……分かった。他に………その、俺に、言いたいことは?」

「いっぱいあるよ」

「だったら、言ってほしい。もう、友達と喧嘩をするのは嫌なんだ。すごく………怖かった」

 

 山を削るイタチの手が、震えていた。砂の量はイロミよりも少なくなってしまっている。

 

「うん」

 

 と、イロミは小さく頷いた。

 

「私も……。呪印に―――ううん、怒って、感情に任せて暴れて………イタチくんに酷い事を言ったり、傷付けたりしたのは………すごい、怖かった。苦しかった。どうして、私………大切な友達に、こんなこと、しちゃってるんだろうって……………涙が、止まらなかった。私を、知ってほしかっただけなのに………私が、イタチくんに想いを言えば良かっただけなのに……」

 

 イロミの手も震えていた。砂の量は、けれど、先ほどのイタチと同じくらいの量だった。

 枝はまた、傾いた。

 

「あのさ……。今のうちに聞いておきたいんだけど……」

「なんだ?」

「言いたいこと、言うけど……。その…………友達で………いてくれる?」

「……ああ。俺も、言いたいことを、言ってもいいかな?」

「私も……ずっと……イタチくんの友達でいたいから」

 

 砂山はちょっとずつ、小さくなっていった。

 二人が交互に、言葉をぶつける度に。

 

 

 

 嘘はつかないでほしい。どんなことでも良いから。言いたくない事があるなら、言いたくないって、言ってほしい。そうすれば、それ以上は訊かないから。

 

 気が付かない内に邪魔をしてしまっていたなら、言ってほしい。言葉を選ばなくても良い。傷付いてしまったのなら、教えてくれ。

 

 イタチくんに傷付けられたのは、いっぱいあるんだ。私、色んな事、頑張ったのに、何もさせてくれない。暗部に入りたいって言ったのに、入れてくれなかった。

 

 あれは、ダンゾウが危険だからだ。君だって知ってるだろ?

 

 私は特別上忍なの、知ってるよね? まさか、知らないなんて言わせないよ。

 

 単純に、君が上忍に上がるのを待っていたんだ。君なら、すぐにでも、上忍に上がれると思っていたから。すぐに君が上忍になれるように、色んな方に打診もしていたんだ。だけど……。

 

 ……私が、大蛇丸の娘だから、成れなかったんだね。あ、これも、呪印から知ったの。色んな人の細胞をくっつけて、生まれたんだって。気持ち……悪い?

 

 全然。

 

 本当?

 

 嘘は、もう、言わないよ。誰だって、自分じゃない細胞から、生まれてるんだ。普通の事だよ。

 

 他にもね……色々、傷ついた……。というよりも、イタチくんが私の為にしようとしてたことが、殆ど、嫌だった……。お節介が、凄いよ…………。

 

 分かった。気を付けるよ。

 

 私も、本当に、言うから。嫌な事は。

 

 だけど、死んでもいいだなんて、絶対にもう、言わないでくれ。もし、そんなつもりがあるなら、俺は何があっても、君を止める。

 

 ごめんね。もう、言わない。

 

 あと、君は無茶をし過ぎる。

 

 言ったと思うけど、無茶をするのが、私に出来る事なの。

 

 ならどういう無茶をするのかを教えてくれ。

 

 またお節介?

 

 邪魔はしない。君の無茶を、無茶じゃなくするくらいの手助けをするんだ。俺の出来る範囲で。もう、止めない。一緒に行くよ。

 

 でもイタチくんは、暗部で―――。

 

 ダンゾウには、俺が話を付ける。

 

 大丈夫?

 

 木ノ葉崩しが終わったら、ダンゾウに会うつもりではいたんだ。だけど、手伝ってくれるなら、心強いな。

 

 じゃあ、手伝う。

 

 ありがとう。

 

 本当にイタチくんは、フウコちゃんの事、知らないの?

 

 知らないんだ。いや、思い出せないようになってる、と言った方がいい。

 

 もしかして……忍術…………?

 

 幻術。それを掛けられてる。解く手段は分からないけど、術を掛けた奴は知っている。必ず、記憶を取り戻すよ。

 

 私からも、教える事が出来るよ?

 

 いや……大蛇丸からの記憶だけを頼るのも危ない。俺が記憶を取り戻してから、答え合わせをしよう。

 

 矛盾した事、言うけどさ。

 

 うん。

 

 ずっとね、イタチくんの事、嫌いだった。

 

 うん。

 

 友達だから、好きだけど、大嫌いな部分があるって言った方がいいかも。

 

 うん。

 

 イタチくんは何でも出来て、私の出来ない事を当たり前のように出来るから。ううん、それだけじゃなくて、私が必死になってしたいことを邪魔して、代わりにやっちゃうのが、大嫌いだった。まるで……私なんて、いてもいなくてもいいんだって、言われてるみたいで。

 

 ごめん。

 

 ずっと、苦しかった。

 

 ごめん。

 

 フウコちゃんに殺されかけて、病院でイタチくんが一緒にフウコちゃんを追いかけてくれるって言った時は嬉しかったの。本当に。だけど……。

 

 本当に、ごめん。

 

 分かってくれるなら、うん、いいよ。あはは、行動で示してくれたら。イタチくんなら、実現してくれるって信じてる。

 

 今度こそ、実現するよ。俺は、君をしっかり見る。その為の、眼だ。

 

 私に……写輪眼使うの?

 

 いや、そういう訳じゃない。

 

 あとね……――――。

 

 他には? …………―――。

 

 ――――……そんな事………思ってたんだ………。

 

 ――――………君だって、俺の事を……。

 

 ――――――――。

 

 ――――――――。

 

 

 

 夜空の雲が回天していく。

 早いような、ゆっくりとしたような。

 やがて雲は切れ、散り散りとなった先には、流れ星のさざ波が広がっていた。

 月は満月。流れ星の尾が白い線となって夜空を淡く彩る。

 風が吹いた。

 木々も草花も無いはずの夜の地面は、不思議な事に、風に撫でられるさざめきが聞こえてきた。奏でられる静かな音の合唱が少なくなった砂山に、ようやく支えられていた枝が音も無く地面に倒れた。イロミが砂を削った後のことだった。

 

「きっとね」

 

 と、イロミは残念そうに笑いながら言った。彼女の顔には涙の痕があった。言いたいことを言ってしまい、言いたいことを言われて、流れた涙の痕。悲しかったり苦しかったり、嬉しかったり楽しかったり、そんな綺麗な感情が涙と一緒に溶け落ちて、残ったクリアな感情だけがイロミの中にあった。

 

「サスケくんも、イタチくんに言いたいこと、あると思うんだ」

「……ああ」

 

 イタチも似たような笑顔を浮かべた。彼の顔にも、涙の痕が。

 

「あいつとも、一回話し合わないとな。カカシさんにも、言われていたのに、今になってようやく、分かったよ。フウコの事も話さなければいけないな」

 

 白い線の束が一つになっていくと、夜空に溶け込んでいく。それは、夜明けを表していた。白が強い地平が東なのか。夜が終わるのを、二人は察していた。

 イロミが残念そうに俯いた。夜明けが強くなればなるほど、二人の影は濃くなり、どういう訳か、影が離れ離れになっていく。

 

「イロミちゃん」

 

 と、イタチは小さな手を前に出した。

 

「今更かもしれないけど、改めて言わせてほしい。その………仲直り……してほしい」

 

 声が震えていた。

 イロミの中に、仲直りしたいものの方法が分からない、という無意識があったのと同様に。

 イタチの中にも似たような無意識はあった。

 彼自身も他者との喧嘩は初めてだった。天才的な理性を持っていたが、逆に感情を剥き出してしまうのは苦手だったのだ。

 怖い、という感情ではないだろう。

 恐ろしいというものでも、苦手というものでも、無い。

 分からない。

 ただ、声が震えてしまう。

 差し出した手が震える。

 ああ、とイタチは思った。この震えは、フウコと対峙した時と似ていた。あの時は怒りが身体を震わせていたのかと思ったが、きっと、理性が覆い保っていたリミッターが外れて感情が暴れてしまったのも要因だったのだろう。

 仲直りをしてほしい。

 仲直りをしたい。

 理性が選んだ言葉ではなく、感情が吐露した言葉だった。他に、イタチには手段が思い浮かばなかったのだ。喧嘩をした事が無く、仲直りもした事が無かったから。

 もしも、この手を払われたら。

 そんなイメージが過る。

 手はより震えた。

 その手を、イロミは弱々しく取った。そして、イロミは涙を流しながら謝った。

 

「………うん、仲直り、したい………………」

 

 したい、という願望を伝える言葉の後に、イロミは続けた。

 

「本当に……ごめんね」

 

 彼女の涙は、再び、大量に零れていく。

 

「弱虫で、泣き虫で……ごめんね。こんな私で…………ごめんね。もっと才能があれば…………もっと、頑張れれば………もっと……………もっと…………」

 

 もっと、何かがあれば。

 自分には足りない、足りなさ過ぎる何かが、もっともっとあれば。

 過ちは、起きなかった。

 

「仲直り……したい。だけど…………私は、もう……………木ノ葉の……敵なの…………掟を破った…………。色んな人を食べた……。君とも……敵なの…………」

 

 木ノ葉崩しが終わっても。

 イロミの罪は消えない。

 かつてナルトに語った、イロミの罪が大蛇丸の所業が原因だという訴えは、おそらく棄却される。

 理由があれば人を殺して良いという考えは許されないのだ。

 ましてや、イロミが捕食してしまった人の家族には、大蛇丸とイロミの関係があろうと、意味が無いのだ。そして里にとっても、イロミの凶行を容認してしまえば、反感が生まれ前例を作ってしまう。

 もしかしたら死罪は免れるかもしれないが、それが最低ラインでもある。

 イロミはそれを良く理解し、受け入れても、いるのだ。握っている彼女の手は、強く固められていて大きく震えていた。

 

「どうして……もっと、努力できなかったのかな…………。どうして、もっともっと考えて………頑張らなかったのかな……………。分かってた……はずなのに…………。……私に、まともな才能なんて………無いって………分かってたのに……………。どうして……いつか分かってもらえるって…………思っちゃったのかな……………………。………伝える努力を…………諦めちゃったのかな………………」

 

 努力は認めてもらうものじゃない。

 努力は、認めさせるものなのだと。

 認めさせて初めて、努力は花開くのだと。

 才能とは違う。

 勝手に認めてもらってしまう才能とは。

 だから重ねるのだ。

 努力に重みを積んでいくのだ。

 重ね、重ね尽して、相手の頭を下ろさせ、認めさせるのだ。

 努力をしたのだと頭を垂れさせる。

 それが、努力の終着点。

 

「ごめんね……。イタチくん…………。ごめんね……」

 

 夜が明ける。

 また、世界が変わる。

 いつだって世界が変わるのは、夜明けと一緒だ。

 イロミの世界が変わる。

 月読でさえ、追い出されるのだ。

 イタチは……言葉を選ばないままに………、握ってくれているイロミの手を両手で握り直した。

 

「ごめん………イロミちゃん。俺のせいだ………………」

 

 感情が零れ出る。

 

「フウコを一緒に追いかけるというのは、嘘じゃない………。本当に、思っていた。だけど……大蛇丸に殺されかけたという話を聞いた時は………恐ろしかったんだ……………。シスイだけじゃなく、君も、死んでしまうと思うと……………怖くて………。知っている人が…………いや、人が死ぬのは…………………あんな、酷い臭いを嗅ぐのは、酷い光景を見るのは………もう二度と……嫌なんだ………」

 

 頭の中にちらつく、幼い頃に見た戦争の成れの果て。

 死臭。

 死を象徴する血肉。

 そのどれもが、イタチの奥底で粘り気を伴って貼りついている。

 シスイの死。

 フウコが殺した一族たちと両親。

 そして、二度に渡るイロミの瀕死。

 死の向こうに訪れる、乾いた静寂。

 イロミを大蛇丸から遠ざけたのは、単純に、怖かったからなのだ。

 冷静に見えたイタチの姿は、あくまで、彼の才能が、理性が、トラウマを抑え込んだ上に成り立った虚像に過ぎない。

 

「だから……嘘を付いた。君を守れればいいんだと…………。もっと……他に………しなければいけない事が………あったのに……………」

 

 才能があったのに、過ちを犯してしまった。

 嘘を付いた。

 嘘という、安易な方法しか使わなかった。

 だから。

 嘘が。

 彼女の無意識を殺し続けてしまった。

 友達として一番、使わなければいけなかった才能を、使わなかったから。

 友達なのに。

 友達だったのに………才能を正しく使えなかった。

 イロミは罪を犯した。

 もはや逃れる事は出来ない。

 時間なんて、当然、戻らない。

 決定してしまった罪だ。

 だが、全ての罪が彼女のものではない。

 自分も背負う。

 才能を使って。

 この才能を、間違いなく、使って。

 

「イタチくん」

 

 震えるイロミの声に、イタチは顔を上げた。

 彼女は、笑っていた。

 

「私………イタチくんの、友達で良い?」

「……ああ」

「ずっと、ずっと……友達のままで、いてくれる?」

「ああ」

「……ありがとう。私も、友達のままで、いる。イタチくんと」

 

 冷たい空気が音も無く近づいてくる。手を握ってくれているイロミは微かに、希薄に。

 終わる。

 時間が。

 イタチは言葉を紡いだ。

 

「今度こそ、俺は正しく君を見るよ。ずっと、君の友達のままでいる。邪魔はしない。手を貸すよ。だから―――」

 

 だから、

 だから、

 言葉。

 伝えたい言葉。

 約束の言葉。

 

「俺を信じてくれ。君を、裏切らない」

 

 ずっと。

 ずっと。

 イロミは安心したように笑った。

 

「それじゃあ」

 

 夜が、明ける。

 間違った夜が手を振って彼方へと。

 新しい朝が慎ましい足取りで頭上へと。

 イロミは笑ったまま。

 イタチも笑っていた。

 

「さようなら」

 

 イロミの声と共に、月読は。

 月は。

 夜は。

 消えて、いなくなった。

 




 次話は、8月中に投稿したいと思います。

 ご指摘等ございましたら、ご容赦なく。

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