いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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境界線

「ね、ねえ……フウコちゃん…………、いる……?」

「いるよ。怖い?」

「……手、繋いで…………くれる……?」

「いいよ」

「方向は合ってるのか? イタチ。これで道に迷ったってなったら、笑えないぞ」

「今日は天気がいい。月も星も見える。これなら、方角は間違えない。まあ、本に間違いがなければだけどな」

「おいおい、怖いこというなよ。朝までに帰らねえと、夜中に抜け出したことがジイちゃんにバレる。そうなったら、俺は全力でお前のせいにするからな」

「その時は俺も父さんと母さんに叱られてるだろうから、無理だな」

 

 丑三つ時の夜空には、雲が一つもない。半月の月は薄い光で傘を作り、星々が悠々と浮かんでいる。夜風は凪いで、夜鷹が遠くで飛ぶ。

 

 林の中を、四人の影が歩いていた。雑草が生い茂り、小石が疎らに地面から顔を出している雑多な小道を歩き、その先にある神社を目指す。先頭から、イタチ、シスイ、フウコ、イロミの順に、一列に進んでいた。

 

 懐中電灯は誰も持ってきていない。木ノ葉隠れの里から少しだけ離れたそこは、中忍などの警備範囲である。なるべく目立たないようにするため、持ってきてはいない。月明かりだけを頼りに道を進んでいる。イタチ、シスイ、フウコは暗闇に対して恐怖心を抱いていないようで、逆にイロミはおっかなびっくりと、フウコの手を握った。

 

「帰り道は覚えてるか? シスイ」

「お前は覚えてないのか?」

「覚えてる。ただ、俺だけ覚えていても、間違っていたら意味がない」

「安心しろ、ばっちりだ」

「イロリちゃん、あまり怖がってると、転んじゃうよ」

「フウコちゃんの手でいいんだよね? この手」

「この手は、イロリちゃんの手?」

「……え?」

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 自分の両手が、コントロールできない。血液が激怒するかのように真っ赤に力の籠った両手が握ったクナイの切先は、冷たく地面を向いている。

 

 目の前には、意識を失っている、熊のような男が。

 

 クナイを―――振り降ろす。

 

『……え?』

 

 男の首を狙って振り降ろしたクナイは、途中で止められた。

 目の前には、友達がいた。

 毛先が白くて、根本が黒い、特徴的な髪の毛をした、友達。彼女の細い喉元に、クナイが、深々と、突き刺さっている。

 

 鮮血が、音を立てて、目の前を飛び散り、自分の身体に降りかかる。

 

『……酷いよ、フウコちゃん』

『イ、イロリ……ちゃ…………』

『私、死んじゃうんだよ?』

『ご、ごめん……、すぐに……! すぐに治すから……!』

 

 イロミの両手が、自分の首を掴んだ。

 万力のような、締め付け。

 気道が、血管が、軋む。

 

『死んでよ。私を、殺したんだから』

 

 首の骨が歪む。眼球に通う毛細血管が破裂し始め、目端から血が零れ始める。

 

 視界が、紅く包まれる。

 

 声が出ない。

 謝りたいのに、まともに、息すら……。

 

 ―――嫌だ……!

 

 私には、まだ、やらなければいけないことがあるんだ。

 里を守らないと。

 里を、あの男(、、、)から、守らないと……!

 

 意識が感じ取る。

 

 これは……()だ。

 

 そうだ、あの夜。

 彼女を殺してはいない。

 熊のような男も、殺しては、いない。

 

 思い出した。これは、夢だ。夢の、はずだ。

 

 起きろ。

 起きろ! 起きろッ!

 

 起きろッ!

 

「…………ッ!」

 

 フウコは、目を覚ました。

 

「はあ……はあ………、はあ………っ」

 

 意識が身体に戻ってくる。眠っている間に呼吸をしていなかったのか、気が付けば呼吸が荒くなっていた。身体が熱い。額や首筋にはびっしょりと汗が浮き上がっていた。

 

 目の前には、暗い天井が。まだ、夜。やはり、さっきまでの光景は、夢だったのだ。最悪の、夢。そう、夢の……はず。

 

 不安がまだ、頭の中にこびりつく。あれが夢なのだと、はっきりと理解しているのに、もしかしたら事実に基づいた記憶が作ったものなのではないか、と。

 

「今日は……」

 

 何日だろう。自分の記憶が正しければ、あの夜から一ヶ月は経過しているはずだ。それと一致したら、あれは間違いなく夢だ。

 部屋には、時計はあるもののカレンダーはない。居間に、行かなければ。

 

 フウコは静かに状態を起こした。隣の布団には、こちらに背中を向けて眠っているイタチが、タオルケットを腹部に置いて眠っている。

 

 いや、本当に眠っているのだろうか?

 

 もしかしたら、彼は死んでしまっていて、自分が認識している現実とは全く違っているのではないか。

 

 そんな、恐ろしい妄想が首をもたげた。

 

「―――イタ」

 

 彼の寝息が、静かに聞こえてきた。

 落ち着いて眺めてみると、彼の小さな身体は微かに上下していた。彼の頬を、指先で触れる。体温があった。眠っているせいで体温は高くなっているが、安心する熱さだった。

 

 汗を腕で拭ってから、音を出さずに部屋を出る。廊下は静かで、家全体が寝静まっていた。季節が夏に移り変わってから、夜でも風通しがいいように、幾つかの窓を開けている。夜風が廊下を潜り抜けて、生温く首筋を撫でるが、それでも高ぶった体温には心地が良い。

 

 居間に入って、カレンダーを確認する。やはり、あの夜から一ヶ月が経っている。つまり、月日が変わっていた。

 

 よかった、今は、現実だ。

 

 胸を撫で下ろすと、途端に、喉が渇いてきた。元々、喉が渇いていたのだろう。寝巻が身体中に張り付いている。台所の棚からコップを取り出して、蛇口を捻る。あっという間に水はコップから溢れるが、少しの間だけ水を流し続けた。コップを持つ左手の指の隙間を水が流れて、汗や皮膚の油を削ってくれた。

 

 蛇口を締めて、水を一気に飲み干した。口内の熱が一度ほど、洗い流される。飲み込んだ分だけの息を、身体のあらゆるところから吐き出すと、動悸が。まだ強い熱を持った血液が脳に送られ、頭蓋骨が破裂しそうな感覚に襲われる。

 

「大丈夫……、私は、大丈夫…………」

 

 言い聞かせる。

 問題ない。身体は、大丈夫だ。

 

「……あれ?」

 

 頬が、濡れている。

 汗じゃない。そして、目が熱かった。

 

 涙だ。

 自分は、泣いてる。

 泣いてるのは、自分だ。

 苦しかった。

 自分が泣いているということを自覚してしまうと、身体の震えが抑えられなかった。

 

 口端が空気を求めるように歪んでしまう。鼻の奥が熱い。涙が、止まってくれない。

 

 泣きたくて、泣きたくて、止まってくれなかった。

 

「……フウコ?」

 

 声がした。振り向くと、ミコトが立っている。

 ミコトはフウコの顔を見ると、表情を強張らせた。

 

「どうしたのっ? フウコ」

「……何でも、ありません」

「怖い夢でも見た?」

 

 怖い夢? 分からない。嫌な夢ではあった。でもきっと、怖い夢を見ると、泣くのだろう。言葉にできない苦しい感情の根幹は、怖い夢なのだ。

 

 頷くと、ミコトは膝をついて、フウコの頭を肩に抱いた。

 彼女の手が、自分の頭を撫でてくれる。苦しい感情が、少しだけ、落ち着いた。

 

「大丈夫よ、フウコ。怖いことなんて、何もないわ。安心して」

 

 また、苦しい感情が小さくなる。

 けれどまだ、涙が止まらない。むしろ、さらに目が熱くなって、さっきよりも量が増えた。止めどなく大粒の涙が流れて、頬を伝い、ミコトの肩に落ちた。横隔膜が大きく、上下した。

 

「ミコトっ、さん……、服が、濡れてます…………。離れて、くだっ、さい……」

「私は気にしてないわ。落ち着いて。震えてる」

 

 涙が、止まらない。

 息が苦しかった。

 フウコは、声を押し殺した。

 

 しばらくして、ようやく、涙は止まった。苦しい感情も消え失せて、疲れだけが目と頭に残った。

 フウコが落ち着くと、ミコトは頭を撫でながらも肩から離した。彼女は、優しく笑う。

 

「今日は、一緒に寝る?」

「……いえ、大丈夫です」

「ふふ、恥ずかしい? でもきっと、イタチもお父さんも、そうは思わないわよ」

「私が近くにいると、サスケくんが起きちゃうと思いますので」

 

 ミコトが困ったように笑ってしまった。サスケは、ミコトとフガクが寝ている部屋のすぐ隣の部屋で眠っている。流石に、夜中にでんでん太鼓を鳴らすわけにはいかない。

 

「もう、大丈夫?」

「迷惑をかけて、すみません」

「我が子が夜中、一人で泣いてるんだもの、迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないわ。むしろ、もっと私を頼って」

「おやすみなさい、ミコトさん」

「ふふ、おやすみ、フウコ」

 

 部屋に戻る。イタチはまだ眠っていた。

 布団に入って瞼を閉じる。

 泣いたせいなのか、すぐに、眠ることができた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 イタチにとって歴史の授業は、アカデミー生活で唯一興味関心が揺れ動くものだった。多くの知識を獲得してきたものの、未だ彼の胸中には知識不足が渦巻いている。歴史の授業は、そんな知識不足な自分に、視野を広くしてくれる知識を与えてくれた。

 

 これまで、木の葉隠れの里がどのような歴史を辿ってきたのか、それらの中をどのように活動し、平和を築き上げようとしてきたのか。さらに、忍里システムが構築されるまでのことも知ることができる。

 

 他の授業では、密かに忍術書を読んだりしていたが、歴史の授業だけは、真面目に受けていた(他の授業でも、しっかり内容を理解しているため、不真面目という訳ではないが)。

 

 しかし、歴史の授業は他のクラスメイトからは不評だった。それは授業の内容がつまらないから、というものもあるが(イタチにとっては、非常に面白い内容なのだが)、何よりも授業を担当する女性教師が、嫌なのだ。

 

「うちはフウコ、これはなんだ?」

 

 (こよみ)ブンシのドスの利いた声が教室に響くと、生徒たちは一斉に顔を俯かせた。教師が出すには、恐ろし過ぎる声のトーンはイタチでさえも、小さく緊張してしまうほどだった。

 

「医療忍術に関する本です」

 

 それでもフウコは淡々と、取り上げられた書物を見上げながら応えた。ブンシは呆れたため息を深く吐きながら、黒縁眼鏡の位置を左手の中指で調整した。

 

「今は、何の授業だ?」

「……もしかして、いけませんでしたか?」

「真面目に受ける気がないなら、廊下で読んでろ」

「はい、分かりました」

 

 後ろめたさを感じさせないあっさりとした頷きと共に、フウコは取り上げられた書物を掴んで、さっさと教室を出て行ってしまった。教室中の全員が、無表情の彼女の横顔を見送った。

 

 その中には、イタチは勿論、シスイもイロミも含まれている。シスイは欠伸小さく噛みしめながら、イロミは不安そうにおろおろとこちらを見たりフウコを見たりブンシを見たりしている。教室を出て行ったフウコの背中を見て、ブンシはあからさまに不機嫌な舌打ちをすると、額当てでオールバックになっているショートヘアをかいた。教卓の前に戻ろうと、灰色のロングコートを雄々しくなびかせる。教卓に置いた教科書を手に取り、茶色のノースリーブシャツを親指で首元を直した。

 

 緊張が、教室を完全に支配する。一部、恐怖の色もあった。シミ一つない綺麗なおでこに浮かび上がる眉間の皺は、彼女の怒り度数を示している。最上は分からないが、少なくともこれ以上気に食わないことがあったら、教室の窓ガラスを全て割ってしまうくらいには、彼女は怒っている。

 

 ブンシは、短気で、それでいてすぐさま暴力を振るう教師として有名だった。

 

 殆どのクラスメイトたちが俯き怯える中、イタチはあまり、ブンシそのものへの恐怖心は抱いていなかった。彼女は理不尽に不機嫌になることはあっても、理由のない暴力はしないからだ。このまま何もなければ、不機嫌なままで終わるだけだろう。

 

「続き始めるぞ。えーっと、どこまで話したんだっけか? あー、そうだ……、初代影たちの会談の所だな。じゃあ―――」

「あ、あの……先生!」

 

 しかし、イタチのその予想は大きく外れることになる。イタチは他のクラスメイトと同様に、驚いた表情で声の発生源を見た。そこには、ぎこちなく右手を高らかにあげたイロミが立ち上がっていた。

 普段の授業では絶対に、自分から挙手をしない筈の彼女が、恐ろしいことに、ブンシの言葉を遮ったのだ。

 

 ブンシの眉間に、新たに深い皺が三本ほど構築される。これまでのトップスリーに入る本数だった。

 

「……なんだ、イロミ。あと、手を挙げながら発言はしないように。手を挙げる意味がないだろう」

「わ、私も、廊下に立ちます!?」

「……あ?」

 

 さらに五本ほど、皺が増えた。歴代最高である。シスイが笑うのを我慢しているのが見えた。何が面白いのかと、言ってやりたかった。友達が、盛大な自殺をしようとしているというのに。

 

「なんだ、お前は……、初めてあたしの授業で喋ったと思ったら、授業放棄か」

 

 身体中の怒りを吐き出すかのように、深いため息をはいた。

 

「まあ、いい。理由は何だ? トイレか?」

「フウコちゃんが一人じゃ可哀想だと思うからです!」

「………………は?」

 

 教室の空気が一転。ブンシの皺は綺麗さっぱり無くなると同時に、呆れ顔になった。他のクラスメイトも同様だが、シスイだけは、腹を抱えて大笑いしている。「なんだそれ!」と言っているが、誰も見向きもしない。

 しかし、イロミの表情は至って真剣だった。

 

 一拍置いて。

 

 ブンシの顔が無表情になる。呆れ顔でズレた眼鏡を直すと、あろうことか、授業中にも関わらず、ブンシは懐から煙草とマッチ箱を取り出した。慣れた手つきでマッチ棒に火を付けると、煙草の先端に火を灯した。窓際に行き、窓を開けると、口に含んだ紫煙を外に向けて吐く。けれど教室に入ってくる風のせいで、微かに、甘い煙草の香りが教室に広がった。

 

 イロミ、と窓の外を眺めながら彼女を手招きする。とことこ、とブンシの横に立つイロミ。

 

「バケツ持ってこい」

「え?」

「バケツだよ。灰皿が無いだろ。気を利かせろ」

「は、はい……」

 

 教室の隅のロッカーからバケツを両手で持ってくる。

 

「水を入れてこい。火が消せないだろ。たんまり入れてこい」

 

 素直に彼女は水を入れてくる。重そうにフラフラと横に振れながら、再び、ブンシの横へ。煙草の長さは、半分くらいになっていた。

 

「持って……来ました…………っ」

「そうか」

 

 ブンシは呟いて、灰を窓の外に捨てると、煙草を拳の中に握りしめて、強引に火を消した。紫煙が彼女の拳からしばらく漂い、そして消えた。拳を、ブンシは掲げる。

 

「え?」

 

 ゴンッ! 拳はそのまま、イロミの頭に叩きつけられる。

 

「それ頭に乗せて、てめえも廊下に立ってろぉッ! この、クソガキッ!」

 

 

 

 フウコは、本の知識を確実に頭の中に叩き込みながら、昼休みを告げる鐘の音を聞いていた。

 

 隣では、頭の頂点に水入りバケツを乗せているイロミが、身体をフラフラとさせながら、時々両手を使いながらバランスを取って立っている。彼女が廊下にやってきた時は、頭にたんこぶを作って涙と鼻水を流していたが、今では楽しくなってきていたのか、どこかウキウキとしながら、水入りバケツの重心をコントロールしている。どうしてイロミが自分と同じように廊下に立たされているのか、理由は聞いていない。

 

 けたたましく、教室のドアが開けられると、二人は合わせて顔を向けた。隠す気のない不機嫌な表情のブンシが現れた。

 

「ひぃッ! わ、わッ!」

 

 イロミがブンシを見て怖がり、その拍子に不安定になる水入りバケツを両手でがっちりと抑えた。

 

 こちらをじっと見るブンシを、フウコは横目で見つめ返した。少しして、ブンシが鼻から息を吐くと、ようやく、不機嫌な表情は消えた。

 

「……イロミ、もういいぞ。水はそこら辺に捨てて、バケツは片付けろ。もう二度と、あんな頭の悪い発言はするなよ」

「は、はい…………」

「フウコ、お前もだ。成績がいいからって、授業は真面目に受けろ。せめて、同じ教科の予習に留めておけ。そうじゃないと、他の生徒が、成績さえ良ければいいって思うようになる。それは、アカデミーの方針としては、あまり良くない」

「駄目なんですか?」

「さあな。あたしは、悪くはないと思うけどな」

 

 まあルールだ、我慢しろ、とブンシは笑った。彼女の笑顔を見るのは、実は初めてだったりする。そのままブンシはロングコートの端を大きく揺らしながら廊下を歩いていった。

 

「……ブンシ先生って、笑うんだね。笑えるんだ」

「何言ってるの? あと、もうバケツ降ろしていいんだよ?」

「フウコちゃんもやってみる?」

「大丈夫。お昼ご飯、食べよ?」

「うんっ」

 

 水を捨てに行き、空のバケツを持ち帰ってきたイロミと一緒に教室に入ると、至る所からクラスメイトたちの視線が突き刺さる。すぐに視線は逸らされるため、あまり気にならない。自分の机に行き、弁当を取り出す。本は脇に抱えたままにした。

 

 イロミも包みを両手に持ってやってきた。目の前までやってくると「えへへ」と笑う。もうすっかり、自分の前ではなよなよしなくなった。

 

 教室を出る。昼休みの時間を過ごす場所は、もはや固定されている。イロミと出会った、あの場所だった。今では、アカデミーで一番過ごしていたい場所になっていた。おそらく一日中いても飽きないだろう。

 

「フウコ」

 

 教室を出る時、イタチに声をかけられ、二人同時に彼を見る。イタチの横には、シスイもいた。

 

「今日は一緒に食べないか?」

「いいの?」

「ああ」

「俺も問題ないぞ。あ、イロミ、さっきのはめっちゃ面白かったぞ? ブンシ相手になかなかああは言えない」

「わ、笑わないでよ……」

 

 時々、こうして四人で昼休みを過ごすことがある。二人の人間関係には、特に影響がないということが分かってからは、定期的にそうしている。イロミも、二人に対してだけは、もう怯えたりしない。

 

 四人は揃って、校舎裏のところへ行った。

 

 フウコとイロミ、イタチとシスイがそれぞれ別の木の根元に腰掛ける。合わせて食事の挨拶を済ませると、同時に弁当を開き始めた。

 

「いやあ、それにしても、今日のイロミは面白かったな」

 

 真っ先に口を開いたのは、やはりシスイだった。彼は口に物を含みながら喋るような行儀の悪いことはしないが、この四人の中で一番多く喋る。

 

「きっと今頃、教室で話題になってるぞ」

「えぇえ……」

「だってそうだろ? あれは、明らかにフウコが悪かったんだ。なのに、可哀想だからって、ブンシに文句言ったんだからな」

「別に、文句言ったわけじゃないんだけど……」

「イロリちゃん、そんなこと言ったの? 私は別に、何も困ってなかったけど」

 

 残念そうに俯くイロミは、自分の昼飯であるおにぎりを小さく食べ始める。フウコは、膝に弁当箱を広げながらも、左手では医療忍術の本を開いていた。右手で箸を動かし、弁当の中のご飯をつまんでは一口含む。

 

「フウコ、行儀が悪いぞ」

 

 イタチが注意するが、フウコは「ごめん」と言うだけで、止めはしなかった。イロミが不思議そうにこちらを見てくる。

 

「面白いの?」

「もぐもぐ……。うん」

「医療忍術の本だよね。医療忍術って、どんなことができるの?」

「まだ基本的な内容だから、全部は分からないけど。多分、不治の病とか」

「ふじのやまい?」

「えーっと……薬とかで絶対に治らない病気のこと。そういうのは、治せないと思う」

「私のたんこぶとかは?」

「まだあるの? そういうのは治せると思う。でも、まだ練習してないから、自然に治るを待った方がいいよ。無理してやると、逆に悪くなると思う」

 

 ちらりと、イロミの首元を見た。傷一つない、そして虚弱そうな細い首。

 夜の夢がフラッシュバックする。

 食欲が、少しだけ、減退した。表情には一切出さなかったのに、イロミは不思議そうにこちらを見上げた。

 

「どうしたの? フウコちゃん」

「……何でもないよ。きんぴらごぼう、食べる?」

「私、きんぴらごぼう嫌い」

「どうして?」

「食感が、嫌なの。それに、おにぎりでお腹一杯になるから、気にしないで」

 

 謙遜なのか本音なのか、微笑むイロミの表情からは、判断できなかった。本当に、空腹が満たされるのだろうか? 不安だった。訊いてみたい。

 

 どうして、あんな男の所で生活しているのか。

 

 どうしてあの夜、男を殺そうとした自分を止めたのか。

 

 でもきっと、訊こうとしてはいけないのだろう。

 

 あの夜。

 

 クナイを振り降ろした瞬間、イロミは自分の腹部に向かって身体をぶつけてきた。あと一瞬でもタイミングがズレていたら、夢のように喉元にクナイが刺さっていたであろう、ギリギリのタイミングだった。

 

 理解できなかった。

 なぜ、明らかに邪魔者でしかないこの男を助けるのか。

 

 彼女は、泣きながら、言った。

 

 怒らないで、と。

 

 大丈夫だから。

 この人を殺したら、フウコちゃんは悪い人になっちゃう。

 せっかく、友達になれたのに。

 嫌だよぉ……。

 

 と。

 

 まるで祈るように、縋るように、彼女はフウコの身体にしがみつきながら、ただただそう言った。振りほどこうと思えば、振りほどけた。しかし、そんなことをしてしまうと、彼女に嫌われてしまうのではないかと思って、止めたのだ。

 

 今も、事情を訊いてしまえば、嫌われてしまうかもしれない。その不安が、心の中に巣くっている。

 

「そういや、もうそろそろ中間試験だな」

 

 エビフライを食べたシスイが、ふと呟いた。イタチが静かに頷く。

 

「そろそろと言っても、一ヶ月後だけどな。それがどうした?」

「別に、ちょっと思っただけだ。まあ、全員、落第点は取らないだろう。イロミだって、頑張ってるしな。この前の手裏剣の小テストだって、及第点だったし」

「大丈夫かなぁ……」

「小テストで及第点とれるなら、中間試験だって簡単だ。テストっていうのは、そういう風にできてるんだからな」

「不安なら、また一緒に勉強する?」

「うん……。でも、なるべく一人で頑張ってみるよ」

「あまり気合い入れる必要ないぞ。そこまで難しくねえから。それよりさ、今度皆で遊ばないか?」

「またいきなり」

 

 と、イタチは呆れた声を出しながらも、小さく笑っていた。

 

「よくよく考えたらさ、この四人で遊んだことがなかっただろう」

 

 言われてみれば、とフウコは素直に思う。たしかに、他の同世代の子たちのように、遊んだことはなかった。そもそも、遊びたいと思ったことがない。

 

「他の奴は、これから試験対策をするけど、俺たちはする必要がないだろ? ならいっそのこと、遊ぼうぜ」

「何をするの?」

 

 フウコが尋ねると、そこでシスイは腕を組んだ。特に、具体的な考えは無かったようだ。イロミの方を向いても、彼女も頭を悩ませていた。自分も想像できない。自分が知っているのは、忍者ごっこだとか、将棋だとか、囲碁だとか。

 

 三人が頭を悩ませる中、イタチは言った。

 

「なら、冒険に行かないか?」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 こうして、四人は、冒険に出かけた。イタチが言うには、以前から、その神社には興味があったらしい。彼は、歴史に強い関心を持っている。忍術書だけではなく、歴史の文献も読んでいて、その神社のことを知ったらしい。

 

 木ノ葉隠れの里から割と近く、それでいて十分に調査された場所のようで封鎖された場所ではないらしい。なら、文献を読めばどのような神社なのか分かるのではないか、と思うのだが、彼が言うには、実際に見てみたいという気持ちがあるようで、文献も冒頭の部分と記載されていた地図と位置情報しか見ていないらしい。

 

 果たしてこれが、遊びと言えるのかどうかは分からないが、他にやることがないのだから、そんなことは関係ない。

 

 フウコの左手は今、イロミの両手が握っている。後ろにいる彼女は余程、林の中が怖いのか、あるいは暗闇そのものが怖いのか、痛いくらいに強く握ってくる。

 

「フ、フウコちゃん……こここ、怖く、ないの……?」

「怖くないよ。どうして?」

「だ、だってぇ……ヘビとか、熊とか、出たら……」

「その時は、私がどうにかするから、安心して」

「本当? お化けとか、出てきても……?」

「お化けは、いないと思うけど」

 

 というより、そんなに怖いのなら、どうしてイタチが提案してきた時に異論を唱えなかったのだろうか。夜中に冒険することは、昼休みの時にはっきりと明言していたのに。

 

 フウコは一度、視線を前を歩くイタチとシスイに向ける。二人は何かを話しながら、進行方向を見ている。そっとフウコはイロミに囁いた。

 

「しっかり、薬、飲ませてきた?」

 

 するとイロミは顔を近づけて、同じく囁く。

 

「う、うん。でも、大丈夫かな」

「身体に害がある薬じゃないから」

 

 薬、というのは、睡眠薬のことだ。

 夜中に冒険するという話しを聞いてから、フウコは睡眠薬を手に入れていた。あの、熊のような男を眠らす為である。そうしなければ、彼女は夜中に家を抜け出すことは出来ないし、家に戻る時に何かと問題があるからだ。

 

 今日、アカデミーが終わってから、薬屋に行き幾つかの薬と睡眠薬を一つ買った。それらを、医療忍術の本で得た知識を生かして配合し、特製の睡眠薬を作り、彼女に渡した。夕飯に混ぜて使わうように、と伝えて。無事に使用したようで、安心した。イロミに渡した睡眠薬は、使用すれば半日は眠り続けるだろう程の効力はある。

 

 流石に半日も冒険はしないだろう。

 

「……ねえ、フウコちゃん」

「なに?」

「フウコちゃんは……あの人のこと、まだ、怒ってるの?」

「…………うん」

 

 本当なら、殺したいくらいだ。どうしてあんな人間が生きているのかすら、悩ましいほどに。イロミの表情が暗くなる。慌てて、フウコは付け足した。

 

「でも、もう、殺そうとしたりはしないから、安心して」

「本当に?」

「本当。だけど、困ったときは、私に言って。どうにかするから」

「……ありがとう」

「あ、おいイロミ! お前の足元にヘビがいるぞ!」

「やだぁあッ!」

 

 シスイの悪い冗談のせいで、しばらくイロミは大泣きしてしまった。イタチはシスイの腹を思い切り蹴り上げ、フウコはシスイの頭を思い切り殴った。

 

 道を進み続けると、林が開けた。

 

 目の前には、塗装が所々剥がれた鳥居があった。鳥居は大きく、不思議な尊厳を持っていた。

 

「イタチ、ここなのか?」

「方向も位置も間違ってない。中に入ろう」

 

 心なしか、イタチの声が高揚しているような気がする。彼はいち早く、鳥居の下をくぐり、石畳の参道の端を歩いていく。遅れて、三人も中に入った。参道はさっきまでの道よりも凸凹していて、暗闇と相まって歩きづらかった。参道の脇には、水が止まった手水舎があり、太く高いご神木が立っている。

 

 奥には、鳥居よりも大きい本殿があった。

 

「文献によると、この神社は、昔この辺りに住んでいた一族が、話し合いで使っていた場所だったらしい」

 

 イタチは本殿前にある賽銭箱の前に立って呟いた。

 

「どうして、神社なの?」

 

 と、イロミが尋ねた。

 

「多分、神様を祀る場所で話し合うということが、その時代には大切な考え方だったのかもしれない。昔は、自然を大切にする考えが、今よりも遥かに強かったのは確かだ」

「自然は自然だろう?」

 

 と、シスイ。

 

「そりゃあ、飯食べる時とか、いただきますとか、ごちそうさまとかは言うけどよ、それ以上に言うことも大切にすることもないだろ?」

「昔は今よりも技術や知識がなかった。畑一つ耕すのに、相当な苦労があったんだ。だから、神様を祀って、苦労を共有する行為を大切にして時代を乗り切ったんだろう。その流れだ」

「そういうもんか?」

「うちはの町にも、神社があるだろ?」

「ああ、そういえば、あるな。南賀ノ神社だっけか? あれはこの神社に比べれば貧相だな」

「きっとうちは一族も、昔は神様を祀っていたんだ。ただ、戦争で神社が潰れたか、あるいは木ノ葉隠れの里に移住する際に、居住スペースとして神社そのものを小さくしたんだと思う。だけど、うちはで大切な話し合いがある時は、あの場所を使ってるみたいだ」

「なら、南賀ノ神社で……って、あそこは大人じゃないと入れないんだっけか」

「本殿に入ろう」

 

 イタチとシスイがさっさと本殿の中に入って行く中、フウコの後ろにいるイロミが「今のって、どういう事なの?」と尋ねてきたので、かなり要約して話すと「昔の人は自然を大切にしてたってこと」と言うと「それって、普通なんじゃないの?」と返ってきた。その通りである。

 

 二人も中に入ると、いよいよ真っ暗闇が広がっていた。本殿の入り口から入ってくる月光が手前までは照らしてくれているが、空間の隅や奥の方は全く見えなかった。

 

「懐中電灯、持ってきた方が良かったんじゃねえか?」

「いや、燭台がある。まだ少しだけ、蝋が残ってるのもあるから、火を付けよう」

 

 イタチの言うように、本殿内には燭台が幾つかあり、まだ微かに蝋が残っているものものある。フウコ、イタチ、そしてシスイの三人は火遁の術でそれらに火を付けると、オレンジ色の光が部屋の隅々を照らした。中は広く、太い柱が幾つも屋根まで続いている。特にこれといった物が祀られているという訳ではなく、そもそも、この神社を厳重に管理している様子もないため、おそらくここにあったもののほとんどは、火の国が収集し管理しているのだろう。

 

「何もないじゃないか」

 

 と、シスイが退屈そうに呟くと、イタチは古びた壁に触れながら頷いた。

 

「そうだな」

「そうだなってなあ、お前」

「でも、凄いと思わないか? この神社は第一次忍界大戦よりも前に建ったものなんだ。それがこうして形になって残ってる。しかも、三度の大戦を経て」

「まあ、きっと、人知れず守った人がいるんだろうな。凄いっちゃあ凄いし、壮大だと言えば壮大だけど、だからって、こんな……うーん」

 

 おそらくシスイはもっと面白そうな神社を想定していたようで、納得がいかないらしく、唇を尖らせながら座った。

 

「ねえねえ、フウコちゃん」

「なに?」

「こういう所って、秘密の財宝とかあったりするかな?」

 

 後ろを振り返ると、明るい灯に感化されたのか、ここまで来る時とは打って変わって楽しそうにイロミは笑っていた。

 

 秘密の財宝という言葉。率直に、無いと思う。徹底的に調査されたのだろうから、そういうのは既に発見されているだろう。しかし、折角ここまで来たのだから「あるかもね」と返事する。万が一発見されていない、という可能性はゼロではないのだから、嘘ではない。

 

 するとイロミはフウコから手を離して、ピョンピョンと跳ねるように本殿内を探索し始めた。夜中に冒険すると決まった時は顔面蒼白だった彼女も、何だかんだと、楽しんでいるようだった。

 

 イロミは壁や床を手のひらで触り始める。傍から見たら馬鹿みたいな行動に見えてしまうが、本人は真剣なようだった。何となくイタチを見ると、彼は小さく笑って見せた。

 

「俺たちも、探してみるか?」

「イタチはいいの?」

「ここに来るのが俺の目的だったからな。この神社がどんな役割だったのかは、本を読めば分かる。それに、こっちの方が、遊びだろ?」

「秘密の財宝が、あると思う?」

「ああ。ある」

 

 イタチのその力強い頷きが、本心ではないことはすぐに分かった。けれど、彼を皮切りに、財宝探しは始まった。

 

 ここにあるんじゃないか?

 いや、きっとここだ。

 いやいや、もしかしたら外の手水舎の下かもしれない。

 フウコちゃん、こことかは?

 鳥居の下にあるかも。

 

 そんな、あまりにも不毛な会話は、何時しか熱を帯びて全力を注いでいた。財宝を探すよりも、財宝があるんじゃないのかということを話し合うことが目的になっていたのである。意味のない話し合いは、けれど、その些細な時間は、楽しかった。

 

 結局のところ、やはり、財宝なんてものは見つかりはしなかった。イロミは非常に残念そうに肩を落としていたが、イタチとシスイは小さく笑いながら「仕方ない」と呟くだけで、フウコは肩を落とすイロミの頭を撫でるだけだった。

 

 夜道を戻る。帰りも一列になって、順番も行きと変わらなかった。

 

「今日は楽しかったね」

 

 行きと同様に左手を握って後ろを歩くイロミだが、声だけは満足しているように明るく弾んでいた。もうすっかり、財宝が見つからなかったことは気にしていないようだ。

 前を歩くシスイが「そうかあ?」と声を挙げる。

 

「ただ神社を見ただけだろ? こんな事なら、花火でも持ってくれば良かったよ」

 

 一番前のイタチが「止めてくれ。大火事になる」と小さく呟くと、シスイは下唇を伸ばした。財宝探しの時の様子を見る限り、二人も、楽しんでいたように思える。

 

 左手が控えめに引っ張られる。後ろを振り返った。

 

「また、皆で冒険したいね」

「……うん、そうだね」

 

 果たして、この口約束がいつ実現されるのか、予想はつかない。

 でも、できれば実現したらいいなあ、という程度の期待を込めて返事をした。

 

 

 

 気配を感じた。

 

 

 

 背筋が寒くなる。楽しい感情が凝固し、身体中の産毛が警報を知らせるように逆立った。

 反射的に足が止まる。

 視線は右から。フウコはその方向を睨んだ。

 林の奥は枝葉が多く重なり、暗闇が濃い。

 

 両眼を写輪眼にする。視点が飛ぶように、暗闇の遥か奥を見る事ができた。

 

 そこには―――仮面を付けた男が、立っていた。

 

 背筋の寒さが消え失せ、代わって、豪雨のような怒りが身体を覆い始めた。

 片目部分だけしか穴が開いていない仮面の奥に―――あれは、間違いなく―――写輪眼。

 

 フラッシュバック。

 

 九尾が里を襲ったあの夜の光景を。

 

 赤いチャクラを纏った巨大な化け狐。

 その足元で燃え上がる町と人の死。

 

 そして、目の前を飛ぶ、大量の血の粒。

 力強く綺麗で長い赤毛の女性と、女性を庇おうと彼女の背中に立つ黄金色をした男性―――その二人の腹部を貫く巨大な爪が赤く染まっている。爪の先を垂れる血の先には、赤毛交じりの黄金色の髪を生やした赤ん坊が。

 

 当時抱いた喪失感と悲しみ、それらを遥かに上回るどうしようもない怒りが、蘇る。

 

 ―――うちは……マダラ…………ッ!

 

「フウコ、ちゃん……?」

 

 イロミの声が、怒りの思考の間に入り込んできた。

 写輪眼のまま、彼女を見る。

 

 イロミは、怖がっていた。

 

「ど……どうしたの…………?」

 

 左手を握る彼女の両手は震えていた。肩も、顎も、声も、震えている。写輪眼で捉える彼女の一挙手一投足が、怖がっているのだということを、はっきりと分析した。

 

 彼女が怖がる姿が、今朝見た悪夢と重なった。

 そして、九尾に貫かれた偉大な二人の男女の血飛沫と、悪夢で見たイロミの血飛沫も。

 

 怒りに、恐怖が、間を刺す。

 

 ―――守らないと。

 

 イロミを。

 イタチを。

 シスイを。

 

 もし仮面の男を殺しにいったら、三人を守れるだろうか?

 他に仲間がいるんじゃ―――?

 三人を守りながら逃げ切ることが……、

 

 怒りと恐怖が混ざり合うと、思考が歪む。正しい方向性を模索することが出来ない。写輪眼が、イロミの足元が震えているのを捉えた。彼女のこの状態じゃ、今すぐ走り出すことも出来ないかもしれない。

 

 今朝の悪夢が、容赦なく現実の視界を侵食し、恐怖が、不安を―――どうすれば、私は―――、今、何を優先すれば…………。

 

「…………え?」

 

 けれど―――、

 

 気配が突然、消えた。

 

 写輪眼で辺りを見回す。チャクラを集中させて、感知も試みるが、さっきまであった気配は完全に無くなっていた。移動した、という訳ではない。仮面の男に付けた(、、、)マーキングの気配は、一切の名残を感じさせることがなかったからだ。

 しかし、フウコが声を小さく出してしまったのは、気配が移動することなく消え去ったことではなかった。仮面の男の力は、一度、目の当たりしている。

 

 驚いたのは、仮面の男が、何をする訳ではなく、いなくなったことに対してだ。それが逆に、フウコの不安をさらにかきたてる。

 

 フウコはイロミの手を振り払うように左手を解放させてから、素早く印を結び、右足の踵で三度、地面を叩いた。フウコを中心に、薄いチャクラの膜が円形状に広がっていく。感知忍術である。難易度は、中忍が使用するレベルだ。チャクラが何人かの人間を感知した。

 

 細かい部分までは分からないが、大まかな輪郭は分かった。

 合点が行く。その輪郭は、木の葉隠れの里の暗部のそれと全くの同一だった。彼ら(あるいは、彼女たち)は、まるで自分を包囲するかのように、配置している。おそらく仮面の男は、暗部の気配を感じ取って逃げたのだろう。

 

 フウコは舌打ちをしたくなる衝動を、奥歯を噛みしめて我慢した。

 

 何故、暗部が自分を監視しているのか―――いや、監視することを自分に伝えなかったことに(、、、、、、、、、、、、)苛立ちを覚える。もし予め伝えてくれていたら、自分の行動は制限されなかった。三人の保護を暗部に任せて、自分は仮面の男を殺すことができた。

 

 ―――……いや、でも…………、

 

 フウコは一度、大きく鼻から深呼吸して、冷静さを取り戻す。明らかに今の苛立ちは、八つ当たりだ。……きっと、何かしらの事情が、あるのだろう。

 

 そう自覚すると、安心が肩に手を置いた。写輪眼を解いて、ゆっくりと振り返る。泣きそうに口をへの字にしているイロミの顔が、あった。

 

「……ごめん、イロリちゃん」

「もう、大丈夫なの?」

「……あれ、見えたの?」

「何か、いたの?」

「ううん、何でもない。ごめんね……もう、大丈夫だから」

 

 大丈夫……その言葉は、果たして、彼女に言ったのか、それとも、自分に言ったのか。

 

 前方の離れた所から、シスイの声がした。「どうしたんだー?」と、呑気な声。イタチも心配そうにこっちを見ていた。

 

 フウコは、自分から、イロミの手を握る。

 

「いこ?」

 

 無言で頷くイロミの手を引いて、二人の前に行く。

 

「どうしたんだ? フウコ」

 

 イタチの不安そうな表情は、どうやら仮面の男や暗部の気配を察知していないようだった。隣に立つシスイも、同様だ。良かった、と小さく心の中で安堵する。

 

「何でもない」

「……本当か?」

「うん。大丈夫」

 

 何も、なかった。

 イタチも、シスイも、イロミも……平和な里で過ごしてほしい。そうすれば、きっと、今日みたいに、楽しい時間を過ごすことができる。

 

 絶対に、里の平和は、守る。だから、あまり、気にしないでほしい。

 

 その後、四人は無事に里に戻り、悲しいことは何も起こることなく、四人はそれぞれの家に辿り着き、静かに眠りについた。

 

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 

 翌日、フウコは、校長室に呼ばれた。

 

 どうして呼ばれたのか、フウコには見当が付かなかった。校長室に来るように伝えてきた教師も、事情を詳しくは知らないようだ。鞄を持って正面玄関へと向かっていく生徒たちの波をかき分けて、廊下を進んでいく。

 

 校長室に着く頃には、生徒たちの喧騒は遠くに感じ取れるほどになっていた。廊下の窓から入ってくる、微かに夕焼け色に染まり始めた光が、フウコを背中から照らしていた。自分の影が映る校長室の重厚なドアを二度、ノックして「失礼します」と言う。返事は無かったが、フウコはそれを肯定と捉えた。

 

 中に入ると、二人の男性がいた。二人は、高級そうな背の低い木のテーブルを挟んで、ソファに腰掛けている。フウコは微かに瞼を開いて、二人に視線を泳がせた。予想外の人物だったからだ。

 

「火影様、ダンゾウさん(、、、、、、)……」

 

 呟くと、二人はそれぞれ異なった反応を示した。【火】と赤い文字を大きく書かれた笠を被り、白い衣に身を包んだヒルゼンは、白髭を携えた顎で優しい笑みを作りフウコを見た。対して、向かいに座っている男は、呆れたように小さくため息を吐くだけだった。

 

 志村(しむら)ダンゾウ。頭部の半分を包帯で覆い、左眼だけを露出させている彼は、ヒルゼンのように温和な雰囲気ではなく、刀のような冷たさを漂わせていた。服装も、白い着物の上に大きな黒い布を右肩から被せるという奇妙なもので、人を近寄らせない雰囲気をさらに強くしている。

 

 しかしフウコは何事もなく二人の横に立った。

 

「どうして、お二人が、ここに……」

「まあ、そう固くなるでない、フウコよ。この場には、ワシらしかおらん。火影様などと、呼ぶ必要はない」

「ですが……」

「友達が、出来たようじゃな。先生方から、よく話しを聞く」

 

 おそらくは、積極的に教師が話している訳ではないだろう。ヒルゼンが尋ねているに違いない。わざわざそんなことを尋ねる必要もないのに、とフウコは思った。同時に、こんな事を言いに来たのか? とも思う。

 けれど、ダンゾウの表情は硬い。ただ話しをしに来ただけではないのだろう。

 

 要件があるなら、失礼だけれど、早めに伝えてほしい。正面玄関で、イタチやシスイ、そしてイロミが待っているのだ。今日はフガクに修行を付けてもらう予定なのだ。自分が遅れて、貴重な修行の時間を取られたくはなかった。

 

「フウコ。お前に、ある任務を任せたい」

 

 すると、ダンゾウが口を開いた。ダンゾウを見る。視界の端で、さっきまで柔らかい表情を浮かべていたヒルゼンは、小さく俯いているのが見えた。

 

「どのような、任務でしょうか?」

「ダンゾウ……やはり、フウコには…………」

「黙れヒルゼン。もはや猶予がないのかもしれんのだ」

 

 遠くで、生徒がはしゃいでいる声が聞こえてきた。烏が鳴く声も、届く。

 どうしてだろう。

 烏の鳴き声の方が、より鮮明に、聞こえた。

 

「その任務は、私にしか出来ない事でしょうか?」

「現状、最適な人材がお前しかいない。だが、安心しろ。俺とヒルゼンも、お前を全力でサポートする」

「……どのような、任務でしょうか?」

「お前には、うちは一族を内部から監視してもらう」

 

 

 

 ―――……え?

 

 

 

「そのためにまず、お前には、来月の中間試験を経て、アカデミーを卒業してもらう」

 

 言葉を、上手く呑み込めなかった。

 明らかにフウコは、動揺していた。視点が揺れる。

 

 うちは一族の監視。

 アカデミーを卒業。

 

 それら二つの言葉に、それぞれ、記憶が刺激される。真っ先に思い出されたのは、今自分が入れてもらっている【家族】の記憶。その次は、このアカデミーでの【友達】の記憶。どちらも、全員が、柔らかく、温かく、笑っている。

 

 なのに、どうして―――。

 

「お前の実力ならば、すぐに上忍になることもできるだろうが、暗部に入隊し、逐一うちは一族の動向を俺とヒルゼンに伝えよ」

「ま、待ってください…………状況を、説明してください……」

 

 ダンゾウの鋭い眼光が、フウコを睨んだ。何かを探るように、見定めるように。

 

「何故、そのような事を訊く。かつてのお前なら(、、、、、、、、)、任務に疑念を挟みはしなかったはずだ」

「それは…………」

 

 だって、

 分からないから。

 その言葉を、フウコは出すことができなかった。

 

「……まあ、いいだろう。フウコ、心して聞け。今、里の平和が、崩されようとしている」

 

 そして、ダンゾウは言葉を続けた。

 

 

 

「うちは一族が、反乱を起こすかもしれないのだ」

 

 

 

 温かな記憶たちに―――冷たい、ヒビが……。

 




 改訂前より一話少ないですが、今回で幼少編は終了です。と言っても、おそらく、字数的には同じあるいはこちらの方が超えていると思いますが。

 次話からは、灰色編に突入します。つきまして、こちらで、灰色編の方向について記述させていただきます。

 改訂前では、同じ時間を何度も繰り返す手法で物語を進めてきましたが、全て一本化して書きたいと思います。つきまして、大まかな話しの流れは変わりませんが、登場人物の動きなどに変化がありますので、ご了承ください。

 次の投稿も、十日以内に必ず行います。

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