いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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投稿が大変遅れてしまい、誠に申し訳ありません。

次話は今年中に投稿します。


ポーカーフェイス

 春野サクラが外に出ると言い始めた時、うちはサスケの脳裏には二人の人物の背中が浮かび上がったのは、本人さえもどこか無意識の内に仕舞い込んでしまう疎な風だった。一人は、兄である、うちはイタチ。呪印を飲み干して沙汰の外へと足を踏み込んだイロミの力は、これまで見てきた者たちを遥かに上回っていた。イタチが負けるなんて一縷も信じていないが、どうしても、フウコの夜がフラッシュバックしてしまう。助けたい、もう傷付いてほしくない。だが、自分の実力では間に入れはしないというのも分かっている。願望を追い求める感情と動じない現実に抑えつけられる感情の板挟みにされていた。

 

 そしてもう一人は、うずまきナルト。彼に対しては、心配や不安というものは生まれなかった。かといって、他の感情が隆起したかという訳でもない。ナルトのことは変わらず嫌いだ。憎いとすら思っている。未だフウコを想い、信じている能天気さ。邪魔で、目障りだ。なのに、絶叫が。櫓の上で紅く染まったナルトの絶叫が頭から離れない。恐怖ではない。言葉には難しい、胸騒ぎが巣くっていた。

 

 分析も制御も出来ない感情。それが苛立ちを積み上げ、サスケの理性がギリギリにまでその積み上げられた感情の塔を支えていた。

 

 そんな折に姿を現した白に対して、サスケの感情に何ら力が働かなかったと考えるのは、いささか現実離れしてると言えるだろう。その感情の振動が、かつて波の国で争った相手に対する緊張でも、木ノ葉隠れの里にいるはずもないことへの驚愕でも、無かった。

 初めは、ただ、サスケは白を睨み付けるだけだった。

 

「ど、どうしてアンタがここにいんのよッ!」

 

 声を挙げたのは、サクラだった。彼の事を知らない者にとっては、美少女とも美少年とも表現できる人物に途端に怒鳴った光景にしか見えなかっただろう。白の姿は、意識を失った女性と戦争から難を逃れた子供を助けてきた人物、という認識だけだった。それも、微笑ましい笑顔は好印象を与えるばかり。サクラの声は大きな違和感を、室内に持ち込んだだけだった。

 

 まるで親しい知人に会ったかのように、白は軽く会釈した。

 

「本当に、久しぶりですね」

「お姉ちゃん、この人と知り合い?」

 

 そうですよ、と白は子供に笑いかける。背負った女性を壁際に寝かせると、子供の頭を撫でながら「お母さんがそろそろ起きるから、それまで傍にいてあげてくださいね」と呟いた。子供は力強く頷いてみせ、静かな寝息を立てる母の手を、小さな手で握り座った。

 

 白は静かに振り返る。彼はサクラを見つめたが、振り返る際、ほんの一瞬だけ、サスケと白の視線が重なった。偶然ではない。まるで、何かを確認するようだった。視線の意図に、サスケの苛立ちはさらに強くなった。

 

「この子の傍にいてあげてください」

「……はあ?」

 

 とサクラは口を開けてしまう。

 

「子供の方は怪我はありませんが、母親の方は重傷を治療したばかりです。専門の方が言うには、問題は無いようですが、日常生活に後遺症が残ってしまうような症状が、今後現れるかもしれません。異変があれば、すぐに結界術を張っている方々にご連絡を。外は落ち着き始めていますし、すぐに医療忍者を手配してくれるはずです」

「はあ? ちょっと、なに勝手に言ってるのよッ! 私の質問に応えなさいよッ!」

「応える気はありません。それでは」

 

 白は有無を言わせない飄々淡々とした笑みを浮かべたまま、入ってきた出入り口に爪先を向けたのである。

 その行為がいよいよ、サスケの身体を動かしたのだ。即座に、白の正面に立ちはだかった。

 

「どいてください、サスケくん」

 

 咄嗟に足を止めた白は、単純に目の前にサスケが動いたからだけではなかった。サスケが無意識下で放った殺気の濃度が、臨戦態勢のそれに近似していたからだ。

 緩やかな笑みの下には洗練された集中力が構築されている。

 

「お前がいるということは、再不斬の野郎もここに来ているのか」

「ええ。外にいます。それがどうかしました?」

「ここに、どうしてきた? 大蛇丸と手を組んでるのか?」

「もしそうなら、僕はこの場に来た瞬間に、君に千本を投げているところです」

「だろうな」

 

 張り詰めた空気は静かに室内に充満していく。

 

「外はどうなっている」

「もう殆ど、制圧は完了しています。間もなく、木ノ葉隠れの里は安定するでしょう。里の内部でまともな戦闘が行われているのは、櫓の上での、大蛇丸と火影のものくらいです」

 

 白の言葉は実に明白に、里の状況を示していた。

 大蛇丸と火影以外の戦闘は決している。

 戦争と呼ばれる状況下において、各所における戦闘の終了とは即ち、捕縛か死者の発生のいずれかとなる。

 イタチと対峙したイロミの状態を、サスケは克明に覚えている。

 殺意と激怒。

 狂気と異常。

 その権化の彼女が、イタチを捕縛するという行動を取るなど、ありえない。

 戦闘が終わったという事は、どちらかが、死んだという事に他ならない。

 

 聞かなければ良かったと数瞬前の自分を恨んでしまう。だがそれでも、兄が、イタチが、心配だった。

 

 白がどういった目的で木ノ葉隠れの里にいるのかは、鮮明ではない。しかし、ある程度は認識しているはずだ。室内にナルトの姿が無かったのに対して、白は何らリアクションを取っていなかった。

 ナルトが暴走した事を知っている。

 波の国でのナルトを知っているのならば、そのナルトから目を離すはずがない。いつ何時、暴走したナルトの牙が自分の喉元へ伸びるのか分からないからだ。いや、ナルトだけではない。木ノ葉だろうが、音の忍だろうが、いつどのような状況で戦闘に巻き込まれるか分からない。

 アバウトであっても、全容を把握する手段を用いているはず。

 白ならば知っているだろうと尋ねたのだ。

 続けて、言葉を。

 兄の明確な安否を尋ねる―――言葉を。

 

「君の兄である、うちはイタチさんは無事ですよ」

 

 潮騒を吹き飛ばす、一時の暴風のような衝撃。やってきたのは、瞬間的な心の安定だが、すぐに訝る感情が頭を起こす。白から兄の安否の確認をしたかったというのに、今度はそれを疑ってしまう。子供のような身勝手で矛盾に満ちた感情だ。

 

「どうして分かる」

 

 困ったように頬を人差し指で撫でながら、白は逡巡して、呟いた。

 

「……木ノ葉隠れの里の至る所に、眼を貼っています。まあ、僕の新しい忍術です。その眼が僕の眼に情報を与えてくれます。その情報の中にイタチさんが暗部の方々に運ばれる姿もありました。見たところ、大きな外傷はありませんでした。気を失っているだけのようで、女性の方と一緒に運ばれていきました」

 

 女性。イロミだとサスケはすぐに理解し、思考の外へとすぐに弾き出した。イタチは無事、その情報がようやく心に足を付ける。が、すぐに警鐘を鳴らす。

 

「…………嘘じゃないだろうな」

「嘘を言っているつもりはありませんが、信じていただきたいとは思っています。そうでないと、外に出られないようですし。本当に、信じてください。僕は……君と争いたくはないので」

 

 一瞬だけ。

 

 言葉の最後の方だけ、透明感のある白の笑みが、悲しそうに映ったような気がした。本当に気がしただけだろう。彼からそんな表情を向けられる理由など、ありはしないのだから。

 

「もしも嘘だというのなら、僕が外に出たら暗部の方を呼びましょう。簡単です。霧隠れの術でも使えば、異変に気づいて一人や二人はすぐに来るでしょうから」

 

 信頼関係なんて、あるはずもなく。だからこそ、言葉だけの情報を支える信頼性は情報発信者から拾えるだろう虚飾の有無だけだ。白からは、それが拾えない。嘘かどうかの判別は、困難を極めた。

 かと言って、ここで争ったところで、真実を知れる訳でもない。ましてや、白の実力は知っている。戦争中の木ノ葉隠れの里に容易に潜入し、避難所へと足を運び、言葉が真実ならば至る所に眼を貼り付けられるほどのスキルを身に付けていることを考慮すると、実力は波の国の時よりも上がっているのは間違いない。こんな狭い場所で争ったところで、自分も白も、そして周りの者も全て巻き込むだけで無益だ。

 外に出るべきか、と考える。考えてしまうと、感情がひっくり返る様にどよめき始める。駄目だ、止まれ。サスケは奥歯を噛みしめる。今の自分ではまだ、イタチの足手纏いにしかならない。白が嘘を付いている場合、まだイロミとの戦闘は続いているかもしれない。その間に割って入れるほどの実力があるとも、割って入ってどうにか出来るほどの実力があるとも、思ってはいない。そこまで感情的でも盲目的でも無い。カカシの手によって避難所に入ってから時間も少なからず経ち、一定水準の冷静さはあるのだ。

 

 それに。

 

 白の言葉が真実であった場合、イタチの容態の詳細を知る事は叶わないだろう。暗部に保護をされたというのなら、イタチの情報が外部に漏れることは万に一つ、ありえない。

 

「もう、用はありませんね」

 

 まるでサスケの考えを誘導するかのようなタイミングだった。既に―――いや、最初から―――白への用件は無くなっていた。

 

「外で再不斬さんが待っているので。あ、先ほど言ったように、暗部の方を呼びますので。イタチさんに関しては、そちらから訊いてください」

 

 横を通り抜けようと白が音も無く一歩踏み出すのを、止めるつもりはなかった。他に、白に用は無い―――はず。

 

 ………………。

 

 いや、もう一つある。

 外の状況で、確認したいことが。

 だけど、そう。

 自分の感情がどうして、彼の様子を心配しているのか、不鮮明だったからかもしれない。過行く白を引き留めるのに、言葉も、手も、出なかった。

 

「ちょっと待ってッ!」

 

 白とサスケの間に生まれて、そして消えていくはずだった静寂を、サクラの声と手が割って入った。サクラの手は、白の右手を掴んでいた。

 

「アンタ、外に出るんでしょ!? なら、私を外に出して!」

 

 初めて白の顔から笑みが消えた。瞼を微かに開き、サクラを見つめている。驚いた表情だが、それと同じ顔をサスケは浮かべていた。

 

「えっと………どうしてですか?」

「ナルトがどこにいるか、知ってるんでしょ?」

「……いえ。貼り付けた僕の眼でも彼のことは―――」

「ここに入って来た時、部屋を見回したのに、ナルトが居ない事を訊いてこなかったのはどうして? あのバカがどこにいるか、知ってたからじゃないの?」

 

 脳裏にナルトの姿が浮かび上がる。

 背中だ。

 あの時。

 波の国で、白の攻撃から庇ってくれた時の、背中が残滓していた。

 同じ空間に白がいるのが要因かもしれない。

 

「……彼の元へ行って、何をするつもりですか?」

「助けるに決まってるでしょ」

「貴方の手助けは不要です。上忍のみならず、暗部の方々も動き始めている。もう間もなく、問題は無くなるんです」

 

 白の言う通りだ。波の国の時とは違って、木ノ葉隠れの里には当然、多くの忍がいる。封印術のスペシャリストや、あるいは、ナルトの状態を封じる直接的な手段を持った者もいるかもしれない。いずれにしろ、そう、五大里筆頭である木ノ葉隠れの里が、たとえ法外の域にいる力一つで崩落してしまう訳がない。

 いずれ、ナルトは元に戻る。

 そして……どうなる?

 ナルトのあの姿は、里にとっては暗黙に伏せられたナニカなのだという、サクラと同様の認識をサスケは持っている。ナルトの姿が朱く染まった途端に動き出したカカシとフウの行動で確信に変わってもいた。

 これまでイタチで殆どの思考を埋めてしまっていたせいか、ようやく、辿り着く。サクラが想定した、木ノ葉崩しの先にあるだろう、日常の一部の欠落を。

 サクラは変わらず、白に懇願している。けれど、白は淡々と冷静に、如何に外に出ることが無意味であるかを語りサクラの言葉を尽く否定する。理屈の上で白は完全な優位を確保しているのは、誰にでも分かることだった。

 徐々にサクラの言葉は重くなっていく。頭の良い彼女であっても、明白な理屈の重心を揺さぶることはできない。何もかも、白が正しい。

 

 咄嗟に、サスケは白の肩を掴んでしまっていた。そして、言葉も。

 

「サクラだけじゃない。俺も外に出せ」

 

 ナルトを助ける。少なくとも、今だけはそう考えた。

 憎く、大嫌いな奴に借りを残したままというのは、耐え難い屈辱だ。そんな安易な結論を抱えて。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「……たしかに、俺はお尋ねものだがよ………。狙われる義理はねえぞ」

 

 再不斬は頬に付いたばかりの血を肩で拭いため息を漏らす。肩に入っていた力を微かに抜くものの、緊張は解いてはいなかった。真っ当な戦闘が久方ぶりなせいか、身体に無駄な力が入ってしまっている感覚がある。言うなれば、身体が重く硬い。さらには殺してはいけないという条件も重なれば、苦手ながらも言葉による交流を選ぶのは当然のことだった。

 

「俺は、大蛇丸とは関係ねえ。むしろ、人助けをしたところだぞ? 俺に構ってる暇があるってんなら、化け狐になりかけてるガキのところに行くか、それかそこで動けなくなってる使い物にならねえ女を避難させるのがいいんじゃねえのか?」

 

 しかしながら、返答は皆無。七………いや、バックアップとして何処かにもう一人いるだろうから、八人だろう。寝枕の傍に佇む亡霊のように囲うのは、暗部の者ら。霧隠れの里―――ではないのは当然か。木ノ葉隠れの里の暗部である。暗部特有の面を被った者たちだ。

 彼らは、避難所に入っていった白を待っている再不斬に突如として襲いかかってきたのだ。目的を言うわけでもなく、再不斬が木ノ葉隠れの里にいることを尋ねるでもなく。

 

 ―――何なんだ? こいつら。

 

 暗部としての行動と見れば正しいのは言うべくもない。しかし、違和感を覚えてしまう。霧隠れの里の暗部とは違う、というものではない。むしろ、ほとんど変わり映えはしていない。突き詰められた隠密とは、つまりは無駄を極限までに削ったことに他ならない。似通うのは当然だ。

 

 だが……いやだからこそ。

 

 鼻に付く。

 

 暗部が無駄を削るというのならば、なぜ、攻撃してくる。化け狐が暴れている状況で、しかもまだ戦争状態は解かれていない。ならば暗部が動くべきは、木っ端なお尋ね者を捕縛する事ではないはずだ。

 穏和な態度を一向に示さない彼らを前に、再不斬は舌を小さく打った。苛立たしげに、足元で気を失っている暗部の身体を蹴ってやる。最初に襲ってきた足元の男の実力を見る限り、手強いが、逃げ切れないものではない。

 化け狐はいずれ静まる。木ノ葉隠れの里が全力を以て挑むだろう。

 

 ならばとっとと逃げるだけだ。

 

 問題なのは、白が戻ってくるまでここで時間を稼げるか、あるいは戻ってきた時に白が即座に動いてくれるかだが、期待するしかない。

 暗部の者たちは動く。まるで人形を相手にしているかのような錯覚を思わせる迷いのない動きと、軌跡が描く三次元的な幾何学模様はスムーズな連携を示唆する。誰がいつ、どのタイミングで攻撃を仕掛けてくるのか、忍術を使うのか、それを悟らせない為に複雑な動きと高い速度を駆使してくる。生まれ、そして処理する情報は多い。

 しかし、再不斬にとっては意外にも、苦ではなかった。

 

「話を聞くって言う言葉は……木ノ葉様にはねえってのかッ!」

 

 音も無く背後に近付いてきた男を、首切り包丁の背の部分で殴り倒す。たとえ人形みたいな暗部の人間でも、殺してはいけない。と言っても、再不斬の振りは容易に男の肋骨の半分を折るほどの力が込められている。命を狙われている以上、再不斬も手加減こそしてはいるのだけれど、それはあまりにも大雑把なものである。暗部ならば、骨の十本二十本折れたところで死なないだろう、というもの。

 クナイが縦横無尽に飛んでくるのを寸でのところで躱し、狙い来る忍術を大きく避けていく。緩急をつけるように迫ってくる暗部の格闘術を首切り包丁で叩き伏せ、数を更に二つ減らした。

 

 ―――あのイカレ女の動きに比べれば、遥かに遅えんだよ。だが………。

 

 白とフウコの修行光景を眺めていただけだが、それでも動体視力は鍛えられているようだ。動きが見える。対応は可だ。しかし、二人を気絶させるまでに無傷ではない。的確に両足の太腿にクナイが刺さっている。むしろ、その二人はクナイを突き刺すためだけに向かってきたのだ。

 

 ―――こいつら、本当に何なんだ。

 

 人形のような雰囲気の割には、攻め方が異様な執拗さを持っている。殺意も静謐だが本物だ。だからこそ、よりいっそうと分からなくなる。何が、目的なのか。

 

「再不斬さんっ!」

 

 そこで背後から白の声が届いた。もちろん、振り返らない。視線を外すのは危険だ。暗部の者たち全てを視界内に。しかし、不思議なことを目撃する。面を被って表情と視線を読まれないようにしているはずの暗部の者ら全ての顔の向きが、背後―――白に向いたのだ。

 瞬間、暗部の者らは同時に動いた。

 再不斬を避けるように広がり、横を抜けようとする。

 

 ―――目的は白かッ!?

 

 どうにか追いつき、一人は叩き伏せた。

 どうして白を狙うのか、理解が及ばない。彼はビンゴブックはおろか、存在も名前も、もはや無いはずだ。なのに、どうして。

 白は即座に対応する。千本を取り出し、右手で正面の男の斬撃を防いだ。だが、他の者らは白を狙うように収束し始める。白の命が危ういのを察した再不斬は全力を以て地面を蹴った。

 

「「―――ッ!?」」

 

 そして白と再不斬は、暗部らの動きに驚愕を抱いた。

 彼らは白に向かって収束したのではなく……その後ろに立っていたサスケとサクラの二人を目掛けて…………いや、違う。厳密に言えば、サスケを、狙っていたのだ。

理解が届かない。ビンゴブックに名が載るような危険人物から、木ノ葉の忍を助けるというのならば分かる。しかし、そもそも再不斬から少し離れた位置に、綱手とシズネがいるのだ。その二人に対してのアクションは今まで無かった。

 

 何故だ。

 

 嫌な予感が首筋をなぞる。

 

 下忍であるサスケを戦争から守る、という御立派な目的ではないのだろう。保護ではないのならば、保護以外の目的であるのならば、マズイ。

 

 サスケは。

 

 サスケは、そう。あの女の弟だ。

 

 この里の中で一にも二にも、傷つけてはならない対象なのだ。

 再不斬は咄嗟に首切り包丁を投擲しようとする。

 

「忍法・鳥獣戯画」

 

 平坦で幼い声がどこからか。すると、何かに腕を掴まれた。

 見やる。

 黒い墨のような何かが、自身の腕に蛇として形となって絡まっていたのだ。

 投げれない。

 

「氷遁―――」

 

 再不斬の動きをカバーするように術を発動させる。それは、暗部の者らは流石に想定できていなかったのだろう。まさか片手のみで忍術を発動させる者がいるのかと。

 

「血氷柱牢ッ!」

 

 避難所周りの地面を染めていた血が凝固し、逆立つ。そして白を中心に茨のような歪な形状を作り、固まる。鉄分を豊潤に含んだ氷結の血は黒く、先端は鋭い。しかし作られた牢は相手を貫くのを目的とせず、サスケを掴もうとする暗部らの身体を弾き飛ばすためだけに構築された。

 狭い隙間だけを許す牢を前に、白と噛み合っていた男もろとも、暗部の者らは弾き飛ばされる。

 白は即座に、握っていた千本を再不斬を捉える黒い蛇へと投擲し突き刺さる。黒い蛇は形を崩し、単なる墨汁へと変わり果てた。再不斬は術者の居場所の特定よりも、白の元へと行くことを優先した。白に背を向け、弾き飛ばされた暗部らを前に構える。

 

「おい、白。そのガキ共はいったいどういうことだ?」

 

 言いたいことと聞きたいことは山のように頭のなかに累積しているが、順序立てて尋ねなければいけない。白が何を考えて、爆弾を抱えて避難所から出てきたのか。彼の目的を聞かなければ動けない。

 

「すみません、再不斬さん」

 

 と、白は言う。

 

「後ろの二人が、ナルトくんの元に行きたいと言って………」

「……ああ、なるほどな」

 

 短いその言葉だけで、状況を理解できた。最悪な不運だと、再不斬は考えた。

 避難所という限られた空間。さらには避難してきていたのだろう多数の木ノ葉隠れの者もいるのだろう。白も馬鹿ではない。そんなところで争うよりも、広い外で拘束した方が良いと考えたのだ。

 白自身もよく理解している。うちはサスケに危険が及んだ際のリスクを。だからこそ即座に暗部らから感じた違和を払いのける為にノータイムで術を発動させたのだ。白に責任は無い。むしろあるのは―――。

 

「うちはのガキ。さっさと中に戻れ。今は御子様が顔を出すような状況じゃねえんだよ」

 

 再不斬の声は重低音だった。半ば脅し、半ば本心の苛立ちを混ぜたものである。しかしサスケは怯むどころか、逆に強気な語気で返してきた。

 

「木ノ葉の忍でもねえお前にだけは言われたくねえよ」

 

 腹立たしいこと、この上が無い。すぐにでも顔面を殴り飛ばしてやりたいが、そんな暇を許してくれるほど目の前の暗部らは人情的ではない。先程のサスケへのアプローチに対する釈明も一切なく、隙間を見つけるようにこちらを眺めている。

 

 どうにも、きな臭い。これは、血の匂いだ。ああ、そうだ。あの時に似ている。あの夜の、あの雨のような、底の泥。

 目の前の暗部らは、そういったのに特化した連中だ。

 

「―――うちはサスケを渡してもらおう」

 

 暗部の一人が、ようやく言葉を発した。高圧的でも低姿勢でもない、風が吹くような平坦なものだ。単純でシンプルだ、と再不斬は感じ取った。言葉を発したというのも、きっと、交渉という平和的な思惑があるわけではないのだろうなどと容易に察することができる。

 白が避難所に入っていったタイミングで襲ってきたのは、片腕の人間相手ならばすぐに始末できるだろうと思っていたのだろう。外の人間を殺し、避難所に入り、サスケを攫う。

 その目論見がハズレ、白が外に出てきたのを前にして、下手な消耗はなるべく避けたい、というのが本心に違いない。言葉を返せば、相手は白の実力を知っている、ということ。

 

 ―――白を知ってる連中はカカシのチームくらいのはずだ。あとはサソリと、あのイカレ女くらい……。まさか俺たちを騙してるわけじゃねえだろうな。

 

 一瞬だが、サソリがこちらを裏切ったのではないかと考えてしまったが、すぐにそれは棄却する。わざわざ木ノ葉の暗部を使って処分するような手間暇をかけるほど、再不斬と白、サソリとフウコの実力は拮抗していない。サソリがフウコをテキトーな言葉を使って動かせばいい話だからだ。

 

 ―――ってことはだ……白のことを知ったのは木ノ葉に入ってから。白が術で眼を貼り付けているのを眺めて、判断した………。なら………。

 

 再不斬は白に尋ねる。

 

「白。貼り付けた眼はどうなってる」

 

 数秒して、白は息を呑んだ。

 

「……全部、おそらくですが、潰されてます」

 

 嫌な予想が的中してしまった。木ノ葉隠れの里がもう間もなく大蛇丸が作った混乱を制するという間際に、全体図を見失う。そして目の前には、こちらを狙う暗部が。

 逃げ道が消えていくのを明確に予感する。

 すぐに逃げるべきだと、再不斬の経験は警鐘を鳴らすが、後ろには爆弾があるのだ。ただ逃げるだけではいけない。戦うのも論外だ。サスケ……さらには、サクラや綱手とシズネなどの木ノ葉隠れの里に関わる者も置いていくわけにはいかない。わざわざ暗部の姿のまま目の前にいるのだから、自分らの行為を見られたからには対象を消すだろう。それもまた、フウコを爆発させてしまうかもしれない。

 

 再不斬は考えながら、言葉を返した。

 

「このガキに何の要件があるってんだ。随分と穏やかじゃねえ雰囲気だが?」

「渡すのか? 渡さないのか?」

 

 もちろん、決まっている。渡すつもりは無い。

 だが、戦うことはない。逃げるならば、今しかない。

 ただ逃げるだけではいけない。

 暗部から逃げ切れる道を。あるいは撒くことができる環境を。

 暗部たちはサスケを手に入れることを目的としているのは確定した。避難所へ逃げても、自分はビンゴブックに名を載せてしまっている犯罪者。避難所の者たちは、暗部の一声で敵になってしまう。

 

 どうすれば暗部は手を引く。何が嫌だ……。

 

 ―――………サソリの野郎…………、アジトに戻ったら、しばらくは羽根を伸ばさせてもらうぞ………。

 

 導き出した最善策は、最悪(、、)なものだった。

 

 暗部を撒くためには人目が必要だ。それも、大多数の目が。

 そして尚且つ、暗部の一声だけでは敵までにはならない程度の混乱が必要だ。桃地再不斬という人物の名前が霞んでしまうほどの大混乱がある場所。

 

 思いついた。

 

 皮肉なことではあるが。

 サスケとサクラが求めている場所。

 そして再不斬が決して関わることはないと確信していたはずの場所。

 ナルトの元へ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 あらかた、周りへの根回しは済んだ。戦後復興の為の資金や物資、火の国に隣接する小国らへの牽制、砂隠れの里及び風の国への情報収集、その他多く。殆どが完了した。残っているのはほんの少し。しかし、その中に一つだけ、面倒な案件が残ってしまっている。

 

 未だ、その案件の処理完了を告げる報告が届いていないことに、志村ダンゾウは厳格な面持ちで執務室の椅子に腰掛けていた。

 

 彼が気にかけていたのは、うちはイタチのことだった。

 

 つい、先程。イタチとイロミの戦闘が終わったという報告が部下から―――つまりは、彼が密かに抱えている【根】の者たちである―――届いた。イタチはその後、自身の持つ部下に保護されたとのこと。ダンゾウの部下の観測手からの報告によれば、イタチには外傷が殆どない……いや、無くなっている(、、、、、、、)、ということだった。

 

 ―――まさか、そこまで辿り着いていたとはな……。いや、当然といえば、当然か。

 

 その報告を聞いたとき、浮かんだ選択肢は二つだった。

 一つは、イタチの療養。彼が行った事への代償を補填しなければ駒としての魅力が半減してしまう。事実、今回の根回し―――特に、隣接する小国らへの牽制では、うちはイタチの名前を出すだけで簡単に行えた。今後も彼を駒として使っていきたい。

 だが同時に、もう一つ、考えたことが。それは、彼が真実に辿り着いてしまったのではないか、ということだ。

 

 猿飛イロミ。

 

 大蛇丸の人体実験によって生まれた人外のナニカ。彼女は大蛇丸と接触し、その後、木ノ葉隠れの里に牙を向けた。その行為の根幹が、うちはフウコの真実なのではないかという疑念は抱いていた。本来ならば、早期に、はたまたイタチとの戦闘での隙間を突いて処理する手筈だったのだが、尽く外れてしまった。最悪なことは想定できてしまう。

 

 もしイタチが真実を知ってしまったならば……こちらにはカードが必要になってくる。イタチの実力は、もはや木ノ葉隠れの里において随一であるのは疑いようもない事実だ。彼が木ノ葉隠れの里に、イロミのように牙を突き立てたのならば、里への大打撃であると同時に、彼を使っていた自身の信用にも関わってくる。

 イタチを抑制し、コントロールするためのカードを手に入れなければ。

その為に、部下たちを戦場に紛れ込ませ、探させた。イタチの弟であるサスケを拘束し、そして……。

 

 ―――まだシスイの眼は、もう一つある。

 

 記憶を改竄させる。

 まだまだ、イタチは利用しなければいけない。

 猿飛イロミは処分しよう。彼女は言い逃れできない罪を背負った。処分するのに異論を唱える者は多くない。ヒルゼンやイタチ、イロミを知る者たちが異論を唱えたところで、里の総意を覆らせるのはできないだろう。大蛇丸の娘であるという事実もある。イタチの部下が保護したようだが、秘密裏に処理しても問題は無いだろう。

 その際に気にしなければいけないのは、フウコだ。イロミが死んだとなれば、いよいよ、彼女がどうするのか見当がつかない。

 サソリにコンタクトを取っておくべきか……。もしかしたら、意外と早く、彼とはコンタクトが取れるかもしれない。大蛇丸の企てが始まってすぐに入った、一つの報告がそれを予想させる。

 部屋のドアがノックされた。この部屋に来るのは、部下だけだ。入れ、と応えると静かに部下は入ってきた。

 

「うちはサスケの拘束に参加している、サイからの報告です」

「どうした?」

「現在、交戦中とのことです」

 

 その報告は予想していたものとは異なっていた。

 うちはサスケの拘束に向かわせた部隊は実のところ、そこまでの精鋭というわけではなかった。

 里の内外の諜報や、音隠れの里の位置の特定、あるいは単純な里の防衛。あらゆる面に部下を吐き出させてしまっている為、人手が不足しているのが現状だった。それでも、避難所に入ったサスケを拘束する程度ならば問題ないだろうと、無い手札から選んだ部隊だった。たとえサスケや、避難所に匿われた下忍らを相手にしても時間はそう要さないはず。そもそも、交戦中という報告自体が誤りではある。任務の完了失敗の報告だけが必要なのだ。

 つまりは、その交戦がイレギュラーだということ。部下は続けた。

 

「桃地再不斬、及び部下と思われる少年が妨害を。幾人かの増援が必要だと」

 

 なるほど、とダンゾウは得心する。

 

 再不斬と白が木ノ葉隠れの里に侵入したという報告は受けていた。しばらく監視を指示してみたところ、どうやら彼らは木ノ葉隠れの里の住人を助け、そして音の忍を処理してくれている、という答えが出た。

 ならば監視は継続しながらも泳がせ、木ノ葉隠れの里の為に役立ってもらっていた。

 何故、彼ら二人が里に姿を現し、木ノ葉隠れの里を助けてくれるのか、推測でしか想像はできなかったが、ようやく曖昧な想像に肉が付く。

 

 おそらく、ではあるが、再不斬はサソリと繋がりがある。これは高い確率だ。そもそも、フウコを使っているサソリからすれば、木ノ葉隠れの里が襲撃されているという事態を何もせず指を咥えるばかり、というのがおかしな話である。破綻してしまっているフウコを考えれば、いずれ木ノ葉隠れの里の襲撃は【暁】を通じて耳に入る。その際にフウコが怒り狂うことは明白だ。何かしらのアクションはあるとは考えていた。大蛇丸の動向も以前に伝えているのだから、尚の事。

 再不斬が木ノ葉隠れの里の住人を救助、支援しているという不可解な行動も理解できる。サソリが、再不斬と白を動かした。

 

 ―――となれば……再不斬は、うちはサスケをこちらに渡すことはしないだろうな。このまま見過ごせば、厄介だな。うちはサスケを拘束しようとしたことは、サソリの耳に入るだろう。ならば……。

 

「増援を送る。指示は変わらない。うちはサスケの拘束と、目撃者は全て殺せ。最悪、桃地再不斬とその部下を殺すだけでも構わん」

「報告の中には、三忍の綱手と、付き人の者が付近にいるようですが」

「殺せ。証拠は残すな」

 

 ノータイムで返答し、部下に増援を送る部隊の名を伝える。部下は速やかに部屋を出ていった。


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