いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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あけましておめでとうございます。

次話2月中に投稿します。

今年も投稿スピードを僅かにでも上げたいと考えていますが、とてつもなく長い目で見ていただければ思います。


下準備

 戦争の完全な終わりは、静寂が知らせてきたのだ。

 

 状況も、損傷も、抱える心情も、もはや他者と同一などというのはありはしない泥梨の淵で、けれど明確な合図や疎通もないままに、全員がそう思ったのだ。

 

 終わったのだと。

 

 喜びや悲しみを噛み締めたものは誰もいない。砂に落とした水が消えていくのを眺めるているような、空虚でシンプルな感情の抜け殻を頭に抱えて、不意に降りてきた静寂を全員が認知する。

 そこから先の時間の進みは曖昧で、早いようで、遅いようで、記憶に残るようで残らないようで。唐突に襲い掛かってきた大蛇丸の毒牙への衝撃に未だ頭が追い付いていないのか、それとも非日常的な時間を過ごした事への逃避なのか、あるいは事後処理と要救助者への対処のために無駄な情報を捨てたからなのか。

 しかし確実なことは。戦争が終わり、戦争の結果を見定め終えた……翌日に行われた葬儀の雨音が、現実に正しく即した時間の運動を示していたことだった。葬儀の時間こそが、木ノ葉隠れの里に正しき時間を取り戻させたのである。

 

 葬儀。

 

 死者が――出たのである。

 

 音の忍らの奇襲に対し上忍暗部らは十分な対応をし、それでも零れ落ちそうになってしまう者を再不斬と白が掬い上げても、届かなかった者たちがいたのだ。

 

 無論、亡くなった者らの数は、戦闘に参加した木ノ葉と音の忍らの規模を考慮すれば、成果としては十全であると言い切れる。しかし、死者は死者なのだ。もう二度と、生者にはならない。

 生者が失った時間と、生者のままの時間を合わせるような静かな葬儀は粛々と行われた。

 亡くなった者らの写真と、その手前に並べられる手向け。

 その中には――三代目火影・猿飛ヒルゼンの遺影もあった。

 

 

 

 空に浮かぶ座布団のような雲が、風に押されて東へと消えて行くのを、顔岩の下の物見場から見上げていた。透明感のある空に溶かされるかのように、東へと向かった雲たちは纏まりを失って散り散りとなっていく。何かを強く連想していた訳ではないけれど、侘しさと言えばいいのだろうか、虚空な心に湿っぽい感覚が微かに生まれてしまったのを感じ取った。水の匂いかもしれない。昨日、地面が吸い込んだ雨水がまだ乾いている途中なのだろう。

涼やかな風に紛れる慎ましい湿度は、けれども、思い出せる限りの幼い頃の記憶よりかは薄いように感じた。歳だからか、などと自嘲する。鼻が鈍ったか、身長がガキの頃に比べれば高くなったからか。いずれにしろ、当たり前だが、昔に比べて時間が進んでしまったからだ。

 

 幼い頃は生意気だった。早く明日になれば良いと、早く優れた忍になるんだと、持て余してしまっている時間を大量に消費した先に理想的な未来があるのだと疑わなかった。膨大で曖昧な理想の中で叶うものは、極々僅かな一滴に過ぎないというのに。

 

「まさか、あの綱手姫がとうとう男風呂を覗く日が来ようとは。嘆かわしいのう」

 

 ふざけ倒したしわがれ声に不快感を少しだけ含ませた視線で後ろを振り返る。肩越しに見えたのは、自分の幼い頃とは比肩できない程の生意気っぷりを発揮していた腐れ縁だった。自来也は緊張感のない笑みを浮かべていた。視線を戻し、空ではなく里を見下ろした。

 

「お前じゃないんだ、男の裸に興味があるわけないだろ」

「本当かー?」

「殴るぞ」

「ワシの言葉を信じんくせに、自分が疑われると手を出すとは……昔から変わらんのう」

 

 そうだろうか。確かに、そうだったかもしれないと思うが、しかしながらまともに暴力を振るったのは自来也が大半である。むしろ昔の自分ならばこの時点で顔面を殴っていたというのに、溜息一つで済ませている辺り、成長したのではないだろうか。

 

「……で、本当は何しておったんじゃ?」

 

 隣に立つ自来也を横目で一瞥する。感慨深く、それこそ、昔の彼からは想像できない深く穏やかな顔があった。

 

「やることがないからだ」

 

 綱手は自嘲する。

 

「シズネから言われたよ。三忍の私が復興の場に姿を出せば、無理矢理にでも医療の現場に向かわされるだろうからな。医療ができない私の実情を広めるわけにはいかないってさ。代わりにシズネが行っている」

 

 傷者の殆どの様態が、命に別状の無いものだということをシズネから報告を受けている。重傷の者も以後の処置を誤らなければ後遺症も残らないものであるとのこと。

 

『だから、綱手様が責任を感じることはありません』

 

 報告の後に続いたシズネの言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 責任。

 

 ソレの厄介さは知っている。

 

 幼い頃に持つ自我の拡散性を歪め、鎖を付けようとする重圧だ。大人になる、というのはその責任性が確かに自分のものであると自覚し、自我を拡大させる力を持っている者のことを示している。けれど、一度、責任に押し潰されてしまえば子供になってしまう。

 自分のせいではない。

 悪いのは、自分ではない何かだ、と。

 

 ――シズネには、そういう風に見えたのか……?

 

 責任から逃げているように。

 

「だから、私は此処で暇を潰しているんだよ。人を治せないからな………」

 

 再度、自来也の横顔をちらりと見やる。彼の目にも、自分は逃げているように映っているのだろうか。彼の長い白髪が微風に揺らされた。

 

「じゃが、お前はワシを救ってくれた。それは事実じゃ」

「………あれは、偶然だ」

 

 偶然か、とくつくつと笑ってみせる自来也だったが、笑った拍子に腹部に違和を感じたのか「おお、イタタタ」などと素っ頓狂な声を出しながら腹に手を当てた。

 血と腐臭。

 轟音と絶叫。

 連続性も現実感もグチャグチャとごった煮したあの時の記憶は、今になってようやくだが、冷静さを取り入れて思い出すことができる。

 

 偶然。そう、偶然なのだ。自来也を救ったのは。

 

 尾獣化したナルトの近くにやってきたのは、再不斬と白に連れてこられたから。

 再不斬も白も、自来也もフウも多くの者が彼の元へと馳せ参じる光景を眺めていただけで。

 九尾の抵抗による爆風で自分らは砂煙と共に跳ね飛ばされ。

 血の水滴が顔に張り付き。

 その瞬間に自来也の身体が飛んできたのだ。

 受け止めたのはシズネだった。いや、ぶつかったのだ。

 自来也の巨体に押された彼女はそのまま、背後の木に圧迫されて気を失ってしまい。

 自来也の腹部には、太い木の枝が刺さっていた。枝の形と太さ、そして人一人が簡単に吹き飛ぶ衝撃と、自来也が口から出るどす黒い血。

 経験則が感覚的にはじき出す。自来也の命の残量を。

 シズネは気を失い、辺りは自来也の事態を察知できていないほどに混乱を極めている。

 救えるのは、自分だ。自分だけで、そして彼を殺すかもしれないのも、自分だ。

 木ノ葉隠れの里を離れてから初めて直面する親しい者の死は、木ノ葉崩しが始まってから重なり続けた恐怖への耐圧が吹き飛んでしまった。咄嗟に集めた両腕のチャクラの流動は、意識の外。もはや無意識にも近い医療忍術の知識の想起と、身体に染み付いた経験が自来也への処置を可能たらしめた。

 

 そう、本当に。

 

 偶然なのだ。

 

 自身の意志が介在していないのだから。

 

「たとえ偶然でも、ワシは感謝しておるよ」

 

 自来也は、暖かく笑った。

 

「現に、お前があの場におらんかったら、今頃ワシは死んでおった。ワシだけでなく、他の者も多くが死んでおったことじゃろう。ナルトを元に戻すことができたのは、偶然だとしても、あの場にお前がいてくれたからじゃ」

 

 自来也の言葉に、綱手は首飾りの結晶石を指の腹で触った。首飾りがナルトの尾獣化を抑えたのに役立った、というのも今では思い出せる。

 パニック状態のまま自来也への応急処置を終わらせた後、彼が首飾りを貸してほしいと言ったのだ。ナルトを止めなければ、と。

 

 しかし彼は首飾りを強引に持っていくことはしなかった。結果的には首飾りを渡したのだけれど、綱手が力無いながらも許諾の頷きをするまでは差し出してきた掌は、一定以上の距離を縮めようとはしなかったのである。

 

 木ノ葉と、ナルトの為に。

 

 あの時の自来也は、そう言ったのだ。

 

「……あのガキは、どうしているんだ?」

「暗部の拘留所で隔離されておるそうじゃ」

「それで?」

「そこから先をワシが知っておるとでも?」

「火影にならないか、って話が来たんだろ? なら、そういった話も、お前だったら相談役に訊いていると思っていたんだがな」

「……相談役の二人、話が早すぎるのう」

 

 つい先程のことだった。相談役の二人から、火影への就任を薦められたばかりだ。

 どうして自分の名前が火影の候補として挙がったのか、その理由を尋ねた結果、推薦人が自来也だったということが分かったのである。

 

「自分が火影にならない口実を、私の名前を出して作るんじゃない」

「いやなに。本音じゃ。ワシよりもお前の方が火影に向いておるよ。……一応訊いておくが、どうするつもりなんじゃ? 火影の話は」

「二つ返事で断ったよ。いざ戦場に出ることも出来ないやつが火影になっても、意味が無いだろう。それに」

 

 それに、

 

「火影は私には無理だ」

 

 イタチに木ノ葉隠れの里に連れてこられてから、大蛇丸が姿を現すまでの束の間の日々は綺麗だった。

 血の臭いはまるで無く、殺伐とした空気はどこか彼方へ。

 この光景はきっと、いや間違いなく、大切な弟と、大切な想い人が描き願ったものだ。

 だからこそ、その二人がこの世にいない事に僅かな怒りと、微かな憎しみと、大きな呆れが生まれてしまう。

 

 それでも。

 

 この里にいるものたちは、決して慢心はしなかった。

 散っていった者たちが築き上げた平和の上に胡座をかいたりはしていない。

 

 戦争の良いとこ取り。

 平和の横取り。

 

 そんな考えは誰も持っていない事を、暴走したナルトに立ち向かっていた者たちの姿や、今見下ろす者たちから感じ取れる。

 

 火影になる。

 

 平和を願い、平和の礎になった者たちの想いを背負うのは、そして亡くなった偉大な師の跡を継ぐというのは、だから、今の自分には無理だ。

 血液恐怖症の事もあるが。

 何よりも……一度、木ノ葉隠れの里を捨てた身としては。

 

「ま、そんなことよりもだ」と、綱手は自来也を見た。

「あのガキはどうなっているんだ? 訊いたんだろ」

「……ナルトの奴は今、暗部が持つ秘密の牢に拘束されておるようじゃ」

 

 まあ、それが妥当なところだろうとは、綱手は予想していた。

 どういった理由、どういった原因があったにせよ、人柱力の暴走というのは忍里のみならず、国一つ滅ぼしかねない災厄の種だ。今まで暴走しなかった、という希薄な保証を前にギリギリの理性を保っていた里にとっては、おいそれとは自由にさせる事など出来るはずがない。むしろ、今までのナルトの待遇は他里の者からすれば異例中の異例なのである。

 厳密な隔離こそが、人柱力の扱いとしては間違いは無いだろう。

 勿論、それが絶対に正しい訳でも、人道的であるという訳でもない。人道的な考え方を棚に上げたままの、誤った接し方ではあるが。

 

「大名共はナルトをこのまま閉じ込めておくべきと考えておるそうじゃ。とにかく危ないの一点張り。試験会場にいた大名らも含めて、幻術で眠らされたままでナルトの姿を目撃した者は誰もおらんというのにの」

「相談役は何て言っているんだ?」

「ナルトの暴走の理由がはっきりとしない内は、保留にするらしい」

 

 自来也は続ける。

 

「まだナルトは子供じゃ。負けん気も根性も見どころはあるがの、それでも感情の起伏は激しい。にも関わらず、あやつが暴走したのは今回のを含めてたったの二回じゃ」

「だが、たったの一回でも封印が解ければ、里は滅茶苦茶になる」

「じゃが、ナルトはあんな無茶な九尾のチャクラを纏った後でも、今のところ、身体に異常は出ていないそうだ。ミナトがどうしてあやつに九尾のチャクラを封印したのか、理由は明白だのう」

 

 つまりは、人柱力として優れた素質を持っている、ということなのだろう。

 

「ナルトにとってそれが、喜ばしいことなのかはともかくとして、ミナトはナルトなら九尾のチャクラを使いこなせるという確信があったのじゃろう。相談役も、ジジイも、きっとそれを信じている」

 

 このまま監禁して、ただ九尾の人柱力という名前だけの軍事力の一部にするべきか。

 それとも、人柱力として大成し、そして人としての道を十分に歩ませてあげるべきか。

 今回の暴走の原因が、何かしらナルトの琴線に触れたものであるのか、それとも単純に封印の弱まりかあるいはイレギュラーな不安要素が生まれたのか。その線引は、軍事力の塊である忍里にとっては大きな決断だ。

 

「だったら、尚の事お前が火影になるべきだったんじゃないか?」

「………………」

「お前が火影になって、ナルトを解放してやれば済む話だろう。違うか?」

 

 三忍という背景もあり、実力は確かにある。実務能力はおそらく壊滅的ではあるだろうが、彼に火影になる、と言われて反対する者はいないだろう。たとえナルトの自由を独断で決めたとしても、自来也が直々にナルトに修行をつけるという条件を明示すれば、完全にとまではいかないにしても、ナルトに良くない印象を持っている者の大半は口を閉じるはずだ。

 

 だが、自来也の返答は「ワシも保留だ」というものだった。

 

「ナルトのやつが、今何を考えて、そして何をするかによって、ワシは立場を考えなければならん。火影の椅子に固定されていては、動き辛いからのう」

「いいのか? そんな悠長にしていて。次の火影次第では、あのガキは――」

「火影の候補は既に、決まっておる」

 

 は? と口を開いた綱手を横目に、自来也は続けた。

 

「本人からの立候補と、カカシの奴からの推薦らしい。実力も実績も、それに知名度も、十分持ち合わせた奴がおる。おそらく、そやつが次の火影になるじゃろう」

「ちょっと待て。なら、どうして相談役は、お前や私に火影の話を持ちかけてきたんだ?」

「幾つか、不安要素があったからじゃ。一つは年齢。そやつはミナトが就任した時よりも年齢は若い。火影の椅子に座らせるには些か心許ない、という判断じゃ。もう一つが、そやつの資質というべきか、体質というべきか、それが少しネックでの。火影になった際、どうなるか少し不安だから、という判断。まあ後者の方は、全く問題は無いと思うがのう。実力も名誉が不安要素を木っ端にするはずじゃ」

「なら、どうして相談役は私らに話を?」

「もしワシかお前が火影になると言えば、そやつは候補から外れていた。今頃、そやつに話が言っている事じゃろう」

「大丈夫なのか? そいつは」

「問題ないじゃろう。カカシの推薦も受けておる上に、里の事を見てくれるやつじゃ」

 

 それに何より、

 

「今、この里であやつ以上の天才はおらん」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「そういうことだ。一方的だが、理解してほしい」

 

 病室のドアに手をかけるのと殆ど同じタイミングで、室内からイタチの声が届いてきた。これが、暗部の部隊長である時のイタチの声なのだろうと直感させられるような、厳かなものだった。

 

「ですが……隊長…………」

 

 女性の声が聞こえてくる。隊長、という言葉から、声の主は兄の部下なのだろうと理解した。

 

「私は……隊長の後任として、実力不足だと考えています」

「それは当然のことだ。最初から隊長の実力が備わっているなら、俺はお前をもっと上の職に推薦している。そしてお前なら、いずれ十分な部隊長として活躍できると信じているからこそ、後任を任せたい」

「……うちはイタチの後任というのが、一番の私の壁なのですが…………」

「我慢してくれ、としか言えないな」

 

 はあ、と大きな溜息を女性は吐いた。

 

「分かりました」

「分かってくれたか」

「これまで何度も、隊長の無理難題をこなしてきましたので」

「お前なら出来る、という確信があったんだがな」

「ならば、今回も信じさせていただきます。隊長、お世話になりました」

「もしかしたらだが、今後もお前たちの上司にはなるかもしれないからな。困ったことがあれば、言ってくれ。出来得る限りのことはしよう」

「そう言っていただけると肩も軽くなります」

「可能性の話だ」

「そう言って隊長は、実現させて来たじゃないですか」

 

 失礼しますとの呟きは、ドアの近くに足音を運んできた。ドアを開けようとした手を下げて、サスケはドアから一歩だけ距離を取る。

 ドアが開いた。背の高い女性がサスケを見下ろすと、驚いた仕草を口元にだけ浮かべたものの、何かを言うわけでもなく、彼女は静かに会釈した。返すと、女性は無言に横を通り過ぎていった。

 

「サスケか」

 

 開きっぱなしになったドアの向こうのイタチの声が耳に届く。

 締め切った薄いカーテンから透かされて通る淡い白の光は、病室のベッドで上体を起こしているイタチの笑みを薄くしているようだった。

サスケは中途半端な視線の逸らし方をした。

 暖かな優しい笑みを浮かべる兄の顔。しかし、そこには、大切なものが一つ欠けていたからだ。

 

 右眼。

 

 その瞳が、真っ白になっている。

 

「仕事の話でもしてたのか?」

 

 ゆっくりと室内に入り、後ろ手にドアを占める。薬品の匂いなどは一切なく、空調の効いていない室内は日差しからの熱を受けて、少しだけ暑かった。イタチは困ったように眉に皺を作った。

 

「聞かれていたか」

「暗部を辞めるのか?」

「そうだな………俺は暗部を抜ける」

 

 ベッドの横に椅子を付けて座る。

 兄が暗部を辞める。特別な失望も落胆も無かった。兄そのものを尊敬し、逆に超えるべき人物だとは思っていたが、兄の選択について誇りに感じたことはなかったからだ。

 

「少し、俺の環境が変わるかもしれない。そうなった場合、暗部にはいられない。今のうちに副隊長―――さっきの人に事情だけを説明しておいた」

 

 ふと、視線が兄の右眼へと向かってしまった。

 失明してしまった、右眼。

 兄の力の全てが写輪眼によるものではないということは、誰よりも知っている。ましてや、たとえ右眼だけではなく左眼も失明したとしても、家族という大切な繋がりには何ら影響は無いという認識は確かなものだ。

 けれども、心が少し重くなってしまう。哀れんでいるつもりも、あるいは悲しんでいるつもりも毛頭ない。イタチ自身からも悲観した感情は読み取れなかった。

 

 苦しいような。

 辛いような。

 具体的でピンポイントな言葉がイメージすらできない。

 

「―――いたっ!」

 

 すると唐突に額に痛みが走り、無理矢理に天上を向けさせられた。

 

「ああ、すまない。間違えた」

「兄さん……少し、強すぎ」

 

 人差し指と中指で額を小突かれたのだと理解した。普段よりも力が強く、僅かながら爪の先が額の皮膚に食い込んだのもあって、もしかしたらクナイで刺されたのではないかと錯覚してしまったくらいである。

 

「他意はないんだ。まだ、遠近感が掴めていなくてな」

「だったら……言葉で言ってくれ」

「あまり、人のこういうところを黙って見るものじゃない」

 

 イタチは失明した右眼の瞼を軽く叩いた後「分かったな?」と、笑いかけてくる。まるで凝視されていた事に関してはどうでもいいように。

 

「それで……どうしてここに来たんだ?」

 

 あまりにも自然体だった彼を前に、失明した理由を尋ねる事は出来ないまま問いが飛んできた。そしてすぐにイタチは「ああ」と独りでに頷いた。

 

「写輪眼の事について聞きに来たのか?」

「え?」

「悪いが、まだ教えるつもりはないぞ。お前は中忍選抜試験に最後まで残れなかったからな。約束は約束だ」

「……それは、別にいい」

「そうか?」

「何だよ」

「お前のことだ。何かしら下手な言い訳を使うんじゃないかと思っていたからな」

 

 実のところ、写輪眼について教えて欲しいという約束は完全に記憶の中から消えていた。中忍選抜試験の途中で脱落してから今に至るまで、イロミの暴走や大蛇丸の企てが立て続けに起きていたせいで、気にもしていなかった。

 

「なら、どうして来たんだ?」

「………………」

「どうした?」

「ナルトとアホミ――イロミのやつは、どこにいるんだ?」

 

 大蛇丸の画策に手を貸してしまった形になってしまったイロミの姿と、カカシに禁と言われていた暴走したナルトの姿。葬儀の日にも姿を見せなかった二人の行方が、どうしても、今に至るまで脳裏にくっついて離れなかった。

 カカシは今、任務で招集を受けて不在の状態。他の上忍も、同様だ。イロミとナルトがどうなったのか、それを知る人物で時間に余裕のある人物が、イタチしかいなかった。

 静かにイタチは瞼を閉じる。何かを思案するように。

 勿論、木ノ葉崩しが終わってから入院しているイタチが二人の行方を知っている可能性は高くないことは客観的に見れば明白だ。だが、病室に部下が来ていた場面を目撃してしまった以上、期待してしまうのは仕方のないことだ。何の状況も把握しないままに、引き継ぎなど、するものではないはずだ。

 

「今、木ノ葉は―――」

 

 瞼を閉じながら、そう、イタチは口火を切った。

 

「幾つもの重要案件を保留のままにしている状態だ。砂隠れの里との同盟関係を如何とするか、大蛇丸の企てを前に今後の木ノ葉の体制の見直し、また他里への今回の木ノ葉で起きた情報開示の線引とそれらによってもたらされるだろう情勢の変化の予測……事細かく数え上げればキリがないような、それこそ、今真っ先に処理する必要のないものでさえも、もしかしたら時間の区切りを無理やり付けられるような、そんな事態に陥っている。火影様―――ヒルゼン様が殉職なされたからだ」

 

 おもむろに開いた瞼の先の瞳が、サスケを見つめた。

 

「木ノ葉隠れの里には、火の国の大名らからの管理が希薄な面がある。おそらく、木ノ葉隠れの里の成り立ちが影響しているからだろう。ほぼ―――というよりも、もはや全てと言っても過言ではないくらい、木ノ葉隠れの里は火影と、その周りの相談役らが管理と裁定を行っていた。今も、相談役らが木ノ葉隠れの里の復興を担っているものの、それ以外は何も出来ていない。というよりも、行ってはいけない、と言ったほうが正しい。まず、この前提を頭に入れてくれ」

 

 なぜ、そのような前提を説明されたのか、疑問を横に置いたままサスケは小さく頷いた。

 

「それら重要案件の中には……現在、暗部が秘密裏に抱える留置所に拘束している、イロミちゃんとナルトくんへの処遇も含まれている」

 

 処遇。

 その言葉は、あまりにもサスケには鋭い意味を持つものだった。

 切り捨てたはずの……純朴な頃の自分が、微かにだけ波紋のように頭に浮かんだ。

 

「二人共、今回の大蛇丸の企てに関係していると判断されている。少なくとも、報告を受けた大名らと、相談役たちにはな」

「あいつらは……どうして、あんなことになったんだ?」

「お前は、二人の事をどれくらい知っている?」

 

 それは容姿性格を尋ねたものではなく、いうなれば、二人の背景の事だというのは分かる。しかし、どうしてイロミが大蛇丸の企てに参加したのか、どうしてナルトがあんな人外染みた力を秘めているのか、知らない。沈黙を前に、イタチは「今から話すことは、他言するな」と硬い語気で呟いた。

 

「本来なら、今のお前に話す必要のない事だ。いや、もしかしたら今後一生、知らなくていいはずの事かもしれない。そして、お前がそれを知ったところで、二人への助力になれるような事は、一つも無い。お前はまだ下忍で、力も権限も無い。二人の事を知ったところで、ただの子供であるという事実が揺らぐことは決してありえない」

 

 それでも、知りたいか?

 

 イタチの言葉には、強固な選択が潜んでいることを暗に示していた。

 もしも二人の事を知らないままでいるならば、これ以上は関わるな。あとは、こっち処理する。お前は子供なんだから、何もするな、という―――透明な壁だ。

 

 いや、壁ですらないのかもしれない。

 

 向かい合うイタチと自分の間にある、白い線のようなものかもしれない。

 踏み越えるのは簡単だ。ここで何も考えず頷くだけで、線を飛び越えることができる。

 問われているのは、その先のこと。

 線を越えた先。

 その先にはきっと、イタチと同じ視線があるのだろう。イタチがこれまで見てきた、ナルトとイロミの姿が。つまりは、その線の向こう側の二人は、今まで自分が見てきた姿とは異なっているという事を示し、同時に、二人への印象が今とは変わるということをも示しているのだ。

 

 二人の事は―――大嫌いだ。

 

 まだ二人がフウコの事を信じているから。

 父と母、そして一族を滅ぼし、兄を傷付けた、あの女を信じているから。

 当事者じゃないからだと、今でも思っている。

 失ったものが無いからだと、今でも考える。

 

 それでも。

 それでも。

 それでも。

 

 イロミの狂気に染まった姿を見て。

 ナルトの怒りに満ちた姿を見て。

 そして、二人のことを思い出し考えても、まるで二人の事を知らないから。

 何よりも。

 

 そう。

 

 暴走したナルトを写輪眼で捉えた、あの瞬間。

 眼が捉えた、ナルトの心象世界とでも言うべきあの世界と、同時に頭に入り込んできた悲しみと苦しみの情景が。

 孤独が。

 孤独から助け出すかのように差し伸べられていた、フウコの手が。

 もしかしたらと、自分の中の無意識(だれか)がそう零すのだ。

 そして、全く同様に、プライドも言うのだ。

 何も知らないままの、あの馬鹿な二人に、現実を叩きつけたいとも。

 あるいは別の感情も、様々と語りかけても来るのだ。

 自分が分裂したような茫然自失の、多方からの感情の小波。

 それが、イタチの提示した選択を前に、唯一と同じ方向を向き始めた。

 

「……俺はまだ、兄さんの言うように、何も出来ないガキだ。ガキのままだ」

 

 フウコがうちは一族を滅ぼしてから、努力を続けてきた。

 慢心することなく、弛むことなく。

 一心不乱に、怒りと憎しみを胸に、進み続けた。

 それでも、上には上がいて、世界というのは朝と夕の光を赤く染めるほどに残酷な広さと深さを持っていて。

 陽炎のような、眼には捉え難い、それでも確かにそこに存在する現実があるのだ。

 

 だけど。

 

「だけど」

 

 俺は、

 

「このまま、何も知らないまま、何もかもが終わっているのを見るのは、もう、嫌だ」

 

 線を跨ぎ。

 

 イタチは、穏やかな、けれどどこか苦しさを呑み込むような笑みを浮かべて。

 

 

 

 そして、語ったのだ。

 

 

 

 イロミが、大蛇丸の実験で生まれた少女であるということ。

 ナルトの中に眠る、九尾の存在と、そして彼の孤独の理由。

 人柱力という言葉。

 今後二人が、次代の火影次第で処遇が大きく変わること。

イロミは危険人物として秘密裏に処刑されるかもしれないこと。

 ナルトは人柱力として他里への影響を主張しながらも、今回の暴走を契機に完全な隔離がなされるかもしれないこと。

 語られる情報の量は決して膨大とは言い難いものだったが、重さという点においては、途中から耳に入ってくる言葉を無意識の最低限さを担保とした処理へと移行させてしまうほどのインパクトがあった。

 情報を捨てる訳でも、膨張する訳でもなく。

 ただ、二人の背景に組み込むだけ。そこから先の予測という思考は働かなかった。

 

「―――大名らは、何も考えず、イロミちゃんの処理とナルトくんの管理を提言しているらしい」

 

 気が付けば、自分の膝下を見下ろしてしまっていた。

 感情は何も抱いていない。完全な虚無である。

 頭はただ、情報に押されているだけで、ナルトとイロミへの印象についても、何の感情の発露を起こせなかった。

 

「……大名の奴らの、その考えを覆すことはできるのか?」

「現状、困難だろうな」

 

 淡々とイタチは応えた。

 

「ナルトくんの中の九尾の件は、大人たちならば誰でも知っている事だ。今まではヒルゼン様の考えもあって、ナルトくんは自由に行動できていたが、今回の暴走でナルトくんへの見方が大きく傾いているのは間違いない。イロミちゃんも、人を殺めている。ましてや大蛇丸の企てに手を貸した形になってしまった以上、擁護は難しい。少なくとも、今の俺ではな」

「じゃあ……どうするんだよ」

「だから俺は暗部を辞めて――上に行く」

 

 暗部の……上。

 その言葉と、最初に説明された前提が繋がった瞬間、咄嗟にサスケは顔を上げた。片眼の光を失ったイタチは柔らかく微笑んで、こう、呟いた。

 

「まだ、可能性の話だがな」

 

 途端に、病室のドアが開き。

 

 相談役が入ってきた。

 


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