脆弱性を隠そうとしない、貧相な牢だった。さながら、牢屋、というワードを聞いただけで即座に思い浮かべる事が出来てしまう、シンプルな形。ヒビ割れた石造の立方体の室内。埃は隅に溜まっていて、不快な湿り気が室内に充満している。一つの壁際に置かれた簡易なベッドは病院の物よりも粗く、寝心地は悪そうだ。むき出しの洗面所からは腐臭は無いが、水が出るのかさえ怪しい。通路と牢を分割する檻は、隙間の広い鉄の棒が縦に等間隔に並んだスタイルを適用している。鉄の棒は所々が錆に侵食されているせいか、軽く押してしまえばポキリと折れてしまうだろう。
罪を犯した者への収容所として、ある種の風情とでも言えばいいのだろうか、身の丈には
いつ脱獄してやろうか、そんな安易な考えに足を踏み入れる。
しかし、それこそが暗部――いや、ダンゾウの狙いだ。
たとえ木ノ葉隠れの里の掟を破った者とは言え、元々は里の住人。どんな言い訳をしたところで、掟を破った者への罰は必定だが、かといって里側に一切の要因が無かったのか、と言えばそれはまた別の問題である。その為、余程の重罪を犯したと言えど、一縷の人道的配慮を木ノ葉隠れの里は行ってしまう。
だからこその、脆弱な牢である。
もし本当に人道的配慮を与えるべき人物であるならば、たとえ押せば倒れる檻を前にしても、決して立ち上がることはしないはずだ。たとえ、碌な食事や生活空間を与えられず、ストレスに苛まれ時折脳裏に宿る餓死への恐怖にも身を服すはずなのだ。
ならば、逆に。
脱獄を図った者には恩赦を
追いかけ、捕らえ。
どのような拷問尋問を行い、その末に出来上がった悲惨な肉体を道端に野晒しにしても――
勿論。
うずまきナルトには、脱獄などという考えは一切浮かぶことはなかった。牢の中で目を覚ました時から、一度として。
――もう何日………経ってんのかな…………。
外の光が差し込まれない、空腹と気怠さに身を任せて、ナルトは壁に背を預けて床に座り込んでいた。項垂れる頭に、額当ては無い。牢に入れられた際に取り上げられたのか、九尾に取り憑かれた時にどこかへ落としたのか。大切な物だが、もう自分が付けて良いような物ではない。
ナルトは自覚していた。
自分が行ったこと。
木ノ葉隠れの里が行っていたこと。
後悔と憤怒は、目を覚ましてから何巡もした。何巡も、何巡もして、感情は爆発しながら擦り切れていって、やがて辿り着いたのは【考えていても仕方がない】という、疲弊に導かれた諦観だった。
決して、自分にとって大切な者たちへの想いを放棄した訳じゃない。ただ、あまりにも考え過ぎて、考える事に抵抗を覚えてしまった事への免罪符なだけである。言うなれば、次に巡回する為の休憩時間だ。
『ガキ、外に出たいとは思わないか?』
まただ、とナルトは辟易した。
いつも決まって、ぼんやりとした時間に九尾は語りかけてくる。獰猛な獣が、雑木林の影から兎が足を止めるのを今や今かと、だらしない垂涎をしながら待っていたかのように。
『ワシに任せれば、こんな牢如き軽く吹き飛ばしてくれる。勿論、お前が憎んでいる木ノ葉も粉微塵に出来る』
目を覚ましてからというもの、これまで以上に九尾が話し掛けてくるようになった。今までは――波の国の時も、そして短かった自来也での修行の時も――こちらから喝を入れてようやく反応していた九尾が、今はやたらと言葉を放ってくるのに対して、僅かに疑問を抱いた。
瞼を瞑る。つい、眠ってしまいそうになった。牢の中は、眠る事だけに関して言えばそう悪くない環境だ。意識を下へ下へ。錯覚ではなく身体の感覚が希薄化していって、錯覚ではなく、後頭部、肩、背中へと徐々に意識が離れていくのが分かった。
背中を預けた壁、腰を置いている床の感覚が消える。身体の感覚も無いのに、けれど、自分の意識がある、というのだけははっきりと分かった。瞼を開けた訳でもないのに、暗闇一色の視界が徐々に光を帯び始める。
黒と黄を帯びた白い光に照らされる空間がそこにはあった。
まるで社に奉るように四方を
どうして、そのチャクラがあるのかは分からない。目を覚ました時には既にあったのだ。九尾のチャクラであることは、九尾のチャクラを身に宿したナルトには直感的に分かったが、どこか質が違う。
どこか暖かいような。
どこか見守ってくれているような。
そんなチャクラの塊。
足元から伸びる長い影は、九尾との関係を象徴するかのように檻へと繋がっていた。
そう、九尾を封じている檻だ。
檻の隙間から覗かせてくる巨大な瞳が睨めてきていたが、ナルトは怯む様子は微塵もなく睨み返した。
「いい加減、ウルせェってばよ。何十回頼まれても、俺はお前の力を借りねえし、牢屋から出ようとも思ってねえよ」
本心で言い放った言葉だ。感情的だと言っても間違いはない。
しかし、九尾は見透かしたようにケタケタと笑ってみせた。
『だったら、どうするつもりだ? 一生こんな惨めな牢屋に閉じ込められたまま死ぬつもりか? 復讐も出来ずに』
復讐。九尾が言い放った、たった一言が黒い感情を呼び起こす。意識がぐちゃぐちゃになってしまいそうなほど灼熱のような衝動が足元を焦がしてくる。
木ノ葉隠れの里が、うちはフウコに罪を負わせたこと。
「俺は……木ノ葉に何かをするつもりはねえってばよ」
『木ノ葉は、うちはフウコに罪を擦り付けたのにか? あの女への執着は、その程度だったのか』
「そういうことじゃねえッ!」
『なら、どういうことだ? まさか、そんな事実は無かった、あれは嘘だ、とか言うつもりではないだろうな』
咄嗟に口が開いたが、舌が上手く動くことはなかった。その自身の反応を自覚すると、ナルトは奥歯を噛み締めてしまう。
大蛇丸の言葉と、それを肯定した猿飛ヒルゼン。木ノ葉崩しの最中という緊迫した状況で手に入れた情報。決して嘘ではないと、分かってしまっているのだ。
そして、生まれてしまった復讐心を、否定できない。
九尾はせせら笑った。
『お前がどういうつもりだろうが、木ノ葉は変わらない。このまま野垂れ死ぬか、お前がここから出るか、二つに一つだ。いくらお前が間抜けであっても、答えは分かるはずだ。ワシを使え。お前の願いなぞ、いとも容易く叶えてやるぞ?』
☆ ☆ ☆
「アンタは、フウコの姉ちゃんのこと……知ってたのか?」
うちはイタチは、ナルトがそう問うて来るだろうことは想定できていた。彼が尾獣化してしまった経緯はそれしかあり得ない。本当なら、真実を手にして彼の前に姿を現すべきだったのだろうけれど……。
貧相で、そして暗部らしい老獪さをひた隠す牢屋。彼は檻とは対面に当たる壁に寄りかかって座っていた。衰弱しているようで、手足は脱力に任せて床に投げられてはいるが、こちらを見上げてくる青い瞳には感情が燃えているのが分かった。
隣のフウは悔しそうに下唇を噛んでいる。同じ人柱力として、彼の環境を看過出来ないのだろう。今まさに檻を壊さんばかりだが、予め、彼の状況は伝えておいた。今は耐えてほしい、とも。
イタチは応える。
「まだ、全てを知っている訳じゃない。君は、何を知っている?」
「……お前ら、うちは一族が、木ノ葉にクーデターを仕掛けようとしていて…………フウコの姉ちゃんが、それを止めた…………。だけど――」
木ノ葉は、
「フウコの姉ちゃんに、うちは一族を殺した罪を着せられた……ってことを、知ってる」
「……そうか」
その証言は、イロミの言葉と合致している部分がある。きっと、それは真実。今の記憶のままでは信じることは難しいけれど、理解は出来てしまう自分に僅かな驚きを抱いてしまう。
ナルトが尾獣化したのは、大蛇丸とヒルゼンがいた物見櫓の上。大蛇丸か、ヒルゼンか、あるいは双方が、ナルトに語ったのだろう。
今、この場でそれらが真実であると確証という言葉を他所に
サスケと同じだ。うちは一族が一夜にして滅んだ事実に呻吟した、サスケと。青い瞳の奥には、燻りを隠すことをしない真っ赤な感情が渦巻いている。もしもここで嘘を使えば、またあの日のようにナルトは一時の安寧を手に入れるだろう。けれどそれは、この牢の様に脆いものだ。そして嘘の檻が瓦解した結末が凄惨への口火だという事も、木ノ葉崩しで経験した。
嘘は現状を保留するための道具じゃない。
真っ直ぐ向き合わなければ。
「……フウコの身に何が起きたのか、俺はまだ知らない」
空気が重くなる。比喩などではなく、檻を隔ててナルトのチャクラが溢れ出し、重圧となって肌を押してきた。寒気を感じさせる熱い胡乱なチャクラが足首を掴みに掛かると、フウが咄嗟にイタチの前に出ようとした。
漏れ出したチャクラが九尾のものだと、同じ人柱力であるフウは感じ取ったのだろう。イタチは片手で制した。まだイタチは写輪眼にはなっていない。
「だが、俺は……おそらく君が知った事実に深く関わっている。フウコを助ける事が出来た立場にあったかもしれない」
「言ってる意味が……分からねえってばよ………」
「ナルトくん。もし、俺や、他の誰かがフウコの事柄に関わっていることを知って、その後は、どうするつもりだ?」
「…………分かんねえよ……」
震えた声でナルトは呟いた。
「今すぐ……ぶっ殺してやりてえ。そいつらのせいで、フウコの姉ちゃんは木ノ葉から追い出されて……悪いように言われて…………、犯罪者にさせられて。他の連中も、フウコの姉ちゃんのこと、よく知りもしねえで悪口を言いやがる………。ぶっ殺してやりてえよ」
だけど、だけど……!
「フウコの姉ちゃんは、そんなこと、絶対望んじゃいねえ……。イルカ先生も、カカシ先生も………望んでねえ……」
「……………………」
「なら……じゃあ、どうすればいいんだってばよ……。フウコの姉ちゃんは、無実なんだ。うちは一族を滅ぼしたかもしれねえ……、でもフウコの姉ちゃんが望んでやったわけがねえ。フウコの姉ちゃんが木ノ葉のこと大好きだったってのは知ってる。なのに、うちは一族を滅ぼしてえって望んだ連中が何も無くて、フウコの姉ちゃんが罪着せられるってのも、納得出来ねえ……。もう、訳が分かんねえんだよ……ッ」
「……ナルトくん」
イタチは淡々と呟いた。
彼が抱く感情や、身に起きた事を推し量ることは決してしない。そうやって眺めてしまうことが、彼を疎遠とさせた者らの視線と同質だから。
「フウコに罪を着せた者をこれから見つけるつもりだ」
「どうやってだよ……」
「火影になる」
ナルトの瞼がピクリと震えた。
「いずれ、そいつらを必ず見つけ出す。だが、見つけても、誤魔化されてしまうかもしれない。嘘で塗り潰されてしまうかもしれない。あるいは、真実を語らないままに姿を消してしまうかもしれない。真実を知るには、どうしても力が必要だ」
「……ちから……………」
「君の力が必要だ。もし、俺が火影になったら力を貸してくれないか?」
「……それって…………俺の中にいるバケ狐の力がほしいってことかよ……」
「それは――」
「違うっすよ!」
否定しない。
そう、告げようとした時、フウが割り込んできた。
イタチとナルトの視線が同時に、フウへと向かった。彼女は一瞬だけ気まずそうに視線を伏せたが、すぐに顔をあげた。
「フウもイタチさんから力を貸してくれって言われたっす。きっと、中の重命――七尾の力が必要だから……でも、イタチさんはそんな短絡的な考えはしない人っす。もしもフウやナルトくんが、木ノ葉隠れの里を襲った大蛇丸って人みたいな性格してたら、絶対に声なんてかけたりしないはずっすよ」
そりゃあ、とフウは続けた。
「七尾の力を持ってるってだけで疎まれてきたっす。その力を貸してほしいって言われたら、良い気分がしないってのは分かるっすよ? それに、自分で求めた力でもないのに、勝手に訳の分からないのを押し付けておいて、都合が良い時にって」
でも、でも……。
「七尾の力を使えるのは……七尾と対話して協力してもらうことが出来るのは、今、この世でフウだけなんすよ。それって、イタチさんやサスケくんの写輪眼と同じってことじゃないっすか? 才能みたいなもんなんすよ。だから、その……えっと…………」
フウは言葉を詰まらせてしまった。まだ他にも伝えたい感情があるのに、どうして言葉がついて行かない。歯痒く、悔しそうに俯いてしまった。
「ありがとう、フウ」
後は引き継ぐと意を示すとフウはコクリと力無く頷いた。
「彼女が言ってくれた通りだ、ナルトくん。九尾の力を持ってる人間が必要なんじゃない。九尾の力を持っている君が必要だ。力を貸してくれ」
どうか、どうか。
頷いてほしかった。
今のナルトは不安定だ。たった一つの些事で、彼の理性が抑え込んでいる怒りが暴発してしまうかもしれない。そうなれば、いよいよ火の国の大名は新たな人柱力を探し始めるだろう。つまり、ナルトの命が失われるということを意味する。
フウコとナルトの繋がりは知っている。ナルトの命が失われることは、彼女は絶対に望まない。そして、自分も。
ナルトの命を救う為。それがここに来た目的だった。
「……俺がアンタに力を貸せば、フウコの姉ちゃんを追い出した連中をぜってぇ見つけられるのか?」
「約束する」
沈黙。
そして、ナルトは尋ねた。
「フウコの姉ちゃんを、里に連れ戻すことも、出来るのか?」
それは。
それは。
イタチにとって、最も尋ねて
想定はしていた。尋ねられる可能性が高いことも。それでも、彼が凶行へ走ってしまう前に言葉をかけることの方が優先順位は高かったのだ。
「すまない、約束は出来ない」
フウコに罪を着せた者らを罰することは出来ても、フウコに着せられてしまった罪を消すことは困難だ。たとえ火影であっても。なぜなら、フウコの罪が虚偽であると里の者全てに浸透させるということは、うちは一族がクーデターを起こそうとした事実と、それをフウコに被せたという事実を公表しなければいけない。
一体誰が、罪を偽装する里に住もうと考えるだろうか。ましてや一つの血脈を滅ぼしたのだ。瞬く間に里を離れる者は出て、里は崩壊する。それでは、元も子もない。
他にも、障壁はあるが。
実現は困難を極めるのは事実だ。諦めている訳ではない。あらゆる手段を尽くす覚悟はあるが、
「………だったら……俺は手伝うつもりはねえってばよ…………。フウコの姉ちゃんが……帰って来ねえなら…………」
「フウコが戻って来られるように俺は全てを尽くす」
「もう、一人に……してくれ…………。考えさせてくれってばよ……」
これ以上、ナルトに言葉をかけることはしなかった。確証のない未来を明示しても、ナルトの想いを馬鹿にする行為だ。
「ゆっくり考えてほしい。俺が火影になったら、すぐに君の釈放を大名らに訴えるつもりだ。それまでに、答えを聞かせてほしい」
返事は無く牢から離れた。後ろから「ちゃ、ちゃんと、メシは食うんすよッ! 良い料理運んでもらうように言っておくっすから!」とフウの声が届いた。同じ人柱力として今のナルトの状態を彼女も分かっているのだ。何度も声をかけてもナルトの返事は無かった。
階段を二人は上っていく。足音だけが虚しく響き、それ以外の音はしない。イタチの頭の中には様々な思惑が渦巻いていた。
火影になると決めたのはフウコやイロミ、ナルトの為だけではない。考えなければいけないのは山のようにある。一人の忍として正当に火の意志を継ぐ覚悟だ。
「……イタチさん」
フウの力無い声が聞こえてきた。
「うちはフウコって……何なんすか? うちは一族を滅ぼしたっていうのは、知ってるんすけど……。どうしてナルトくんはあんなに――」
「俺の妹だ」
「え?」
血は繋がってはいないがな、とイタチは続けた。
「イロミちゃんとはアカデミーからの親友で、ナルトくんを育てたのがフウコだ。多くの意味で人を区別しない奴でな、アカデミーでずっと最下位の成績だったイロミちゃんや、九尾を封印させられたナルトくんには慕われていたんだ。うちは一族をアイツが滅ぼしたというのを聞いた時から二人は、フウコの行動に疑問を感じていて……大蛇丸の企ての最中で話を聞いたんだろう。だからイロミちゃんと、そしてナルトくんは木ノ葉に立ち向かったんだ」
「木ノ葉が、その人に罪を着せたってやつっすか? でも、それって大蛇丸が嘘を言ってることは……?」
「イロミちゃんだけならそうかもしれないが、ナルトくんの場合はヒルゼン様がいた物見櫓の上で尾獣化した。おそらく、ヒルゼン様がフウコの真実について語ったんだ。まず間違いない。木ノ葉は……うちは一族のクーデターを止める為にフウコを使って、その責任を全てアイツに被せた」
字面だけを見れば木ノ葉隠れの里が行った事は非道のように思えるが、やむを得ない事態だったのだろうという考えはある。
うちは一族抹殺事件前後の記憶は残っていないが、木ノ葉隠れの里は、うちは一族と何度も対話を重ねた筈だ。当時、火影であったヒルゼンならば必ず、必要な手順は踏み、出来れば対話で終息させたいと思ったはずである。
けれど、対話は進展を示さないまま分水嶺を過ぎてしまったのだ。それはシスイがフウコに殺されたのが、決定的だったのだろう。シスイの死を契機に全てが急転し始めたのだから。
止められないクーデターを前に、抹殺させるという判断は最終手段というよりも、里の存続を前に、その手段しか残っていなかったのだ。
どちらも引くに引けない――うちは一族がどのような価値観を以てクーデターという思想を抱いたのかは、イタチには未だ判然としないものの――からこそ、非合法の力を使った。
まるで自分とイロミのように。
非道だとは思うが、悪だと評しはしない。仕方が無かった、と言えるのかもしれない。フウコが自分の全てを賭けてまで実現してしまったことでもあるのだから。
「イタチさんは……もし、その、うちはフウコっていう人に罪を着せた人を見つけたら、どうするつもりなんすか? 罰を与えたり、するんすか?」
「表立って、罰することは出来ないだろう」
「でも、それじゃあフウは納得出来ないっす。悪いことしたのなら、罰は必要だと思うんすよ。じゃなきゃ……イロミちゃんやナルトくんが、可哀想っすよ…………」
「どういった経緯であれ、里が、自身が保有する一族を滅ぼしたんだ。それは集団としてあってはならない行為。正式に罰するには、どうしても里全体に、罰に至る理由を説明しなければいけないが、それが出来ないんだ」
「でも、ちゃんと説明すれば、里の皆は…………あ、」
フウは、そこで気付き、声を弱めてしまった。
「………そうっすね……。言葉だけで分かってもらえるなら、フウもナルトくんも、苦労はしなかったっすね」
決して、滝隠れの里や木ノ葉隠れの里の人々が冷酷である、という訳ではない。むしろ、温厚で優しいからこそ、言葉だけでは足りないのだ。
人の心なんて目に見える訳じゃない。だからこそ、その人の行動や考え方を知って、人となりを朧げながらに形をイメージするしかない。信頼とは、つまり、見えない部分を見える部分の延長線上として考えた上で、より大きな可能性に賭ける行為なのだ。
大切な人生を歩んでいる者。
大切な人がいる者。
そういった者たちが両里に多かったからこそ、可能性が十分に確保できるまで慎重になるのだ。
「正直なところ」
と、イタチさんは呟いた。
「罰を与えるべきかどうか、というのも決めかねている」
「……どうしてっすか?」
「もしかしたら――もう既に、罰を受けているかもしれないからだ」
シスイは、あの日の俺たちを見つけてくれ、としか言わなかった。
真実を知れ、とだけ。
それ以上を彼は望んでいない。望む必要がないということだ。
忍は、忍び耐える者。
かつて日向一族がそうしたように。
血の涙を呑み込まなければいけないのかもしれない。
その時、自分は冷静でいられるだろうか。
イロミやナルトのように、あるいはうちは一族のように、里を敵に回しても構わないと思ってしまうのだろうか。
そして――サスケも。
「フウ、改めて聞かせてほしい」
力が必要だ。
自分を抑え込める力を。
自分を支えてくれる力を。
自分では手が届かない大切な者を守れる力を。
自分が自分ではなくなっても、抑え込んで
「俺の力になってくれ」
フウは即座に応えてくれた。
安心を与えてくれる、力強さで。
「フウは最初っから、イタチさんの味方っすよ。初めて会った時から。勿論、イロミちゃんやナルトくん、サスケくんも、皆っすけどね」
「――ありがとう」
感謝の言葉ではない。
弱音だった。
大切な全ての為に、あらゆる力を利用しようとし始めている傲慢な自分を自覚してしまったイタチが、初めて零したかもしれない心の破片だった。
大切な者の為に、同じくらい大切な者を少なくとも安全であるという
信頼するという傲慢。それを貫こうと、今一度、心の奥底に根付かせた。
☆ ☆ ☆
実際のところ。
木ノ葉隠れの里の内部では、ナルトが尾獣化した、という情報は然程深刻なレベルでは広まっていないのが現状である。要因は幾つかある。
試験会場にいた大名ら、あるいはそれに追随する御歴々や、下忍等を含め非適正戦闘員が薬師カブトの幻術によって、ナルトの尾獣化を目撃していないこと。
木ノ葉隠れの里が用意していたマニュアルによる避難誘導が迅速であったこと。
フウがナルトを木ノ葉隠れの里の外部を主とした戦場としたこと。
これらによって、直にナルトの姿を目撃した者が多くなかった為に、情報は広まっていないのだ。また、木ノ葉崩しの規模が予想よりも大きかった、というのもある。ナルトの尾獣化のチャクラの余波は確かに巨大なものではあったものの、騒乱の最中ではまともに感知できた者は多くない。さらには、ナルトを抑え込みに向かった者たちの冷静な判断力も要因の一つになっている。まだ復興が完全ではない中で、人柱力が暴走した、という情報を広めるのは不要だ、と。三代目火影・猿飛ヒルゼンがいない状況下でも、情報統制がなされているのである。
けれど、その情報統制も完璧ではない。尾獣化したナルトを目撃した者らの中には徐々に不穏な感情が生まれ始めている。情報が広まるのは、時間の問題だった。
日向ヒナタがナルトの現状を知らないのには、そういった背景があった。
木ノ葉崩しが終息してから一度も、ナルトの姿を目撃していない。葬儀の日にも。
上司である夕日紅に尋ねても、
「ナルトなら大丈夫よ。心配しないで」
と、応えるばかり。具体的な詳細は教えてもらえないまま、彼女は任務へと足を運んでしまっている。木ノ葉隠れの里が今、復興に力を注いでいる中、依頼の数は木ノ葉崩しの前後で変わりはない。上忍は任務から任務へと、動き回ってしまっているのだ。
紅だけではなく、アスマやカカシに至るまで捕まらなかった。
「ナルトの奴は無事なんだろ? だったら心配する必要なんてねえじゃねえか」
ぶっきらぼうに投げられる犬塚キバの言葉に、ヒナタは頷く事も出来なかった。俯きがちに小さく歩きながら、意味もなく足先を眺めるだけ。呆れたのか、キバは溜息をついた。
里の街並みは随分と整理されてきていた。二人が歩いている通りは一見においては傷一つ見当たらない。行き交う人々も復興としてではなく、単純に自身の生活のために店に出入りしている。
ヒナタが通りを歩いているのはそのどちらでもなく、ナルトを探していた。特に当ては無かったけれど、ただじっとしているのは怖かった。
ナルトを探しに行くと、避難所から出て行ったサスケとサクラ。あの二人の様子がどうしても、瞼の裏に貼り付いてしまったのだから。
その途中でキバと出会った。彼は赤丸を散歩に連れて行く途中なのだという。本当は修行をする予定なのだろうとは思うけれど、口にすることはしないまま、並走している。
「そんなに気になんなら、サスケにでもサクラにでも聞きゃぁいいじゃねえか。どうせ俺らみたいに暇してるはずなんだからよ」
「二人共……見つからなくて…………。家も……知らないから………」
「ああ、そういやそうだな」
と言うよりも、そもそもキバや、同じチームである油女シノの自宅さえまだ知らない現状であったりする。アカデミーではそもそも交流は無かった上に、下忍になってからも交流は屋外のみだからだ。
キバは尋ねてこなかったが、実はナルトの家は知っているのだが彼の家に行く勇気は、当然ながらヒナタは持ち合わせていない。だからこそ、人の流れが多い通りを歩いていたのだけれど。
「ま、アイツだったらその内、顔を出すだろ。無事だって、紅先生は言ってるんだから」
「……うん。でも――」
でも。
その先の言葉は言えなかった。言ってしまえば、実現してしまうようで。
これは何となくな予感だけれど、確信めいたものがあった。
いつだって彼は、臆病な自分よりも遙か先を走っていて。
だけど、あの日から。
本当に彼が、どこか彼方に――行ってしまうのではないかと、思ってしまっている。
不安はいつも抱えているから。
気の所為であってほしいと、ヒナタは願った。
次話は4月中に投稿します。