いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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灰色編(改訂版)
今の彼女たち


 里の平和を守ると、誓った。

 

『平和な世で生きろ』

 

 ()は、そう言ってくれたけど、その言葉通りにするのは、あまりに身勝手なのではないかと思った。

 

 一度は彼を心の底から憎み、何度も殺そうと企てたのに。

 彼は自分に惜しみない愛情と多大な知恵を与えてくれたというのに。

 つまり、彼には返しきれない恩義があるのに。

 

 自分だけ、平和な世の中に旅立ってしまうのは、嫌だった。

 

 何とかして恩を返したい。

 旅立ってしまうのは、もう、回避できない。だからきっと、最後の別れなのだと分かっていた。感謝の言葉も、伝えることができない。

 

 だから、せめて……せめて、彼が願った平和な世を、自分が生きている間は、何としても守ると、勝手に誓った。

 

 時を超えて、目覚めたその世は―――しかし、決して平和だと謳うことのできない時代だった。

 

 どうして自分は目覚めたのか、その原因は、当時は分からなかったけれど、それよりも、まずは、戦争の傷跡が残る不安定なこの時代で、非力な自分は、何をすればいいのか、考えた。

 

 とにかく、力を付けなければいけない。

 

 そう、判断した。

 

 力を付けて、平和を守ると―――。

 

 けれどいつしか、力を身に付けようとする中で……平和に過ごしていく中で、平和を守るという誓いが、自分の為のものへと変わっていってしまった。

 

 血が繋がっていない両親と過ごしている内に、温かさを知った。

 血が繋がっていない兄と過ごしている内に、いつも誰かがそばにいてくれることの安心を知った。

 血が繋がっていない弟を見ている内に、愛おしさを知った。

 いつも爽やかな笑顔と力強い行動力のある彼は、友達という言葉の意味を教えてくれた。

 泣き虫でいつも自分を頼ってくる友達からは、他人から受ける影響の尊さを知った。

 

 彼ら彼女らと過ごしている内に、もっとこの時間を過ごしていきたいと、心の底から願うようになっていた。

 

 そう、つまり、自分のため。自分の為に、平和を守りたいと、思った。

 

 いやきっと、平和という意味を、初めて理解したのだ。自分で体験して獲得したその理解は、宝石のように大切なものだったから、それを傷つけたくないと、自分の懐に抱え込めば抱え込むほど、意固地になって、身勝手な子供の用に身体を丸めているのだ。

 

 ―――もう、手放したくない。私は、平和を、守らないといけないんだ。

 

『私だったら、もっともーっと、平和を守ることができるよ? フウコさん(、、、、、)

 

 声がする。

 幼い、けれど嘲笑が混ざった、妖しい声。

 

 ―――どうして、里を恨むの?

 

 語りかけると、自分と全く同じ容姿(、、、、、、)をした少女は、檻の向こうで、口端を大きく吊り上げた。

 

『フウコさんも、いつか分かるよ』

 

 大切な人が、急にいなくった時の、辛さが―――悔しさが。

 

 ―――そんなことさせない。誰にも。里の平和は、私が、絶対に、守る……。

 

 しかし、少女は嗤う。

 嗤い声は、ずっと、続いた。

 

 ケタケタケタ。

 ケタケタケタケタケタ。

 

 

 

「姉さん、起きなよっ!」

 

 耳をつんざく幼い高い声は、眠っていたフウコの意識を覚醒させた。強烈な眠気を引きずりながらも、意識は着々と気だるい肉体へと重なり、閉じた瞼の向こうから、微かに光を感じ取り始める。

 

「んん……」

 

 穏やかな呼吸をしながら、瞼を僅かに開ける。ピントがぼやけた視界の中に、人の顔が映った。徐々にピントが合い始め、見上げた天井を背景に、愛らしい弟の顔がはっきりと見えるようになる。

 

「……おはよう、サスケくん」

「もう昼だよ」

「え……? 朝じゃないの?」

「昼だよ」

 

 うちはサスケは頬を小さく膨らませながら、こちらを見下ろした。不機嫌そうだ、と不安定な思考の中で判断する。しかしその表情も、愛おしく思えてしまう。イタチに似た顔立ちと目端だが、幼さが十分に含まれた柔らかそうな頬や短い髪の毛は、いつ何度見ても、可愛らしい。

 

 上向きに姿勢正しく眠っていたフウコは、顔を傾けて、カーテンが閉められた薄暗い部屋の壁にかけられた時計を見る。たしかに時計は、あとちょっとすれば最も高い位置を示すくらいの時間帯だ。

 

 しかし、今日は特に、任務が無かったはずだ。完全な、オフの日。

 

 フウコは右腕を自分の額に置きながら、小さく息を吐いた。

 

「……私宛に、任務でも来た?」

「来てない」

「じゃあ、どうしたの?」

「母さんが起こして来いっていうから、起こしに来たんだ」

「……そう。おやすみ」

「起きて!」

 

 頬を引っ張られる。痛みのせいで、眠気が和らいでしまった。仕方ない、と思いながらフウコは上体を起こした。起きたばかりで、身体が熱い。身体にかけていたタオルケットが力なく上体から落ちると、少しだけ、涼しくなった。

 

「……姉さん」

「なに?」

「どうして服着てないんだよ」

 

 少しだけ頬を赤く染めて視線を逸らすサスケに、フウコは頭を傾けた。そして、自分の格好を確認する。上半身はランニングシャツ一枚。下はタオルケットで隠れていたが、ボクサーパンツ一枚。

 

 特に、問題はないと思う。

 

「夜、寝ると暑いから。どうしたの? サスケくん、顔、赤いよ?」

「とにかく服来なよ姉さん!」

「身体が寒くなったら着るよ。あ、寝癖ついてるよ」

 

 サスケの黒い髪の毛の一部が跳ねていたから手櫛で直してあげようと手を伸ばしたが、彼はすぐさま手を叩いて「大丈夫だからっ!」と拒絶されてしまった。少しだけ悲しい。

 

 美味しそうな匂いを嗅ぎ取った。もしかしたら、お昼御飯時なのかもしれない。だから、起こしに来たのだろう。

 

 フウコは布団から完全に起きた。立ち上がると、黒い髪の毛が背中を撫でる。彼女の黒髪は長く、腰下まで伸びていた。おまけに、軽くウェーブがかかっている。身体には無駄な贅肉も筋肉もなく、バランスよく端整に筋肉が付いている。軽く身体を伸ばすと、眠気がさらに小さくなった。

 

「今日のお昼ご飯は何だろう。きんぴらごぼうがなければいいなあ」

「あ、姉さん、服っ!」

 

 部屋を出て、サスケを後ろに廊下を歩く。イタチの部屋の前を通り過ぎて、居間に近づくたびに美味しそうな匂いが強くなり、急激に空腹が強くなった。もう眠気はすっかりなりを潜めてしまっている。

 

 かつては共有していた部屋は、今では完全にイタチだけのものになってしまった。お互いに身体が成長してしまったため、一つの部屋で過ごすには狭い。そもそも、フウコがこの家に来た時に、家族になりやすくなるためという目的が強かった。空き部屋はあったのだ。広さ的にはイタチの部屋より少し小さいが、使い勝手としては、申し分は無かった。

 

 居間に着くと、台所で昼ご飯を作っていたミコトの背中が真っ先に目に入った。彼女はフウコとサスケが入ってくるのに気付くと振り向き、そして表情をしかめた。

 

「こら、フウコ。またそんなだらしない格好して」

「だらしないですか?」

「はあ……昔はしっかり服を着ていたのに。もう、誰に似ちゃったのかしら?」

 

 フウコが知る限り、この家で寝巻を着ないで寝る人物を知らない。逆に、どうして他の人は暑いのに着ているのだろうか、と疑問に思ってしまう。

 

 静かにテーブル前の椅子に腰かける。全く、と苦笑いを浮かべるミコトだったが、何だかんだと、すぐに、目の前に昼食を置いてくれた。目玉焼きとサラダ、味噌汁に漬けもの、白飯というシンプルなメニューだったが、フウコにとっては十分なものだった。

 

 もちろん、十分というのは、味的にである。特に、きんぴらごぼうがテーブルに出現していないことが、最も素晴らしい。もう何年も食べてきたきんぴらごぼうは、特に、食感は飽きてしまった。もしどんな味なのか、と他人に尋ねられたら、寸分違わず伝える自信があるほどだ。

 

 隣にサスケが座り、対面にミコトが座った。三人は揃って、いただきます、と手を合わせて、食事を開始する。

 

 味噌汁を一口含む。味噌の味とダシの風味が、味噌汁を呑み込むとすぐさま鼻腔をくすぐった。じんわりとお腹に温かさを感じると、あっという間に胃が大きくなる。白米を食べると、食欲はもう、止まらなかった。

 

「なあ、姉さん。今日は暇だろ?」

 

 箸で目玉焼きを小分けしていると、隣のサスケが呟いた。顔を向けると、口に食べ物を含みながらこちらを見上げている。行儀が悪いわよ、と対面のミコトが顔をしかめていた。

 

「もぐもぐ……。うん。何もなければ」

「なら、今日は修行付けてくれよ」

「サスケくん、アカデミーは?」

「今日は休みだよ。日曜日なんだから、当たり前だろ?」

 

 ああ、そういえば、と思う。

 今日は、日曜日だ。

 あまり、曜日を気にするようなきめ細かい生活リズムじゃないから、忘れていた。

 

「ミコトさん。フガクさんとイタチは?」

「二人とも仕事よ。イタチは、午前中は任務があるって言ってたわね。でも、いつ帰ってくるかは、教え子次第ってとこね」

 

 イタチは上忍になっていた。チームも持ち、今は、下忍の子を三人持っている。イタチは性格も良く、コミュニケーション能力も高いから、きっと何も問題はないだろうと思っていたが、意外にも、苦労しているらしい。下忍の子たちが、それぞれわんぱくなのだと、ぼやいていた。

 

 なるほど、ならもしかしたら、今日は帰ってくるのは遅くなるかもしれない。フガクに至っては、さらに遅いかもしれない。

 

 漬物を食べながら、天井を少し見上げてから、飲み込むと同時に頷いた。

 

「うん、いいよ」

「ほんとっ?!」

「こらサスケ、食事中に大声を出さない」

 

 叱られながらも、サスケは嬉しそうに頬を緩ませて、勢いよく白飯を食べ始める。その姿を見るだけで、自分も嬉しい。あっという間に昼食を平らげた。けれど、まだ腹三分目である。

 

 フウコは嬉しい気分のまま、茶碗を片手に立ち上がり、台所に置かれている炊飯器に手をかけた。

 

「フウコ? 何をしているのかしら?」

 

 冷たい声が、フウコの手を微かに震わせた。

 平静な彼女の声は、しかし、露骨なまでの怒気を孕んでいた。

 恐る恐る振り返ると、冷たい、満点の笑顔。

 

「きんぴらごぼうなら、冷蔵庫に入っているわよ?」

「……その、ご飯が、食べたいです」

 

 ミコトが音もなく立ち上がり、フウコの両手を茶碗ごと優しく包んだ。優しく、と言っても、動作だけで、握られた両手は万力にも似た凄まじい力を加えられ、小さく軋み始めている。

 食卓には程遠い背筋の寒くなる音に、サスケは顔を白くして、身体を小さくしている。

 

「いけないわぁ、フウコ。好き嫌いは。貴方は女の子なんだから、栄養管理は大事なのよ?」

「ミコトさん、落ち着いて、ください。少しだけ、おかわりするだけですから」

「私は冷静よ? ほら、冷蔵庫、開けてみなさい。貴方の大好きな、とっても大好きな、きんぴらごぼうがあるわ。たくさん、食べなさい」

 

 赤ん坊をあやすように甘い声の前に、フウコは静かに頷くことしか出来なかった。

 

 ―――食事が終わり。

 

 フウコは自分の部屋に戻って、服を着た。外出用の服装である。腿の上部分ほどしか丈のない黒一色の着物を着ている。着物には肩口から手にかけて袖がない。腹部に黒い帯を巻いている。黒いスパッツを履いて、全体的に動きやすい格好だった。長い黒髪は後頭部の上部分だけ、黒の髪紐でまとめている。

 

 着替え終わったフウコは部屋の姿見で自身の姿を一瞬だけ確認する。見た目のクオリティの確認では、決してない。ただ、いつも通りの格好であるか、というだけ。別段、いつもと異なっていても、気にしないのだが。

 

 部屋の外から、姉さんまだ? と、弾んだ声が聞こえてくる。

 

「うん、待って」

 

 フウコは壁に掛けていた黒い柄と鞘、そして鍔のない刀を帯に挿して、準備は完了する。部屋を出ようとした時、ふと、忘れ物に気が付いて、背の低い本棚の上に視線を向けた。

 上には、二つの物が置かれている。一つは、でんでん太鼓。しかし、今にして見てみると、ほとんど原型がない。持ち手の部分と紐の付いた石と太鼓の部分だけが、どうにかでんでん太鼓と認識することは出来るが、何も知らない者が見れば、きっと分からないだろう。羽が付いていたり、玩具のビーズが付いていたり、挙句に鈴すら付いている。

 

 しかし、フウコはそのでんでん太鼓を、もうサスケには必要ないと思いながらも大事に持っている。これは、自分の努力の結果なのだと思うと、どうしても、捨てたくはなかったのだ。忘れ物は、その横に置かれていた、額当てである。フウコはそれを帯の上から身体に巻き付けて部屋を出た。

 

「遅いよ! 姉さん」

 

 ドアの目の前に立っていたサスケが賑やかに言った。

 

 そこまで時間をかけていたのかと、尋ねたくなったが、我慢する。きっと、短い時間を長く感じてしまうくらいに、彼は自分との修行を楽しみにしているのだろう。そう思うと、嬉しくなる。

 

「ごめんね、サスケくん。でも、まだ、時間はあるから」

「それは姉さんの都合だろ。俺には時間がないんだ」

「そうだね。行こ」

「早く早く!」

 

 矢のように廊下を走っていくサスケの背中を眺めながら、フウコもゆったりと歩き始める。玄関に着く頃には、サスケはシューズを履いていた。

 

「あ、フウコ」

 

 フウコもシューズを履こうとした時、ミコトに呼び止められた。ついさっきまで皿洗いをしていた彼女は、エプロンで手を拭きながら、玄関まで歩いてきていた。既にサスケは外に出てしまっている。

 

「あまり遅くならないようにしなさいね。折角のお休みなんだから」

「はい。サスケくんには、無理をさせません」

「そうじゃないわ。もう、仕方のない子ねえ」

 

 ミコトは、苦笑いを浮かべると、フウコの頭に優しく手を置いた。

 

「貴方のことよ」

「……私、ですか?」

 

 ええ、とゆったりと頷くミコトを、フウコは小さく見上げた。

 十三歳になったフウコだが、未だ身長では、ミコトよりも少しだけ低い。

 

「私が言うのも、あれだけど…………最近、疲れてるみたいだから。無理はしないでほしいの」

「無理は、していません。疲れてもいないので、気にしないでください」

「気にするわよ。大事な娘のことなんだから。まだ、お母さんって、呼んでくれないの?」

「……すみません」

「ふふ。いつかは呼んでね」

 

 ミコトの手が離れて、けれど、手の置かれた部分には、まだ温かさが残っていた。自分には、あまりある、大きな温もりだった。

 

 玄関の外から「姉さん!」と呼ぶサスケの声が入ってきた。二人が一度、開けっ放しの玄関を見て、また向き合った。

 

「イタチにも言ってることだけど、サスケの修行は、あまり進め過ぎないようにね」

「良いんですか?」

「ただでさえ、貴方やイタチが物覚えの良い子だったから、お父さんはサスケに修行を付けたがっているのよ。あの人の分も、残してあげて」

「分かりました。いってきます」

「はい、いってらっしゃい」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 イタチは午前中、任務に出ていた。上忍になり、三人の下忍の子を教え子に持つ彼だったが、任務の依頼は【迷子の小鳥を探す】という、難しいのか難しくないのか、よく分からない任務だった。命の危険的には非常に楽な任務だが、達成するのには困難な任務だったことは確かである。しかし、難易度は下忍が受ける程度のもので、もちろん、任務は無事に達成することができた。

 

「……はあ」

 

 しかし、丁寧に調理されたサバの味噌煮を割り箸で器用に身を割きながら、彼はため息をついた。うちはの家紋が背中に入った黒いTシャツが元気なく揺れて、その上に着ている上忍に支給される分厚いジャケットが重く沈んだ。

 

 食事処である。

 

 午前中の依頼をこなした後、彼は一度、チームを解散させた。次に集合するのは、午後の演習の時。それまでは昼休みである。チームを解散させたのは、それが現状、最も問題がないと、彼が判断したためである。

 

 任務の途中、ちょっとした喧嘩が起きた。それは、もちろん理性的なイタチが当事者ではなく、教え子の下忍の子たちが起こしたものだ。原因は、些細なことで、つまり、三人それぞれの実力差についての喧嘩だった。

 

 アカデミーを卒業したからと言って、全員の実力が僅差である、ということではない。卒業生の中から三人一組のチームを作る場合、アカデミーでの成績、性格、家系などの様々なことを考慮して、それぞれのチームの実力が【総合的にほぼ同一になる】ようにアカデミー側が構成する。故に、極端な例を挙げれば、【成績最優秀者】と【成績最底辺者】と【そのほぼ中間】というような三人が、チームを組む場合も、あるのだ。

 

 イタチのチームの子たちは、そこまで極端なほどの実力差があるわけではないが、いやむしろ、僅差なのだが、だからこそ問題なのかもしれない。

 

 任務の時、一人の子がミスをしてしまった。そのミスのせいで、捕まえることができたかもしれない小鳥を逃がしてしまう事態になり、もう一人の子がその子を責めた。最後の一人は二人の仲裁に入るつもりが、結局はその子も邪見扱いされてしまい、結局は喧嘩となった。

 

 イタチが一度は喧嘩を治めさせたが、その後はずっと、険悪な雰囲気が続き、任務が終わってからもひきづったため、午後の演習まで、解散することにした。

 

 できれば午後に集合する頃には、少しでも頭を冷やしてほしいものだ、というのがイタチの本心である。しかし、そうなる可能性は低いだろうとも、思っている。得てして子供は素直で、熱しやすく冷めにくい性質を持っているものだ。

 

 ……今にして思えば―――アカデミーの頃を思い出す。ブンシのこと。

 

 彼女はよく、ルールを守らない子供に拳骨を下していた。自分も、彼女ほどではなくとも、多少の鉄拳制裁が必要なのではないか? と、イタチは思い始めていた。

 

「おたくも、ため息をつくことがあるんだ」

「あ、カカシさん」

 

 声をかけられ、サバから視線を挙げると、お盆を片手に立っている、はたけカカシがこちらを見下ろしていた。左目を額当てで隠している彼は、表に出ている死んだ魚のような右眼でこちらを見ながら「ここ、空いてる?」と、イタチが座っているテーブルの対面の席を、マスクで隠している顎で示した。

 

「ええ、空いてますよ。一人ですか?」

「そりゃあね、俺、チーム持ってないから」

「そういうつもりで言ったわけではないのですが」

「冗談だよ。そ、じゃあ、失礼するよ」

 

 彼はあっさりと席についてお盆をテーブルに置いた。どうやら彼も昼食のようで、お盆には野菜炒めをメインとした定食が載っていた。

 

 イタチは少しだけ、緊張した。年齢的にも上忍としても大先輩であるカカシと同じテーブルで昼食を過ごす、ということもあるのだが、何より、彼が食事を取る場面を見れるのではないか、という好奇心を悟られないようにするための緊張である。

 

 彼は常時、マスクをしている。鼻先まで隠すマスクは、これまで多くの人から聞いても、その下を目撃したことがないと言われている。当然、イタチもだ。

 

 もしかしたら、そのマスクの下を見れるのではないか? そう思って、しかし表情には出さない。彼は些細な表情の変化も読み取ってしまう程の実力者だ。

 

「カカシさんは、いつも昼食は外でしているんですか?」

 

 努めて自然な笑顔と声で尋ねる。すると彼は目端を下げて小さくため息をついた。

 

 緊張がばれてしまっただろうか? と思ったが、しかし、そうではなかった。

 

「今日は別だよ。ついさっき、ガイに見つかっちゃってね。また勝負を申し込まれるのも面倒だったから、逃げたんだよ。そのついでに、昼食を済ませようってだけ」

「わざわざ、逃げてきたんですか?」

「なら、俺の代わりに勝負を受けてみる?」

「いえ、遠慮しておきます」

「あっそ。ま、おたくもガイに目を付けられたら、逃げた方がいいよ。年配者としてのアドバイス」

 

 そうなる日は、限りなく高い確率で来ないだろうとイタチは心の中で確信する。

 

 テーブルに備え付けられている箸箱から一本の割り箸を、カカシは手に取った。緊張がさらに強くなる。割り箸を二本に割り、野菜炒めに矛先が向けられた。

 

「………………」

「……あまり、おたくの前で食べたくないね」

「気にしないでください。俺を空気だと思っていただいて結構です」

 

 しかし、カカシは割ったばかりの割り箸をお盆の上に静かに置いてしまった。どうやら今日は、マスクの下を見る事はできないらしい。特に、これといって、失うものは無いのだが、残念だと思ってしまった。

 

「ところで、何か悩みでもあるわけ?」

「え?」

「さっき、ため息ついていたみたいだからさ。何か大きな悩みでもあるんじゃないかなーって、思ってさ。……同僚として、気になったわけだ」

「大きな悩みと言えるものではありませんが……、まあ、その……、今指導している下忍の子たちが、少し、ワンパクで」

「へえ……。うちはイタチを困らせるっていうのは、これまた随分と」

 

 イタチは困ったように苦笑いを浮かべた。茶化すような抑揚だったが、静かな事実も含まれている言葉だったからだ。

 

 どうやら自分は、周りからは、余程の神童として認識されているらしい。事実、彼は、特に戦力を必要とする戦時中ではないにも関わらず、僅か十三歳にして上忍という地位にいる。年不相応な地位に自分はいる、という認識は持っているが、けれど、だからと言って神童という評価は、素直に受け入れがたいものがある。

 

 自分の妹は、さらにその上を行っている。

 

 同い年であるにもかかわらず、火影直属の部隊である【暗部】に所属するのみならず、【副忍】という、これまで存在しなかった暗部のナンバーツーという新たな地位を、ただの実力のみで創り上げた妹に比べれば、程遠い。

 

 ましてや、これまで何十回も行ってきた忍術勝負では、未だ一度として勝てていないのだから、神童という評価に謙遜してしまう。

 

「ま、あまり気負いせずにしたら? 俺は下忍を持ったことがないから、強くは言えないけど」

「妹や友人にも、よく言われます」

「……ああ、そういえば、妹がいたんだっけ、おたく」

 

 急に、カカシの抑揚が上がった。どこか嬉しそうに瞼を細める彼を、イタチは不思議そうに見た。気だるそうな表情がデフォルメの彼にしては、珍しかったからだ。

 

「ええ……。妹と、それと弟がいますが」

「名前はたしか、うちはフウコ、だったっけ?」

「はい。その……フウコが、何か、しましたか?」

 

 突然、妹の名前が出て、不安になる。

 

 フウコは頭の回転や忍としてのスキルはずば抜けているが、如何せんどこか、常識の欠けた部分があったりする。それは彼女の部屋に飾られているでんでん太鼓を見れば分かるように、変に度が過ぎてしまったり、あるいは変な方向に捉えてしまったり、だ。

 

 他人に対しての礼儀などはしっかりしているものの、もしかしたら、という不安が頭を過ぎってしまった。

 

 しかしカカシは「いや、俺には何も」と両手を挙げて否定した。なんだ、とイタチが胸を撫で下ろして、そして、

 

 

 

「ただ……恋人ができたんだって?。よかったじゃない」

 

 

 

「……は?」

 

 思考が停止した。

 

 口をぽかんと開いて、数秒ほど、身体が動かなくなる。カカシの笑顔よりもよっぽど、珍しい表情だった。

 

「え? おたく、知らないの?」

「いや……その…………、え、本当ですか?」

 

 カカシは頷く。

 

 さっきみたいな冗談だろうか? いや、流石にそれは、悪い冗談すぎる。彼は少なくとも、そういう冗談は、常日頃から口走るような人格ではない。かといって、ガセ情報ということも、極端に交友関係の少ないフウコの根も葉もない噂が生まれるのも、考えにくかった。……そしてフウコに恋人ができるというのが、最も、非現実的である。

 

 訳も分からず、とにかく、情報が不足していると思い、尋ねた。

 

「相手は、誰ですか? 俺の知ってる人ですか?」

 

 既にこの時、イタチには二つの選択肢が生まれていた。

 もし、フウコの恋人と語る不届き者がまともな人物ではなかった場合、すぐさま容赦なき処理をしなければいけないし、まともな人物だったら綿密に調査して対応しなければならない。

 

 フウコは優しく、そしてある意味で素直な子だ。ろくでもない人物に、言葉巧みに騙されている可能性も無くはない。いやどちらかというと、その可能性の方が高いだろう。

 

 家族の危機にイタチの脳内は、これまでの人生の中で最も活発に思考を繰り返す。もはや下忍の子たちの些細な喧嘩のことなど、度外視してしまっていた。

 

 無意識のうちに目つきが鋭くなったイタチを前に、カカシは軽く言ってのける。

 

「知ってるも何も、うちはシスイだよ。たしか、おたくと同期の子のはずだけど」

 

 ガタンッ! と、店内に大きく、椅子が倒れる音が響き渡った。一斉に店内の人が音の方向を見る。そこには、一人の少年が、怒りの表情を全力で浮かべて立ち上がっていた。イタチの沸点は今、最高潮になっている。

 

 カカシさん、とイタチは硬い声を出した。

 

「食事の途中で申し訳ないのですが」

「まだ俺は始めてないんだけどね」

「用事を思い出しました。先に失礼させていただきます」

「あ、そ。代金はしっかり払いなさいよ」

 

 叩きつけるようにテーブルに代金を置いて、肩で風を切りながらイタチは店を出た。

 

「あっ、イタチ先生」

 

 店先を偶々歩いていたイタチの教え子が、彼の姿を見て近づいてきた。任務の時、仲裁に入った子である。イタチはなるべく表情を無くして、その子を見下ろしながら言う。

 

「今日の午後の演習は中止にするから、他の子たちにも伝えてくれ」

「え? ……はい、分かりました」

「あと、他にも伝えてほしいこともある」

「なんですか?」

「次喧嘩をしたら、俺は思い切り殴る。覚悟してほしいって」

 

 そう言って、イタチは全速力で走り出した。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 イロミにとって、身長の高い女性に対する見方は、カッコイイ、というものだった。その原点となる考え方は、もちろん、親友であるフウコを見て、出来上がったものである。自分もいつか、彼女のようにカッコイイ忍になりたいと思っている。つまり、目標だ。

 

 彼女を目標にしたきっかけは、アカデミーの頃、彼女が突然、卒業してしまったことだった。

 

 例を見ない、たった半年―――中間試験を経て―――でのアカデミーの卒業。イタチやシスイが、凄い、と言葉にする傍らで、イロミは涙を流して悲しんだ。

 

 折角、友達になったのに。まだまだ、色んなことをしたかったし、教えてほしかった。なのに彼女は、一足どころか、十でも足りないほどの差を開けて卒業してしまう。何度も何度も、卒業しないでと、彼女に懇願した。

 

『もう二度と、会えなくなるわけじゃないから、泣かないで』

 

 平坦な声で、だけど優しく頭を撫でてくれる彼女の言葉に、当時の自分は赤ん坊のように頭を振って抗議した。

 

『困ったことがあったら、言ってくれれば、すぐに駆けつけるから。修行だって、付けることもできるよ?』

 

 だけど、遊ぶ事ができない。たしかそう、叫んだような気がする。そうだね、と硬い声の彼女の声も、今でも思い出せる。

 

『じゃあ、イロリちゃんが頑張って、私の所まで、来て。同じくらいになれば、きっと、また遊べるから』

 

 それから、イロミは彼女を目標にした。

 またいつか、遊べるように。

 

 もちろん、当たり前のことだが、彼女がアカデミーを卒業したからと言って、本当に遊べなくなる訳ではなかった。フウコが卒業してからたったの二日後に、イタチとシスイも含めて、四人で【かくれんぼ】をしたことは鮮明に覚えている。つまり、遊ぶ事は当たり前のように出来るし、友達という関係が壊れることも無かったのだ。

 

 けれど、イロミはフウコのようになりたいと強く願った。彼女を目標に据えたままにした。それには、少しだけ、暗い理由がある。

 

 時々、フウコが見せる、怖い表情。イロミはこれまで、二度、それを見た事がある。

 

 一度目は、育ての親を殺そうとした時。

 二度目は、夜の冒険の帰りの時。

 

 どちらも、彼女の両眼は、写輪眼―――前者の時は、おそらく見間違いだろうけれど、片目の瞳の紋様が異なっていたような気がしたが―――となっていた。

 

 自分の知らない、彼女がいる。

 

 その不安は、友達という関係に亀裂を与えるほどのものではなかったが、ある小さな危惧を想像させた。

 

 いつか彼女は、何か大きな間違いをしてしまうのではないか。

 そして、何処か遠くへ行ってしまうのではないか。

 

 だから、いち早く、彼女と同じくらいに強くならないといけなかった。

 才能のない自分でも、頑張らないと、いけないと思った。

 

 強くて、カッコイイ忍びに。

 

 ……兎にも角にも。

 

 イロミにとって、身長の高い女性はカッコイイという評価を付ける対象だ。そして自分も、そんな風になりたいと思っている。

 

 しかし目の前の姿見に映る自分の姿は、そのカッコよさとは程遠い、貧弱でちまっこいものだった。

 

「……牛乳、毎日飲んでるんだけどなあ。どうして伸びないんだろう」

 

 アカデミーを卒業しておよそ七年が経過した。つい二ヶ月前に、艱難辛苦を乗り越えて中忍に昇格したイロミだが、黒と白の縞模様の囚人服みたいな寝巻に身を包んだ身体は、身長は同世代の少女の平均よりも少しだけ低く、筋肉や骨格は細く弱々しい。

 

 身体の成長に適度な食事はしているし、筋肉トレーニングも効率的なスパンで行っている。本来なら、もっと身長は伸びて、もっと筋肉が付いてもおかしくないのに、身長の為に費やした栄養はどこかへ消えてしまい、そもそも脂肪すら付かないからトレーニングをしても筋肉にならない始末。

 

 親友であるフウコは身長が高く、それでいて適度でしなやかな筋肉を付けているというのに……どうしてだろうか。

 

「あ、もうすぐ時間だ。早くしないと」

 

 七畳一間の狭い部屋の壁際に置かれている目覚まし時計が、昼過ぎを示していた。今日は任務は無いが、少しだけ予定が入っている。

 

 イロミはすぐさま着替えて、外に出る準備をした。黒のTシャツを着てその上に明るい緑色のジャケット。白のハーフパンツを履いて、深い青のグローブを嵌める。あまり、アカデミーの頃と服装に変化が無いのは、興味が向かなかったからだ。服のセンスを磨くよりも、忍としてのスキルを磨いた方がいいという判断の元にである。

 

 唯一、彼女の服装のセンスが変わったとすれば、首に巻いた緑色のロングマフラーくらいだ。どうしてそのマフラーを付けようと思ったのか、それは単純に、カッコイイから。マフラーは、馬鹿みたいに彼女のひざ裏まで長さがある。

 

 そして、イロミは巨大な巻物を背負った。服装の一部ではなく、忍としてのスタイルである。イロミの身長より少し短い程度の長さと、腕よりも三回りほどの太さ。巻物の中央には【窓】と書かれている。中には、彼女の知識と技術が詰まっている。

 

 イロミは戸締りを確認してから、部屋を出た。木造二階のアパートの外廊下から見上げる空は吹き抜けた蒼。腰の低い入道雲が西の空に浮かんでいた。

 

 中忍になって、イロミはあの家から独立した。あの家にいることが、自分の目指す忍への道の妨げになると、思ったからだ。下忍の頃は、任務を達成しても獲得できる報酬は雀の涙で、報酬の三分の二は、育ての親に渡していたため、独立することができなかった。

 

 中忍へと昇格し、報酬の額も二倍近くになって、下忍の頃に貯金していた金額を総動員させて、どうにか独立を実現することができた。しかし、アパートはボロく、家賃は安い。立地も、里の端の方だ。全八部屋あるが、住んでいるのはイロミだけ。けれど、イロミ自身は、お得な物件だと思っている。夜中は静か過ぎて少し怖いけれど、才能が無い自分は任務前に色々と準備をしないといけないため、物音が近隣住民の迷惑にならない、というのは気楽でいい。

 

 里の中央へと歩いていくと、人の波が大きくなり始める。大通りに沿うように、様々な店が立ち並ぶ。屋台も見える。しかし、用事があるのは、この大通りではない。大通りの一つ横にある、通りだ。イロミは足取り軽く、横道に逸れる。

 

 天気が良いことと、これからの用事を考えると、今日はなんだか、気分がいい。

 絶対に、間違いなく、今日は、何か特別良いことがあるのではないか、と思った。

 

 

 目の前を、友達であるイタチが、風の如く通り過ぎて行った。

 

 

「ひっ!」

 

 横道をあと一歩で抜けようかという時に、突如、凄まじい速度で通り過ぎて行った友達の姿を目撃して、小さく悲鳴を挙げてしまった。

 

 遅れて、突風と砂煙が前髪を持ち上げた。慌ててイロミは両手で前髪を抑える。イタチが巻き起こした風だった。

 

 砂煙が止む。

 すっかり彼の姿は見えなくなっていた。

 

「あれって……やっぱり、イタチくん……だよね………」

 

 一瞬の出来事を思い出しても、やはり、彼だ。長い黒髪を後ろで一本に纏めていたこと、額当てを額に巻いていたこと、黒のTシャツに上忍に支給されるジャケット、そして彼の顔。間違いなく、彼なのだが、しかし、一体何があったのだろう? とイロミは頭を傾けた。

 

 普段の彼は、あんな、街中を全速力で駆け抜けるという訳の分からない行動はしない。もっと冷静で知的だ。彼がああいった意味不明な行動をするのは、もしかして、初めてかもしれない。

 

「……シスイくん、何かしたのかな?」

 

 まあいいや、と頭の中を切り替える。きっと、大した問題じゃない。彼は自分と違って上忍で、耳にする功績はいつだって輝かしいものだ。そんな彼が、悪い話の渦中にいる訳がない。

 

 気を取り直して、イロミは歩き始める。目的の店はすぐ近くだった。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 フウコは、サスケと並んで演習場に到着した。本当は、ここまで彼と手を繋いで来たかったのだが、うちはの町を出る時に手を握った時「やめろよっ」と強く拒絶されてしまった。

 

 悲しかった。ここ最近のサスケは、冷たい。サスケが言葉を話すようになった当時は、よくおんぶをしてあげたり、ご飯を食べさせてあげたりしていたのに(その頃になると、流石に近づいただけで泣かなくなり、むしろ積極的に懐いてくれた)。でんでん太鼓を持ってきた方が良かっただろうか、と見当違いなことを思っていたりする。

 

 しかし、到着したからには、頭の中を切り替えなければならない。

 

「今日は、どんな修行をしてほしいの?」

 

 誰もいない演習場にフウコの静かな声が吸い込まれていった。

 

 サスケの修行を付けるのは久々だ。というのも、これまではほとんど、イタチやフガクが修行を付けていたからだ。フガクが暇なときは彼が、そうではない時はイタチが。時折、サスケから修行を付けてほしいと言われることがあったが、自分よりも、やはり、下忍の子を持っているイタチの方が、教えるのは上手だと思い「イタチにしてもらった方がいいよ」と誘導していた。

 

 だから、彼が今、どれくらいのことができるのか、分からない。アカデミーに入学して、どんな生活をしているのかは、夕食の時に話しを聞いたりするけれど、それ以外はあまり知らない。

 

 一番最近で、彼にしてあげた修行は手裏剣術だったはず。次は、体術だろうか? しかし、こちらを見上げる爛々としたサスケの視線は、度々、フウコが帯に挿している刀に向けられていた。

 

「駄目だよ、サスケくん」

「まだ何も言ってないだろっ!」

「危ないから、駄目」

 

 修行の時以外にも、以前に何度か、持たせてほしいと頼まれたことがあった。しかしフウコは悉く、刀―――黒羽々斬ノ剣(よるのはばきりのつるぎ)―――を持たせたことはない。サスケの腕力ではまともに扱うこともできないし、何より、この刀は、フウコが半年毎日欠かさずチャクラを注ぎながら作り上げたものだ。切れ味は、そこらの刀とは比べものにならないほどである。

 

 万が一の場合、刀の自重だけで、サスケの骨はいとも容易く切断されてしまう、そう考えると、何が何でも、使わせるわけにはいかなかった。

 

「今日は、修行するんだよね? 他のことなら、教えてあげられるから」

 

 しかしサスケは唇を尖らせて、眉尻を下げた。

 

「俺だって、もう立派な忍だよ。そりゃあ、姉さんや兄さんに比べたら、まだまだだけど……」

「まだ、アカデミーを卒業してないし、任務だってしたことないよね?」

「アカデミーなんて関係ないよ。火遁だって俺、もう使えるんだぞ?」

「凄いね。じゃあ、私も火遁を教えて―――」

 

 言葉の途中、サスケが素早く刀に手を伸ばしてきた。フウコは軽く身体を横にしてそれを回避する。

 

「サスケくん、危ない」

「いいだろ! 姉さんはケチだっ!」

 

 フウコは腰を器用に捻り、そして最小限の位置移動のみで刀をサスケから守っている。日々の肉体鍛錬が功を奏しているのか、踏み込みからの初速が速い。アカデミー生としては、上々だ。

 もちろん、フウコにとっては、写輪眼になる必要はないほどで、サスケの細かい所作を確実に捉えることができるくらいの余裕がある。所々に、サスケの筋肉の運用に無駄があった。もう思考の半分以上は、修行はやはり体術にしようかと考え始めていた。

 

 突然、サスケが距離を取った。こちらを見る彼は笑っていた。

 

「無理矢理にでも取る!」

 

 左太ももに付けたホルスターから取り出したクナイが二本、投擲された。

 素早く、それでいて丁寧な動作だった。しっかり、練習しているんだな、とフウコは思いながら、直線的に向かってくるそれらを、右手を一度横に振って、指に挟んでキャッチする。既に左に回り込んでいたサスケが、低い体勢で、右足で足払いをしようとしているのを、当然のように視界に捉えている。フウコは左足を少しだけ後ろに下げてから踵を軽く上げて、それを阻止した。

 

 サスケが残った左足を突き出し、今度は右足を狙ってくる。右足は前へ出して回避。直後、フウコは下げていた左足をサスケの右足に回して、彼の両足を強く挟む。

 

 げ、とサスケは表情を固めた。苦し紛れに刀の鞘を掴もうと左腕を伸ばそうとする彼の肩の衣服に、先ほどキャッチしたクナイを、手首のスナップを利かせて投擲し、地面に縫い付けた。

 

「はい、これで、私の勝ち。諦めて、修行する」

「やだ」

「ごめんね、服に、穴開けちゃって。家に帰ったら、私が縫ってあげる」

「……それは、止めて。姉さん、不器用だから………。兄さんか、母さんに頼む」

 

 少しだけ悲しい気分を抱きながら、クナイを抜いて、彼を立たせてあげた。相変わらず不服そうな表情を浮かべ、視線は刀に向いている。

 

 サスケくん? と呼びかけても、今度は顔ごと逸らされてしまった。何があっても、使わせてほしいみたいだ。けれど、使わせるわけには、もちろんいかない。かといって、このまま修行しないというのも、なんだか……。

 

「よ、フウコ」

 

 その時、横から声をかけられた。

 明るく、そして力強い声は、アカデミーの頃からずっと聞いていたもので、すぐに誰なのかをフウコは理解した。声の方向に顔を向けると案の定、片手を挙げて爽やかに笑っているうちはシスイがいた。

 

 額に、額当てを巻き、癖の強い髪の毛は今日も健在だった。うちはの家紋が入っている蒼いTシャツに白いズボン、背中には暗部の刀を背負っている。

 

「シスイ……。何か用?」

「用がなきゃ、会いに来ちゃ駄目なのか?」

 

 笑顔を浮かべながら、自然な動作で肩を抱いてくる。特に、拒絶する理由は無いのだけれど、暑い、とだけ思った。

 

 彼と恋人関係になったのは、イロミが中忍に昇格した翌日のことだった。

 

 何の前触れもなく、

 

『俺と付き合ってくれッ!』

 

 と土下座されたのだ。最初は、何か買い物に行くのだろうかと思ったのだが、どうやらそうではなく、恋人関係になってほしいというものだった。フウコが、その意味を知っても尚、それを了承したのは、その時のシスイの土下座があまりにも緊迫していたものだったから、というだけである。

 

 そもそも、恋人、というものをあまり分かっていなかった。友達よりも親しい男女関係、程度の認識である。つまり、重要度はシスイの土下座よりも軽かったのだ。ただ、それだけ。暑い、と思ったのも、恋人に肩を抱かれたから、というようなロマンチックなものではなく、ただただ、シスイの体温が外部から伝わったからである。

 

 傍から見たら、かなり、プラトニックな関係だったが、シスイ自身は特にフウコに要求することもなく、満足しているようだった。

 

「シスイさん!」

「おお、サスケ。なんだ、今日は姉ちゃんに修行を付けてもらってたのか? 羨ましい奴だなあ」

 

 フウコよりも身長の高いシスイを見上げるサスケは笑顔だった。さっきまで不機嫌そうだったのに、とフウコは思う。

 

 シスイは何度か、家に来たことがある。その時、サスケと親しくなった。シスイの明るい雰囲気は、やはりサスケと仲良くなるのに然程時間は必要なく、今も、サスケの髪の毛をくしゃくしゃにするほど乱暴に頭を撫でても互いに笑い合えるほど親しい仲になっている。

 

 実は、シスイが羨ましいと、フウコは思った。こんな簡単にサスケと仲良くなれるなんて、と。

 

「本当に、今日はどうしたの? 何か、用事?」

「ただお前に会いたかっただけだって」

「よく、私がここにいるって分かったね」

「……ミコトさんに、聞いたんだ…………、すげー、怖かったけど……」

「??? どうしたの?」

「なあ、フウコ……俺たちのこと、ミコトさんとかに、言ってないよな?」

 

 フウコは首を横に振る。別段、報告するほどのことではないと思ったからだ。何かあったの? と尋ねても、シスイは青い表情で乾いた笑いを作るだけで、その後「……やっぱり、変に自慢したから、噂が広まったのかなあ。どうしよ」とシスイは口の中で呟いた。しかし、フウコの耳には聞こえていない。

 

「なあシスイさん、姉さんに言ってよ。刀を貸してくれないんだ」

「はっはっは、まあ、しょうがないな。サスケはまだ小さいから。姉ちゃんはお前のことを大事に思ってるんだ。もうちょっと、大きくなってからだな。それまではあれだ、俺ので我慢してくれ」

「……シスイさんの刀は、あまりカッコよくない」

「そりゃあ、暗部に支給されるやつだからなあ。でも、暗部の刀を持つのは貴重だぞ? ほら、ずっと見てると、それとなく、カッコイよく見えるだろ?」

 

 刀を抜いてみせるが、カッコ悪い、と一蹴される。銀色の刀身は洗練されていて、綺麗だとは思うが、納得がいかないらしい。

 

 シスイがこちらを見るが、フウコは否定の意味を込めて顔を横に振る。

 

「……シスイさんは、姉さんのカレシなんだろ?」

「えっ?!」

 

 そしてカエルのような声を出すシスイである。

 

「さ、サスケ……、それ、誰から聞いたんだ……?」

「え、本当に付き合ってたんだ。いや、でも、何となく分かる」

「いいか? サスケ、このことは、誰にも言うなよ。特に、ミコトさんと……いや、イタチだな、あいつには絶対に言うなよ。恐ろしいことになるからな、あいつは怖いやつだ」

「……ねえ、シスイ。ちょっと」

「アカデミーの頃、俺は何度、あいつに恐ろしい目に合わされたことか……」

「シスイ。落ち着いて。あまり、そういうことは、言わない方がいいと思う」

「いや、続けてくれ。シスイ」

 

 兄の声が演習場に響いた。フウコでも、彼が非常に苛立っているということがはっきりと分かるくらいに冷徹な質を持ったそれは、肩を抱いているシスイの手を硬直させるには、あまりにも十分だった。静かに、彼から離れて、すぐ横に立っているイタチを見た。

 

「どうしたの? イタチ。よく、私がここにいるって、分かったね」

「サスケの修行を付けてると思ったんだ。それよりフウコ、何かされなかったか?」

「何かって、何?」

 

 シスイの首が、変な音を立てて、ゆっくりとイタチの方を見る。硬直した顔には、見る見るうちに、大量の脂汗が浮き始めていた。

 

「イ、イタチ。お、落ち着け。冷静になろう」

「そうだな、互いに冷静になろう。少しあっちで、話しをしないか?」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 用事を済ませたイロミは、両手に小さな紙袋を抱きながら、親友の家へと向かった。暗部で重要な地位にいるフウコは、今日が非番だとは考えにくいが、もしかしたら、という思いで寄ったのである。

 

 彼女の家に赴くと、玄関に顔を出したのはミコトだった。この数年の間に、イロミはミコトとすっかり親しくなり、今では何の億劫もなく話せる間柄である。自然な笑顔を浮かべ、イロミは「こんにちは、ミコトさん」と明るく言った。

 

「あら、イロミちゃん。こんにちは。もしかして、フウコかしら?」

「はい。今日は、任務ですか?」

 

 いいえ、とミコトは言う。

 

「あの子なら、サスケと一緒に演習場へ行ったわよ。修行を付けてもらうって、朝からあの子、はしゃいじゃって」

「あはは、そうなんですか」

 

 笑いながらも、地団駄を踏みたくなる衝動を抑えた。羨ましい、と心の中で呟く。自分も、フウコに修行を付けてほしかったのに。

 

 イロミとサスケはあまり仲が良くない。というのも、サスケが自分のことを下に見ているのが要因だ。誰から聞いたのか(まあ、間違いなく、フウコだと思うのだが)、自分がアカデミーの頃、中間試験や期末試験、そして卒業試験などの全ての試験に置いて、一度もドベから抜け出すことができなかったことを、サスケは知っている。

 

 それを知ってから、サスケは小生意気に「アホミ」や「バカミ」などと言うようになった。非常に気に食わない。彼がフウコやイタチの弟でなかったのなら、拳骨の一つでも落としてやろうと、何度思ったことか。

 

 しかし、フウコが今日は非番だというのは、嬉しいことでもある。サスケからフウコを奪って、自分が修行を付けてもらおう。

 

 お礼を言って踵を返そうと―――しかし、笑顔だったミコトの表情が曇った。

 

「イロミちゃん。その……シスイくんのこと、どう思ってる?」

 

 よく分からない尋ねに、イロミは頭を傾けた。

 

「友達だと、思っていますけど」

「そういう意味じゃなくてね、その……うーん、何て言ったらいいのかしら…………」

「シスイくんが、何かしたんですか?」

 

 大抵の場合、シスイの名前を呟く人は、彼に悪戯をされた被害者というのがパターンである。フウコと同じく、暗部に入隊した彼だが、アカデミーの頃から性格的に何も変化はしていないように思える。それは勿論、良いことであるのだが、悪戯をしなくなる、という効果が無かったのは最悪なことだ。

 

 ミコトが「そうねえ」と、困ったように顎に右手を当ててため息をついた。

 

「さっきね、シスイくんが来たんだけど、フウコがどこにいるのかって、訊いてきたのよ。おかしいと思わない? フウコが休みの時に、わざわざ」

 

 もしかしたら今自分は、頭のおかしい子なのだと思われているのではないだろうか? とイロミは静かに思った。同じ町に住んでいて仲が良いんだから、おかしくもなんともないはずである。

 

「私思うんだけど、シスイくんって……ほら、幼い頃から、フウコと親しかったでしょ? だから……」

 

 ああ、とようやくイロミは合点がいった。ミコトにしては、要領の得ない話し方だな、と思っていたけれど、つまり、シスイがフウコの事を好きなのではないかと疑っているのだ。実のところ、イロミは、二人の関係について知っていたりする。フウコから「恋人って、何をすればいいの?」と訊かれたことがあり、その流れで、事実を知った。

 

 最初は不安だった。フウコではなく、シスイについてだ。彼はどういった目的で、そんなことを言いだしたのか、何やら良からぬことを考えているのではないのか、と。

 

 しかし、時間が経つにつれて、それが杞憂だと分かった。特に、悪影響はない。きっと彼はチキンなのだ、という判断を最終的にした。

 

 ところで、どうやら、フウコはシスイとの関係をミコトに言っていないらしい。基本的に、尋ねられないと応えないスタンスな彼女が、自分から言うとは思えない。自分がミコトに言ってものなのだろうか? と、イロミは悩む。

 

「ああ、きっと、私の勘違いよね? シスイくんは、そんな子じゃないし、まだ二人とも、十代なんだから」

「気にし過ぎですよ。それに、フウコちゃんはきっと、そういうのに興味がないと思いますよ?」

 

 即座に、イロミは言わない方がいいだろうな、と判断した。

 見えてしまったのだ。

 ミコトの後ろで開いたままの玄関の奥にある廊下、その壁の一部がえげつなく抉れている様子を、そして悩むように顔を覆った左手の甲に、ひっそりと何かを殴ったような跡があるのを。

 

 ―――あ、これ本当のことを言ったら、私死ぬかも。

 

 英断である。シスイが尋ねてきた時、ミコトは廊下の壁を殴って、本当のことを言わせようと脅迫したのだった。

 

 これ以上ボロを出さないように、イロミは平静を装いながら演習場へと向かった。遠ざかるフウコの家から、心なしか、ミコトの訝しげな視線が背中を刺しているような気がする。でも、それぐらい、彼女が大切にされているということだ。

 

 そして、演習場へ。

 

 到着すると、真っ先に目に入ったのは、何というか、殺人現場一歩手前という感じだった。

 

 イタチが全くの無表情でシスイに馬乗りして、両手に握ったクナイを振り降ろそうとしている瞬間だった。

 

「あ、イロリちゃん」

 

 こちらに気付いたフウコが、呑気に声をかけてきた。

 

「これって、どういう状況?」

「見ての通り」

「見て分からないんだけど。とりあえず、シスイくんは何したの?」

「分からない。でも、安心して。しっかりシスイはガードしてるから」

 

 時々思うが、彼女の常識はぶっ飛んでいる時がある。頭が良いことと、常識を持っていることは別なのだと、最近学んだことだった。

 

 ……まあ、おそらく、シスイがまた変なことをしたのだろう。フウコの言う通り、シスイは両手でイタチの両手を掴んで振り降ろさないようにしているため、最悪のことは起きないだろう……と、思うことにした。何だかんだと、これに似た状況は、幾つか見た事があるからだ。

 

 何やらシスイがこちらに向かって助けを呼んでいるが、イロミはそれを無視した。両手に抱えた紙袋を開ける。

 

「それは?」

「この前撮った写真だよ。ほら、私が任務で外に行った時、お土産で買ってきたカメラで」

「ああ。今日、出来上がったんだ」

 

 中忍になって、四度目の任務の時だった。

 

 里の外で行う任務だったが、緊迫したものではなかった。任務の帰りに、イロミはカメラを買ったのだ。そういえば、一度も、こうして、形に残したものが無かったな、と思ったからである。

 

 里に帰り、四人で写真を撮った。それが今日、現像されて、イロミは取りに行ったのだ。

 

 写真を取り出して、見てみる。

 

 フウコ、イタチ、シスイ、イロミ、四人がそれぞれ、一枚の写真の中に、ピントのズレもなく、木々と青空を背景に、写っていた。

 

 爽やかな笑顔を浮かべたシスイが中央いて、手前に小さく笑うイタチと無表情のフウコが並び、さらにその手前にピースをしている自分が写っている。

 

 写真は四枚、現像してもらっていた。一枚をフウコに渡すと、じっとそれを見下ろす。

 

「どう? しっかり撮れてるでしょ?」

「うん、そうだね」

「えへへ。大事にしてね?」

「うん。大事にする」

 

 いつもは平坦なフウコの声に、柔らかさがあるのをイロミははっきりと感じ取っていた。表情は、変わらず鉄面皮だけど、きっと、喜んでくれているはず。イロミも、嬉しそうに口端をあげた。

 

 何の変哲もない、特別でもない、当たり前の日に取った写真だった。

 

 でも、こうして形に残すことはきっと、大事なことだ。

 

 同じ楽しい時間を過ごしたという、紛れもない証。

 

 それを残すこと、残すことができるということは、もしかしたら、難しいこと。

 少なくとも、戦時の時には、困難なことに、違いない。

 つまり、今は、そう、平和なんだ。

 

「おい、アホミ。なんだよそれ」

 

 横からサスケが気に入らなそうにこちらを見上げていた。いつもなら、ここで彼に、デコピンをしている所だが、今は気分が良く、鼻で笑ってやった。

 

「へっへーん。教えないよーだ。ガキンチョサスケ」

「写真だよ、サスケくん」

「あ、教えないでよぉ」

「なんだ、くだらない」

「くだらないとはなんだ! チビの癖にっ!」

「すぐにお前なんて、俺が顎で使ってやるよ。ドベの癖に、バカミの癖に」

 

 折角の良い気分が台無しである。こういう所が、嫌いである。

 

「それより姉さん。もう刀は良いから、修行付けてくれよ」

「いいよ。何したい?」

「新しい火遁の術、教えてくれよ」

「フウコちゃん、私! 私に修行付けて!」

「じゃあ、皆で修行しよ?」

 

 その提案に、イロミは渋々、納得することにした。

 

 サスケと一緒に、というのが気に食わないけれど、でもきっと、今日は楽しい日になるに違いない。そんな、根拠のない、確信。

 

 これからも、ずっと、楽しいことが、あるだろう。

 

 写真も、いっぱい撮れる。それを繋げていけば、楽しい時間が作られていく。空はまだ蒼く、綺麗で、雲になったように、気分が良くなってきた。

 

 遠くでシスイが助けを呼んでいる。

 

 そろそろ真面目に助けないと危ないのではないかと思って、イロミは、未だ緊迫した二人に近づいた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 里が寝静まる―――深夜。

 

 うちはの町。

 

 夜空には、薄い雲が広く、長く敷き詰められている。ぼんやりと、月の光が地上を照らす程度で、星々の姿は見えない、暗い夜。町は、日陰に潜む獣のように、静かだった。

 

 空気が重い。しかし、それは錯覚なのだと、イタチは分析した。自分が抱いている町のイメージが、そう感じさせるのだ。そしてそのイメージが、良くなった日は、自分が中忍になってから、一度もない。中忍になり、そして、うちは一族が企てようとしていることを、父であるフガクから知らされたあの日を境に、町の空気は、重くなった。

 

「イタチ、あまりそう怖い顔するなよ。ただ座ってればいいんだ。もっと自然にしてないと、怪しまれるぞ?」

 

 一緒に歩く隣のシスイが、呑気にそう言った。道を歩いているのは、イタチと、そしてシスイだけである。

 

「まだフウコと付き合ってんのが納得いかないのか?」

「……その件は、もういい」

「大丈夫だって。俺はあいつに変なことしないって。俺を信じられないのか?」

 

 イタチはため息を付きながら、目頭を抑えた。

 信じれる信じられないと言われたら、フウコとの恋人関係の件においては、一寸たりとも信じられない。

 

 どうしてこのタイミングで、フウコに告白をしたのか、理解できなかった。

 

「とにかく、フウコの事は、後にする。お前を信じるか信じないかは、その後だ」

「そう肩肘張るなって。そんな怖い顔してると、疑われるぞ?」

「誰がそうさせたと思ってる」

「―――まあ俺も、色々と考えたんだよ」

 

 シスイを見ると、彼は小さく笑っていた。

 

「色々考えてさ、こうしたんだ。今のうちに、すっきりさせるべき所は、すっきりさせようってな。もちろん、フウコへの愛は、本物だぞ? 冷やかしじゃない」

「……本当か?」

「本当だ」

「なあ、シスイ」

「なんだ?」

「うちはを、止められると思うか?」

 

 小さく風が吹いて、後ろ髪を引っ張られる。

 

 不安。

 

 次にやってきたのは、幼い頃に見た、戦争の傷痕だった。

 

「止められる」

「本当か?」

「本当だ。俺と、お前と、フウコがいれば、止められる」

 

 当たり前だろ? とシスイは笑った。

 

 知り合ってから、彼は、こういう人間だった。

 どんなに分からないことでも、断言してみせる。

 怖気もせず、困難という現実を前に、あっさりと笑ってみせる。

 忍術も頭の回転も、そして、忍としての在り方も含めて、そういう部分を、イタチは尊敬していた。

 

「……そうだな。悪い、変なことを言ってしまって」

 

 不安は消えていた。

 

 三人がいれば、出来ない事は無い。

 

 上手くいく。

 問題ない。

 見上げると、夜空には隙間ができていた。

 

 半月の月が、ぼんやりと、自分を見ている。

 




 次話の投稿は、現状、分かりません。ですが、来月の一日までには、絶対に投稿したいと思います。

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