いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が大変遅れてしまい、申し訳ございません。次話は今月中に必ず投稿します。


さようならの前の夕焼けに

 もう、どれくらい。

 

 どれくらいの時間を、牢の中で過ごしたのか。睡眠の回数だけは覚えているけれど、時間の感覚がぼんやりしているせいで、回数なんて当てにならない。起きて一刻ほどで寝ているのかもしれないし、一日過ぎてから寝ているのかもしれないからだ。

 

 寝ている。

 

 いや、その感覚は違うのかもしれない。

 

 寝覚めの殆どは疲れを伴っていた。身体よりも心が重かった。これを睡眠と呼ぶには、少々の強引さがあるだろう。少なくとも、うずまきナルトにとっては、牢の中での睡眠は疲労によるものだけではない。

 

 準備は(、、、)……整った(、、、)

 

 あとは、動くだけ。なのに、身体を動かそうとは思わない。

確かに疲れはある。碌に身体を動かさないまま牢にいるせいだろう。食事も、満足に食べてはいないものの、必要最低限には食べているつもりだ。実際、身体は簡単に動かせる。思い切り動けるという確信もある。

 

 ──ああ、やっぱり…………オレってば…………

 

 暗闇の牢。しかし、瞼を閉じると、光量は一切の変化を齎さないものの黒の思考には夜空が浮かぶ。

 夜空は昔から見上げてきた。

 フウコが傍に居た時も、居なくなってしまった時も、ずっと見上げてきた。

 瞼に映る夜空は、昔よりも遥かに星々を浮かべている。その星々は強い明滅を繰り返して、一瞬の強い明かりの中には、見知った人物たちの顔が浮かぶ。

 

 イルカ。

 カカシ。

 イロミ。

 ヒナタ。

 ヒルゼン。

 それに、他の同期の者たち。

 そしてサクラとサスケ。

 

 輝きは涙のように暖かく、大切にしたいと直感的に思ってしまう。錯覚でも何でも無い。きっと、自分の持っている繋がりが身体を動かす事の出来ない理由だ。

 

「よぉ、ナルト。元気にしておったか?」

 

 しわがれた声に、はっとナルトは瞼を開いた。壁に背中を預け、膝を抱えて座っていた為か、首の後ろ側と膝が凝り固まっている。もしかしたら、意識の半分が眠っていたのかもしれない。

 顔を上げると、いつの間にか牢の柵の外側は僅かな光を受けていた。誰かがランプでも点けたのだろう。その光を背に、自来也が腰に手を当ててキザな笑みを浮かべて立っていた。

 

「なんだ……エロ仙人か……………」

「何だとは何じゃ。お前の偉大な師匠じゃぞ? エロ仙人などと、ワシをバカにしおってからに」

「顔が腫れてるってばよ。どうせ……女湯を覗いてたのバレて、誰かに引っ叩かれたんじゃねえのか?」

「……変なところは鋭い奴じゃの」

 

 鋭いも何も、自来也の左頬には真っ赤な紅葉型の跡が付いているのが見える。彼に修行を付けて貰ってから日はそこまで長い程ではないが、女湯を覗く偏った習性を持っていることは知っていた。

 

 そして、彼が優しく、そして愉快な人物であることも。

 

 カカシやイルカ、ヒルゼンなど、年上の人と親しくなってきたけれど、自来也はどうしてか一番短い時間で親しくなることが出来た。それは、彼が最初から面白くおかしく接してきてくれたからかもしれない。

 実際に、彼の姿を見ただけで安心が生まれていた。

 自来也は腫れた左頬を指先でなぞりながらいると、彼は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「イタチの奴から、聞いておるぞ」

「何をだってばよ」

「牢から出ないと、言い張っておるようじゃの」

 

 フウコが木ノ葉隠れの里に姿を現してから、そしてその日の内に去ってから、イタチから話を聞いた。フウコの言葉と、そして、殆ど確信に近いレベルでの、うちは一族のクーデター。つまりは、大蛇丸の発言を裏付ける情報をイタチから聞いてから。

 ナルトは外に出る事を許されていた。

 それはイタチ個人の判断ではなく、木ノ葉隠れの里の上層部、そして火の国の大名から受けた正式なものであった。

 しかし、ナルトはその申し入れを断っていた。

 

「どうしてじゃ? 外に、出たくないのか?」

 

 と、自来也は穏やかに尋ねてきた。他意を感じさせない、フェアな声調だった。

 

「今なら、誰にもバレぬ良い場所を教えてやってもよいぞ?」

「エロ仙人から聞いても、信用できねえってばよ……なあ、エロ仙人…………」

「なんじゃ?」

「エロ仙人は……知り合いとか、友達だとか、そういうので……………、大切な人が、いなくなっちまったことって、あるか………?」

 

 自来也が、木ノ葉隠れの里に在籍していた頃の情報を僅かにでもナルトが知っていた訳ではない。ただ本当に、気になっただけである。

 どういう答えが返ってくるのか。

 自来也は腕を組んだかと思うと、静かに、牢を背にして柵に身体を預けた。まるで、顔を見られたくないようだった。

 

「……ああ、あるのう」

 

 微かに湿った声。陽の光が差し込まない牢だからこそ、偶々、そういう風に聞こえたのかもしれない。

 

「エロ仙人は、そん時、どうしたんだってばよ」

「どうして、それを聞く?」

「……………オレってば…………ずーっと考えてたんだ………。つっても……オレってば、そんなに頭良くねえし、答えなんて……………。どうすれば……色んな人に迷惑かけないで………全部、丸く収まるかって…………」

 

 大切な人が増えた。

 

 それは、嬉しく、誇らしく、何一つとして卑下するような部分なんて無い。

 

 でも、だからこそ、苦しくなってしまう。

 

 自分が今、考えている事を実行すれば…………それは、きっと──。

 

「昔の──」

 

 と、自来也は呟いた。

 

 何かを決心したような、静かな呟きだった。

 

「ワシは、そやつと喧嘩別れをしての。いや、喧嘩だと思っておったのは、ワシだけじゃったかもしれないがの。そやつは、随分と身勝手なヤツでの。基本的に、自分一人で勝手に動いて勝手に考えて、しかもワシを見下していつも不敵に笑っているような、嫌味なヤツでのう。心底ワシは、そやつが好かんかった」

 

 それでものう、

 

「不思議と、そやつがいなくなると知ると、無性に苦しかった。ふざけるなと、一人でそやつの下へ行き、止めようとしたのじゃ。結果は、まあ、ワシが喧嘩に負けて、そやつは勝手に遠くへ行きおった。最初から、そやつはワシの事なんか、心底、どうでも良いと思っておったのかもしれないのう」

 

 今にして思えば、と自来也は更に続けた。

 

「ワシが一人でそやつを止めようと考えたのが、間違いじゃったのかもしれんの。他にも、そやつを少なからず思っておった者もいたというのに、ワシは唯一人で、止めに行った。あるいは、たとえ一度は遠くへ行っても、時間を掛けてそやつに会っていれば、また違う結果があったかもしれん」

「……エロ仙人は、後悔してんのか?」

 

 一拍おいて、彼は頭を少しだけ振った。

 

「少なからず、の。正直なところ、分からん。じゃが、一つだけ言えることは……一人で動いても、良い結果が出る事は無い、ということじゃ。気分が一時的に落ち着いても、一人で動くのは良いことじゃない」

 

 自来也は振り向き、力強く親指を立てて自分の顔を示した。

 

「この油の乗ったイカした仙人が言うのじゃ。間違いないのう」

「……覗き魔がよく言うってばよ」

「うるさい。取材じゃ。大作家であるワシには取材がかかせないんでのう」

 

 何をキメ顔に言って見せているのか。おかしくて、ナルトは笑った。

 ああ、久々に笑った。どれくらい久しぶりだろう。気を抜いてしまえば、涙が出そうになる。

 

「気が向いたら、外に出てみよ。こんなカビ臭い所におっても、気が滅入るばかりじゃ。今日は散歩をするのに良い天気だしのう。お前には、いくらでも時間はある。ゆっくり考えるんじゃ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 牢へと続く階段を逆方向に進みながら──つまり、ナルトと話し、別れた後である──鼻から溢れそうになる溜息を押し留めていた。

 

 ──危ういのう……。

 

 ナルトが、うちはフウコに対して強い思いを持っているのは、イタチから聞かされて知っている。そして、フウコが木ノ葉隠れの里に姿を現したことも、つい先日に聞かされ、更にその事をナルトに伝えているということも。

 故に不安になって、ナルトの下へと顔を出した。

 まだナルトは年相応の幼さがある。そのため、これまでは、木ノ葉隠れの里に被害を与えてしまった事へのショックなどから、心を落ち着かせる時間の為に敢えて顔を合わせないようにしていたが、流石に今回のフウコの登場には顔を出さずにはいられなかった。

 

 そして、嫌な予感が当たってしまった。

 

 ナルトは、フウコを追いかけようとしている。

 一度はイタチに問い詰めた。フウコの事を伝えてどうするつもりだと。

 

「いずれ……フウコの事はナルトくんの耳に入ります。それほどまでに、彼はフウコを想っています。たとえ今、隠し通せても、彼は自分の力で真実を知る事でしょう。なら、隠さず伝える他ありません」

 

 イタチの言葉は、正しいのだろう。フウコが使っていたとされている螺旋丸を使い続けて来たナルトである。成長し、力を付けていけば、やがて自力でフウコの下へ辿り着き、多くを知ることになるだろう。

 

 だが、まだ幼いナルトには伝えるべきではない、とも自来也は言った。

 

 子供は先を急いでしまう。年老いた者から見れば、子供には可能性も時間も多くあるように見えるのに、子供は自分の未来がとてつもなく短いものだと錯覚してしまうのだ。いや、だからこそ、子供の成長速度というのは凄まじいものを秘めているのだろう。

 

 ナルトは、木ノ葉隠れの里の外に出ていく可能性がある、ともイタチに伝えると、

 

「それは……俺も考えてはいます。本当なら、ナルトくんには、木ノ葉隠れの里に残ってほしいとも思っています。けれど、彼はやはり、特別です。良くも、悪くもです。そして俺の立場では、きっと彼に正しい言葉を伝える事は出来ないでしょう。フウコが里を出て行った要因の一つが、俺かもしれませんから」

 

 イタチは続けた。

 

「ナルトくんには、既に外に出ても良い、という正式な通達が出ています。しかし、彼は外に出ようとしません。本当なら、外に出て、彼と親しい方々と接して、多くを考えてほしいと思っています。それでも、もしも……ナルトくんが外に出てしまった時には──」

「イタチくん」

 

 言葉の続きを聞くことは、叶わなかった。

 通路を歩いていた二人の前に姿を現したイロミが彼の言葉を遮ったからだ。

 ナルトと同じように牢に繋がれていたはずの彼女は、黒いロングコートに身を包んで、幽霊のように佇んでいた。特徴的な白い前髪の下には、目元を隠す長い包帯が巻かれている。

 ナルトが外に出る事の自由は保証されているが、彼女はどうなのだろうかと、自来也はふと思った。その時にイタチと話していたのは、火影の執務室の直ぐ側だった。

 

「少し、話があるんだけど、いいかな?」

「……ああ。分かった。先に執務室で待っていてくれ」

「うん。ごめんね、忙しい時に。自来也様も、すみません。じゃあ、先に行ってるね」

 

 イロミは通路を進んでいくのを見送ったイタチは、小さな溜息を吐いた。

 

「……ナルトくんがもしも、里の外に出てしまった場合の保険は、一応は考えています。ですが、尽くせる最善は尽くしたい」

 

 保険。イタチが語るそれに、自来也は一応の信頼を示した。と同時に、その保険が必要だという可能性をイタチが示唆しているとも言え、そしてそれが今日、ナルトと対話をしてみて明確になった。

 ナルトが外に出ていく可能性は、ある。

 まだその決心が、出来上がっていないのは確かだ。ナルトがこちらに尋ねてきたのがその証左。

 かと言って……こちらの言葉を素直に聞くとは、思えない。それは、大蛇丸を追いかけた当時の自分が、そうだったから。大蛇丸が里を抜けた後、周りからは、どれほど説得しても意味が無いと言われた。それでも、追いかけた自分と、今のナルトはおそらく同じだ。

 

「ミナトよ……、お前なら、ナルトの奴にどんな言葉をかけるかのう」

 

 今は亡き弟子に問うても、当然、答えは返ってこない。

 師を失い、弟子を失い……そして、弟子の子をも、遠くへ行かせてしまうのか。

 それだけはしたくなかった。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

「なあ……兄さん」

「どうした? サスケ」

 

 うちはサスケは、前を歩くイタチの背中を見上げた。

 火影の衣に身を包み、悠々と歩く彼に投げかけようとしている言葉は、どこかチグハグなように思えたけど、サスケは躊躇いなく投げかけた。

 

「身体……大丈夫なのかよ」

「お前が気にすることじゃない……と、言いたいところだが、そうだな、心配を掛けてしまったな。だけど、問題ない。シズネさんと綱手様から、しっかりと診断してもらって、まだ安全なラインである事は保証してもらっている。いよいよとなったら、治療に専念する。安心してほしい」

 

 時間は、フウコが木ノ葉隠れの里に姿を現し、その日の内に去っていた、その後に遡る。三日後だった。イタチとサスケは、イロミが繋がれている牢へと足を運んでいた。

 

 どうして三日の時間が必要だったのか、というと、それはイタチ自身に要因がある。

 

 フウコとの戦闘。影分身の術の使用や他の術を使ったものの、大きな戦闘のダメージは無かった。しかし、精神的な負荷が大きかったのである。そのために、戦闘が終わってから、イタチの体調は僅かに傾いた。

シズネを通じて、綱手がイタチの診断を慎重に行ったのである。本当ならば、今すぐにでも治療に専念してもらいたいと、シズネからは再三にイタチに言っていたのを、サスケは診療室のドアの隙間から聞いていた。

 

 以前に、シズネからイタチの体調が芳しくない事は聞いていた。しかしイタチの様態が、いずれ命を危険に晒す前段階にあったというのは、かなりショッキングな話だった。一時は、フウコの話が頭の中から消えるほど。

 

 それでも、イタチは「まだやらなければいけないことがあるので」と語り、簡単な点滴と軽い薬で済ませ、後は容態に大きな変化が見られないか安静にしていた。

 

 それが終わってすぐに、イロミの下へと足を運ぶのには、彼女に、フウコの話をしなければいけないからだ、とイタチが言ったからである。イロミにフウコの話を伝え、そして今後自分たちがどのように動くべきかを話し合うまで本来、サスケとフウコについて話し合うつもりは無かったらしい。

 

 一人で考えてみてほしい。フウコが姿を消してから、真っ先に言われた言葉がそれだったのだ。だが、一人で考えても、感情も思考も何一つ纏まらない事はすぐに分かった。

 

 だから、ふざけるなと、イタチに言ったのだ。

 

 父と母を殺したフウコへの憎しみや、とても幼い頃に持っていたフウコへの思いや、弱々しく助けを求めていたフウコの脆弱さや、自分が確信していたあらゆるものが揺らぎ傾く感覚や……ナルトがフウコを信じていたことや。

 

 色んなものが混ざって、壊れて、あるいは新しい形を作ろうとして、けれどすぐに崩れて。

 

 そんな、形容し難い感覚への苛立ちを、半ば八つ当たりのようにイタチへ言葉としてぶつけてしまったのだ。イタチは穏やかに、こう返してきたのだ。

 

「なら、イロミちゃんと一緒に、考えよう」

 

 そして二人は一緒に、イロミの下へと赴いたのだ。

 歩きながら、サスケは小さな寒気を足元から感じていた。三日の時間があったおかげか、イタチにぶつけてしまった苛立ちは波を引いている。冷静さは担保されていた。その代わりなのか、感情は別のものに対して敏感になっているのかもしれない。

 

 歩く通路は暗く、湿度が高い。まるで、同じ木ノ葉隠れの里の敷地内にいるとは思えない不気味さが通路にはあった。かつて使われていた施設を使っている、とイタチは語っていた。ここに、イロミが収容されているというのは、思うところはある。

 

 大蛇丸が里に来てから、殆ど彼女と会話をしていない。

 

 昔から、何かと顔を出してきてはくだらない事を言ってくる面倒な奴だった。だが、今イロミの下へ歩きながら、ふと、彼女とどんな風に会話をしていたのかを考えてしまう。

 

 いや。

 

 大蛇丸が里に来る以前からも、まともに彼女と会話をしたことは無かったかもしれない。

 ただ怒りと憎しみだけを、彼女にぶつけていた。

 うちは一族でも無い癖にただ一心にフウコを信じると言ってのける彼女に、何様のつもりなのかと。

 だが、もしかしたらイロミが正しかったのかもしれない。

 そう思うと──。

 

「サスケ、お前こそ、大丈夫なのか?」

 

 唐突にイタチが語りかけてきた。

 

「何がだよ」

「……俺もな、最初は…………訳が分からなかったんだ」

「え?」

「フウコが里を出て行った後……ずっと考えていた。父や母を殺され、一族を滅ぼされて、腸が煮え滾るくらいにな、憎しみが止まらなかった。なのに、フウコの事を信じたいという考えもあった。考えが纏まらなくて、頭の中がグチャグチャになった。だからな……無理はしないでほしい」

「……無理はしていない」

「そうか」

 

 通路を進んでいくと、やがて分厚い鉄扉に突き当たった。その目の前でイタチは立ち止まる。ここが、イロミの牢屋なのだろうか。

 

「……イタチくん? あとは……………えーっと、サスケくん……かな? この匂いは」

 くぐもった声が鉄扉から飛んできた。懐かしいような、イロミの声だった。湿った不気味な通路であっても、彼女らしいどこか明るい、あるいは間抜けな声である。

「久しぶりだね、サスケくん。元気にしてた?」

「お前に心配されることじゃねえよ」

「あー……イタチくんの料理は美味しくないもんね。うん、気持ちは分かるよ。不機嫌になっちゃうよね。私が前々からレシピを書いておけば──」

 

 ああ、とサスケは思い出す。

 こんな面倒な会話だった。彼女との会話は。

 苛立ちのような、楽しいような感覚が首筋を痒くする。イロミが一人で「だけど、イタチくんでも美味しく作れるレシピを書くのはちょっと……」などと呟き続けている。そんな彼女にイタチは呼び掛けた。

 

「イロミちゃん」

「ああでも……うーん、美味しい卵かけご飯くらいなら、ああでも、それって料理と呼ぶにはちょっとなあ。だったら味噌ラーメン作ったほうが良いと思うし」

「……イロミちゃん?」

「そもそも、うん。イタチくんに真面目に料理を教えておけば良かったんだね。私の責任だね。ごめんね。それでもイタチくんは忙しいし。だからね……」

「イロミちゃん。ちょっと待ってくれ。ストップだ」

「え? ああ、ごめんね。何?」

「フウコに──会ってきた」

 

 鉄扉の向こうでイロミは静かになったが、驚いた様子もなく言葉が返ってきた。

 

「フウコちゃん、元気そうだった?」

「……大蛇丸が言っていたように、少し、不安定だった」

「そう………なんだ……………。うん、フウコちゃんは、いつも、一人で頑張っちゃうからね。無理をしてでも、全部一人で、終わらせようとしちゃうからね」

「フウコの事について話がしたい。中に、入ってもいいかな?」

「いいの? 色々と、問題とか……」

「牢の外に出すわけじゃないんだ。問題は無い」

「……ちょっとだけ、待ってて。中の掃除とか、したいし。あ、後、扉はこっちで開けるね。火影のイタチくんが開けるのは、色々と問題だと思うから」

「イロミちゃんが開けていいのか?」

「外に出るわけじゃないから」

 

 サスケは一度、通路を振り返る。この場には自分たち以外には誰もいない。わざわざ形式を重んじる理由が分からなかったが、もしかしたら何かしらの忍術が施されているのかもしれない。

 鉄扉の向こう側から静かな物音が聞こえてくる。そして静まり返ると、鉄扉が重々しく内側から開いた。

 

「入っていいよ。色々と片付けたけど、臭いが酷いから。お風呂も入れないからね。それでも良いなら」

 

 中に入る。室内は通路よりも暗く、広さが分からない。鉄扉の前には、椅子に拘束されていたイロミの姿があった。

 身体を拘束衣で縛られ、その上から忍術を発動させる封印術の印字が記された包帯が多く巻き付けられている。それは彼女の頭部や首も含めてだ。彼女の身体は一切見えず、髪の毛すら見受けられない。さらには、その上から何十本もの針が刺されている。おそらく、点穴を突いたものだ。

 室内には腐臭や、汚れが溜まった臭いが漂っていたが、イロミの姿を前にしては気にすらならない。人の身体がここまで無機物的になってしまうのは、死体を見るよりも気分が重くなってしまう。

 

「ごめんね。こんな姿で。解こうと思えば解けるけど、流石にこれを解くわけには……。それに、私一人でこれを着直すのは面倒だから」

「気にはしない。むしろ、まだ君の拘束が解かれないのを申し訳なく思ってる」

「いくら火影でも、鶴の一声って言うわけには、いかないよ。イタチくんのせいじゃないから。サスケくんも……ごめんね。私が、色々と、迷惑かけて。怖い思いも……させちゃったかな」

「…………テメエ程度にビビるわけ……ねえだろ」

 

 あはは、とイロミは笑った。包帯で隠された彼女の表情は当然ながら見えず、口元を隠している包帯が僅かに上下するだけだった。けれど、その上下はすぐに止み、静かな声でイタチに尋ねた。

 

「フウコちゃんは、なんて言ってたの?」

 まるで友達からの葉書の内容を確かめるような気軽さだった。どうして彼女は、フウコが来たことに対して、冷静でいられるのか。

「助けてほしい、と。それと、やはりうちは一族がクーデターを起こそうとしていたのを止めたことを言っていた」

「……そっか。フウコちゃん、そんなに追い詰められてるんだ」

「フウコと共に来ていたのは、赤砂のサソリだった。カカシさんたちからも証言を貰っている。どうだろう? 大蛇丸の記憶には、それがあったか?」

「うん。あった。全部じゃないけど、そういう名前の人がフウコちゃんの傍にいるのは分かる」

「どうやら、サソリがフウコを無理矢理に動かしているようだった。どういう目的で木ノ葉に姿を見せたのかは、まだ分からないが………」

「そうなんだ……でも、これで、間違いないね。うちは一族は──」

「クーデターを起こそうとしていた」

 

 サスケは、怒りを沸き上がらせた。

 父と母の死が、脳裏を過ったからだ。

 だけど……だけど……。

 フウコの助けを求める声が耳から離れない。

 そして、イタチから聞いたうちは一族の立場や心情が、心に楔を打ち込んだ。

 だからこそ、サスケの声は中途半端に震えたものとなってしまった。

 

「どうして…………そんな簡単に信じられるんだよ……………」

「……サスケくん」

「お前は、フウコに殺されかけただろう………。兄さんは、父さんも母さんも殺されただろう……。なのに、どうしてそんな馬鹿みたいに、信じられるんだよ………」

 

 まるで、答えを求めるように。

 一人では答えを出せない子供のように。

 すると。

 イロミは笑ったのだ。

 

「あはは。馬鹿みたい……か。うん、そうかも。もう、確かな事なんて、殆ど無いもんね。証拠とか、そういうの、無いし。もしかしたら、フウコちゃんがまた、嘘を言ってるのかもしれないもんね。それか、うん……イタチくんが嘘を言っているのかもしれない可能性だって、完全にゼロじゃないもんね」

「だったら──」

「でも……だから、信じるんだよ」

 

 イロミは続けた。

 

「私は、フウコちゃんも、イタチくんも、信じるって決めたの。いちいち証拠とか、そういうの探してたら、キリが無いから。それだけ。馬鹿みたいでしょ? それだけのことで……でも、うん、難しいよね。信じるのって。私、最近知ったよ。相手を信じるって、相手を信じないっていうくらいに、すんごい自分中心に考えないといけないんだって。だから、私は自分勝手に決めてるの。フウコちゃんは私の友達だから、私は信じるって」

「俺も同じ考えだ、サスケ」

 

 イタチが引き継ぐように言った。

 

「俺は……まだ当時の記憶を思い出せてはいない。それに、父や母を殺された怒りも、完全に消えているのかと言われれば、そうとは言えないかもしれない。それでも、最後の最後まで、フウコを信じると決めただけだ。お前がどうするかは、お前が決めるんだ」

 

 決める。

 誰を、何を、信じるか。

 木ノ葉隠れの里を。

 うちは一族を。

 父を母を。

 兄を。

 姉を。

 姉の友達を。

 ナルトを。

 自分の記憶たちを。でんでん太鼓の音が聞こえてくるような気がした。自分と同じくらいか、それよりも幼い姉の姿が。

 

【大丈夫だよ? 私がいるから。どんな怖いことも、辛いことも、私が守ってみせるから。だから、泣かないで? サスケくん、でんでん太鼓、好きだよね? ほら。使ってみる?】

 

 そんな彼女の声は、けれど幾つもの、自分の繋がりが星々のように明滅して呑み込まれ、そして──光に微かな重心が生まれる。

 

「俺は、木ノ葉を──」

 

 

 

 サスケの決意を聞いたイロミは、そして、淡々と呟いたのだ。

 

「ねえイタチくん。私の我儘を、聞いてくれる? 私ね──木ノ葉隠れの里を、抜けようと思うの」

 


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