いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。

 次話は今月中に投稿致します。


空は誰の元へと繋がっていますか?

 視界の端をすり抜けていく葉々や枝々の隙間を埋める白い光たちが、まるで急く自分らを嗤うように感じてしまった。サスケは、苛立たしげに、飛び移った枝葉を蹴り次の枝葉に移る。

 

 木ノ葉隠れの里を出てから、殆ど景色は変わらない。自来也が先導している以上、目的地には向かっているのは間違い。なのに、どうしても、進んでいる実感が無いのは焦りが原因なのは、サスケも十分に自覚できている。

 

 事態の急転に、もしかしたら、まだ意識が追いついていないのかもしれない。

 

 いや、理解は出来ている。納得も……多分。

 

 風を置き去りにしようとするかのような速度で走っているというのに、追いかけてくる記憶は遠ざけられない。あの夜が忍び寄ろうとしている。音もなく。

 

 太陽は、傾き始めている。

 

 まだ十分に高いが、夜を迎えてしまえば、ナルトに追い付くのは絶望的。

 

 それが、焦りを招くのだろう。

 

「サスケくん、落ち着いてください」

 

 前方を走るシズネの声が耳に届いた。

 等間隔の距離を保っていたというのに、シズネはすぐ目の前にいた。普段のゆとりの多い衣服でなく、木ノ葉隠れの里指定の上忍装束だ。

 

「私達は、確実にナルトくんの元に進んでいます。そして、間違いなく追いつきます。少なくとも、この中の誰かは、必ず」

「……分かってる」

 

 シズネの言葉を納得していないような仏頂面に、彼女は困ったような笑顔を浮かべると先に進む。間を開けて、サスケも進んだ。

 

「カカシよ。まだ、ナルトは音の忍と共におるのか?」

 

 移動によって風が耳を叩くが、忍としての鍛えられた聴覚はサスケにしっかりと自来也の声が届いていた。

 

「パックンが尾行を続けていますが、そのようですね」

「バレていないのですか?」

 

 ヤマトの言葉に、カカシは頷くと「おかしいのう」と自来也は呟いた。

 

「ナルトの奴は、大蛇丸がしたことを知っとるはずじゃ。なのにどうして、音の忍と共におるのじゃ。今のナルトならば、そうそう振り切れぬ相手もおらんじゃろうに」

「フウコが──」

 

 サスケの声に、先頭を進む自来也以外の三人がこちらを振り向いた。

 

「姉さんが……関わっているからじゃ、ないか?」

 

 昔から、ナルトの行動はフウコを中心にしていた。

 だから木ノ葉隠れの里を抜け出したのだ。音の忍──大蛇丸の部下と共に行動しているのならば、フウコに出会うのに有用だと判断したからだろう。

 けれど、どうして大蛇丸がフウコとの繋がりを持っているのか。

 

「それは考えられんのう」

 

 と、自来也が応えた。

 

「確かに大蛇丸は、かつてはうちはフウコと共に、ある組織の一員だった事はある。じゃが、奴は既に組織から離反した身じゃ。わざわざ抜け出した組織の者と、未だコネを持つような奴じゃあない。もっとも、口八丁手八丁で嘘を吐くというのは、あるかもしれんがの。しかし……それでも、ナルトの奴が素直に大蛇丸の方へ進むとは考え難いが……………」

「先輩。ナルト君のところまでは、あとどれほどで?」

 

 ヤマトの問いにカカシは応えようと、耳につけたイヤホンからパックンの情報を聞こうとした。

 

「ああ。やっぱりテメェがいやがるのか」

 

 その時だった。

 

 話しながらも、ナルトに追い付くまでの時間がありながらも、五人は決して警戒を怠ったつもりは無かった。むしろ、警戒は強い方だったと言えるだろう。ナルトと共にいる音の忍たちが、追いかけてくる木ノ葉隠れの忍を想定しないはずがない。いつ、どのようなブービートラップがあるか分からない状況なのだ。

 

 それでも、その声は悠々と横から入ってきた。

 

 ちょうど、カカシの真横辺りからである。

 

 真っ先に視線を向けたのは、当然、カカシだ。彼はちょうど、次の木に移ろうと空中を移動していた時である。臨戦態勢を常に作っていたカカシは、片目だけの写輪眼で、声の主をはっきりと捉えていた。

 

 その後に、後ろのヤマト、シズネ、サスケ、遅れて先頭の自来也の順だった。誰もが、その声が耳に届いてからのアクションが遅れてしまった。

 

「──再不斬ッ?!」

「また会ったな、カカシ」

 

 至近距離だった。

 左腕で振られる首切り包丁が、腹部を狙っていた。

 即座にクナイを抜き、せめて腹部に刃が届かないようにチャクラを覆わせ強度を高める。同時に、背後でヤマトとシズネが動き出した。その後に、自来也が動き出そうとし、サスケが最も遅く動き始めた。

 しかし、四人の行動は制限される。

 頭上から降り注ぐ、氷の針によって。

 

「もう一人?!」

 

 医療忍者であるシズネは、培ってきた危機回避能力で真っ先に反応し、メンバーの中で一番戦闘能力に不安を持つサスケを庇おうとした。

 

 その瞬間、クナイと首切り包丁がぶつかった。

 

 前へ移動していた力と、再不斬の膂力を背負う首切り包丁は、カカシのクナイを砕くことは出来ずとも、それを支える彼の腕の力を上回ってカカシを後方下部──つまり、地面に叩き落とすことに成功する。いくら写輪眼を発現させて不意打ちの攻撃に対応できたとしても、完全に防ぐことは出来なかった。どうにか受け身を取り、追撃への姿勢を整えるが、それでもサスケの下を通り抜ける程の衝撃だった。

 

 続け様に、再不斬は追撃を仕掛けてくる。

 

 首切り包丁を縦に構えて迫ってくる再不斬に、カカシは今度こそ力を込めて受け止めた。

 

「再不斬……お前がどうしてここにッ!」

「悪ぃな。こっちもこっちで、面倒だと大いに思ってんだ。文句は言うんじゃねえぞ?」

 

 その時、辺りを濃霧が包み始めた。

 サスケたちからは、カカシの姿は完全に見えなくなってしまった。

 

(どうして再不斬の野郎が……ッ。それに、さっきの氷の術……………白もいやがるのか………)

 

 深い濃霧が鼻先を湿らされる感覚は、波の国での戦闘を無理にでも思い起こさせ、と同時に、木ノ葉崩しの際の二人の行動も想起してしまう。

 

 疑問が浮かぶ。

 疑問。

 疑問、疑問。

 また、疑問だ。

 

 いつだってどこだって、予想外の事は平然とこちらの意識に入ってきて、試してくる。

 だが疑問に答えを出す時間は無い。状況から考えて、今回彼らは、こちらの邪魔をしてきていると、投槍気味な意識を作り上げる。

すぐ傍にいるシズネ以外は、もはやヤマトも自来也も見えなくなってしまっていた。

 非常に危険な事態。そして何よりも、カカシが再不斬と対峙していることが、問題だった。

 

「おい、カカシッ! どこにいやがるッ!」

 

 写輪眼を発現し、濃霧のどこかに姿を消している白の奇襲に備えながら尋ねると、声だけが奥から届いてきた。

 

「こっちは任せろッ! それよりも、先に行けッ! 後で追い付く」

「ふざけるなッ! んなこと──?! おいッ!」

 

 腕を引っ張られる。

 

 シズネだ。彼女はサスケの腕を引っ張りながら、濃霧の中とは言え、つい先程まで進んでいた道筋を精密に進み始めた。

 

「サスケくん、行きましょう。私達の任務は、あくまでナルトくんの捕縛──いえ、奪還です。この濃霧の中でカカシさんを助けに行くのは得策ではありません」

「相手は二人だッ! しかもアンタ、相手がどういう連中か知らねえだろうがッ! 何を勝手に──」

「いえ……知っています」

 

 その言葉は、その場凌ぎの虚言や、単なる強がり等の類ではなかった。

 シズネは、二人に出会っている。実力を目の当たりにしてはいないが、どういった人格であるのかは、一部分ではあるが理解しているつもりだ。だからこそ、彼女は、忍として矛盾しているが、ある種の信頼を寄せていたのである。

 

 それに、状況も。

 

 シズネの語る、ナルトの捕縛は、忍としては実に正しい考え方である事はサスケも理解できている。ただ──。

 

「カカシさんは、忍の中でもトップクラスの人です。最悪の場合は、任務から離脱する事も考えるでしょう。それを含めての、先程のカカシさんの言葉です」

 

 深い霧を抜けると、自来也とヤマトは既に先を目指している。

 こちらを一瞥する彼らの目には、音の忍ではない予想外の人物の介入への訝しさを滲ませていた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 濃霧の中で、金属同士がぶつかり合う音が響いていた。

 

 鼓膜を刺して、頭蓋骨の内側を叩かれるような、不愉快な音。しかし、カカシはその音に違和感を抱いていた。

 

 波の国で争った時と似たような状況。しかし、再不斬は接近戦を挑んできている。構築した濃霧を十分に活用しようとしない。

 

 斬撃にも、一撃目程の力が入っていない。片腕だから、という訳ではないだろう。

 

 時折、千本が飛んでくる。明らかに牽制だけを目的とした急所を大きく外した投擲。躱しながら再不斬に対応していると、やがて、霧は晴れていった。

 

 互いに、相手の行動に確実に反応しきれる距離を保ちながら立っていた。白の姿は、見当たらない。

 

「……どういうつもりだ、再不斬」

 

 カカシは呆れを込めた溜息を溢しながら呟いた。

 

「大蛇丸の時も、そして今回も……どうしてお前がここにいる」

 

 写輪眼で彼を見据える。左腕だけの彼は、首切り包丁を肩に乗せるように持ち、こちらを警戒しながらも、どこか淡々と清ました様子だ。

 一度、間を取るように再不斬は溜息をついた。

 

「ま、こっちにも事情があるってことだ、カカシ。あのガキを追いかけるのは諦めてもらおうか。そうすりゃこっちも楽だからな」

 

 ガキ。

 その言葉が、サスケを指しているのか、ナルトを示しているのか。

 いや、間違いなくナルトの事を言っているのだろう。ならば、ナルトの情報をどこで手に入れたのか。

 

「そういうわけにはいかないな」

「ふん。お得意のナカヨシごっこか。相変わらずだな」

「再不斬……どうやってナルトが里を抜けた情報を手に入れた?」

「それを言うつもりはねえよ。こっちの要求は唯一つだ。ガキを追いかけるのは止めろ。そうすりゃあ、こっちもこれ以上は手出ししねえよ」

「誰の差し金だ。大蛇丸か?」

 

 言いながらも、その可能性は非常に低いと考えている。木ノ葉崩しの際に、再不斬は暴走したナルトの阻止に加担したのだからだ。

 カカシの問いに、再不斬は溜息をついた。

 

「テメエには借りがある。ここで返すのも悪くねえ」

「片腕で俺に勝つつもりか?」

「俺には……優秀な道具がいる。前のようにはいかねえぞ」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 四人となった今、速度を変えないままに進んでいく。

 

 先頭を変わらず進む自来也は、迷わず先導している。事前にカカシから方向を聞いていたのか、それともナルトを追いかけているパックンとの合流地点などを知らされていたのかもしれない。

 

 誰も、カカシへの言葉は無かった。それが、やや、冷酷に見えてしまうのは、まだ自分が下忍だからだろうか。

 

 

 

 やがて四人は川に辿り着き──ナルトを、見つけたのだった。

 

 

 

 とても、あまりにも自然に。まるで散歩の途中で休憩しているかのように、ナルトは川の傍の大きめの石に腰掛けていた。こちらに背を向けて、首を傾けている。空を見上げるように。

 

 自然な風景。

 

 

 それでも、状況はあまりにも不自然である事は、誰もが理解していた。捕縛対象であるナルトが目の前にいるというのに、四人は警戒するように距離を置いて立ち止まった。

 

「……おい、ナルト」

 

 声をかけたのは、サスケだった。

 他三人は辺りを警戒している。

 明らかな罠だ。

 追手が来ないことを考えていないはずがないナルトが、呆けている訳がない。

 それはサスケにも十二分に理解できている事だ。

 だが、写輪眼を発動できていないのは、彼が感情的になっているから。

 

「テメエ…………何してんだよ……」

 

 言葉の切り口は突然で、前口上なんて必要すら無かった。

 ナルトはこちらを振り向くことも無く、呟いた。

 

「てっきり、カカシ先生とかが追いかけてきてるのかと思ってたけど……なんだ、お前もいんのかよ、サスケ」

「テメエがこんな事しなきゃ、わざわざここまで来ることも無かったんだよ」

 

 違う、そうじゃない。

 ナルトに言うべき言葉は、そうじゃないのに。

 違う言葉が出てきてしまう。

 

「じゃあ、来なきゃいいじゃねえかよ」

「うるせぇ。さっさと──」

 

 里に戻るぞ。

 その言葉が、一瞬だけ喉元でつっかえる。

 もしも、その言葉を出してしまえば、結果が出てしまいそうで。

 だが、先にナルトが答えを出してしまった。

 

「里には……戻らねえってばよ」

 

 立ち上がる。

 振り返る彼は、諦観に近い笑顔だった。片腕には、口元と四肢を縛られたパックンが抱かれて暴れている。

 

「わざわざここまで来てもらって悪ぃけど、帰ってくれってばよ」

「──ッ!? ふざけ」

「そういう訳にはいかんのう、ナルトよ」

 

 感情に任せてナルトに飛びかかろうとしたサスケを、自来也は手を広げて制止させた。

 

「……エロ仙人」

「その呼び方を直して、ワシにしっかりと敬意を示してくれるまでは、木ノ葉隠れの里を出ていかせるにはいかんのじゃ」

「うっせえ。んなもん、いつだって呼んでやるってばよ」

 

 ニシシ、と笑ってみせる彼の姿は、日常だった。

 

「他の……その二人は知らねえけど…………。とにかく俺ってば、里には戻らねえから。他の連中にも、言っといてくれってばよ」

「うちはフウコの元へと行くのか?」

「……ああ。そうだってばよ。場所はまだ分からねえけど、今から探す。木ノ葉隠れの里にいても、どうせ見つけられねえんだからよ。俺ってば、掟を破っちまったからな」

「お前の拘束は既に解けている。うちはイタチ……火影も、自由を保証してくれるじゃろう」

「……俺がアカデミー生の頃も、自由(、、)だったってばよ」

 

 誰も言葉を返す事は出来なかった。

 過去という蓄積が、ナルトの言葉に説得力を持たせてしまったのだ。他人の作った過去が生み出した前例を覆すのは、強固という表現他ない。

 静かな風が川の音を攫っていくのを、ナルトは俯き、息を吐いて流した。

 次に顔を上げた時は、やはり、これまで何度も見せてきた、屈託の無い笑顔だった。

 

「じゃあな。俺ってば、木ノ葉隠れの里を出るってばよ」

 

 完全な別れの言葉。

 

 それが引き金となって、自来也の制止を振り切ってサスケは走る。

 

 遅れて、自来也が即座に動き出す。

 

 ヤマトは印を結び、ナルトを捕縛しようと木遁を発現させようとし、シズネがカバーするようにクナイを取り出していた。

 

 だが、しかし。

 いや、もはやというべきか。

 盤面は詰んでいたのだ。

 

 その後ろの木々の隙間から、起爆札が巻かれたクナイが空へと垂直に投げられ、起爆する。その音が、合図だった。

 パックンが大慌てに口を動かし、ようやく縛られていた紐を僅かに抜け出して伝えた。

 

「すぐにこの場から離れるんじゃッ! ここは結界の範囲内じゃッ!」

 

 言葉は遅く、同時に、四紫炎陣は展開された。

 

 自来也たちの察知範囲から十分に離れた四点に潜んでいた音の忍たち。彼らは、右近の投擲した起爆札を合図として、同時に忍術を発動させたのだ。

 

 紫炎の壁が四方を囲んて高く立ち上る。

 

 脱するには間に合わないと、自来也、ヤマト、シズネは察する。

 

 サスケはそんな事を気にする余裕は無かった。

 

 左手を彼に伸ばす。

 

 届けと願う。

 

 だが、やはり、それも──。

 

 ナルトは呟いた。

 

「サスケ。またな。次会う時は、ぜってえ俺の方が強くなってっからよ」

 

 その言葉を残して、ナルトは消えたのだ。

 既に結界は完成されている。変わり身の術を使ったところで、結界から抜け出すには距離がある。

 

(……おちょくってんのか…………あの野郎ッ! 影分身でわざわざッ! それを言う為だけにッ!)

 

 頭が痛い。血液が首筋を昇って急激に酸素が熱せられていく。目の奥が熱くなって、痛みすら感じてしまう。

 

(絶対に連れ戻してやる。両手足へし折ってでもッ!)

「まんまとしてやられましたね」

 

 後ろでヤマトが呟いた。彼は冷静に四紫炎陣を見上げていた。

 

「これほどの範囲で四紫炎陣を発動させるなんて……並みの相手じゃないですよ。どうします? 自来也様」

「正攻法なら、各四点にいる術者を叩いた方がいいのじゃが……」

「んな悠長な事、してられねえよ」

 

 サスケは歯噛み、声を震わせた。

 

「さっさとあのウスラトンカチに追いついて、首根っこ引っ掴んで里に戻る。あんたらがちんたらしても、俺は行くからな」

「分かっておる。ワシもそのつもりじゃ。シズネ、パックンを見てやってくれ。これからナルトを追うのに、パックンの力は必要じゃ。ヤマト、辺りに何かおるか?」

 

 シズネは素早く縛られているパックンに駆け寄って、診断を開始する。その横で、ヤマトは木遁分身を何体か生み出して、索敵に出した。

 

「いないようですね。分身からのリアクションが無いので。結界は完全な足止めでしょう」

「なら問題ないのう。真正面からではこちらに勝てないと吐露しているようなものじゃ。そんな連中は無視に限る。さっさとナルトを追おうかのう」

「結界をどうにか出来るのか?」

「このワシを誰だと思うておる。結界に閉じ込めた程度でどうにか出来るなら、ワシは三忍とは呼ばれたりはせん。伊達に男を磨いてきたわけじゃあない」

 

 不敵に笑ってみせる自来也が右手を握っては開いてを繰り返した。軽い準備運動とでも言いたげだ。しかし、余裕を見せる自来也の態度に、サスケは急かすように強く睨みつけていた。本当なら、こんな会話も必要ないのではないかとさえ、考えてしまっている。

 

 自来也は、溜息を溢した。

 

「サスケよ。少し肩の力を抜け。頭に血を昇らせたままじゃあ、出来る事も出来ん。足手まといが増えるのはゴメンじゃ」

「………………」

「もしも無事にナルトのところまで辿り着きたいというのなら、感情は抑えよ。年長者のアドバイスじゃ。参考にしておけ」

 

 さあてと、と自来也は肩を回した。

 

「結界はワシが破る。パックンの状態が確認出来次第、動き出そうかのう」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 彼女には、声が聞こえていたのだ。

 

 白が悠久に続く、果て先も此方も境の無い、距離という考え方を持たせない脅迫的なまでの世界で、ぼんやりと上を見上げていた。不思議と、上下の概念は在ったのだ。

 

「……私は────」

 

 誰だろうか?

 ふと、彼女は思う。

 ずっと、どこかへ行こうとしていた。そんな、感情というべきか、幻想というべきか、確信だけはあった。外側が無いのに、中身だけがある。不思議な感覚だけがあった。いや、正しくは、外側も内側も透明で、その更に周りを漂う何かだけがある、と言ったほうが良いかもしれない。

 彼女──フウコは歩き出す。

 その方向が、自分の行くべき道だと思ったからだ。

 先に何が在るのかは、分からないままに。

 

 意識は進んでいく。その意識が、他者からの介入によって動かされているものだとは分からずに。

 

 さながら麻薬だ。

 一歩、一歩と。

 進めば進むほど、幸福感が高まっていく。幸福感が鮮明になればなるほど、内側が満たされていく。自分の家族の事、大切な人たち。それらの顔が浮かび、恍惚となってしまう。

 その意識の動きが、身体にも反映されてしまっていった。

 

「どうかしましたか? フウコさん」

 

 幽霊のように立ち上がったフウコに、サイは尋ねた。彼の警戒心のないような機械的な声は、しかし、着流しのフウコの意識には届かない。

 

「ああ……みんな……………待って……」

 

 フラフラとした足取りで、何もない壁へとフウコは向かう。

 

 またか、とサイは思った。フウコが唐突に動き出し、脈絡のない行動をするのは見慣れた。不気味さをサイは感じない。ただ、壊れていると感じるだけのまま観察を続ける。一応は、サソリから世話をしろと言われているからだ。

 

 フウコが壁に額をぶつけた。怪我をしたかもしれない。よく眺めると、額から血が垂れていた。救急箱はどこだっただろうかと思っていると、フウコはブツブツと声を発した。

 

「え? この壁……なに? …………向こうに、みんながいるのに………。邪魔だな……………」

「フウコさん。向こうには何もありませんよ。ただの壁だけです」

「削れば、行けるかな?」

 

 またフラフラと方向を変えて歩く。

 壁に立てかけられている長い刀を手にとって、そのまま目の前の壁を、鞘ごと刀を振って削り始めた。その行動が、サイには僅かな寒気を招かせる。何度見ても、慣れても、湧き上がる感情──サイ個人としては、抱くものは生物的本能だと解釈しているが──には耐性が出来上がらない。

 

 人間の成れの果てを見ているようだったからだ。

 死ぬのは怖くない。

 忍だからだ。いつでも死の覚悟は出来ている。

 

 けれど、彼女の姿は、その一歩手前なのだ。

 

 死ぬことも出来ず、生きて何かを成す事も出来ない。

 生きてきた意味が完全に彼女は喪失し、結果を出すことも出来ないのだ。

 人間がそうなってしまう姿が、いずれ自分にも訪れるのかという恐怖。それが、怖かった。

 

「ダメだ……削れない……………」

「フウコさん。座りましょう。きっとサソリさんの部屋に治療道具があるでしょうから──」

「そうだ……外に出れば(、、、、、)、良いんだ。遠回りになるけど、裏側に出口とか在るはず。そうだ。うん、それがいい」

「え?」

 

 耳を疑った。

 今、何と言った?

 あまりにも脈絡がなかった。

 

 外に出れば?

 

 そう、言ったのか?

 救急箱を探しに行こうと視線を逸していた時である。慌ててサイはフウコを見遣った。

 白い着流しに、腰には黒い帯がだらしなく巻かれている。その帯に、刀を差し込んで、両手を空けていた。その両手が、空気を丸めるような形を取っているのが見える。

 印を結ぼうとしている。

 

 サイにとっては予想外の事だった。

 

 意識が鮮明になっていない時のフウコは、忍術を使えない。肉体エネルギーはまだしも、精神エネルギーが不安定な状態で忍術を発動するのは困難を極め、チャクラを練る繊細さも持ち合わせていないからだ。それは、サソリから知らされている事実。チャクラを使った暴走はあっても、忍術は発動しないと。

 

 だから、予想の外。

 

 時空間忍術で、外へ行こうとするなんて、全く思っていなかった。

 

「フウコさ──」

「イタチ、イロリちゃん、サスケくん、ナルトくん……みんな…………今、行くからね」

 

 ただのイタズラに過ぎない。

 

 悪質で、悪意以外の要素を持たせない、彼女の中の彼女がもたらすイタズラ。鬼の居ぬ間に。サソリの居ない間に、イタズラをしようと考えただけ。そのイタズラにさえ、フウコはもう、逆らえない。

 

 フウコは、外へ。

 

 たった一人で、青空の下に投げ出され、白い光に身を任せる。

 室内とは違った心地よい湿度と風が、鎖骨を撫でた。

 裸足を一歩、前に出す。素足は尖った石を踏みつけ皮膚を破ったが、痛みは届かない。

 目指す方向、辿り着きたい座標。

 それは持ち合わせていない。ただただ、彼女の中の彼女が生み出した蜃気楼に向かっていく。周りは木々だけ。それも、木ノ葉隠れの里の近くだった。

 

「今日は、良い天気」

 


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