いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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暗い夜の調

 見上げれば、空がある。

 

 子供はその時、手を伸ばせば、空に浮かぶ雲や、あるいは月であったり星であったり、そういう、当たり前のものは、掴むことができるのだと確信する。遠いものが小さく、近いものが大きく見える、という仕組みを知らないからだ。

 

 それを、大人は無知だと、微笑ましく、どこか傲慢に眺める。

 

 自分たちもかつては同じようなことを考え、あるいは同じように手を伸ばした、ということを、大人はいつしか忘却してしまう。

 子供が抱く無知は、青空のように純粋だ。けれど、大人の無知は、曇天雲のように濁っている。雨も降らせば、雷も生み出し、木々に火を付ける可能性を孕んでいるということを、大人は誰しも失念する。

 

 大人が子供を笑う必要はあるのだろうか。

 

 笑って、子供が綺麗な空を見上げて、それに手を伸ばすという宝石のような好奇心を、それは勘違いなのだと言って、松に針金を巻き付けるように矯正する必要は、あるのだろうか。

 

 うずまきナルトにとって、大人たちは、そう言った、邪悪な存在に見えていた。彼ら彼女らの視線は、針金のように刺々しく、硬く、自分を縛り付けようとする。

 じっとしていろと。

 外を歩くなと。

 視線だけではなく、耳に入る言葉も、同様だった。

 

 何も悪いことはしていないのに、大人たちは自分を縛ろうとする。縛って、自分たちの枠の外に追いやり、留めようとする。やがて、その空気は、自分と同じくらいの子たちにも伝染していき、大した時間と労力も費やさずに、子供たちからも阻害された。

 

 誰も事情を説明してくれない。

 自分が何をしたのか、何か、悪いことをしてしまったのか。

 

 教えてほしい。

 そして、どうか、掴ませてほしい。

 枠に、入れてほしい。

 

 だけど、教えてくれることはなかった。

 

 無言の笑い声。

 無言の矯正。

 外に出れば、それしか無かった。

 

 かといって、外に出ない夜中は、今度は逆に、寂しい時間だった。

 一人で静寂の中にいると、余計なことを考えてしまう。考えないようにと自分に言い聞かせても、考えてしまう。

 苦しくて、辛い、考え。

 自分が雲のように、溶けていなくなった方が、という結論。布団を頭から被り、その考えを振り払おうとしても、考えてしまう。

 

 怖い。

 阻害され続けることではない。

 阻害されてしまう自分を受け入れてしまいそうになる考えに、自分が染まってしまうことが。

 

 手を伸ばさなくなってしまうのが、怖かった。

 

 呼び鈴が鳴った。

 

 途端、頭の中の考えが、力強く霧散する。

 

 頭から被った布団はあっさりと投げ飛ばされ、夜中であるにもかかわらず、ナルトはどたどたと玄関へと向かい、素早くカギを解いてドアを開け放った。

 

 そこには、夜よりも深い、黒一色の服に身を包んだ、髪の長い少女が立っていた。

 

 けれどナルトにとっては、彼女は月よりも綺麗に輝く存在に映った。

 

 笑顔が生まれた。

 

「遅いってばよ! フウコの姉ちゃん!」

 

 フウコは無表情のまま、ナルトを見下ろした。

 

「ごめんね、ナルトくん。今日も、修行しよ?」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 自我が芽生えた頃から、ナルトにとって、フウコは一番身近で、そして大好きな人だった。しかし、彼女が、自分の両親ではないことは知っている。明らかに、周りの子の親よりも、彼女は若かったからだ。おまけに、自分と彼女の共通点も全く見当たらない。

 

 けれど、悲しくはなかった。

 

 家族ではないが、彼女は自分に、冷たい視線も言葉も与えてこない。むしろ、家族ではないからこそ、自分は、他人からでも受け入れられる可能性があると、希望が持てる。いや、もう、彼女だけが、傍にいてくれれば、それでいいとさえ。

 

 その日は十五夜。夜空は澄み、雲一つない。音は夜風だけで、世界に彼女と自分しかいないかのような錯覚が訪れる。右手を握る彼女の左手は温かく、その手を中心に自分の体温が構築されているような気がした。

 

 ナルトは、赤毛交じりの黄金色の髪の毛を小さく揺らしながら、ちらりと、フウコを見上げる。

 

 赤い瞳と細い顎。音もなく歩く彼女は、不規則に長い黒い髪を柳のように静かに揺らすが、それを見るだけで落ち着く。つい、笑みが零れてしまった。

 

「??? どうしたの? ナルトくん」

 

 彼女の高級な鈴の音色みたいな声が、鼓膜を心地よく震わせる。けれど、抑揚は平坦だ。それ以外の抑揚を、聞いたことがない。表情も、大きく変化しない。けれど、時と場合で、特に自分に対して、それらを変化させる大人たちに比べれば、遥かに信頼できる。

 

 ナルトは笑みを噛みしめながら、彼女を見上げる。

 

「今日は何をするんだ?」

「まだ、決めてない。でもまずは、ナルトくんがしっかり、宿題をやってきてるかを見ようかな。やってきた?」

「当たり前だってばよ!」

 

 フウコは、定期的に、こうして修行を付けに来てくれる。決まって、今日のような夜中にだ。暗部という、具体的には分からないが、偉い地位にいるようで、昼間はあまり会うことができない。本当はもっと会いたいのだけれど、今はこうして、修行を付けてくれるだけでも嬉しい。彼女が言うには、もっと実力を付けて、中忍や上忍になれば、会う回数を増やすことができるとのこと。だから、彼女が修行の終わりに、必ず伝えてくれる宿題をこなすのが最大の近道のはずで、欠かさずやっている。

 

「アカデミーの宿題とかも、しっかりやってる?」

「え? そ、そりゃあ、やってるってばよ……うん。俺ってば、ほら、真面目だから……」

「本当に? この前もそう言って、やってなかったみたいだけど」

 

 事実を指摘されて苦笑いを浮かべるしかなかった。何とか誤魔化されてくれないか、と乾いた笑いを続けたが、フウコが小さくため息を付いた。

 

「駄目だよ。アカデミーの方も、しっかり勉強しないと」

「だってよぉ……。フウコの姉ちゃんの修行だけで、十分だってばよ。それに、フウコの姉ちゃんだって、アカデミーの授業、真面目に受けてなかったんだろ?」

「でも、小テストの成績は良かったよ」

「ブンシ先生が、そういう生徒は良い生徒じゃないって、言ってたってばよ」

 

 歴史の授業はワーストワンに入るくらいに退屈な授業だが、担当している教師が教師なだけに、ナルトはなるべく居眠りをしないように受けている。ブンシは、真面目に授業を受けない生徒に対して「昔、お前みたいなやつがいたが、そいつよりも最低だ」と、拳骨を振り降ろしながら言っていたことがあった。

 

 フウコは困ったように右手で頬をかいた。珍しい反応だ、とナルトは思い、悪戯心が、追撃するのだと口に命令をした。

 

「それに、イロミの姉ちゃんだって、ずっと試験じゃビリだったんだろ? だけど今は中忍なんだから、アカデミーなんて、どうでもいいんだってばよ」

「……うーん」

 

 またフウコが困ったように、今度は鼻先を指でかいた。すぐに反論されなかった。それが、嬉しくて、くすくすと笑いをかみ殺す。

 

 イロミの顔が思い浮かんだ。特徴的な髪の毛の色と、目元を隠す程の長い前髪、そして長い緑色のマフラーを巻いて、大きな巻物を背負った少女。四回くらい彼女は、修行に顔を出して来たことがあったが、彼女とはもうすっかり、友達である。

 

 フウコの友達が来る、と事前に教えられていた。その時は「きっとクールな女の人」というイメージを持っていて、少し緊張していたが、実際に会ってみるとそのイメージは一瞬で砕かれた。

 

『フウコちゃーん! あでっ!』

 

 軽く明るい声を出し、手を振りながら近寄ってきた彼女は、何もないところで転んだ。

 顔面から地面に落ちるというダイナミックな転び方に、ただただ茫然とするしかなく、フウコと一緒に、生まれたての小鹿のように立ち上がる彼女を眺めてしまった。

 

 クールな女の人というイメージは無くなり、今度は「間抜けな女の人」というイメージに更新される。

 

『大丈夫? イロリちゃん』

『は、鼻血が、出たかも…………、ティッシュ、ある?』

『見せて。……うん、ちょっと血が出てる。治すから、動かないで』

 

 長い前髪を抑えながら赤くなった鼻を見せるイロミと、医療忍術で治すフウコ。二人の姿は、友達というよりも、どこか姉妹のように見えた。

 

 血が止まり、けれど鼻先は真っ赤なイロミは、ようやくナルトの前に立って、すっかり明るい笑顔を浮かべた。

 

『君がナルトくんだね。フウコちゃんから聞いてるよ。私、イロミっていうの。よろしくね』

 

 当たり前な自己紹介。けれど、初めてだった。

 フウコとは真逆の明るさと、大人たちとは真逆な素直な言葉。

 

 ナルトの中で、イロミの印象は「素直で明るい……間抜けな女の人」というものになった。

 

 しかし、そんな彼女は、実は中忍だと聞かされた時は驚いたものである。

 それ程までに成績が優秀だったのかと尋ねと、彼女は「私は卒業するまで、ずっとドベだったんだよ。だから、自分の成績なんて、気にしない方がいいよ?」という、よく分からない励ましをしてきた。アカデミーの成績を気にする必要がない、という思想は、彼女から貰ったものだった。

 

 フウコは少し逡巡してから、ようやく反論した。

 

「イロリちゃんは、確かに、アカデミーの時は成績は良くなかったけど、それは不真面目だったってわけじゃないと思うの」

「それって、逆に駄目なんじゃねえの?」

「けど、アカデミーを卒業してからも、イロリちゃんは努力し続けた。その集中力は、きっと、アカデミーの頃に身に着けたんだよ。全力を出せるようにする練習は大事」

「成績が悪くても?」

「そう。大事な時に、大事な場面で、全力を出せるようになっていることが、大事なの。だから、アカデミーの方も、しっかりしないと、駄目」

 

 演習場に到着した。誰もいないそこは、月の光だけを頼りに照らされている。演習場の周りは、木々の輪郭だけがぼんやりと見えるだけで、あとは、中央に立つ三本の柱だけしかはっきりと捉えることができない。

 

 フウコの手が離れる。それが、修行開始の明確な合図だった。右手に、彼女の温もりが残るが、夜風に晒されると徐々に消えて行った。代わりに、胸のあたりがドキドキする。それは、修行に対しての喜びだった。

 

「まずは、投擲から。宿題通りに、この位置から、あの柱に当ててみて」

 

 ナルトは張り切って、修行の時間を過ごした。最初に出された宿題は、問題なくこなせた。アカデミーで時間を見つけては、油断することなくやっていたのだが、しかし、彼女の前で無事に成功できたのは、嬉しかった。「よくできたね」と頭を撫でてくれた。それが、何よりも嬉しい。

 

 宿題が終わってからは、チャクラコントロールの修行だった。手のひらに木の葉を、チャクラで貼り付けるというもので、これが意外と難しい。これまで、何度かやってきた修行だが、十秒以上貼り付けることができたのは、両手で数えれる程度。しかし今日は、何度か九秒、八秒、と近い所まで成功している。調子がいいのかもしれない。

 

 他にも、体術の修行も付けてもらった。これは、フウコを相手にした修行である。「決定打を当てれたら、そうだね、アイスを奢ってあげる」というフウコの言葉を受けて、本気を出したのだが、一度として、彼女に攻撃を当てることは出来なかった。むしろ、「もうちょっと踏み込んだ方が、力が入るよ」「なるべく、腰を捻ってから、肩を動かして」「力の伝わり方を、イメージして。そうすれば、小さな動作でも、大丈夫」と、指導されてしまった。その通りにしてみると、身体の動きが違う気がした。

 

 あっという間に、修行の時間は終わってしまった。本当に、あっという間だった。アカデミーの、一つの授業の時間は、修行よりも確実に短いのに長く感じるのに……。なんだか、勿体無いような気がする。

 折角、大好きな人と一緒にいるのに、時間は駆け足に過ぎてしまう。いっそのこと、彼女がアカデミーの先生になってほしいと思った。

 

「大丈夫? ナルトくん」

 

 修行で疲れた身体を地面に大の字で寝かせていた。

 

「へへへ……流石に、疲れたってばよ……」

「そうだね。今日は少し、大変だったね」

 

 横でフウコは座り、汗をかいた自分とは全くの対称に、涼しい顔でこちらを見下ろしていた。

 

「ごめんね。次からは、もっと簡単なものにするから」

「大丈夫だってばよ。俺はこれぐらいがちょうどいいんだ」

「そう? じゃあ、そうする」

 

 フウコは視線を空に向けた。細い顎が上を向き、赤い瞳が遠くを見た。

 

 気が付いたら、自分の傍にいた彼女。無表情だが、ここ最近、彼女の心情の機微を感じることができるようになってきたような気がする。というよりも、ここ最近だと、疲れたような表情―――それは、やはり、無表情に分類される表情だが―――が多い。

 

「なあ、フウコの姉ちゃん」

 

 なに? と、彼女は夜空を見上げながら応える。

 

「最近、何か嫌なことでもあったのか?」

「え?」

「何か、疲れてるみたいだしさ。気になったんだ」

 

 言いながら、心の中で、不安が過った。

 大人たちが自分に向ける視線。

 次の瞬間には、夜空からこちらに向いたフウコの視線が、そうなっているのではないかという、不安だった。小さく、唾を呑み込んだ。

 

 しかし、不安はあっさりと却下される。

 

 フウコがこちらを向いた。

 

 目を細めて、

 柔らかい視線、

 彼女の手は、自分の頭を撫でた。

 

「……ごめんね。少し、考え事、してただけだから」

 

 夜風が彼女の黒髪を揺らした。

 

 何となく、嘘なのだと、ナルトは思った。それは、彼女が自分に対しての態度ではなく、考え事をしていた、ということについて。

 

 でも、指摘することができなかった。

 頭を撫でてくれる彼女手が、心地よかったから。

 

 傍にいてくれるだけでいい。本当は、昼間もずっといてくれたら、修行なんていらない。普通の家族みたいに、してくれたら、それだけでいいのに。だけど、それを言うのは、気が引けた。理由は、分からない。きっと言ったら、彼女は悲しい表情をすると、思ったからだ。これまでの彼女は、そう思わせないように行動していたように、思えるから。

 

 フウコの手が離れる。彼女は立ち上がった。

 

「帰ろ。明日も、アカデミーだよね? 遅刻しないようにね」

 

 帰りも、手を繋いで家に帰った。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

「うちは一族が、反乱を起こすかもしれないのだ」

 

 ダンゾウの言葉が、刃のように、フウコの喉を突き刺した。

 情報を処理しようと脳が酸素を求め、心臓が血液を送ろうとするが、呼吸が上手くいかない。

 

 背中が寒いのに、首が熱かった。身体が、この場から逃げようと、小さな眩暈を起こしながら、太腿を振るわせる。

 

 ―――どうして?

 

 心の中で強烈にその言葉が思い浮かぶが、喉はまだ、痙攣して、口から放つことができない。助けを求めるように、震える両眼をヒルゼンに向けるが、彼は、重いため息を付いて、小さく頭を垂れていた。

 

「こちらを向け、フウコ」

 

 ダンゾウの強い声に、フウコは無言で顔を向けた。

 

「事実なのだ」

「……な、なんで…………ですか…………?」

 

 ようやく、震えながら、絞り出すように言えた。けれど、すぐに、後悔する。耳を塞ぎたくなった。

 

 ヒルゼンの様子とダンゾウの表情。それらだけで、これから聞くことになる事情が、正しいのだと無言に自明している。

 聞きたくない。

 だけどもう、ダンゾウの口から言葉が出てしまった。

 

「明確な原因は分かっていないが……、おそらく、先日の九尾のせいだろう。里の者たちが、あれはうちは一族が関与しているのではないかと疑い、その疑念の目に耐え兼ねたのだろう。元々、うちは一族は、現状の地位に不満を持ち、何度か陳情を出していた。その最中での疑念だ。反乱を起こすには、十分のはずだ」

「ですが、あれは別の……うちはマダラがっ」

「フウコ!」

 

 ダンゾウの一括に、言葉は遮られる。そして彼は、声を潜めた。

 

「無闇にその名を口にするな。誰に聞かれているか、分からないのだぞ」

 

 先の九尾の事件は、里は自然災害と、最終的な見解を示した。

 

 うずまきクシナが九尾の人柱力であったことが一般的には知られていなかったこと。事実を知っているのがフウコ一人という、客観的に見て不確かな情報源だけで、かつての里の脅威だったうちはマダラの存在を示すのは、自里のみならず他里への不必要な悪影響を与えるだろうと考慮したこと。主にこれらの二点が、要因だった。

 

 当時、フウコも、里に不穏な空気を漂わせたくなかったこともあり、里のその最終判断に同意した。それが最も無難だと思ったからだ。

 誰も得をせず、損しか生まれない落としどころ。だからこそ、問題は無いのだと。

 

 だから、理解できない。

 

 里の最終的見解を聞いても尚、うちは一族に疑念の目を向ける不特定の人たちがいることに。

 

「なら、今からでも、公表を変更すれば、誤解は―――」

 

 縋るように言う言葉は、しかし、ダンゾウは力なく首を横に振って否定した。

 

「今となっては、それはできない」

「どうしてですか……。簡単なことじゃないですか………」

「もし今、真実を語ったとしても、彼の者が生きているという情報は、うちはに反乱の自信を植え付けるだけだ」

「ヒルゼンさん。火影の貴方なら、どうにかできるのではないですか……?」

「……すまぬ、フウコ」

「謝らないでください。お願いします、誤解を解いてください。きっと、どうにか……。まだ、方法が、きっと……っ」

「フウコ、落ち着け」

「落ち着いています。私は、いつも、落ち着いています、ダンゾウさん。何度も、扉間様(、、、)に、そう言われてきました。扉間様の教えを、私は守っています。お二人こそ、落ち着いてください。今、里は、平和なのです。それを、不必要な勘繰りで、乱そうとしないでください。うちは一族が、そんな、反乱なんて……」

 

 そうだ、反乱なんて、あり得ない。

 何かの、間違いだ。たしかに、うちは一族が、現状の、警務部隊という地位に不満を持つのは、分からないでもない。彼らには、彼女らには、絶大な血継限界がある。実力社会の里では、不当と思っても仕方がない。

 

 それにいずれ、九尾の事件に対する疑念の目も無くなることくらい、十二分に予想ができるはずだ。九尾を暴走させて、うちは一族に何のメリットもないことなのだと、必ず周りは理解する。子供ではないのだから、わざわざ、反乱などと言う大掛かりな方法を取る必要は無い。

 

 けれど、

 

 頭の中で引っかかる部分もある。

 九尾の事件当夜。

 フガクもミコトも、家にいなかった。それは、会合があるからだと、二人は言った。もちろん、事件の当事者ではないことは明白だった。おそらく、会合と事件の関連は無いだろう。

 問題なのは、何故、会合をするのか。

 単に、警務部隊の打ち合わせなどだとしたら、どうして、ミコト(、、、)まで、赴く必要があるのか?

 微かに、反乱という言葉を射し込むことができる不信感。フウコは、それでも、心の中で、否定する。

 厳格なフガクと、優しいミコト。

 あの二人が、そんなことを、考えるなんて―――。

 

「お前は、変わったな。フウコ」

 

 気が付けば、床を見つめていた。

 顔をあげると、ダンゾウが、目を細くしている。

 落胆の色を存分に含んだ、重い視線だ。

 

「変わってしまった」

「あ…………ぅあ………」

「扉間様は、お前に言ったはずだ」

 

 里を前に、

 里の者の命を前に、

 平和を思うなら、

 

「もしもという議論は、必要ないと」

 

 思い出せる。

 白髪と、精悍な顔立ち。

 己にも、他者にも厳しく、

 誰よりも実直で、故に素直で不器用で、

 それでも優しく、公平で、

 自分を、本当の娘のように育ててくれた、大切な人の姿を。

 

「今一度言う、フウコ。これが最後だ」

 

 選択が迫られる。

 無意識に、様々な記憶と思いが奔流する。

 

 大切な人のからの、宝石のような言葉たち。

 この時代で手に入れた、七色の経験。

 受け継いだ理想と、体現された現実。

 家族、

 友達、

 祈り、

 役割、

 それらは、心の中で、泡沫し、それに紛れ込んだ、ある女の子の嗤い声。

 

「フウコ。うちは一族を、監視しろ」

 

 フウコは、呼吸をした。

 深く空気を肺に取り入れ、深く息を吐く。

 まるで、無駄な考えを吐き出すように。

 

「……条件が、あります」

「―――いいだろう」

「ワシたちにできることなら、最善を尽くそう」

 

 二人をそれぞれ、真っ直ぐに、一瞥する。

 

「まず、私への監視は、もう、止めてください」

「流石に、気付いておったか」

 

 つい昨日ですが、とヒルゼンに応えた。

 

「私は、問題ありません(、、、、、、、)。ましてや、うちはへの監視を私がするなら、むしろ危険です」

 

 フウコは、自身の胸に手を添えながら言った。ヒルゼンが、小さく首肯する。

 

「分かった。他には、無いか?」

「イロリちゃんを、知っていますよね?」

 

 ヒルゼンは、当然、頷いた。

 

「あの子の、育ての親を、殺してください」

「…………それは……出来ぬ…………」

「何故ですか? あの男は、里にとって不要です。ヒルゼンさんも、知っているのではないですか? そもそも、どうしてあの男とイロリちゃんを、同じ場所に住まわせているのですか? 理解できません」

 

 しかし、それでもヒルゼンは、首肯しなかった。

 どうしてですか? と尋ねると、重く、彼は口を開いた。

 

「あの子自身が、彼の傍にいたいと言っておる。もし、あの男を殺せば、あの子が悲しむじゃろう」

「イロリちゃんは、私が説得します」

「ワシは、あの子の意思を、尊重したい」

「……分かりました。では、私ではなく、イロリちゃんに、暗部の監視を付けてください。もし、命の危機が迫った時は、容赦なく、殺してください」

 

 それでも尚、彼は、渋った表情を続けた。

 五秒ほどの沈黙の後、分かった、と応えてくれた。

 さらに、フウコは続ける。

 

「最後に、もう一つ」

 

 二人は、嫌悪する表情一つすることはなく、フウコの言葉に耳を傾けた。

 

「ナルトくんを、私に任せてください」

 

 そこでようやく、二人は、驚いた表情を作った。しかし、それは容易に、予測していたことだ。

 

「彼のことを、私は、ミナト様に頼まれました。それに、彼に対して、私は何一つ、偏見を持っていません。最適な人材です」

「できるのか?」

 

 ダンゾウに、フウコは確かな力強さを以て頷いた。

 

「疑念の目が、里に悪影響を与えるのなら、彼への対策もした方が健全です。私に、任せてください」

「俺が心配しているのは、あやつの対応をして、うちはの者たちに疑念を抱かれないか、ということだ」

「問題ありません。私を、信じてください」

 

 夕日が傾き、部屋に影の部分が大きくなっていく。

 いつの間にか、子供たちの喧騒は消えて、静寂だけが、アカデミーを闊歩した。

 

「いいだろう」

 

 彼はそう頷いてみせると、静かにドアの方へと向かった。ドアを静かに開ける。

 

「何かあったら、逐一報告しろ」

 

 その言葉を残して、彼は出て行った。

 気のせいかもしれない。けれど、フウコの耳には、少しだけ、彼の声が、どこか疲れたものが含まれていたように、思えた。

 

「フウコよ」

 

 ヒルゼンが、立ち上がる。

 彼の眼が、潤んでいるのが見えた。

 皺に覆われた手が、頭を撫でた。

 

「すまぬ。ワシが、不甲斐ないばかりに……」

「気にしないでください。仕方のないことなんです」

「扉間様は、お主が、平和な世で生きることを望んでいたのに……こんなことに、なってしまって…………」

「大丈夫です。私が、里の平和を守ってみせます」

「そうか。頼む……」

「外で、皆が待っていますので」

「そうじゃな」

「失礼します」

 

 自分もダンゾウのようにドアを開けて、部屋を出ようとする。しかし「フウコよ」と、呼び止められ、ゆっくりと、振り向いた。

 夕焼けを背景に、ヒルゼンは呟いた。

 

「お主には、ワシらが付いておる。あまり、無理をしないようにの」

「……ありがとうございます。火影様(、、、)

 

 オレンジと影に彩られた廊下を歩く。

 自分の足音だけが反響して、耳に返ってくる。

 頭の中は、クリアだった。

 泣き叫んだ後のように、真っ白で、真っ青で、海と雲のように。

 急激に、眠気がやってくる。温かくて、柔らかい布団で、ずっと眠ってしまいたい。

 

 正面玄関に辿り着くと、イタチだけしかいなかった。

 

「遅かったな」

「イロリちゃんと、シスイは?」

「二人とも、先に帰った」

「そう。ごめん、遅くなって」

「……フウコ?」

「なに?」

「何か、あったか?」

「……ううん。何でもない。私たちも、帰ろ?」

 

 並んで、帰路を。

 自分と彼の足音が重なった。たったそれだけなのに、眠気が、もっと、強く、自分の意識を揺さぶった。

 視界が、端の方から、少しづつ、真っ白になっていく。

 歩いているはずなのに、浮遊感が、全身を包み込む。

 

 けれど、それを繋ぎとめるように、左手に、温かい感触が。

 

「フウコ」

「なに?」

 

 イタチが、手を握ってくれているのだと、気付く。

 

「何か、辛いことでもあったか?」

「……大丈夫だよ、イタチ」

「眠いのか?」

「ごめん。これから、修行なのに」

「俺がいる。大丈夫だ、フウコ」

「本当?」

「俺は、お前の兄さんだ。困ったら、俺を頼れ」

「ありがとう、イタチ」

 

 君が傍にいてくれるだけで、心が安らぐ。

 ああ、これが、やっぱり、家族で、私は、それを守るために―――。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 フウコは、ナルトが住んでいるアパートまで送った。街頭が少ないそこは、幽霊のようにぼんやりと暗闇に佇んでいる。アパートの窓には、一つとして、灯りが零れておらず、しかし、住民が眠っている、という訳ではなく、そもそも、誰もいないのだ。

 

 どうして、誰もいないのか、それは、考えるまでもない。鉄製の廊下を二人で、手を繋ぎながら昇る。

 

 カン、カン、カン、カン。

 

 遅いテンポで、足音がアパートに響く。ナルトとの身長さ、つまり、足の長さの差を、フウコがナルトに合わせているのだけれど、それを抜きにしてもテンポが遅い。けれど、フウコはそれを指摘することはしなかった。少しでも、自分と一緒にいたのだろう、と予測した。その感情は、理解できた。自分も、イロミやイタチと手を繋いでいる時に、わざと歩く速度を下げたことがある。

 

「なあ、フウコの姉ちゃん。次はいつ来れるんだ?」

 

 一番奥のドアに辿り着く前に、ナルトが訊いてきた。フウコは無表情のまま、頭の中で、自分の今後の予定を思い出す。

 

「四日後。でも、予定が変わるかもしれないから、その時は、しっかり伝える」

「四日かぁ。もっと早くなんねえのか?」

「分からないけど、多分、無理だと思う。そんなに修行したいなら、イロリちゃん、呼ぶ?」

 

 ナルトは眉をへの字にして、渋るように下唇を出した。イロミも、今では中忍という立派な地位にいるのだけれど、ナルトも、そしてサスケも、どうしても彼女を過小評価する傾向にある。しかし、彼女の雰囲気がそうさせているのかもしれないと、何となく想像できる。

 

 今となっては、イロミの社交性は随分と成長した。別段、自分がそういう風にした訳ではないのだが、彼女が言うには「フウコちゃんの修行が厳しかったから」とのこと。申し訳ないと思えばいいのか、誇ればいいのか、よく分からない言動だった。親しい人を前になよなよすることは無くなり、赤の他人を前にしても、彼女より年上の男性という条件を除けばフレンドリーだ。おそらく、そのフレンドリーさが、年下の二人に過小評価される要因なのだろう。

 

 しかし、彼女の実力は、正しく中忍レベルに達している。

 

 それは、才能がまるで無い彼女にしてみれば、偉大な実績だ。いや、偉大なのは、彼女の努力だ。

 

 いつかナルトも、そしてサスケも、彼女の努力の偉大さを理解してほしいものだ。

 

 ドアの前に行くと、ナルトは名残惜しそうにカギを差し込んでカギを開けた。ドアが開くと、そこは暗く短い廊下。

 

 家には、誰もいない。

 

「しっかり、お風呂に入ってから寝るようにね。あと、夜更かしは駄目だよ?」

「分かってるってばよ!」

「うん。じゃあ、おやすみ、ナルトくん」

「おやすみな! フウコの姉ちゃんっ!」

 

 笑顔のナルトに、フウコは手を振りながら、ゆっくりとドアを閉める。閉まり切る最後の最後まで、ナルトは手を振り返してくれて、フウコもそれに応えて手を振り続け、赤い瞳をナルトに向け続けた。

 

 ドアが二人を完全に別つと、フウコは廊下を歩き、下に降りる。

 下に降りて、アパートから十メートルほど離れると、後方から音が耳に届く。振り向き、視線は上へ。ナルトの部屋のドアが小さく開き、彼がまだ、手を振っていた。フウコは道を折れるまで、再び、手を振り続ける。

 

 曲がり、ようやくフウコは手を振るのを止めた。

 

 別段、苦労するほどの労力ではない。いつものことで、むしろ、可愛いと思っている。

 

 彼は、一人なのだ。まだ、何も知らない、そして知らされない、幼い子。

 フウコは、彼の背景を知っている。

 どうして里から疎まれているのか、どうして疎まれるようになってしまったのか。

 

 彼には、九尾の半分が封印されている。

 そう、半分である。里の人たちは、九尾そのものが封印されていると伝えられているが、しかし、彼ら彼女らにとっては、その事実を知っていようと知っていまいと、大した差は無い。

 

 多くの死傷者を出したあの事件で生み出された恨みと悲しみは、当然、九尾へと向けられた。けれど、事件が終わり、九尾がナルトに封印されたということを知った人たちは、一様に、彼にその苛立ちをぶつけるようになったのだ。

 

 もちろん、彼ら彼女らは、それが、お門違いであることは分かっている。けれど、どこに向けて良いのか分からないネガティブな感情を抱えるには、事件での死傷者は多すぎた。塞ぎこませ続けるには難しいその感情と、幼い子へと向けてはいけないという葛藤が、彼を、遠ざけるという【中途半端】な迫害へと繋がったのだ。

 

 同じだ、とフウコは思った。

 

 今のうちはの状況と、彼の状況が。

 集団と個人の差はあるが、どちらも【中途半端】な迫害を受けている。

 

 なのに、まだ幼いナルトは、たった一人でも、笑っている。

 どうしてだろう。

 多くの大人たちがいるうちはの方が、幼稚なことを考え、幼いナルトは今の現状に頭を垂れることなく笑顔を浮かべる。

 

 どちらが、正しいのだろう。

 

 もしかしたら、両方正しいのかもしれないし、両方間違っているのかもしれない。

 

 自分だったら、どうだ?

 もし自分だけに疑念の目を向けられたら、どうだろう。きっと、何も感じないかもしれない。赤の他人から向けられても、それは、もしかしたら鳥が自分を蔑むように見ているかもしれないという妄想と同じレベルだからだ。

 

 じゃあ、自分だけじゃなく、自分の周りの人も含めたら、どうだろう?

 イタチ、イロミ、シスイが、不確かな情報で嫌な目を向けられる。

 想像しただけで、気分が悪くなった。現実だったら、殺意が身体を支配するかもしれない。迷わず、刀で首をはねるだろう。

 

「副忍様」

 

 後ろから声がした。機械的で、自分よりも平坦な声な声質に、フウコの体温は一度ほど下がった。振り返ると、そこには暗部の忍が一人、片膝をついていた。

 

「何だ?」

 

 フウコは声を硬くする。

 それが、暗部の副忍としての、彼女の声だった。

 自分が一番、嫌いな声。

 

 暗部の忍は男で、自分よりも年上のように見える。しかし、フウコの言葉遣いに何ら個人的な反応は無い。それは、彼が【根】と呼ばれる、暗部の中でも特殊な集団に属しているからだ。

 男は頭を下げたまま述べる。

 

「ダンゾウ様がお呼びです。至急、馳せ参じるように、と」

「要件は伺っていないのか?」

「はい。ただ、参られるように、とだけ、伝えられています」

「それを伝えるためだけに、わざわざ来たのか?」

「………………」

 

 男は困った様子もなく、黙る。

 フウコは小さく息を吐いた。

 

「本当のことを伝えろ。ダンゾウ様からも、そう言われているのではないのか?」

 

 男がしばらく黙ってから、やはり、平坦な声で応えた。

 

「九尾の様子も見るように、とダンゾウ様から指示を受けています。副忍様に問われた時は、このように応えるように、とも」

「いつから見ていた」

「副忍様が、アパートを出た所からです」

 

 そうだろうな、とフウコは小さく安堵する。ナルトとの修行中、一度も気配を感じなかったからだ。けれど、逆に、アパートを出た時には感じ取れなかったのは、少し問題だ。考え事をしていたせいだ。いついかなる時でも、気を張っていないと、と自分を戒める。

 

「分かった。他にはあるか?」

「いえ」

 

 男はこれで役目が終わりだと判断したのか、足に力を入れようとした。

 

「……待て」

 

 フウコが、呼び止める。

 

「何でしょうか?」

「……お前から見て、あの子はどういう風に見えた?」

 

 【根】は、戦争孤児で構成されている。幼い頃から身寄りを無くし、その頃から、忍に特化した教育を受け、【根】に組み込まれる。

 彼ら彼女らには、故に、感情の起伏は殆どなく、効率的に物事を判断したり、あるいは行動したりする。

 

 逆を言えば、至極客観的に、物事を見る。

 

 人間味が欠けているが、偏見の入らない評価を貰うことができる。

 

 彼から見た、うずまきナルトは、里の人たちが向けるような子なのだろうか……。

 

 男は少しだけ黙ってから、

 

「見た目は、普通の子供だと、私は判断します」

 

 と言った。

 あまりにも、皮肉のように思えた。

 感情の起伏が小さい者の方が、正しく冷静な判断をすることに。

 

「では、私はどう見えた?」

「副忍様は、副忍様です」

「……そうか。分かった。お前はもう下がれ。呼び止めて、すまなかった」

 

 いえ、と彼は簡素に応えて、姿を消した。

 

 再び、氷のような、静けさ。

 

 フウコはダンゾウの元へと歩みを進めた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 木の幹の中のように、円形の壁に覆われたそこを、フウコは歩く。壁に埋め込まれた小さな灯りは、壁と壁を繋ぐ橋のような廊下の足元を薄らと照らすが、上も、そして橋の下も、奈落のように闇が続いている。

 

 橋を歩き、そして、壁のドアを開けた。

 

「お呼びでしょうか? ダンゾウ様」

 

 執務室。壁の両脇には重厚な本棚が隙間なく覆っている。奥には、デスクが。デスクに乗ったランプの揺蕩う光だけが、部屋を灯している。ダンゾウは右肘をついて、軽く顎を乗せる姿勢のまま、何やら書類を処理していた。

 

 彼は小さく顎を挙げて、左目でこちらを見据える。フウコが後ろ手でドアを閉めると、彼は口を開いた。

 

「今は俺とお前だけだ」

「ですが……」

「気にするな。お前にそう呼ばれると、座りが悪い」

「……特に報告するようなことは無かったはずですが、何かあったんですか? ダンゾウさん」

 

 うむ、と彼は、穏やかに喉を鳴らした。ランプの火が、小さく揺れて、彼の影を動かす。

 

「ここ最近、あやつの世話に、労力を割き過ぎではないか?」

 

 あやつ。

 ナルトのことだ。

 

「無理をしている訳ではありません。うちはにも、気取られていないと思います」

「俺が心配をしているのは、お前のことだ。―――異変は無いな?」

 

 フウコは小さく頷き、自分の胸に手を添える。

 

 瞼を閉じて、意識を少し、内面へ。

 

 静かに、そして、瞼を開いた。

 

「問題ありません。大して、チャクラも消費していないので」

「そうか」

「あの、それを確認する為だけに、私を?」

「今後のお前の動きに関して伝えることがある。まずはこれを見よ」

 

 ダンゾウがデスクに一枚の書類を広げた。デスクに近づき、それを手に取る。

 

【音無し風 うちはフウコ 所属:木の葉隠れの里 暗部】

 

 書類の導入部に、そう書かれていた。それに続く、自分の情報が記された文に視線を泳がせながら、尋ねる。

 

「……ビンゴブックが更新されたんですか?」

「そのようだな」

「随分と、明細ですね」

 

 呑気に呟く。書類に載せられた情報は、確かに、厳密であるけれど、それほど危機を抱きはしなかった。

 

 ビンゴブックとは、有り体に言えば、賞金の掛かった忍を載せた情報本である。賞金が掛けられる忍は、犯罪者であろうと健常な忍であろうと、危険と評価された者なら全てに当てはまる。しかし、はたして誰が何を以て危険だと評価するのか、定かではないが、きっと色んな力を持った人がするのだろうと、フウコは思っている。

 

 実は、フウコの情報は以前からビンゴブックに載っていた。時期は、暗部に入隊したての頃。思えば、その時も、今のように呼び出されたような気がする。当時載せられた情報は、ただ、最年少で暗部に入隊した、うちは一族の神童、などと言った、どちらかというと未来的な危険値を評価した情報しか載せられておらず、尚且つ賞金も十万両と低かった。

 

 しかし、書類に記載されている情報は、格段に明確で現在進行的な危険度を示していた。

 

無音殺人術(サイレントキリング)を用いる】

【忍術、体術、幻術、それらの練度は高く、幻術においては類稀なる技術を獲得している】

【これまで、暗部における任務の達成率は100%を維持している】

 

 などなど。よくもまあ、調べたものだと、むしろ感心してしまう。また技能だけではなく、容姿に関しても情報は記載されている(しかし、写真や絵などは描かれていない)。のみならず、いったい誰が付けたのか、自分の通り名も幾つか記されている。導入部に書かれた【音無し風】以外に、【三百人殺し】【死童の餓鬼】など。しかし、どれもセンスが無いとフウコは評価する。

 

 賞金は、破格の一千五百万両だった。

 

 ―――これぐらいあったら、みんなの生活が楽になって、いっぱい遊べるかも。

 

 そんな、呑気なことを考える。全部を読み終えて、フウコは書類を筒状に丸め、ランプの中に入れる。書類は瞬く間に焦げ臭い煙を出しながら燃焼した。

 

「万が一を考えて、今後、お前には任務を回さないようにする」

 

 万が一、というのは、新たに更新された賞金を獲得しようとする者たちと遭遇することを言っているのだろう。高い賞金を狙ってくる者は得てして、相応の実力を備えているものだ。

 

 ダンゾウの提案は、フウコにとっても嬉しいことだった。

 命の危険についてではない。

 自分の両手を、不必要に汚さなくて済むからだ。

 

「本当なら、お前には、しばらくの休暇を与えるべきだが、状況が状況だ。任務に参加はさせないが、表面上は暗部として動いてもらう」

「任務に参加しなくても良いというだけで、気は楽になります。大丈夫です」

 

 アカデミーの時に、うちはの反乱が示唆されてから、数年。

 フウコはただひたすら、うちは一族にとって重要な人物になろうと必死だった。

 卒業してから、半年で中忍になった―――それは、あまり難しくなかった。

 中忍になってさらに半年で、暗部になった―――それも、難しくはなかった。

 暗部に入隊してからは、人殺しの任務ばかりを請け負った。

 

 小国の反乱分子の暗殺。

 同盟里の抜け忍の暗殺。

 時には、同盟里から依頼される、背景のよく分からない、暗殺。

 

 もう、どれほどの数の人たちを殺してきたのか、どんな人たちだったのかすら、全てを鮮明に思い出すことができないほど、殺していった。

 

 副忍という地位に着いてからも、任務の性質は変わることなく、けれど、それらの血が染み込むほどの努力の末に、今、フウコは、うちは一族にとって無くてはならない存在になっていた。

 

 フウコさえいれば、いつでも反乱―――うちははクーデターと呼んでいるが―――を成功させることは容易だ。

 なら、今すぐにでもクーデターを起こす事もない。

 

 そう言った、精神的な優位を、うちは一族は獲得したのだ。

 それ故の、任務の停止。

 もし今、フウコという中核が無くなれば、うちは一族は破滅的な短絡さを以て、クーデターを起こすだろう。

 

 もちろん、彼女だけが、この数年間でのうちはの突発的なクーデターを防いできた訳ではない。

 

 火影であるヒルゼンが対話という場で粘り強くうちはと交渉してきたことは、大きな要因だ―――しかし、逆に、彼が対話で解決しようとすればするほど、うちはのフラストレーションが溜まりに溜まって、もはや引くに引けない状況になってしまったのも、事実ではあるのだが―――。

 

 そして、イタチが、同じく異例の若さで上忍へと昇格し、うちはの地位を高めたこと。シスイが暗部へ入隊し、うちはに精神的余裕をさらに増幅させたこと。これらもまた、この数年の間、里が平和を保てた理由だ。

 

 本当に心から、彼らの尽力に感謝している。

 

 平和の間に、色んな事があった。

 イロミが、無事にアカデミーを卒業し、下忍になった。

 彼女と一緒に修行をしながら、楽しい日々を過ごし、そして、彼女は見事、中忍になった。

 サスケとナルトは、アカデミーに無事、入学した。

 あまり重要ではないけれど、シスイと恋人関係になった。

 

 それらの記憶は、血生臭い記憶よりも、遥かに鮮明に思い出すことができる。いや、鮮明では、無いかもしれない。何故なら―――記憶は、ガラスの破片が舞うように、光輝いていたからだ。

 綺麗で、輝かしい記憶。

 誇らしさすら、抱いてしまう。その誇らしさが、今の、自分の原動力だ。

 

「なら、シスイも、同じようにお願いします。特に、彼は、私たちの計画の核ですから」

「お前たち三人で、不必要な者などいない」

 

 そう、ダンゾウは強い視線で断言した。

 

「俺は、お前たち三人だからこそ、確実に成功すると判断した。もちろん、お前の判断も加味してだ」

「……ありがとうございます」

「シスイには、お前から伝えろ」

「はい。他に、報告はありますか?」

「下がっていいぞ」

 

 部屋を出て、そのまま真っ直ぐ、帰路を辿った。

 

 うちはの町は、寝静まっている。今日は会合がなかったからだ。人の気配が、家の外には無い。

 会合一つないだけで、町の中を歩く足は軽かった。

 きっと、全てが、正しく終わったら、もっと足取りは軽くなるだろう。

 

 イタチと一緒にアカデミー行くみたいに。

 シスイやイロミと遊びに行くみたいに。

 フウコにとって、あの楽しい充実した時間が、基準だった。

 太陽があれば昼であるように、月があれば夜であるように、けれど雲があると、居心地は良くない。晴れていないと、昼は遊べないし、夜は冒険にいけない。

 

 でも、もうすぐだ。

 

 長かった、灰色の雲は、もうすぐで、取り払える。

 

 また皆で、今度は、何も考えないで済む、気楽な時間を過ごせる。

 

 想像すると、つい、小さく、笑みが零れた。

 家の前。

 もちろん、玄関から入るわけにはいかない。フガクにもミコトにも、自分がナルトの修行を、実は夜な夜なやっているということを知らせていないからだ。玄関の戸口は、ガラガラと音が出てしまう。

 

 細心の注意を払いながら、フウコは窓から、静かに家に入った。

 

 もはや十八番と言っても過言ではない、無音歩行術を駆使して、音を立てることなく自室に辿り着いた。ドアを閉じると、落ち着いた暗闇が身体を包み込む。服を脱ぎ、寝巻に―――着替えようとも思ったが、面倒だったので、いつも通り、下着のまま眠ることにする。

 

 脱いだ服を畳んで、布団の横に置いた。すると、視界の上に、ちらりと見えるものがあった。焦点にはっきりと捉えると、心が澄む。

 

 それは、写真立てだった。

 

 自分と、イタチと、シスイと、イロミが写った、写真。

 横向きの木枠に囲われた、たった一枚の小さな写真だが、それは、自分の基準となる時間が、確かに存在したという純然たる証拠だ。

 

 写真を見ると、記憶が刺激される。

 

 喚起された記憶の温かみは意識を包み込み、つまり脳を包み込み、脳を巡った血液は身体を循環する。体温が上がって、筋肉が弛緩する。

 

 フウコは微かに、本当に、微かに……笑った。




 木の葉隠れの里は、深い森の中にある。森は広大で、近寄らなければ、枝葉が里の姿を目視はさせない。故に、防衛の際には、地の利を生かし、ゲリラ戦を展開できる。

 日が落ち、静かな夜中でも、木の葉隠れの里の周りを巡回する中忍や上忍は、それらに特化した者たちだ。彼らは少数でありながらも、十分な範囲をカバーしている。空を飛ぶ鳥、地面を走る獣、それらを何一つとして見逃すことなく、警戒線を維持していた。もはや、彼らが警戒している内は、夜中の襲撃は不可能に近いだろう。

「コノママイケバ、失敗スルナ」

 その低い声は、木の葉隠れの里を囲う高い塀の、すぐ外を発信源として、森の中に吸い込まれていった。

月明かりさえも満足に届かせない枝葉の影は深く、男はその中から、塀を見上げている。……いや、厳密には、男とは、呼べないだろう。そもそも、人間であるかも、分からない。声の主には、身体が右半分しかなかった。また、白い目の部分を除いて全てが黒く、人間の姿からは、程遠いものだ。

「え? 何が?」

 もう一つ、今度は無邪気な滑舌をした声が、再び森に吸い込まれる。男の声。しかし、それもまた、男と呼べるのか、人間と呼べるのか、分からない姿をしていた。黒いそれとは対称的に、左半分しかない身体、そして全てが真っ白。
 黒いそれと白いそれは、それぞれくっつき、ようやく一人の男性の姿を模っている。しかし、それでもやはり、人間とは判断できない。

 男性の身体は、木のように地面から生えていた。外に出ているのは、上半身だけ。その周りには、枝みたいな白い触手が、これもまた、地面から生えている。

 辺りに木の葉の忍が巡回しているという状況を楽しんでいるような白い存在―――白ゼツの声質に、黒い存在―――黒ゼツは、若干呆れながら返した。

「うちは一族ノクーデターノコトダ」
「ああ、あれね。でも、分からないよ? うちは一族全てを相手にするんだよ?」
「直接ノ武力衝突ハシナイ。ソウナッタ時点デ終ワリダトイウコトハ、アノ女モ分カッテイルハズダ」
「じゃあ、どうするの?」
「オソラク、幻術ヲ使ウツモリダ。フウコハ幻術ヲ得意トシテイル」
「幻術で? それじゃあ、意味ないじゃん。術はずっと続けられないんだからさ」
「何カ、手ガアル。フウコダケデハナク、うちはイタチ、うちはシスイモイル。アノ三人ガ手ヲ組メバ、殆ドノコトハ容易イ」

 一つの身体を共有しながらも、平然と、二人は会話をする。余程長いこと、そういう生態だったのだろう。黒ゼツが身体を横に向けると、必然、白ゼツもその方向を向くのだが、操作に違和感が見受けられないのが、その長い年月を示している。

「ドウスル?」

 横に立つ男を、黒ゼツも白ゼツも、見上げた。
 黒いマントに身を包み、顔には木の年輪のような面が。面には、右眼の部分だけが、くり抜かれて見えるようになっている。

 男もやはり、塀を高く見上げていた。

 どこか、憎そうに。
 どこか、恨めしそうに。
 どこか……懐かしそうに。

「いっそのこと、フウコを誘拐したらどう?」

 白ゼツが、何の考えもなしに言ってみる。もはや、喋ること自体が楽しいようだ。

 仮面の男は「いや」と、低く返事をする。

「俺は里の中には入れない。たとえ、どこから入ったとしても、あの女は俺を感知する。……リスクは、最大限まで回避しなければな」

 忌々しげに呟く仮面の男は、思い出す。

 九尾を利用して、木の葉隠れの里を潰そうとしたあの夜のこと。

『よくも、里の平和を……ッ!』
『扉間様が作った平和をッ!』
『お前は、逃がさないっ! うちはマダラぁッ!』

 幼い姿からは想像できないほどの怒気と殺意に塗れた声。
 自分を睨む、左右非対称の万華鏡写輪眼。
 そして、自分に植え付けた―――マーキング。

 そのマーキングのせいで、里に入ることはできない。フウコの速度は、仮面の男のそれよりも遥かに凌駕している。殺そうとしても、リスクは高いのだ。

 おまけに、うちはのクーデターは、言ってしまえば偶発的なものに過ぎない。九尾の事件で木の葉隠れの里を潰そうと目論んだ結果、良い方向に転がってくれただけ。予期せぬ副産物でしかなく、ましてや、自分が直接手を下せないこの状況は、正直なところ、冷めた目線で眺めているというのが事実だった。。

 かといって、このまま何もしないのも、勿体無い。折角の好機だ。どうにか、この舞台を自分のものにして、今度こそ、木の葉隠れの里を潰すことはできないかと、仮面の男は考える。しかし、最大の障害が、目の前にいる。

 フウコ。
 そして彼女とは血縁のない兄である、イタチ。
 瞬身という通り名が付くほどの才を持つ、シスイ。

 この三人は、確実に、クーデターを阻止するだろう。
 最良の形で、事は成し遂げられる。
 いくら、予期していなかった副産物な火種も、こちらに何もメリットをもたらさないまま消されるのは、面白くない。それに、この先のことを考えれば、うちは一族が完全に木の葉隠れの里の側に付いてしまうのは厄介だ。

 さて、どうしたものか。

「長門を使ったら?」

 白ゼツの思い付きそのままの言葉に、小さくため息。

「あいつを表に出すのはまだ早い。尾獣が殆ど揃っていない状態で、他里から警戒されるたくはないからな」

 では、他に何か手があるのかと言えば、まるでない。
 手詰まり。
 フウコのマーキングが自分に植え付けられている限り、自分一人では、里に直接手を下すことができない。他の者を使うにしても、平時の木の葉隠れの里に侵入するのは、ほぼ不可能に近いと言ってもいいだろう。

 自分のように、余程、特殊な力を持っているものでなければ。知る限り、そんな手駒は、長門しか思い当たらないが、先の理由で動かす訳にはいかない。

 かといって、無理矢理に襲撃するというのは、あまりにも無策だ。
 フウコ、イタチ、シスイの三人を相手にするには、成功するとは考え難い上に、その後にやってくる他里の警戒が鼻に付く。

 やはり、問題なのは、フウコ―――いや、あの三人の存在だ。
 あの中のたった一人でも消えれば、付け入る隙は生まれる。
 あまりにも大きく、好都合な隙間……風穴。

 しかし木の葉隠れの里に直接手を下すことはできない。

 ならば、どうする。

 黒ゼツと白ゼツが、じっと仮面の男を見上げている。

 夜風が仮面の男のマントを撫でた。
 急かすように、あるいは加勢するように、辺りを小さく渦巻き、木々の木の葉を散らす。

「滝隠れの里だ」

 仮面の男は、小さく呟く。

「そこを狙う」
「狙って、どうするの?」
「木の葉と滝隠れは同盟関係にある。あそこを狙えば、必ず、木の葉は動くだろう」

 フウコは自分の存在を知っている。
 なら、七尾の人柱力がいる滝隠れの里を襲撃すれば、フウコは今度こそはと、自分を殺しに、木の葉隠れの里を離れ、滝隠れの里に姿を現す。
 あの夜、自分に向けた殺意と怒気。
 それらを、仮面の男は、皮肉りながらも信頼した。

 もし万が一姿を現さないなら、その時は、この件からは運に任せて手を引くしかない。そのまま七尾は懐に入る。うちは一族のクーデターが治められた後では、七尾の回収は手を焼くことになるはずだ。

 なら、今はある意味で、絶好の機会とも言える。

 フウコじゃなく、イタチでも、シスイでも、釣れればそれでいい。誰か一人でも釣れれば、消せばいい。むしろ、フウコ以外の二人だったら、彼女よりも消すのは幾分か正しい。

 そして、三人同時に釣れることはあり得ない。

 足元に爆弾を抱えた状態では、三人が一気に里から離れるのはリスキーだと、考えるだろう。

 木の葉隠れの里の忍は、得てして、そんな下らない考えを抱くものだ。
 自分たちの足元には、多くの屍と血があるにも関わらず、それを真の平和だと信じ切って、後生大事に抱え込んでいるのだ。
 仮初の平和だというのに。

「誰ヲ使ウツモリダ?」

 そうだな、と仮面の男は逡巡する。

「大蛇丸と角都を使おう。あの二人は、ここらの地形に詳しい」

 それに、未だ木の葉隠れの里が血眼になって探している大蛇丸が姿を現せば、多少は混乱を引き起こせるだろう。

 釣り針は、大きければ大きいほど、効果は期待できるものだ。

「お前たちにも動いてもらう」
「分カッタ」
「分かったよ」

 風が止み、中空に舞った木の葉は、重力に従って、不規則な軌道を描きながら、音もなく、地面に落ちていく。

 地面から生えていた黒ゼツと白ゼツの姿は、もう消えていた。

 仮面の男の姿も、不穏な空気だけを残して、やはり、消えていた。

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