いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい申し訳ありません。

 次話は今月中を目処に投稿をしたいと思います。


原始の繋がり 《影》

 部下の暗部から、サスケたちの帰還が伝えられた。

 

 誰一人欠ける事無く、そして、増える事も無く、と。

 

 イタチは落胆とも安堵とも付かない、了解と共に、部下を下がらせた。伝えられた場所は、火影の執務室である。

 

 予定通り、と言えば、予定通りである。

 

 理想は、サスケがナルトを説得して引き止めるという事を望んでいたのだが。

 

「今回協力を頂いて、感謝します」

「気にするでない~」

 

 デスクの上に視線を向けると、薄っすらとした輪郭が、ノンボリとした声とともに現れる。

 透明だった輪郭は瞬く間に色を帯び、質量を伴うようにはっきりとした影も生まれた。

 人の肩に乗るほどの小さな狸が、そこにはいた。

 

「あくまで~、あの愚か者への別れの為じゃ~」

「それでも、イロミちゃんが里を抜け出す為に御助力頂いたのは……。一番、困難な事だと考えていたので」

 

 もしも、ナルトが大蛇丸の元へと赴いた際の保険(、、)として、イロミを抜け忍にする。それは、イロミがフウコを追いかける為に里の外へと行く過程で見出したものだった。

 

 しかし、イロミが抜け忍となるならば、火影である自分は部下たちに全力を以て追わせなければいけない。助けを行うことは出来ない。呪印発動時の彼女の速度ならば、捕まる事はないと確信してはいるものの、失敗は許されない。囚われてしまえば、今度こそ彼女の命を断たなくてはいけなくなる。

 

 その折に、突如としてダルマたち化け狸が里の外へ集い、木ノ葉隠れの里周辺一帯を幻術で覆ったのだ。その中を、彼女は単独で駆けていった。

 

「イロミちゃんとは、無事に別れを?」

 

 ダルマは呑気に溜息を零した。

 

「破門にしたの~。元々~、あやつには仙術の才能が無かった~。そして~、少し目を離しただけで~、呪印などという力に興味を持った~。あやつは~、一つの事に留まっては強くなれないのじゃろう~。破門に決まっておる~」

「彼女は何と?」

「世話になったと言っておったの~。まあ~、あれほど手間取る弟子もおらなんだからの~。世話しかしとらんと返してやった~」

 

 そうですか、と応えると、ダルマは緩やかにデスクから降りた。

 

「そうれじゃあのう~、あの愚か者の友よ~。息災での~」

「もう、行かれるのですか?」

「やることが無いからの~。次に~、あの愚か者に会うときは言うといてくれ~。狐蕎麦を奢れとの~」

 

 軽いジョークを最後に、ダルマは部屋を出て行った。

 

 執務室の広い窓から、写輪眼を発現させて眺めた。蜃気楼のように分厚く揺らめいていたチャクラは、木枯らしのようにあっさりと消え去った。化け狸たちの幻術の影響は、里の内側の人々には大きく与えていないだろう。イタチ自身も、イロミを心配して顔岩の上から写輪眼で眺めていた時にようやく気付けたレベルだ。

 

 いや、しかし。

 

 既に里の内側……ごく、一部ではあるが、問題が起きている。

 

 イロミが抜け忍となったこと、それ自体。

 

 火影である自分と彼女が友人同士であるという事は、周知の事実だ。彼女が里の外へと旅立ったという事は、あらぬ誤解──実際に、意図はあるのだが──が、生まれてしまう。

 それはつまり、獲得した火影という地位が崩されてしまう可能性があるのだ。

 早めにケリを付けなければいけない。言うなれば、根回しだ。

 

 そう……根回し。

 

「笑えない冗談だ」

 

 自嘲気味に一人小さく笑って見せて、立ち上がる。

 

 もはや、全ての記憶(、、)は元に戻った。

 

 真実を知る事が出来た。

 

 もう一人の自分が、突如として意識に入ってきたような感覚である。その感覚に伴って、様々な感情が胸中に渦巻いていた。怒りや憎しみが半分、悲しみが半分。イロミが里を抜け出した直後──つまり、記憶を取り戻した時である──には、記憶の奔流と共に涙を零した程に、心は荒ぶった。

 

 兎にも角にも。

 

 ダンゾウの元へ。

 

 その時だ。

 

 執務室のドアの向こうから、荒々しい声が届いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいっすよ! アポもなしにいきなり火影様に会うなんて──」

「うるせえッ! 何が火影だッ! イタチのアホがあたしより偉いってのかよッ! ああん?! おいこらイタチィッ!」

 

 そして、ドアが荒々しく蹴り開けられた。

 

 向こう側には、目を血走らせたブンシと、その後ろには、ブンシの服の襟を掴んで必死に制止させようとしているフウの姿があった。

 

 ブンシの怒りの表情。

 

 これまでで一番、怒りに溢れた表情だったのは、すぐに理解できた。そして、何に怒っているのかも。

 イタチは、大股に近づいてくるブンシの顔を見つめながら、されるがままに胸倉を掴まれた。

 

「テメエ……何してんだよ」

 

 と、ブンシは低く言う。

 

「いや、ちょっと、待ってくださいよッ! アンタ、何なんすか?! 火影様にいきなり喧嘩腰過ぎっすよッ!」

「フウ。いい。彼女は、そういう人だ」

 

 今にも押し倒し殴りかかってきそうな剣幕を前にしても、イタチは平静のままに、襟を掴んでいるフウに部屋を出てほしいと伝えた。問題ない、とも伝えると、フウは不安そうに渋々と部屋を出て行った。

 

「先生、お久しぶりです」

「挨拶なんざいらねえんだよ。あ? イロミのアホの件だよ聞きてえのは。何勝手に……外に出してんだよ。抜け忍にしてんだよ。……お前は……今度こそ(、、、、)、死ねって言ったのかッ!?」

「違います」

「違うなら、じゃあどうしてアイツは外に出たッ! フウコの奴を追いかけて行ったんだろ?!」

「それも、違います」

 

 イタチは敢えて、冷たく言い放った。

 そして一度……それは、呼吸としては現れていなかったが、イタチは意を決して言った。

 

「確かに、彼女を牢から出してしまったのは警備に問題がありました。大蛇丸の部下(、、)と分かっておきながら、不十分でした。抜け忍として、手配を出すように今後は動きます」

 

 イタチは。

 

 火影を演じた。抜け忍と火影が繋がっているという情報は決して、誰に対しても与えてはいけない。それが、イロミを気にかけるブンシであっても。

 

「すみません先生。これから、所要があるので」

 

 失礼します、と。

 襟を掴んでくるブンシの手を、半ば強引に振り払おうとした。本心を言ってしまえば、これ以上彼女の顔を見たくなかったからだ。

 

 火影を演じた時の、ブンシの表情。

 

 今まで一度も見せたことはなかった、失意の表情だった。

 

 アカデミーという長いようで短い期間。その殆どが、元気が有り余るような怒りの表情だった彼女が、初めて見せたそれは。

 

 無表情を構えたままのイタチの内心を強く抉っていた。

 

 しかし、だ。

 

 振り払おうとした手が、勝手に離れた。

 

 そして、

 

 

 

「だからクソガキだって言うんだッ! お前らはッ!」

 

 

 

 執務室、力強くも乾いた音が一度、響いた。

 

 顔を、引っ叩かれた。それを実感したのは、片方の頬がヒリヒリと痛みだしてからだった。

 

 ──え?

 

 と。

 

 イタチは、心の底から、状況が理解できなかった。

 叩かれた。

 ビンタだ。

 

 あの、ブンシが、だ。

 

 どうして?

 

 呆けてしまっているイタチに、ブンシは言う。

 

「テメエらは、そうやっていつもいつもッ! 自分たちが納得してりゃあ良いみてえな顔しやがってッ! お前らが納得したから何だ! 他の連中が納得すると思ってんのか?! いい加減にしろッ! 周りの人間が……どんだけ…………」

 

 荒々しかった言葉は、最後の方には、震え振り絞る声になっていた。

 

 それだけで、もう、分かってしまった。

 

 確信や確証があるわけではないものの……ブンシは。

 彼女は、イロミを助けようと動いていたのだ。

 

 犯罪者となった彼女を、元拷問・尋問部隊という経歴を使って、どうにかしようとしていたのだ。刑を軽くしようとしていたのかもしれない。人脈を使って彼女に会おうとしていたのかもしれない。あるいは、形だけでも拷問・尋問部隊に配属させて僅かな自由を与えようとしていたのかもしれない。

 

 結論から言えば、彼女の行動は、たとえイロミが里を抜け出さなくても実現はしなかっただろう。それほどまでに、イロミの行動は──言うなれば、大蛇丸と共謀して木ノ葉隠れの里に牙を向いたという事実は──あまりにも、衝撃的だったのだ。

 

 イタチがブンシに同調したところで、他の者たちは賛同は決してしない。

 

 その結末はきっと、いや間違いなく、ブンシは理解していたはずだ。彼女はバカではない。

 

 けれど、抗っていたのだろう。

 

 どうしても、彼女にとっては否定してやりたい現実だったに違いない。

 

 その現実を……イタチとイロミ自身が、別の形で実現させてしまった。

 

「ふざけんなよ…………ふざけんなよぉッ!」

 

 ブンシが怒りを顕にしているのは、自分の努力が否定された事にでは、きっとない。イタチは、目が血走り、涙袋を湿らせている彼女を見て、読み取った。

 

 ──また、俺達は……。

 

「おい、答えろ。あのバカはどこにいった!? 応えろッ!」

 

 ──すみません、先生。

 

 記憶を取り戻して。

 

 イロミを、うちは一族と関わらせないようにと、独断に動いていた自分達を後悔したばかりなのに。

 

 他者の繋がりというのは、深く不可視な事か。

 

 そして自分は……その繋がりの集合体である里の、長を務める火影だ。里の全ての者の望みを叶える事は出来ない。

 

 胸が、重圧で苦しくなった。

 

 覚悟を持って火影の道を選んだ。フウコの為だけじゃなく、心の底から、火影としての任も全うしようと。けれど、まだ、繋がりに対しての視野が、狭窄だったのかもしれない。

 

「……本当に、すみません」

 

 と、小さく呟いたイタチの言葉に「あん?」と、ブンシは声を出した。

 

「今、何つったんだよ? よく聞こえなかったぞ?」

「貴方にこれ以上、申し上げる事が無いと、言ったんです」

「……テメエ……………」

「すみません。これから、用事があるので」

 

 今度こそ、ブンシの横を擦り抜けて執務室を開けた。

 後ろ手にドアを閉めようとした際に、

 

「……今度こそ、あたしを頼れよ…………」

 

 そんな声が聞こえてきた。

 ドアのすぐ横で、壁に寄り掛かっていたフウを連れて廊下を進む。目指す場所は、ダンゾウの元だ。

 

「大丈夫っすか? 頬、その、赤いっすよ?」

「引っ叩かれたからな。歴代の火影で、殴り殴られた人はいても、頬を叩かれた人はいないだろう」

「自慢にならないっすよ。あの人、火影様の先生だったんすか?」

「アカデミーの頃のな。よく叱られていた。いつもあんな感じだったな」

「え? 火影様、不良だったんすか? 意外っす」

「いや、俺の周りがな。殆ど俺は、巻き添えを食らっていたようなものだった」

 

 何もかも自由に出来た……無根拠に自由だと思っていた、あの頃とは違う。

 

 そう、何もかも、だ。

 

 妹は犯罪者としてどこかで空を見上げ。

 親友はこちらに別れを伝えてきて。

 友達は妹の後を追って犯罪者になった。

 

 アカデミーの頃には、まるで想像していなかった現実。それでも、進み選ぶのは、その頃が、在ったからだ。

 全てが元通りになるとは思わない。

 

 けれど、あの頃の、あの時の片鱗をまた、取り戻したい。

 

 皆がそうだ。

 

 誰もがそうだ。

 

 生まれてきて手に入れてしまった、自分の原風景を取り戻したくて、再現したくて、進んでいる。

 

 それを過去に留まっている、つまらない風景に固執する老人だと、揶揄するものもいるだろう。退屈だと、退化だと、蔑む者もいるだろう。

 

 それでも、熱烈に求めて止まない。

 

 輝かしい日々を取り戻したい。

 

 心が疲弊して血を吹き出しても。

 

 肉体が病に侵され細胞が破裂しても。

 

 多くの人々に負担を課してしまっても。

 

 いつか見た理想郷を、欠片でも、手にしたい。

 

 記憶を取り戻したイタチは、そう、強く胸に秘めた。

 

「フウ」

 

 と、イタチは隣のやや後ろを歩く彼女に問うた。

 

「俺に力を貸してくれるか?」

 

 彼女は笑った。

 

「当然っすよ。きっとイロミちゃんがいたら、私の肩を掴んで、貸してあげてとか言うに決まってるっすからね」

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 イロミは、気が付けば真っ白な世界に立っていた。

 

 つい先程まで、怒りに身を任せていたのに。

 

 自分の身体を溶かし、ダンゾウを侵食して、シスイの写輪眼を動かそうとしていたのに。

 

 幻術だろうか?

 

 ふと、自分の衣服を見直した。

 

 服が変わっている。黒いコートではなく、かつて着ていたものだ。

 

 壁があるのか無いのか。そんな事さえも判別できない程、純白均一の世界。何かがこちらを害して来るわけでも無い。むしろ、どこか、そう、不思議な懐かしさがあった。

 

「ここは……?」

「よ。久しぶりだな」

「え?」

 

 その気軽い声は、真後ろからだった。

 

 アカデミーに登校する途中で、まるで後ろから声を掛けてくるような、いや、事実、そういう日はあった。後ろから頭をポンポンと軽く叩きながらの挨拶。相変わらず身長が小さいなあ、などと冗談にも言いたげな様子で、彼は挨拶をしてきたのだ。

 

 声の懐かしさに喉が震え、驚きに下顎がわななく。

 

 振り返ると。シスイが、立っていた。

 

 少しだけ距離を空けて、片手を挙げて、いつもの爽やかな笑顔で。

 

「シ……スイ……………くん……? え? どういう、こと?」

「言っておくけど幻術じゃねえぞ。俺は、確かに死んだ、本物だ」

 

 ジョークにしては、あまりにも重すぎる、とイロミは意外にも冷静に、心の中で呟いた。昔から、彼はそうだ。悪いジョークを口にする。今でも尚、夜の古びた神社へ探検しに行った時のジョークは根に持っている。

 

「ん? どうした。もしかして、まだ幻術だって疑ってるのか? ああ、ならそうだ。昔話でもしようぜ。アカデミーの頃の──」

 

 幻術であるかどうか、そんなものは関係なく。

 イロミはシスイの顔面に拳を叩き込んだ。

 

「がッ?!」

 

 フック気味に振り抜いた拳は、確かな感触を伝えてきた。気が付けば、身体中に呪印の文様が広がっていた。予想以上に力を出してしまったのか、シスイは白い地面を勢いよく転がっていった。

 

 感触程度で、殴る程度で、幻術かどうかを判断できるなんて考えてはいないけれど。

 

 友達に触れた……その事実が、イロミには衝撃的だった。

 

「本当に……シスイくんなの?」

「……殴ってから、確認してほしくはなかった」

「そう……なんだ……」

 

 頭に、血が上っていく。

 

「お前、力強くなったな」

 

 と、シスイは呟いた。

 

「……そうしないと、フウコちゃんのこと………追いかけられないと思ったから。色んなもの犠牲にして、強くなったんだ………」

「努力したんだな」

 

 喉が震える。

 

 努力を放棄してしまったからこうなったのだと、事実を言えなかった。

 

 アカデミーの頃に、彼には打ち明けた、努力の邪魔をしないでほしい、という言葉を嘘にしてしまった事への後悔と……そして──身勝手な怒りが。

 

「イタチくんと、喧嘩したんだ……」

 

 逃げるように、言った。

 

 上体を起こそうとしているシスイの目の前に立つ。

 

 吐く息が熱い。

 両手は拳を作って、力を入れて、入れすぎて……震えていた。

 

「そうか」

 

 と、またシスイは呟いた。

 まるで分かりきっていた事だと言いたげに、安心したような笑顔を彼は浮かべている。

 

「仲直りはしたのか?」

「……した」

「お前らなら、出来ると思った」

「……どうして?」

「ん?」

「…………どうして……」

「何となく。お前らなら」

「そうじゃ……なくてさぁ……」

 

 涙が、ボロボロと、溢れてしまった。

 

「どうして……死んじゃってるのさ……」

「……ごめんな」

「シスイくんがいればさ……私達、今でも……昔みたいにさ…………ずっと………さぁ」

 

 いつか、夢の中で見た景色。

 

 それはかつての景色で。

 

 今も時々、強烈に恋い焦がれる。

 

 無根拠に無思慮に、ただ大切な人達と過ごす喜びが、永遠に続くだろうという期待感に包まれた時間を。

 

「本当に、悪かったって、思ってる」

 

 シスイは、胡座の姿勢のままに頭を下げた。

 

「お前を、仲間外れにした。仲間外れにしておいて、失敗した。イタチの記憶は歪められて、フウコは里を出ていって、全部を滅茶苦茶にした」

 

 分かってる。

 

 彼が、どれほどの後悔や自責の念を腸に抑え込んでいるのかを。

 

 全部が無茶苦茶になったのは、彼のせいではない。イタチやフウコのせいでも、ない。

 

 彼らは里を止めようとしていたのだ。

 

 そんな彼らを、妨害しようとしていた何かがいる。

 

 イタチと何度も話し合って導き出した答えの一つ。

 うちは一族がクーデターを起こそうとしていた。そこまでは、ほぼ間違いなく、分かっている事柄だ。呪印を受けた時に、大蛇丸から貰った情報とも一致する。

 

 だけど、一つだけ釈然としない部分があったのだ。

 

 どうして彼らは、クーデターを止める事が出来なかったのか。

 

 どうしてシスイは死んだのか。

 

 そこの情報が、大蛇丸の呪印からの情報でも、明らかにはならなかった部分だった。

 

 それを確かめる為に、そして怒りを爆発させる為に、ダンゾウの元へ赴いたのだ。

 

「何が……あったの? あの夜。どうしてシスイくんは……」

 

 死んだの?

 その問いに、シスイは顔をゆっくりと挙げた。

 人差し指と中指。

 二つを、彼は自身の顔の前に立てた。

 

「お前がイタチに伝えられるか分からないが、教えておきたい事がある。だが、一つはお前の判断に任せる」

 

 そこでイロミは知っている名前を二つ耳にする。

 うちはマダラという、伝説の忍の名前。

 もう一つは。

 

 もう一人のうちはフウコ、という不可思議な名称だった。

 

 

 

 そして、イロミは。

 

 

 

 

 里を抜け出した。

 

 抜け出す際に、ダルマら狸たちが手を貸してくれた。数百匹の化け狸たちのおかげで、追い忍たちから逃げ切る事が出来た。彼らのおかげで、道中の自来也の目を曇らせ、ヤマトの隙を突いて気を失わせる事が出来た。

 

 親友(、、)と出会い、文句を言ってやった。

 

 ナルトと、音の忍たちを連れて、彼の元へ。

 

おかえりなさい(、、、、、、、)、イロミ。流石は、我が子。よくここまで、ナルトくんを連れてきてくれたわね。それに、君麻呂と多由也も無事に引き連れてくれて。褒めてあげるわ」

 

 君麻呂に先導される形で、アジトへとイロミは足を踏み入れていた。

 

 アジトへと到着すると、薬師カブトが能面のように貼り付けた笑顔で迎えると、そのまま大蛇丸の元へと招かれた。カブトは今、椅子に腰掛ける大蛇丸の横に静かに立っていた。

 

「言ったはずですが…………私は、貴方の子のつもりはありません」

 

 不愉快さを隠さず伝えたものの、大蛇丸はくぐもった笑い声を出すだけだった。

 くぐもった、笑い。きっと、それが限界なのだろう。

 全身を包帯で包み、ゆとりのある黒い浴衣を来た彼は、木ノ葉隠れの里で遭遇したときとは身体つきが異なっていた。特に、髪の毛は、黒の長髪ではなく、明るい色の短髪になっている。

 

 声調は同じなことが、より、違和感を強くした。

 

「ナルトくん。よく来てくれたわね。歓迎するわ」

 

 包帯だらけの隙間から覗かせる蛇のような瞳を、ナルトへと移す大蛇丸。そんな彼を、イロミの後ろに立つナルトは下から睨みつけた。

 

「フウコの姉ちゃんについて教えろ」

 

 その声には、大蛇丸に対する怒りが、一点の曇りも無く隠す気のない雄々しさで溢れていた。気に食わない事を言えば、この場で殺しても構わない。そんな想いが、空気を破裂させんばかりに伝わってくる。

 にもかかわらず、大蛇丸は甘ったるい程の余裕な声を出すのだった。

 

「まあ落ち着きなさいな。当然、約束は守るわ。だけど、説明の途中で居眠りされても困るわ。まずはゆっくり休んで、そうね、身体を綺麗にしなさい」

「今すぐ教えろ。じゃなきゃ、ここに用はねえってばよ」

「そう。でも、今の君じゃあ、彼女の元にたどり着けても、連れ戻す事は到底出来ないわ。たとえ、使いこなせるようになった尾獣の力を用いたとしても。何故なら、彼女がいる組織は、そういう力を掻き集めている集団だからよ。もし、今すぐ。例えば、君が彼女のいる組織に殴り込んだ場合、組織の一人や二人は殺せるでしょう。だけどその後は囚えられ、頃合いが来れば中の化け狐を引き抜かれて……そして死ぬわ、間違いなく」

「…………………」

 

 小さな沈黙が、一つ降りてきた。

 

 しかし、伝わってくる怒りは、更に強くなった(、、、、、)

 

「ナルトくん。君に修行をつけてあげるわ。今の君が扱っているのは、ただの暴力。山を均し、木々を薙ぎ倒し、平地を湖に変える事は出来るでしょう。でも、人を殺すには、あまりにも弱い力よ。特に訓練された人間を殺すには、無力ですらあるわ。まあ、家を建てるには都合が良いかもしれないけれど……その暴力を、私が力に変えてあげるわ。うちはフウコを取り戻したいというのならば、まずは風呂に入りなさいな」

 

 静かで、怪しい蛇の甘言。けれど同時に、事実でもあるのだろうと、イロミには分かった。

 ナルトはそのまま、カブトに先導される形で別室へと招かれた。

 

「多由也と君麻呂も休みなさい。ご苦労さま。貴方達二人だけでも戻ってきてくれたのは嬉しいわ」

「大蛇丸様」

 

 と、君麻呂は呟いた。

 

「その御身体は……」

「まあ、間借りしてるだけの身体よ。あのジジイの術のせいで、こうなるしかなかったのよ。貴方が気にすることではないわ」

「……申し訳、ありません。僕が…………」

「良いのよ。娘を連れてきてくれたのだからね。貴方こそ、身体はどうなのかしら? どこか、問題は?」

「全く」

「なら、休みなさい」

 

 二人は静かに部屋を出て行った。出ていく際に、君麻呂がこちらに一瞥を送ってきた。その意味はイロミには分からなかったが、大蛇丸の娘、ということである程度の特別視を受けるのは慣れなければいけない、という覚悟は出来た。

 

 室内には、二人。

 

「それで?」

 

 口火を切ったのは、イロミだった。

 

「私にも、力をくれるんですか?」

「ええ、あげるわ」

「修行でも? 言っておきますけど、私は物覚えが悪いですよ?」

「重々承知よ。何せ、貴方を作ったのは私なのだからね。貴方に相応しい成長のさせ方を思いついているわ」

 

 来なさい、と言い立ち上がる大蛇丸に着いていく。

 ナルトたちが出て行ったドアとは違う、別のドア。そこから長い廊下を歩き、これまた長い階段を降りていく。地下なのか、湿り気が唇に触れて、前髪が鼻先に貼り付いて不愉快だった。

 

 辿り着いた室内は、さながら、手術室のような場所だった。ような、という表現の原因は、部屋の中央に手術台が置かれていながらも室内があまり衛生的ではない汚れが合った事だ。

 

 汚れからは……血の臭いがした。

 

「ここは?」

「実験場よ。最近ではあまり使っていなかったけど、貴方には丁度いいかもと思ってね。うちはフウコを取り戻したいのでしょ? そのためには、貴方の身体をイジるのが手っ取り早いわ。色々と、研究も捗りそうだしね」

「……具体的には?」

「とりあえずそうね、服を脱いでおきなさい。邪魔になるから」

 

 衣服を全て脱ぎ去ると、手術台に鎖で固定された。自身の肌に、天井に吊るされた白色電球の光が熱を持って照射される。大蛇丸の包帯だらけの顔が、眼前にやってきた。

 

「大きくなったわね、イロミ。ここまで成長してくれるなんて、親冥利に尽きるわ」

 

 気持ち悪い。

 それがイロミの感想だった。自身の裸を観察されても、羞恥心の欠片も湧いてこない。

 大蛇丸は、包帯越しでも好奇心に満ちた笑みを浮かべながら、どこからともなく、小さな小瓶を取り出してきた。小瓶には、樹皮のような破片が一つ入っていた。

 

「これが、何か分かるかしら?」

 

 いえ、とイロミは淡白に応えた。

 

「これはね、私が昔、ちょっと墓荒らしの真似事をして手に入れた、かなり希少な細胞なのよ。今からそれを、貴方に移植するわ」

「それっぽっちの細胞で、私は強くなれるんですか? そんなもの、私の身体は簡単に食べ尽くしますよ」

 

 感覚的にイロミは、自分の肉体の仕組みを理解していた。

 普通の人間とは程遠い、ある意味で凡人とは異なった肉体。だが、そんな肉体があるからこそ、フウコを追いかける自信にも、そして大蛇丸が気にいるだろうという算段にもなったのだ。

 大蛇丸は語った。

 

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないわね。この細胞は、貴方が食べてきた安物じゃないのよ。分かるかしら? 初代火影……千手柱間の細胞なのよ」

 

 千手柱間。その名前を、イロミは知らない訳ではない。

 

 木ノ葉隠れの里を作った偉大な人物の名であり、そして、忍史上唯一の《木遁》を使った者。

 

「この細胞は、本当に残り滓にも近いものだけど、それでも、人間に移植すれば細胞に侵食されて死に至るくらいの力はあるのよ? 全身……樹皮のように固まってね」

「……それを…………私に?」

「勿論。このまま放っていても骨董品にしかならないものね。さあ、貴方の才能と、柱間の才能。どちらが、勝つのでしょうね?」

「………………」

「ああ、死んでも構わないわよ? 貴方の遺体を分解して、薬とかを作ってあげるから」

 

 娘だと言いながらも結局は自分の事しか考えていない、気を違え、開ききった瞳孔がこちらを見下ろしていた。

 

 死ぬかもしれない。

 

 元が頭に付くものの、三忍の一人である彼が言うのだから、その可能性はかなり高いのだろう。

 

 ──いきなり、死ぬかもしれない、かぁ……。

 

 イタチとは、一応の約束をした。

 

 死なない、という普遍的な約束だ。しかし、大蛇丸の元へと赴くという性質上、ある程度の危険も伴う。

 

 だから、見定める。死ぬ危険に対して、明確な対策を立てる。自暴自棄で動かない。

 親が子供に言い付けるような言葉であり、忍としては当たり前の言葉でもある。

 それでも、彼は友達として許してくれた。

 一緒に頑張ろうと。

 頼む、と。

 イロミは深く息を吐いた。

 

「私は、死にませんから。絶対に」

「……クク。ええ、そう信じているわ。私の娘だもの。貴方には、期待しているわ」

 

 嘘つけ、と心の中で舌を出してやった。

 

 きっと。

 

 これから自分の身体は、どんどんと、成長という名の、異形の進化を経ていくのだろう。(よこしま)で、悪徳に、多くの細胞を埋め込まれて行くのだろう。

 

 幼い頃に比べれば、随分な道を歩いてきた。

 

 もしかしたら、道から転げ落ちて、醜い蛇のようにうねり泥水を啜りながら進んでいるのかもしれない。アカデミーの自分が見たら、どうしてそうなったんだ、と涙ながらに訴えてくるかもしれない。

 それでも自分は、子供な自分に胸を張って応える事が出来る。

 

 君たちが羨ましいからだ、と。

 

 君たちみたいにまた、輝いていたいから、頑張ってるんだ、と。

 

 盲目から、凡人と成って。

 

 凡人から、曲がりなりにも仙女となって。

 

 仙女から、蛇になって。

 

 そして蛇から、今度は、どうなるのだろう。

 

 だけど、だけど。

 

 彼女との友達という関係だけは、変わらない。

 

 喧嘩しても、どうしても、変わらないんだ。

 

 細胞が、植え付けられた。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「久しぶりに、夢から覚めた気分。ずっと、寝ていたのかもしれないね」

 

 アジトで目を覚ましたフウコは、ベッドの上でそう呟いた。薄暗い天井が見える。明かりは、床に置かれた小さなランプだけから発せられているが、天井に取り付けられている電灯を付けないのはどうしてだろうか? とフウコはぼんやりと考える。

 

「寝ぼけるにしても、程度っていうものがあるだろう」

 

 声は横からだ。サソリだ、と、フウコは今更ながらのように彼がベッドの横にいる事に視線だけを横に向けた。身体は動かせない。ベッドごと、身体中を幾重もの鎖が巻き付いているからだ。まともに動かせるのは、首から上だけ。

 

 横にいるサソリは、視線は合わせてくれなかった。ややうつむき加減に、椅子に腰掛けている彼に、フウコは尋ねる。

 

「……明かり、点けたら?」

「お前がどっちかによるな」

「私は、私だよ」

「もしお前が演技をしているなら、明かりを点けて視線を合わせた途端に、面倒事がやってくる。まずは診断からだ」

 

 相変わらずだ、とフウコは思った。

 

 何を以て相変わらずだろうか? とも。

 

 いつぶりくらいだろうか。サソリと、こんな晴れやかな気分で会話が出来ているのは。晴れやか、と言っても、額には痛みがあるのだけれど。

 

 ──イロリちゃんの頭突き、痛かったなあ。

 

「胸部、開くぞ」

「いいよ」

 

 サソリは立ち上がると、フウコの胸を圧迫していた一部の鎖を緩め、間隔を空けていった。丁度、握り拳3つほどだろうか。薄暗い天井を見つめていても仕方ないと、フウコは瞼を閉じる。

 直後、胸から痛みが。

 乳房と乳房の間の皮膚が、肉が、鋭い刃物によって切られたのだ。続いて、内部の肋骨を切断。激痛に、けれどフウコは僅かに眉を顰めるだけだった。

 

「麻酔を使うか?」

「慣れてるから」

「心臓を見られるのがか?」

「昔は、ある人に、抉り出された事もあったから」

 

 フウコ自身は、サソリが見ているであろう光景を直視は出来ない。首を目一杯に稼働させても、鎖が邪魔で満足には覗けないだろう。

 

 胸部の内部。薄暗い中でも、その異物(、、)は順調に稼働しているのを、サソリは目撃した。

 

「どう? 私の心臓は。しっかり、動いてる?」

「お前のじゃない。俺が作った傀儡(、、、、、、、)だ」

「今は、私のだと思うけど」

「殺すぞ?」

「ごめん」

 

 そこには、心臓の形を模した、傀儡人形が収められていた。

 

 いや、人形とすら呼べないかもしれない。木製か、鉄製か、あるいは別のものか。巾着のような楕円形の物が、フウコの大動脈らと結合し、一定のペースで振動しているだけの傀儡だった。

 

 ドクリ、ドクリ。

 

 脈拍を、フウコは頭の中でしっかりと感じ取れている。

 しかし、それはサソリの作った傀儡が生み出す、偽りの脈拍。嫌悪感は無いものの、脈拍に耳を傾けていると、中々どうして、人間というのは単純な生き物だと呆れてしまう。

 

「脈拍は正常だな。お前も、どうやら本物らしい」

 

 と、サソリは呟いた。

 

「脈を測るなら、別に胸を開く必要は無いと思うけど」

「ニセモノならギャアギャア喚き散らすだろうからな。あっちはお前と違って、表情は豊かだ。フリをしていても、ここまでされて不自然さが無いってのは考えづらい」

「曖昧だね、基準が」

「お前らの成り立ちがややこしすぎるだけだ」

 

 そう呟いたサソリの表情は、どこか皮肉げな笑みを浮かべていた。

 人傀儡を作る彼にとって、一つの肉体に二つの魂が入っているというのは、贅沢にでも感じたのかもしれない。

 

 贅沢な訳が、無い。

 

 自分の意識に、他者が介入していく。

 

 見ている光景が、現実かどうかも分からない邪魔が入る。

 

 勝てたはずの事柄にも、敗北を持ってくる。

 

 煩わしいだけ。怒りだけが込み上げてくる。

 

 敗北に敗北を重ねられ、挙げ句に仮面の男に、心臓に呪印を施された。手駒として、利用する為の呪印。傀儡の心臓は、サソリと同盟を結んだ時に、彼に施術されたものである。

 

 常にチャクラを消費して稼働する傀儡。運動量に比例して血液の循環量を変動させる傀儡は、しかし、通常の動きよりも遥かに体力を消耗する。肉体の疲労と、チャクラの疲労が、段違いである。

 尤も、まともな意識で身体を動かせた事は、殆ど無かったのだが。

 

「ねえ、サソリ」

 

 傀儡をメンテナンスをしているのか、サソリはカチャカチャと音を立てて胸部に両手を入れていた。彼は視線をこちらに向けないままに、応える。

 

「なんだ?」

「今、すごく気分が良い」

「そうか」

「イロリちゃんに、大嫌いって言われた。ふふ。相変わらず、イロリちゃんは、我儘。いつも、私の予想を裏切ってくれる」

「笑ったのか?」

「さあ」

「随分と上機嫌だな。鎮静剤でも打つか?」

「青空を見てる気分だから。空が、見たいなあ」

 

 親友と喧嘩した。

 

 いつぶりくらいだろうか。

 

 親友は大泣きして、自分は無表情で。

 

 そんな騒がしい世界に、かつて自分は、いたのか。

 

 今では、敗北に敗北を重ねて、心の臓腑は傀儡となって生き永らえる程度の身なのに。まるで、奇跡だ。そんな感動が、秋の澄み渡った朝の空を見上げているような気分になった。涙が、溢れる。

 

 ああ。

 ああ。

 

「ああ……勝ちたいな」

 

 今度こそ、勝って。

 綺麗な世界を作りたい。

 

「泣いてるのか?」

「……さあ」

 

 頭が、痛くなった。

 

 彼女が癇癪を起こしたのだ。

 

 折角、気分が良いというのに。もう、はっきりした意識は、これで終わりか。これから、あらゆる絶望を与えられるに違いない。意識がまた、バラバラになって、何が何だか分からなくなるのだろう。

 

 空が、また、悪意に塗り潰される。

 

「サソリ」

「何だ?」

 

 と、彼は淡々と呟いた。

 

「寝るのか?」

「うん。後は、お願い。私を、勝たせて」

「次に起きた時には、舞台を整えておこう」

「あと……そうだ。再不斬と白に、ごめんって、えっと、伝えておいて。今まで、怖い思いとか、面倒かけさせて」

「あいつらの仕事だ。まあ、伝えておく」

「じゃあ、また」

「またな」

 

 意識が暗闇に、引っ張られた。

 そこには、瞳孔を開ききった彼女が、引き攣った笑みを浮かべながら涙を流して立っていたのだ。

 

 

 

 お前のせいで、イロミちゃんに嫌われちゃった。

 

 

 

 その言葉と共に、また。

 絶望に呑み込まれる。

 

「ぃぃぃぃいいいいいいいいいいやぁあぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!」

 


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