新しき不穏
その日は、酷く快晴だった。
降り注がれる陽射しを遮るものは無い。直射日光の暑さは十分に空気にも伝播し、分厚い陽炎が尾を振るように揺れている。不愉快な暑さだった。風は多少あるが、その風もまた不愉快極まりない。見渡す限り黄土色の砂漠の世界は、巻き上がる風にひっくり返されては、視界を遮り身体の至る所に入り込もうとしてくる。
「いやぁ、
「うるせえ。だったら黙ってろ」
「旦那は良いよなぁ? うん。勝手知ったる故郷だ。この暑さも、旦那にとっちゃあ風呂にでも入ってる感覚なんだろ? 羨ましいぜ、うん」
「その減らず口を閉じろ。殺すぞ」
「おお、怖い怖い」
砂漠を歩く二人は、不愉快な環境の中に在って、しかし奇天烈な格好をしていた。幅の広い笠を被って直射日光を防ぎながらも、縁にはまるで目元を隠すような紙の飾りが囲うように飾られている。着ているのは黒い衣。赤い雲を刺繍されている様子は不気味で、何よりも、こんな暑い気候で着るべき色ではなかった。
そんな二人は、どうやら仲が悪いようだ。
笠の下からニヒルに笑う金髪の青年と、極端に背と声の低い男性。二人は並んで歩いているが、さながら互いの喉元に刃物を突き付けているかのように空気が張り詰めていた。
金髪の青年──デイダラは、片目で背の低い男性を見下ろした。デイダラの片目は、何やら器具が付けられている。
「にしても、久々にサソリの旦那とチームを組むな。うん。どうしてだろうな?」
デイダラの言葉に、サソリと呼ばれた男性は面倒そうに呟いた。だが、サソリは何かを語る訳でもなく、ましてや一瞥すらしない。
「砂隠れにアンタの部下が入ってるなら、オイラじゃなくて、あの大飯食らいの女でも良さそうなもんだけどな、うん」
「あの女は、もう脳味噌が動いてねえからだろ」
「あー。そういや前の集まりじゃあ、碌に舌が回って無かったなあ。うん。前々から頭がおかしいと思っていたが、あそこまでいくとはな。薬を打ってたんだって?」
「元々、あの女はイカれていたからな。薬で長持ちさせていただけだ。限界が来ただけだ」
「なら、とっとと殺しちまおうぜ。うん。この仕事が終わったら、あの女を連れてきてくれよ、サソリの旦那」
「ああ……お前が生きていたらな」
二人の歩みの先には、極端に巨大な砂岩が姿を現した。山のように高く、そして広い砂岩。風が強く、遠目からでは珍しい砂岩にしか見えないだろう。
しかし、そこは、風の国が所有する忍里──砂隠れの里であった。
「今代の風影は人柱力らしいからな。オイラの芸術には丁度いい。うん。天気も良いし。最高だ、うん」
彼らが今日、その時に足を運んだのには訳がある。
人柱力であるのは、当然の事。彼らが所属する【暁】という組織は、その中に眠る尾獣を回収する事を第一の目的としているからだ。
そして、今日来たのは。
彼らにとっても予想外の出来事が起きるという情報が手に入ったのである。
五影会談。
木ノ葉隠れの里の長、うちはイタチが、その会談を行う事を宣言したのだ。
会談が行われる前に尾獣を回収する。
それが、この時に彼らが足を運んだ理由だった。
☆ ☆ ☆
ここしばらく、任務が無かった。下忍から中忍、中忍から上忍、階級が上がれば上がるほど、こなしていく任務というものは難易度を増し、温和な日常の時間が少なくなっていくのだと思っていたが、事実として上忍というのは暇だった。
よくよく考えてみれば、自分の上司──あまり認めたくはないが──
それほどまでに、今は平和だという事だ。少なくとも、火の国においては。
「──そんな事を言うと、嫌味に聞こえるかな。父さん。母さん」
うちはサスケは、父と母の墓石の前で小さく笑ってみせた。
そこは、かつて、うちは一族の町が構えられていた区画だった。つい最近──と言っても、一年ほど前なのだけれど、現火影の指示によってうちはの町は解体されたのである。木ノ葉隠れの里において最大の惨劇とも言われ始めている事件は、忍里にとっては扱いが難しかった背景を持っている。
これまで木ノ葉隠れの里に警務部隊として貢献し続け、しかし殉職したというには評価が難しく、そして忍としての才能は一族全体が飛び抜けていた。そういった背景を持っていたために、うちは一族の町は整理はされながらも無人の区画となっていた。
しかし現火影は、
『もう、過去の事だ。勿論、無礼を働くつもりはない。十分な弔いと、そして彼らが残した遺産は保管する。町も、人の魂も、安らぎを与えるべきだ』
と述べた事を端として、町は解体され、区画の端にうちは一族だけの名を記した慰霊碑と各人の墓石、そして神社が建てられた。神社は、南加ノ神社を移設させたものであるが、神主は設けられておらず、無人だった。
「でもさ、俺はやっぱり……みんなで過ごしたかった。こんな時間を、ずっと……」
静かで、そして丹念に掃除が行き渡った墓地に、清々しい風が吹いた。
サスケの髪は伸びていた。任務に支障が出ないように適度な長さで前髪は整っているが、後ろ髪はうなじが隠れる程度には伸びている。特段、意味があるわけではなかったが、強いて言うならば面倒だった、ということだ。
身長も高くなり、衣服も変わった。うちは一族の家紋が刺繍された、白くゆとりのある白い上衣とゆとりのある黒い下衣。腰には柄のない刀を挿していた。額当ては、利き手ではない右の二の腕に。
「近々、五影会談が開かれる。兄さんが約束を取り付けたみたいなんだ。どういう話をするのかは、まだ聞かされていないけど……きっと【暁】の奴らについてだと思う」
それは、先日の事だった。
前々から予告されていた五影会談。サスケだけではなく、他の上忍も周知している。何を話すのか、それは重大な議題な為、情報漏洩の観点から知られてはいないが多くの者が興味を示していた。
火影であるイタチが現時点で発表しているのは同行者のみ。フウと綱手、ヤマトが選ばれている。
サスケが会談内容に当たりをつけたのは、単なる勘としか言いようがない。けれども、それ以外の事は考えられないというのも事実だ。平和と呼ぶに、些かの疑問符は浮かぶものの、しかし戦時では決しない世情で会談する事など数少ない。
ましてや、五影会談など一朝一夕で成立する事柄でもないはずだ。ずっと前から根回しをしていたのだろう。ならば、その時から計画していた事に違いない。
もしかしたら、火影になる前から……。
「駄目元でも、兄さんに同行を許可して貰えないか頼んでみる事にするよ。上忍でもある訳だし、可能性はゼロじゃないからな。父さんと母さんが願ってくれたらもしかしたらって、今日は来たんだ」
任せろ。
任せなさい。
そんな声を運んでくるように、足元から小さな風が吹き上がったのを、サスケは鼻から息を零して笑ってみせた。
「じゃあ。また来る」
花とお供物を置く。花は、山中いのの家から買ったものだ。墓参りにはピッタリだと言って、勿忘草や幾つもの鮮やかな花を渡してくれた。勿論、金は払っている。お供物はシンプルに饅頭を持ってきた。よくよく考えれば、フガクとミコトの好きな菓子というものを深く知らなかった。初めの墓参りは、それが少し寂しく涙が込み上げてきたが、今では冗談として呟けるようにはなっていた。
軽く墓石を掃除し、墓地を後にした。
今日はこれから、カカシと会う予定が入っていた。任務は入っておらず、そしてサスケはチームを持っていなかった。下忍の子を育てる、という意味でのチームだ。だが、カカシと会うのは久しぶりだった。彼も、今は下忍を育てていない。
その理由は──きっと、ナルトが関係している。
町を抜け、かつての、そう、初めてカカシと会った演習場へと足を運んだ。
「…………懐かしいな」
つい、口から溢れてしまった言葉。
記憶の中ではたった数年しか経っていないのに、意識が懐かしさを感じてしまった。あの頃は、何も知らないで、何も疑わないで、自分だけを信じて辺りを拒絶していた。
ナルトとはぶつかり、サクラのことを気にも留めず、カカシには苛立ちばかり。
それでも、今ではあの時、あの日常が、懐かしさと不思議な楽しさを運び、同時に悲しみも運んでくる。ナルトが里を出てから、ここの演習場だけには足を運んではいなかった。
「あ、サスケくん!」
遠くからサクラの声が耳に届いた。
横を向くと、こちらに駆け足で走って来ている。黒いグローブを嵌めた手を小さく振りながら、彼女はサスケの横に立った。
「なんだサクラ。お前も呼ばれていたのか?」
「あ、じゃあサスケくんもなんだ。カカシ先生ったら、ただ演習場に来い、としか言わないから。最初はどこの演習場なのよ、って思ったけど、サスケくんがここに来てるって事は、間違いないわね」
「……いや、俺も正確な場所は指定されてないが」
「あはは……んまあ、ここしか無いわよね。カカシ先生が言う演習場って」
苦笑いを浮かべながらも、彼女も演習場へ顔を向け、中央に立つ三本の丸太を見つめた。同じ懐かしさを感じているのだろうか。
サクラは中忍へと昇進していた。しかも、医療忍者として。師は綱手。ナルトが出て行ってから、彼女なりに自分に必要なモノというのを模索した結果、その道を選んだのだろう。
当初は綱手本人の意向で弟子にさせてもらえなかったらしかったが、何百と訪ねたところ綱手が折れたらしい。その際に綱手は「少しでも腑抜けたことをしたら叩き出す」と言い放ったらしい。
しかしサクラは、今でも綱手の弟子として修行を続けている。それなりに認められつつある、という事なのだろう。何だかんだと言って、サクラは自分たちの中で一番肝が据わっている。
綱手の下で修行を重ねたからか、中忍としての自信が身についたからか、彼女は昔のような少女らしさよりも強い女性の印象が強くなった。髪は短くしながらも綺麗に整えられ、衣服も袖の無い赤いジャケットと黒いズボンという機能が優先された服装に変わった。かつての頼りなさは無くなっているのはすぐに分かった。
「んで……相変わらず、カカシ先生は来てない訳ね」
大きな溜息を零して、サクラは眉をへの字にした。
「中忍になって分かったけど、やっぱりあの人って特別に時間にルーズなのね」
「前から分かってた事だろ」
「忍としては尊敬できるけど、人として最低な人は、カカシ先生だけよ」
そして垢抜けしたサクラは、ところどころ言葉の端に棘が見えるようになってきた。嫌味という訳ではなく、軽い冗談のようなものではあるが、それでも下忍の頃に比べると遥かに話しやすかったというのを感じる。
ナルトがいなくなってから、色んなものが変わった事を感じさせられる。
そう思ってしまうのも、この場所に来たからなのだろう。
ここの、この光景だけ変わらないというのが、より一層、変化していった事柄を強調させてしまうのだ。
「あー、悪い悪い。遅れた。いやぁ、途中でおばあさんが困っててなあ」
更に変わらないものがやってきた。
気怠そうに、テキトーそうに、分かりやすさを隠そうともしない大嘘をついて、カカシはやってきた。
「はい嘘ッ!」
とサクラが指を向けて大声で言うと、丸太の上に立っていたカカシは飄々と困ったように肩を落として見せる。
「すぐそうやって上司を疑うのは止めたほうがいいぞー。出世の妨げになる」
「部下に大嘘吐く方が最低に決まってるじゃないッ!」
「嘘じゃないって」
「いや嘘だろ」
サスケも嘘だと言うと、カカシは大きく溜息を零した。
「なんか、俺への威厳とか無くなってない?」
「元からありません」
「無いな」
「……肩身が狭くなったな」
「「最初から広くない」」
わざとらしく頭を振った後、カカシは丸太から飛び降りて、二人の前に立った。
「それで?」
と、サスケが言う。
「今日はどんな用なんだ? サクラも呼んで……どういうつもりだ?」
実際のところ、どうしてカカシに呼び出されたのか理由が思い付かなかった。演習場に呼んでおきながら、まさかこれから飯でも食べに行くわけでもなし。サクラを呼んでいるのも気掛かりだった。任務の打ち合わせにしても、少々場所がおかしい。そもそも、任務ならばフォーマンセルが基本だ。スリーマンセルは、むしろ悪手とさえ言われている。
すると、カカシは「んー」と首を傾げた。
「まあ、色々と事情がある訳だが……とりあえず、お前ら。これ、覚えてるな?」
おもむろにカカシが取り出したのは……ヒモの着いた鈴。
サスケもサクラも当然覚えていた。アカデミーを卒業してすぐに、カカシの部下として配属されるかどうかを決めた試験だ。
だが、どうして今更?
「今から、あの時と同じ事をやる」
「え? いや、ちょっと──」
「話がいきなり過ぎる。カカシ、事情を話せ」
いくら演習とは言え、だ。
何の事情もなしに行えというのには、サスケもサクラも賛同できなかった。演習であっても、戦う事には変わりない。それも下忍の頃に比べて実力も付けている。手加減を互いに出来るほど、大きな差は無いとサスケは驕り無く実感している。
怪我をするだろうし、下手をすれば大怪我だって考えられる。
人として尊敬できないが、忍としては大きな信頼を寄せているカカシの指示とは言え、簡単に頷くことは出来なかった。それはカカシも理解していたのか「だよね」と首肯しながらも、渋々と言った感じに呟いた。
「ま、イタチ──火影様には口留めしておいてほしいと言われていたんだが……もうお前らもガキじゃなし。事情くらいは説明してやろう。俺も、何も言わないで演習するのも気が引ける」
イタチが口留めを図っていたという言葉が気になったが、サスケは口を紡いだまま、次の言葉を待った。一度、カカシは鈴を持った手をポケットに入れてから、語り始める。
「お前ら、今度、五影会談が行われるのは知っているな?」
サスケとサクラは同時に頷いた。
「各隠れ里の影たちが集う場。本来、そこでの戦闘は、言うなれば里そのものへの宣戦布告にも繋がりかねないデリケートな空間だ。そのため、会談には影を含めて数人の者だけしか参加は許されていない。人数が多ければ多いほど、些細な因縁が顔を出すというわけだ。三度の大戦で、未だ各隠れ里には深い怨恨があるからな」
例えば、雲隠れの里による日向一族の百眼を狙った過去。
例えば、砂隠れの里が大蛇丸と共同で起こした木ノ葉崩し。
「おまけに、影が外に出るということはそれだけ、面倒事も増えていくという事でもある。影を殺そうという輩も、まあ、いない事もない。殺さずとも、捕らえてしまえば一攫千金だからな。故に、同行者は厳選される。今回は──」
と、カカシは指を三本立てた。
「七尾の力を宿すフウ。今は現役から退いているが三忍の綱手様。そして俺の後輩のヤマト。この三名が同行者となるわけだが……実は、他にもう一人候補者がいてな。綱手様と同じ三忍の自来也様が、最後の候補者だった」
だが、
「自来也様はそれを辞退した。何でも、個人的な任務があるとか無いとかで。──そこで、だ。何と俺に白羽の矢を立ったわけ」
話の流れは理解できたが、そこから演習に繋がる理由が分からなかった。
「俺としては会談内容に興味があるからやぶさかでは無かったが……」
「まさか……俺たちの名前を出したのか?」
カカシの言葉を引き継いで応えると「そ」と彼はあっけからんと肯定した。
「俺にだって一応は、会談の内容には予想が付いている。まだ確認していないが、ま、十中八九と言って間違いないだろう」
【暁】
その組織の名前がサスケ、そしてサクラの脳裏にも浮かんだ。サクラがその組織を知ったのは、ナルトが出て行ってからの事だった。サスケ自身から【暁】についてと、自分とイタチが追っている組織である事も。
一緒にナルトを追うために。
そして半分ほど──ナルトと同じくらいにではあるが──姉を追うために。
「人数は多くしたくはないが、自来也様一人に対して上忍が二人と中忍が一人。まだまだ戦力としては不十分だが、悪くはない。そもそも自来也様程の実力者の代わりになる人材は、木ノ葉にはいないだろう。もしも俺達が同行するとなれば、ヤマトを外す事になるが、まあアイツの事は俺に任せろ。問題なのは……」
「俺達の実力ってことか」
言葉を出すと、サスケに小さな笑みが浮かんだ。隣に立つサクラは準備万端と言いたげに、手に嵌めたグローブを付け直すようにした。
「最初っからそう言ってくださいよ」
「悪いな。これも火影様の意向だったんだ。全てを知ってから対応するなんてのは、下忍のすることだとな」
「余計な世話だな、兄さんも」
「十分な配慮ではある。火影の同行中に死者が出る。それだけで、会談が御破算になることが容易に考えられるからだ。そして襲撃されたならば──」
カカシは傾いた額当てを上げ、写輪眼を開いてみせた。
「完全な捕縛、あるいは徹底的な戦闘不能に追い込まなきゃいけない。無用な火種を付けたまま会談に赴く訳にもいかないからな。あらゆる想定と確かな実力が必要な訳だ。ま、演習と言うより試験に近いな」
「じゃあ演習の理由を訊いた時点で、私達は減点?」
「いや? さっきも言ったが、それについては俺も最初から話すつもりではいた。減点されるのは──」
サスケとサクラの足元が、突如、泥と化した。
「「ッ!?」」
「言ったはずだぞ、二人共。あらゆる想定と確かな実力が必要だと」
幻術だった。
足は深々と泥となった地面に絡め取られ、抜け出せず。
そして、カカシは背後に。
既に試験は──。
「これじゃあ、不合格だな」
後頭部目掛けて振り下ろされる拳は……しかし、
「誰が──」
「──不合格だって?」
途端、カカシは自身に
カカシは一歩もその場から動いておらず、泥に足を絡め取られているのは自分自身だった。サスケとサクラの足元は、ごく当たり前の土の地面。
二人はしてやったりと笑ってみせる。
「どうかしら? これで、加点してもらえる?」
「この程度で加点も何も無いだろうが……単純過ぎるぞ」
二人の幻術返し。
その速度と質に、カカシは驚きよりも安堵を感じていた。
サクラがいくら幻術系統に強い素質を持っていたとしても、サスケがうちは一族の才能を持っていたとしても、まだ若い二人が自身の幻術をあっさりと返すのは容易じゃない。
それ程の努力を、この数年で積み重ねてきたということ。
そこには……その二人の視線には、やはり彼の影がある。
ナルト。
彼を追いかける為に並々ならぬ努力をしてきた。
それは、ナルトへの想いの強さに比例するもの。
月日が経っても、必要とされる存在。
間違いなく、ナルトが求めていた1つの形がそこには在った。
いや、この二人だけじゃない。
イルカも、ヒナタも、他の者も。
未だにナルトを心に想っている。
その想いをナルトに届け、再び里に戻す事。それが達成するまでは、第7班のチームを
同じ里に居ても、こうして演習する事はまるで無く、サクラは綱手の下、サスケはイタチと
──これなら、こいつらも、ナルトも心配ないな……。
カカシは言った。
「なら、試験開始だ。鈴を取ってみろ」
あっさりと幻術から抜け出し、カカシは影を残すように姿を消した。
「今度こそ、完全に奪い取ってやるよ」
サスケは瞳を写輪眼へと変化させ、不敵に笑う。
☆ ☆ ☆
「フウコさん。御飯が出来ましたよ」
薄暗いアジト。埃臭く、簡素な家具しか置かれていないそこでは、白の声はよく響いた。サソリの仲間になってから月日は経って背が高くなり、手足は長くなったが、中性的な顔立ちはどういう訳か女性的な印象がやや強くなっている印象がある。長くなった髪は頭の後ろで丸く纏めているのも、その印象を強めているのかもしれない。
ましてや、今ではメンバーの中で家事を中心に行っている。料理に掃除、そして振り切ったフウコの世話。まるで母親だな、と再不斬は台所に立つ白を見て溜息を零した。
「今日はですね、フウコさんの好みの肉類ですから。座りましょう。お絵かきは止めて、ね? お腹も空いたでしょう?」
テーブルと椅子の置かれた、言うなればリビングに近い部屋。再不斬は先に椅子に座っていた。黒いシャツにズボン。口元を隠す布だけが、服装において色が違かった。その布の奥で鳴らされる舌打ちは、部屋の隅にしゃがんでいるフウコに向けられた。
毎日見ている光景。けれど、慣れなどするはずがない。
──人間、ここまで来るものか……。
白が台所からフウコに近づいていく。両手を下に広げて歩幅を小さくして近づく姿は、赤子にするような仕草だった。
フウコは、指先の皮膚を食い破って垂らした血で床にグルグルと絵を書いている。いや、絵というよりも、落書きと言った方が正しい。ただ指を延々と、同じ場所に這わせているだけ。出来上がっている落書きは、血が乾いて赤黒くなった洞穴のようなものだった。
「ほら、フウコさん」
「今ね。私、頑張ってるから」
フウコの声に、白は悲しそうに微笑んだ。
白もまた、彼女の様子には慣れず、毎回のように悲しんでいる。
自分たちを助けて来た時のような姿は欠片も無い。声の調子も、彼女はある日を境に、子供っぽい抑揚が現れ始めていた。
「……そうですか。どんな絵を書いてるんですか? 教えて下さい」
「皆を救う計算をしてるの」
「上手くできそうですか?」
「ここのね、風車が邪魔をするの。どうして曲がってくれないんだろう……」
「あ、えっとですね。うーん、そうですねえ。難しいですね」
「そろそろね、ほら、ここの。猫さんが動き出すんだ。ああ、ほら。レロレロが動いてる。見て、ここ。ここ」
幻覚を見て発狂するなら分かる。拷問されている忍もそんな風になるのを知っている。
気分の浮き沈みが激し過ぎるのも分かる。現実に押し潰されないようにとする心の防衛の1つだと知っている。
だが、今のフウコは違う。
幻覚を見て、感情のコントロールが出来なくても、けれど彼女の中ではそれが全て成立しているのだ。
助けたくて、考える。けれど上手くいかない。だから邪魔をするなと、彼女は言っているのだ。通常の文脈とは全く異なる表現で。その文脈を用いて、どうして答えが出ないのか、本気でフウコは不思議に思っているのだ。
自分は間違っていない筈なのに、どうして正しい答えが出ないのだと。
正しい地図を持っている筈なのに目的に着くことが出来ないのを不思議がる旅人のように。
今、フウコの頭の中は、全く別のルールが敷かれている。
誰にも分からない世界で、フウコの頭は満たされたのだ。
「おい白。さっさとそいつを席につかせろ。話なんか聞いても意味なんざねえんだ。飯の前に座らせれば黙るだろ」
再不斬が苛立たしげに言った。それは、テーブルに並べられた料理に対しても、フウコの不気味さに対してでも無い。フウコが言葉を発する度に戸惑う白が見ていられなかったからだ。
白は戸惑うようにフウコに視線を向けると、彼女は真っ赤な瞳で彼を見上げた。
「どうすれば、皆と遊べるかな? 燕がよく言うの」
「え?」
「遊びたいならミミズの行列みたいに仲良くしようねって」
「……フウコさん。御飯よりも、寝ましょう。ゆっくり寝て………そうだ、サイくんともお絵描きするのが良いかもしれません。別の部屋に──」
「お絵描きはもう良いの。皆がそう言うの」
「ほら、立ってください。お願いです、どうか」
「流れ星が約束したの。紙飛行機が花札をしようって手を振りながら鏡と握手だ。ほら、ここのビー玉の頭蓋骨にも友達の蛙の子供は料理だよ。皆手を繋いでかごめかごめって、夏の陽射しが水鏡へと囀る尾骶骨が子供の鼻提灯だったの。手紙が皆で食べたんだ。誰を売り飛ばそうかっていうのを私の中の森が囁かないでって。三日前は……誕生日?」
「おい白。さっさとフウコを──」
「遊びたいのッ! 私はッ! ジョウロがそういうの! その蛇口から、花柄の狸がドロドロ歩き回ったのッ!」
声が震え、声を高くする。
ああまたか、と再不斬は大きな溜息を零した。癇癪だ。
フウコは白に掴みかかって、意味の分からない声を張り上げ始める。忍術も体術も幻術も、何も無い。もはや自分の身長よりも長くなった黒髪を振り回し、着ている白い着物は乱暴な動きに気崩れていく。
白が必死になって彼女の頭を抱きかかえ、宥めようとしている。
「大丈夫ですよ? 落ち着いてくださいっ。そうですね、布団で寝ましょう!」
「みぃいいんな、ぐびがないのぉッ! でるでるぼうずがそこ! あっちぃ! だから御飯なんていらないの! お腹が無いんだからッ! 見てよ! そうやって君は、私の二等辺三角形を馬鹿にするんだッ! 私が御月様なのに、てんとう虫みたいな事言わないでッ! うちわのゴミ箱だってタンスの中に住む砂崩しなんだからッ! キラキラ光る写真の裏側を私が隠したお線香はそうやって捨てられたのッ!」
サソリは、限界が来たと、フウコが完全に壊れた時にそういった。脳味噌が崩れて、配線のような神経がこんがらがったのだと。
『問題無い。これも計画には織り込み済みだ。最後の最後にこいつがまともになればいい。それまで、どんだけ壊れようが、死にそうになろうが、知ったことじゃねえ。お前らで世話をしろ』
世は事もなし。
さも興味なさげに語るサソリには、ほとほと呆れてしまった。
『最後には動かなくなるだろうから、その時は無理矢理にでも飯を食わせろ。腹割いて入れても良い。もう発狂して暴走して、破壊衝動も沸かないくらいに壊れてるからな。白には施術の仕方は教えてある、自由に使え。だが、目だけは離すな。こいつが死んだら、テメエらの責任だぞ』
──ここまで壊したのはテメエだってえのに。
再不斬はフウコとは反対側に位置する扉に怒鳴り声をぶつけた。
「サイッ! こいつを寝かせろッ!」
すると。
彼は静かに扉を開けた。
能面のような薄ら笑みを浮かべて。
「分かりました。またいつものようにやっても?」
「いつものってのを知らねえよ。ガキの世話だと思ってテキトーにやれ」
「分かりました」
「御人形の囲炉裏が手を繋いでくれるのッ! いたちごっこは
フウコの声に眉を顰めながら、再不斬は食事を始めた。
腹を満たしておかなければいけなかったからだ。
どれほど悲痛で理解できない声が耳に届こうと、同盟は守らなければいけない。
フウコが叫んでいる。
「邪魔しないでッ! 邪魔しないでよッ!」
邪魔しないでッ!
怖いよぉ近寄らないでッ!
明日は……アカデミーなんだからッ!
次話は来月投稿します。