次話は今月中に投稿したいと思います。
「──ほれ、我愛羅。五影会談の資料じゃん。目ぇ通しておけよな」
カンクロウは言いながら、分厚い書類の束をデスクに置いてきた。風影になってから多くの書類の束を見てきたが、今回は、より一層の分厚さと文字の密度を誇っていた。子供なら眉を顰めて足を遠ざけるような代物に、我愛羅は淡々と手を伸ばし目を通していく。
五影会談に提出する砂隠れの里の実情と課題。これらの書類は、既に他里に提出されている。この資料は、同じように他里から提出された内容と擦り合わせたものだ。
五つの里が同時に会するのだ。それぞれの事情や課題に対して、即座に質問をして即座に答えるという事は、殆ど不可能だ。ましてや、限られた時間で無駄なドモリがあってもいけない。事前に質疑を用意し、回答を準備する。細々としたアドリブはあるかもしれないが、これらを頭に叩き込まなければいけない。
「あまり根を詰めすぎねえ方がいいじゃん。時間はまだあるし、当日は俺もテマリもいるからよ」
「ああ、そうだな。迷ったら、テマリに頼む事にする」
「何でだよ!」
カンクロウの驚きに、我愛羅は口端にわずかだけ笑みを浮かべた。
「冗談だ。カンクロウ」
「悪い冗談じゃん」
「頼りにはしている。だが、俺がしたいだけだ。里を豊かにするのに、五影会談は貴重な機会だ。無理はしない」
言葉に嘘はない。
信頼というものを、我愛羅はこの数年間で学んだ。
テマリとカンクロウを家族として信じて。
他の人達も、信じて。
困難とも、苦痛とも分からない、酷い不安定な時期ではあったが、それでも続けてきた。
木ノ葉崩し。
あの時に出会った少女の言葉と、あの場所で暴れていた少年を見て。
続けた方がいいのだろうと、思ったのだ。
気が付けば、信じ合えるという環境が手に入っていた。
今では、砂隠れの里が愛おしい。
書類に目を通していると、ふと、一つの文字に視線が止まった。
暁。
五影会談開催の通知の際に、木ノ葉隠れの里から出された議題の一つである。小国の戦争に介入する傭兵集団。集団と言えど、確認出来ている規模は少数だという。特徴として統一された衣と笠を身に着けている事だけが書類に記されている。
カンクロウがまとめてくれた資料に載っている【暁】の情報は、表面的なものに過ぎない。忍の集団であるのだから、情報が手に入らないというのは珍しくはないが、それにしても全く入ってこないのは異常だ。傭兵集団という以上、他国はどこかで彼らと接触していなければいけない。あるいは、戦った相手からでも情報というのは漏れるものだ。
それが一切ない。
構成員やどのような術を使ったのか、何を目的としているのか。それらが何一つ分からないというのは、集団の異常さを表している。
だが、である。
たとえ異常な傭兵集団であったとしても、わざわざ五影会談で出すべき議題だろうかと我愛羅は考える。
たしかに今は平和な時代だ。だが、傭兵集団が悪かと言われれば否定も出来ない。国は力が無ければ成り立たない。力を維持するには、金が必要だ。金さえ払えば、一時的にとはいえ力を手に入れられるならば、そちらを選ぶ国もあるだろう。風影となった今では、里を維持し続けることの難しさは理解できた。数年前、大蛇丸に踊らされたとはいえど、木ノ葉崩しを行い忍里としての価値を示そうとしたのも、納得できないものの理解できてしまう。
だから、どうしてわざわざ議題に出すのか、分からなかった。
いや………。
──猿飛イロミ…………それか、うずまきナルトか?
思い浮かんだのは2つの名前。
1人は直接的に関わりがあり、もう1人は
それと関わりがあるのではないだろうかと、ふと、思った。
「んで?」
と、カンクロウは呟いた。
「五影会談へは、俺とテマリが同行ってことでいいのか?」
「ああ。頼む」
「……本当にいいのか?」
急にカンクロウの声質が低くなり、我愛羅は書類から顔をあげた。さっきまで笑顔を浮かべていたカンクロウの表情は、少しだけ重い表情をしていた。
「五影会談に参加する風影の、その護衛として同行できるのは素直に嬉しいじゃん。けどな……見方を変えれば、身内贔屓っていう風に思われる訳じゃん。俺とテマリなんざ、そういう視線はオヤジの時に慣れてるけどよ…………」
そこまで言って、一度、カンクロウは口を噤んだ。彼なりの気遣いに、我愛羅は小さく笑って答えた。
「それくらいのこと、考えていなかった訳じゃない。実際、他の者から一言貰っているからな」
それでも、と続ける。
「俺はお前たちに来てほしい」
「……いや、その言い方だと」
「半分は身内贔屓だ。もう半分は、実際にお前達と一緒ならば、いざという時の連携に問題無いからだ。実力も、地位にも問題ない」
二人には、見てほしかったのだ。
五影会談。
その話が出た時に、最初に胸に去来したのは、緊張だった。他の忍里の影たちと、砂隠れの里を背負っての会談をする。里のメンツや今後の里同士の連携……ひいては未来の大きな出来事の問題の引っ掛かりにもなってしまうかもれないと、我愛羅は感じてしまった。
だが、尻込みする気も、我愛羅にはなかった。
毅然と、他影と対面しよう。そう、心に決めたのだ。
その自分の姿を、ただ、家族に見てほしかった。それが、本心だった。
流石にそこまでは口には出せず、資料に再び視線を落とした──その時だった。
鳥の小さな影が、紙面に落ちたのだ。
☆ ☆ ☆
「火影様。触診の時間ですが、よろしいですか?」
シズネが執務室に入ってきた。窓から外の風景を見ていたイタチは、椅子をゆるりと回転させながら、優しい笑みを浮かべて軽く肩を透かして見せた。
「今日は特に、何も不調は無かったのですけど」
「はい。毎日ですね」
「そろそろ、触診はせずともよいのでは?」
「関係ありません」
女性らしい懐の深い笑みを浮かべながらも、堂々と目の前までやってくる。今では、まるで火影専門の医療忍者のような立ち位置となってしまったシズネだが、その仮称に違わぬ堂の入った様は、イタチ自身でさえ怯みを感じてしまうほどだった。
デスクに医療バッグを置くと、シズネは横に立ち静かにイタチの手首を取った。脈を計るように指を置きながら、チャクラの小さな圧力を感じた。
「ここ数年、身体に異常は出ていないのですから、もう定期検診は必要ないと思うのですけど。診療所はよろしいのですか?」
「お気になさらずに」
どうして笑顔を浮かべる女性の言葉というのは、不思議な圧力があるのだろうかとイタチは小さく思った。
「今は綱手様が一人で回しています。診療所を開いた頃に比べて、だいぶ落ち着きましたから」
と、どこか嬉しそうにシズネは呟いた。
木ノ葉隠れの里に留まる選択をしてくれた綱手とシズネは、街の隅にひっそりと住居を構えた。ひっそりと言っても、それなりの金銭をはたいたような土地と高さを持った家だ。それらの資金が木ノ葉隠れの里の予算から出されてしまっているのは、火影に就任したイタチが初めて行った汚い仕事と言えなくもない。
伝説の三忍の一人である彼女が、里に住み始めた。その噂の広がる速度は、流石は忍里と言うべきなのか、瞬く間に広まった。おそらくは、高齢の人々が噂を広めたのだろう。彼女の顔を知る者は綱手の姿を見ては、診断してくれと、井戸端会議のように訪ねていった。
気が付けば、綱手の住居は診療所としての機能を持つようになってしまった。
当初は、綱手はそのような機能に否定的だったが、時間の流れか、人との繋がりか、診療所という名前は定着してしまい、機能もいよいよ綱手が渋々という形で成立してしまった。
「綱手様は、御元気で?」
「毎日、愚痴を零しながら患者さんと向き合ってますよ。夜には、完治した方と酒を呑んで、チンチロをしたりして、殆ど賭場になってますよ。あ、お金は実際に賭けていないので……まあ、落ち着いています。どうしてか、貯金が出来ませんが……」
「これ以上、お金は出せませんよ?」
「あはは、分かっていますよ。むしろ、今のままでいいんです」
シズネは手を離し「問題ありませんね」と言った。
「俺が言った通りでしたね」
「五影会談を控えているんです。僅かでも体調を崩されたら困ります。ましてや、ギリギリの長期療養でしたから。完治しても、油断は出来ません。火影様には前科がありますからね」
そう言われてしまうと、反論のしようが無かった。
身体の病を治す為に安静をするようにと、当時診断をしてくれていた綱手から言われていた。火影の業務に徹していた。弟のサスケの修行も
だが、身体は一度、悲鳴をあげた。
元々爆弾を抱えていたような身体だった。それを長いスパンで無くしていこうという試みで、綱手の治療を受けながら生活していたのだが、気が付かない内に身体に火が燻ってしまっていたようだ。膝を折り、血を吐いた。
命に達する程の症状ではなかったが、それでも、綱手からは心底呆れられた。
『死ぬなら、私から見えない場所で勝手に死ねッ!』
予想以上に弱っていた身体に、嘆息はするものの、悲観は無かった。
急いても、上手くいく訳じゃないのは分かっている。
準備はしてきた。
五影会談という
「火影様!」
報せが来る。
来るだろうと思っていたのは、イタチだけだ。シズネは驚いた様子で、イタチと報せを持ってきた者の間で視線を動かす。報せを持ってきたのは、フウだった。
「来たっす! 砂隠れから!」
「ありがとう。すぐにカカシさんと……あとは、そうだ。テマリが里にいるはずだ。彼女を連れて行ってくれ」
「二人だけっすか?」
「そうだな……サスケと、きっとサクラも近くにいるだろう。その二人も頼む。くれぐれも、無理はするな。特にサスケは感情的になるかもしれない」
「了解っす!」
風のようにフウは部屋を出て行った。
ようやく。
ようやく、相手の尻尾を掴むチャンスが訪れた。
これまではずっと、亡霊のような相手が、見えない暗闇から攻め続けてきた。
だが今回は違う。
こちらが攻め立てる。
今回の機会を逃しても、あらゆる手段を使って追い詰める。
不可視は、もう通用させない。
あらゆる手段を、権力を、情報を、全て使って陽の下に引きずり出す。
焦土をも燃やし尽くさんばかりの情動と、氷河を生み出す冷静さを秘めつつ、イタチはシズネに顔を向けた。
「すみません。今から砂隠れに向かいますが、シズネさんはどうしますか?」
☆ ☆ ☆
懐かしの砂隠れの里の空は、砂と爆炎が交錯していた。
起爆粘土で作られた巨鳥に乗り空を飛び回るデイダラと、一尾の人柱力の戦闘を、サソリは人気の無い路地から見上げていた。
繰り広げられる空中戦。自分が捕らえると意気込んでいた割には、苦戦しているようだった。だが、正直なところ現在の風影に勝てる忍がいるのか、という疑問をサソリは抱いていた。
明らかに規格外の忍だ。一尾の人柱力だとは知っていたが、
──相変わらず、センスの無い里だ…………。
久方ぶりに帰ってきた故郷。
殺風景でシンプルな建物たち。細かい粒の混ざっている乾ききった空気。どれもこれもが、空虚を掻き立てる。里を出て行った時と殆ど変わっていない。哀愁も何も、感じはしなかった。
「本当に来るとはの。知らせを聞いた時は心臓が止まるかと思ったぞ」
「どうせ死んだフリだろうが」
「その声に、その口の悪さ、そしてヒルコ……本当に、サソリなのじゃな」
ヒルコの中から、サソリは建物の端に視線を向ける。そこには、険しい表情を浮かべるチヨバアが立っていた。
警戒しているようにも、呆れを表しているようにも、苛立ちを抑えているようにも見える顔。それなのにサソリは退屈そうに──変わらないな──と、心の中で呟いた。空で、大きな爆発が起きる。
そろそろデイダラの起爆粘土が底を尽く頃だろう。
風影が勝つのか、デイダラが勝つのか、どちらにしろ、戦いの終わりは近い。
「
「ヒルコから顔でも出したらどうじゃ? せっかく会うたんじゃ。一方的に、何の説明もなく要求を突き付けておいて顔も出さぬとは、どういう了見じゃ」
「世間話をしに来たわけじゃねえんだぞ」
「なら、話はこれで終わりじゃな」
淡々としたチヨバアの表情からは、心底、諦観が感じ取れた。今、デイダラと争っている風影の保証や、その他全てがどうでもいいという、乾いた表情。
今回の計画をチヨバアに伝える手段として、サイを活用した。彼から聞いた出生と今までの経歴は、伝達係として非常に適していた。
その彼にチヨバアへ今回の計画を伝えている。計画後についてもだ。
だが、チヨバアはどこ吹く風。サソリは苛立ちを覚えた。
チヨバアを計画の一部として組み込むのには、サソリ自身にも不安があった。理由は単純だ。目的が共有できるかどうか、その一点。
サソリは数秒、沈黙を作ると、やれやれとボヤきながら、ヒルコから姿を現した。
「これで、満足か?」
暁のメンバーの一部と、そして同盟メンバー以外に見せた事のない
乾いた表情だったチヨバアに、驚きが。そして、数秒して、悲しみの色が滲み出した。
「……人傀儡か」
「よく知ってたな。ああ、そうだ。どうだ? お前が見たかった顔ってのは。俺自身が作った顔は。いい出来だろ?」
生身だった頃の姿をそのまま複製したのだから、出来の良し悪しも無いのだが、何となしに皮肉を呟いてしまった。
そして、何となく、チヨバアも人傀儡なのではないかという考えが浮かんだ。
チヨバアも自身と同様、かつての頃と何も変化が見受けられない。もしそうならば、何ともおかしな話である。出来損ないの人形が会話をしているのだから。
「んで、準備はどうなってる?」
「……出来ておるよ」
「上々だ。なら、手筈通りにしろ」
ちょうどその時、デイダラの右腕が風影の砂に纏わりつかれていた。そして、急激に砂が凝縮したかと思うと、水袋を握り潰したかのように、砂の隙間から血が弾け飛んでいた。辺りから、砂の忍らの歓声が聞こえてくるが、サソリから見れば今の瞬間に起爆粘土を砂に仕込んだのは一目瞭然だった。
風影は驚異的な強さだ。
だが、恐ろしさは感じられない。
砂を操る術を駆使すれば、その気になればデイダラを一瞬で砂で絡め取る事が出来るだろう。そうしないのは、大量の砂を操れば、デイダラの攻撃が分散してしまう事を恐れてだ。
丁寧に、繊細に、砂をコントロールしている。
どうやら、デイダラが敗北するという楽なプランは進みそうにない。
「サソリよ」
ヒルコに戻ろうとすると、チヨバアに呼び止められた。
「なんだ?」
☆ ☆ ☆
「あん? サソリの旦那が裏切ってるだって?」
デイダラがその話を聞いたのは、リーダーからだった。【暁】に所属してからそれなりの月日を過ごしてきたが、リーダーが個別に話がしたいと声を掛けてきたのは初めての事だった。
「ああ、そうだ」
声を掛けてきた、と言っても、いつもどおりの忍術を介してである。相変わらず鮮明な姿も分からず、そしてよく通る声だけが、集合場所の暗闇の洞窟に響いた。
「……ふーん。で? オレにサソリの旦那の始末をしろって言いたいのか? うん?」
「正確には違うな」
「あん?」
「裏切りに関しては、かなり以前から把握はしていた。だが組織としては、簡単に始末するには、サソリの力、そしてうちはフウコの力は惜しかった。特に、うちはフウコの実力は、資金稼ぎの為には役立っていたからな。サソリを切れば、うちはフウコも切ることになる。まだ尾獣回収も進んでいない今、戦力が削られるのは大きな損失だ」
その言葉に、デイダラは「ふーん」とまた、興味無さそうに相槌を打ちながらも、嫌な気分であった。
いつの段階でサソリが離反を考えていたのか。そして、どうしてリーダーはそれを察することが出来たのか。まるで尾獣回収が進めば、足手纏はあっさりと切り捨てるような口ぶり。
それらいずれもが、僅かにデイダラに組織への不信感を抱かせた。
──ま、いざとなったら、オレの芸術で吹き飛ばしてやるけどな、うん。
【暁】にいる理由は単純に、自由に自分の芸術を追求できるからに過ぎない。デイダラの【暁】への忠誠心はそこまで高くはなかった。
「だが」
と、リーダーは言葉を続けた。
「状況が変わった。早々にサソリとフウコを切るか切らないかを決めなければいけない」
状況。
その言葉が示す認識は、つい先日の集まりで共有している。
五影会談が開かれる。
どういった議題が開かれるのか、その全容までは把握できていなかったが、尾獣を集めている【暁】にとっては、里の連携が強まるのは面倒だったのだ。
「今度、お前とサソリで一尾の回収をしてもらう。その際に、サソリに不穏な動きがあれば、お前の判断で構わない。サソリを殺せ」
自分の判断でサソリを殺す。
それはデイダラにとって──嬉しい権限だった。
「……おいおい、サソリの旦那。今のは流石に、冗談になってねえんじゃねえか? うん。マジでオレを殺す気だったじゃねえか。いくら芸術家としてのセンスがオレよりも下だからって、不意打ちで消そうなんてのは駄目じゃねえか。うん」
鳥を上昇させながら、デイダラはサソリから十分な距離を取り呟いた。
浮かべる表情は笑顔。サソリとはいつも、その顔を浮かべている。まだ、サソリを切るには早い。もっと状況を揃えなければ──というのは、デイダラ自身も気付いていない建前だった。
自分の判断でサソリを切っていい。
しかも、リーダー直々の指示である。
実のところデイダラは、サソリと正面から戦いたかったのだ。同じ芸術家として、どちらが上か。追求せざるを得ない。そしてデイダラには、サソリに勝つ絶対の自信があった。芸術家としての、もはや傲慢と同位の自信。
その自信が無意識に、サソリの失望した姿を求めたのだ。
裏切りを予測されていなかった時の表情を引き出してから、吹き飛ばす。そんな無意識が働いていたのだ。
「ああ、殺す気だったからな」
と、サソリは平然と言ってみせる。
まるで普段通りだと言いたげに。
ここで、なるほど、とデイダラは感心した。
傀儡人形は変化も何もないつまらないガラクタだと思っていたが、こうして対面してみると、表情が読み取れないというのは確かに効果的である。まず、どうやってヒルコから引きずり出そうか、そんな算段を考え始める。裏切りの確信が欲しいという建前を作って。
「どうしたんだい、旦那? 今日はヤケに短気じゃねえか。あの女の世話で疲れでも溜まってるのか? うん。それとも、マジでオレを殺しに来たのかぁ?」
軽い挑発と探り。
だが、当然ながらヒルコの表情は動かない。ゆらゆらと長い尾を揺らしながら、こちらを見上げるばかりだ。
「何か言ったらどうだい? うん。あまりだんまりだと、オレも変な気が起き上がってくるぜ? せめて顔でも見せてくれないかい? なあ? 旦那。アンタ……どういうつもりで、オレを殺そうとしたんだ?」
サソリは、何も言わない。
互いの間に吹き込む風は、いつの間にか冷たさが降りてきた。
既に、デイダラは探り合いを捨てていた。サソリ本人の顔を見ながらならばまだしも、対面しているのは物言わぬ傀儡人形。サソリ自身も、余程の事が無い限り姿を出さないだろう。
こっちには一尾の人柱力がいる。次、いつ目を覚ますか分からない以上、ぐだぐだしているのも面倒の先延ばしだ。
さっさと、芸術の一部にして──。
「ペラペラ喋りすぎだ」
残り僅かとなった起爆粘土を手に取ろうとしたのと、サソリのその言葉が発せられたのは同時で、そして、急に視界に影が差したのもまた、同時だった。
影が差し、背中から明確に伝わってくる強烈な殺気。見下ろすサソリから視線を逸し、背後にいる何かに備えたのは正しい判断だった。
起爆粘土で作った鳥に乗り、確保していた空中という安定。
にもかかわらず、背後にいたのは、
「誰、だよテメエッ!?」
起爆粘土を握った左腕を鬼の眼前へ──そう思ったが、再不斬の振りが早かった。容易く切り離される左腕と吹き出る血が、再不斬とデイダラに弾け飛ぶ。
脳裏に走る激痛。
だがそれに悲鳴を上げ心を不安定にするほど、デイダラの追究への道程は単純ではなかった。起爆粘土を生成する為に施した両腕の口や、その他の部位にも施した術。それらを実現する為と、そしてデイダラ自身の感覚が既に、腕を切られる痛みを凌駕していた。
ノータイムで動き出す思考。
その速度のおかげか、これまで反社会的な活動をしてきた経験則か。
下方から射出された幾十もの毒針を、鳥の翼で受け取め、二振り目を放とうとする再不斬をもう一翼で払い飛ばした。
「くっそ……旦那ァッ!」
「その花火みてえな軽口は収まったか? テメエがペラペラ話しているおかげで、こっちの手足が間に合った」
手足。
そう称される男を見下ろす。黒い短髪の、口元を布で隠した男だった。奇しくも、デイダラは抜け忍に関する知識は乏しかった。名前も知らない相手に腕を切られた。それが気に食わない。のみならず、こちらを見上げているヒルコの視線が、まるで内部に閉じ込もっているサソリが嘲笑っているようにも見えたのだ。
先程までの子供のような嗜虐心はひっくり返り、後先を顧みない怒りだけが、激流となった血液と共に頭へと上り詰める。
芸術家としてのプライドは、サソリの挑発を前に冷静さを引き寄せるほど、強固ではなかったのだ。
その怒りへと心が囚われた瞬間こそが、サソリが求めていた瞬間だった。
──ッ?! 身体が……ッ!
両腕を失い、それでも尚、激情に任せ不安定な鳥の背の上で前のめりになった瞬間、下半身の感覚が失われた。突如として身体を束縛する浮遊感。
忍術ではない。
幻術でもない。
だが、身体が動かない。
そこでようやく、デイダラは首の違和を感じ取った。何か、細い──針のように、とても細い──ものが射し込まれたような感覚だった。
他にもまだ、サソリの手足があったのか。
冷静であれば、考えに至れたかもしれない。
冷静であれば、一尾の人柱力の確保を優先して退くことが出来たかもしれない。
──やっば………。
鳥から落ち、身体は宙へ投げ出される。
眼前にはサソリの毒の刃と、無骨な凶刃が待ち構えていた。両腕は無く、下半身は動かない。いざという時の術も、間に合わない。
その刹那。
サソリと再不斬の背後に、1つの影が。
「これはこれは、懐かしい顔がありますねえ」
干柿鬼鮫がニタニタと笑いながら、立っていた。