いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 投稿が遅れてしまい誠に申し訳ありません。

 次話は今月中に投稿いたします。


ピカイアの嘘

 サソリと再不斬は、デイダラの視線が自分たちに向けられていない事に、同時に気が付いた。

 自分たちの背後。後ろで、声が。

 

「これはこれは、懐かしい顔がありますねえ」

 

 サソリは……そして、再不斬も…………その声には聞き覚えがあった。

 湿った海のような粘着質な喋り方と、深海のような冷たさを放つ声質。そして連想される巨躯は、振り返った瞬間に眼前へと確かにあった。鞘代わりの布に包まれた巨剣を振り上げ、ギラついた眼光は一直線にこちらを見下していた。

 

「再不斬さんッ!」

 

 干柿鬼鮫。彼の巨腕が振り下ろそうとしていた矛先は、再不斬を目掛けている。術で姿を透過させていた白は、サソリと再不斬よりも速く動いていた。幸運だったのは距離が離れていたことと、何より白の中心には再不斬がいることだった。空中へ放り出されていたデイダラよりも、再不斬の身の安全を優先しての最速の動き。

 

 既に白は、鬼鮫の真横にいた。未だ姿は上質な氷のような透明度を保っているが、移動による砂煙でもはや意味をなしていない。透明ながらも、白の動きに同調するサソリと再不斬。

 

 ヒルコの口元の布を取り、開口して毒針を射出するサソリ。

 

 刃を翻し、振り向きざまに鬼鮫の剣撃を弾こうとする再不斬。

 

 だが、三人の速度を、パワーを、鬼鮫の膂力は嘲笑うかのように弾き飛ばす。ぶつかりあった鬼鮫の大刀と再不斬の首切り包丁は、一瞬で優劣が決した。首切り包丁は砕かれ、そのまま大刀は軌道を逸して砂の地面へと衝突し、粉塵が巻き上がる。

 

 デイダラの起爆粘土にも勝るとも劣らない力は、砂粒を放射状に吹き飛ばし、弾丸の如く飛散する。

 白と再不斬は、飛散した砂粒を回避しようと後ろに退いてしまった。射出した毒針も風圧で吹き飛ばされてしまう。

 

「チィッ!」

「裏切り者を消すつもりでしたが、まさか貴方がいるとは思いませんでしたよ」

 

 ニタニタと笑う鬼鮫は、二の太刀を横薙ぎのようにしてヒルコを粉砕した。

 強度を修正したばかりのヒルコだったが、たったの一振りで粉々になってしまったのを、ヒルコから脱出しながらサソリは歯痒んだ。

 砂の上へと降り立ち、サソリは低く舌を打った。

 

「テメェがここにいるってことは……」

「ええ」

 

 と、鬼鮫は軽々と巨剣を肩に乗せて笑ってみせた。

 

「貴方を殺すように言われていますよ。まさか貴方が組織を裏切るなんて半信半疑でしたが……本当に裏切っているとは…………しかも、カワイイ子鬼を連れて」

 

 およそ三角形の頂点のように、サソリたちは立っていた。その中央に鬼鮫、そして上空から受け身も取れずに落ちてきたデイダラがいる。彼は再不斬に視線を寄越しながらも、白を一瞥した。先程の粉塵で、術が解けていたのだ。

 

「再不斬……随分とみっともない姿になっていますねぇ、鬼人と呼ばれていた姿はどこへやら。まるで老いた魚だ。昔の貴方なら、こんな連中とつるむ(、、、)なんてあり得なかったというのに」

「大きな世話だぜ、鬼鮫よぉ。テメエは相変わらず、裏切り者を始末するチンケな使いっぱしりをさせられてるんだな」

「クックック。かつてならそんな減らず口を叩く前に、噛み付いてくるというのに」

「おい、鬼鮫ッ! くっちゃべってねえで、さっさとオレを起こせッ! うん! こっちには人柱力がいるんだぞ!」

 

 鬼鮫の足元で起き上がれずにいたデイダラが声を張り上げる。まるでそれに合わせるかのように、起爆粘土の鳥が降り立ってきた。鳥の尾に包められた我愛羅は、未だ目を覚まさない。

 

「まったく貴方は。この場で一番マヌケな姿ですねえ。……なるほど、千本ですか」

 

 首の千本を鬼鮫はぞんざい(、、、、)に引き抜いてみせたが、力加減も抜く角度も、白の目からは霧隠れの里の技術を踏襲している事が分かった。

 デイダラは針を抜かれると、あっさりと立ち上がる。

 

「来るのが遅えんだよ、うん」

「私は早いと思っていたくらいなのですがねえ。まさかこうもあっさりと窮地に陥るとは、夢にも」

 

 こういう状況は──想定していなかった訳ではなかった。

 これまでデイダラとペアを組んでいたのは、鬼鮫である。にも関わらず、今回の任務ではペアを組まされた。その時点で、きな臭さはあった。それでも尚、姿を消し隠密に徹していた再不斬らには計画停止の合図は出さなかった。

 

 きな臭さがあったからこそ、計画は進めた。

 

 もはや後退はありえない。裏切りが発覚してしまったのならば、こちらが先手を打たなければいけない。こちらは四方八方が敵だらけだ。正規の忍里、暁、そもそも手配されている身の上である。後手後手に回れば、最後には絡め取られる。

 それに、計画の前提条件はようやく……ようやく整ったのだ。

 目の前には無能同然のデイダラと、万全の鬼鮫。

 こちらは、ほぼ無傷。だが……。

 

「いくら融通の利かない大国の忍里でも、風影が捕らわれたとなれば………流石に、もうそろそろ動くことでしょう」

 

 時間は限られている。

 

 砂影を奪還するには、綿密なプランを要するが、それでも斥候としての者が一人や二人……あるいは、複数人は来るかもしれない。

 

 裏切った裏切らないというのは、まだ、暁での内輪もめでしかない。同じ衣を纏っている者を見れば、所構わずとなるだろう。

 

 砂隠れの里に捕まる程度なら……問題(、、)はない。

 問題なのは、中途半端な邪魔のせいで、こちらに死傷者が出るということ。

 それは、鬼鮫も同じような事を、思ったのだろう。

 数的には不利であるにも関わらず、どこか紳士的な余裕の笑みを浮かべて、大刀を振るって見せる。

 

「裏切り者に、子鬼、そして……半人前。大した時間はいらないでしょう」

 

 その言葉は同じく、サソリも思っていた事だった。

 

「ああ、同感だな」

 

 チャクラ糸を、伸ばした。

 向かう先は──起爆粘土で作られた鳥…………その尾に包まれた、我愛羅の砂化粧(、、、)を施された傀儡人形。

 

「いい仕事をした、チヨバア」

 

 些細な、簡単な操作をしただけで。

 傀儡人形は爆発した。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

 我愛羅が見慣れぬ鳥を風影の執務室で目撃した時、まるで示し合わせたかのように、入り口のドアが開いた。

 

「今、外に出てはならぬぞ、風影」

 

 入ってきたのは、チヨバアだった。

 突然の訪問と脈絡のない言葉に、近くのカンクロウは小さく驚きの声をあげた。

 

「チ、チヨバア様……どうしてこちらに…………」

「何じゃ? 死にかけのババアが、ここにいたら悪いか?」

「い、いえいえ! そういう意味では……」

「出てはいけないとは、どういう意味だ? チヨバア様」

 

 対する我愛羅は、冷静に尋ねた。

 

「虫の報せが入ったまでじゃ」

 

 そしてチヨバアは、侵入してきた者が【暁】と呼ばれる集団の一人であるということ、目的が里への戦闘行為ではなく我愛羅自身であるという情報の提供。そして、我愛羅は戦闘に出ず、チヨバアが操る傀儡人形を表に出し、我愛羅自身は別の場所で砂の操作し、わざと人形を捕まらせてほしいという提案をしてきた。

 我愛羅もカンクロウも、唐突に出てきたチヨバアからの【暁】の情報に驚きを顔に浮かべながらも、途中で口を挟むことはしなかった。普段から巫山戯調子の彼女が、声は荒らげないものの真摯に語りかけてきていたからだった。

 

「その情報、どこから?」

 

 チヨバアの話が全て終わり、我愛羅は訊いた。

 

「……言えぬ」

 

 だが信じてくれ、という言葉を、年齢を深く刻んだ喉元が必死に抑えているように、我愛羅は感じ取った。カンクロウが我愛羅の様子を静かに見つめている。常識的に考えれば、明らかに不自然な情報提供である。

 これまでチヨバアは、砂隠れの里には干渉してこない立場だった。常にどこかで、安穏に過ごし続けている姿しか、少なくとも我愛羅は知らない。

 罠だという可能性もあるだろう。カンクロウが送ってくる視線には、そのような意図が隠されているようだった。

 

「分かった。チヨバア様、力を貸していただきたい」

 

 しかしながら、我愛羅は即断した。

 

「カンクロウ。お前は部隊を編成し、暁が里の外に出たら追跡できるようにしておけ」

「分かったじゃん」

「誰にも気付かれないようにしてほしい。不自然な動きを見られれば、向こうに気付かれるかもしれない」

「木ノ葉には?」

「それもまだ早い。俺の人形が捕らえられてからだ」

 

 一瞬の逡巡も無く指示を出す我愛羅と、それに応えて部屋を出ていくカンクロウ。その二人の動きに、チヨバアはどこか呆けたように立ち尽くしていた。

 

「……こんな死にかけのババの言葉を、あっさりと信じるものじゃな」

「俺は……風影として、ここにいる。里の代表だ。ならば、俺も里の者を信じる強さが無ければいけない。たとえ罠であったとしても、それさえも跳ね除ける程に強くなければいけない。ここで貴方を疑うような風影が、五影会談に出て、何を語るというんだ」

 

 我愛羅は席から立ち上がった。

 

「傀儡人形での戦闘だが、最初からでは、万が一にも損傷し、敵側に気取られる可能性がある。ギリギリまでは俺が戦います」

「ああ……そうじゃな。その方が、良いな。そこまで頭が回らんかった。ボケたかの?」

「御冗談を」

 

 かくして、我愛羅は背負う砂の瓢箪の中に傀儡人形を伏せてデイダラと戦闘を行う事とした。

 事実として、我愛羅は手加減は一切行ってはいなかった。

 全力での戦闘。戦闘段階で捕らえることが出来れば、万事問題なく進むはずだった。守る立場の者と、守る必要のない者としての圧倒的なアドバンテージ。デイダラが、砂隠れの里そのものに危害を加える動きを見せ、巨大な起爆粘土を投下したことが、傀儡人形との入れ替わりの要因となったのだ。

 

 この入れ替わり。

 

 我愛羅にとっては、苦渋の選択であった。

 

 戦闘で勝てるという驕りがあった訳ではなく、風影の責務から来るものでもなく。

 ただ、砂隠れの里の者を守る行為によって敗北した──戦闘を見ていた砂隠れの忍たちには、そう映った──ことへの、自分の弱さに対して。

 

 チヨバアの進言が無ければ、今頃は捕らえられていた。

 五影会談を控えたまま、風影が不在となれば、どれほど里の者たちが悔しい想いをするのか。

 その想いが、無事に生き長らえながらも、我愛羅の心を重くした。

 もっと、強く。

 想いを乗せるようにして、我愛羅は、爆発音と共に砂漠の砂を走らせた。

 我愛羅はずっと、彼らのすぐ近くを、砂の下から追跡していたのだ。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 計画通りにチヨバアは傀儡人形を仕込んでくれた。作り自体は、起爆装置を付けただけの単純なもの。精巧なのはむしろ、その傀儡人形を砂の鎧で本物と瓜二つの姿を表現してみせた事だった。

 

 おそらくは、風影が施したものだ。

 

 ということは、近くに彼はいる。

 

 我愛羅の人形をマヌケにも連れてきたデイダラと会ってから、その予感があった。

 

 ──奴は、どこまで話が通じる相手だ?

 

 傀儡人形の爆発は、視界を砂煙で覆い隠す程の、十分な威力を発揮した。間近にいたデイダラと鬼鮫の意表を完全に突く事に成功したのも、はっきりと確認は出来た。デイダラも鬼鮫も、回避動作ではなく、防御に徹した。ダメージは確実にある。

 

 爆風はサソリの肉体にも、ヒビという形で刻んでいったが、非可動には程遠い。

 

 そして、視界が塞がれたとはいえ、完璧な状況だ。

 何せこちらには、無音殺人術(サイレントキリング)のプロフェッショナルがいる。言葉として言わずとも、既に再不斬と白は動いていた事は、砂煙の流れで分かっている。折れた首切り包丁でも、抑え込むことは出来るだろう。

 捕らえたか?

 

 と、その時だ。

 

「水遁──爆水衝波ッ!」

 

 砂煙の向こう側から、大津波が押し寄せてきた。

 

「チィッ!」

 

 鬼鮫の忍術。

 砂漠の真ん中を忘れさせられる程の膨大過ぎる水が押し寄せてくる。

 水の勢いに砂煙はかき消されると同時に、胴体に直撃する水圧は、ヒビの入った肉体にさらなるダメージを蓄積させる。

 即座に足元にチャクラを集中させ、即席に出来上がった大海に立つ。再不斬も白も、似たような状況。移動はしているが、距離に大きな変化はない。

 

 変化は2つ。

 

 1つはデイダラの姿が消えているということ。

 そしてもう1つが、鬼鮫の背負っている大刀を覆っていた布が消え、中の刀身が全て出ているという事だった。そこで、サソリは理解する。爆発の衝撃を、鬼鮫は大刀で防いだということ。怪力を持つ彼ならば、爆発による熱と飛散する破片さえ凌げれば、圧力などは問題ではないのだ。

 と、その時。

 

 視界が若干、暗くなった。

 

 上にいる。

 直感と共にサソリは大きく一歩下がるった。と同時に、自分が立っていた所に、クナイの斬撃が通った。

 

「ちっ、勘がいいなあッ! サソリの旦那ァッ!」

「……しぶとい野郎だ」

 

 デイダラは爆風の力で上空へ意図的に吹き飛んでいたようだった。彼の衣は無残にも消し飛び、背中から血肉が焦げた煙が漂っている。両手を失い、口にクナイを咥えた姿は、狂気すら覚える。

 

「人柱力が替え玉だってんなら、あんただけは殺さねえとなあッ! うんッ!」

 

 血走る眼球。だが、違和はその下にあった。

 デイダラの腹部が、徐々に膨れ上がっていたのだ。

 

「こんなつまんねえ所で見せるのは馬鹿馬鹿しいが……旦那を道連れに出来るのなら、オイラの芸術はアンタを超えた証になるッ!」

 

 自爆。

 

 その言葉が、頭に思い浮かぶと同時に、再不斬たちに視線を送った。

 鬼鮫に向かって、再不斬と白が接近する。

 足場が水という状況は、鬼鮫同様、同じ霧隠れの里の二人の方が与し易い。

 

「氷遁・氷柱波(つららなみ)ッ!」

 

 印を結び発現する白の氷遁は、足場の膨大な水に津波を起こさせながらも凍てつき、万の巨大な氷柱が襲いかかる。

 

「所詮は……子供の氷遊びですねぇッ!」

 

 逃げ場を完全に潰す氷柱の波を、鬼鮫は大刀のたったの一振りで粉々に砕いてみせた。そのまま返す刀で、死角から折れた刃を向ける再不斬の斬撃を跳ね除けた。

 

「片腕で私に対抗しようなどと、驕るにも程がありますよ?」

 

 再不斬の握力も腕力も、常人を遥かに超えている。だが、鬼鮫のそれは常識の外だった。跳ね除けられた首切り包丁を手放しはしなかったが、腕は完全に力に流され、胴体ががら空きになった。

 対する鬼鮫は、既に大刀を切り込む姿勢になっている。

 白が、その瞬間を逃さないように指に挟んだ千本を、鬼鮫の頚椎に差し込もうと背後に近付いたのは正しい判断だった。白の速度は、水を蹴る水飛沫を置き去りにする程だ。完全なタイミングだった……相手が、鬼鮫だけでなければ。

 

「確かに速い。ですが、再不斬の片腕を埋めるにはおよそ足りない!」

 

 背後の白を見ることも無く、空いている左腕で的確に彼の側頭部を殴る。首の骨をも折りかねない打力に、白は水の上を滑り転がった。

 

 大刀が振り下ろされる。

 

 鎖骨から左腹部に掛けて切り傷──ではなく、削り傷が刻まれる。

 

「弱い……弱すぎる…………再不斬。あんな餓鬼を連れているから、貴方は弱くなった。まるで角の折れた鬼だ」

 

 再不斬たちはその気になれば、逃げ切ることは出来るだろう。もはや問題は、デイダラだ。

 自爆を考える程の考え。

 考慮が出来ていなかった。

 

 が。

 

 いざ、爆発せんとばかりに膨れ上がるデイダラの姿を見て、サソリは小さく納得をしてしまう。

 同じ芸術家として、自分自身を削ってでも、成し遂げようとする狂気は、初めて自分と似ていると感じた。

 

「いいか? 旦那ァ。冥土の土産に教えてやるぜ…………やっぱ芸術ってのはなぁ、うん、爆発なのさぁッ!」

 

 青天井に大きな声に、ようやっと鬼鮫と再不斬、そして白は気付いたようだ。

 デイダラが自爆しようとしている様子を。

 サソリを含め、四名はただ、逃げることだけを選択した。

 彼の身体が、限界までに膨れ上がる。

 爆発は──。

 

「──砂縛柩」

 

 海の向こう側から競り上がった膨大な砂によって、覆い潰された。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 水が引いていく。

 それは、術者である鬼鮫が、離れていった事を示唆していた。

 彼はどうやら逃げ果せてしまったようだ。デイダラは自爆。つまり、収穫はゼロに等しい。いや【暁】への裏切りを明確にした分、マイナスだろう。

 

 ──今は、まだ考える必要はない。

 

 サソリはただ、現状をどうするか考えていた。

 

 砂を動かした人物。

 

 現風影。我愛羅が、そこにいた。

 対面する我愛羅の視線は、疑惑と感謝が滲んていた。そしてそれは、彼が操る砂の動きにも呼応していた。自分らを囲い、蠢くばかり。砂は自分らの辺り一面は砂漠だ。拘束するだけなら、今すぐにでも出来るだろう。彼の実力は、デイダラとの戦いで十分に分かっている。

 冷静なやつだ、とサソリは評価した。

 不用意に信頼する訳でも、過剰に警戒する訳でもない。

 

 歳は20を超えていないだろうに、影としての器は十分だった。

 

「悪いが、拘束させてもらう。抵抗はしないでもらいたい」

 

 背後で再不斬と白が僅かに動こうとしているのを、サソリは片手を上げて制した。

 

「再不斬、白。お前らは退け」

「……ああ、そうさせてもらう」

「サソリさん。後は任せてください」

 

 頼もしい事を言ってくれる。サソリは小さく笑った。

 二人の返答があると同時に、周囲の砂が押し寄せてきた。我愛羅が、逃走の意ありと考えたのだろう。しかし、それよりも、白の術の速度は上回る。足元の砂でさえ足を絡め取ろうとせり昇ってくる最中に、再不斬は白の方に手を置き終えると同時に時空間忍術を発動させた。

 

 視界全てが砂に覆われ、けれど、まるで一陣の風が吹いただけのように、あっさりと視界は晴れ渡った。サソリは視覚で、自身の身体を眺める。どうやら、拘束はされていないようだった。

 

 広い砂漠で、風影と二人、静かに対面する。

 

「お前達の目的は何だ」

「さあな」

「我愛羅ッ!」

 

 ようやく、砂の忍がやってきた。風影が連れ去られたというのに、何とも遅い動きだ。なるほど、大蛇丸の計略に乗せられて木ノ葉隠れの里に戦争を仕掛けるわけだ。サソリは納得しながらも、しかし、人柱力である風影を追ってきている部分に関しては、なるほど彼は里からは信頼を獲得できているらしい。

 

 まあ、兎に角。

 

 怒りと疑念。それらを込めた数十の忍に囲まれながらも、サソリは両手を悠々と広げてみせた。

 

 ──ここまでは、予定通りだ。

 

 ようやく動き出せる。

 計画を。

 サソリは小さな笑みを噛み締めて、呟いた。

 

「お前達に投降する。洗いざらい何でも話そう。だから、分かっているな? 丁重に扱え。里を落とされたくなかったらな」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 翌日──大蛇丸アジトにて。

 

「姐さん? おーい、イロミの姐さん。起きてるかー?」

 

 多由也は気怠そうに、さも心底面倒そうに、眼前の扉を叩いた。もはやノックとしての機能を果たしていない力加減と、通りの悪い覇気の無い声質は、むしろ何も起きない事を願っているかのようにも思えた。

 ノックと呼び声を止める。そして数秒。何の返事もなかった。

 

「よし、寝てるな。じゃあ、寝かせておくか。しゃーねえなあ姐さんも。まあ毎日毎日実験やら何やらで忙しいだろうし、今日は起こさないで──」

「誰に言い訳をしているんだ? 多由也」

 

 何事も無く平穏ここに極まれり。そう言わんばかりの鮮やかな姿勢の切り返しを、真後ろに立っていた君麻呂に咎められた。多由也は驚いた様子もなく、がっしりと掴まれた肩と、その掴みに巻き込まれた長い髪の毛が引っ張られる痛みに、小さく舌を打った。

 

「何だよ君麻呂」

「大蛇丸様から、イロミ様を起こすように言われていただろ。返事が無いなら、起こす必要があるだろ」

「きっといないんだろ。どっか出掛けてるんだよ。何回かあったろ?」

「いいから中に入って、確認しろ」

 

 相変わらずの仏頂面。そして命令口調。もう音の五人衆は無く、ただイロミの部下という立ち位置に落ち着いて、上下という格差は無いはずなのに。いや、君麻呂は元々、そういうやつだ。表情が乏しい上に、ものの言い方が直線的だ。

 

 彼の態度や口調よりも、だ。

 

「……お前がいけよ」

 

 観念したかのように、しかし多由也は顎でドアを指し示した。

 

「無理だ」

「何でだよ」

「お前とイロミ様は同性だろう」

「んな理由もうどうでもいいんだよッ! あの人、もう倫理観狂ってんだからッ! この前なんて毛布一枚だけで過ごしてたんだぞ! 気ぃ使う必要ねえだろうがッ!」

「行け」

 

 有無を言わせぬ、議論の余地も無いと言いたげな口調。こうなったら、君麻呂は動かない。そういう奴だと言うのは、嫌なくらいに知っている。

 

 クソ野郎が、と意趣返しのように呟き、扉の前に。

 

 正直なところ、イロミを起こす時に良い思い出は無かった。基本的に彼女は、寝相がとんでもなく悪い。それは、ベッドから落ちているとか、寝癖が酷いだとか、そういった常識的な事ではないのだ。

 扉を開けた瞬間に、巨大な木の根に腹を打たれた事があった。

 中に入って彼女を起こそうと肩を揺らそうとすると、大量の蛇に雁字搦めにされて窒息しそうになった。

 

 時にはイロミが殴りかかってきた時もある。勿論、寝ぼけてだ。寸前で避けた際は、イロミの拳は石壁に深々と突き刺さったのは、真剣に恐怖を抱いたものである。

 

 今回は何が出るのか。

 

 警戒しながら、静かに、扉を開けた。

 

「姐さーん。入るぞー。頼むから、何も──」

 

 開けきった扉の向こう側から現れた大蛇に、多由也は丸呑みされた。彼女の身長は決して低くはない。そんな彼女を軽々と一口で丸呑みにした大蛇は、何と扉の枠よりも大きかった。大蛇は半ば枠を壊しながら巨大な頭を出し、大口をただ閉じるだけで、多由也を飲み込んだ。その時、君麻呂は多由也が驚きのあまり間の抜けた表情をしていたのを確認していた。

 

「君麻呂~ッ! 助けろォッ!」

 

 一部が膨れ上がった大蛇の腹部から、多由也の声が濁って聞こえてきた。大蛇の腹の中では、得意の音も効果が無いのかもしれない。ましてや、大蛇がイロミの身体(、、)から生み出された生物である以上、強度は計り知れないだろう。

 

 君麻呂は腕の肉から鋭く鋭利に形成させた骨を一本、生み出した。硬度も生成速度も、数年前の彼とは比較できないレベルへと成長していた。

 

 大蛇が君麻呂の淡白な殺意を感じ取り視線を向けた束の間、彼の速度は多由也が飲み込まれる速度を置き去りにした。

 頭部を真っ二つに裂き室内へ。そして、既に絶命した大蛇の胴体を不規則な螺旋状に切り捌いて、そして、一つのベッドの前に辿り着いた。

 

 切り裂いた蛇だった肉片からは、その体躯に相応しい大量の血液が石造りの床に広がるが、その朱色を感じさせない程に、室内は真っ暗だった。壁一面には夥しい数の書物と、液体に付けられた動物の死骸が詰められた瓶が飾られている。

 

 知識も、細胞も、遍くものに貪欲になり過ぎた、成れの果ての最高駄作(、、)。大蛇丸が一度彼女の事を、そう称していたことを聞いた事がある。

 

 実際に、彼女の細胞も実力も、今のナルトに勝るとも劣らないように、君麻呂には見えた。ただ、制御の可否を度外視した場合である。

 

「……もう、姐さんを起こす役はやらねえぞ…………」

 

 唾液と胃液、そして血液でドロドロになった身体で、近寄ってきた。毎回、彼女は同じことを言う。しかし、大蛇丸に指示されれば素直に起こしに来るのだ。

 

「おい……姐さん。起きてくれー」

「イロミ様。ご起床を」

 

 二人は静かにベッドで、薄いシーツだけを掛けて横に眠るイロミに近寄った。彼女の右肩が天井を向き、肌が見えている。だが、その見えている肩の、おそらく肩甲骨だろうか、そこからは先ほどの大蛇の尾が繋がっているようだった。

 イロミが生み出した大蛇。それは、忍術でも何でも無く、数年に渡る大蛇丸の実験によって象られた、もはや人間と評するには謙虚なほどに、異常発達を繰り返した異常の一つである。

 伸ばしきった髪は先端にいくに連れて白くなり、根本は真っ黒。そんな彼女は、静かに声を出した。

 

「……ん、どうしたの?」

 

 顔を向けず、背中を掻くような気軽さで、繋がっていた尾を体内に引っ込めた。

 

「大蛇丸様が御呼びです」

 

 と、君麻呂が言うと、イロミは心底、深い溜息を零した。

 

「何? 何の用……ムニャムニャ…………なの?」

「【暁】のメンバーの一人が、砂隠れの里で拘束されたという情報ですよ。さっさと起きてくださいよ」

 

 答えたのは多由也だった。

 イロミは寝返りをうつ。多由也の態度が気に食わなかった、というような理由は全く無く、その証拠に目元を隠している白い前髪の下の口は、眠気を残しながらも嬉しそうに笑っていた。

 

「ああ、うん、じゃあ、起きないとね。そっかぁ……うん」

 

 イロミが上半身を起こすと、はらりとシーツが折れて倒れる。そこには、細い身体と、そして右半身が老木の樹皮のようなヒビが深々と刻まれていた。

 

「フウコちゃんに、会えるかなあ」

 

 その嬉しそうな笑みに、どうしてか、多由也と君麻呂は背中を寒くした。

 


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