いつか見た理想郷へ(改訂版)   作:道道中道

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 次回の投稿も、やはり十日以内に行います。


双頭の風見鶏

「本当に、ダンゾウには不穏な動きはないのだな?」

 

 疑念と嫉妬、苛立ちが含まれた男の声は、上座に座るフウコの鼓膜を不愉快に震わせた。小さな呆れと怒りが、胸を痒くする。できるなら、大きくため息をつきたい気分なのだけれど、今はそれを許してくれるほど余裕のある空気ではない。

 フウコは無表情のまま、男に視線を向けた。

 

「ダンゾウも愚かではありません。今、このデリケートな時期に、ましてや、火影がこちらとの対話に積極的な姿勢を示している状況で、不必要な波紋は、確実に自分の首を絞めます。まだ私たちは、何も罰せられるようなことは一つとして行っていないのですから」

 

 平坦な声は、その会合場に吸い込まれていった。

 

 南賀ノ神社―――本殿。そこの地下に、秘密の会合場が存在する。今ではうちは一族が里の平和を脅かす、という不名誉な目的の為に、定期的に使われるようになっていた。つまり、集会場の存在を知った人数が、かつてよりも―――少なくとも、自分もその秘密を知ることになるまでは―――増えているということだった。

 

 しかし、かといって、現在集会場に集っている、イタチとシスイを除いた、そしてフガクを含めた十数名ほどのうちはの者たちに対して、秘密を共有した仲間という認識を、フウコは持ち合わせていない。むしろ、全くの逆。

 そう、敵だ。

 見下げ果てた欲に駆られ、平和を壊さんとする、敵。

 

 その敵に半ば囲まれ、数本の蝋燭の灯だけで照らされる集会場にいるだけで、相当なストレスを抱えていた。

 

 いつ自分が二重スパイなのだと気取られないか、というストレスではなく、愚かしい考えを真剣にしている相手にいつしか本音をぶちまけてしまわないか、というストレス。

 

 それらの疲労を我慢しながら、フウコは言葉を続けた。

 

「そもそも、知っての通り、私は暗部で副忍という地位にいます」

 

 副忍、という言葉に、周りの者は眉間に皺を小さく作る。それを見るだけで、ストレスが増した。どうしてこんなことで、不快感を抱くのか、と。

 

 たしかに、副忍という地位は、自分の為に作られたものだ。ダンゾウが、自分の実力を明確に示す目的で独断に―――正確には、裏ではヒルゼンも同意の上なのだが―――作ったのだ。

 

 その効果は、すぐさまうちは一族に現れた。

 

 元々、上層部のスパイという名目で暗部に入隊するように言われていたフウコが、暗部のナンバーツーになったのだ。すぐさま重宝され、会合では、うちは一族を統制するフガクの横に座れるようになったのは、何ら不思議でもない。しかし、時が経つにつれ、向けられる視線が、信頼から嫉妬や不満へと変わっていったのも、ある意味では必然だったのかもしれない。彼らから見たら、青二才の少女が、これまで貢献してきた自分たちよりも重宝されるのは、面白くない。そういう思想が、膿のように姿を現し始めた。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 表面上、うちは一族の思想に同意しているというのに。同じ方向を向いているというのに、どうして、そんな驕った考えを持てるのか、理解できなかった。

 

「ダンゾウに伝えられる情報は、必ず、私に一度通されるようになっています。もし不穏な動きがあるなら、私は察知できるのです」

「しかし、ダンゾウには私兵がいるではないか。そこからの情報は入ってこないのでは?」

「【根】のことですね。たしかに、その可能性は否定できません」

 

 男はしてやったりと言いたげに、小さく口端を吊り上げた。これだから青二才は、とでも言いそうなほどだ。

 くだらない、と呆れて思う。

 疑い始めたら、キリがないのに。

 

 視界の端に、イタチとシスイの顔が見えた。

 

 末席に座る二人の視線は、どこか心配そうにこちらを見ている。

 大丈夫、と言いたかった。言って、彼らを安心させたい。

 代わりにフウコは、はっきりと男に反論することによって、それを示すことにした。

 

「もしかしたら、私の知らない所で、状況は動いているかもしれません。ですが、それの何が問題だと言うのですか? たった暗部のごく一部の集団がこちらに疑心を投げかけた所で、うちはの力がそう簡単に打ち破られるとは、私は思っておりません。皆さまも、同じなのではないですか?」

「まあ、そうだが……。しかし、万が一、というものが、あるではないか」

「安心してください。万が一の事態は、私が抑え込みます。他の方々のお力は、もちろん、お手数をかけますので、必要がありません。些細なことを気にする必要は無いのです」

 

 目一杯の皮肉を込めた言葉に、男は渋ったように顎をなぞるだけで、それ以上言葉を発することは無かった。おもむろに視線を辺りに巡らせると、俯いたり、上を向いたり、総じて、逃げるように視線を逸らす者ばかり。

 しかし、イタチとシスイは違う。

 

 イタチは安心したかのように、ほんの微かに目尻を下げている。シスイに至っては、笑うのを我慢しているのか、緩みそうになった口元をなぞるようにして短く手を添えた。

 

 よかった、とフウコは胸を撫で下ろす。

 

 隣でフガクが喉を鳴らした。もう自分の出番はないらしい。頭を下げて、少し後ろに下がる。

 

「では、次の議題に入ろう」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

 一通りの会合は終了したが、まだ一部の大人たちが残って議論を続けていた。残った大人たちは、うちはの計画における中心人物たちで、残って議論を続けるのは、もはや暗黙の恒例行事だった。そこにはフガクももちろん含まれているが、フウコ、イタチ、シスイの三人がそこに加わることはできない。やはり、年功序列的な問題があるのだろう。そればかりは、実力ではどうにもできない。

 

 しかし、そこで話し合われた内容は、次の会合までには伝えられるため、そこまで重要度の高いものでもなかった。

 

 そもそも、クーデターを起こすなら、必ず、自分に伝えられる。うちは一族にとって、クーデターは失敗が許されないものだ。その中心には、自分がいる。うちは一族が自分の力に依存し、そして頼るように、仕向けたからだ。どれほどの嫉妬や不満の視線を向けた所で、フウコが築き上げた現実の前では、蟻に等しい抵抗である。

 

 家に向かう道中は、足取りが軽い。鼻から吸う空気が、会合場の時よりも幾分か美味しく感じとれた。きっと、自分の両隣を歩く二人も、同じだろう。

 

「いやあ。さっきのは、スカッとしたなあ」

 

 右を歩くシスイが、夜空を見上げながら呟いた。両手を頭の後ろで組む姿勢を取っている。彼の横顔は、アカデミーの頃のように、無邪気で爽やかな笑顔を形成していた。

 

「だけど、もっと言い返しても良かったんだぞ? いっそのこと、黙ってろ! このハゲ! くらいでも言えばよかったのによ」

「あれ以上言うのは、流石に問題があると思う。ただでさえ、私は色々と思われてるから。あと、あの人の頭髪はしっかりしてた」

「気にするなよ。どうせ、お前には強く言えないんだ。フガクさんもあの場にいるしな」

 

 どうだろう、とフウコは考える。

 

 今はフガクを筆頭に、うちは一族は纏まりを保っている現状だ。しかし、その影響力も、自分が要因で消えてしまうことも否定できない。

 何によって、状況が変化するか、予測できない面も含んでいるのだ。自分がいるおかげで、いつでもクーデターが成功する、という精神的余裕が生み出した弊害の一つである。自分に向けられる汚い視線も、その一つだ。

 

「シスイ、あまりフウコを困らせるな」

 

 左のイタチが表情を顰めて諌める。

 

「目的を達成するまでは、我慢しないといけないんだ」

「そうだけどよ、だからって、お前だって気に食わないって思っただろ?」

「思っただけだ。あまり感情的に考えるな」

「わーってるって。冗談だよ、冗談。そう怖い顔するなよ。お前は真面目だなあ。もっと肩の力抜けよ。会合の時だって、お前は硬い表情をして。言っておくけどな、お前の真剣な表情はどこか切羽詰ってるように見えるんだよ。それじゃあ、周りの人から怪しまれるぞ?」

「お前の考えが偏っているからだ」

「なあ、フウコ、お前だってそう思うだろ?」

「ううん、イタチは普通。というよりも、シスイの方が不自然だった。笑うの我慢してたから」

「それはお前が面白い返しをするからだ」

 

 周りには誰もいない。

 穏やかな時間。

 今にして思えば、かつては、会合の後の時間はここまで落ち着いた気分になれることはなかった。シスイは当時でも、今みたいに「退屈だったな」とか「眠い」とか、呑気に呟いていたが、二人には心の余裕が無かった。

 

 もしかしたら、明日にでも、クーデターは起きてしまうかもしれない。

 そうなったら……、そこまで考えてしまうと、体温が下がっていく。

 静かな夜は、思考を走らせる。

 良い考えも、嫌な考えも。

 自分とイタチが硬い表情をしていると、シスイが「落ち着けよお前ら」と笑って元気付ける、それが定番だった。今とは大きくかけ離れていた。

 

 長かったように思う。

 

 ここまで来るのに。

 自分たちが、ここまで、落ち着ける段階まで、来るのに。

 

「あ、イタチ。ちょっとフウコ借りるぞ」

 

 唐突にシスイに手を握られたと思うと、身体を引き寄せられ、肩を抱かれた。恋人関係になってから、彼とのスキンシップが増えたように思う。おそらく、サスケよりも多いだろう。秋と冬ならいいけれど、それ以外の季節では、暑いから不必要にしないでほしいというのが、率直な所である。

 

 イタチを見ると、彼は別の意味で表情を険しくした。

 

「シスイ、何を考えてる」

「いきなり疑うなよ。別に、野暮用だって」

「一人で行け。フウコを巻き込むな」

 

 お前は過保護だなあ、とシスイがにやけると、より一層のイタチの顔は険しくなる。

 どうしてこうもシスイは、イタチの神経を逆なでするような発言をするのだろうかと、フウコは思う。彼なりの気遣いなのかもしれないが、いや、逆に何も考えていないのかもしれない。任務以外の彼は、あまり深く考えない性格だ。

 

 野暮用。

 

 そう表現される内容を、フウコは知っている。しかし、野暮用と呼んでもいいのか、迷ってしまう。自分からしたら、野暮と片付けてしまえるようなものではないからだ。かといって、どうやらイタチが心配しているような、危険な類はない。「大丈夫だよ」と言っても、「お前の大丈夫は、時々信用できない」と言われてしまった。そんな風に、自分は見られているのかとショックを受けながら、尋ねる。

 

「イタチは何を心配してるの?」

「フウコ、少し静かにしていてくれ。あと、耳を塞ぐんだ。俺はシスイと話しがある」

「心配しないで。大丈夫だから」

 

 しばらくイタチは腕を組んで瞼を閉じた。何度か、眉間に皺が増えたり減ったりしていたのを確認したが、彼の頭脳の中で一体どんな議論がなされているのか、想像が難しい。

 

 瞼が開くと、彼はこちらに近づき、肩に手を置いてきた。

 

「何かあったら、すぐに逃げて、俺に知らせるんだ」

 

 分かった、とよく分からないまま頷いて、シスイと一緒に別の道を歩き始める。向かう先は、墓地。しかし、うちはの町の外にある慰霊碑ではなく、中にある、普通の墓地が目的地だ。

 

 近年の落ち着いた里の情勢によって、任務で命を落とす殉職者の数は年々減ってきている。ゼロ、という訳にはいかないけれど、里の安定の為、任務の難易度と担当する忍のレベルを厳密に比較するという姿勢が実を結んでいる証拠だった。

 

 その為、ここ最近では、殉職者の数が、寿命や病気などで旅立ってしまう者の数を上回っているという報告がある。

 

 それは、喜ばしいこと、という表現は―――やはり、不謹慎とも思えてしまう。

 

 どれほど平和になっても、旅立つ者がいる。

 何かを成し遂げたとしても、何かを成し遂げれなかったとしても。

 永遠の別れという厳然たる事実が存在する以上、素直に喜ばしいとは、言えないだろう。ただ、改善されつつある、という淡泊な表現こそが、相応しい。

 

 寿命や病気で旅立った者は、慰霊碑に名は刻まれることはない。冷淡なことではあるが、里の為に、忍の役目として、そして何よりも誰に看取られる事もなく、任務で命を亡くした者の命の方が、優遇されるべきという考えだ。慰霊碑に名を刻まれなかった者は、遺族が墓を用意する。その墓の場所は、一族や家系によってそれぞれ異なるのだけど、うちは一族の場合は、自分たちの町の中に墓地を設立し、そこに墓を建てている。

 

 墓地は町の角。

 ひっそりと、そして丁寧に整えられた墓地が、見えてきた。石で造られた背の低い門を抜けて、奥へと進んでいくと、目的としていた墓に到着した。

 

【うちはカガミ之墓】

 

 夜の微かな光を綺麗に反射しながら立つ直方体の墓石には、そう、刻まれていた。

 墓は、シスイの祖父にあたる、うちはカガミのものだった。

 

 墓の前に着くなり、シスイは墓の裏側に回り込んで、地面に生えている雑草をかき分け始める。

 

「どう? まだある?」

「ちょっと待ってろ……。お、あったあった。けど、また買わないといけないなあ。ちょうど二本だ」

 

 墓の後ろ側から顔を出したシスイの右手には、紺色の線香が二本、握られていた。一本を手渡される。

 

「シスイの家には、もう無いの?」

「あるにはあるんだけどな、もう使ってない。探してるのが見つかったら、色々と厄介なんだ。親父も母さんも、もう、ジイちゃんの仏壇には線香もしないからな」

「……ごめん」

「気にすんな気にすんな、しょうがないんだから。それよりも、面倒なんだよなあ、変化の術を使いながら買い物するのって。肩が凝る」

「今度、イロリちゃんに頼んでみたら? イロリちゃん、顔広いから、もっといいお線香、知ってるかもしれない」

 

 そうだな、とシスイは返事をしながら、火遁の術を極めて小さく発現させて、火を付けた。自分も火を付けると、途端に先端から白い煙が、蛇行しながら夜空へと向かっていった。鼻先を撫でる煙を小さく吸い込むと、落ち着く香りが鼻腔を通り抜けた。

 

 二人で同時に、線香を横にして墓の前に置き、手を合わせる。フウコは膝をついて、合わせた両手を額に付ける姿勢で。シスイはその後ろで、立ちながら、両手を合わせている。

 

「……ジイちゃん。あと、もう少しだからな」

 

 穏やかで、だけど、ほんの微かに、薄い煙のように混ざる悲しさを含んだシスイの小さな声が、耳に届く。

 

 本当なら、線香を置く前に、墓石を磨いたり、あるいは供え物をしなければならないのだが、今はできない。死者への礼儀を除外してしまっているが、フウコの胸の中には、もっと丁寧な手順を踏みたいという感情はある。これまでシスイと一緒に何度か来たが、毎回込みあげるこの感情は、衰えることはなかった。

 

 うちはカガミは、二年前に、亡くなった。病死だった。

 

 老齢による抵抗力の減衰、そして重度の病気に罹ったのは、その三年前。当時から既に、余命が宣告されていたらしく、宣告された余命は二年だったらしい。したがって、宣告よりも三年ほど延命できたということになる。どういった要因で彼が余命を延ばしたのか、それは分からないけれど、きっと神様がこれまでの彼の頑張りを正当に評価したからだと、フウコは思っている。

 

 その頃から既に、うちは一族は不穏な動きを始めていたのは、語るべくもなく、その中でカガミは、所謂、ハト派と呼ばれる勢力の筆頭だった。

 穏和な人格と懐の深い理解力、常に先を見越した洞察力を兼ね備えていたことを、フウコは知っている。しかし、彼がハト派の筆頭になったのは、それらのおかげではない。彼の才能は、単に、人を引き付けるためだけに役立ったに過ぎない。

 

 彼は二代目火影・千手扉間から信頼を受けていた人物の一人で、ある意味、うちは一族では特別な存在だった。

 

 当時のうちは一族は、扉間の提案により、警務部隊を担うようになっていた。名誉な任命だったが、うちは一族の極一部からは不満な声が挙がっていたという。

 

 おそらく、不満を抱いた者たちから見れば、邪魔者を政から遠ざける為に【里の治安を守る】という御題目を与えられたと判断したのだろう。

 そんな中、うちはカガミは、その不満を持つ者たちと扉間の間に入って、互いの意思を通らせる【橋】の役割を果たしていたらしく、その献身的な姿に、うちは一族からも扉間からも、強い信頼を勝ち取っていた。

 

 ……しかし。

 

 月日が経つにつれ、里の治安を守る役目を担わされたうちは一族は、里の管理者に時々向けられる疎ましい視線を意識し出すようになる。

 

 さらには、扉間の任務中における殉職と、半ば独断的とも思われる三代目火影・ヒルゼンの抜擢。前者は、カガミの【橋】の役割を希薄化させ、後者はうちは一族全体に疑念の種を植え付けた。

 

 徐々にうちは一族には、最初に不満の声を挙げた者たちを中心に、里への不信感を唱え始める者が増え始めた。その中でも、うちはカガミは里の平和と、自分たちの意思を対話によって実現するように訴え続け、何とか種の発芽を抑えていたが、九尾の事件を機に黒い思想はうちは一族を大きく囲うことになる。やがて、クーデターを最終手段とする強硬的な思想を主とする大多数のタカ派と、平和を唱え対話を重んじる柔和的な思想を持つカガミを筆頭とする少数なハト派の集団に別れた。

 

 そして、カガミは、病気によりこの世を去ることとなった。

 

 既に、ハト派に何の抵抗力も無くなっていることは、周知の事実だった。

 カガミの功績と偉大な人格を失った今、ハト派への圧力的な行動に躊躇いを持つ強硬派はいなくなったのだ。

 

 墓を磨いたり、供え物をしないのは、その為。

 

 もし、うちはカガミの墓が掃除されている、あるいは供え物がされているというのを誰かが目撃した場合、疑いの視線は、シスイに向けられる。

 

 シスイの両親は始めから、強硬派に賛同的な姿勢を示していたが、シスイ自身はカガミと非常に仲が良かったということは、うちは一族なら誰もが知っている事実だ。今は、フウコと同じように、暗部に潜入し、表面的にはスパイをしているということになっているが、彼がカガミの意志を受け継いだと疑われるようになると、色々と厄介な事になってしまう。

 

 だから、痕跡が残るようなことは決してしない。線香は、全てが消え終わるまで墓の前にいて、残った灰だけを息を吹きかけたりなどして飛ばせば問題ない。あとは自然の風が、細かい痕跡を消し去ってくれる。両手を合わせながらも、フウコは辺りに誰かいないか、密かに感知忍術を使用して警戒しているのも、毎回のことだ。

 

 いつか、彼の墓の前で、正しい礼儀を以て、御参りしたい。

 そう、フウコは思っていた。

 

「……お前は、いつも俺より長いんだな」

 

 後ろから、シスイの声が聞こえる。どうやら、もう、彼の御参りは終わったらしい。けれどフウコは、まだ両手を合わせたまま、瞼を閉じている。

 

「うん。カガミさんには、お世話になったから」

「あまり俺んちに遊びに来てなかっただろう。それに、ジイちゃんとだって、そんなご近所付き合いほどに会ってないだろ?」

「でも、私は、カガミさんを尊敬してる。今は、お線香だけしかできないから、せめて御参りだけでも、長くしたい」

「ジイちゃんには花とか饅頭とか、いらないと思うぞ? 花が勿体無い、とか、饅頭は子供の食べるものだ、とか、そんなこと、言いそうだしな」

 

 瞼を閉じた暗闇の彼方から、記憶が蘇る。

 うちはカガミとの会話の記憶。それらが、断片的に。

 

『やあ、久しぶりだな、フウコちゃん。ほら、大好きな御団子がある。こっちにいらっしゃい』

『写輪眼の使い方を教えてあげよう。君ならすぐに使いこなすことができるはずだ。君は昔から、才能に溢れていたからね。いやあ、若いって羨ましいな』

『うちの馬鹿が、また迷惑をかけたみたいで、悪いね。まああいつは、根は真面目な奴なんだ。あまり、怒らないでやってくれないか? まだ子供なんだ。そりゃあ、納豆をぶつけられた時は、俺も怒ったものだけど、やっぱり、孫は可愛いもんだ』

『……フウコちゃん、すまない。君に、重荷を、背負わせてしまって。俺は、ここまでみたいだ。……少し、近くに寄ってきてくれないか? 写輪眼も、もう、使えなくなってしまってね、それに最近は視力も、悪くなってきた。近くに来てくれ。君のお母様に助けてもらったこの命だ、最後は君のことをしっかりと覚えて、あっちに行きたい』

『フウコちゃん…………、あの馬鹿を……、シスイを、どうか、よろしく頼む』

 

 かつて見た(、、、、、)、若々しく、それでいてやはりシスイの祖父である彼の爽やかな笑顔は、老齢と一緒に衰えていたが、しかし、年老いても尚、精神的な若さを彷彿とさせた。何度も面白い話をしてくれて、多くのことを学ばせてもらった。

 

 でも、もう、彼はいない。

 

 悲しかった。

 

 彼は、ほぼ寿命に近い、長い人生を歩み切った。

 人生を歩み切る、たったそれだけで、偉大なことだと、思う。

 けれど、彼が亡くなって、自分に残されたのは、記憶だけだった。

 もう、会話をすることができない。触れる事も、教えてもらうことも、出来ない。

 彼から影響を受けることが、無くなってしまったのだ。

 

 葬儀の日。

 

 何度も、彼の冷たくなった遺体の手を触れた。

 もしかしたら、実はただ眠っているだけで、昔みたいに(、、、、、)、悪戯な笑顔を浮かべて起き上がるんじゃないかと、思った。そう、願った。

 でも、そんなことは、起きるはずもなく。

 ハト派の者と彼の遺族、そしてフガクやミコト、自分やイタチ、そしてシスイを含めた小さな葬儀は粛々と、行われた。

 

 ―――……ジイちゃん。起きろよ、ボケてんなよ……。おい、ジイちゃん。やんなきゃならないことがあるって、言ってただろ? 忍は、成すべき事は必ず全うするって、俺にガキの頃から口酸っぱく言ってたのは、ジイちゃんだろう。里の為に、命を尽くせって。ジイちゃん、起きろよ。なあ……。

 

 カガミの手に触れる自分の横で、小さく呟き、泣いているシスイの記憶が思い浮かぶ。

 大粒の涙を、瞳から、止めどなく溢れさせる彼の表情は、

 苦しそうで、

 辛そうで、

 何よりも、

 理不尽な現実が

 偉大な人を、

 大切な人を、

 家族を、

 いともあっさりと、

 奪っていったことに、

 悔しそうに、

 歯を食いしばっていた。

 

 その翌日、彼は―――万華鏡写輪眼を開眼した。

 

『きっとジイちゃんが、お前が代わりに俺の役割を果たせ、この馬鹿者が! って、言ってんだろうなあ』

 

 そう笑って呟く彼の笑顔を見るのが、辛かった。

 

 けれど皮肉なことに、シスイが万華鏡写輪眼を開眼させ、それによって発現が可能となった【別天神(ことあまつかみ)】は、クーデター阻止に対する最終的な手段を見出せたのだから、彼の言っていることはあながち、間違いではないのかもしれない。

 

 今こうして、少しだけ陰りを見せながらも、心の中からしっかり笑えているシスイは立派だと、フウコは判断する。

 

 ようやくフウコは瞼を開ける。置いた線香は既に、半分ほどまで、炭になっていた。

 シスイと二人で、近くの木を背に座った。線香の香りは、緩やかな風に乗って鼻に届く。夜空を見上げるとより一層、心が落ち着いた。

 

 無造作に雑草の上に置いている自分の手に、シスイの手が温かく重なった。ただ、今は、うっとおしくないし、暑くも思わない。落ち着く、とすら感じる。線香のおかげかもしれない、とフウコは判断した。

 

「なあ、フウコ」

「なに?」

「ナルトの調子はどうだ? 立派な忍になれそうか?」

「まだ分からない。でも、着実に成長してる。ただ……」

「ただ? なんだよ」

「不真面目。アカデミーの授業がつまらないみたい」

「なんだそりゃ、お前みたいだな。似たか?」

「シスイだって、そうだった。私より、不真面目だった。ブンシ先生に殴られた回数は、多分、シスイが上」

「いいや、お前の方が多いな。それにお前は殴られた回数よりも、頭突きされる回数が多かっただろ」

 

 たしかに、拳骨をされるのが嫌で、何度か避けようとしたが、ブンシの素早い両手が自分の頭を捕らえて、その上から頭突きをされたことはある。何度も何度も、だ。思い出すだけで、額が痛い。

 

「……とにかく、難しいところ。シスイも、イロリちゃんみたいに、修行に顔だしてくれたら? きっと、もっと成長する」

「嫌だな」

 

 きっぱりと断るシスイの顔を見る。彼は笑っていた。

 

「イロミから聞くに、随分懐いてるみたいだからな。そんな時に、恋人の俺が姿を見せたら、怒られそうだ。もっとナルトが、色んな事を知るようになってから、顔を出すよ。それまでは、俺のことは伏せておいてくれ」

「……いつ知られるか分からないけど、やってみる」

「あ、もちろん、フガクさんとミコトさんにもだぞ? あと、サスケはしっかり黙ってるようにしておけよ」

 

 そんなどうでもいいようなことなのに、シスイの言葉には力が含まれていて、変だな、と思う。

 

 シスイと二人だけの時は、クーデターの話題は出さないようにしている。この場にはイタチの姿はなく、二人だけで話し合っても、意味がないように思えるからだ。シスイも同じように考えているのか、呑気な話題ばかり。ついこの前は、デートをしようと言われた。デートという行為の形式は分かるけれど、何を目的としているのか、友達と遊ぶのと何が違うのか、鮮明ではない。シスイは「仲良くなるためだから、何でもいいんだ」と言ったが「私は、シスイと仲が悪いとは思ってないけど」と返すと、嬉しそうに彼は笑うだけだった。結局、分からないままだ。

 

 しかし少しだけ、楽しみだったりする。

 つまりは遊ぶのと変わらないのだから。本当は、イタチやイロミと一緒に遊びたいけど、シスイは二人だけが良いと言うから、仕方ない。

 

 楽しみだ。

 いっぱい、遊びたい。

 何も考えないで、ただ、遊ぶ事だけを、意識の中に目一杯詰め込んで、遊んで、笑って、そして夕日が沈む頃に家に帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、ぐっすりと布団に入る。朝が来る頃には、夜中のうちに見た輝かしい夢たちのおかげで、さっぱりと目を覚ますことができるに違いない。

 

 なんて贅沢な生き方だろうか。

 きっと、全てが円満に終わったら、家にあるカレンダーは、遊ぶ予定でびっしりになるだろう。もしかしたら、翌年分のカレンダーも買ってしまうかもしれないし、売っていなかったら自分で作るはずだ。そんな単純な自分の姿が、あっさりと想像できてしまう。

 

 夜空を見上げている意識を、右手の大部分をシスイの手に覆われる感触が擽る。そして、たくさん遊べるという希望。それらが、イタチといる時よりも、イロミといる時よりも、また違う感情が湧いてきた。時間が途轍もなくゆっくり流れるような感覚に基づいた感情は、蛙のようにピョンピョンと跳ね回る姿に似ていた。

 

 長かった。

 

 ヒルゼンとダンゾウから聞かされたうちは一族の思惑から始まり、

 イタチがフガクからうちは一族のクーデターを知り、

 イタチと二人でクーデターを阻止しようと誓い、

 その後にシスイも合流し、

 三人で必死に話し合って、

 考えて、我慢して、力を高め合って、

 そして辿り着いた、最終的な解決方法。

 無血で、平和を保つ方法。

 

 あと、もう少しだ。

 

 残すは、ほんの少しの調整だけだ。

 

 ……線香の香りが、いつの間にか感じ取れなくなった。燃え尽きたようだ。夜空に向けていた視線をシスイに向ける。

 

「ねえ、シスイ。思ったんだけど、やっぱり、デートはイタチやイロリちゃんも―――」

 

 違和感が、そこにあった。

 

 シスイの横顔は、笑ったまま。

 

 なのに、どうしてだろう。

 声をかけているのに、反応が無い。自分が話しかければ、彼はこちらの顔を見てくれたり、あるいは握ってくれている手に優しい握力を加えてくれたりするのに。

 今の彼の表情は、固定されている。

 人形のように。

 

「……シスイ?」

 

 顔を傾けて、顔を覗きこんでも、一切の反応が無かった。

 

 彼の頭が、こちらに傾く。

 

 不自然な傾きは、やがて九十度を超えて、

 

 そのまま、彼の頭は首から零れ落ちた。

 

「え―――」

 

 体温が霧散する。

 シスイの頭は、笑顔の表情を保ったまま、フウコの足に触れる。首から上を無くした身体は、泥のように自分の身体に体重を乗せた。鋭利な刃物で切断された首から、血の柱が迸り、フウコの顔半分を温く覆った。

 

「あ……、あぁ…………」

 

 引いた体温が、今度は急激な心臓の運動によって、過剰な温度を取り戻し始める。呼吸が苦しくなり、眼の奥が震えて熱くなる。

 爆発的な恐怖が、後頭部を痺れさせ、気道を震え上がらせる。

 

「ど、どうして…………なんでっ……」

 

 懐かしくも、恐ろしい感覚。

 それは、幼い頃に見た怖い夢と、あの夜と、同じだ。

 涙が溢れようとする。苦しくなる。あの時は、ミコトが、自分の抑えられない部分を宥めてくれた。でも今は、誰もいない。

 

 気配を感じた。頭に思い浮かんだのは、首と胴体が離れてしまったシスイを助けてくれるのではないかという、見当違いな小さな安堵。しかしその安堵は、顔を挙げると同時に消し飛んだ。

 

 死人が立っている。

 

 彼の身体の中心には、穿たれた大きな穴が。シスイの首の痕よりも杜撰なその穴は、肉片が幾つも、垂れ下がっていた。

 

 黄色い短い髪の毛が、夜風に揺れる。

 

「フウコさん……、どうしてですか……?」

 

 ミナト様。

 

 しかし、その言葉を発することが、出来なかった。

 

 恐怖と懺悔が、意識を絡めとる。

 

「ナルトのことを、よろしく頼むと、お願いしましたよね? なのに、今、ナルトは、友達すらできていないじゃないですか……」

「わ、私は…………、でも、」

「それに里は、こんな不穏な状態じゃないですか。俺は、何のために、命を賭けて……」

 

 腹部から大量の血液を零しながら、彼が近づいてくる。

 フウコの表情が、恐怖と苦痛に歪む。両脚をばたつかせて彼から距離を取ろうとするが、背中の木でそれを許さない。さらに、頭を無くしたシスイの手が身体を抑え込む。血の柱が収まった切り口から見える、人体の内部。それが、生理的な恐怖を与えた。

 

「フウコちゃん……」

「カ、カガミさん…………」

 

 声が横から来て、見上げると、顔が真っ青なカガミの姿が。

 咄嗟に両目を閉じて、両耳を手で力一杯に塞いだ。彼からの言葉が、想像できてしまったからだ。

 光を閉じて、音を塞いで、だけど、血の感触と冷たい体温が、身体を徐々に侵食し始める。長い両脚を引き寄せて、子供のように身体を丸めても、それらは執拗に自分を祟ろうと纏わりつく。

 

 心臓が、恐怖と、罪悪感で、壊れそうになる。

 身体全体から、粘質な汗が溢れ出てくる。

 呼吸は不規則で、頭が痛い。

 

 フウコは、思い切り歯を食いしばった。

 

 奥歯の先端が欠けてしまうほど、全力に。

 

 その痛みが、脳を覚醒させた。

 

 

 

「……いい加減にして」

 

 

 

 恐怖に抑圧されながらも、怒りを滲ませる声で、フウコは言う。

 自分の周りを囲う死人にではない。

 

「こんなくだらないことは止めて。フウコちゃん(、、、、、、)

 

 空間全体に向けて、声はいよいよ、圧力を獲得した。

 声は空気を震わせ、時間を止める。

 氷のように止まった空間にヒビが入った。フウコは瞼を開き、両手を解放すると、死人たちは動きを止めていた。

 

「もう、幻術を止めて」

 

 その声が、幻術の空間を完全に破壊する一石となった。

 

 夜は捌けて、静かな明るさを持つ世界が現れる。

 

 蒼い空と碧い海だけが囲う、単一的な世界。雲も、太陽も、島も、波もない。ただただ、空と海、それら二つが交差する白い水平線だけで構成された、広大な空間に、フウコは立っていた。

 

 フウコは、目の前にそびえ立つ檻まで、ゆっくりと、海の上を歩いた。

 

 トン、トン、と、歩く度に、微小な波紋が均一な円形を描きながら広がり、やがて吸い込まれる。

 

 檻は、柱だけで構成されていた。天井はなく、床は同じ海。幾本もの柱は、それぞれ傾いているが、点は円を描き、間隔も狭い。柱には、幾何学模様がそれぞれ描かれている。

 

「フウコちゃん、どうして、こんなことするの?」

 

 フウコは、自分と同じ名を持ち、幼い頃と同じ姿をしている、檻の中の女の子を見下ろした。

 

「あはは。やっぱり、バレちゃった。今回は、上手くできたと思ったんだけどなあ。でも、フウコさんが少しでも怖がってくれたから、十分かな?」

 

 女の子は、その赤い双眸を、無邪気な笑顔と一緒にフウコに向けた。

 幼い頃の自分と瓜二つの顔立ち。しかし、女の子の作る表情は、フウコよりも遥かに豊かで、同時にアンバランスな妖しさも多分に含んでいる。さながら、芋虫を石ですりつぶして、緑色の液体を見て好奇心を擽られている子供の笑顔のそれだった。

 

「私の質問に答えて」

「ふふ、なーに?」

 

 可愛らしい笑顔で、女の子は顔を傾けると、前髪が軽やかに揺れた。

 

「どうして、私にこんな嫌な夢を見させるの?」

「だって、気持ち悪いんだもん。ベタベタベタベタって、私の身体(、、、、)に触ってさ。好きでもない男に触られるなんて、嫌なんだもん。でも、私はこれくらいしかできないから、幻術を使ったの。どう? 面白かったでしょ?」

「ふざけないで」

「ふざけてないよ。ふざけてるのは、フウコさんでしょ? この身体は、私の身体なの。お父さんが治してくれた、大事な身体なの。早く返してよ」

「今は駄目。うちは一族が、里の平和を壊そうとしてる」

「じゃあ、いつならいいのかな? それまで私、良い子にしてるから。ふふ、ねえ、いつだったら、返してくれるの?」

「返したら、里を正しく守ってくれる?」

「うんうんっ、もちろんだよ! 私、平和、だーいすきだから!」

 

 まるで、案山子の背中にでも話しているような錯覚に陥ってしまうほどの手応えの無さに、フウコは脱力を覚えた。

 フウコがゆるゆると、首を振る。静かで緩やかな曲線を、彼女長い髪の毛は描いた。

 

「……どうして、そんなに里を憎むの?」

「私のお父さんとお母さんが、里に殺されたから」

「今の人たちは、全く関係ない」

「関係ないから、憎いの。忘れようとしてるから、苛立つの」

「お願い、フウコちゃん。私の話しを、ちゃんと聞いて」

 

 ふふふ、と女の子は、口角を異常なまでに吊り上げた。

 

「何を言ってるの? フウコさん。フウコさんこそ、私の話しを聞いてよ。早く、私の身体を、返して。この身体は、私のなの。お父さんが治してくれて、遊べるようにしてくれた、大切な身体なの! だから早く……早く、返してよッ!」

 

 女の子の声は、狂った時計のように急激に絶叫となった。

 もう何度も、聞いたことだろうか。

 彼女の絶叫を。

 二人は互いに、赤い瞳の視線をぶつけ合った。

 フウコは、無表情に。

 そして女の子は、怒りを滲ませて。

 

 女の子は言う。

 これは、私の身体なのだと。

 何度も何度も、

 女の子―――うちはフウコ(、、、、、、)は、それは自分のものなのだと、

 そう、言った。

 




 ―――舞台裏の別れ―――



 音すら逃げるくらいに、暗い病室。狭く、けれど、個室として扱われているそこは手軽な落ち着きを与えてくれる程度には広い。読書には最適だろう。

 うちはカガミは、カーテンを開け放った窓から差し込む淡い月明かりだけを部屋に入れて、老弱となってしまった身体をベットの上に落ち着かせていた。瞼を閉じているが、眠ってはいない。もうそろそろ、誰かが来るだろう、そんな予感がしたのだ。昔から、自分は知り合いに対しての予想はよく当たる。年老いていくに連れて、その勘は冴え渡ってばかりで、逆に日常生活に些細なつまらなさを招くことが多くなった。

 瞼を閉じて、完全な暗闇に身を落としている彼は、思い出す。

 うちは一族のこと。
 かつてのこと。
 憎らしくも可愛い孫のこと。
 そして、彼女のこと。

 ドアが控えめに開いた。同時に、カガミはゆっくりと瞼を開ける。夜更けということもあり、病院の灯りは必要最低限までにダウンしているが、廊下から入り込んでくる懐の深い小さな光は、来訪者の輪郭をはっきりと浮かび上がらせてくれた。

「やあ、ダンゾウ。久しぶりだね」

 顔を傾けて、かつても、そして今も尚、友と認識している男に声をかける。ふん、と鼻を鳴らしながら、ダンゾウはドアを閉めた。彼が呆れるように鼻を鳴らすのは昔からで、けれど基本的には侮蔑の意味合いが含まれていないのは知っている。

 病室にダンゾウの足音と、それに並行して杖が床を叩く音が響く。ベットの横にやってきた彼を前に、カガミは上体を起こした。

「そのままで言い。お前に気を使われるほど、俺は耄碌していない」
「いや、気を使ってるってわけじゃないよ。友としての礼儀さ。ああ、そこに椅子があるから使っていいよ」
「馬鹿にするな。俺はお前と違って、足腰に自信がある」
「じゃあ、どうして杖を使ってるんだ?」
「相手を油断させるためだ」

 カガミは小さく笑った。相手、というのは誰に対して言っているだろうか。しかしそれが昔からの彼の特徴だ。癖と言ってもいいだろう。変に強がったり、変に余裕ぶったり。今では、他人にそんな姿を見せたりはしないけれど、こうして旧友同士でいると、それがぶり返してしまうのかもしれない。自分もそうだ。声も話し方も、つい、昔に戻ってしまう。

「俺を油断させても意味がないじゃないか。ほら、そこにあるから使いなって」
「……お前がそこまで言うなら、良いだろう」
「そうそう、もう降参だ。使ってくれ」

 不承不承と言った感じに、ダンゾウは椅子をベットの横に付けて腰掛ける。目線の高さが同じくらいになった。

 つい、笑みが零れてしまう。
 懐かしい、と思った。年を取ると、どうしても、時間がゆったりと感じられてしまい、暇を持て余すことから逃げるように、昔の事がフラッシュバックしてしまうのが多かった。
 そのフラッシュバックの一部が現実になったことが、嬉しかった。

「今日は、どうしてここに来たんだ?」
「事情は知っている」
「…………耳が良いね、ダンゾウは」

 夕方頃だったはずだ。身体に力が入らなくなって、突然倒れてしまったのは。倒れる寸前に、近くにいた仲間に、倒れたことを周りにしないようにしてほしいと、頼んでおいたのだけど。

「ヒルゼンが来ると思っていたか?」

 カガミは肩を透かした。

「誰かは来るとは、思っていたよ。何となくね。一番の有力候補は、確かにヒルゼンで、ダンゾウは一番下だったね。だから、まあ、少し驚いてる部分はある。全部知っていることも含めてね」
「わざわざ粗末な情報統制をしておいて。ヒルゼンは、お前が倒れたことすら知らん」
「情報統制ってほどではないよ。俺が病院に運び込まれたのって、誰から聞いたんだ?」
「ふん。里の者が病院に運ばれたという情報がすぐさま手に入らなければ、暗部の管理など到底できん」

 流石だ、とカガミは手を叩いて称賛したい気持ちになる。けれど、点滴がされている右腕は、今はもう、殆ど力が入らなくなっていた。代わりに、カガミは軽ろやかに笑って見せた。

 笑いが止まる。

 数秒の沈黙が、病室に、砂煙のように蔓延した。

「……あと、二年くらいしか生きていけないそうだ」

 ぽつりと、カガミは、小さな笑みを保ったまま、呟く。
ダンゾウが、瞼をゆっくりと閉じた。

「まあ、今後の生活次第で、幾分かは長く生きることができるみたいだけど……。俺は、ここまでみたいだ」
「……そうか」
「きっと、タカ派が今後はうちはの主流になると思う。と言っても、突発的なことは、まだ起きないと思うけど」
「何を根拠にそう言っている」
「フガクが上手く、タカ派を統制してくれている。彼は愚直だけど、馬鹿じゃないからね。ただ、このままの状態が続けば、どうなるかまでは、予想ができないけど」
「そのことなら気にするな。万が一に備えて、準備はしてある」
「火影になる準備かい?」
「ふん。さあ、どうだかな」

 二心あり、というのが露骨に伝わってくる小さな笑み。火影の座を虎視眈々と狙っているその様子は、他の者が見たら危険思想の塊に映るかもしれない。けれど、カガミからしたら、昔から続いている小競り合いみたいなものだ。
 ヒルゼンとダンゾウ。
 二人は、昔っから、色んなことで競い合っていた。
 犬猿の仲と思えるほどで、しかし、同時に喧嘩するほど仲が良い、という表現も並走する。

 ダンゾウは火影になりたいという野心はあるけれど、それはあくまで、許される手段の範囲においてだ。彼だって、不穏な方法を用いて、無闇に里を混乱させたくないと思っている。里では、色々と彼に対して不名誉な噂が広がりつつあるが、カガミの評価は、ただ真っ直ぐな男、というものだった。

「カガミよ」

 彼の重い声が、響いた。

「本当に、もう、無理なのか?」
「ああ。悪いな。なんだ? 何か、俺の頼み事でも聞いてくれたりするのか?」
「聞くだけなら、してやらないでもない。お前には、色々と世話になったからな」
「……なら、一つだけ」

 薄らと開くダンゾウの目を見る。
 頭に思い浮かんだのは、一人の少女の姿だった。

「フウコちゃんを、よろしく頼む」

 扉間との誓い。
 彼女が、いつか、平和な世で過ごすことができるようにすると、扉間と約束した。

「あの子を、守ってやってくれ」
「……善処しよう」
「そうか。……いや、そうだよな」

 もう既に、彼女を巻き込んでしまっている。
 ヒルゼンにも、ダンゾウにも、里を守る立場にいるのだ。
 善処する、というダンゾウの言葉は、あらゆることを考慮した、重い言葉だ。

 自分はもう、リタイアしてしまう身だ。本来なら、健全である時に、終わらせなければならないのに、それらの責務と約束から解放されてしまう。ヒルゼンやダンゾウに、身勝手に任せるのは、傲慢だと、カガミは自分を評価した。

 でも、やはり、彼女には、健やかな人生を送ってもらいたい。
 幼い頃に、両親を失い、心を壊し、挙句に、贄とされてしまった彼女を。

 そして。

 願えるなら。
 彼女の中にいる、女の子も、また―――。

 ダンゾウが音もなく立ち上がる。
 ああ、これで別れか、とカガミは小さく、ため息。
 悲しいなあ。

「さらばだ、カガミ。もう……二度と、会うことはないだろう」

 こちらに背を見せ、病室のドアを開ける彼の声は、どこか、我慢しているようだった。気のせいかもしれない。でも、気のせいでないのなら、これほど嬉しいことはないだろう。

誰かが、自分の死を悲しんでくれる。

自分が生きていた意味というものが、微かにでも、感じ取れた。

 だからカガミは、微笑みを浮かべて、頷くことができた。

「ああ。さよならだ。何か、扉間様に伝えておくことはあるか?」
「よい……、俺が死んだら、自分で伝える」
「そうか。ダンゾウ……息災で」

 ふん、とダンゾウは鼻を鳴らした。

「お前もな、カガミ」

 ドアが、閉まり、そして病室は、暗くなる。
 窓の外の夜空を見上げた。
 心なしか、月明かりが温かく感じ取れた。

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