盲目少女が見る界境防衛機関   作:うたた寝犬

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目が見えるようになった女の子と、眠る事で全てを記憶する男の子の物語です。


File2「安らかに眠れる幸せ」

カゲが特定の後輩に慕われるようになった。

 

その事実が、攻撃手(アタッカー)No.4の村上鋼がここ最近で1番気になっている事の1つだった。

 

2人は同じアタッカーであり切磋琢磨していく内にお互いの実力を認め合い、気づけば友人になっていた。

そしてお節介ながらも村上に言わせれば、カゲこと影浦雅人は裏表が無く素直とも取れる性格であるが、言動が攻撃的でデリカシーが足りていないため、友人関係があまり広いとは言えない。

話せばいい奴なのだが、言動に加えてここぞという時の表情に凄みがあるため、訓練生など、普段話す事の少ない人たちからは怖がられている。

 

しかしそんな影浦が、ここ最近で特定の後輩にとても慕われていた。

 

「さっきも言ったが、タチバナはガードがもたついてんだよ。ガードしてる時の動きが遅え」

「そう言われても…。あとカゲさん、私はタチバナじゃなくてタテバナです」

「チッ、ややこしいな」

「文句はご先祖さまに言ってほしいです。元々はタチバナだったらしいですけど、何かの拍子にタテバナと言ってしまってそれ以来訂正せずにタテバナなんだそうです」

 

影浦とその後輩である少女の『盾花桜』が同じソロランク戦用のブースの中で、お互いに意見をぶつけ合う。村上もまた同じブースの中におり、2人の意見を聞いていた。

 

 

 

 

盾花桜は2人の3つ年下の後輩だった。

彼女は本来中学3年生なのだが、それは書類上のことだけだ。過去の事故が原因で盲目となり、それが原因で始まったイジメに耐えかねて不登校になったため、彼女本人に言わせれば『私が中学3年生って名乗ったら真面目に中学生やってる人たちに失礼ですよ』ということらしく、彼女は頑なに中学生だとは認めない。

「強いて言うならアクティブ不登校児です」

とは言うものの、アクティブ不登校児とは何だろう?と村上は内心首を傾げていた。

 

そんな『盾花桜』と『影浦雅人』との関係性は、『命の恩人』だ。盲目だった盾花ゆえに起きそうだった事故を影浦が未然に防いだことがキッカケで…、その後はいくつかの幸運と偶然が重なり、2人は今こうして仲良く意見をぶつけていた。

 

 

 

 

今2人が議論しているのは、戦闘中の盾花の立ち回りについてだった。

正隊員と訓練生は自分のトリガー(メイン武装)にソロポイントを持っており、それはボーダー隊員同士の模擬戦であるソロランク戦と合同訓練によって加算される。それ以外にもポイントを稼ぐ手段はあるが、基本はソロランク戦だ。

訓練生である盾花はメイン武装である『レイガスト』というブレード型トリガーのソロポイントを『4000』まで上げて正隊員に昇格することが目標だが、彼女の現在のポイントは『1207』であり、先はまだまだ長かった。

 

ポイントを稼ぐためソロランク戦に出た盾花の戦闘を振り返り、影浦は意見する。

「今んとこのスタイルは『ガードして確実に防いでからブッタ斬る』なんだろ?なのにガードが粗末じゃ話にならねーだろ!」

「ガード下手なのは認めますけど…。そもそも、参考にするものがないじゃないですか。同じ訓練生でレイガスト使ってる人なんてそういませんし、正隊員に上がったら『シールド』っていうトリガー皆さん使うから、参考になる動画があんまり無いんですよ。第一、カゲさんだって戦闘中あんまりガードしないじゃないですか」

「俺はガードするより、スコーピオンで出所を潰す方が性に合ってんだよ」

「あのスコーピオンをみょーんって伸ばすやつですね!あ、ってかそれなんですよ!せっかくカゲさんの戦闘動画見てガードのタイミングとか見たかったのに、カゲさんガードしないから全然参考にならない!」

「なんだその理不尽な言い分は!俺のせいみたいに言うんじゃねえ!」

 

遠慮なく互いに意見をぶつけているが、その光景が村上には少し不思議に見えていた。影浦は良くも悪くも相手にまっすぐぶつかっていく。嘘偽りない気持ちをストレートに言葉にしているのだが、中にはそれが怖いと感じる者も少なからずいた。そしてそれは特に後輩女子に多かったため、影浦は普段、チームのオペレーター以外の年下の異性と話すことがほとんどない…、少なくとも村上は全くと言っていいほど見たことがなかった。

 

今まで見なかった光景が目の前で繰り広げられている。村上が不思議に思ったのは、そういうことだった。

 

村上がその理由に気付いたところで、

「ったく…。オイ鋼!お前からもなんか言ってやれ!」

盾花との議論に苦戦していた影浦が、村上にヘルプを求めた。

 

「うーん。そうだな…」

壁に寄りかかった状態で村上は右手を顎に軽く当てて考えるそぶりを見せたあと、壁から背中を離して盾花に向けてアドバイスをした。

「何戦か見て感じたことだけど、盾花は相手の攻撃をしっかり見過ぎてると思うな」

「見過ぎてる…、ですか?」

ブース内にある椅子に座ったまま、盾花は村上の言葉を繰り返した。

「多分ね。…攻撃、というか動作の起こりをしっかり見るのは大切だけど、盾花はその後の斬撃の軌道とかにも必要以上に目が行き過ぎて、相手の次の動作まで見れてないように感じるんだ」

村上の意見を聞き、影浦が思い出したように付け加える。

「そう言われりゃ確かに、一撃目は防げてもその続きのガードでしくじってることが多いな」

「だろ?…連続攻撃には弱いけど、初撃は問題なく防げてる。なら、全ての攻撃の起こりさえ見逃さなければ、ガードの成功率は上がると思うな」

 

丁寧に説明された盾花だが、聞き終わったと同時に少し肩を落として落胆した様子を見せた。

「うーん、言われてみれば確かにそうかも、です。…見えるようになってから目に頼ることがどうしても多くなって…、つい…」

盾花の言葉を聞き、村上は失言してしまったと思った。

 

盾花の目が見えるようになったのは、ボーダーが解析したネイバーの技術である『トリガー』を使って『トリオン体』になっている時だけだ。あくまで今見えているだけであって、生身の身体に戻れば再び光の無い世界に放り込まれるのだ。

その状態で…、盲目で4年間求めていた視力が一時的にとはいえ戻ったのなら、そこへ意識が多く向くのは当然のことだった。

 

(アドバイスするなら、他の事でも良かったじゃないか…)

村上は自らの失敗を悔やみつつ、別のアドバイスをすることにした。

「それなら…、思い切って他のトリガーを使ってみるのはどうだろう?アタッカーじゃなくても、銃手(ガンナー)射手(シューター)狙撃手(スナイパー)を試してみないか?」

 

ポジション変更を提案した理由は、盾花の体型と運動能力を見てのことだった。

トリオン体は基本、性能自体に差は無い。筋骨隆々な体型でも華奢な体型でも同じような攻撃を受ければ同じようにダメージを受ける。しかし性能に差は無くとも、向き不向きは生じる。スピードを活かした戦闘スタイルをする者には小柄な体型の隊員の多く、同じように剣を振るっても大柄な体型の方が押し勝つことの方が多い。

性能自体は等しくとも、多少生身のイメージに引きずられる傾向があるとする見解があり、これはまだ定かではないが有力な説の1つである。

 

仮にその見解に従うならば、盾花はおおよそレイガストを使うには向いていなかった。レイガストはブレード系トリガーの中でも1番重く、刀身が大きい。生身で扱うとしたら、平均以上の背丈の人が使う武器のように思える。そして盾花の体型は平均以下の背丈で身体の線も細く、とても重いレイガストを扱えるようには思えなかった。

 

そして盾花自身の運動性能。4年間身体を思いっきり動かすことを躊躇う生活だったためか、盾花の動きはどこかぎこちない。直線距離をひたすらにダッシュしたり、跳躍したりといった動作は問題なくとも、斬り合う際の足捌きや間合いの調整など、細かい動きが特にぎこちなかった。それは、近距離で一瞬のミスが命取りになるアタッカーにとって、大きなマイナスポイントであった。

 

村上が考慮した2つのことは影浦もある程度感じていたらしく、意見に同意した。

「他のポジションやってみるっつーのは、確かにアリだな。…つかそもそも、なんでタチバナはレイガストを選んだんだ?」

「タチバナじゃなくてタテバナです。…、レイガストを選んだ理由は色々ありますけど…、決め手は寺島さんですね」

 

「「ああ〜…」」

理由を聞き、影浦と村上は理解すると同時に声を合わせた。

 

盾花がトリオン体で視力を取り戻した際に現場責任者として立ち会った、寺島雷蔵。彼は開発室に5人いるチーフエンジニアの1人であり、盾花が特例で入隊する際に手続きを引き受けてくれた人だった。そして盾花が使っているトリガー『レイガスト』の開発者でもある。

 

決め手が寺島という事を聞き、彼が開発者であるトリガーを強く勧めてきたのだと思った村上は苦笑いをして盾花に問いかけた。

「他のトリガーも紹介してもらったけど、その中でもレイガストを強く推薦された…、ってところかな?」

「推薦というか…、レイガストの特徴とか他のブレード型トリガーとの違い、それから開発された経緯や苦労話、現状でレイガストがあまり普及してないことについての嘆きとか、小一時間くらい語ってくれました」

想定の数倍濃かった推薦話を聞き、村上と影浦は、

((何してんだあの人は…))

声に出さず、心の中で嘆いていた。

 

ため息を吐き終えた影浦が盾花に確認するように言った。

「…レイガストを強く推薦されて断るに断れなかったってところだろ?別に変えたところで、寺島さんは文句言わねーよ」

 

それを聞いた盾花は、小首を傾げてしばし考え込んだ。

「……、多分カゲさんとコウさん、誤解してます」

「ああ?誤解?」

「はい。えっとですね、寺島さんが強く推薦したから私がレイガストを選んだんだじゃなくて、私が選んだから寺島さんはレイガストについて語ってくれたんです」

それを聞いた村上は、盾花の言うように誤解していたことに気付き、再び質問した。

「じゃあ、盾花は何故レイガストを選んだんだ?」

 

根本を問われた盾花は、少しだけ目を伏せて答えた。

「…咄嗟に……、目を守ることが出来るトリガーが、レイガストだけだったので」

と。

 

レイガストが他のブレード型トリガーと違う最大の点は、ブレード部分がシールドに変形する機能を持つことだ。

 

咄嗟にシールドで目を守ることができる。

 

4年前に事故で視力を失い…、トリオン体という仮初めの身体でほんの一時でも視力を失うことを怖れていた盾花からすれば、レイガスト以外の選択肢は無かった。

 

(…オレは今日、とことん彼女を傷つけてるな……)

そして結果として2度の失言を重ねてしまった村上は、再び議論を重ねる2人を見ながら、静かに、それでいて重く落ち込んだ。

 

*** *** ***

 

今は戦闘に関することが重視されているが、後々医療などの分野にもトリガー技術を転用するための研究が進められている。視力を失った盾花はこの研究に協力するために入隊しており、影浦と村上のコーチを受けた後、その研究をしている区画へと向かって行った。

 

本部の食堂で遅めの昼食を食べながら、影浦は小さく唸った。

「…ったく。他人の面倒を見るのとか、俺にはやっぱ合わねえな」

弱音にも似たそれを聞き、村上は言葉を返す。

「そうか?ちゃんとあの子の戦い方見てアドバイス出来てたじゃないか」

「ああ?あれぐらい誰でも出来んだろ?そもそも、俺とアイツは戦闘スタイル違いすぎんだから、アドバイスなんて参考になんねーだろ」

「そんなことないさ。オレから見てた分には…、仲のいい師匠と弟子って感じだったぞ」

「ハハッ!俺が師匠なんて、それこそ合わねーよ!」

影浦は笑って否定するが、少なくとも盾花にしていたアドバイスは彼女の課題そのものであり、紛れもなく導く側としての才覚があると村上は思っていた。

 

ただ一つ、村上はさっきの会話で気になっていたことがあり、そこを指摘した。

「でもな、カゲ…。あの子の名前はちゃんと覚えてやった方がいいんじゃないか?」

村上が気にしていたのは、影浦が盾花の事を何度も『タチバナ』と呼んだ事だ。彼女は呼ばれるたびに訂正するが、影浦は何度も同じ間違いを繰り返した。

しかし村上の指摘を聞き、影浦は片方の眉を吊り上げた。

「ああ?名前?んなこと知ってるよ。俺は毎回、ワザと間違えてやってんだからな」

「ワザと…?なんでまた?」

「理由なんざ知らねーよ。ただ分かんのは、あの名前のやり取りをアイツは嫌がってないどころか、なんでか楽しんでるってことだ」

 

何故それが分かるのかと村上は尋ねようとしたが、口にする前に答えが頭に思い浮かんだ。

「感情受信体質のサイドエフェクトか?」

「そうだ」

 

トリオン体の性能自体に差は無いが、トリオンの量に関しては別物である。人は皆、心臓の横に見えない内臓である『トリオン器官』を持っており、トリオンの量はこの内臓の優劣で決まる。基本的にトリオン量が多いほど優れたトリオン器官であり…、そして優れたトリオン器官を持つ者の一部には、そのトリオンが身体に影響を及ぼし、特異な能力…、『サイドエフェクト』が発現することがある。

 

そして影浦雅人と村上鋼はそれぞれサイドエフェクトを持つ者だった。

 

影浦雅人が持つサイドエフェクトは『感情受信体質』。他人から向けられる感情がチクチク肌に刺さるように感じられ、その刺さり方で相手が自分に対してどんな事を思っているのかを判断することが出来る能力だ。

 

その体質の事を知る村上は、推測した。

(面と向かって話してた以上、盾花の感情はほぼ全てカゲに刺さってたはずだ。そこからカゲは盾花が嫌な思いじゃなく、むしろ楽しんであの会話をしていたことを感じたんだな)

その推測を立てると同時に、相手の考えを読めてしまう影浦のことを思うと、しんどいだろうなと思った。

 

「相手の考えが分かってしまうのは…、大変じゃないか?」

「んあ?まあな。大変っつーか面倒くせぇってとこだが…。あとな、鋼。俺は相手の考えを全部受信してるわけじゃねえぞ?受信できない状況だってある」

「そうなのか?」

「ああ」

 

そこまで言った影浦は手に持っていた箸を一度置き、周囲の席を見渡した。

「そうだな…。鋼、俺らの3列後ろにいるガキ分かるか?俺らに背中向ける形で、1人黙々とメシ食ってる奴だ」

言われて村上は、すぐにその人物を見つけた。

「見つけたが…、彼がどうした?」

「例えばの話だが…、あいつは今、俺がここにいる事自体知らねえ。そんでそんな状況で俺について何を思ってようが、俺には何にも分からねえ。俺の事をムカつくくらい殺してぇとか思ってても、それはあいつの頭の中にいる俺に向けたモンで、ここにある俺に向けちゃいねえからだ」

 

影浦の説明を聞き、村上は思った事を口にした。

「つまり…、カゲのサイドエフェクトは、相手がカゲがどこにいるのか知って初めて受信できる…、ってことか?」

「そうだ。俺がどこにいるか知って…、つーよりは、俺の事を見て、だな」

「見て…、視線を向けてってことか?」

「ああ、別に見られてなくても分かる時はあるが…。大抵のやつは、誰がどこにいるかを目で見て把握するからな。視線を向けられるのが、1番デカい」

コップに入った水を一口飲んでから、影浦は続けて説明した。

「逆に言えば…、目線を向けられたら、中途半端な感情でも受信してる。咄嗟に俺を見ちまったとかでも、受信しちまうから、そこが面倒だな」

「…思っただけでは届かなくて、見たら中途半端でも届く…。なんだか、メールみたいだな」

「ああ?メール?」

「カゲについて考えることが文面打ってる時で、見ることが送信ボタン…、だと思ったよ」

「送信ボタンが軽すぎんだろ」

「ケータイショップに持っていこうか?」

 

村上がそう返すと、影浦は喉を鳴らして軽く笑い、

「直すなら周りじゃなくて俺だろうがな」

自嘲気味に、そう言った。

 

*** *** ***

 

私はトリオン体で一時的に視力を取り戻した恩を返すため、ボーダーに入隊してこの組織の研究に協力している。今日も研究のためにと呼ばれて来たけど、今日の内容は研究というよりはタダのカウンセリングと健康診断だった。

 

「トリオン体と生身の身体を…、視力がある状態とない状態を行ったり来たりしてるけど、普段の生活で違和感はある?」

私は生身で…、光が無い世界で寺島さんからの質問に答える。

「特別ないです。強いて言えば左目の視界が前より良くなったような気はしますけど…、多分気のせいですね。頭の中にある風景が、そう思わせてるだけかと…」

 

「そうか…。まあ、それはそれで貴重なデータになるかも」

寺島さんはそう言うと、手元にある紙にカリカリと筆を走らせて記録を取った。

「…うん、今日のところはこんなとこかな。トリオン体になってもいいよ」

許可を得た私は、いそいそとトリオン体へと換装する。

 

何度も繰り返した換装だけど、この世界に光が灯る瞬間は、何度体験しても嬉しくて、私は思わず頰が緩んでいた。その様子を見て、寺島さんは小さく笑って声をかけてくれた。

「何度見ても嬉しそうだね」

 

「ええ、それはもちろん!十分すぎるくらいの幸せですもん」

 

「はは、それは何よりだ」

テキパキとレポート用紙やらタブレットをまとめ終えた寺島は、腕時計で時間を確認した。

「えーとこの後は…、さっき盾花さんが提出してくれた、自宅でのトリオン体使用時間の申請が、あと1時間くらいで受理されるはずだから…。そしたらまたこの研究区画に来てくれるかな?」

 

「1時間後ですね、わかりました。じゃあ私はその間、またランク戦してきます!」

 

「お、随分気合い入ってるね」

 

「まあ、入隊したからには正隊員目指さなきゃですし。今1230ポイントなので…、あと2770ポイント…」

先の長さを改めて確認した私ががっくりと項垂れるのを見て、寺島さんは「頑張ってね」と小さな声でエールを送ってくれた。

 

 

 

 

 

ボーダー本部の中は、割と似たような通路が多い。慣れていないうちに歩き回ると似たような通路に惑わされて迷子になる隊員が多いみたいで、寺島さんは私が入隊した直後の頃『そういうわけだから迷子にならないような気をつけて』と忠告してくれた。

 

でもいざ歩いてみると、案外そうでも無いと私は思う。確かに似たような通路が多いけど、違いなんてそこかしこにあった。第一、私はほとんど何も見えない状態で4年間生きてきただけじゃなく、アクティブ不登校児として街中を歩き回っていたのだ。必然と身についた地理感覚に加えて、はっきりと見える視界もあるのだから、私は入隊から1度も迷子になったことがなかった。

 

「〜♪」

景色を目で見る、という当たり前のことがやはり嬉しくて、私は鼻歌まじりで通路を歩いて、正隊員や訓練生がくつろぐラウンジに到着した。私はとりあえず何か飲もうとして自動販売機の前で悩む。

その間も鼻歌は続いており、それが聞こえたらしい少年がボソリと、「うわ、微妙に音痴」と小声で呟いた。

 

おい少年、君もだいぶ耳が良いっぽいけど、私にだって君の呟きは聞こえてるんだぞ?

 

食ってかかろうか迷ったけど、無視した。……というかここの自販機、いつ来てもココアが売り切れてるんだけど。補充されてないのか、買い占めていく人がいるのか、謎だ。

 

悩んだ結果、私はリンゴジュースに決めた。ボタンをポチッと押すのと同時に、

「おや、盾花じゃないか?」

聞き慣れた声が背後から飛んで来た。

 

「あ、どうもコウさん。さっきぶりです」

振り返って、私は挨拶した。

話しかけてくれたのは、案の定というべきか、村上鋼先輩だった。声でわかってたし、そもそも私の名前を知っていて話しかけてくるような人は、両手の指で数えられる程度しかいない。

 

「えーと…、開発室での研究は済んだのか?」

 

「はい。と言っても、今日はカウンセリングと健康診断くらいでしたけど…」

 

「ん、そうか。…あ、カゲなら防衛任務に行ったよ」

私が訊こうとしていたことを答えられた。こういう気遣いができるから、この人はいい人だと思う。

「そうですか…。コウさんは?休憩ですか?」

 

「まあ、そんなところだ。盾花は…、これからまたランク戦か?」

その問いかけに対して、私は少し悩む。答えとしてはイエスなのだけれども…、正直なところ、今日は少し疲れた。午前中で15戦は中々にしんどかった。中には1日で30戦を軽々とこなす隊員もいるらしいけど、多分その人はもうかなりのバトルジャンキーだと思う。

 

結局のところ…、疲れという誘惑に負けた私は首を左右に振った。

「ランク戦は、今日はもうやらないです。なので…」

そして私はコウさんの目をしっかりと見て、

「もしよかったら、少しお話ししませんか?」

そう、提案した。

 

 

 

 

 

適当に空いてる椅子とテーブルを見つけて、私とコウさんは向かい合わせで座った。

「さて…、何から話すか?」

座って早々コウさんが尋ねてきた。何から話そうかなと迷うこと、数秒。私は出会ってからずっと感じていた疑問を尋ねた。

「ええと……、コウさんってもしかして、県外出身の方ですか?」

どうやらそれは当たりだったようで、コウさんは軽く目を見開いた。

「そうだが…、カゲから聞いたのか?」

 

「いえ。ただ…、話す感じが三門市の人と少し違ったので、県外から来たのかなと思っただけです」

 

「……今まで周りから特に言われたことがなかったから、気にしてなかったよ」

 

「だと思います。違うって言っても、ほんのちょっとだけイントネーションに違和感があるってだけなので…、その人独特のクセ、程度の差ですから」

 

「いや、それでも分かるだけで凄いな。耳が良いのか?」

 

「耳が良い、というよりは聞き分けですかね。例えば…」

私が何かいい例えがないか思案しかけたところで、背後で小銭が数枚落ちる音が鳴った。思わず視線を向けると、

「どぅわああああ〜〜〜!小銭が〜〜!」

小柄で指抜きグローブを着用した隊員がちょっと奇妙な叫び声を上げながら、あたふたしていた。自動販売機の前に小銭を落としたらしく、同じ隊服を来た人たちと拾い集めていた。

 

瞬間、私はこれだと思って口を開いた。

「421円です」

 

「…?なんの金額…、まさか、日浦が落とした金額か?」

 

「ええ。ちょっと距離あったので不正確かもですけど…、8枚落ちたのは確実ですよ」

 

「…、ちょっと待っててくれ」

コウさんはそう言うなり立ち上がって、小銭を落とした『日浦さん』の側に歩いていって、少しだけ話してまた戻ってきた。

「合ってた。日浦が今落としたのは421円だった」

 

「そうでしたか。当たって良かったです」

 

「凄かったよ、まるで菊地原みたいだ」

 

「キクチハラ…、ですか?」

 

「ああ。A級3位の風間隊の隊員で…、聴覚強化のサイドエフェクトを持ってるやつだ。今みたいに音だけで判別することに関して、彼の右に出る奴はボーダーにはいない」

はっきりと断言するのコウさんを見ると、そのキクチハラという隊員は確かな耳の持ち主なんだろうと思う。会ってみたいけど、そのうち会えるだろうから、その人の話題を私は置き去りにする。

「耳が良くても、目で見ることにはやっぱり敵わないですけどね。でも…、見えない間に身につけたことは、無駄なんかじゃないって思ってます」

 

「そうか…。目が見えないことがどれだけ大変なのか、オレは完全には分かってやらないから、なんて言えばいいか……。両目を瞑って生活してみれば、少しは分かるんだろうか……」

真剣に、とても真剣にコウさんはそう言ってくれるけど、私はどうしても訂正したくて頭を左右に振った。

「…そうしても多分……、いえ、きっと……、目が見えない人の気持ちは分からないと思いますよ。『見ない』と『見えない』は違うんです」

『見ない』と『見えない』は違う。これは私が実際に視力を取り戻せるようになってから感じたことだ。

 

『見ない』と、『見えない』の間には、うまく説明できないけど…、どうしようもなく決定的な、深い溝があった。

 

私はその溝を上手く説明できないことに、歯がゆさをにも似た感情を覚えた。

 

*** *** ***

 

話せば話すほど、彼女が遠くにいるように思えた。

 

村上は盾花と話せば話すほど、彼女と自分には到底理解できない隔たりがあるように感じていた。

 

午前中に盾花へとアドバイスをした村上だが、そのアドバイスは運悪く彼女の内面に触れるものだった。そのミスを村上は盾花のことをよく知らないために起きてしまったと思い、この会話で彼女のことを知ろうとした。

だが結果として…、話せば話すほど、知れば知るほど、村上が盾花との間に感じる隔たりは大きくなっていった。

 

そして盾花が発した、『見ない』と『見えない』は違うという言葉が、その隔たりを決定的なものにした。その言葉はまるで、

『貴方に私は理解できない』

と言われているようで、村上は無意識に目を伏せていた。

(盾花はきっと、そんなつもりで言ったんじゃない……、はずなんだ)

そう考える村上だが、今はその考えに確信が持てなかった。

 

「……コウさん?どうかしましたか?」

「え?」

俯いて押し黙った村上を心配し、盾花は見上げる形で声をかけた。

「あ、ああ……。少し…、考え事をしてたんだ」

取り繕う村上に不自然さを感じた盾花は、心配そうに話しかけた。

「ならいいんですけど…。疲れとか、溜まってるんじゃないですか?本当に大丈夫です?」

 

「大丈夫だ。気にしなくてもいいよ」

 

「……そうですか。でも、もし疲れてたらちゃんと休んだ方がいいですよ?なんなら寝ちゃってもいいくらいかと……」

盾花が紡ぐ言葉が、不安定な村上の心を捉えて絡みつく。純粋な善意の言葉の奥に、暗い感情があるように聞こえてしまう。

 

(ああ、これはダメだ。もうオレは、ここで彼女の言葉を落ち着いて聞いてられない)

 

そう思った村上が強引にでも会話を止めようとして立ち上がろうとした、その瞬間、

 

「あ、寝ちゃうと言えばなんですけど……。私、目が見えるようになってから、寝るのが嫌じゃ無くなったんです。寝るのが…、怖くなくなりました」

 

気まぐれのように盾花がそう言った。

 

「……」

 

その言葉が、村上の琴線に触れた。

「それは……、どういうことかな?」

立ち上がるのをやめて、村上は今一度彼女に向き合い、言葉を待った。

 

盾花は、一言一言、一音一音、丁寧に話した。

「……目が見えなかった初めの頃は……、寝て起きたら、今までのことが全部夢で、私の目が見えるようになってたらいいのにって、思いながら寝てました。でも当然そんなことはなくて……、私は次第に、寝るのが嫌になったんです。今…、辛うじて見えてる左目を閉じたら、このままずっと閉じたままになってしまうんじゃないかって、何も見えなくなっちゃうんじゃないかって、思ってしまって…、眠るのが、嫌だったんです」

優しく穏やかな口調で、盾花の言葉は続く。

「でも目が…、トリオン体で目が見えるようになってからは、そんなこと思わなくなりました。むしろ……、明日見る世界は、どんなに綺麗なんだろうかって思って…、寝る前に楽しく思えるくらいです」

そして最後に、

「だから今は、毎日落ち着いて…、幸せに眠れてます」

そう締めくくった。

 

全てを聞いた村上は、自身の過去と今の話を重ね合わせていた。

 

 

 

 

 

村上鋼が持つサイドエフェクトは『強化睡眠記憶』。人の脳は起きている時に覚えたことを、眠っている間に記憶として整理し、定着させる。しかし全ての記憶が定着するわけではなく、大抵は覚えたことの何割かは身についておらず、何度も繰り返すことによって記憶を完全なものにする。だが村上の持つこのサイドエフェクトは、その機能を極端にしたものであり、一度の睡眠でほぼ全ての記憶を脳に定着させ自身の糧にすることができる。

 

一度理解、体験したことを他の人よりも早く確実にフィードバックできる村上の成長速度は並大抵のものではなく、幼少期にはスポーツで仲間より早く抜きん出て実力を身につけていたため、それが原因で孤立することも、よくあった。

 

そしてそれは、ボーダーに来ても起こった。

 

彼がボーダーに来た時、同い年だが先に入隊していた『荒船哲次』からブレード系トリガー『弧月』の手ほどきを受けた。サイドエフェクトと村上自身の真面目さも相まって、半年ほどで村上は荒船のポイントを追い越し、アタッカーランキング7位に着けた。

同時期、荒船はアタッカーからスナイパーへと大きなポジション変更をした。荒船にはある目標があり、そのための変更に過ぎなかったのだが、タイミングがタイミングなだけに周囲と村上は、

『荒船は村上に抜かれたからアタッカーを辞めたのだ』

と思った。

 

荒船のポジション変更を受けて、村上はひどく落ち込んだ。

 

–剣を教えてくれた師匠を追い越す、恩を仇で返すような事をした自分が恨めしい–

–本来するべき努力を、オレはサイドエフェクトがあるからしていない–

–オレはみんなの努力を、サイドエフェクトで盗んでいるんだ–

–普通でいいのに…、こんな…、こんなサイドエフェクトなんていらなかった–

そして、

–眠ることで覚えるなら……、眠らなければいい。眠るのは嫌だ–

と、思った。

 

後に村上の苦悩は、彼の隊長である来馬の気遣いと荒船の激励の言葉で吹き飛び、彼は成長を続けてアタッカー4位まで上り詰めた。

 

 

 

そして今、盾花が語った出来事が、村上の中にあった出来事と重なった。

(事情は全く違う。だけど、それでも……)

その重なりが、村上が感じていた盾花との隔たりを埋めた。

 

違いはあっても、全く理解できない子ではないのだと、思えた。

「……盾花」

 

「はい?なんですか?」

 

未だどことなく不安そうな気持ちを表情に残している後輩に向けて、

 

「…落ち着いて眠れるようになって、良かったな」

 

頼れる先輩は、その言葉を送った。

 

村上の過去を知らない盾花は、当然今彼の中で何があったのかを知らない。それでも、村上の表情が明るくなったのを見て、

「…はい、良かったです!」

花のような笑顔を返した。

 

 

2人はそれからしばらく、レイガストについての意見を交わした。途中、

「コウさんのガードは的確すぎて参考に出来ないんです!この攻撃に対して正解だとしか思えないガードしてますけど、無駄が無さすぎてなんでこのガードを取ったのか理解できないんですよ!数学で問題文見た瞬間に答え出されてるみたいです!なのでガードのコツ、詳しく教えてください!」

盾花が少々理不尽な事を言い、村上は苦笑して影浦が体験した心地良い苦労を感じ取ったのであった。




ここから後書きです。

本文中で村上先輩の苦悩を書きましたが、原作にはない悩みが追加されてます。実際に村上先輩がそう思ったのかは分かりませんが…、サイドエフェクトの内容を知ったらそう考えるかもなと思って書きました。

一人称視点と三人称視点で行ったり来たりで読みにくいかと思います。申し訳ないです。

2話目も読んでくれてありがとうございます!
基本、今回名前は出てきたけど主人公と絡まなかったキャラクターを次話で取り上げる形式で行こうと思ってるので、3話で誰がメインなのか考えながら待っていただけたら幸いです。

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