あのすみません。俺のシフトだけ週7になってるんですけど、記入ミスですよね? ・・・・・・え、合ってる? 作:鯛焼きマン
「ほれ、タオル」
「ありがとうございますー」
雨の日だったので念のために多めに持ってきたタオルを全身びしょ濡れの樹に渡す。
実は誘拐現場に駆けつけた時、傘を投げ出して走ったので斎藤もかなり濡れていたが、今まで数えられるほどしか風邪をひいたことがないタフさが唯一の自慢なので樹を優先した。
ちなみにタオルを渡す際ブラウスが透けていて胸元とか下着とかが見えた気がするけど記憶から抹消したので斎藤悟は何も知りません(必死な改竄)。
兎も角、ここまでの話の流れをまとめると、
・特訓をしていた神社で石割樹という美人に出会い、世間話をするぐらいには仲良くなれた。
・最近になって石割樹がめっきり神社に来なくなったことで悩んでいたら、その石割樹が誘拐されかけていた。
・しかも明らかに様子がおかしい。
・とりあえず雨宿りのため神社の境内にある小屋へ←今ここ
斎藤は困った。
困ったので
困った時は
そして樹のことを話すためにサバキへ電話をかけると、
『よぉ、オレもちょうどお前に電話しようと思ってたところだ。―――――要件は何かって? いや実は石割んとこのお嬢さんが行方不明になってな。ん? お、バンキ。そっちの方はどうだった? ・・・・・・そうか。
ああ、すまん斎藤。今は猫の手も借りたいぐらいなんでな、すまないがお前にも―――――何?! 本当か?! いやいや、お前のことを疑っているわけじゃねぇって。
・・・・・・ところでその子、今どんな様子だ? ―――――なるほど、な・・・・・・とにかく無事で何よりだ。グッジョブ、斎藤」
どうやら向こうも向こうで樹のことを探していたらしく、斎藤の電話はベストタイミングだったらしい。
(一応場所は伝えたし、しばらくすれば石割さん・・・・・・兄の方が迎えに来てくれるらしいけど)
電話を切り、小屋の軒下に座っている樹を見る。
「お兄さんが、って俺が言うのもおかしいけど、しばらくしたら迎えに来るってよ」
「そうですかー。すみません斎藤さん、お手を煩わせてしまってー」
「このぐらい別にいいけどな。ただ今度からは気を付けろよ? 今回は俺がたまたま近くにいたから良かったものを、ああいう手合いは隙を見せるとそれこそハイエナみたいに寄ってくるからな」
「そう、ですよね。このたびは助けていただいて本当にありがとうございました・・・・・・あ、でも」
「でも?」
「ハイエナって世間の認識では獲物を横取りするような卑怯で悪い奴ってイメージがありますけど、実は狩りが上手くてむしろ体の大きいライオンから横取りされることの方が多いらしいですよー?」
「そうなのか? そりゃハイエナに失礼だったわ」
「あははー、そうですよー? 斎藤さんハイエナに謝らないとー」
樹は先ほどまで誘拐されかけていたことが嘘のように笑顔を作って朗らかに笑う。
「・・・・・・無理に、笑わなくていいんだぞ?」
「え・・・・・・」
斎藤はそんな
「私の笑顔、そんなにぎこちないですか?」
「ぎこちないっつーか、明らかにいつもと違うからな」
石割樹は万能の天才だ。
ポーカーフェイスだってお手の物。
彼女が本気で本音を隠して嘘を吐いたら、きっと家族にだってわからない。
ならば何故、凡人以下の無能である斎藤悟にバレたのか。
「・・・・・・よくわかりますねー」
「二年間も見てたら流石にな」
それはただ、斎藤悟が
「・・・・・・何があったんだ?」
軒下に座る樹のとなりに、彼は座った。
そして恐る恐る、腫れ物に触るように尋ねる。
「知ってますよね、斎藤さん」
「・・・・・・」
自然な流れで相談に乗ろうとした斎藤の目論見は、いとも容易く見破られた。
樹には、彼が既に師匠のサバキから事情を伝え聞いていたことに気付いていた。
斎藤悟などという単純な男の考えなど、石割樹には手に取るように分かった。
「クロワッサンが昨晩・・・・・・亡くなったんだってな・・・・・・」
死因は末期がん。発覚したのは三か月前。
犬の死亡原因でもっとも多い、言い換えればありふれた病気。
さらに言うなら年老いるほどに罹りやすくなる病気だ。
クロワッサンは今年の誕生日を迎えていれば12歳になるはずだった。
これは大型犬の基準では、人間で言う89歳に相当する。
「・・・・・・泣かないんですねー」
「っ・・・・・・すまん。なんか、実感が湧かなくて・・・・・・」
斎藤は、いつの間にか樹が自分の顔を覗き込んでいたことにドキリとした。
ただしそれは、魅力的な女性に感じる甘酸っぱい胸の高鳴りなどではなかった。
吸い込まれそうな深い瞳を通して、まるで自分の心の奥底を覗かれ探られているかのような気分だった。
「あ、違いますよー? 責めているわけじゃないんです。あの子の死を悼んでくれて悲しんでくれているのは顔を見ればわかりますからー」
「・・・・・・なんか、気を遣わせちまって悪いな。一番悲しいのは石割さんなのに」
斎藤は一瞬感じた怖気を脇に置く。
置いて、
「・・・・・・・・・・・・そうなんですかね?」
「え?」
しかしそれは斎藤の勘違いだった。
「私、あの子が倒れて、病院に行って、癌だってわかって・・・・・・助かる見込みはないって言われて・・・・・・それでも助けたくて頑張ったんです・・・・・・いくつも大きな病院に通ったり、有名なお医者様に問い合わせたり・・・・・・」
樹は淡々と語る。
貼り付いた笑顔で、淡々と語る。
「でも駄目でした。できて少しの延命でした。朝に一回だけ散歩に行くのが精一杯で、あとは家で寝たきりでした。健康だった頃は元気があり余り過ぎてたぐらいだったのに・・・・・・むしろ苦しむ時間を増やしただけだったのかも・・・・・・」
「それは・・・・・・もしかして、それを気に病んで?」
斎藤は探り探りに聞く。今朝、彼女が突然失踪した原因を。
樹は、台本を音読するかのようにスラスラと返答する。
「いえいえ、違いますよ? いやなんか私にもできないことってあるんだなーって思いましたけど。たぶん生まれて初めて? でしたもん。あんなに、あんなに、寝る間も惜しんで、頑張ったの。
・・・・・・まぁ、結局、実を結びませんでしたけどねー、ふふっ」
樹は笑った。
古いお話人形の声に似た、笑い声だった。
乾いた笑みだった。
今にも壊れそうな笑みだった。
「石割さん・・・・・・」
斎藤は何も言えなかった。
言うべき言葉がわからなかった。
何を言っても伝わらない・・・・・・どころではなく、『下手な一言が取り返しのつかない事態を生む』そんな状態だった。
それほどまでに、彼女の心は脆くなっていた。
どこから手をつければ、などというレベルではない。
指先が触れただけで、歯抜けだらけのジェンガのように崩れそうな心だった。
「・・・・・・涙、出なかったんですよ」
「―――――」
樹の偽りの笑顔が消える。
正気に戻った・・・・・・わけではないことは、その虚ろな表情を見ればすぐにわかった。
むしろ今の彼女は『笑顔を作る』余裕すらも無くなっている。
「あんなに大好きだったのに、小さい頃から一緒だったのに、いっぱい遊んだのに、一緒に綺麗なものたくさん見たのに、辛い時はいつも励ましてくれたのに、ずっと傍にいてくれたのに・・・・・・今でも私の中には、あの子との、幸せだった思い出がたくさんあるのに」
虚ろな表情のまま、虚ろな感情のまま、虚ろな言葉を吐き出す。
虚ろな瞳は、斎藤など眼中になく、ただただ虚空を眺めていた。
「あの子が動かなくなって、冷たくなって、死んじゃって・・・・・・なのに、私は涙の一つも零さなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
言い切って、樹は元の笑顔に戻る。
まるで言いたいことを言ってスッキリした、とでも言いたげに。
「そして思っちゃったんですよー。私ってやっぱり
それまで黙って彼女の話を聞いていた斎藤は、彼女に一言だけ訊ねた。
「それ、誰から言われた?」
きっとその言葉が、そいつが、彼女をここまで歪ませてしまった・・・・・・と気付いたから。
勘違いかもしれない共感だったとしても、気付いたからには聞かずにはいられなかった。
「親友、だと
その言葉で斎藤は、不明瞭な共感があながち勘違いではなかったのだと確信した。
‐―――――――――――――――――――――――――
「お前に私の何がわかるの?! お前みたいな能無しに!!」
‐―――――――――――――――――――――――――
「なんであの子が―――――!! なんで何も無いアイツが―――――!!」
「・・・・・・あの子じゃなくて、アレが死ねば良かったのに」
‐―――――――――――――――――――――――――
それらは、生まれた時から瀕死の死に損ないに過ぎなかった斎藤悟を
罪を犯した彼に、叩きつけられた言葉だった。
中学三年の時、彼は一度死んだ。
肉体的ではなく精神的に。
身体ではなく、
‐―――――――――――――――――――――――――
「自分で死ぬ、なんてのは償いじゃない。
逃げること、それ自体は完全な悪じゃねぇし必要な時もある。
だがな、『死ぬ』つー逃げを自分で選ぶことだけはやめろ。
死ぬことは、全てが無くなることだ。
その先にどんな
……逃げるのは簡単だ、いつでもできる。
本当に罪の意識を感じているなら生きろ。
辛くても生きろ。
とりあえず生きろ。
空回りしても生きろ。
みっともなくても生きろ。
だが、死んでるように生きるな。
そうやって生きて、生きて、もう手も足も動かない無理だって思っても、もう少しだけ、ほんのちょっとでいいから生きてみろ・・・・・・そうすればきっと見えてくるはずだぜ? 今まで見えてなかった『何か』がな。・・・・・・何か、ってなんだよって?
知るか、自分で見てこい。
―――――しかし、そうだな。一つだけ言っておく。
斎藤。『生きる』ってことはな、『無限の可能性』って意味だ・・・・・・そのことを忘れるな」
‐―――――――――――――――――――――――――
それは、彼が
中学三年の時に死んだ彼は、そのまま死んだように生きて、生きているだけで死んでいて、そのまま何も考えずに生きた彼は、高校時代に
高校を中退した彼は救いも処罰も与えられず、流されるがままに生き、生きているというよりただ
そして衝動的に呼吸することすら疲れて、山に入った。
そこで彼は、一人の『鬼』に出会った。
「無かったことになんて、なんねぇよ」
「え?」
斎藤悟は石割樹の目を真っ直ぐに見ていた。
樹は彼の瞳の奥を見ても、その内心が読めなかった。
読めないのに、
真摯で誠実に相手と接しようとする彼の性格が、読むまでもなく
その目は、さっきの樹の探るような目とは違ったから。
視線に乗せて真っ直ぐに言葉を届ける、そんな目だったから。
「石割さんはクロワッサンのことを愛していたよ。家族として、パートナーとして。それはこの二年間アンタ達を見てきた俺が保証する。
クロワッサンが亡くなった時に泣かなかったからって、それまでアンタがクロワッサンを愛してた日々が跡形もなく消えちまう、なんてことはねぇだろ? ・・・・・・積み上げてきたものは、ある日突然意味がなくなったりしないし、消えないんだよ。絶対に」
鍛えてきたこと経験してきたこと全てに意味があり、消えないように。
斎藤の罪は一生背負わなければいけないものであり、消えないように。
その人が人生で積み上げてきた『何か』は、決して消えたりしない。
「―――――――――――――――」
樹は斎藤の言葉を受け、茫然とした。
彼女は『思い出』を無意味してしまった・・・・・・それを彼の言葉が否定した。
彼女は『愛』を無くしてしまった・・・・・・それを彼の言葉が否定した。
彼の言葉が、彼女の心に“響き”を起こした。
その“響き”が鼓動となって、空っぽになっていた樹の心を震わせる。
彼女は大切な家族の死に涙を流して悲しめなかった自分に絶望していた。
彼女は家族の死を差し置いて自分の醜さなんかで絶望している自分自身を軽蔑し、失望していた。
彼女は兄弟のように育った家族の死を悲しめない自分は、兄を始めとした血の繋がった家族や他にもいる大切な人が死んでも同じように悲しまないのだろうと思い、絶望していた。
彼女は家族が死んだ翌日に、悲しむ前にそんなことを考えている薄情な自分に失望していた。
絶望と失望の悪循環。
彼女の歪みが生み出した負のスパイラル。
他の人から見れば「なんでそんなことで悩んでいるんだ? もっと気軽に考えろよ」と失笑されるかもしれない。
だが、どこの馬の骨とも知れぬ他の人など関係ない。
彼女自身にとっては
・・・・・・それほどまでに彼女を思い詰めさせるほど、クロワッサンが彼女にとって大切な存在だったのだということを、当の彼女自身が自覚できていないのが皮肉であり、残酷だった。
石割樹から笑顔が消えた。
石割樹から虚ろが消えた。
「ありがとうございます、斎藤さん」
彼女の
それは彼女自身がどうにかするべきもので、彼女自身以外にはどうにもできない。
それでも斎藤の言葉は、確かに樹の心に届いた。
木々にこだまするように、ゆっくりと染み込んだ。
彼の言葉が、その場凌ぎのお為ごかしの類ではないことを、樹が理解できたから。
斎藤の人生経験に元ずく言葉は、心無い言葉で心を閉ざしていた樹を説得できるほどに重みがあったから。
それでも斎藤悟は、その意思で石割樹を正しく導くことはできない。
どれだけ言葉に重みがあろうと、彼にそんな大層なことはできない。
人を導くにはまだ、彼には足りないものが多すぎる。
彼がしたのは、彼女が道を踏み外しかけた所を呼び止めた。
それだけ。
あくまで踏みとどまったのは樹であり、再び道を歩きだしたのも彼女の意思だ。
だが―――――
―――――彼女が再び明日へ走れるように顔をあげさせた。
―――――彼女の背中を押す風となった。
―――――揺らがぬ海原のごとく静まりきった彼女の心に波を立てた。
―――――優し過ぎるがゆえに、純粋な潔癖さゆえに、心に影を作って動けなくなっていた彼女に自由な翼を与えた。
―――――そして、
迷った時でも、
傷ついた時でも、
常に前を見て立ち上がれる『強さ』を、その心に伝えた。
「・・・・・・そろそろ迎えが来る時間だな。んじゃま行こうか、石割さん」
まるで自分だけが透明になって、
誰もが急ぎ足で自分の横をすり抜けていって、
一人だけ世界から置いてけぼりにされたような気持ちになって、
独りぼっちで、どうしようもない不安を感じても、
「君は一人じゃない」ということを、その心に伝えた。
導く力は無くとも、斎藤悟の言葉が石割樹を変える一助になったのは確かだった。
かつてサバキが斎藤にそうしたように。
人の心が人の心を救い、優しさは伝播していく・・・・・・そんな当たり前の輪廻を。
だから、
固まっていた心が動いたから、
不安を取り除かれ、いい意味で油断していたから、
樹が斎藤の心に触れ、「この人は私を裏切ったりしない」と心を開いたから、
これは必然だった、のかもしれない。
「そうですねー。
それは何気ない言葉だった。
「あ・・・・・・」
日常的に言ってきた言葉だった。
「ああ、そっか、もう、君は、いないんだ・・・・・・」
でも、その『日常』に彼はいない・・・・・・彼女はそれをやっと自覚できた。
斎藤と話す・・・・・・そんな些細な『日常』を、ひさしぶりにしたからこそ、自覚できた。
「クロワッ・・・・・・さ・・・・・・」
始めは一筋。
その一筋が呼び水となって、次から次へと、あとからあとから・・・・・・零れていく。
「く、くろわっさっぁう・・・・・・うう、ううううううぅぅぅぅぅぅぅ!」
彼との思い出を、12年間の思い出を、思い出すそのたびに。
心のダムが決壊するように、心の氷山が溶けて崩れるように。
タオルと両手で顔を覆っても止まらない。
溢れ出て、流れ続ける。
「ぅぅぅうわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
流れた
悲しみや苦しみを洗い流し、流れていったそれらはいつか彼女の心の糧となるだろう。
まるで土を溶かした雪解け水が、大地に栄養を運んで命を育むように。
「
そんな樹に、斎藤はただ寄り添った。
彼には何もできなかった。
気の利いた言葉なんて、かけられなかった。
だけど、かつて
彼女が泣き止むまで、傍にいた。
彼は思った。
あの誇り高き
それでもこの心優しい女の子を守りたい・・・・・・そう思った。
今は無理かもしれないけど、今よりもっと鍛えて・・・・・・守れる自分になりたいと、そう思った。
それは想いであり、誓いであり、覚悟だった。
はるか遠くの地平線から朝日が昇り、世界に光が溢れる。
暗闇に包まれ雨で湿っていた神社に光が差す。
「雨、あがったな」
斎藤は立ち上がる。
その言葉通り、雨音は止んでいた。
大空には青が、広がっていた。
「もう大丈夫そうだな」
樹も泣き止んでいた。
否、泣き晴らした・・・・・・というのが正しいかもしれない。
「はい」
彼女は笑顔で頷く。
作られた笑顔ではない、間違いなく本物の、
「みんなが待ってる。ほら、行こうぜ?」
彼は、不器用な・・・・・・でも、裏表の無い笑顔で手を差し出した。
「はいっ!」
彼女は、曇りのない晴天のような天真爛漫な笑顔で差し出された手を握り返した。
握られた手は力強く、それでいて優しく、彼女を起こした。
雨で体は冷えていたけど、その手はとても温かった。
輝く朝が来て、新しい明日が始まった。
それを祝福するように、雨上がりに虹が架かっていた。
某日。早朝。
音撃戦士・裁鬼こと
「さて、今日も朝一番にやりますか!」
毎朝
「落ち込むやつはさ、成長するんだよ」(二十四之巻:燃える紅)
「自分がやりたくないことも、案外どっかで役に立つってことがあるみたいだ」(二十四之巻:燃える紅)
「少年はさぁ、ケータイなくしたよな。俺は帽子をなくした。でもさ、生きていくってことは、なくすことばっかりじゃないぜ」(二十九之巻:輝く少年)
以上、ヒビキさんの名言集