「ひやぁ!?」
「どうした、桜!?…ってなんて恰好…うわ!?」
「に、にいさん…まど、まどに、おっきなむしが…!」
「チッ、あの爺一体何してんだ…?。ていうか、そんなに蟲が嫌いか、桜?」
「あ、あの…そうでもなかったはずなんですけれど…その、最近、は…」
「………ま、アレを見た後じゃな。…桜、一人でお風呂、入れないか?」
「…………………うぅ」
「…まだ小学生まだ小学生まだ小学生…よし」
「兄、さん?」
「じゃ、今日は一緒に入るか。背中流してくれよ、桜」
「え」
「やっぱ嫌だったか?それなら、僕は扉の前で待っててやるから…」
「い、いいえ!一緒に!一緒に入りましょう!兄さんっ!」
「お、おう…」
「~♪」
「随分上機嫌だなおい…ま、いいか」
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「舞弥さん?兄さんは…」
「休まれています、桜様。大変お疲れですので、今は起こさない方がよろしいかと」
あの戦闘の後、気絶した間桐慎二を運んでこの間桐邸まで帰ってきた後。
例の黒い『ナニカ』を呼び出す魔術を行使した反動なのか、間桐慎二は未だ目覚めてはいない。
「あの、兄さんは、何をしているんですか?」
「…桜様が知る必要はありません」
「けど!…学校も休んで、食事も取らない事なんて、今まで一度も…」
「………」
彼女が心配する気持ちはわかる。
少なくとも彼女の前では、間桐慎二はただの優秀な最高の兄であり続けた。
惑えば導き、躓けば手を貸し、臆したならその背を押す。
彼女の事を大切に思っている…と、傍目にはそう見える。
けれど私は、魔術師という物を知っている。
間桐慎二は、あの間桐臓硯の手解きを受けた魔術師なのだ。内心で何を考えているか分かったものではない。
一体、毎夜あの臓硯とどんな修練を行っているのかは知らないが、魔術師が『家族愛』などというものを持つような人種でないことを知っている私としては、間桐慎二が一体何が目的で彼女にあのように接しているのか疑わざるを得ない。
対して、この間桐桜と言う少女は徹底的に何も知らない一般人だ。
最低限、『魔術』という概念がこの世に今も確固としてあることは知っているが、間桐臓硯との修練も行っておらず、私の知る限り間桐慎二から何らかの手ほどきを受けている様子もない。
毎日学校に通い、時にはクラスメイト達と遊びに出かけ、翌日の食事の献立を考えることが日々の楽しみであるこの少女が、魔術師であるとは到底考えられない。
…それも、間桐慎二、引いては間桐臓硯が私を欺くための演技であるという可能性は捨ててはいないので、最低限の警戒はしているが。
そんな彼女に、少なくとも表立っては、今間桐慎二が関わっている魔術儀式である『聖杯戦争』について情報を渡すわけにはいかないだろう。
「申し訳ありません、桜様。今回の一件は、間桐の家の魔術師としての責務に関わる事ですので…」
「そう、ですか…」
そうかすれた声で呟いて眉根を下げる間桐桜は、純粋に兄を心配する妹にしか見えない。
だから、だろうか。
気まぐれに、そんな事を告げてしまったのは。
「…ご心配なさらずとも、そう遠くない内に終わりは訪れます。どうかその時に、桜様渾身の手料理を、振舞って差し上げてください。慎二様は、桜様の手料理が、何よりお好きですから」
「!…はいっ!その時は、腕によりをかけて作りますね!」
パタパタと駆けていく間桐桜の背中を見送った。
「………」
暫くして。
間桐慎二は、まだ目覚めない。
眠っている内に何らかの行動を起こすべきか、とも何度も思ったが、まだ間桐臓硯が健在である現状、監視の目がないわけではない、あまり派手な行動は取ることは出来ないか。
受けた命令…聖杯戦争における助力の延長として、今は使い魔と盗聴器を使用した、衛宮家と衛宮士郎の監視を継続しているが…。
「!?」
そこで、事態が動く。
一人公園へと訪れた衛宮士郎が、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと接触し…誘拐されたのだ。
「これは…ッ!」
「何があった?」
「間桐慎二!?…起きたのですか」
「たった今な…で、どうなんだ?そろそろ、衛宮の奴がイリヤスフィールに誘拐された頃か?」
「なっ!?」
どうしてそれを、まるで知っているかのように話すのか。
この少年は、本当にどこまで未来を見ているのか。
相変わらず謎を残すこの少年に対して不気味な物を見るような視線をつい向けてしまうが、それを意にも介さず少年は命令を下す。
「車を回せ、舞弥。アインツベルン城に向かうぞ」
―――向かって、どうするというのか。
衛宮士郎の味方をするのか。
イリヤスフィールの味方をするのか。
それは即ち、敵となった相手を殺すという事だ。
切嗣の遺志を継ぐ少年か、切嗣の血を引く少女の、どちらかを。
「…はい」
私は、自らの命の使いどころが近づいていることを、感じていた。
―――結局、その予感は見当はずれなものだったのだが。
◆
慎二との戦いの後。
魔力消費のために高熱を出して寝込んでしまったセイバーをどうすべきか、遠坂と話し合ったところ。
結論として、どこかから補給するしかないという事になった。
だが、それができるなら苦労はない。
魔術師として未熟である俺からは、セイバーへの魔力供給が行えない。
故に、方法としては一つ―――人を襲わせて、その命を奪う事で、生存のための魔力を得る方法だ。
それは論外だった。
俺は、犠牲を出さないためにこの聖杯戦争に参加した。そんな俺が、人の命を奪うようなことを容認できるわけもなく。
また、高潔な騎士であるセイバーとしても、そのような方法を取ってまで生き延びようとはしないだろう。そんな事をするくらいなら死を選ぶ、そう反抗するセイバーの事を想像できるくらいには、時間を共有してきたつもりだ。
だがそれは、セイバーを見捨てるという事で。
…結局、決断を先延ばしにした俺は、この公園に足を運んだのだった。
―――そこで、冬の妖精のような少女に、誘拐されるとも思わずに。
何故か俺に執着を見せるイリヤは、公園で俺を見つけると、俺に『自分のサーヴァントになれ』と言ってきた。
既にセイバーが戦うだけの余力を失い、実質的な敗北状態である俺に、自分のものになりなさいと。
無邪気に。
断られるだなんて全く思わない、満面の笑みで。
その提案を、俺は蹴った。
俺はまだ、セイバーの事を諦められてはいない。
人を襲わせるなんて論外だが、だからと言って彼女がこのまま消えるのを黙って見過ごすつもりもなかった。
まだ手掛かりの一つもないが、何としてでも彼女を生かす。それだけは決めていた。
それに、セイバーが居なくとも関係ない。
例え俺一人だろうと、『この聖杯戦争で犠牲を出さない』という目的が変わることはない。
ならば、この争いから自ら降りる理由もない。
その返答に対してイリヤは―――俺を誘拐した。
三流どころか見習い魔術師である俺は、一流の魔術師であるイリヤに敵う道理もなく。
あっけなく彼女の魔術行使によって自由を奪われ、今は彼女の居城だという城の一室に、縛られたまま放置された。
そして彼女は―――
『あいつらを殺せば、流石に士郎も諦めて私のものになるよね』
その冷笑は、俺にたやすく、イリヤがセイバー達を殺すであろうことを直感させた。
セイバーや遠坂を殺させるわけにはいかない。
イリヤに人殺しをさせるわけにもいかない。
「ぐっ…クソッ!」
放置された俺は、どうにかならないものかと身をよじっていた。
感覚として、今俺を縛っているこの縄は、それ程強固に結ばれているのではなさそうだ。
程なくして、俺を拘束していた縄はたわみ、床へと落ちる。
「よし…!」
何をするにしても、まずは帰らなければ。
このままでは、セイバーと遠坂がイリヤの襲撃を受けてしまう。
逃げるにしても迎え撃つにしても、イリヤの事を伝えて対策を練らなければ―――!?
「誰か来る!?」
廊下からの足音に慌てる。もしかしたら、イリヤかお付きの二人のメイドのどちらかが戻ってきたのかもしれない。咄嗟に俺は―――近場のベッドに潜り込んだ。
ここで戻ってきた誰かをやり過ご………せるわけないだろ!?
何を考えてるんだ俺は!ベッドにこんな不自然な膨らみがあったらバレるに決まってるし!あぁ駄目だ、もう足音がすぐそこまで近づいてきた!こうなったら、訪れた人間が極度の天然で俺のこの状態を見逃すことに祈るしか…。
「…何を遊んでいるのですか、シロウ」
祈りは通じなかった。
「…ってセイバー!?どうしてここに!?」
そこに居たのは、家で臥せっているはずのセイバーだった。
「マスターが危険に晒されている以上、サーヴァントである私がじっとしているわけにはいかないでしょう」
「だからって、そんな無茶…お前、息をするのも辛そうだったじゃないか!」
「ぐっ…い、いえ、こうして復調した以上、問題はありません」
「大ありだ!別に魔力供給の当てができたってわけじゃないんだろう?それなのに―――」
「ちょっと二人とも、今が緊急事態だってこと、忘れてない?」
出口の見えない言い争いに待ったをかけたのは、セイバーの後ろに居た遠坂だった。
「っていうか遠坂!?いたのか!?」
「居たわよ最初から。セイバーしか目に見えてない衛宮君は、気付かなかったみたいだけどね」
「うっ…」
「ともかく、いつイリヤスフィールが戻ってくるかわかんないんだから、さっさと出るわよこんな所!」
刺々しい態度の遠坂に促されて、俺達はイリヤスフィール邸を出ることにしたのだった。
「あら、どこに行くのかしら」
そこに待ったをかけたのは、玄関口へと現れたイリヤだった。
彼女のサーヴァント…バーサーカーを従えた状態で現れ、正面口から出ようとする俺達を見下ろしている。
「イリヤスフィール…!まさか、最初からバレて…!?」
「えぇ。面白そうだから、出ていったふりをして動きやすいようにしてあげたの。そしたら本当に思った通りに動いてくれるんだもの」
そう言って笑うイリヤと、緊張から汗を流す俺達。
状況は完全に不利だ。
あの化物そのものなバーサーカーに対抗できるのは、遠坂のアーチャーだけ。
それも比較的マシというだけで、アーチャーの勝利を期待できるほどではない。
にも、関わらず。
「アーチャー」
「なんだね、凛」
「あなた、時間稼ぎをして頂戴」
「なっ、遠坂!?」
アーチャーでは、あのバーサーカーには勝てないだろう。
明らかに地力が違い過ぎる。
無論、それ以外の選択肢はないのだろうが、だからと言って。
言外に『死ね』と、そう命じるような真似を…。
「だが、凛。時間を稼ぐのは構わんが…」
「別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
「―――――――――」
暫し、呆然とする。
アーチャーとて、アレに勝てないことは分かっているのだろう。
だが、アーチャーはそんな言葉を紡ぎ、遠坂に向けて不敵に微笑んで見せた。
そんなアーチャーに対して、遠坂は―――
「えぇ、アーチャー!思いっきりぶっ飛ばしてやりなさい!」
最後となるであろう激励を送り。
ぐずぐずとする俺達の手を引いて走り出した。
後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、俺達は遠坂に従う。
アーチャーの意思を、無碍にしないために。