その空間は、初めて見る筈なのに、なぜかずっとそばにあったかのような錯覚を覚えた。
乾いた大地と、そこに突き立てられた無数の剣。
「これは、私の心象風景だ」
声の方向に目を向ければ、体中に黒い筋が走り、何らかの呪いに汚染されていることが見て取れるアーチャーの姿があった。
「『固有結界』―――魔術の中でも大魔術に分類される魔術で、自らの心象風景によって現実を塗りつぶす、そういうものだ。…そして、お前がいずれ至るであろう可能性の一つでもある」
「俺が…?」
「もう、気付いているのだろう?お前は、この景色を見た時点で、感じていたはずだ。既視感、共感―――」
「…まさか、お前は」
「俺の名前は、エミヤシロウ。正義の味方―――つまり貴様の理想、その成れの果てだ」
◆
「がっ、はっ!?」
この結界の中に入ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。
あれからずっと、俺はアーチャーの手で痛めつけられ続けている。
拳打を受けては腰を折り、蹴りを受けては吹き飛ばされる。
そんなことを繰り返される中で、俺の体はボロボロに痛めつけられ、無様な姿を晒している。
だが、それ以上に―――
「づあ…っ!!!」
流れ込んでくる映像がある。
助けを求める声があった。
嘆き呻く声があった。
救いを叫ぶ声がった。
この世に『正義』はないのかと、そんな風に世界を呪う声があった。
その全てを諸共に吹き飛ばし続けていた。
それは、世界の意思、人類の無意識の集合体、『アラヤ』と契約を果たした、一人の英雄の生涯だった。
人類の歴史の中で、どうしようもなくなった瞬間。
そのまま世界が回り続ければ、いずれ人類が多大なダメージがあるであろう、歴史の分岐点。
そんな時に、その英雄は現れ―――そして、全てを消し飛ばしていった。
正義の味方。
あぁ、確かに、彼の行いによって、多くの命が将来救われたのだろう。
そうしなければ、もっと多くの命が失われたのだろう。ひょっとすると、人類丸ごと滅ぶような未来が訪れたのかもしれない。
―――けれどそんな大義名分は、この景色の残酷さの前では、虚しく響くだけだった。
「これ、は…!?」
「そうだ、それこそが、
こんな未来を迎えるのか。
こんな生涯が、俺の未来なのか。
「借り物の理想を、後生大事に抱え続けた結果がそれだ。俺は、そんな血に塗れた未来を消すために、今…ここにいる」
「諦めろ、衛宮士郎。お前では、お前の思い描く正義の味方には成れはしない」
「お前の存在そのものが、間違いだったのだ」
そうなのか。
駄目なのか。
成れないのか。
俺が正義の味方を目指すのは―――間違っているのか。
『僕はね、士郎。正義の味方になりたかったんだ』
「…じゃない」
「何?」
「間違いなんかじゃ、ない―――!」
綺麗だったから憧れた。
確かに始まりは、仮初だったかもしれない。
俺は別に、理想を目指したわけじゃない。
ただ―――
『ありがとう!ありがとう!…生きていてくれて、本当に―――!』
俺を助けた時の切嗣の姿が、本当に嬉しそうだったから。
もし、俺にもあんな風に喜べる時が来るのなら。
そう思って、切嗣の姿を追いかけていただけだった。
理想は借り物で。始まりは仮初で。
目指していたのはただ、正義の味方ではなく、正義の味方だった男―――衛宮切嗣の後ろ姿だった。
けれど―――
より多くの人の幸せのために。
より多くの人が救われるように。
より多くの人が笑っていられるように。
そんな願いが、間違っているわけがない。
綺麗だったから憧れた。
あんな風になりたいと思った。
借り物の理想でも。仮初の始まりでも。
「
僅かばかりとなった魔術回路を励起させて、その技術を模倣する。
己がいずれ至る境地を、今ここで再現する。
「くっ…私の記憶を覗き見て、その技術を模倣したか…だが、そんな拙い投影で!」
干将・莫耶。
奴が―――俺が、好んで使うこの双剣を投影し、奴と打ち合う。
そして―――俺の剣が、砕け散った。
「ぐっ…!まだ、だぁ!」
投影する。
砕け散る。
投影する。
砕け散る。
何度も、何度も、何度も―――。
初めは、一合と持たない。
次は、二合。
その次は、三合。
徐々に、俺の投影は、その精度を上げていく。
「何故だ…何故抗う!もはや立っている事すら難しいはずだ!己が間違っていると気づいた筈だ!それなのに―――」
「それでもッッッ!!!」
追いついて見せる。
追い抜いて見せる。
お前がたどり着けなかった場所に、辿り着いて見せる。
何故ならば―――
「俺が目指した
両手に握った双剣が、奴の胸を貫いた。
◆
「俺の、勝ちだ」
「あぁ、そして私の敗北だ」
私の作った世界が砕け散り、現実へと舞い戻る。
結局、私はマスターの命令を遂行できなかった。
『殺すな。ただ、その理想を砕け』
あの呪いで以て、凛から私のマスター権を奪い、そう命じてきた現在のマスター、慎二。
殺すなという縛りさえなければ、即座に殺して終わりだったというのに。
そのせいで、思い知ってしまった。思い出してしまった。
自分がどれだけ頑固な人間で、どれだけ、諦めの悪い人間なのかという事を。
―――この男は、死んでも止まらない。
それに気づいた私は、振り上げた剣を降ろした。
奴が諦めることがなく、私に奴を殺すことができない以上、どれだけ戦い続けても、最後には私の敗北で終わる。
その未来が、はっきりと見えてしまったからだ。
◆
「なんだ、結局負けたのか、アーチャーの奴…まぁ、それならそれでいいさ。戻れよ、アーチャー」
幻想の世界から現実へと戻ってきた俺を迎えたのは、膝を屈するセイバーと、汗を垂らして油断なく辺りを見回す遠坂…そしてそんな俺達を余裕綽々な態度で睥睨する慎二の姿だった。
「慎二…ッ!」
「お、なんだよ衛宮、やる気か?そんなボロボロの体で、この局面を一体どうしようってんだ?」
「どうにかするさ…誰かを犠牲にしようだなんていう、お前の行いを、俺は許すわけにはいかないッ!」
そうだ。
俺は決めたんだ。
この理想を掲げ続ける。
俺は、正義の味方であり続ける。
―――あの、俺の始まりである
「全く、役に立たないどころか、敵に塩送るような真似しやがって…ま、それならそれでいいさ。僕自身が出張るだけだ」
「っ!」
俺は意識を戦闘に備えさせる。
既にアーチャーとの戦いの中で俺の体はボロボロだが、それでも抗う意志だけは絶やさない。
―――だが、続く言葉は、その意志を砕こうとするものだった。
「聖杯、お前にくれてやろうか?衛宮」
「………なん、だと?」
「だから、聖杯だよ。万能の願望器。僕は別に要らないからさ、お前にくれてやろうと思って」
「なん、で…そんな、こと…」
「だって、お前にはあるだろう?叶えたい願いが、願わなきゃならないことが」
「そんなもの、オレには―――」
「あるだろう。十年前の悲劇を、なかったことにするっていう願いが」
「――――――」
絶句する。
それは、あまりにも。
甘美に過ぎる、誘惑だった。
「十年前の地獄。お前達が味わい、そしてお前だけが救い出された、前回の聖杯戦争の最後の瞬間。
数多の命を奪い、数え切れない人々の人生を滅茶苦茶にした、この冬木で起きた大災害。
そこで唯一人生き残ったお前は、こう思っているはずだ―――『あんなことが起きなければ』ってな」
あぁ、確かにそうだ。
あんなもの、起きなければよかった。
あれのせいで、どれだけの悲劇が生み出されたか知れない。
「もし聖杯があれば、本当になかったことにできるぜ?衛宮」
その誘惑に、俺は―――
「いいや、そんなものはいらない」
首を、横に振った。
「………何?」
「いらないって言ったんだ。…あの悲劇を、なかったことになんてしない」
「お前、何言ってるかわかってんのか?お前なら救い出せる。あの時失われた命を、あの時叫ばれた嘆きを、その全てをなかったことにできるんだぞ?」
「そんなこと、出来ない」
「見栄張るのはやめろ衛宮!お前にはずっと後悔があったんだろうが!ずっと、ずっとずっとずっと、あの時から自責の念が、お前を縛り付けていたはずだ!『自分だけが助かった』という罪悪感が、お前の中にずっとあった筈だ!
だからお前は、そんな風に自分を蔑ろにして、当たり前みたいに誰かを助けるために動き続けた!本来、魔術をちっとかじっただけの一般人だったお前が、こんなとち狂った戦争に頭を突っ込んだ!…そんな生き方辛いだろう、苦しいだろう?なのに何で、それから逃れようとしない!」
「それでも―――!」
確かに、悲しくて、辛くて、苦しくて。
それでも―――
「それだけじゃ、なかった筈だ」
悲しくて涙を流して。
辛くてしょうがなくて。
苦しくてどうしようもならなくて。
けれど、それを乗り越えて今がある。
「それでも、耐え続けて、前に進んできたから今がある。悲しくても、辛くても、苦しくても、それでも諦めなかった、今の俺がある!
他の誰かだってそうだったはずだ!何があっても、逃げ出さずに進み続けて築かれた今が―――」
「間違ってなんて居る筈がない!」
「…それがお前の答えか、衛宮」
「あぁそうだ。だから、お前の誘いには乗れない。お前がまだ聖杯戦争を続けるっていうんなら―――俺は、お前を止めるぞ、慎二!」
「―――そうかい」
かちゃり、と。
セイバーが、剣を握る音が聞こえた。
「セイバー、お前…」
「確かにあなたの言う通りだ、シンジ。私は、王になど相応しくはなかった。
…私は、シロウ程強くはなかった。今まで積み重ねてきたことを、あの終わりを受け入れられなかった。だから―――
せめて『私』は、『私』としての誇りだけは守り切ろう。『王』としての意思ではない。私は、『私』の意思でシロウの剣となり、シロウと運命を共にすることで、人としての最後の尊厳を守る。…それが、『私』の選択だ、シンジ」
「チッ、アーチャーの事を笑えねぇな、これじゃ」
そして慎二は―――踵を返して、ここから立ち去ろうとした。
「ちょ、慎二、どこに行くつもり!?」
「どこって…帰るんだよ。まだ随分と戦意たっぷりのようだからな。あーあ、こんな事なら迂闊に変な約束なんてするんじゃなかったぜ。
じゃぁな遠坂、それと衛宮にセイバー。ま、準備ができたら来いよ、いつでも相手してやるぜ?」
そう言って慎二は、本当にそのまま、ライダーの手で運ばれていった。
「そういう事だ、ではな未熟者。…次に出会う時は、殺し合う時だ」
アーチャーは、そんな慎二を追いかけていく直前、最後に俺に向けて語りかけてきた。
「その時こそ、俺を殺して見せろ。―――