Fate/Sprout Knight   作:戯れ

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解説回…的な何か





前夜

「ただいま戻りました」

 

 返事の帰ってこなくなった自宅へ向けて、帰宅の挨拶を告げる。

 

 兄さんが家を空けるようになってもう一週間。

 舞弥さんとついでにお爺様も居ない家は、私が帰宅しても出迎えてくれる人は誰も居ない。

 

「はぁ…」

 

 もう少し、もう少し…そう思ってずっと耐えてきたけれど、そろそろ限界が近い。

 

「むむむ…いい加減、兄さん成分を補給したいんですけれど…」

 

 ここ一週間、まともに姿も見れず声すら聞けていない兄さん。

 このままでは禁断症状が起こってしまう。というか、既に起きている。

 

 朝、ご飯を作る時についつい兄さんの分まで用意してしまったり。

 学校から帰る時に兄さんのクラスを覗いて来てはいないかと確認したり。

 夜寝る時は、余りに寝付けないものだからこっそり兄さんのベッドに忍び込もうかと扉の前を一時間くらいずっとうろうろしていたりしたのだ。

 

「―――寒いなぁ」

 

 あまり寒くないはずのこの冬木の大気が、何故だかいつにもまして寒く感じる。

 これほど兄さんと長く離れていたことなどなかった。

 学校に行くときは大抵登校時も下校時も一緒だったし。

 休日だって、月に一回は必ず兄さんとデートしていた。

 

 まだこの家に来たばかりの頃、慣れない家に戸惑う私の手を引いて導いてくれた兄さん。

 そんな優しい兄さんに甘えて、小さい頃は色んな事をしてもらったっけ。

 

 ―――よし、全部終わったら、思いっきり兄さんに甘えよう

 

 休日を使ってどこかに旅行にでも行こう。魔術の修練があるから、っていつも断られていたけれど、これだけ長い間働いた後なら、一緒に来てくれるかもしれない。

 どこかの山奥の旅館なんかに泊まって、景色でも楽しみながらゆっくり過ごして。

 お風呂は個人で使用できるタイプの旅館を選ぼう。それなら、兄さんと二人っきりで一緒に入れるし。

 夜は添い寝をしてもらおう。ずっと寂しい思いをした分だけ、兄さんに抱き着いて、兄さんの温かさと匂いを感じる中で朝まで過ごそう。

 あぁでも、旅行中は私の料理は食べて貰えないのか…まぁ、全部一気にやることもない。どうせ朝昼晩と機会はいくらでもあるのだから、旅行から帰ってきた後に存分に食べて貰おう。

 普段なら、兄さんにこんな迷惑をかけようだなんて思わないけれど…今回だけは別だ。一週間も妹を放っておいたのだ、その罰はきちんと受けてもらわなければ。

 

「だから…早く帰ってきてください、兄さん」

 

 

 

 

 

「それは、叶わないかもしれない、桜」

 

 声に驚いて顔を上げれば、そこに居たのは見覚えのあるようなないような、不思議な感覚のする男性が居た。その傍には、舞弥さんが控えている。

 お客様だろうか。だとしたら、もてなしもせずにこんなところで呆けているわけにもいかないが…。

 いや、そんな事よりも、今この男は、聞き逃せない言葉を吐かなかったかだろうか。

 

「…それって、どういう意味ですか。あなたは、誰なんですか!」

 

「臓硯だ」

 

「………へ?」

 

「君にとっては『初めまして』の感覚かもしれないが、私にとってはそうではない。聖杯…今、慎二が関わっている儀式の恩恵によって、若返ったのだ」

 

「え、えええぇぇぇ!?」

 

 わ、若返った!?

 い、いえ、魔術なんだからそういう摩訶不思議な事も引き起こせるんだろうけれど…魔術について一切かかわってこなかった私にとって、いきなりのコレは衝撃的すぎる。

 だが、言われてみればその顔つきには兄さんの面影が見える。いや実際には、この男性の面影が兄さんに宿った、と言った方が正しいんだろうけれど。あの老人の姿は人としての面影も何も読み取れるような造形ではなかったので分からなかったが、なるほどこれなら、二人が血縁関係にあると言われても納得できる。…祖父と孫と言われて、納得する人は絶対にいないだろうが。

 というか若返り…そんなことができるなら、増えてしまった体重を調整したりもできるんだろうか!?もう体重計に乗ろうとするたびに恐怖に震えるような日々を送らずとも―――

 

「い、いえ、そんなことはどうでもいいんです。いえ、気になる事は気になりますが今は重要じゃありません」

 

 若返り、という非常に魅力的な言葉から思考を引きはがし、目の前の男性に問い糾す。

 

「兄さんが、帰ってこないかもしれないって…どういうことですか?」

 

「その言葉の通りだ。…このままでは、慎二は死ぬ」

 

 突きつけられた言葉に、思考が凍り付く。

 

 兄さんが…死ぬ。

 

 そんなわけがない。

 そんなことがある筈がない。

 だって、兄さんは、強くて、カッコよくて、完璧で。

 いつだって、私の理想の兄さんだったんだから―――

 

「彼は一度でも、君に『帰ってくる』と、そう告げたかね?」

 

「――――――」

 

 それは、ずっと考えてこなかったこと。

 様子のおかしかった兄さんに、問い直すことを躊躇して。

 『安心しろ』『二週間もすれば終わる』そんな言葉は何度も掛けてもらったけれど。

 『必ず帰ってくる』とは、一度も言われなかった。

 

 兄さんは、一度も私に嘘を吐いたことはない。

 そんな兄さんが、帰ってくると言ってくれなかった。

 

 だから、それは、どういう意味かなんて、考えればすぐわかる事で―――

 

「そんなこと、ある筈有りません!きちんと、家で良い子にしていれば、帰ってきてくれます!兄さんが死ぬだなんて、そんな荒唐無稽なことを言わないでくださいっ!!!」

 

 辿り着いてしまいそうになる思考を必死に押し留めて、お爺様を名乗る男の言葉を悲鳴を上げて遮る。

 

「…そう、だろうな。彼は、君には絶対に弱みを見せることはなかった。彼は、君の前では…いや、君の知る事の出来る範囲において、完璧で理想な兄をずっと演じ続けてきた。そんな君に、私の言葉を信じろというのも無理な話だろう。だから…」

 

 差し出された手に乗っていたのは、手の平サイズの―――大きな、蟲。

 

「っ!?」

 

 蘇るのは、この家に来たばかりの頃。

 視界全てを覆いつくすほどの、蟲の海の中に居た時の記憶。

 あれ以来、私は大の蟲嫌いになってしまった。

 

「これには、私の記憶の一部を封入している。これを飲めば、君は私の記憶を疑似的に体験することができる」

 

「の、飲む!?これをですか!?」

 

「…これに封入されているのは、私の視点で見た慎二の姿だ」

 

「!」

 

「君には、これを見る権利と…義務がある。少なくとも、私はそう思う」

 

「…ご安心を。これと同一のものを、私も飲みました。これが桜様を害するものではないことは、私が保証いたします」

 

「舞弥さん…」

 

 見ているだけで吐き気がするこの蟲を、飲み込む。

 はっきり言ってあり得ない。そんな事をするくらいなら兄さんが何故かいきつけにしている泰山の麻婆豆腐を一気食いする方がましに思えるくらいだ。

 …けれど。

 

「これを飲めば、兄さんの事を知ることができるんですね」

 

「あぁ」

 

 ならば、飲もう。

 それが、兄さんに関わる事ならば。

 私は、知りたい。

 私の知らない、兄さんの姿を。

 

「っ―――――」

 

 掌に乗った蟲の感触に、そのまま壁にでも叩きつけてしまいたい衝動に駆られるが、それをぐっとこらえて、目をつぶり、呼吸も止めて、一息に。

 

「ごくっ」

 

 飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 多くの記憶が私の中に流れ込んでくる。

 

 ―――聖杯戦争

 ―――一定周期で、七人の魔術師の手で行われる大儀式

 ―――その目的は、万能の願望器、『聖杯』の奪い合い

 ―――その内容は、魔術師同士が召喚した、サーヴァントを用いた殺し合い

 ―――それが、兄さんの関わっている事件の概要

 

 それらの知識を見せられながら、私はさらに深く没入していく。

 あの蟲の見せる光景―――間桐臓硯の持つ、間桐慎二に関する記憶に。

 

 それは、私が逃げ出したもので。

 私が、ずっと考えないようにしてきた光景だった。

 

 

 

 

 

「あああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 それが初め、兄さんだとは分からなかった。

 私の知る兄さんは、いつも自信満々に笑っていて。

 不出来な人間を見ては不満げに眉をひそめながら手を差し伸べて。

 でも、寝顔は安らかでまだ幼さの残る可愛らしい…そんな兄さんの姿しか見ていなかった。

 

「あああああ…は、がふぅ…ぁ、ぃぃぃぃいいいいい………ッ!」

 

 全身を侵されて。

 精神を犯されて。

 涙を流しながら、痛みに悲鳴を上げる兄さんの姿なんて、見たことなかった。

 

「ふむ、そろそろかの」

 

「ぁ………ぁぁ………」

 

「ようやっと壊れたか。随分と長い事保っていたようだが…お前もここまでだな。では…」

 

 

 

「桜を、連れてくるか」

 

 

 

 ―――いやだ

 

 ―――いやだ、いやだ、いやだ!

 

 ―――こわい、こわい、こわい!

 

 ―――こんなつらいこと、わたしはいやだ!

 

 その瞬間、立ち去ろうとするお爺様の足を、小さな手が掴んだ。

 

「ま、てよ…かってに、きめ、んな…!ぼくは、まだ…たえられる、ぜ…?」

 

 涙で腫れぼったくなった目でお爺様を睨みながら、幼い兄さんは不敵に笑う。

 

 そこまで見て、やっと理解した。

 今でも、心に残っている。

 どうして、それをいつまでも覚えているのかわからなかった。

 けれど、今ならわかる。

 こんな光景を見た今、理解せざるを得ない。

 

 

 

『僕が、桜の代わりになる』

 

 

 

 その言葉が、持つ意味を。

 

「ふむ…よかろう」

 

 お爺様の意思に従って、再度兄さんへと悍ましいほどの数の蟲達が群がる。

 その光景に絶望する兄さんは、それでも恨み言も弱音も諦めも告げず、歯を食いしばって耐えていた。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

 

 また、兄さんの悲鳴が響き渡る。

 

 ―――…なさい

 

 蟲達が、兄さんの体を喰らっていく。

 

 ―――ごめんなさいっ…!

 

 私のせいだ。

 私が逃げたせいで。

 兄さんは、こんな目に…!

 

 ―――ごめんなさい、兄さん…っ!

 

 弱い妹で、ごめんなさい。

 あなたの助けになれない、役立たずの妹で、ごめんなさい。

 考えればわかる事なのに、ずっと目を逸らすだけだった、怖がりな妹で、ごめんなさい。

 兄さんが、どんな苦労を背負っているかも知らずに、私ばっかり幸せになって、ごめんなさい。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい―――!

 

 

 

 

 

 

「ごめん、なさい………?」

 

 気が付くと私は、舞弥さんの運転する車の中で横になっていた。

 

「…ぁ」

 

「目が、覚めたようだな」

 

「ッ!!!」

 

 その姿を目にした瞬間、怒りで頭が沸騰する。

 ―――間桐臓硯。

 ずっと、兄さんを苦しめ続けてきた、諸悪の根源。

 この男さえいなければ、兄さんは―――!

 

「その殺意は正しい。だが…」

 

「…いいえ、これは、ただの八つ当たりです」

 

 確かに、この男さえいなければ、兄さんはあんなに苦しむことはなかったかもしれない。

 けれど、それは私も同じだ。

 あの時私が逃げ出していなければ。

 『私の代わりになる』という意味に、少しでも考えを巡らせていれば。

 兄さんは、あんな目に合う必要はなかっただろう。

 この男を責める権利は、私にはない。

 罪の如何を問うならば、私だって同罪なのだから。

 

「そうか。…何はともあれ、着いたぞ」

 

「ここって…」

 

 そこは、良く見慣れた武家屋敷。

 兄さんの友達で、私の先輩である…衛宮士郎の住む家だった。

 

 

 

 

 

 

「どうして、あなたがここにいるの?」

 

「それはこちらの台詞です、遠坂先輩。何故衛宮先輩の家に…」

 

「それは当然、この冬木の地に住む魔術師だからよ。これは、そういう集まり…だから、魔術師でもないあなたが居ていい場所じゃ…」

 

「それは違う、遠坂の当主。今回の集まりは、聖杯戦争を目的としたものではない」

 

「は?」

 

 衛宮。

 前回、アインツベルンに雇われて聖杯戦争へと参加した外来の魔術師。

 その一族の住まう屋敷の居間に通された私は、遠坂の当主の言葉を遮った。

 部屋の中に居るのは、つい先ほど起きてきたらしい衛宮の当主、そのサーヴァントであるセイバー、遠坂の当主、アインツベルンの娘。

 こちら側は私と桜、それに久宇舞弥と、サーヴァントであるライダー。

 総計8人…この武家屋敷が広いとはいえ、流石に手狭になるレベルの人数だが、そんな事に構っては居られない。

 

「…まず、君たちに、正しく現状を把握してもらいたい」

 

「現状?」

 

 私は、懐から一つの手記を取り出した。

 これは、慎二の私室においてあったもので、私に…正確には、『この若返った私』に向けて宛てられたもの。

 慎二が自由の利かない状態になった時に備えて書かれたものらしく、今回の聖杯戦争を攻略する上での必要な情報と、そして今回の聖杯戦争で起こった出来事の情報がおおよそ書かれていた。

 ずっと慎二の心臓に巣食っており、この手記の存在を知っていた私は、確認と証明のためにこの手記を手に、間桐の家を出てここに来た。

 

「まず、現在残っているサーヴァントは、ここにいるライダー、セイバーを含めて三騎だ」

 

「三騎?…セイバー、アーチャー、ライダー、バーサーカーで、四騎じゃないの?」

 

「いいや、今回のアーチャーとバーサーカーに関しては、既に慎二が『喰らった』」

 

「喰らった…?」

 

「………」

 

 意味が分からず膠着する遠坂と、私の言葉を理解したのか、不満げな表情を見せるアインツベルン。

 

「その辺りについては順を追って話していく」

 

「…そう。なら、話の続きを聞きましょうか。アーチャーとバーサーカーが居ないのなら、残っているのはこっちのセイバーとそっちのライダーで二騎だけじゃないの?」

 

「いいや、まだ『前回の』アーチャーが残っている。故に、三騎だ」

 

「…」

 

 押し黙る一同。

 驚いた様子のない辺り、どうやら既に接触があった様だ。

 敢えてこちらに情報を伏せたのは…殆ど初対面に近い私を信用して全てを話すわけもない、妥当な判断か。

 

「知っているなら話は早い。残っている問題は、そのアーチャーと、聖杯の処理だ」

 

「聖杯の…処理?」

 

 それから私は、慎二の手記にあった内容に、私の知識を合わせて説明を続けた。

 

 現在の聖杯は、第三次聖杯戦争の折に汚染されており、その願望器は既に無色のそれではなくなっている事。

 そんな聖杯を使用すれば、どんな願いにせよ大災害が起こる事は間違いないであろう事。

 それを知ったうえで使用することを考えている、英雄王のような存在がある事。

 そのことを知っていた慎二は、これら双方を阻止するために、今回の聖杯戦争で暗躍していた事。

 

「キャスターさえ生きていれば問題はなかった。今回呼ばれるキャスターは極めて高い魔術的知識と技術を持ったサーヴァントで、被害を出さずに聖杯に溜まった魔力を消費することができる能力を保有していた…の、だが」

 

「キャスターは、既に脱落している」

 

「そうだ。しかもそれを行ったのは英雄王…聖杯を安全に処理する手段を失い、英雄王の動きを警戒した慎二は、自分の元に戦力を集めるのは諦め、英雄王と聖杯を打倒できる可能性を出来るだけ残しつつ、独力でこの事態を解決するために動き出した。

 セイバーと衛宮士郎のパスが繋ぎなおされる事態が引き起こされるよう、セイバーをぎりぎりまで消耗させ。

 アーチャーと衛宮士郎を衝突させることで固有結界の覚醒を促し。

 遠坂とアインツベルンを残したまま、この局面まで事態を推し進めた」

 

「なるほどね…私達を殺さないのは、ただの余裕か、力の誇示かと思っていたけれど…そんな事を考えていたのね、慎二の奴。

 …でも、そんな事、何で慎二は知っていたの?聖杯の汚染やギルガメッシュの事はまだわかる。けれど、セイバーの召喚が不完全になる事や、衛宮君が固有結界の保有者だったことなんて、知りようもないと思うけれど」

 

「それは…私にもわからない」

 

「わからない?」

 

「なぜかは分からないが、慎二は、『生まれた時から』この世界が辿る可能性を知っていたらしい。その理由は慎二自身も知らないようで、手記には『誰かの奇跡か、それともどこぞの神の気まぐれか』などと推測されていたが…」

 

「…まぁ、情報の出所は良いわ。現状があなたの言う通りになっている以上、とりあえずはそういう事だとしておきましょう。それで?あなたは私達に何をして欲しいのかしら、間桐臓硯」

 

「その前に一つ確認だ。…衛宮士郎、君は、今回のキャスターの宝具を投影できるかね?」

 

「キャスターの宝具?…いや、無理だ。キャスターの宝具は…というか、キャスター本人さえ一度も見ていない。流石に、全く知らないものを投影することは出来ない」

 

「では、アーチャーから受け取った記憶の中に、魔術殺しや呪詛殺しの宝具はないかね?」

 

「………いや、ないな」

 

「そう、か」

 

 …ならば、仕方がない。

 最後の希望は消えた。

 もう、残された手段は一つだけ。

 私を救ってくれた彼の事を、私の力では救えない。

 せめて、彼の目的だけは、達成しよう。

 それが、私にできる精一杯の恩返しだ。

 

「では、遠坂、衛宮、アインツベルン。…頼む、どうか慎二を、殺してほしい」

 

「は?」

「なっ」

「……」

 

 間の抜けた声をだす遠坂。

 何を言っているんだ、と言わんばかりの衛宮。

 既に理解したのか、無表情で大勢を見守っているアインツベルン。

 

 だが、最も大きな声を上げたのは、当然桜だった。

 

「ふ、ふざけないでくださいっ!に、兄さんを殺す?そんな事、なんで…これは、兄さんを助けるための話し合いじゃなかったんですか!?」

 

「不可能だ」

 

「不可、能…?」

 

「現在、慎二は既に聖杯と『成っている』。…そのことは、アインツベルンの娘、お前の方が詳しいだろう」

 

「イリヤが?…どういう意味だ?」

 

「それは、私が本来の聖杯だからよ」

 

 衛宮の疑問に、アインツベルンの娘は答える。

 

「聖杯が行使するのは、時間を掛けて土地から汲み上げた魔力…じゃあ、『ない』。

 それはあくまで、サーヴァントを呼び出すために消費されるためのもの。聖杯を願望器として完成させるには、器に水を注ぎこむように、サーヴァントの魂をくべなければならない。

 英霊という、望外の魔力リソースを世界の外から呼び出して形を与えて、それを崩すことでまたただの魔力リソースとなったそれを器に注ぐ。そうすることで、万能の願望器は完成するの。

 …本来なら、その器の役は、アインツベルンのホムンクルスである私の役割だった筈だった。けれど、その役割を間桐が奪っていった」

 

「…そうだ。私は前回の折、破壊された聖杯の破片を回収し、それを慎二の体へと埋め込んでいた。それによって聖杯としての役割と力を手に入れた慎二は、討たれた英霊たちを魔力として取り込むことで、自らを聖杯として完成させていった」

 

「…でもそれは、それだけ強く土地に根付く聖杯本体と繋がるという事。もし、臓硯の言う通り聖杯が汚染されているとしたら…既にもう五騎もの英霊を取り込んだ慎二に、真っ当な理性が残っていることを期待するのは不可能よ。聖杯が完成すれば、どんな形になるにせよその呪いはこの地に降りる。そうなればどうなるかは…士郎なら、わかるよね?」

 

「っ―――」

 

 冬木の大災害、その生き残りだという少年。

 あの大災害がもう一度起こると聞かされて、平静ではいられないだろう。

 

「キャスターさえ残っていれば、問題は解決できた。キャスターの宝具は魔術殺し…聖杯から切り離し、慎二に残った呪いの残滓も取り除くことが可能だった。…だが、逆に言えばサーヴァントの宝具レベルの魔術殺しでもなければ切り離せない程、現在の慎二は聖杯と繋がっている。ならば、後は聖杯が完成するのをただ待つか…慎二ごと聖杯を破壊するしかない」

 

「そ、そんなの…そんなのってないですっ!だって、兄さんは、兄さんが、死ぬ、なんて…!」

 

 その悲鳴を、その訴えを、私は聞き届けることができない。

 もしそれを聞き届けてしまったら、彼の唯一つの願いさえ、踏みにじる事になるのだから。

 

「桜。…恐らく次に会う時が、慎二との最後の会話になる。…何を話すか、よく考えておくんだ」

 

 

 

 

 

 


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