「桜?」
「っ…兄、さん?魔術の、勉強、は…」
「今日の分はもう終わったよ。…なんでこんな時間まで起きてるんだよ」
「あ…その…怖、くて」
「なんだ、怖くて眠れないのか?」
「…はぃ」
「…全くしょうがない奴だな、お前は」
「っ…ご、ごめんなさ…」
「ほら、手ぇ握っててやるから」
「…ぇ?」
「これなら怖くないだろう?」
「は、はい…」
「まったく、手のかかる妹だよ、お前は…眠るまでお前の部屋で手握っててやるから、さっさと眠りな」
「…はい」
「………」
「………」
「兄、さん」
「ん?なんだよ」
「あり、がとう…」
「………ま、兄貴ならこれくらい当然だろ」
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「兄さん、朝ですよ」
1月31日。
この地特有の厳しくはない冬の寒さを感じながら、布団の中で休んでいる兄を起こす。
昨日も夜遅くまで頑張っていたのだろうか、その眠りは些か深く、ゆすったくらいでは簡単に起きない。
「ん…」
「………ふぅ」
あ。
いけないいけない。いつまでも兄さんの寝顔を見て和んでいるわけにはいかない。
前に一度、それで弓道部の朝練に遅れてしまったこともある。
「兄さん、起きてください。早くしないと遅刻しちゃいますよ?」
幾度かしつこく呼びかけている内に、兄さんの瞳が少しずつ開かれていった。
「ん…あぁ、桜か。もう朝?」
「はい。朝ご飯の用意もできています」
「わかった。顔洗ってくる」
あくびをしながら布団から這い出てくるのを確認した私は、朝ごはんを並べるためにキッチンへと戻った。
◆
「兄さん、毎朝こんな早くに登校するのは辛くないですか?」
登校途中。
ふと気になっていたことを兄さんに問うてみる。
私は弓道部に所属しており、弓道部では朝練が行われている。
朝練は強制ではないが、兄さんから『弓道には真面目に打ち込むように』と言われているので、できるだけ参加するようにしている。
けれど、そのために私はかなり朝早くから登校している。
そんな私と一緒のタイミングに登校するのは、何の部活動にも所属していない兄さんにとっては無駄でしかないのでは?と思ったのだ。
「全く馬鹿だな桜は。僕は僕がやりたいようにやっているだけだよ。僕の心配をするなんてお前には10年早い」
「兄さん…」
つまり兄さんは、私と一緒に登校したい、と考えてくれているという事だろうか?
…そうだったら、嬉しいな。
「それに、朝早いくらいで僕が不調になんてなるわけがないだろう?」
「うふふ、そうですね。寝起きだからって調子が悪くなるなんてこと、兄さんに限ってある筈がありませんでしたね」
「「あははははは」」
?…今、誰かの姿が頭を過ったような?
◆
「それでは兄さん、行ってきます。それと、行ってらっしゃい」
「あぁ。行ってらっしゃい、桜。行ってきます」
学校に着いたところで、兄さんは校舎に、私は弓道場へ向かう。
一応一年生の希望の星と言われている私は、朝練参加メンバーの中でも、とりわけ早く弓道場へ着いているようにしている。
妹である私の行動で、兄さんの評価を下げることがあってはならない。
こういった細かいところで綻びを見せるようなことはないよう、日頃から注意して生活しているのだ。
加えて言えばクラスメイトや担任の先生を始めとした学校関係者とは好印象を持たれるよう丁寧な接し方を心掛けているし、成績だって、兄さんの助けもあってのことだけれども、トップを維持している。
…それでも、兄さんに追いつけるとは微塵も思えないけれど。
ともかく、私よりも弓道場に早く着くことがあるのは部長の美綴先輩と顧問の藤村先生くらい。
その弓道場から話し声が聞こえてくる。最初は美綴先輩と藤村先生が話しているのかと思ったけれど、聞いてみるとそれは違うようだ。
「…かと言って、適当な男で妥協するのもね」
「そうね。そんなことしても心から勝った気にはなれないもの。試合に勝って勝負に負けた…ってやつ?」
声を聞いた限り、どうやら美綴先輩は遠坂先輩と話をしているらしい。
遠坂凛。
兄さんと同じこの学校の2年生で、この学校の男子の頂点が兄さんだとしたら、女子の頂点が彼女だ。
成績優秀スポーツ万能容姿端麗…その上一見して深窓の令嬢めいた穏やかな佇まいもあって、2年生に限らず学校全体に彼女は『高嶺の花』として周知されている。
そんな彼女が、弓道場で話し込んでいる。美綴先輩の他に誰も居ないからか、随分と砕けた口調で。
これは美綴先輩共々なかなか隙を見せない二人の先輩の弱みを握るチャンス…もとい、楽しく話し込んでいるのを邪魔するのも悪いし、タイミングを見計らって中に入るとしよう。
「あんたに言うこと聞かせられるっていうのは魅力的だけどね」
「あら、奇遇ね。それは私もよ」
うふふふふ…っと笑いあう二人。
断片的な情報から察するに、二人の先輩方は賭けをしていて、負けた方が相手の言う事を聞く、という約束をしているらしい。
肝心の賭けの内容は…どちらが先に自分にふさわしい相手と交際するか、といったところだろうか?
普段から男っ気のない二人ならば、それが賭けの対象となる事は十分にありえそうだ。と、少しばかり失礼な事を考えている内に会話は進む。
「てか本当にアンタは気になる相手は居ないの?全く?」
「そうねぇ…まぁ、候補として考えているのは居るけれど…」
「実は私もなんだよね。…多分、あんたと同じ奴だと思うけど」
「そう?じゃぁ、せーので言ってみましょうか」
「いいよ。じゃ、せーの…」
「「慎二」」
ピシャ!
「お二人とも?余りふざけたことを言っているとその
さてここから弓と矢を調達して二人に照準を付けるまでにかかる時間は最速で十秒足らずと言ったところだろうか。そうか、兄さんが弓道に打ち込むようにと言ったのはこの時の為だったのか―――
「あら、おはよう桜」
「おはよう桜。なんだ、聞いてたのか?」
「えぇおおよそ、先ほどの会話の内容を察することができるくらいには。それで先輩方…?」
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫よ、桜。候補に挙げただけで、彼をどうこうできるだなんて、私達は思っていないもの」
…それなら、まぁ。
確かに、二人ともスペックは高いし、自身に釣り合う相手が中々居らず、消去法的に候補として兄さんを上げるのは理解できる。
許すかどうかは別として。
「ま、そうだよねぇ…スペックは高いしイケメンだしツンケンしてるのは態度だけでなんだかんだ面倒見がいいけど、致命的な弱点があるからなぁ、あいつは」
「はい?弱点?完璧超人である兄さんに弱点?そんなものどこにもないと思いますけれど…」
「「………」」
微妙な視線が私に向けられる。
………何故、私をそんな風にじっと見つめているのでしょうか、先輩方?
「さて、そろそろほかの部員も来るでしょ。遠坂」
「えぇ、時間つぶしに付き合ってくれてありがとう、綾子。それじゃぁまた。桜もね」
「…はい、遠坂
立ち上がって去ろうとする遠坂先輩に対して、殊更に「先輩」を強調して挨拶すると、遠坂先輩の優等生の仮面がピクリと動く。
その微妙な動きも、私が幼い頃、彼女と数年間を共にしたからこそわかる程の微細なものだ。
…私が生まれた家、遠坂。その長女である彼女は、私にとっては血の繋がった姉である。
私は、幼い頃に遠坂から捨てられて、間桐に拾われた。
けれど、そんなことを決める権限がただの子供にあるわけもない。もしかしたら姉さん個人は、大切な姉妹と離れ離れになったとその事を今も悲しんでくれているのかもしれない。
だから、彼女にもう一度『姉さん』と呼びかけることも、もしかしたら許される…のかも、しれない。
まぁ別に今更姉とか要らないけど。だって兄さんがいるし。
勿論、遠坂先輩個人はとても尊敬している。認めるのは癪だけれども、兄さんと同じレベルの社会的な立ち位置を維持するのには並大抵の努力では足りなかっただろう。それは兄さんと共に過ごしてきた私はよく知っている。
ただそれはそれとして。
ああいう風に『あなたはもう私の姉じゃないんですよ』っていう態度をあからさまに取ったときの、「いや別に。私気にしてないし。無問題だし」という事を主張するかのようにピタッと表情が固まるのが面白くてたまらないのだ。
遠坂先輩は、ポーカーフェイスという言葉の意味を正しく知らないらしい。
アレは一切表情を見せないことではなく、表情によって相手に誤情報を与えることこそが肝要なのである。
たとえほぼ完璧と言える鉄面皮を維持しようとも、それで相手に本心が伝わってしまえば意味はないのだ。
彼女は、私に姉と思ってもらえないことをとても気にしているようだった。
それが、ほんの少しだけ嬉しくて…とっても愉しくてしょうがない。
「じゃ、そろそろ準備始めようか、桜」
「はい、美綴先輩。今日もよろしくお願いします」
気分も良くなったところで、弓道に打ち込むとしよう。
兄さんの言いつけ通りに。
◆
「お疲れ様、桜」
「…お疲れ様です、衛宮先輩」
共に校舎に向かうのは、兄さんの友達であり、同じ弓道部の先輩である衛宮先輩だ。
…けれど、実をいうと私はこの人の事がちょっぴり苦手なのである。
別にこの人自体にこれと言って悪い点があるというわけではない。
時々頑固だったり、善良な所が行き過ぎてちょっと扱い辛かったり、気が利く癖に女心に疎くて絶妙に頓珍漢な発言をするようなことがあったりはするけれど、基本的に優しくて良い人であることは否定のしようがない。
その良い人ぶりと言えば、所属する弓道部だけでなく学校全体から便利屋扱いされるレベルであり、その程度は『穂群原のブラウニー』などという渾名を付けられる程である。
兄さんの友達という事もあり、この先輩とは部活の先輩後輩として交友を持つ以前から面識がある。
一人暮らしをするにはあまりに広い武家屋敷に、学校が終わった後に兄さんと二人で上がり込んで、そのまま日が落ちるまで遊びつくす、なんてことも、中学の頃はよくあった。
悪い人ではない。
間違いなく悪い人ではない。
悪い人ではないのだが、兄さんよりも凄い人なのかと言えば、そんなことは全くない。
…なのに、兄さんは。
『あいつは凄いよ。僕なんかより、よっぽど』
たった一度だけだけれど。
いつか辿り着きたいと願う憧れと、絶対に追いつくことはできないだろうという絶望。
二つの感情がない交ぜになった、まるで私が兄さんを見ているときのような表情で、そんな風に呟いたことがあった。
…そんな兄さんの姿が、どうしようもなく私は嫌だった。
私にとって、全ての一番は、兄さんなのに。
「…えっと、桜?なんでそんなに睨むんだ?」
「…なんでもありません。先輩は何も悪くはありませんから」
八つ当たりなのはわかっているけれど、どうしても、態度が刺々しくなってしまう。
直さなければと思う心と、受け入れたくないという心がせめぎ合っていて。
―――私は、どうすればいいんですか、兄さん?
◆
「あら」
「あ」
校舎の中へと足を踏み入れた所で、私はそいつと出会った。
「おはよう、遠坂」
「おはよう、慎二」
互いに、表向きは和やかに笑顔と共に挨拶を交わす。
間桐慎二。
私の同級生であり、眉目秀麗成績優秀スポーツ万能、粒ぞろいなウチの学校の男子の中でも頭一つ抜けた人気を誇り、しかしとある欠点故に絶望的に異性として意識されることがない男である。
また、私と血の繋がった妹である桜、その現在の兄でもある。
…つまり、あの桜を誑かしてあんな風にしてしまった元凶であり、筋金入りのシスコンということで、それこそがこの男が異性として慕われる事がない最大の理由だ。
私もまた、この男と同じように眉目秀麗成績優秀スポーツ万能で通っている。これは自惚れでも何でもなくただの客観的な事実である。
その証拠に、私は昔からちょくちょく男子からの告白を受けており…稀に女子から告白を受けることさえある。
…が、こいつが女子から告白を受けた云々という話は全く聞いたことがない。
そしてこいつを異性として意識することがないのは、私も同様である。
綾子との賭けについて考えた時に、真っ先に思いついたのはこの男の事だ。
半端な男と付き合うのは私のプライドが許さない。
その点、この男は能力は十分に高く、多少高慢ちきな性格もそれに見合うだけの成果を残している以上目をつぶる余地はある。
何よりこの男は、私と同じこの地に住まう魔術師の家系を継ぐものでもある。
正直、付き合うとなれば私の家系について黙っているわけにはいかないだろう。
いや、勿論選択肢として黙っているというのはありなのだが、交際して関係を深めゆくゆくは『遠坂』を継ぐ子を産むことになるだろう事を考えれば、やはり交際相手には家系の事をいずれは話さなければならないと思う。
朝綾子に話した通り、この賭けの為だけにその内別れることを前提として交際相手を決めるようなことは、妥協しているようで承服しかねる。
魔術師は基本秘密主義であり、故に交際相手は魔術師から選ばなければならないのだが、そう考えるとぶっちゃけ現状では候補がコイツしかいないのである。異性で魔術師の知り合いなどコイツ以外に存在しないし。
…一瞬、兄弟子であるどこぞの神父の姿が頭を過ったが、それこそ御免である。あんなのとそんな関係に成るくらいなら、ゴキブリにでも向けて愛を囁いた方がまだマシだ。
まぁそんなわけで、ほんの少し間ではあるもののこの男をそういう対象として見てみて…
「…はぁ」
「?…なんだよ遠坂。人の顔見ていきなり溜息なんてついて」
「いいえ、人生っていうのは、ままならないものだなぁ…って少し思っただけ。気にしないで」
即座に「ないな」と却下した。
実の妹へのあの溺愛ぶりを見せつけられてなお異性として意識できるほど、やはり私は寛容ではないらしい。
その代わりにと言っては何だが、私は内心でどうやってこいつをぶちのめしてやろうかと思考を巡らせていた。
無論、そんな事を常日頃から考えるほど、私は暴力的な人間ではない。
こんな事を考える理由は、近々始まる予定のある儀式に関係している。
「もうすぐだな」
「えぇ、そうね」
主語のない会話。けれど、その意味は通じている。
聖杯戦争。
周期的にこの冬木の地で開催される、『万能の杯』を降臨させる儀式。
…が、その内容は儀式という言葉から連想されるような荘厳なものではなく、戦争という言葉が指す通りの魔術師同士による野蛮な争い合いである。
参加者である7人の魔術師は、それぞれが1体の『サーヴァント』を呼び出し、それを用いて戦いあう。
その果てに最後に生き残った1組が、この地に降りた聖杯を手にして、あらゆる願いを叶える。
それが聖杯戦争だ。
この地に住まう魔術師である『遠坂』、『間桐』、それともう一家を含めて、冬木において私たちは『御三家』と呼ばれており、聖杯戦争への参加の権利を生まれながらに有している。
聖杯戦争が始まれば、私たちは敵同士。
故に私が彼を下す手段を考えているのと同様に、彼もまた、私に勝つ手段に思考を巡らせているに違いない。
「そうだわ、折角だから何か賭けない?」
「賭け?」
「えぇ。私は別に聖杯なんていらないし、かと言ってせっかく勝っても賞品の一つもないってのもつまらないでしょう?」
「あぁ、それもそうだな。じゃぁこういうのはどうだ?『負けた方は勝った方のいう事を何でも聞く』…っていうのは」
「そんなこと言って大丈夫なの?まぁ、私は優しいからあまり酷い事なんてしないけど…だからって、『何でも』なんて約束して」
「あぁ、何も問題はないさ。だって勝つのは僕だからね」
「あら、大した自信ね、慎二。まさか本気で私に勝つつもりでいるの?」
「遠坂、まさか僕に勝てるつもりでいるのかい?」
「…うふふ」
「…ははは」
最後に笑みを交わしあい、背を向けて歩き出す。
あぁ、これで聖杯戦争が終わったときの楽しみが一つ増えた。
あのわからず屋の桜に、昔の姉が今の兄に勝るという事実を突きつける最大の好機である。
私の発想の許す限り、桜が悔しがるようなとびっきりの罰ゲームを考えておいてやろう。
◆
「士郎様、朝です。起きてください」
「…ん、あぁ、ありがとう、舞弥さん」
「いえ、それが私の職務ですので。では、朝食の用意をして参ります」
ペコリと一礼して出ていく舞弥さん。
去年、俺がバイト先でヘマをやらかして以来、この家で手伝いをしてくれている、俺の友人の家に努めている家政婦さんだ。
以前、一度俺の家を手伝いに来てくれてから、友人の意向によって朝晩にウチの家事を手伝いに来てくれている。
友人曰く、「お前は一人で放っておくと際限なく働き続けるからな。やりすぎないようにストッパーが必要だろ?」との事だ。
…反論したいところだったが、実際にバイトで働き過ぎたことが原因で怪我をして、その尻拭いをしてくれたアイツには、随分と迷惑をかけてしまった。
だが、その上こうして家政婦のうちの一人を寄こしてもらっては、恩が重なるばかりで全く何も返せない、というわけで最初は断ろうとしたのだが…。
「で、また何かやらかしてこの僕に手間を掛けさせるわけだ」
ひどく冷たい目であんな風に言われてしまっては、返す言葉もなく。
極めて不本意ながら友人からの善意を受け取っているわけだ。
実際、この広い家を一人で管理するのは大変で、舞弥さんの存在はすごく助かっている。
何よりも…
―――『誰かが朝起こしてくれる』っていうのは、上手く言えないけど、何だかすごく、温かい。
「おっはよーう舞弥さーん!今日の朝ごはんはー!?」
…かと言って、こうして爆音を起こして家の空気を瞬間沸騰させる存在には、一言モノ申したいところである。
「藤ねぇが一言言ったくらいで自分の行動を変えるわけもないけどなぁ…」
さて、さっさと支度を済ませて居間へと向かおう。
余裕があれば、朝に一品、オレの手で付け加えることもできるかもしれない。
元々オレは、食べさせてもらうよりも食べて貰う方が好きな性質なのだ。
世話になっている舞弥さんのあの鉄面皮を崩してしまえるような、あっと驚く逸品を今日こそは作って見せようじゃないか。
…結局、今までは一度もその目標は達成できていないんだけれども。
◆
「士郎様、藤村様、唐突で申し訳ないのですが、暫く私はこちらに来ることができません」
朝食を食べ終えた後、みんなでお茶を飲んで一服している所に、舞弥さんからそんな風に話が切り出された。
ちなみに、食卓はオレと藤ねぇ、それと舞弥さんの3人で囲っている。
最初は、舞弥さんは「一家政婦がそのようなことをするわけには参りません」なんて言って断っていたけれど、生粋の庶民であるオレはそんな風に誰かを侍らすようなことに落ち着かず、どうしてもと頼み込んでこうして皆で卓に着くようにしてもらったのだ。
閑話休題。
「え?舞弥さん来れないの?どうして?」
「実は、間桐の家の方が暫く忙しくなるとの事で、そちらに専念することになるのです。長くても、2週間ほどの期間となると思うのですが…申し訳ありません」
「そんな、舞弥さんが謝る事なんてないさ。そもそも、慎二の好意で来てもらってるわけだし、慎二が帰って来いって言ってるなら、仕方ない」
「うぅ…舞弥さんが間桐のお家から持ってきてくれる高級食材が…」
「…藤ねぇ、高級食材が食べたいなら自分で買ってきてくれてもいいんだぞ?レシピなら一応、オレだって教えてもらってるから」
「うぅぅぅぅ…士郎の意地悪っ!そんなことできないってわかってるくせに!ていうか士郎が買ってきてよそんなこと言うなら!」
「ウチにそんな余裕はない。わかったら我慢しろ、藤ねぇ」
「…食材がご所望でしたら、慎二様に言って下さればそれくらい都合がつくと思いますが」
「え、ホント!?」
「藤ねぇ…学校でその慎二と毎日顔を合わせるってこと忘れてないだろうな?教師としてちゃんと接してやれるのかよ、そんなことで…」
いや、既に大分微妙だけれども。
もし舞弥さんがこの惨状を慎二に報告していたら、間違いなく学校内でも藤ねぇは慎二に頭が上がらないだろう。
「や、やぁねぇ~流石に冗談よ~」
「どうだか…」
ともかく、そう言う事なら仕方がない。
舞弥さんが戻ってきたとき、「やはり私がいないとだめですね」なんて思われないように、暫く気合を入れて家事に努めるとしよう。
◆
「ねぇ慎二君、ここ教えてくれない?」
「ちょっと!私が先に頼んでたのよ!」
「わりぃ慎二!3限の課題教えてくれ!」
「全くしょうがないなぁお前らは。どいつもこいつも、僕が居ないと何にも出来ないんだから」
部活を終えて教室へと足を踏み入れたオレを迎え入れたのは、もはや名物とすらなっている慎二への質問攻めの光景だった。
男子の最優秀成績者の慎二は、よく勉学について質問を受けている。
しかも口こそ悪いが、質問者が完全に理解できるまできっちり面倒を見るのだ。
オレも何度か世話になったことがあるが、理解できるまで何度も言葉を変え図解しつつ時にはジェスチャーまで交えてしっかり教えてくれる。
担任である藤ねぇに聞いたところ、慎二のいるクラスは全体の平均点が向上するため、教師の間でアイツの存在はひどく重宝されているらしい。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムと共に慎二に集っていた生徒たちは自らの席へと戻り、各々朝のHRに備え始める。
それを尻目に慎二も自分の席である俺の隣に座り、「ふぅ」と一息ついていた。
「おつかれ、慎二」
「あぁ、おはよう衛宮」
「相変わらず大変だな」
慎二とは、中学時代からの付き合いだ。
慎二の完璧っぷりはその当時からずっと続いているもので、その時からクラスメイトの勉強を見たり、悩み相談染みた真似まで行っていた。
「はん、僕みたいな天才には、天才なりの責任ってのがある。その辺の有象無象を正しく導いてやるのも、そのうちの一つってだけ。いわゆる、ノブレス・オブリージュって奴さ」
「全く、すごい奴だよ、お前は」
「当然だろ。なんせ僕だぜ?」
…この高慢ちきな性格も相変わらずだなぁ。
オレはもう付き合いも長いからこれが一つの味ってことでむしろ面白いくらいに感じているけれど、こういう性格を嫌がる人もそれなりに居るだろうに。
それでもあれだけ人が寄ってくるのは、慎二の人徳の為せる業かな。
………ダダダダダダダダダッッッ!!!
「みんなー!おはよー!よぉしギリギリセうわらばぬわあああああああああ!!!」
担任である藤ねぇ…藤村先生が、いつも通りに美しい軌跡を描きつつけたたましい音をたてながらダイナミックな入室を果たした。
今日もまた、いつもの日常が、始まる。