「…なるほど、おおよそは理解した。おかげで、教会へ提出する報告書の内容もそれなりの出来になりそうだ」
うむうむ、と満足げに頷く神父。
「しかし、分からないな。重要な事を一つ語り忘れているのではないかね?」
重要な事?
はて、まだ話していないことが何かあっただろうか…。
「今の話では、君は死んでいるはずではなかったのかね?―――間桐慎二」
「あぁ?なんで僕が生きているのか分からないのか?」
背もたれに体重を掛けて、背後へと回った神父へ逆さの頭を向けた僕は、不満げな声を零した。
「そんなもん、決まってんだろ。僕が生き残るのは本来なら不可能だった。なら、答えは一つだ。…それは、お前には予想がつくんじゃないのか」
「確かに。聞いた限りの状況の中で、君を生き残らせることができるモノには心当たりがある。…が、奴がそんな事をする理由は思い当たらないのでな。実際、不思議には感じているのだよ」
「あーそれはな………」
◆
聖剣の光の奔流に、背後の聖杯の『穴』諸共飲み込まれていく。
―――これで、全てが終わる
―――桜はきっと、何の憂いもなくなった世界で、ありきたりな日常を、幸福に生きていく事だろう
―――後悔はない
―――後悔はない
―――後悔はない
『兄さんッ!!!』
「あぁ―――クソッ!」
臓硯も、余計な事をしてくれたものだ。
最後に見た桜の顔が、あんなぐちゃぐちゃの泣き顔だなんて。
「心残りが出来ちまった」
―――死にたくない
―――死にたくない
―――死にたくない死にたくない死にたくないッッッ!!!
「後悔がないわけ、ないだろうが…ッ!」
桜の為に生まれて、桜のために生きて、桜の為に死ぬ。
その事に僕は納得していた。
けれどだからって、何も好き好んで死んだわけじゃない。
桜に見送られて学校を卒業したかったし、桜が卒業するところを見送ったりもしたかった。成人式なんかで晴れ着を着た桜はきっと綺麗だっただろう。料理の腕は未だに上昇を続けているし、僕が居ない間に作ったという創作料理の味だって気になってしょうがない。その内、僕の手から離れて衛宮…は、セイバーの事があるから難しいにしても、誰かと結婚して幸せになってる桜を見たかったし、なんなら甥か姪を抱いてみたりしたかった。将来は専業主婦だっただろうか、それともキャリアウーマンにでもなっただろうか、魔術師だけはやめて欲しいところだが、遠坂や綺麗になった臓硯やらに師事すれば桜の才能なら一門の魔術師にはなれるだろうしもしかしたらそれでも上手く行ったかもしれない。
思い巡らせばキリがない。
一つ思い浮かべれば次から次へと後悔と心残りが浮かんできて止まらない。
「あぁ―――――――――死にたくないなぁ」
「我を驚かせるという偉業を成し遂げながら、更なる先を望むか。人間とは、ほとほと強欲なものよ」
「ッ!?」
気が付くと、僕は、何もないまっさらな空間で、黄金の鎧を身に纏った英雄王―――ギルガメッシュと向き合っていた。
「英雄、王―――!?アンタ、何で!?」
「戯け、我があのような汚泥に精神を飲まれるわけがなかろうが…サーヴァントという縛りがある故、確かに肉は溶かされてしまったがな。今、我と貴様は共に聖杯の中に居る。ならばこうして、顔を合わせることも出きようさ…ところで」
英雄王は、愉悦の笑みを浮かべてこちらを見下す。
その手が中空に浮いた黄金の波紋へと差し入れられ―――
「………は?」
思わず間抜けな声を出した。
何故ならそこから英雄王が取り出したのは―――膨大な神秘を匂わせる、黄金の杯。
多くの魔術師が、それを得るために命を賭した聖杯、その原典―――!
「我の所有する、『ウルクの大杯』だ。これさえあれば、貴様の望みは叶うだろうよ」
「…どういうつもりだよ、英雄王」
「ただの道化かと思っていたが…中々どうして、我を愉しませてくれたからな。一つ、投資でもしようかと気紛れを起こしただけの事よ」
「投資?」
「あぁ。道化…いや、若芽よ。貴様が根を張るための『土と水』は我が与えてやろう。その代り…必ずや、我の期待に応えてみせよ。…その約定を交わすならば、これを貴様にやろうではないか」
「――――――――――」
その提案に、絶句する。
英雄王からの期待を受ける。
これがどれ程名誉な事なのか、この王を知る人物ならばわかるだろう。
人類という種をこの星に初めて刻み込んだ王から、『期待している』と言われたのだ、この時抱いた僕の歓喜は、想像を絶する。
だが同時に、これは悪魔の契約とも感じた。
期待に応えられなかったら。
英雄王を、失望させるような事があったら。
もし、そんな事になれば、今抱いているものの比ではない後悔を胸に、死ぬことになるだろう。
手を伸ばせば、後戻りはできない。
グラグラと揺れが激しくなり、空間に亀裂が入り始める。
「ふむ、セイバーも加減を知らんな。もうこの空間も崩れるか…さぁ、どうする?」
こちらを見やる英雄王は、こうやって苦悩する様すらも見ものであると語るかのように、あくまでも愉しげだ。
―――できるのか?
―――やれるのか?
―――応えられるのか?
不安が鎌首をもたげ、心の奥に染み込んでいく。
目の前の王の威光が、僕に二の足を踏ませ―――
僕は、ウルクの大杯を掴み取った。
「…やってやるさ」
「やってやろうじゃないか!アンタの期待に応えて見せる!元々、僕が生きて何の変哲もない人生で終わるわけがなかったんだ!なら、特等席でたっぷり見ているといいさ、英雄王!」
虚勢を張って。
大見得を切って。
目の前の王に宣言する。
「あぁ、精々気張るがいい」
笑みを深めた英雄王は、そのまま背を向けて歩き去っていく。
その途中、ふと足を止めて、僕に向けて問うた。
「おぉ、すっかり忘れていた。…貴様、名は何という?」
「慎二、間桐慎二だ。…覚えておけ、英雄王ギルガメッシュ」
「よかろう、シンジ。…では、また会おう」
英雄王が歩き去ると同時に、本格的に聖杯の崩壊が始まる。
去っていく王の背中を見送った僕は、手に握った大杯へと願った。
「ウルクの大杯よ!僕を生きて、桜の元へ連れていけ―――!」
◆
「なるほど、渡されたのは聖杯の原典か。体に支障はないのかね?」
「あぁ、全く。所が、以前よりも体の調子がいいくらいさ。…そう言えば、お前の方はどうなんだ?」
「どう、とは?」
「体調だよ。臓硯の奴にお前の蘇生は頼んでおいたが…上手く行ったのか?」
この神父は、前回の聖杯戦争の折に致命傷を負っていた。それを、聖杯と繋がる事で生きながらえていたのだ。
当然、この神父を生かしている聖杯がなくなってしまえば、この男も共に死ぬはずだった―――のだが。
それについては臓硯の奴に渡す予定だった手帳に記している。その情報と一緒に、こいつは生かしておくように手記に記しておいたのだが、しっかり仕事はこなしてくれたようだ。
「ふむ、問題はないな。少なくとも、日常生活には支障はない。…私の命を握るのが、あの老人というのは中々に複雑な心境だがね」
「もう老人じゃないぜ、アイツ」
「…の、ようだな。いやはや、若き頃の奴はあんな姿で、あのような思想だったのだな…フフッ」
「何
「いや何…ああして、必死に善人の皮を被っている間桐臓硯の姿が愉快でな。命が危うくなれば、あのかつての老人のようになるのに、と」
「…あぁそうかよ」
どうやらこいつの人格は、死にかけようが変わるものではないらしい。ま、『私綺麗綺礼!これからは心を入れ替え、世のため人のために働きます!』なんてことになったら気持ち悪い事この上ないし、別に構わないけどな。
「だが、解せんな」
「あん?」
「何故、私を生かした?私がどのような人間なのかは、君とて知っている筈だろうに」
「あぁそれか。…今回の僕の目標は、『第五次聖杯戦争の無血終結』だからな。単純に人死にを嫌った、っていうのが一つ。もう一つは…僕は別に、アンタの事は嫌いじゃない」
「………」
「そりゃ、アンタは社会とか倫理とか常識とかから考えれば、余り褒められたものじゃないんだろうが…前にも言ったろ?今の世界には、アンタみたいなのも必要なんだよ。
精々、お前を殺す正義の味方が現れるまで、健やかに悪役やってろよ」
こいつを殺すのは、僕の役目じゃない。
こいつを乗り越えなければいけない正義の味方は、他に居るのだから。
「…成程。いいだろう、君の思惑は理解した。最後までそれに乗るかどうかはともかく、生かしてくれたことには純粋に感謝しておこう」
そこまで話し込んだところで、バタンッ!と教会の入り口が開かれる。
「言峰神父、裏の掃除が終わりました…む」
「よぉ」
目の前に現れたのは、暗めの紅色の髪を短く切った、シスター服の女性。
その凛々し気な佇まいと、楚々としたシスター服の不協和音に笑いだしそうになるのを堪えながら片手を挙げて簡単に挨拶をする。
「あなたは、ライダーのマスターの…」
「あぁ。調子はどうだ?バゼット・フラガ・マクレミッツ」
「問題はありません。貴方が都合してくれたこの義手のお陰で、日常生活に困る事もありませんから」
「そうかい。いや悪かったな、アンタの右腕吹っ飛ばしちまって。アンタ達強いから、こっちも手加減する余裕なかったんだよ」
「戦場でのことです。少なくとも私は、貴方を殺すつもりだった。ならば、片腕一つで文句を言う権利はないでしょう」
「そう言ってもらえると助かるよ。アンタみたいなのに背中を狙われる日常なんてゾッとするからな」
「………それはそうと、貴方は何故さっきから半笑いなのですか」
「鏡でも見てくれば?理由が分かるぜ」
「…………………………失礼します」
自覚があるのだろう、渋い顔をしたシスター服のバゼットは、八つ当たり気味に荒々しく扉を閉じて去っていった。
元封印指定兼執行者の剛力を受けた教会の扉がバキリという悲鳴を上げる。
「彼女については、君の所で預かった方が良かったのではないかね?彼女が執行者の地位を降ろされたのは、君が彼女の腕を奪ったからだろう?責任を取る意味でもそうすべきだったと、私は思うがね」
「いやいや、流石に右腕吹っ飛ばした相手とずっと一緒ってのもお互い気まずいだろ。ま、命を救ってやった借りってことで、一つ頼むよ」
「いいのかね?私の所においておけば、彼女がどのような目に合うかは保証できないぞ?」
「それはアイツの自業自得さ、アゾられるようなことがあるとして、それはアイツがアホだっただけの事。…そこまで責任は持てないよ」
「アゾる?…まぁ良い。君がそういうスタンスだというのなら、私は私で好きにさせてもらおう」
「あぁ。…さて」
「行くのかね?」
「そうだな、そろそろ行くよ。教会の外に待たせてあるしな」
「そうか…では、おめでとう、と言わせてもらおう。君の願いは、ようやく叶ったようだからな。…随分と多大な負債を、抱えてしまったようだが」
「………」
確かに、その通り。
未だに、ウルクの大杯は僕の中にある。
軽々しく使うつもりはないが、この存在がある限り、僕の生涯はこれに縛られることになるだろう。
この行いは、英雄王の眼鏡に叶うのか。
この行いは、英雄王が見るに値するものか。
常に自問自答を続けながら、自らの生涯を磨き上げ続けなければならない。
そうして出来上がった生涯は、英雄王ギルガメッシュへと献上されることが決まっているのだから。
「…何ニヤニヤしてんだよ」
「鏡を見たらどうかね?理由が分かるぞ」
「僕を見て愉しんでんじゃねぇよ、愉悦神父」
「おっと、これはすまない。性分なものでな」
「ふん」
最後の余計な一言のせいで、ささくれ立った心で僕は教会を去る事になった。
◆
教会を出た僕は、こんなところにある辺鄙な教会にしては立派な構えの門をくぐり、外へと向けて歩き出した。
そこで待っていたのは、衛宮に遠坂、それとイリヤスフィールと―――
「兄さん!」
「桜、ただいま」
「はい、お帰りなさい!」
妹の、桜。
駆け寄り抱き着いてくる桜を受け止める。
そのまま脇へと回って腕に手を回した桜と共に歩き出した。
「全く、仲が良い事ね」
「お前が言うかよ、イリヤスフィール。お前だって衛宮にべったりじゃねぇか」
「ふふーん、いいのよ私達は。なんてったって、繋がって奥の奥まで見せ合った仲なんだから…」
「いいいいいイリヤ!?その説明の仕方じゃぁ…」
「衛宮先輩って、まさか…」
「違う。断じて違うぞ桜!それは間違いなく誤解だ!だからそんな目で見るな!」
今回の聖杯戦争においては、衛宮は遠坂とではなくイリヤスフィールから魔力供給を受けることで固有結界の発動を可能としたらしい。
本来の原作においては、最終決戦時においてイリヤスフィールは退場していたし、今回の聖杯戦争では遠坂との仲は特に進展することもなかったようだから、その辺りが関係しているのだろう。
それはつまり、遠坂とやる筈だったアレヤコレヤをイリヤスフィールとやったという事で―――
「甘んじて受けろよ、衛宮。やる事やったんだから、そう間違ってるわけでもないだろう?」
「ちょ、慎二!?お前には事情を話しただろう!?だからあれは、仕方のない事で…」
「へぇ…聞いたかよイリヤスフィール。衛宮はお前との行為は仕方がないからやっただけで、衛宮の奴はお前のこと何とも思ってないんだってさ」
「そんな…士郎、酷い!」
「い、いや、何とも思ってないとまでは言ってないだろう!?」
「先輩、最低です」
「なんでさああああああああああああああ!?!?!?」
絶叫する衛宮を三人で一しきり笑い飛ばして、そこでふと、今までずっと静かに後ろをついてきていたもう一名に目を向ける。
「あら
「アンタたちがいちゃついてるから独り身の私は居辛いのよ!っていうか桜!いい加減その呼び方はやめなさいっ!」
「お断りします。改めさせたいなら汚名返上できるような事をきちんと成し遂げてからにして下さい」
遠坂に向けて絶対零度の瞳を向ける桜。
あの最終局面、恥を忍んで『姉さん』と呼びかけたのにもかかわらず何もできなかった遠坂に対する桜の評価は完全に地に落ちている。
もはやもう一度姉と認めてもらう事など望むべくもない。その前に、蔑称呼びが完全に固定されてしまっている現状を変える必要があるだろう。
「まぁそう言ってやるなよ、桜。実際こいつは優秀なんだぜ?一般人としても、魔術師としても。
今回の聖杯戦争じゃ、召喚時間は間違えるし、呼び出したサーヴァントはセイバーとの戦闘であっさり戦闘不能になるから偉そうにしてるけど基本衛宮に頼りきりだったし、一度も勝利してない所かそもそも戦闘らしい戦闘なんてしてないけど」
「貶すかフォローするかどっちかにしろ!」
「今回の聖杯戦争じゃ実際役立たずだったんだから暫く我慢すれば?」
「だからって貶すなああああああ!!!」
今でこそこうして情けない姿を晒しているが、実際遠坂が大成するのも時間の問題だろう。
自分の所に来た時点で宝石剣を手にしていたようだから、後は時間さえあれば魔法使いになれるような魔術師なのだ。うっかりにうっかりを重ねた今回の聖杯戦争が割と例外なだけで。
何はともあれ、第五次聖杯戦争は終わった。
ならば心配することはない。
桜を救う事が出来た僕ならば、きっと何があってもなんとかできる。いや、してみせる。
もう、諦めて誰かに縋る事はしない。僕は、僕の手で、運命を決めて見せる。
「桜」
「はい?なんですか、兄さん?」
「これからは、ずっと一緒に居よう」
「――――――――――」
「はいっ!」
桜が花開くような笑みを浮かべた彼女の姿に、僕は満足する。
さぁ、僕たちの日常は、これからだ。