「昼飯にはまだ少し時間があるな…」
「あら、それなら私と手合わせでもしない?」
そう言って、衛宮との戦いを終始見つめていた遠坂は、僕へ向けて不敵な笑みを向けてきた。
聖杯戦争における自身の不甲斐ない戦績がよっぽど腹に据えかねたのだろう、笑みを浮かべながらもその瞳の奥には『ボッコボコに叩きのめしてやる』という強い決意が垣間見える。
遠坂の操る八極拳は相手にする上で不足はない。了承の返答を返そうとして―――
「あら?役立たずさんで兄さんの相手になるのですか?」
桜の声によって、それは遮られた。
「桜、いい加減その呼び方やめなさいって何度も言ってるわよね?」
「その度に言っているじゃないですか。やめさせたいなら相応のモノを私に示して下さい、と」
「………」
「………」
「ハァ…」
バチバチと目線で火花を散らす二人に嘆息する。
どうにもこの二人の仲は、聖杯戦争の時に悪化して以来改善する兆しが見えない。
原因は明らかだ。遠坂の事を徹底的に役立たず扱いする桜である。
どうやら、あの最後の局面で桜の助けになれなかったことがよっぽど腹に据えかねたらしい。
まぁ、長らく口にしていなかった『姉さん』まで解禁したのにも関わらず全くの無意味だったのだから、それもさもありなんと思わなくもないが―――
いい加減、顔を合わせる度にこの有様では面倒でしょうがない。
「…じゃあ桜、お前、遠坂と戦ってみるか?」
「は?」
「…望むところです」
僕の言葉に傲慢な笑みを浮かべて道場の中央へと立った桜。
それを、遠坂は険しい顔つきで見つめている。
「桜、本気?いくら何でもあなたに負けるとは思わないけれど?」
「やってみなければ分からないですよ、役立たずさん?」
「…いいわ、あなたに身の程ってものを分からせてあげる」
笑みを崩さない桜に対して、遠坂もまた立ち上がって道場の中央を挟んで二人は向かい合う。
それを見送った僕に向けて、衛宮が声を潜めて話しかけてきた。
「…おい、慎二っ」
「あんだよ衛宮」
「いいのかよ?本当に二人戦う事になりそうだぞ?」
「別にいいさ。ちょっと調子に乗ってるようだし、灸をすえるのには丁度いい」
「けど…」
「さぁ二人とも、準備は良いな?」
心配する衛宮の声を遮って二人に向けて語り掛ける。
遠坂は、桜へ向けて冷たい視線を向け。
桜は、遠坂へ向けて傲慢な笑みを向ける。
既に準備は万端、そう判断した僕は―――
「始め!」
戦いの決着は、即座に着く事になる。
◆
兄さんの合図と同時に踏み込んできた役立たずさんの姿に、私は笑みを深めた。
どうやら彼女は、私の事を戦闘能力のない完全な一般人だと思っているようだけれど、それは違う。
こっそり私は、護身術と健康維持を兼ねて、兄さんから習っていたのだ。
中国拳法の一つ、太極拳を。
お爺様から魔術の修練を受けるようになって完成された、兄さんが『マジカル太極拳』と呼ぶこれは、もはや一般人の枠に収まるものではない。
しかも、これは相手の攻めに対する反撃に特化した武術。攻め一辺倒の八極拳とは、極めて相性がいい。
猪の如く突進してきた彼女の手を取りさえすれば、それで決着―――
その瞬間、視界から彼女の姿が消失する。
「え」
直後に私の背後で、ダンッ!という激しい踏み込みの音が響く。
回り込まれた―――そのことを知覚した私はその音を追って振り返り、再度彼女の姿を視界に捉える。
―――フェイントをかけてきたことに驚きはしましたが、それでも…
―――私の勝ちは揺るがない。その拳打に触れることさえできれば!
彼女から打ち込まれる拳の軌道上に、自らの掌を置く。
後は、獣が罠にかかるのを待つように、彼女の攻撃が自身に届くのを待ってさえいれば…。
だが、ここで更に私の予想外の事が起こる。
私の掌に触れる直前、ぬるりとした蛇のような動きをした彼女の手が、私の手首をつかみ、思いっきり引っ張ったのだ。
「ぁ!?」
たまらずバランスを崩す私の背後に再度回った彼女は、空いていた腕を私の首に回すと、私の手首を握っていた手を放し、両手を使って首を絞めにかかった。
―――こ、これ、チョークスリーパー…!?
喉を絞められて呼吸する機会を奪われた私は、締め上げる彼女の腕を掴んで引き剥がしにかかるが、彼女の腕は万力のようにびくともしない。
徐々に酸素を失った私は、すぐにでもその意識を闇に落すだろう―――
「そこまで!」
「かっ、はぁ…!」
「ふぅ…」
開始と同じく兄さんの合図で以て終了が告げられ、解放された私は失った酸素を求めて見苦しく喘ぐ。
「しかし遠坂、チョークスリーパーなんてどこで覚えたんだよ」
「チョークスリーパーじゃなくて裸絞め。ま、同じことだけど、一応柔道の技として覚えたんだからこう言った方が正しいでしょう?」
「あぁ、なるほど。最近美綴の奴に生傷が多いような気がしたのはやっぱりお前のせいだったか」
「ていうか慎二、桜に太極拳なんて覚えさせてんじゃないわよ」
「何かしらの護身術は女の嗜みだろう?お前の八極拳だってそうじゃないのか?」
「一般人が使うには過剰だって言ってんの」
和やかに彼女と話す兄さんに、驚きの色はない。
つまり兄さんは―――この結果を、想定していた?
「さて、桜」
「っ…」
兄さんから声を掛けられて、私はびくりと肩を震わせる。
兄さんの声音は冷たく硬い。
随分久しく聞いていなかったが、これは兄さんが私を叱りつける時の声色だ。
「僕が何を言いたいか、分かってるか?」
「………」
「遠坂の奴は遺伝的な呪いのせいでいっつも肝心な所でポカをやらかすし、聖杯戦争ではその呪いが本領発揮したせいで全くと言っていいほど良いところがなかったが…」
「喧嘩売ってんの?」
「それでも、才能に恵まれていてなおかつ怠惰に過ごすことを勿体ないと感じて努力することを止められない貧乏性で…」
「やっぱり喧嘩売ってるわよねアンタ」
「実際その能力は優秀だ。今のお前で勝てる相手じゃあない。冷静になって考えればわかる事だ」
「っ………」
「なのにお前は慢心して、視野狭窄に陥ってこんな結果になった。…お前がきちんと遠坂を正しく評価して警戒していれば、ここまで無様を晒すことはなかっただろうさ」
「………………」
「…桜?」
◆
いつまでも俯いたまま返事を返さない桜を訝し気に睨む。
桜は頭は悪くない。僕の言い分に理がある事は分かっているはずだ。
にもかかわらず頷く気配は一向に見えない。なぜこうも意地を張るのか、こんなことは今まではなかったのだが…?
「アンタが不甲斐ないから頷けないのよ、桜は」
それに答えを出したのは遠坂だった。
「…何?」
「桜にとってアンタは、頼りになる兄で、絶対の指標だった。その信頼は、もはや信仰と言っても過言じゃないレベルに達していたわ。
けど、聖杯戦争の結果を受けて、アンタが何でも何とかしてくれる神様みたいな人間じゃないって桜もやっとわかった。…わかってしまった。
だから…慎二が私に負けてしまうのが怖いんでしょう?桜」
「ち、違います!兄さんが負けるなんて、そんなこと―――」
あるはず、ありません。
呟かれた言葉は、耳に届くか怪しいほどにか細いものだった。
それはとりもなおさず、僕への信頼が揺らいでいる事の証で。
―――全く、遠坂に言い返せないな
―――僕としたことが、不甲斐ない
「…ったく、お前も衛宮に負けず劣らずの馬鹿だな、桜」
「っ、すいません…兄さん」
「僕が遠坂に負けるなんて、そんなことあるわけないだろう?」
「…え?」
―――けど、失った信頼は取り戻せばいい
「へぇ、言うじゃない慎二。そんなに言うなら一戦やる?」
「いいぜ、元々そのつもりだったんだ。聖杯戦争で収めた勝利がなんの偶然でもない、確固たるものだったってことを教えてやるよ」