今度は、私と慎二が、道場の中央に立って正対する。
腰を低く落として両手を構える私に対して、慎二はだらりと手を垂らして構えらしい構えを取る事はない。
―――十中八九、誘いでしょうね
慎二が操る太極拳は、相手の攻撃を返す『後の先』を極限まで極めた武術だ。
迂闊に飛び込めば、桜がやろうとしたように、受け流された上で一発入れられてゲームセット。
しかも桜との戦いで手の内を一つ見せてしまったことで、慎二の警戒度は上がっている。…まぁこれについては、綾子の様子から既に察されていたようだから、大して変わりはないかもしれないけれど。
「
「
「ちょ、本気か!?二人とも!?」
「っ…!」
互いに、魔術回路を励起させる。
全身に強化を施す私達に驚愕する衛宮君の声と桜の息を呑む音が聞こえるが無視する。
負けるとは思ってはいないが、手加減して勝てる相手だとも思っていない。
―――今の私にできる限りを、尽くす!
板張りの床を踏み抜かないぎりぎりを見極めて慎二へ向けて踏み込む。
常人には視認すら不可能な速度で慎二の周りを巡る。
慎二の奴が絶対に対応できない位置を探ろうとした―――のだが。
―――反応が、ない?
私のリーチ限界ギリギリから、拳一つ分しか離れていない位置まで、様々な位置に踏み込んでフェイントをかけたが、その全てに慎二は反応を示さない。
だらりと手を垂らしたままの、無防備な姿を晒し続ける。
―――反応できない…わけはないわよね
慎二は待っている。
私が、慎二が対応できない位置に打ち込もうと画策しているように。
慎二は、私が堪え切れずにもう逃げられない位置にまで打ち込んでくる時を待っている。
互いの思惑が噛み合い、膠着状態を生み出しているのだ。
なら、後は純粋な力勝負だ。
私が、慎二の速度を抜いて一発打ち込むか。
慎二が、私の速度を上回って反撃するか。
―――いいわ…その勝負、乗ってあげる!
打ち込むのは背後から。もっとも手の届きにくい、背中のど真ん中。
万全の構えを取った私は、全身全霊を込めて拳を打ち出す。
ことここに至れば、付け焼刃の技術では追いつけない。
私の最も信頼する一撃、最上・最速の拳打を打ち込む!
後拳三つ。全身を一つの発射台として繰り出された砲弾の如き拳打が走る。
後拳二つ。亜音速にまで達した私の拳が、風を切って走る。邪魔だとばかりに押し出された空気が挙げる悲鳴が聞こえた気がした。
後拳一つ―――ここで、とうとう慎二が動く。体を捻じり、その拳の軌道からずれようとする、が…
―――私の拳がたどり着く方が、速い!
バ ァ ン ッ !!!
ダンプカーの衝突にも匹敵するエネルギー量を内包した拳が、左わき腹に命中する。
―――獲った!
その確信を抱いたのも束の間。
慎二は、止まることはなかった。
「え」
ぐるりと旋転した視界に間抜けな声を上げた私は、背中から道場の床へ打ち付けられた。
慎二の右手が私の顔を引っ掴んで床へ押し付けていて、左手は私の右手首を握って捻じり上げており、空いていた私の左手には右足が乗っけられていて動けない。両足はなんとか自由であるものの、体の上部をガッチリと固定されてしまっているこの状態から抜け出すことは不可能だ。
「な…な…」
「さて、まだ続けるか、遠坂?」
「なんで、あんた動け…」
「なんだよ続けるのか?なら…」
「あいだだだだだだ!?ちょ、右手捻じるな!わかった!わかったわよ!降参!降参するから!」
◆
「な・ん・であんたは動けるのよ!?」
「なんでって…気合?」
「はぁ!?」
そんなわけあるかぁ!
いくら魔術で強化を施してたからって、私の拳があそこまで完璧に決まって動ける生物がいるわけないでしょうがぁ!
「お前、そんなレベルの拳を躊躇なく打ち込んだのかよ…」
「うっ…いやでも実際、あれくらいしないとアンタ止まらないじゃない!ていうか止まってないじゃないのよ!」
「ま、そうだな。…種明かしをすると、遠坂の拳を返すのには苦労しそうだったから、最初から一発は受けるつもりでいたんだよ」
「さ、最初から…!?」
「あぁ。全力でさえなければ、その攻め手を取って返せる自信はあったからな。最近覚えたばっかりだっていう柔道だのなんだのの技だったら問題なかった。
一番警戒してたのは、遠坂の出せる限界の速度だけだった。ただ、それを返そうとして構えちまったら遠坂は打ち込んでこないだろうから―――お前が打ち込むのを待ってたんだよ。それさえ耐えちまえば、後はどうとでもできるからな。
ま、ようするに今回も、お前は最初から最後まで僕の掌の上だったってわけだ」
「ぐ、ぐぬぬぅぅぅぅ………!」
「おっと、そろそろ昼飯じゃないか?桜、衛宮、準備頼むぜ」
「お、おう。…し、慎二、遠坂がすごい顔で睨んでるけど、いいのか?」
「は?何?勝った側である僕が何で負けた奴の機嫌を取ってやらなきゃいけないわけ?」
「え、えーっと…」
「あ、イリヤスフィールには用事があるのを思い出した。ついでに呼んできてやるから、お前らは先に居間に行っててくれよ」
◆
そのまま、スタスタと歩き去ってしまう慎二。
残されたのは、今にも地団太を踏むんじゃないかと思うような面持ちでいる遠坂。
いたたまれない感情を押し隠せない俺と―――
「うふふ…」
「随分機嫌がよさそうね、桜」
「えぇ、やっぱり兄さんがナンバーワンだってことが分かりましたから」
「…それは良かったわね」
「はい。…あぁそれと、遠坂先輩」
「え?」
「今までの失礼な態度は謝罪致します。身の程もわきまえず、『兄さんが負けるかもしれない』なんて下らない勘違いで八つ当たりをしてしまって、申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉を口にする桜だったが、その口は弧を描いた形のまま固定されている。
「いつか、遠坂先輩の事は追い抜かせてもらいますから…その時まで、どうかご指導ご鞭撻、よろしくお願い致します」
「っ………」
何か言い返そうとする遠坂だったが、慎二に敗北したばかりの今、いくら何を言い募っても墓穴を掘るだけだと思ったのだろう、口をパクパクさせるだけで、そこから言葉が出てくることはない。
「さ、衛宮先輩。兄さんの為にも、腕によりをかけて昼食を作りましょう!」
「え、あ、そうだな。うん」
後ろから無言で睨んでくる遠坂が恐ろしいが、そんな遠坂に話しかけることの方が俺には恐ろしい。
少しでも機嫌が直るよう、俺も今回の昼食には力を注ぐことにしよう。
◆
「入るぜ、イリヤスフィール」
「…何の用かしら、シンジ。昼食の時間なのは分かっているから、呼びに来ただけならもう行っていいわよ」
「そう邪険にするなよ。今日はちょっと頼みがあってな…」
「私にそれを聞く理由がある?」
「昔の衛宮の恥ずかしい話はどうだ?」
「しょうがないわねえ話だけは聞いてあげるわ!」
ガッチリ食いついてきたイリヤスフィールの様子に安堵する。
正直、そろそろ涼しい顔してるのも限界だったからな。
「で、頼みってなにかしら?」
「こいつ、治してくれないか?」
そう言って僕は、背中を向けたままシャツの裾を捲ってその場所…遠坂の拳が打ち込まれた位置をイリヤスフィールに晒す。
―――内出血で真っ青になっているわき腹を。
「!…あなた、これどうしたの?」
「遠坂の奴と一戦交えたんだよ。…つか、マジでヤバいから急いでくれると助かる」
「全く、無茶したものね。えーっと…骨は折れてはいないようだけど、罅が…ちょっと待って、拳を打ち込まれただけにしては随分と範囲が広くないかしら?」
「衝撃を全身で満遍なく『吸収』したんだよ。間桐の魔術傾向を利用して、太極拳の理論を実践するって目的でつくった術式なんだが…」
「成程ね。そんな事をしたからこんなに…こんなに…なんでわき腹で受けた衝撃が足首にまで届いてるの?」
「それはこんな威力の拳を躊躇なくぶち込んで来やがった遠坂に言ってくれ。こうでもしないと拳の形に内臓ごとごっそり持っていかれるところだったんだ」
「こんな状態で道場からここまで歩いてきたの?…大変ね、お兄ちゃんは」
呆れた様子で溜息を吐くイリヤスフィールに何も言い返せないまま、僕は黙って治療を受けるのだった。
気合で耐えたけど実はとてもつらい(小並感)感じだった慎二。
流石に命を懸けてまで勝ちに来るのは凛にも想定外だった模様。
ちなみに、拙作における序列
戦闘能力序列(武器アリ)
慎二≒士郎>凛
戦闘能力序列(無手)
慎二(相性勝ち)>=凛>士郎
魔術関連能力序列
凛>>>才能の壁>>>士郎≒慎二
戦闘能力(ルール無用)
慎二(現代兵器の使用・徹底したゲリラ戦闘等、関係のない人間さえ巻き込まないなら一切の手段を問わない)>凛(優雅(笑))>士郎